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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 つづき。
 
 いつのつづきかというと、3月2日のつづきである。
 
 名張市立図書館にいくらアドバイスしてみたところで、やる気もなければ知恵もなく、志と情熱もないときてんだから、それじゃなんにもできんわな、という嘆きのつづきである。
 
 ちんたらちんたら進めてきたけれど、年明けからこちらいろいろ考えさせられることがあり、そこへもってきてこの大災害である。
 
 いつまでもちんたらちんたらしてられんわな、という気になっている。
 
 いくらアドバイスしたって、無理なものは無理なのである。
 
 とりあえず(いち)から(ご)まで、いつつのアドバイスについて記してきたけれど、名張市立図書館では現在ただいま、そのうちの(いち)を受けて乱歩関連資料の収集方針を明文化する作業が進められているはずである。
 
 (いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
 
 しかし、ま、無理だと思う。
 
 名張市立図書館にゃ、というか、名張市役所のみなさんにゃ、といってもいいのだけれど、お役所の内部で、あるいはお役所とお役所のあいだで、つまり身内のあいだだけで通用するものをでっちあげることまではできても、それ以上のことは無理である。
 
 世間一般にふつうに通用するものは、とても仕上げることができない。
 
 だいたい、乱歩関連資料の収集方針を明文化するというのであれば、最低限、このアドバイスをクリアしないことにはなにもできない。
 
 (ぜろ)とりあえず乱歩のことをちっとは知ろうとしてみよっかあ。
 
 この一点だけでも、とても無理である。
 
 で、どうするのか。
 
 茶番もそろそろ打ち止めとする。
 
 名張市立図書館から明文化された乱歩関連資料収集方針があがってきたら、それにもとづいて、以前からこのブログに記してきたとおり、市長判断を仰ぐ、ということになると思う。
 
 ではここで、本日のお知らせ。
 
 これも先日、郵送されてきたものである。
 
20110322a.jpg
 
20110322b.jpg
 
 名張市つつじが丘で開設され、伊賀市槇山に移転した画廊「GALLERY30」が、「上田誠克記念館GALLERY30」として4月6日水曜、リニューアルオープンすることになった。
 
 興味がおありのかたは、ぜひお運びを。
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 うっかりしておった。
 
 やはり、いまだ平常心を取り戻せていないのであろうな。
 
 昨日付エントリの冒頭でお知らせした講演会の件、スキャン画像を掲載しただけで、説明するのをすっかり失念してしまっておった。
 
20110320a.jpg
 
 同封されていた文書によると、この「まちなか連続講演会」、3月6日に第一回が開かれて、講師は内山節さん、参加者は五十人、名張まちなか再生委員会の元委員に案内状を送付したのだが、一部に送付漏れがあった、とのことであった。
 
 ちなみに、おれもお漏らしされてしまったひとりである。
 
 で、スキャン画像に名が記されている「(仮称)町の会」だが、これが名張まちなか再生委員会の後継組織を目指しているのかどうか、そのあたりのことはまったくわからない。
 
 しかし、ただひとつたしかなのは、この二回連続の講演会がまちなか再生事業の掉尾を飾るものになる、ということである。
 
 この講演会の費用はすべて、名張市のまちなか再生事業関連予算でまかなわれるはずで、なんとか年度内に予算を消化しなくちゃなんない、ってんでこの時期の開催になったのではないかとも思われるのであるが、まちなか再生事業そのものはとっくの昔に雲散霧消してしまっているから、わずかに残っていた予算をこれですっかりつかいきり、みごとなまでの大失敗に終わったまちなか再生事業はこれにてすべておしまい、ということになる。
 
 なんか、最後の最後まで、さっぱりわけのわかんない事業であった。
 
 ところで、平常心を取り戻せていなかったせいで、本来であれば表も裏もスキャンして掲載すべきところ、きのうは表をごらんいただくだけで済ませてしまった。
 
 だから、本日ここに、裏面のスキャン画像を掲載しておく。
 
20110321a.jpg
 
 ちなみにいっとくと、おれはこの講演会、たぶん行かないと思う。
 
 さて、ディスカウントスーパー問題。
 
 最新情報は、おそらくこれだろう。
 
「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:火曜日に全員協議会(2011年3月19日)
 
 要するにあす22日、全員協議会で市の結論が報告されるらしい。
 
 しかし、結論といったって、どんな結論が出るのかは最初から知れている。
 
「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:希央台の公益用地(2011年3月8日)
 
