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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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江戸川乱歩年譜集成

昭和11年●1936 昭和13年●1938

 

昭和十二年(一九三七)

 

年齢:四十二歳→四十三歳、数え年四十四歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

甲賀、木々論争【昭和十一・十二年度】

昭和十二年度の主な出来事

第二の山の峠

木々高太郎の直木賞受賞祝い

「シュピオ」直木賞記念号

木々高太郎の過褒

甲賀三郎の「探偵小説講話」

甲賀・木々論戦

上装本「石榴」と「幻想と怪奇」

 

一月一日(金)

□雑誌□「科学ペン」一月号(第二巻第一号)の奥付発行日。「探偵小説と科学精神」が掲載された。

□雑誌□「キング」新年特別号(第十三巻第一号)の奥付発行日。「大暗室」第二回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十七巻第一号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第十二回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」新年特大号(第二十四巻第一号)の奥付発行日。「少年探偵団」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

□雑誌□「探偵春秋」新年特大号(第二巻第一号)の奥付発行日。「蔵の中から」第四回が掲載された。

「シュピオ」一月号(第三巻第一号)の奥付発行日。前年十二月号で廃刊となった「探偵文学」の巻号数を継承して創刊された。

《【一月】「シュピオ」一月号より創刊》

 

二月一日(月)

□雑誌□「キング」二月号(第十三巻第二号)の奥付発行日。「大暗室」第三回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十七巻第二号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第十三回が掲載され、完結。

□雑誌□「少年倶楽部」二月号(第二十四巻第二号)の奥付発行日。「少年探偵団」第二回が掲載された。

□雑誌□「探偵春秋」二月号(第二巻第二号)の奥付発行日。「蔵の中から」第五回が掲載された。

□雑誌□「ぶろふいる」二月号(第五巻第二号)の奥付発行日。「彼」第二回が掲載された。

 

二月十二日(金)

第四回直木賞に木々高太郎「人生の阿呆」が選ばれた。[直木賞のすべて:受賞作候補作一覧 第1回~第20回

木々高太郎の直木賞受賞は探偵小説第二次興隆期の峠となった。[探偵小説四十年 第二の山の峠(←第二隆盛期の峠)/昭和30年5月]

 

三月一日(月)

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十七巻第三号)の奥付発行日。「幽霊塔」第一回が掲載された、連載は翌年四月まで。

□雑誌□「探偵春秋」三月号(第二巻第三号)の奥付発行日。「蔵の中から」第六回が掲載された。

□雑誌□「ぶろふいる」三月号(第五巻第三号)の奥付発行日。「彼」第三回が掲載された。

 

三月十一日(木)

夢野久作一周忌の追悼会に列席し、講演した。[探偵小説四十年 木々高太郎の過褒(←断片二つ)/昭和30年6月]

《【三月】夢野久作一周忌の会合》

 

三月十八日(木)

□書籍□『緑衣の鬼』の奥付発行日。春秋社から出版された。

 

三月

《【三月】私の息子、隆太郎府立五中に入学》

《【三月】右瞼の痙攣はじまる。蓄膿手術の余波ならん》

 

四月一日(木)

□雑誌□「キング」四月特大号(第十三巻第四号)の奥付発行日。「大暗室」第四回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」四月号(第二十七巻第五号)の奥付発行日。「幽霊塔」第二回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」四月特大号(第二十四巻第五号)の奥付発行日。「少年探偵団」第三回が掲載された。

□雑誌□「探偵春秋」四月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「蔵の中から」第七回が掲載された。

□雑誌□「ぶろふいる」四月号(第五巻第二号)の奥付発行日。「彼」第四回が掲載され、中絶。

「ぶろふいる」は四月号で廃刊となる。

《【三月】「ぷろふいる」四月号にて廃刊》

 

四月

《【四月】母、私夫妻、息子の一家全員にて瀬戸内海遊覧、屋島、琴平、道後、別府、厳島などに十数日の旅行をした。このころより小型映画をはじめ、長尺の旅行記録を撮る》

 

五月一日(土)

□雑誌□「キング」五月号(第十三巻第六号)の奥付発行日。「大暗室」第五回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十七巻第六号)の奥付発行日。「幽霊塔」第三回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」五月号(第二十四巻第六号)の奥付発行日。「少年探偵団」第四回が掲載された。

□雑誌□「探偵春秋」五月号(第二巻第五号)の奥付発行日。「蔵の中から」第八回が掲載された。

 

五月十六日(日)

愛知県熱田中学校の創立三十周年記念式と祝賀会が開かれた。[瑞陵会ホームページ:瑞陵高校の歩み年表

《【五月】母校、名古屋市熱田中学創立三十周年祝賀会あり、谷川徹三君と共に名古屋に招かれ、公会堂にて講演》

 

六月一日(火)

□雑誌□「キング」六月号(第十三巻第七号)の奥付発行日。「大暗室」第六回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」六月号(第二十七巻第八号)の奥付発行日。「幽霊塔」第四回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第二十四巻第七号)の奥付発行日。「少年探偵団」第五回が掲載された。

□雑誌□「探偵春秋」五月号(第二巻第五号)の奥付発行日。「蔵の中から」第九回が掲載され、完結。

 

六月十五日(火)

京橋の明治屋ビル中央亭で開かれた木々高太郎の直木賞受賞祝賀会に出席し、祝辞を述べた。[探偵小説四十年 木々高太郎の直木賞受賞祝い/昭和30年5月]

《【六月】木々高太郎君、直木賞祝賀会を中央亭で開く》

 

六月二十日(日)

□書籍□『幻想と怪奇』の奥付発行日。版画荘から出版された。

《【六月】版画荘に関係していた城昌幸君の勧めにより同社より短篇集「幻想と怪奇」を出版》

 

七月一日(木

□雑誌□「キング」七月特大号(第十三巻第八号)の奥付発行日。「大暗室」第七回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」七月号(第二十七巻第九号)の奥付発行日。「幽霊塔」第五回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」七月号(第二十四巻第八号)の奥付発行日。「少年探偵団」第六回が掲載された。

 

七月七日(水)

北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争の発端となる。

《【七月】(シナ事変勃発)》

 

七月

《【七月】高野山にて連載もの執筆》

《【七月】本位田準一君と同伴、上諏訪に療養中の横溝正史君を訪ね二三日滞在。小型映画を撮る》

 

八月一日(日)

□雑誌□「キング」八月特大号(第十三巻第九号)の奥付発行日。「大暗室」第八回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」八月特大号(第二十七巻第十号)の奥付発行日。「幽霊塔」第六回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」八月特大号(第二十四巻第九号)の奥付発行日。「少年探偵団」第七回が掲載された。

「探偵春秋」八月号(第二巻八号)の奥付発行日。この号を最後に廃刊となる。

《【七月】「探偵春秋」八月号にて廃刊》

 

九月一日(水)

□雑誌□「キング」九月特大号(第十三巻第十一号)の奥付発行日。「大暗室」第九回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第二十七巻第十一号)の奥付発行日。「幽霊塔」第七回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十四巻第十一号)の奥付発行日。「少年探偵団」第八回が掲載された。

