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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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江戸川乱歩年譜集成

昭和二十一年(一九四六)上半期

年齢:五十一歳→五十二歳、数え年五十三歳
住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六
□探偵小説四十年:細目□
探偵小説復活の昂奮【昭和二十一年度】
昭和二十一年度の主な出来事
探偵小説界と私の身辺の出来事
二十年末より二十一年秋までの日記
探偵雑誌『黄金虫」計画
「幻の女」を読む
「宝石」創刊と横溝の「本陣」
雄鶏社の推理叢書
クレイグ・ライス
双葉、植草両君と知る
「心理試験」映画化
角田喜久雄の長篇
第一回土曜会
水谷準作家専業となる
ウソ発見器
捜査会議に列す
小栗虫太郎
五つの探偵雑誌
吉良運平の飜訳計画
「宝石」第一回当選作家

一月一日(火)

□日記□《餅なく、雑煮なく、しめ飾りなく、門松なく、国旗もない敗戦第一年の正月なり。終日来訪者なし》[探偵小説四十年]

一月二日(水)

□日記□午後、前田豊秀が来訪。前田からは前年末、乱歩を主幹として探偵雑誌を発刊したいと依頼があった。その条件を覚え書きとして手渡す。[探偵小説四十年]

一月九日(水)

□日記□小栗虫太郎が来訪し、一泊。[探偵小説四十年]

《二人は焼野原の中に辛うじて残った私の家の一室で夜をふかして探偵小説の事を語った》[小栗虫太郎君/昭和21年4月]

一月十日(木)

□日記□小栗虫太郎、再泊。[探偵小説四十年]

小栗虫太郎は一月四日に上京し、海野十三宅に宿泊した。海野は一月十日の日記に「乱歩さんは相変らず老人ぶって引込んでいるのは遺憾である。しかし色気は皆無というには非ず、一年一作で十分たべられるというものをやりたいとのべていると、小栗虫太郎が帰って来ての話だ。これは大いによろしい」と記した。[長山靖生:解説 『海野十三敗戦日記』中公文庫/平成17年]

一月二十日(日)

□書籍□『妖犬』第二刷の奥付発行日。平凡社から刊行され、コナン・ドイルの訳を収録、初版発行は昭和五年七月とする。戦後初の著書。

一月二十三日(水)

□日記□前田出版社から探偵雑誌を発行する計画が不調に終わる。《クイーン雑誌にならいて「江戸川乱歩・ミステリー・ブック」と題し、内外の名作再録雑誌にするつもりなりしが》[探偵小説四十年]

一月二十六日(土)

□日記□夜、名古屋へ出発。井上良夫未亡人ゆき子を訪ね、英文探偵小説の蔵書約百冊を譲り受ける。[探偵小説四十年]

一月二十八日(月)

□日記□名古屋から一番列車で帰京。[探偵小説四十年]

一月

《【一月】「中央公論」「改造」復刊、「世界」創刊》

二月十日(日)

小栗虫太郎が四十四歳で死去。

□日記□午前、小栗虫太郎の死去を知らせる電報が届く。弔電と香奠を送る。[探偵小説四十年]

《【二月】十七日、小栗虫太郎君、疎開先長野県にて病歿 *「十七日」は乱歩の誤記》

二月十六日(土)

□日記□城昌幸、岩谷書店の岩谷満と武田武彦を同伴し、探偵雑誌「宝石」創刊の挨拶に来訪。長篇執筆を依頼されるが、断る。[探偵小説四十年]

二月十九日(火)

□日記□終日、アイリッシュ「ファントム・レディ」を読む。[探偵小説四十年]

二月二十日(水)

□日記□朝、春山行夫が来訪。春山が編集長を務める文芸科学ニュース誌「雄鶏通信」で「ファントム・レディ」を優先して紹介することを約す。終日、「ファントム・レディ」を読む。[探偵小説四十年]

「ファントム・レディ」の表紙裏に「昭和二十一年二月二十日読了、新らしき探偵小説現われたり、世界十傑に値す。直ちに訳すべし。不可解性、サスペンス、スリル、意外性、申分なし」などと記す。「ファントム・レディ」は厳松堂で春山行夫に売約済みだったものを横取りした。[ウールリッチ=アイリッシュ雑記(昭和28・1953年/昭和28年9月]

[春山行夫:本を浚われた話/昭和29年]

[波多野完治:体験的古本屋論/平成6年]

二月二十四日(日)