 ここに記されているごとく、「このまま議案は進められる」ということになるはずである。
 
 無駄にごたついただけの話である。
 
 どうして、無駄にごたついたのか。
 
 名張市役所のみなさんが、自分たちのことしか眼中にないみなさんだからである。
 
 自分たちの都合を最優先させるばかりで、他者に配慮するということをまるで知らないからである。
 
 名張市という地域の全体を視野に入れ、共同体全体の責任を負う、ということをまったくしないからである。
 
 思慮も足りなきゃ配慮も足りぬ、ほんにおまえはあほかいな、みたいなみなさんだからなのである。
 
 もともと、思慮が足りない。
 
 だから、ものごとをちゃんと考える、ということがまったくできず、すべて思いつきで進めてしまう。
 
 そのうえ、配慮も足りない。
 
 つまり、ひとのことなんか意にも介さず、歯牙にもかけず、頭から無視してしまう。
 
 ただの思いつきで、ディスカウントスーバーだよーん、ということにしてしまい、商業者の意向も市民の感情もいっさいおかまいなし、いきなり発表なんかしてしまうから、こんなことになってしまったのである。
 
 ほんと、どうしてこうも、おんなじことばかりくり返すのであろうな。
 
 まちなか再生事業でいえば、思慮も配慮もなく、名張まちなか再生委員会の意向や感情を顧慮することすらせず、施政方針でいきなり「名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」などと発表して委員会サイドの感情を逆なでしたことがあったではないか。
 
 ほれ。
 
 
 あのときといっしょである。
 
 名張市役所のみなさんにゃ、学習能力というものがかけらほどもないのであろうな。
 
 おんなじことを、まーたくり返してくれたわけなのな。
 
 しかしなあ、思いつきでしかものごとを進められんというのは、まあばかなんだからしかたがないとしてもだな、その思いつきが周囲にどんな影響をおよぼすか、みたいなことを考えてみることはできるはずなんだがなあ。
 
 今回の大震災で、といったって、むろん報道を通してのことであるけれど、いろいろ気づかされたことがあったそのうちのひとつは、日本人の善良さということであった。
 
 被災しなかった人間が被災した人間に配慮する、というのはいわば当然のことだけれど、おなじ大災害に見舞われた人間同士、理不尽な不幸に打ちのめされながらもなお他者への配慮を忘れない善良さを、日本人はまちがいなくもちあわせているらしい、と気づかされた。
 
 そうした善良さは、たとえば国際社会という競争の場ではときにマイナスに働く要素なのかもしれないが、しかし紛れもなく日本人の美質のひとつに数えるべきものだろう。
 
 そして、名張市役所のみなさんも、ひとりの個人としてはそうした善良さをごくあたりまえに身につけたひとばかりなのだろうけれど、というか、おれの知るかぎりではそうしたひとばかりなわけなんだけど、どうしてそういった個人がお役所という名の愚者の城に寄り集まったそのとたん、配慮のはの字もわきまえず自分たちのことしか眼中にございません、みたいなみなさんになってしまうのであろうなあ。
 
 市民に配慮することが、どうしてできない。
 
 もちあわせているはずの善良さを、いったいどこへ置き去りにしてきた。
 
 ほんと、おれは泣きたいよまったく。
 
 ではここで、さしたる関連性はないけれど、「アルゼンチンよ泣かないで」、マドンナで行ってみよう。
 
 
 いやほんと、泣いてばかりもおられんぞ。
 まず、お知らせ一件。
 
 二、三日前、名張市役所の企画財政部地域経営室から郵送されてきた文書、スキャンしてごらんいただく。
 
20110320a.jpg
 
 このブログでお知らせしたほうがいいだろうな、と思われる情報が届いたので、とりあえずそれをこうして記すことによって、エントリを書きはじめることができた。
 
 なにしろえらいことになっているから、ごく日常的な事務連絡みたいなこうした話題から入らないことには、ブログの更新すらままならないような日がつづいていた。
 
 3月2日以来、ひさかたぶりの更新となる。
 
 もっとも、こっちのほうはかろうじて更新をつづけている。
 
名張人外境ブログ:乱歩邸無事(2011年3月19日)
 
 巨大地震が発生したあと最初のエントリがこれ。
 
名張人外境ブログ:朝を迎えましたが(2011年3月12日)
 