□雑誌□「日の出」九月号(第六巻第九号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第一回が掲載された。連載は翌年十月まで。

 

九月

《【九月】信州中房温泉にて連載もの執筆》

 

十月一日(金)

□雑誌□「キング」十月特別号(第十三巻第十二号)の奥付発行日。「大暗室」第十回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十月特大号(第二十七巻第十三号)の奥付発行日。「幽霊塔」第八回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十月号(第二十四巻第十二号)の奥付発行日。「少年探偵団」第九回が掲載された。

□雑誌□「日の出」十月号(第六巻第十号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第二回が掲載された。

 

十一月一日(月)

□雑誌□「キング」十一月特別号(第十三巻第十三号)の奥付発行日。「大暗室」第十一回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第二十七巻第十四号)の奥付発行日。「幽霊塔」第九回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十一月号(第二十四巻第十三号)の奥付発行日。「少年探偵団」第十回が掲載された。

□雑誌□「日の出」十一月号(第六巻第十一号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第三回が掲載された。

 

十二月一日(水)

□雑誌□「キング」十二月号(第十三巻第十四号)の奥付発行日。「大暗室」第十二回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第二十七巻第十五号)の奥付発行日。「幽霊塔」第十回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十二月号(第二十四巻第十四号)の奥付発行日。「少年探偵団」第十一回が掲載され、完結。

□雑誌□「日の出」十二月号(第六巻第十二号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第四回が掲載された。

 

十二月

《【十二月】乱視と遠視になっていることを発見、はじめて目がねをかける》

《【十二月】探偵作家四人座談会放送》

 

[2012年12月31日]

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江戸川乱歩年譜集成

昭和12年●1937 昭和14年●1939

 

昭和十三年(一九三八)

 

年齢:四十三歳→四十四歳、数え年四十五歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

隠栖を決意す【昭和十三・四・五年度】

昭和十三年度の主な出来事

新潮社の江戸川乱歩選集

甲賀・大下・木々傑作選集

小栗作、久生演出の放送劇

 

一月一日(土)

□雑誌□「キング」新年特大号(第十四巻第一号)の奥付発行日。「大暗室」第十三回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」新年特大号(第二十八巻第一号)の奥付発行日。「幽霊塔」第十一回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」新年特大号(第二十五巻第一号)の奥付発行日。「妖怪博士」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

□雑誌□「日の出」一月号(第七巻第一号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第五回が掲載された。

 

二月一日(火)

□雑誌□「キング」二月号(第十四巻第二号)の奥付発行日。「大暗室」第十四回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」二月特大号(第二十八巻第三号)の奥付発行日。「幽霊塔」第十二回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」二月号(第二十五巻第三号)の奥付発行日。「妖怪博士」第二回が掲載された。連載は十二月まで。

□雑誌□「日の出」二月号(第七巻第二号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第六回が掲載された。

 

三月一日(火)

□雑誌□「キング」三月特大号(第十四巻第三号)の奥付発行日。「大暗室」第十五回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」三月特大号(第二十八巻第四号)の奥付発行日。「幽霊塔」第十三回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」三月号(第二十五巻第四号)の奥付発行日。「妖怪博士」第三回が掲載された。

□雑誌□「日の出」三月号(第七巻第三号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第七回が掲載された。

 

三月二十九日(火)

□書簡□世田谷区上馬一丁目六六〇の黒岩日出雄が乱歩に封書。『幽霊塔』出版に先がけて乱歩が涙香の霊前に供物を捧げたことの礼を述べた。

乱歩は涙香子息の日出雄に『幽霊塔』印税の四分の一ほどを贈った。[貼雑年譜]

 

三月三十一日(木)

□書籍□『少年探偵団』の奥付発行日。大日本雄弁会講談社から出版された。

 

四月一日(金)

□雑誌□「キング」四月爛漫号(第十四巻第四号)の奥付発行日。「大暗室」第十六回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」四月特大号(第二十八巻第五号)の奥付発行日。「幽霊塔」第十四回が掲載され、完結。

□雑誌□「少年倶楽部」四月特大号(第二十五巻第五号)の奥付発行日。「妖怪博士」第四回が掲載された。

□雑誌□「日の出」四月号(第七巻第四号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第八回が掲載された。

「シュピオ」四月号(第四巻第三号)の奥付発行日。この号を最後に廃刊となった。

《【三月】「シュピオ」四月号にて廃刊。〔註、以下貼雑帳に書いてあるままをしるす〕一、二年前には四種を数えた探偵小説専門雑誌も、これを最後として全滅した。時勢のためである。「新青年」もこのころから探偵小説雑誌の色彩を益々薄め、やがて十六年度あたりからは、全誌面から探小の影を見ぬに至ったのである》

 

四月二十二日(金)

□書籍□『幽霊塔』の奥付発行日。新潮社から出版された。

 

五月一日(日)

□雑誌□「キング」五月雄飛号(第十四巻第六号)の奥付発行日。「大暗室」第十七回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」五月号(第二十五巻第六号)の奥付発行日。「妖怪博士」第五回が掲載された。

□雑誌□「日の出」五月号(第七巻第五号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第九回が掲載された。

 

五月

《【五月】(ガソリン統制はじまる。このころより翌十四年にかけて、金買上げ、鉄、紙、綿布、毛織物などの統制続々行わる。スフ全盛時代。新聞雑誌の減頁。やがて米、砂糖、炭、酒などの不足時代となり、十五年末あたりより、それら日用品の切符制はじまる)》

 

六月一日(水)

□雑誌□「キング」六月号(第十四巻第七号)の奥付発行日。「大暗室」第十八回が掲載され、完結。

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第二十五巻第七号)の奥付発行日。「妖怪博士」第六回が掲載された。

□雑誌□「日の出」六月号(第七巻第六号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第十回が掲載された。

 

このころ

五、六月ごろ、新潮社の佐藤俊夫が来訪、平凡社版全集以降の作品を中心にして全十巻の選集を出したいといわれたので快諾し、みずから編纂に着手した。第一回配本は四版まで刷ったが、部数は九千部、第十回配本は三千百部、合計五万七百部に過ぎなかった。[探偵小説四十年 新潮社の江戸川乱歩選集(←江戸川乱歩選集)/昭和30年9月]

 

七月一日(金)

□雑誌□「少年倶楽部」七月特大号(第二十五巻第八号)の奥付発行日。「妖怪博士」第七回が掲載された。

□雑誌□「日の出」七月号(第七巻第七号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第十一回が掲載された。

 

七月二十七日(水)

午後九時十分からJOBKで連続探偵劇「山彦」を放送。案は乱歩とされていたが、実際にはすべて野上徹夫(辻久一)が書いた。二十九日まで三日連続で放送。[貼雑年譜]

 

八月一日(月)

□雑誌□「科学知識」八月号(第十八巻第八号)の奥付発行日。「羨ましき情熱──「パヴロフ及其学派」を読む」が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」八月号(第二十五巻第九号)の奥付発行日。「妖怪博士」第八回が掲載された。

□雑誌□「日の出」六周年八月記念号(第七巻第八号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第十二回が掲載された。

 

八月十五日(月)