□日記□「ロック」に「小栗虫太郎」原稿三枚、速達で送る。午後一時、初音町(小石川二丁目)の源覚寺で営まれた小栗の埋骨式に海野十三らと参列。[探偵小説四十年 *乱歩は「源光寺」と誤記]

二月二十五日(月)

□日記□「宝石」の岩谷満と武田武彦、写真班二人を同伴して来訪、乱歩の写真を撮影。「新人ウールリッチ」原稿五枚、手渡す。[探偵小説四十年]

二月二十七日(水)

□日記□午後三時から新橋の銀八で雄鶏社推理叢書の会合。雄鶏社の武内俊三、木々高太郎、大下宇陀児、海野十三、小島政二郎と出席。クイーン雑誌を閲覧するため放送会館の進駐軍図書館に行くが、日比谷に移転中で果たせず。ディクスン「孔雀殺人事件」を読む。[探偵小説四十年]

二月

《【二月】生活費の枠を月五百円と定めらる。新旧円の交換はじまる。公職追放令公布》

三月一日(金)

《【三月】筑波書林、探偵雑誌「ロック」を創刊。編集長、山崎徹也》

三月二日(土)

□日記□大慈宗一郎と中島親が来訪。ディクスン「ユダの窓」を読む。[探偵小説四十年]

三月三日(日)

「探偵小説漫語」を書く。[初出末尾]

三月五日(火)

□日記□スピカ社の湯沢が来訪、猪熊弦一郎による乱歩選集の表紙絵を持参。「苦楽」の広瀬照太郎の子息が来訪、「ファントム・レディ」の翻訳を連載することに決める。ディクスン「ユダの窓」を読む。[探偵小説四十年]

三月七日(木)

□日記□クレイグ・ライスの記事が「タイム」に掲載されたことを読書新聞で知り、アメリカの探偵小説を紹介する原稿に訂正が必要となって春山行夫を訪ねるが、不在。日比谷の米軍図書館で「タイム」を閲覧。帰途、神田の厳松堂に立ち寄り、ジョセフ・ジュリアンという進駐軍の文官と話す。波多野完治と会う。[探偵小説四十年]

三月八日(金)

□日記□朝、春山行夫宅を訪問、原稿を取り戻し、「タイム」一月二十三日号を借用。午後五時、波多野完治と新橋の第一ホテルにジョセフ・ジュリアンを訪ね、持参の無惨絵を見せて話す。午後八時辞去。[探偵小説四十年]

三月九日(土)

「アメリカ探偵小説の二人の新人」を書く。[初出末尾]

「アメリカの探偵雑誌──クイーン雑誌・ライス雑誌其他」を書く。[初出末尾]

三月十日(日)

□日記□「苦楽」の小柳が来訪、海外作品の翻訳が困難なため、「ファントム・レディ」の連載をやめることにする。翻訳は十五枚で中絶。[探偵小説四十年]

三月十三日(水)

「アメリカの探偵小説」第二回を書く。[初出末尾]

三月十五日(金)

□日記□朝、住友銀行に行き、三月の生活費六百円を引き出す。チャンドラー「大いなる眠り」、ハメット「シン・マン」を読む。[探偵小説四十年]

三月十七日(日)

□日記□クイーン「災厄の街」を読む。[探偵小説四十年]

三月十九日(火)

□日記□渡辺健治が来訪、自筆雑誌「黄金虫」第一号を持参。渡辺の実兄祐一(氷川瓏)の「乳母車」が掲載されていた。[探偵小説四十年]

三月二十一日(木)

□日記□赤坂山王(千代田区永田町)の山の茶屋で新日本芸術聯盟発起人会。探偵作家ではほかに大下宇陀児が出席。ライス「すばらしき犯罪」、ウールリッチ「黒衣の花嫁」「コカイン」を読む。[探偵小説四十年]

三月二十四日(日)

「クイーンの大手品」を書く。[初出末尾]

三月二十五日(月)

「ライス夫人の「すばらしき犯罪」」を書く。[初出末尾]

□雑誌□「宝石」創刊号(第一巻第一号)の奥付発行日。「アメリカ探偵小説の二人の新人」が掲載された。近影と武田武彦による写真説明も掲載。

三月三十日(土)

□日記□第一ホテルにジョセフ・ジュリアンを訪問、日本画の掛軸を贈り、帰国したら探偵小説を送ってくれるよう依頼。午後一時から交詢社で「宝石」主催の座談会。進駐軍のタトル大尉を囲み、大下宇陀児、木々高太郎、水谷準、角田喜久雄、渡辺健治、城昌幸、岩谷満と父親、武田武彦らと出席。チェスタトン「木曜日の男」、ラティマー「モルグの麗人」、アイリッシュ「食後の物語」、コリア「緑の思想」、スタウト「ゴムバンド」を読む。[探偵小説四十年]