 それにしても、3月11日以前の日常的なあれこれは、ひどく遠い昔のことのように感じられるし、大震災がもたらした惨状にくらべれば、きわめて些細でどうでもいいことのようにも思われる。
 
 しかし、そんなはずはない。
 
 被災したひとたちが不意に失ってしまった日常も、われわれの前にある日常も、ともにかけがえのないものであることには変わりがない。
 
 そのかけがえのなさにあらためて思いをいたすことは、被災したひとたちにたいする最低限の礼儀のようなものではないか、とおれは思う。
 
 ではでは、日常というやつのかけがえのなさに思いをいたしつつ、ひさしぶりでうすらばかども思いっきり叱り飛ばしてやることにするか。
 
 いやー、おれも少しは元気が出てきたみたいだな実際。
 
 ずーっと鬱っぽい気分でいたんだけど、なんでここへきて元気が出てきたのかというと、やっぱ福島第一原発のことが大きいのであろうな。
 
 メディアの伝えるところを信じるかぎり、福島の原発事故も山場を越え、どうやら収束に向かいはじめた印象である。
 
 むろん予断は許さぬのであろうが、少し以前までの胃袋に鉛をつめこまれたような感覚はもう消えている。
 
 というのも、このエントリ──
 
 
 北関東のかたから、
 
 ──乱歩関連事業アドバイザーとしてのご活躍に、大いに期待しています。
 
 と添え書きされた賀状を頂戴した、と記したのだが、これがじつは福島県にお住まいの乱歩ファンのかたであった。
 
 つまりおれは、福島県が北関東だと勘違いしていたわけなのだが、それはまあそれとして、その乱歩ファンのかた、福島県といっても海沿いではなく、栃木県との県境に近い内陸部にお住まいなのだから、避難対象エリア在住というわけではない。
 
 しかし、心配なことは心配であり、むろん原発事故となると福島県のみにはとどまらず、最悪の場合を考えると空恐ろしいほどの被害が出るはずでもあるから、そういうことを考えはじめるとなにも手につかないといった状態だったのだが、福島第一原発もひとまず安心できる状況にはなったようで、少しは元気も出てこようというものである。
 
 さて、3月11日に巨大地震が発生する以前、名張まちなかがまた、ごたごたとごたついていたようであった。
 
 例のディスカウントスーパーの件である。
 
 YOUのウェブニュースを確認してみたところ、最新の関連記事はこれらしい。
 
伊賀タウン情報YOU:亀井市長、従来の答弁繰り返す スーパー誘致問題(2011年3月8日)
 
 さーあ、ばんばん叱り飛ばすぞ。
 
 とはいうものの、実際のところ、もはや怒る気もせん。
 
 じつは3月11日以前にも、いくら怒っても、叱り飛ばしても、どうしようもないんだもんなあ、と思って、少なからずげんなりしておったのである。
 
 なにをいってやったところで、なにも理解できんのじゃものなあ、と思って、心の底からうんざりしておったのである。
 
 ほんと、名張市ってのはどうしてここまで、おんなじようなことばかりくり返すのであろうな。
 
 自分の甲羅に似せて穴を掘る。
 
 自分たちの勝手な都合を平気で地域社会に押しつける。
 
 こんなことばっかやってるわけよ。
 
 名張市が所有する公共施設用地をどう活用するか、というテーマに向き合った名張市役所のみなさんは、自分たちの無能と怠慢に合わせて穴を掘ってしまった。
 
 なんつったって、目先のことしかわからず、その場しのぎしかできないみなさんである。
 
 ちゃんと考える、ということができない。
 
 目先の損得に振り回され、なりふりかまわぬその場しのぎに走ってしまう。
 
 あげく、あちらこちらから、断固反対の十字砲火を浴びてしまう。
 
 なかんずく、十字砲火のなかでも特筆大書しておくべきなのは、こよない癒着結託相手であったはずの名張地区まちづくり推進協議会からさえ、あっさりNOをつきつけられてしまった、という一事である。
 
 ばーか。
 
 大笑いじゃねーか。
 
 しかしまあ、大変だよな。
 
 名張市もほんと、大変だよな。
 
 いったいなんだったんだろうな。
 
 みごとなまでの失敗に終わったまちなか再生事業において、あれだけ名張地区まちづくり推進協議会の顔色をうかがい、旧細川邸やなせ宿の私物化を全力で支援し、担当職員が、てめーら市の職員か協議会の職員かいったいどっちなんだおらあッ、と罵倒されるようなシーンまであって、それはもう恥も外聞もないほど尽くしに尽くしたというのになあ。
 