□書籍□『鉄仮面』の奥付発行日。大日本雄弁会講談社から「世界名作物語」として出版され、翻訳を担当した。

翻訳は岡戸武平による代訳だった。[岡戸武平:不木・乱歩・私/昭和49年7月]

 

八月三十一日(水)

甲賀・大下・木々傑作選集の最初の新聞広告が掲載された。[探偵小説四十年 甲賀・大下・木々傑作選集/昭和30年10月]

《【九月】春秋社、「甲賀、大下、木々三人選集」二十四巻の刊行を発表》

 

九月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十五巻第十一号)の奥付発行日。「妖怪博士」第九回が掲載された。

□雑誌□「日の出」九月号(第七巻第九号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第十三回が掲載された。

 

九月二十日(火)

□書籍□江戸川乱歩選集第一巻『大暗室』の奥付発行日。新潮社から出版された。「探偵小説十五年」第一回を書き下ろした。連載は翌年八月まで。

 

九月二十二日(木)

江戸川乱歩選集の最初の新聞広告が掲載された。[探偵小説四十年 甲賀・大下・木々傑作選集/昭和30年10月]

《【九月】新潮社、「江戸川乱歩選集」十巻の刊行を発表》

 

九月

《【九月】岩田準一君応召、見送りのため鳥羽に行く。母一人子一人のため即日帰宅を許される》

 

十月一日(土)

□雑誌□「少年倶楽部」十月特大号(第二十五巻第十二号)の奥付発行日。「妖怪博士」第十回が掲載された。

□雑誌□「日の出」十月号(第七巻第十号)の奥付発行日。「悪魔の紋章」第十四回が掲載され、完結。

 

十月十二日(水)

□書簡□横溝正史に書簡。滞在の礼を述べる。[江戸川乱歩推理文庫64]

《【十月】横溝正史君に誘われ、上諏訪の大祭を見物に行く》

横溝正史から誘われて諏訪大社の御柱祭を見物したというのは口実で、実際は正史が追いかけていた少年を見にいったのだが、少年には会えなかった。正史の依頼を受けて「琴詩酒」と揮毫した。[横溝正史:乱歩書簡集/昭和41年11月]

 

十月十五日(土)

□書簡□横溝正史の長男、亮一に書簡。電気機関車のおもちゃを送ったことを伝えた。[江戸川乱歩推理文庫64]

 

十月十九日(水)

□書簡□横溝亮一に書簡。[江戸川乱歩推理文庫64]

 

十月二十六日(水)

□書籍□江戸川乱歩選集第二巻『悪魔の紋章』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第二回を書き下ろした。

 

このころ

秋、上京した横溝正史の歓迎会を「新青年」関係者が開いた。《その席で乱歩さんがこんなことをいって、一同の憫笑を買ったのが強く私の印象にのこった。「この戦争はボクの生きているうちに終わるかなあ……。」》[横溝正史:続・途切れ途切れの記(八)/昭和46年10月]

 

十一月一日(火)

□雑誌□「科学ペン」十一月号(第三巻第十一号)の奥付発行日。「作家としての小酒井博士」が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十一月号(第二十五巻第十三号)の奥付発行日。「妖怪博士」第十一回が掲載された。

 

十二月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」十二月号(第二十五巻第十四号)の奥付発行日。「妖怪博士」第十二回が掲載され、完結。

 

十二月九日(金)

□書籍□江戸川乱歩選集第三巻『緑衣の鬼』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第三回を書き下ろした。

 

十二月三十日(金)

午後八時五十分からJOAKで探偵作家総出演の探偵劇「赤馬旅館」が放送され、シャーロック・ホームズ役で出演した。[探偵小説四十年 小栗作、久生演出の探偵劇/昭和30年10月]

《【十二月】歳末JOAKより探偵作家総出演の探偵劇を放送す》

 

[2013年1月18日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和13年●1938 昭和15年●1940

 

昭和十四年(一九三九)

 

年齢:四十四歳→四十五歳、数え年四十六歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

隠栖を決意す【昭和十三・四・五年度】

昭和十四年度の主な出来事

淋しい貼雑帳

新作大衆小説全集

ヴァン・ダインの死

松本泰

 

一月一日(日)

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十九巻第一号)の奥付発行日。「暗黒星」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

□雑誌□「少年倶楽部」新年特大号(第二十六巻第一号)の奥付発行日。「大金塊」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

□雑誌□「富士」新年特大号(第十二巻第一号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

 

一月十七日(火)

□書籍□江戸川乱歩選集第四巻『妖虫』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第四回を書き下ろした。

 

二月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十九巻第三号)の奥付発行日。「暗黒星」第二回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」二月号(第二十六巻第三号)の奥付発行日。「大金塊」第二回が掲載された。

□雑誌□「富士」二月号(第十二巻第二号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第二回が掲載された。

 

二月二十二日(水)

□書籍□江戸川乱歩選集第五巻『人間豹』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第五回を書き下ろした。

選集配本のなかばごろから戦時統制による検閲が厳しくなり、どの巻もむやみに書き替えを命じられた。[探偵小説四十年 新潮社の江戸川乱歩選集(←江戸川乱歩選集)/昭和30年9月]

 

二月二十七日(月)

□書籍□『妖怪博士』の奥付発行日。大日本雄弁会講談社から出版された。

 

三月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十九巻第四号)の奥付発行日。「暗黒星」第三回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」三月号(第二十六巻第四号)の奥付発行日。「大金塊」第三回が掲載された。

□雑誌□「富士」三月号(第十二巻第四号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第三回が掲載された。

 

三月二十一日(火)

□書籍□江戸川乱歩選集第六巻『黒蜥蜴』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第六回を書き下ろした。

 

三月三十一日(金)

警視庁検閲課によって日本小説文庫『鏡地獄』の「悪夢」全篇削除を命じられた。[探偵小説四十年 隠栖を決意す(←隠栖の決意をなす)/昭和30年11月]

《【三月】「芋虫」全篇削除を命ぜらる。表向きの発売禁止はこの一篇なれども、事実上は十六年度に至り全作品の禁止も同然となる》

 

三月

《【三月】伜、隆太郎第一高等学校に入学す》

 

四月一日(土)

□雑誌□「講談倶楽部」四月号(第二十九巻第五号)の奥付発行日。「暗黒星」第四回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」四月号(第二十六巻第五号)の奥付発行日。「大金塊」第四回が掲載された。

□雑誌□「日の出」四月号(第八巻第四号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第一回が掲載された。連載は翌年三月まで。

□雑誌□「富士」四月号(第十二巻第四号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第四回が掲載された。

 

四月十一日(火)

ヴァン・ダインが五十歳で死去した。

《【四月】ヴァン・ダイン死す》

 

四月十五日(土)

□書簡□長野県上諏訪町大手町二ノ三〇一六の横溝正史に封書。前年の揮毫の礼にと正史が購入した操り人形の写真から、所望の首を選択して伝えた。[横溝正史:乱歩書簡集/昭和41年11月]

 

四月十九日(水)

松本泰が五十二歳で死去した。

《【四月】松本泰氏死去》

 

四月二十七日(木)

新作大衆小説全集の新聞広告が掲載される。[探偵小説四十年 新作大衆小説全集/昭和30年10月]