三月

《【三月】物価統制令施行。新円生活はじまる》

四月一日(月)

□雑誌□「ロック」四月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「小栗虫太郎君」「アメリカの探偵雑誌──クイーン雑誌・ライス雑誌其他」が掲載された。

四月十日(水)

□雑誌□「旬刊ニュース」第一巻第六号の奥付発行日。「アメリカ探偵小説の諸相」が掲載された。

□日記□ジュリアン中佐、日仏会館のオシュルコン、波多野完治と米軍の自動車で松沢病院を訪問。アイリッシュ「暁の死線」、クイーン「神の燈火」を読む。[探偵小説四十年]

四月十五日(月)

□雑誌□「雄鶏通信」四月下旬号(第二巻第六号)の奥付発行日。「最近のアメリカ探偵小説界」第一回が掲載された。

四月十六日(火)

□日記□「旬刊ニュース」にクイーン「神の燈火」抄訳を四回連載することを約す。[探偵小説四十年]

四月十七日(水)

□日記□正午から高円寺の新山水で「ロック」の会。社長の成田義雄、木々高太郎、海野十三、大慈宗一郎、中島親と出席。午後四時まで。渡辺健治が来訪。[探偵小説四十年]

四月二十日(土)

□日記□午後三時から銀座の新太炉で研究者探偵叢書の打ち合わせ。木々高太郎と出席。マーシュ「羊毛の中に死す」を読む。[探偵小説四十年]

四月二十二日(月)

「ライス夫人の「すばらしき犯罪」」の追記を書く。[初出末尾]

□日記□「宝石」の岩谷満と城昌幸が来訪、創刊号の完成が月末まで延びたと知らされる。ディクスン「白い准僧院の殺人」、フーラー「ハーバード大学の殺人」を読む。[探偵小説四十年]

四月二十七日(土)

□日記□延原謙が上海から引き揚げ、来訪。[探偵小説四十年]

四月二十九日(月)

□日記□渡辺健治が京都から帰り、来訪。巌松堂に行く。[探偵小説四十年]

四月

《【四月】雄鶏社は木々高太郎監修「推理小説叢書」全十五巻の内容を発表した。日本作家八人、外国作家七人。しかし、後者はその後飜譯が出来ない事情となり未刊に終った》

《【四月】私の主催で第一回探偵作家土曜会を日本橋川口屋銃砲店の二階広間に開く》

《【四月】預金封鎖強化さる。衆議院議員総選挙。婦人代議士三十九名生まる》

五月一日(水)

「探偵評論家ヘイクラフト」を書く。[初出末尾]

□雑誌□「文化復興」五月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「探偵小説漫語」が掲載された。

□雑誌□「ロック」五月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「クイーンの大手品」が掲載された。

五月三日(金)

「フダニット随想」を書く。[初出末尾]

五月七日(火)

□日記□山本直一が来訪。コールタールで自宅の屋根を塗る。クイーン「デヴィル・ツー・ペイ」を読む。[探偵小説四十年]

五月九日(木)

□日記□小川一彦(双葉十三郎)が初めて来訪。[探偵小説四十年]

[双葉十三郎:ぼくの特急二十世紀/平成20年]

五月十二日(日)

□日記□双葉十三郎と植草甚一が来訪。[探偵小説四十年]

五月十三日(月)

□新聞□「第一新聞」に「戦時の探偵小説」が掲載された。

五月十四日(火)

□日記□「改造」の西田来訪。局長になっているという佐藤績に改造社から探偵雑誌を出すようことづけた。ライス「間違い殺人事件」を読む。[探偵小説四十年]

五月十八日(土)

□日記□雄鶏社の社員が来訪。「赤毛一族」の原稿を渡し、井上良夫と小栗虫太郎の両未亡人への印税を小切手で受け取る。推理小説叢書のフィルポッツの巻は小栗の死去で新訳ができず、井上の旧訳を小栗名義で出すように斡旋し、印税は両未亡人で折半した。[探偵小説四十年]

五月二十日(月)

□雑誌□「雄鶏通信」五月上・下旬合併号(第二巻第七号)の奥付発行日。「最近のアメリカ探偵小説界」を「アメリカの探偵小説」と改題し、第二回が掲載された。

□日記□土蔵のなかの蔵書を片づけ始めた。家庭菜園の麦畑に案山子を立てた。ライス「激情の審判」、ライリー「デッド・フォア・ダカット」、ハメット「赤い収穫」を読む。[探偵小説四十年]