 そういえば、少し前にもこんなコメントが寄せられておったではないか。
 
2010年11月01日:なぞがたりの謎が謎を呼ぶ > 業務委託の件(2010年11月1日)
 
 な。
 
 あやしげな民間団体が「市の職員を留守番や手伝いに勝手に利用していると聞いたことがあります」といまだに語り草となっておるのである。
 
 さらに「ちなみにこの団体。当初は市職員もメンバーに名を連ねていたのですが、市の業務委託を受けるにあたって、まずかろうと言うことで全員引き上げたと言うことです」とも語り伝えられておるわけである。
 
 これすなわち、名張市と名張地区まちづくり推進協議会との癒着結託の一端である。
 
 そればかりではない。
 
 旧細川邸やなせ宿の私物化がルールもくそもないただのインチキによって決められたものであったことが露見し、そのせいで名張地区まちづくり推進協議会のメンバーが大挙して泡を食いつつ名張まちなか再生委員会からとんずらこいたあと、いったいなにを考えたのか、いやいや、なんにも考えられずに脊髄反射を示しただけだったわけなのだが、名張まちなか再生委員会から引きます、とあほな宣言まで名張市はしてしまったのだからなあ。
 
 まちなか再生事業を矮小化するような愚かしいことまでして、身も心も名張地区まちづくり推進協議会に捧げつくしたというのになあ。
 
 捧げつくして、このざまかよ。
 
 ここで説明を加えておくと、まちなか再生事業を矮小化した、というのはどういうことかというと、あの事業は本来、全市的なスケールのものだったわけ。
 
 これは難しい話でもなんでもなく、いちいち確認したわけではないけれど、まちなか再生事業の関係者にとって共通認識だったといっていいのではないかと思われる。
 
 つまり、事業の直接の対象エリアは名張地区既成市街地、いわゆる旧町地区、つまり名張まちなかであったわけだけど、事業そのものはあくまでも全市的なスケールのものとして計画されたものだったわけであり、いわゆる地域づくり委員会が担うべき事業ではなく、また、担えるような事業でもなかったわけなのね。
 
 それがどうよ。
 
 名張市ったらいったいどうよ。
 
 名張まちなか再生委員会とは手を切って、名張地区まちづくり推進協議会をまちなか再生事業のパートナーといたします、とかあほなことを宣言してしまったのだからなあ。
 
 無理が通って道理が引っ込む、みたいなことを行政みずからがぶちかましてしまったのだものなあ。
 
 ものの道理というやつを、思いっきりねじ曲げてしまったのだものなあ。
 
 しかし、ここで再度説明を加えておくと、もしかしたらなんにもわかってないんじゃね? という説もあった。
 
 つまり、まちなか再生事業の新たなパートナーとして名張地区まちづくり推進協議会と手を結ぶ、なんてことはまちなか再生事業の矮小化にほかならない、というごくあたりまえの理屈が、名張市という低能自治体にはまったくなんにもわかってないんじゃね? という説であった。
 
 いわれてみれば、なるほどそうかもしれない。
 
 なにしろ名張市である。
 
 底抜けのあほである。
 
 わからんのかもしれんな。
 
 理解できんのかもしれんな。
 
 ほんと、市民としては泣けてくるよな。
 
 でもって名張市、とにかく名張地区まちづくり推進協議会に身も心も捧げつくしたそのあげく、まちこわしはやめてよね、とかいわれてしまったんだものなあ。
 
 
 なんかもうすっごい迷惑、とかいわれてしまったんだからなあ。
 
 なんかもう、大笑いではないか。
 
 ほんと、あそこまであからさまな癒着結託をかましたあげくが、このざまなんだもんな。
 
 しかし、そんなものかもしれんぞ。
 
 便益の供与を基軸にした癒着結託関係なんて、しょせんこの程度のものなのかもしれんぞ。
 
 きれいごと並べて偉そうに説教を垂れるようだけど、行政が市民とのあいだにまず構築すべきなのは、やっぱ信頼関係であるべきなの。
 
 それをまあごくごく一部の市民とのあいだに癒着結託関係を築きまくり、それによってがんじがらめになってしまって、もともとわけがわかんなかったというのにいよいよわけがわかんなくなってしまったそのあげく、まちこわしはやめてよね、なんかもうすっごい迷惑、とかいわれてんじゃねーよこのすっとこどっこい。
 