《【四月】非凡閣「新作大衆小説全集」発表。私はその第五巻に加わる》

 

四月

《【四月】隠栖の決意をなす》

 

五月七日(日)

□書籍□江戸川乱歩選集第七巻『幽霊塔』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第七回を書き下ろした。

 

六月一日(木)

□雑誌□「改造」六月号(第二十一巻第六号)の奥付発行日。「ヴァン・ダイン回顧」が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」六月号(第二十九巻第八号)の奥付発行日。「暗黒星」第五回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第二十六巻第七号)の奥付発行日。「大金塊」第五回が掲載された。

□雑誌□「日の出」六月号(第八巻第六号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第二回が掲載された。

□雑誌□「富士」六月号(第十二巻第七号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第五回が掲載された。

 

六月二十八日(水)

□書籍□江戸川乱歩選集第八巻『蜘蛛男』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第八回を書き下ろした。

 

六月

《【六月】岩田準一君とハガキ連句を試む》

 

七月一日(土)

□雑誌□「講談倶楽部」七月号(第二十九巻第九号)の奥付発行日。「暗黒星」第六回が掲載され た。

□雑誌□「少年倶楽部」七月号(第二十六巻第八号)の奥付発行日。「大金塊」第六回が掲載された。

□雑誌□「日の出」七月号(第八巻第七号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第三回が掲載された。

□雑誌□「富士」七月号(第十二巻第九号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第六回が掲載された。

 

八月一日(火)

□雑誌□「講談倶楽部」八月号(第二十九巻第十号)の奥付発行日。「暗黒星」第七回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」八月号(第二十六巻第九号)の奥付発行日。「大金塊」第七回が掲載された。

□雑誌□「日の出」八月号(第八巻第八号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第四回が掲載された。

□雑誌□「富士」八月号(第十二巻第十号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第七回が掲載された。

 

八月五日(土)

□書籍□江戸川乱歩選集第九巻『孤島の鬼』の奥付発行日。「探偵小説十五年」第九回を書き下ろし、完結。

 

九月一日(金)

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第二十九巻第十一号)の奥付発行日。「暗黒星」第八回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十六巻第十一号)の奥付発行日。「大金塊」第八回が掲載された。

□雑誌□「日の出」九月読物特大号(第八巻第九号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第五回が掲載された。

□雑誌□「富士」九月号(第十二巻第十一号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第八回が掲載された。

ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。

《【九月】(欧州大戦勃発)》

 

九月二十五日(月)

□書籍□江戸川乱歩選集第十巻『石榴』の奥付発行日。

 

十月一日(日)

□雑誌□「講談倶楽部」十月号(第二十九巻第十三号)の奥付発行日。「暗黒星」第九回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十月号(第二十六巻第十二号)の奥付発行日。「大金塊」第九回が掲載された。

□雑誌□「日の出」十月号(第八巻第十号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第六回が掲載された。

□雑誌□「富士」十月号(第十二巻第十二号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第九回が掲載された。

 

十一月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第二十九巻第十四号)の奥付発行日。「暗黒星」第十回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十一月号(第二十六巻第十三号)の奥付発行日。「大金塊」第十回が掲載された。

□雑誌□「日の出」十一月号(第八巻第十一号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第七回が掲載された。

□雑誌□「富士」十一月号(第十二巻第十四号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第十回が掲載された。

 

十二月一日(金)

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第二十九巻第十五号)の奥付発行日。「暗黒星」第十一回が掲載され、完結。

□雑誌□「日の出」十二月号(第八巻第十二号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第八回が掲載された。

□雑誌□「富士」十二月号(第十二巻第十五号)の奥付発行日。「地獄の道化師」第十一回が掲載され、完結。

 

十二月十六日(土)

□書籍□新作大衆小説全集第五巻『地獄の道化師・暗黒星』の奥付発行日。非凡閣から出版された。

 

この年

「芋虫」の絶版を命じられたほか、「猟奇の果」「蜘蛛男」などの一部削除を命じられた。反時局的と判断される文庫本『陰獣』『虫』『盲獣』『赤い部屋』『人間椅子』をみずから進んで絶版にした。[探偵小説四十年 隠栖を決意す(←隠栖の決意をなす)/昭和30年11月]

 

[2013年1月22日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和14年●1939 昭和16年●1941

 

昭和十五年(一九四〇)

 

年齢:四十五歳→四十六歳、数え年四十七歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

隠栖を決意す【昭和十三・四・五年度】

昭和十五年度の主な出来事

隠栖を決意す

 

一月一日(月)

□雑誌□「少年倶楽部」新年特大号(第二十七巻第一号)の奥付発行日。「大金塊」第十一回が掲載された。

□雑誌□「日の出」新年特別号(第九巻第一号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第九回が掲載された。

 

二月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」二月号(第二十七巻第二号)の奥付発行日。「大金塊」第十二回が掲載され、完結。

□雑誌□「日の出」二月号(第九巻第二号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第十回が掲載された。

□書簡□東京市外吉祥寺一九〇一の横溝正史に封書。正史の転居通知に返事を出した。[横溝正史:乱歩書簡集/昭和41年11月]

 

二月二十三日(金)

□書籍□『大金塊』の奥付発行日。大日本雄弁会講談社から出版された。

 

三月一日(金)

□雑誌□「日の出」三月号(第九巻第三号)の奥付発行日。「幽鬼の塔」第十一回が掲載され、完結。

 

四月一日(月)

□雑誌□「少年倶楽部」四月号(第二十七巻第四号)の奥付発行日。「新宝島」第一回が掲載された。連載は翌年三月まで。

 

五月一日(水)

□雑誌□「少年倶楽部」五月号(第二十七巻第五号)の奥付発行日。「新宝島」第二回が掲載された。

 

六月一日(土)

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第二十七巻第六号)の奥付発行日。「新宝島」第三回が掲載された。「中学一年の僕」も掲載。

 

六月十日(月)

第二次世界大戦でドイツ軍の侵攻を受け、フランスがパリを放棄。十四日にはドイツ軍がパリを無血占領した。

《【六月】(フランス、ドイツに降伏す。パリ無血占領)》

 

六月十五日(土)

□雑誌□「東京堂月報」六月号(第二十七巻第六号)の奥付発行日。「書斎の旅」が掲載された。

 

六月

《【昭和十五年六月】六大都市に砂糖、マッチの購買切符制はじまる》

 

七月一日(月)

□雑誌□「少年倶楽部」七月号(第二十七巻第七号)の奥付発行日。「新宝島」第四回が掲載された。

 

七月二十二日(月)

第二次近衛内閣が成立。

《【七月】(近衛第二次内閣成立。日独伊三国同盟なる)》

 

七月二十九日(木)

スパイ容疑で逮捕された英国ロイター通信記者、M・J・コックスが東京憲兵隊本部で自殺。

《【七月】英国系スパイ網一斉検挙、ロイター通信員自殺す》

 

七月

《【七月】三河の鳳来寺に遊び、旅館にて烈しき心悸昂進を起こし、医師の注射にて漸く静まる。以来引きつづき心臓の変調を感ず》

 