五月二十五日(土)

「アメリカの探偵小説」第三回を書く。[初出末尾]

□雑誌□「宝石」新緑号(第一巻第二号)の奥付発行日。「ライス夫人の「すばらしき犯罪」が掲載された。

□日記□大映のプロデューサー加賀四郎とシナリオライター高岩肇が来訪。「心理試験」映画化について話す。[探偵小説四十年]

五月二十六日(日)

□日記□甲賀三郎の長女、柴田初子が来訪。ディクスン「プレイグ荘殺人事件」を読む。[探偵小説四十年]

五月二十九日(水)

□日記□大映の加賀、船橋来訪。「心理試験」の映画化を承諾。[探偵小説四十年]

五月三十日(木)

□日記□午後二時から赤坂山王の山の茶屋で新日本芸術聯盟の相談会。発起人は河竹繁俊、伊原宇三郎、大下宇陀児、乱歩、中谷博。ディクスン「弓弦荘殺人事件」を読む。[探偵小説四十年]

五月

《【五月】極東国際軍事裁判東京法廷開かる。大邸宅開放指令出る。米よこせデモ宮城に押しかける。第一次吉田茂内閣成立》

六月四日(火)

「フダニット漫録」を書く。[初出末尾]

六月五日(水)

「ホームズは生きている」を書く。[初出末尾]

六月六日(木)

□日記□角田喜久雄来訪、長篇探偵小説「蜘蛛を飼う男」の原稿を預かる。[探偵小説四十年]

六月七日(金)

「新人翹望」を書く。[初出末尾]

□日記□山岡荘八ら二人、芸術聯盟の件で来訪。角田喜久雄「蜘蛛を飼う男」、グレアム・グリーン「内部の人」、ジョセフ・ダニンガー「あなたは何を考えているか」、ジェームズ・グールド・カゼンズ「難船」を読む。[探偵小説四十年]

六月八日(土)

□日記□海野十三が自由出版の村瀬逞社長ら二人をつれて来訪。「悪魔の紋章」の出版を約す。[探偵小説四十年]

六月九日(日)

□新聞□「名古屋タイムズ」に「論理性を」が掲載された。

六月十日(月)

□雑誌□「旬刊ニュース」第一巻第九号の奥付発行日。クイーン「神の灯火」の抄訳「黒い家」第一回が掲載された。連載は七月まで。

六月十五日(土)

□日記□宝石社二階で開かれた探偵小説を語る会で海外探偵小説について語った。水谷準、角田喜久雄、城昌幸のほか若い世代が十数人参加した。岩谷書店は日本橋の川口屋銃砲店ビルの一階の一部を借りて「宝石」を発行しており、そのビルの二階広間を借りて同好者の集まりを開いた。[探偵小説四十年]

六月十七日(月)

□日記□三木紫郎(九鬼澹)、甲賀三郎全集の話をもって来訪。監修を引き受けた。夜、自由出版の招待会があり、海野十三、大下宇陀児、水谷準、延原謙と出席。[探偵小説四十年]

六月十九日(水)

□日記□吉祥寺の井上英三宅を訪れ、英語本を借りた。甲賀三郎全集の件で柴田初子を呼び、承諾を求める。「モダン日本」の元編集長、須貝が「苦楽」の創刊について記した大仏次郎の手紙を持って来訪。水谷準が来訪、博文館を辞め、作家専業になると告げられる。カー「死の時計」「帽子蒐集狂事件」「夜歩く」を読む。[探偵小説四十年]

六月二十五日(火)
□雑誌□「旬刊ニュース」第一巻第十号の奥付発行日。「黒い家」第二回が掲載された。
□雑誌□「宝石」捕物帳特輯号(第一巻第三号)の奥付発行日。「探偵評論家ヘイクラフト」が掲載された。
[2013年9月22日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和19年●1943 昭和21年●1945(上半期)

 

昭和二十年(一九四五)

 

年齢:五十歳→五十一歳、数え年五十二歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

戦災記【昭和二十年度】

昭和二十年度の主な出来事

私の身辺の主な出来事

家族を疎開させる

空襲罹災記

月給取り志願

栄養失調

地下の別宴

白菊塚の調査

戦争末期に死亡した作家たち

蘭郁二郎

甲賀三郎

田中早苗

大阪圭吉

井上良夫

〔余白に〕罹災直後の手紙

 