 ちっとは身にしみてわかったか、といいたいところだけど、なんにもわかってはおらんであろうな。
 
 ほんと、とにかくわからんのである。
 
 なにも理解できんのである。
 
 だから、いくら叱り飛ばしたって意味ねーじゃん、とか思って怒る気もせんかったわけなのやが、そんなことゆうて打ち沈んでばかりもおれんであろうからなあ。
 
 おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
 つづき。
 
 なんのつづきなんだか、もうひとつよくわかんなくなってる気配もあるけど、とにかくつづきじゃ。
 
 地域資源の最前線、という話題をつづけることにして、前々エントリに引用した平成19・2007年6月定例会一般質問の議事録には、柳生大輔議員のこのようなご発言があった。
 
 「私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます」
 
 勝手に決めつけてしまうようなことを記すけど、名張市議会議員の先生がた二十人、どなたにお訊きしてみても、乱歩は名張市にとって貴重な地域資源である、というお考えをおもちではないかと思われる。
 
 そして、名張市はその地域資源をうまく活用できていない、というご見解もまた、みなさん共通しておもちなのではあるまいか。
 
 しかし、乱歩文学館だの、乱歩記念館だの、そんな施設をつくんないことには地域資源として活用できない、なんてことはまったくない。
 
 施設の問題じゃないわけね。
 
 やる気の問題、知恵の問題、志と情熱の問題、ほかにもいろいろあるけれど、いずれにしたって名張市役所のみなさんにゃ、かけらほども望めないことばっかじゃねーか。
 
 しかしまあ、かけらも望めないという冷厳な事実にはとりあえず眼をつむって先をつづけることにすると、文学館とか記念館とか、ごたいそうなハコモノわざわざおったてなくったって、図書館がちゃんとしたことをやればそれでいいのよね。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、ちゃんとしたことをふつうにやってけば、それでいいのよね。
 
 文学館だの記念館だの、そんなものつくったら管理運営するだけで結構な予算が必要になるはずだけど、すでにある図書館がその本来の業務の一環として乱歩のことを手がけるだけで、文学館や記念館に勝るとも劣らない活動をつづけることはいくらだって可能であろう。
 
 ていうか、図書館のほうが身軽に動けたり小回りが利いたり、かえって都合がいいかもしれんぞ。
 
 要はやる気であり、知恵であり、志と情熱であり、ありゃりゃ、堂々めぐりになってしもうたがな。
 
 たとえば、先日も紹介した横芝光町立図書館じゃが、ポット出版からおととしの9月に出た雑誌「ず・ぼん」第十五号に、この図書館のスタッフ、坂本成生さんのインタビューが掲載されている。
 
 インタビュアーは沢辺均さん。
 
 ちょっと引用してみる。
 
 文中、「画像」とあるのは、横芝光町立図書館公式サイトのトップページ、掲載情報、新着図書、ブログ、ツイッターといったさまざまなコンテンツのスクリーンショットだとお思いいただきたい。
 
情報はスピードが命だ
 
沢辺 今回、なぜ取材に伺ったかというと、単純なんですけど、毎日書評の情報をアップしてるのがすごいな、と思ったからなんです[画像1、2]。それを知るきっかけになったのはTwitter[画像3]だったんですけど、Twitterも結構早くからやってますよね。「◯◯図書館」と名乗ってTwitterを使っているところは、まだ少ない。
僕も関わっているげんきな図書館というNPOが民間委託を受けている渋谷区立代々木図書館もTwitterをやっているのですが、あれは一応、「図書館ではなく、NPOが発信していますよ」という言い訳がある。細かい話かもしれませんが、たとえばTwitterを始めるにあたって、決済はどうしたんですか?
坂本 Twitterに関しては、決済はやってないんです。なぜかというと、まずホームページを立ち上げる時に、「どういうことをやる」という決済を取ってますよね。その中に、「本に関する情報の提供」が入っているから、ホームページが大元にあって、そこにぶら下がっている形でブログもあるしTwitterもある、という解釈なんです。だから、単独で存在させようとしたら「これを立ち上げます」という決済が必要ですけど、大元のホームページに付帯していると考えれば、それで情報発信をやりますよ、というのは既に公式に宣言してるわけですからね。
沢辺 将来いろんなサービスを始めるというのは、最初にホームページを企画をした段階から自覚していたんですか?
坂本 図書館のホームページに関して、ちょっと更新するのにもいちいち決済が必要だったり、お伺いを立てなきゃいけなかったりする、というのをよく聞いていたんです。でも、それってすごくナンセンスですよね。情報はスピードが命ですから、そんなことをやっている間にタイミングを逃して、情報そのものが死んでしまう。
そういうことがないように、「更新する内容はこういうもので、常識を踏み外さない範囲でやりますよ」というのを最初に織り込みました。だから一回決済を受けてしまえば、そのあと更新する度にいちいち決済する必要はありません。
 