八月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」八月号(第二十七巻第八号)の奥付発行日。「新宝島」第五回が掲載された。

 

八月

《【八月】大東亜共栄圏はじめて唱えられる。新協劇団、新築地劇団解散を命ぜらる》

 

九月一日(日)

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十七巻第九号)の奥付発行日。「新宝島」第六回が掲載された。

 

九月二十七日(金)

日独伊三国同盟を締結。

《【七月】(近衛第二次内閣成立。日独伊三国同盟なる)》

《【九月】日独伊三国同盟成立。出版文化協会結成さる》

 

十月一日(火)

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十七巻第十号)の奥付発行日。「新宝島」第七回が掲載された。

 

十月十二日(土)

近衛文麿らにより新体制運動推進のための大政翼賛会が結成される。

《【十月】(大政翼賛会成立。このころより各界統制運動起こり、文壇には、後に文芸中央聯盟組織さる。遊戯文学一掃さる)》

 

十月十三日(日)

□書簡□東京市外吉祥寺一九〇一の横溝正史に封書。黒田人形の本を注文したと報告。[横溝正史:乱歩書簡集/昭和41年11月]

 

十月

《【十月】ダンスホール閉鎖せらる。国民服の規定成る。日本産業報国会成立》

*大日本産業報国会設立は十一月二十三日。

 

十一月一日(金)

□雑誌□「少年倶楽部」十一月号(第二十七巻第十一号)の奥付発行日。「新宝島」第八回が掲載された。

 

十一月七日(木)

□書簡□東京市外吉祥寺一九〇一の横溝正史に封書。[横溝正史:乱歩書簡集/昭和41年11月]

 

十二月一日(日

□雑誌□「少年倶楽部」十二月号(第二十七巻第十二号)の奥付発行日。「新宝島」第九回が掲載された。

 

十二月

《【十二月】「隣組」漸次全国に組織さる》

 

[2013年2月4日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和15年●1940 昭和17年●1942

 

昭和十六年(一九四一)

 

年齢:四十六歳→四十七歳、数え年四十八歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

末端の協力【昭和十六・七年度】

資料皆無の昭和十六年度

隣組防空軍長となる

町会役員となる

 

一月一日(水)

□雑誌□「少年倶楽部」新年号(第二十八巻第一号)の奥付発行日。「新宝島」第十回が掲載された。

 

一月

《【昭和十六年一月】陸軍「戦陣訓』示達。食糧増産に学徒動員を行う。翼賛選挙法決定す》

 

二月一日(土)

□雑誌□「少年倶楽部」二月号(第二十八巻第二号)の奥付発行日。「新宝島」第十一回が掲載された。

 

三月一日(土)

□雑誌□「少年倶楽部」三月号(第二十八巻第三号)の奥付発行日。「新宝島」第十二回が掲載され、完結。

 

四月一日(火)

国民学校発足。六大都市で米穀通帳制、外食券制実施。

《【四月】小学校を国民学校と改称、義務教育八年制となる。六大都市に米穀通帳制実施。日ソ中立条約成立》

 

このころ

時局のため文筆生活が不可能となり、しばらく休養することにした。そのつれづれに、保存してあった印刷物や手紙、文反古などを整理してスクラップし、『貼雑年譜』をつくった。四月初旬に「序」を記した。[貼雑年譜 序]

 

四月一日(火)

国民学校発足。六大都市で米穀通帳制、外食券制実施。

《【四月】小学校を国民学校と改称、義務教育八年制となる。六大都市に米穀通帳制実施。日ソ中立条約成立》

 

六月

《【六月】出版用紙割当配給開始。国民徴用規則公布》

 

七月二十九日(火)

□書籍□新作大衆小説全集第三十三巻『幽鬼の塔 他二篇』の奥付発行日。非凡閣から出版された。

 

八月

《【八月】米国、対日石油禁輸強化。学徒報国隊組織さる》

 

九月

《【九月】米穀国家管理はじまる》

 

十月

《【十月】東条内閣成立》

 

秋ごろ

町内の防空訓練が烈しくなり、それまでは近所づきあいなど思いも寄らぬことだったが、池袋丸山町会第十六隣組の常会に初めて出席、防空群長を引き受けさせられた。隣組の女性を集めて防空演習を指導するようになった。[探偵小説四十年 隣組防空群長となる/昭和31年4月(資料皆無の昭和十六年度)]

 

十二月

《【十二月】日米交渉打切り、対米、英宣戦。真珠湾急襲。マレー半島奇襲上陸。プリンス・オプ・ウェールス及びレバレス撃沈。グワム島占領。香港陥落》

 

年末か翌年はじめ

池袋丸山町会の第三部長を引き受けた。防空群長より一階級上で、部長兼防空指導員という役員に出世した。[探偵小説四十年 町会役員となる/昭和31年5月]

 

この年

情報局の意向に脅えた出版社が文庫本や少年ものまですべて絶版としたため、印税収入皆無となった。収入を得るため、筆名を変えて健全で教育的な読みものをという「少年倶楽部」の勧めに応じることにした。筆名は小松龍之介とした。[探偵小説四十年 資料皆無の昭和十六年度/昭和31年4月]

 

[2013年2月18日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和16年●1941 昭和18年●1943

 

昭和十七年(一九四二

 

年齢:四十七歳→四十八歳、数え年四十九歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

末端の協力【昭和十六・七年度】

昭和十七年度

町会副会長となる

清話会で講演

建川中将と暗号問答

「吾妻鏡」「国訳一切経」その他

「乱歩再出発」

陸海軍報道部と情報局

探偵作家の従軍

情報官と対談会

海軍兵学校卒業式に参列

庭園の変貌

 

一月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」新年号(第二十九巻第一号)の奥付発行日。小松龍之介名義の「象の鼻」〈智恵の一太郎ものがたり 第一回〉が掲載された。連載は翌年四月まで。

 

一月

《【一月】マニラを占領す。翼賛壮年団創立》

 

二月一日(日)

□雑誌□「少年倶楽部」二月号(第二十九巻第二号)の奥付発行日。小松龍之介「消えた足あと」〈智恵の一太郎ものがたり 第二回〉が掲載された。

 

二月

《【二月】衣料切符制となる。シンガポール占領》

 

三月一日(日)

□雑誌□「少年倶楽部」三月号(第二十九巻第三号)の奥付発行日。小松龍之介「智恵の火」〈一太郎ものがたり 第三回〉が掲載された。

 

三月

鉄と銅の供出が行われ、町会の伝票記入係として町会員が供出した銅鉄を校庭に集め、区の係員とともに重量を伝票に記入した。[探偵小説四十年 町会副会長となる/昭和31年5月〔昭和十七年度〕]

隆太郎が第一高等学校を終え、東京帝大に入学した。入学式に出席した。[探偵小説四十年 町会副会長となる/昭和31年5月〔昭和十七年度〕]

《【三月】ラングーン占領。スマトラ島戡定》

 

四月一日(水)

□雑誌□「少年倶楽部」四月号(第二十九巻第四号)の奥付発行日。小松龍之介「名探偵」〈一太郎ものがたり 第四回〉が掲載された。

 

四月

《【四月】米軍機、東京、名古屋、神戸に初めて来襲。衆議院議員選挙(翼賛選挙)》

 