一月一日(月)

□雑誌□「日の出」一月号(第十四巻第一号)の奥付発行日。「たのもしい隣組防空陣」が掲載された。

 

一月

《【一月】○米軍ルソン島に上陸開始○米機伊勢神宮を爆撃す》

 

二月十四日(水)

甲賀三郎が五十一歳で死去。

《【二月】十四日、甲賀三郎、少国民文化協会の用務にて九州に出張の帰途、車中にて発病、岡山市に下車、同市病院にて肺炎のため急死す。(追記、昨十九年一月、蘭郁二郎、報道班員として出発の際、台湾にて飛行機事故のため準戦死)》

 

三月

《【三月】○帝都夜間大空襲、江東方面焦土と化す○国民義勇隊結成を決す》

 

四月

母と妻を福島県保原町の小林という売薬業者宅二階に疎開させた。池袋で世話になっていた野口という運送業者が娘の嫁ぎ先を疎開先として紹介してくれた。町はずれの東条という百姓家の土蔵の二階も蔵書の保管用に借りた。[探偵小説四十年 家族を疎開させる/昭和32年1月]

《【四月】月初めに家族全部を福島県保原町の知合いの家に疎開させ、私ひとり池袋の家に残る》

 

四月十三日(金)

豊島区を含む数区が空襲で被害を受けたが、乱歩邸は奇跡的に罹災しなかった。[探偵小説四十年 空襲罹災記/昭和32年1月、2月]

《【四月】十三日夜、B29の大空襲あり、池袋地区焼野原となる。私の町会は南の半分が焼失し、隣組も全焼したが、私の家一軒だけ不思議に助かった》

 

四月二十五日(水)

井上良夫が三十六歳で死去。

《【四月】二十五日、井上良夫、名古屋市の自宅にて病死》

 

四月二十六日(木)

福島県の母と妻に手紙を出し、空襲による罹災状況を報告した。[探偵小説四十年 〔余白に〕罹災直後の手紙]

 

四月

《【四月】○米軍沖縄本土上陸○七日鈴木貫太郎内閣成立○大空襲、明治神宮空襲に焼く○皇土決戦訓布さる》

 

五月

町会で親しくなった代議士の小笠原三九郎と豊島区翼壮団長だった食糧営団理事の横山敬教に就職を相談し、両者から勤め口を世話された。横山から紹介された食糧営団の福島県支部長を選び、履歴書も提出して終戦直前に就職が確定した。[探偵小説四十年 月給取り志願/昭和32年3月]

《【五月】数年にわたる坐食のため貯蓄もほとんど使い果たし、収入の道を講ぜざるを得なくなり、小笠原大蔵次官と、横山翼壮団長とに就職のことを頼む》

蘭郁二郎死後の世話を引き受けている医師、道又慶治から蘭の墓標を書くよう頼まれ、多磨墓地まで出かけて事務所で木標に筆を執った。[探偵小説四十年 蘭郁二郎/昭和32年4月]

《【五月】○名古屋城空爆焼失○連続三日大空襲、宮城炎上、東京大半焦土と化す》

 

このころ

大腸カタルになり、医者のいうとおりにしてもなかなか治らなかった。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月]

 

五月二十五日(金)

池袋一帯に空襲があったが、乱歩邸の被害は軽微だった。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月]

《【五月】下旬、病気のため町会役員を辞任。二十五日、池袋地区に再度の大空襲あり、焼け跡に焼夷弾筒林立す。私の家も再度火を受けたが大事に至らず消しとめた》

田中早苗が六十歳(六十一歳か)で死去。

《【五月】二十五日、田中早苗、奈良の疎開先にて病死》

 

六月八日(金)

福島県保原町へ汽車で疎開した。蔵書は新聞紙に包んで米俵に詰め、荷馬車で駅へ往復して貨車に積み込んだ。出発前には大下宇陀児の半地下壕の住居で水谷準もまじえて別離の宴を張った。保原町では骨と皮ばかりになってしまい、下腹部を押さえると背骨にさわることができた。東京に帰ることなど思いもよらなかった。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月│地下の別宴/昭和32年3月]

《【六月】七日、書籍家具等を貨車一台を借りて疎開地に積み出し、翌八日、私自身も病気療養のため家族の疎開地に移る。大下君の家は四月十三日の空襲で全焼し、防空壕の中で、大下、水谷両君と別盃を酌み、別れの歌を高唱した》

 

六月

《【六月】国民義勇隊編成され、私は豊島区義勇隊の三人の副隊長の一人に選ばれたが、病気のため実際の仕事はしなかった。(区の隊長は区長)》

《【六月】○大政翼賛会解散○重大御前会議》

 

七月二日(月)

大阪圭吉が三十三歳で死去。

《【七月】二日、大阪圭吉戦死》

 

八月十五日(水)

ラジオで玉音放送を聞いたが、保原でははっきり聞き取れず、あとの放送や新聞で内容を知った。数日間は国民が混乱と放心の状態にあったが、占領軍の方針が温和であることがわかってきた。アメリカが占領するのだから探偵小説はすぐ復活すると病床で考えた。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月]  

《【八月】十五日の終戦大詔の御放送を疎開先の病床に聴く、息子隆太郎、土浦航空隊より疎開先に帰還す》

 

八月

《【八月】○広島に原子爆弾投下さる○ソ連対日宣戦を布告す○長崎に原子爆弾投下○十日午前七時ポツダム宣言受諾を通告す○最後の御前会議、終戦の勅書渙発○十五日正午天皇陛下終戦の大詔御放送○東久邇宮内閣成立○娯楽興行再開○三十日連合国最高司令官マッカーサー厚木に着す》

 

九月

《【九月】○東京湾内ミズリー艦上に降伏調印文書調印行わる○プレスコード指令さる》

 

十月なかば

十月なかばごろから月末にかけて、江の島に伝わる稚児が淵伝説の主人公、白菊丸の塚に調査に通った。[探偵小説四十年 ──/昭和32年3月(白菊塚の調査)]

 

十月

《【十月】○幣原喜重郎内閣成立○日本国軍の解体完了○「アカハタ」再刊さる○第一回宝籤売出し》

 

十一月七日(水)

福島県保原町の疎開先から、貨車二輌分の書籍、家財とともに家族四人で帰宅した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

《【十一月】病気が全快せず帰京がおくれていたが、この月上旬、漸く家族と共に池袋の家に帰る》

 

十一月末

大下宇陀児夫妻と水谷準夫妻を招き、牛肉のすき焼きと生ビールで帰京挨拶の会を開いた。探偵小説の復興について話したが、大下も水谷も茫然自失の体だった。このころから出版社が多く訪れるようになり、探偵小説流行の兆しを感じた。前田出版社からは新たに創刊する探偵雑誌の主幹になるよう依頼があり、引き受けるつもりになった。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十一月

《【十一月】○日本社会党結成○財閥解体指令さる○芸能統制廃止》

 

十二月十二日(水)

お茶の水文化アパートあとにあった出版協会に出版助成会社業務部長となった本位田準一を訪ねたが、北海道から帰っていなかった。牛込の大橋邸内の博文館に立ち寄り、水谷準、横溝武夫と話して帰った。七大出版社が営業停止になるというデマがあり、「新青年」を探偵小説雑誌に戻すよう説いても、二人の耳には入らなかった。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月十四日(金)

日記を書き始め、翌二十一年十一月六日までつづけた。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

夜、渡辺健治を招いて探偵雑誌編集の相談役となるよう頼んだ。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月十六日(日)

渡辺健治と小石川原町の前田豊秀を訪ね、探偵雑誌について相談。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月十七日(月)

前田豊秀来訪。本位田準一に相談するまで編集に関する決定を延期した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月二十一日(金)

大下宇陀児来訪。蔵書を全焼した大下に出版用として大下の著作数冊を呈した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月二十二日(土)

本位田準一来訪。探偵雑誌のことを話した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月三十日(日)

渡辺健治の提案で誌名を「黄金虫」とした探偵雑誌の契約書や編集案などをつくった。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月

《【十二月】○日本共産党再建○各界戦犯容疑者五十九名の逮捕命令出る○総司令部農地改革につき指令す○婦人参政権を含む改正選挙法公布○近衛文麿自決す○修身と日本歴史の授業廃止さる》

 

[2013年5月8日]

江戸川乱歩年譜集成

明治27年●1894

 

文化六年(一八〇九)

 

一月十九日

エドガー・アラン・ポー、米国マサチューセッツ州ボストンに生まれる。

 

文化七年(一八一〇)

 

この年

平井陳就(のぶより)、伊勢国津に生まれる。通称、杢右衛門(もくえもん)。平井家第七代。父・陳成(のぶなり)は津藩藤堂家重職。[貼雑年譜][平井系譜]

 

天保元年(一八三〇)

 

七月二十八日

平井陳就の長男・陳常(のぶつね)、誕生。平井家第八代。[平井系譜]

 

天保五年(一八三四)