五月一日(金)

□雑誌□「少年倶楽部」五月号(第二十九巻第五号)の奥付発行日。小松龍之介「空中曲芸師」〈一太郎ものがたり 第五回〉が掲載された。

 

五月

《【五月】コレヒドール攻略。翼賛政治会成る。日本文学報国会生る》

 

六月一日(月)

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第二十九巻第六号)の奥付発行日。小松龍之介「針の穴」〈一太郎ものがたり 第六回〉が掲載された。

 

六月

《【六月】ミッドウェー海戦大敗。新聞一県一紙制となる》

 

七月一日(水)

□雑誌□「少年倶楽部」七月号(第二十九巻第七号)の奥付発行日。小松龍之介「お雛様の花瓶」〈一太郎ものがたり 第七回〉が掲載された。

 

七月二十五日(土)

□書籍□『新宝島』の奥付発行日。大元社から出版された。

 

七月二十九日(水)

少壮実業家のクラブ、清話会に招かれ、鉄道ホテルで「スパイ防諜奇聞」と題して講演した。[探偵小説四十年 清話会で講演/昭和31年5月〔昭和十七年度〕]

 

七月

町会役員の改選があり、副会長に出世した。副会長三人は交代で毎日、町会事務所に詰めた。出番の日には回覧板を担当し、鉄筆を執って絵入りの回覧板を始めた。[探偵小説四十年 町会副会長となる/昭和31年5月〔昭和十七年度〕]

 

八月一日(土)

□雑誌□「少年倶楽部」八月号(第二十九巻第八号)の奥付発行日。小松龍之介「幼虫の曲芸」〈一太郎ものがたり 第八回〉が掲載された。

 

八月

《【八月】米軍ガダルカナル島上陸》

 

九月一日(火)

□雑誌□「画報躍進之日本」九月号(第七巻第九号)の奥付発行日。「スパイ戦術あの手この手」が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十九巻第九号)の奥付発行日。小松龍之介「冷たい火」〈科学少年ものがたり 第九回〉が掲載された。

 

九月

《【九月】中央食糧営団設立。日本出版文化協会生る。出版物使用活字制限、印刷用紙銘柄規格統一さる》

 

十月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」十月号(第二十九巻第十号)の奥付発行日。小松龍之介「魔法眼鏡」〈科学少年ものがたり 第十回〉が掲載された。

 

十月二十日(火)

赤坂の三会堂で開かれた日本文学報国会小説部会の初の総会に出席し、昼食時の自己紹介で前非を悔いて再出発するという意味の挨拶をした。[探偵小説四十年 「乱歩再出発」/昭和31年7月]

 

十一月一日(日)

□雑誌□「少年倶楽部」十一月号(第二十九巻第十一号)の奥付発行日。小松龍之介「月とゴム風船」〈科学少年ものがたり 第十一回〉が掲載された。

 

十一月十四日(土)

海軍省の外郭団体、くろがね会の一員として広島県の江田島海軍兵学校卒業式に参列した。十一日夜に東京を発ち、十二日夕刻に呉市に到着。十三日に江田島に渡り、校長の井上成美中将に挨拶した。卒業式のあとは厳島神社に参詣し、呉市の旅館に戻った。十五日、呉市を出発して帰途についた。[探偵小説四十年 海軍兵学校卒業式に参列/昭和31年8月]

 

十一月二十二日(日)

□新聞□「読売新聞」に「町会日記」が掲載された。

 

十一月

《【十一月】大東亜省設置。大東亜文学者大会開催》

 

十二月一日(火)

□雑誌□「少年倶楽部」十二月号(第二十九巻第十二号)の奥付発行日。小松龍之介「兎とカタツムリ」〈科学少年物語 第十二回〉が掲載された。

 

十二月九日(水)

□新聞□「東京日日新聞」に「歴史に生きる」が掲載された。

 

年末か

年末か翌年初めごろ、自宅の庭に幅四尺、長さ六尺ほどの防空壕を掘らせた。[探偵小説四十年 庭園の変貌/昭和31年8月〔防空壕を掘る〕]

 

この年

4月30日から9月30日までのあいだに情報局の一室で開かれた情報局と探偵作家の話し合いに出席した。[探偵小説四十年 情報館と対談会/昭和31年7月〔情報局官吏と対談会〕]

 

[2013年5月2日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和17年●1942 昭和19年●1944

 

昭和十八年(一九四三)

 

年齢:四十八歳→四十九歳、数え年五十歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

愈々協力に励む【昭和十八・九年度】

昭和十八年度の主な出来事

職場慰問激励演説

日本軽金属と足尾銅山

小笠原町会長

翼賛壮年団

町会の仕事

文士町会役員座談会

一人息子の入隊

戦争中唯一の長篇

井上良夫との文通

 

一月一日(金)

□雑誌□「少年倶楽部」新年号(第三十巻第一号)の奥付発行日。小松龍之介「白と黒」〈科学少年ものがたり 第十三回〉が掲載された。

□雑誌□「新青年」新年号(第二十四巻第一号)の奥付発行日。「島隠れゆく艨艟(海軍兵学校卒業式参観記)」が掲載された。

 

一月末

一月初めから二月末にかけて名古屋市在住の井上良夫と外国の探偵作家と作品を論じて頻繁に文通した。[探偵小説四十年 井上良夫との文通(←井上良夫君との文通)/昭和31年11月]

 

一月

《【一月】ジャズ・レコード禁止さる。製鉄工場の国家管理指令》

 

三月

《【三月】大日本産業報国会の依頼により、二、三の工場へ、生産力増強職場激励講演に行く》

《【三月】日本出版協会発足す。金属回収要綱発表》

 

四月一日(木)

□雑誌□「少年倶楽部」四月号(第三十巻第四号)の奥付発行日。「風のふしぎ」〈一太郎ものがたり 第十四回〉が掲載され、完結。

 

四月

《【四月】連合艦隊司令長官、山本五十六大将戦死》

 

五月十一日(火)

「婦人倶楽部」と「少年倶楽部」の特派員として二十二日まで工場や発電所などを見学。[探偵小説四十年 日本軽金属と足尾銅山/昭和31年8月]

《【五月】十一日より二十二日まで、講談社「婦人倶楽部」及び「少年倶楽部」特派員の名目で、陸軍航空本部の将校に案内され、都下亀有の日立精機工場、静岡県蒲原及び清水市の日立軽金属工場、足尾銅山、新潟県外丸日本発送電発電所などの見学をなす》

 

五月二十四日(月)

皇国文化協会の会合に出席。

《【五月】二十四日、講談社主催の皇国文化協会第八回の集まりあり、文士二十数名出席、探偵作家は海野、木々、私の三人。大本営陸軍報道部、秋山邦雄中佐の話を聞く》

 

五月

《【五月】小笠原三九郎氏、私の町の町会長となり、私は三人の副会長の一人として残る》

《【五月】前町会長安達克己少将、司政官としビルマ方面に出発、その壮行会を催す》

《【五月】薪炭配給統制規則公布。米軍アッツ島に上陸し、守備隊玉砕す》

 

六月一日(火)