 

十月

平井陳就、二十四歳で跡目を相続。禄は千石。鉄砲頭格となる。[貼雑年譜][平井系譜]

*藩主は第十一代、藤堂高猷(たかゆき)。文化十年二月九日-明治二十八年二月九日(一八一三-一八九五)。文政八年(一八二五)から藩主を務め、明治四年(一八七一)、長男・高潔(たかきよ)に家督を譲った。

 

天保六年(一八三五)

 

十一月五日

平井陳成、死去。津乙部、浄明院に葬られる。[平井系譜]

 

天保七年(一八三六)

 

二月

平井陳就、鉄砲頭となり、足軽組を預けられる。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

天保十一年(一八四〇)

 

七月十日

京の寺侍、本間来祐の長女・和佐、誕生。[貼雑年譜][平井系譜]

 

弘化元年(一八四四)

 

十一月

平井陳就、用人見習いとなる。[平井系譜]

 

弘化二年(一八四五)

 

三月

平井陳就、用人となる。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

嘉永二年(一八四九)

 

三月

平井陳就、藩主の命により留守用人となる。[平井系譜]

 

嘉永三年(一八五〇)

 

一月

平井陳就、増上寺にある霊屋(徳川将軍家墓所)の普請手伝いを命じられ、副奉行として勤務。その功により翌年、褒美を与えられ、公儀からも小袖と白銀を拝領する。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

八月

陳就、藩主の命により、側用人となる。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

安政三年(一八五六)

 

四月

平井陳就、藩主の命により、側用人のまま大横目を加役され、持筒組を預けられて加判奉行の席となる。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

文久元年(一八六一)

 

八月

平井陳就、病気につき側用人と大横目の免職を願い出、鉄砲頭格となる。[平井系譜]

 

文久三年(一八六三)

 

一月二十九日

平井陳就の妻、死去。法号、静姝院。津乙部、浄明院に葬られる。妻は藤堂高允(たかのり)の娘。[父母のこと/昭和32年8月][平井系譜]

*高允は第十代藩主、高兌(たかさわ)の弟。天明八年六月-天保十二年六月(一七八八-一八四一)。

 

四月

陳就、鉄砲頭を命じられ、足軽組を預けられる。藩主から持ち馬を差し出すよう命じられ、馬の代金二十両を拝領。[平井系譜]

 

八月

陳就、大和国の浪士を追討するため大和古市へ出張。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

*大和国の浪士とは天誅組のこと。八月に尊王攘夷派の浪士が挙兵し、五條代官所を襲撃、十津川郷に拠点をつくろうとしたが、幕府軍の討伐を受けて九月には壊滅した。津藩は幕府から天誅組の鎮圧を命じられていた。

 

十月

陳就、病気の藩士に代わって大和浪士の追討を命じられ、五條へ出張する。[平井系譜]

 

十一月

陳救、津に帰る。[平井系譜]

 

元治元年(一八六四)

 

三月

平井陳就、城和加判奉行を命ぜられる。[父母のこと/昭和32年8月][平井系譜]

*城和は山城と大和のこと。両国に津藩の領地があり、大和古市に奉行所が置かれていた。

 

四月四日

陳就、津から大和に引き移る。大和古市で在任中、本間和佐を後妻とした。[彼/昭和11年12月][父母のこと/昭和32年8月][貼雑年譜][平井系譜]

 

四月

陳就、藩領内にある三か所の山陵を修復する工事を命じられる。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

慶応二年(一八六六)

 

二月

平井陳就、山陵掛りの頭を命じられ、修補を成功させたため、朝廷から白銀五枚を拝領する。[父母のこと/昭和32年8月][平井系譜]

 

慶応三年(一八六七)

 

二月三日

平井陳就と和佐のあいだに繁男が誕生。のちに弟・彦次郎も生まれたが、他家の養子となって雑貨商を営んだ。[父母のこと/昭和32年8月][平井系譜]

 

明治元年(一八六八)

 

三月

平井陳就、藩主の命により、津加判奉行となる。[平井系譜]

 

四月二十三日

陳就、大和から津へ引っ越す。[平井系譜]

 

明治二年(一八六九)

 

五月

平井陳就、藤堂家当主の命により民政会計主事を兼ねる。[平井系譜]

 

八月

陳就、命により内務会計主事となる。[平井系譜]

 

十月

陳就、内務主事となる。[平井系譜]

 

明治三年(一八七〇)

 

十一月

平井陳就、藤堂家の家扶となる。[父母のこと/昭和32年8月][平井系譜]

 

明治四年(一八七一)

 

八月

平井陳就、隠居を願い出て許される。隠居後は入道して閑水と号し、写経などに余生を送った。[彼/昭和11年12月][平井系譜]

 

明治六年(一八七三)

 

一月一日(水)

*前年の太政官布告によりグレゴリオ暦が導入された。以降の日付には曜日を付す。

 

明治七年(一八七四)

 

六月二日(火)

本間来祐、六十四歳で死去。[平井系譜]

 

明治十一年(一八七八)

 

九月五日(木)

津の元藤堂藩士、本堂帆之助の長女・きく、誕生。[平井系譜]

 

明治十七年(一八八四)

 

一月二十三日(水)

平井陳就、七十四歳で死去。津市乙部、浄明院に葬られる。[父母のこと/昭和32年8月][平井系譜]

 

明治二十二年(一八八九)

 

九月十六日(火)

平井繁男、関西法律学校を卒業。[父母のこと/昭和32年8月][七十年前の父の写真/昭和32年4月][関西大学:第1回卒業証書授与式

 

明治二十五年(一八九二)

 

この年か

平井繁男、三重県名張町にあった名賀郡役所の書記を拝命し、名張町新町の借家に住む。津市で独居していた母・和佐を呼んで同居。[父母のこと/昭和32年8月][貼雑年譜][平井系譜]

*当時の正式な郡名は名張郡。郡役所は伊賀郡と合同で名張町に置かれていた。明治二十九年三月二十九日、名張郡と伊賀郡が合併して名賀郡が発足した。

 

明治二十六年(一八九三)

 

七月二十五日(火)

平井繁男、津市玉置町から本堂きくを妻に迎える。[貼雑年譜][平井系譜]

 

[2012年4月26日]

江戸川乱歩年譜集成

誕生以前●1809-1893 明治28年●1895

 

明治二十七年(一八九四)

 

年齢:零歳、数え年一歳

住居:三重県名張郡名張町新町

 

十月二十一日(日)

平井繁男ときくの長男として誕生し、太郎と命名された。繁男は二十七歳、きくは十六歳。[父母のこと/昭和32年8月][貼雑年譜][平井系譜]

 

[2012年4月30日]

江戸川乱歩年譜集成

明治27年●1894 明治29年●1896

 

明治二十八年(一八九五)

 

年齢:零歳→一歳、数え年二歳

住居:三重県名張郡名張町新町

→三重県鈴鹿郡亀山町市ケ坂

→亀山町南町(?)

 

六月

平井繁男、鈴鹿郡書記に転任となり、亀山町にあった鈴鹿郡役所に転勤。家族で亀山町市ケ坂に転居した。家族は、繁男、きく、和佐、太郎。[貼雑年譜]

 

十月か

繁男、家族で亀山町南町(北町か)に転居。[貼雑年譜]

*当時の亀山町には南町も北町もなく、東町があった。

 

[2012年4月30日]

江戸川乱歩年譜集成

明治28年●1895 明治30年●1897

 

明治二十九年(一八九六)

 

年齢:一歳→二歳、数え年三歳

住居:三重県鈴鹿郡亀山町南町(?)

 

この年か

平井太郎、自宅そばの高台にある権現社の境内で祖母・和佐と遊び、おもちゃのような汽車が汽笛を鳴らして走るのを見る。それが最初の記憶だった。[一頁自伝/昭和5年11月][彼/昭和11年12月]

*亀山町東町には権現社があった。

 

[2012年4月30日]

江戸川乱歩年譜集成

明治29年●1896 明治31年●1898

 

明治三十年(一八九七)

 

年齢:二歳→三歳、数え年四歳

住居:三重県鈴鹿郡亀山町南町(?)

→愛知県名古屋市園井町

→愛知県名古屋市葛町

 

平井繁男、人から勧められて鈴鹿郡書記を辞し、東海紡織同盟会名古屋市事務所書記長に就職、名古屋市園井町の事務所兼住宅に転居した。家族は、繁男、きく、和佐、太郎。ほかに事務員一人、書生一人が住んだ。[貼雑年譜][平井系譜]

 

六月十五日(火)

三重県志摩郡坂手村の商人、村山七蔵の長女・隆、誕生。[妻のこと/昭和32年8月][平井系譜]

 

年末または翌年初め

平井繁男、名古屋市葛町に転居。家族は、繁男、きく、和佐、太郎。ほかに、きくの末弟・本堂三木三が書生として同居した。[貼雑年譜]

 

[2012年4月30日]

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