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第三十巻第六号)の奥付発行日。平出英夫名義の「両提督の最期──忠魂とこしえに輝く」が掲載された。

 

六月

《【六月】町会員国債消化の公平を期するため、わたし独特のやり方で、各隣組国債引受高の規準とすべき詳細な数字の表を作る》

 

七月

《【七月】東京都制実施》

 

八月一日(日)

□雑誌□「少年倶楽部」八月号(第三十巻第八号)の奥付発行日。小松龍之介名義の「飛行機を生み出すたのもしい力──ちえの一太郎君の工場見学記」が掲載された。

□雑誌□「婦人倶楽部」八月号(第二十四巻第八号)の奥付発行日。「応召の釣鐘を熔かす工場を見る」が掲載された。

 

八月

《【八月】翼賛壮年団豊島区副団長となる》

《【八月】大政翼賛会豊島区常務委員となる》

《【八月】キスカ島守備隊撤収》

 

九月十一日(土)

□新聞□「読売報知」に「神に恥じざる投票を──全都の隣組員に呼びかける」が掲載された。

 

九月

《【九月】息子平井隆太郎(東大文学部心理学科三年生)各校の心理学科学生と共に動員されて、少年航空兵の心理適性検査に従事す》

《【九月】官庁疎開方針決定》

 

このころ

新潮社の「日の出」編集長の広瀬照太郎と編集員の渡辺光平が来訪し、「偉大なる夢」の執筆が決まった。編集部は「防諜長編小説」とするため防諜指導界の権威者と乱歩との会合を設けた。[探偵小説四十年 戦争中唯一の長篇/昭和31年11月]

 

十月一日(金)

□雑誌□「日の出」十月号(第十二巻第十号)の奥付発行日。「偉大なる夢」の予告ページに「作者の言葉」が掲載された。

 

十月六日(水)

午後四時から浜町の醍醐で開かれた東京都主催の町会運営座談会に出席。[探偵小説四十年 文士町会役員座談会(←文士町会役員の座談会)/昭和31年10月]

《【十月】東京都主催、浜町の料亭「醍醐」にて文士町会役員十一名が集まり、町会運営座談会を開く。探偵作家では大下宇陀児君と私とが出席》

 

十月

《【十月】講談社の皇国文化協会第十回の集まり。陸軍報道部後藤四郎少佐の話を聴く。探偵作家では角田喜久雄君と私と出席》

《【十月】新潮社の大衆雑誌「日の出」十一月号より科学スパイ小説「偉大なる夢」の連載をはじむ》

《【十月】新聞のページ建て削減さる》

 

十一月一日(月)

□雑誌□「日の出」十一月号(第十二巻第十一号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

 

十一月十三日(土)

□雑誌□「都政週報」の奥付発行日。「町会隣組運営座談会」第一回が掲載された。出席は尾崎喜八、河崎ナツ、高橋掬太郎、辰野九紫、辻荘一、大木惇夫、岡本一平、高良富子、大下宇陀児、岸田国士、江戸川乱歩。

町会内学徒入営入隊者の合同壮行会に出席。隆太郎も海軍に入隊し、舞鶴海兵団から武山海兵団に移ったあと、土浦飛行隊に配属されて海軍中尉に昇進、その直後に終戦を迎えた。[探偵小説四十年 一人息子の入隊/昭和31年10月]

《【十一月】十三日、町会員家庭の学徒入隊者二十三人の壮行会を町内神学院校庭にて行う。町会長小笠原三九郎氏の二男秀郎君及び私のひとり息子隆太郎も入隊者に加わっていた》

 

十一月二十日(土)

□雑誌□「都政週報」の奥付発行日。「町会隣組運営座談会」第二回が掲載され、完結。

 

十一月

《【十一月】米軍マキン、タラワ両島に上陸す》

 

十二月一日(水)

□雑誌□「日の出」十二月号(第十二巻第十二号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第二回が掲載された。

 

十二月

《【十二月】出版事業整備、残存一九三社となる。徴兵適令一年引下げ》

 

[2013年5月6日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和18年●1943 昭和20年●1945

 

昭和十九年(一九四四)

 

年齢:四十九歳→五十歳、数え年五十一歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

愈々協力に励む【昭和十八・九年度】

昭和十九年度の主な出来事

文報小説部会

食料査察

参謀本部駿河台分室

町会の増産協力運動

航空機増産協力大会

 

一月一日(土)

□雑誌□「日の出」一月号(第十三巻第一号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第三回が掲載された。

 

一月

《【一月】○強制疎開実施さる》

 

二月一日(火)

□雑誌□「日の出」二月号(第十三巻第二号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第四回が掲載された。

 

二月

《【二月】○米軍マーシャル群島に上陸○大衆娯楽雑誌の整理統合行わる》

 

三月一日(水)

□雑誌□「日の出」三月号(第十三巻第三号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第五回が掲載された。

 

三月二十七日(月)

社会事業会館で開かれた日本文学報国会小説部会の決戦総会に出席。[探偵小説四十年 文報小説部会/昭和31年12月]

《【三月】二十七日、午後一時、麹町の社会事業会館に於て、日本文学報国会の小説部会(部会長正宗白鳥)あり、出席した》

 

三月

《【三月】○芸能界の統制決定○新聞夕刊廃止さる○女子挺身隊強化方策決定》

 

四月一日(土)

□雑誌□「日の出」四月号(第十三巻第四号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第六回が掲載された。

 

四月三十日(日)

□書籍□『くろがね叢書 第十七輯』の奥付発行日。くろがね会から刊行され、「二銭銅貨」「黒手組」が収録された。

 

四月

《【四月】○旅行制限、特急、寝台、食堂車廃止》

 

五月一日(月)

□雑誌□「日の出」五月号(第十三巻第五号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第七回が掲載された。

 

五月

《【五月】○国民総蹶起運動中央総会挙行》

 

六月一日(木)

□雑誌□「日の出」六月号(第十三巻第六号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第八回が掲載された。

 

六月末

第八回行政査察使の随員補佐官を命じられた。[探偵小説四十年 食糧査察/昭和31年12月]

 

六月

《【六月】○米軍サイパン島に上陸開始○マリアナ海戦》

 

七月一日(土)

□雑誌□「日の出」七月号(第十三巻第七号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第九回が掲載された。

 

七月七日(金)

参謀本部駿河台分室で開かれた対敵宣伝会議に探偵作五、六人と出席。飛行機から撒く伝単のことで意見を述べた。[探偵小説四十年 参謀本部駿河台分室/昭和31年12月]

《【七月】七日探偵作家数名が参謀本部駿河台分室に招かれて、スパイ謀略のことについて意見をきかれた》

 

七月三十一日(月)

□書籍□『くろがね叢書 第二十輯』の奥付発行日。くろがね会から刊行され、「灰神楽」が収録された。

 

七月

《【七月】初旬、大麻唯男国務大臣を査察使として、第八回行政査察(食糧査察)行われ、代議士小笠原三九郎氏が査察使随員の一人となり、私は内閣から小笠原氏の随員補佐官というものを命ぜられ、数回の査察会議に出席した》

《【七月】○「中央公論」「改造」廃刊に決す○学童集団疎開実施要項発表○米軍グワム島上陸○東条内閣つぶれ、小磯国昭、米内光政協力内閣成立○サイパン島の日本軍玉砕》

 

八月一日(火)

□雑誌□「日の出」八月号(第十三巻第八号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第十回が掲載された。

 

八月

《【八月】○閣議一億総武装を決議す》

 

九月一日(金)

□雑誌□「日の出」九月号(第十三巻第九号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第十一回が掲載された。

 

九月

《【九月】○九州、中国に空襲二回あり○官庁の日曜休業を月二回に減ず○学徒動員令実施。台湾人徴兵制度実施》

《【九月】○新聞、週に十八ページとなる○ビルマ、雲南方面の日本軍壊滅》

 

十月一日(日)

□雑誌□「日の出」十月号(第十三巻第十号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第十二回が掲載された。

 

十月十二日(木)

池袋三丁目北町会による増産作業が「読売報知」で報じられた。[探偵小説四十年 町会の増産協力運動/昭和32年1月]

《【十月】このころ、増産協力運動として、町会内に軍需作業場を設け、町会の軍人遺家族を集めて、馬具、弾薬盒など皮製品を加工する仕事をはじめ、私もそこへ行って仕事をした》

 

十月

《【十月】○帝都防空本部発足す○テニヤン島の最期発表さる○台湾沖空中戦○白金強制買上実施○米艦隊レイテ湾に侵入す○満十八才以上兵役に編入す○フィリッピン沖海戦》

 

十一月一日(水)

□雑誌□「日の出」十一月号(第十三巻第十一号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第十三回が掲載された。

 

十一月

□雑誌□第一陸軍病院発行の「新緑」に「庭園の変貌」が掲載された。発行日不明。

 

十一月

《【十一月】○サイパン基地のB29はじめて東京を襲い帝都爆撃開始さる○新聞、週十四ページとなる○名古屋、東海地方大空襲○このころ竹槍訓練盛んに行わる》

 

十一月二十三日(木)

豊島師範学校で開かれた翼賛会豊島支部主催の航空機増産協力大会に出席。[探偵小説四十年 ──/昭和31年12月(航空機増産協力大会)]

《【十一月】二十三日、池袋駅前の豊島師範学校校庭で、翼賛会豊島支部の主催で、航空機増産協力大会を開き、私は決議文を朗読した》

 

十二月一日(金)

□雑誌□「日の出」十二月号(第十三巻第十二号)の奥付発行日。「偉大なる夢」第十四回が掲載され、完結。

 

[2013年5月7日]

 おかげさまで、というわけでもないが、しかも、大震災でこんな大変なときにこんなことを告白するのも不見識かもしれんのだが、本日ここに誕生日を迎えて、めでたく五十八歳となった。
 
 いやー、どうしてもなりたい、ってわけでもなかったんだけど、ま、長く生きてりゃいつかこういうことになってしまうわけである。
 
 べつだんうれしいことはなくて、むしろ、なんというのか、面目ないような気がする。
 
 妙なあせりのようなものも、おぼえないわけではない。
 
 しかし、とにかくお誕生日である。
 
 でもって、以前からいってるとおり、まちなかよさようなら、なわけ。
 
 きのうは、まちなかよさよなライオン、と記した。
 
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 まちなかにさようならしたり、さよなライオンしたりしたわけだから、いつまでも名張まちなかブログでもあるまい。
 
 このところ、というか、もうかなりの期間、エントリの内容は、ほぼ乱歩のことばかりになってたし。
 
 だから、このブログ、更新はきょうでおしまいとする。
 
 そのかわり、こっちのブログに、名張関係のコンテンツをひとつ新設して、ここ名張市のうすらばかを叩いたり笑いものにしたりするときは、こっちでやることにする。
 
 
 名張市乱歩関連事業アドバイザーとして、たとえば市長判断を仰ぐ、みたいなことになったときにも、報告はこっちのブログで進めることになる。
 
 更新停止にあたって、あれこれ記そうかとも考えていたのだが、翻意した。
 
 あれこれ記すことがあれば、名張人外境ブログにつづることにする。
 
 だから、きょうのところは、あっさりとさよならを申しあげる。
 
 とともに、ご愛読いただいた諸兄姉に、心から謝意を表する。
 
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 しっかしなあ、ほんと、五十八だなんて、いったいだれの齢かと思っちゃう。
 いやー、びっくりした。
 
 脱力した。
 
 ていうか、ほとんど感動した。
 
 ディスカウントスーパーの件である。
 
 
 思慮も足りなきゃ配慮も足りぬ、ほんにおまえはあほかいな、とはいってやったものの、まだ見積もりが甘かったようである。
 
 多少の思慮はあるだろう、と漠然と思いこんでいたおれが甘かった。
 
 実際は、すっからかんのからっけつ、ひとかけらの思慮もなかったわけなのである。
 
 YOUの記事にこうある。
 
 市は、進出企業の変更について「名張地区のまちづくりや市民生活など、総合的な観点から将来の名張市を展望するとき、断念することが妥当である」と説明した。
 
 これすなわち、ディスカウントスーパー誘致の話は、「名張地区のまちづくりや市民生活など、総合的な観点から将来の名張市を展望」して進められた話ではなかった、ということである。
 
 まちづくりだの、市民生活だの、そんなもののことはなんにも考えておらんかった、ということである。
 
 いくらなんでも、多少のことは、たとえうわっつらだけでも、考えておるじゃろう、とおれは思っておった。
 
 しかし、思慮が足りないから、ディスカウントスーパーでOK、という結論にたどりつき、配慮が足りないから、商業者の意向や市民の感情に頓着することなく発表してしまった、ということであったと思っておった。
 
 それがどうよ。
 
 ほんとになんにも考えてなくて、あっちこっちから十字砲火を浴びてようやく、あッ、まちづくりが、とか、あッ、市民生活が、とか、そういったことにようよう気がついた、というのである。
 
 こうなるともう、思慮が足りない、というレベルの話ではない。
 
 足りたり足りなかったり、といったレベルの問題ではなくて、そもそも思慮というものが存在しないのである。
 
 しっかりした自分の考え、というものが、名張市にはまったく存在しておらんのである。
 
 あほやったんか。
 
 ほんまにあほやったんか。
 
 もちろん気がついてはいた。
 
 名張市役所のみなさんが底抜けのあほである、ということにはとっくに気がついていた。
 
 しっかしここまで純粋無垢のあほであったとはなあ。
 
 うっかり感動してしまったりしたけれど、ほんとにもう、どうにもならんのであろうな。
 
 まちなか再生の名のもとにまちなかを破壊し、こんどはまちなかを解体しようとする。
 
 それが行政のやることか、とか叱り飛ばしてみたところで、ほんとにもう、どうにもならんのであろうなあ。
 
 いやはや、なんかもうぶち切れそうだぜ。
 
 なにいってんだ、ざけんじゃーねー、みたいな。
 
 YouTube探したらあったから、きょうはこれでお別れ。
 
 
 ではでは、ほんと、まちなかよさよなライオン、ということにしてしまおうと思う。
 
 あとは乱歩だけ。
 
 ではまたあした。

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