 ま、こんな図書館もあるということじゃが、名張市立図書館には、こんな真似はとてもできない。
 
 インターネットを利用して、それもブログやツイッターまで駆使して、乱歩にかんする情報を発信する、なんてのは、まさしく乱歩という地域資源を活用することにほかならないのじゃが、無理無理、名張市立図書館にはとても無理。
 
 小さな自治体の図書館といえば、このブログにもときどきコメントをお寄せいただいている小西昌幸さんは、この図書館の館長さんである。
 
北島町立図書館 創世ホール:トップページ
 
 ここもいろいろすごい図書館であるが、館長さん手づくりのミニコミを月刊で発行していることでも知られている。
 
北島町立図書館 創世ホール:文化ジャーナル
 
 ごらんのとおり図書館の公式サイトにも掲載されているが、むろん紙に印刷したものも発行されていて、おれも毎号お送りいただいている。
 
 名張市立図書館が『江戸川乱歩著書目録』を発行したときには、おおいにPRしていただいたものであった。
 
北島町立図書館 創世ホール:文化ジャーナル > 2003年12月号
 
 要するにまあ、図書館という場で本分を尽くしさえすれば、文学館や記念館なんて施設がなくたって全然OK、というわけなんだけど、残念なことに名張市立図書館には、それができない。
 
 あるいは、名張市には、というべきか、それができない。
 
 乱歩がらみの会議とやらを思いつきで発足させて、あとはなにもしない。
 
 乱歩がらみのご町内イベントをぶちかましながら、市民から見向きもされない。
 
 そんなばかなことしかできない。
 
 だから、名張市がいいだけばかなのはしかたないとしても、せめて名張市立図書館だけにはしっかりしてもらいたいわけなのよね。
 
 乱歩を地域資源として活用するのであれば、その最前線は乱歩にかんしてオンリーワンの名張市立図書館なんだからね。
 
 しかし、実際には、とても無理なのである。
 
 乱歩関連資料の収集方針を、ちゃんと考え、ちゃんと決めて、それを文章にまとめる、というごくあたりまえのことさえ、とてもできそうにないのじゃ。
 
 どうすっぺや。
 
 アドバイザーとしては頭を抱えてしまうっぺ。
 
 なーにアドバイスしても無駄じゃね? という気がする。
 
 むろん、とりあえず、(いち)から(ご)までのアドバイスを進めていこうかな、というぼんやりした予定はたててあるのだが、以前にも記したとおり、最初のアドバイスでつまずいて、それでおしまい、みたいなことになるしかないのではないか、というのが現時点におけるアドバイザーの実感なわけ。
 
 (いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
 
 (に)収集した資料をどう活用するのか、それを念頭において考えてみると、乱歩関連資料としてなにを集めればいいのかが、よくわかってくるかもしれないね。
 
 (さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 (ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
 
 しかし、ほんとは、ここからはじめなければならないわけよ。
 
 (ぜろ)とりあえず乱歩のことをちっとは知ろうとしてみよっかあ。
 
 で、この(ぜろ)が、まず実現できない。
 
 乱歩作品を読む、ということ、乱歩について知る、ということ、それができない。
 
 のみならず、やる気もなければ、知恵もなければ、志と情熱もなければ、ありゃりゃ、まーた堂々めぐりじゃ。
 
 つづく。
 
 めまいしそうになりながらつづく。
 
 ほんと、これだもんよ。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 つづく。
 つづき。
 
 前エントリからの流れで、きょうも昔を振り返ってみる。
 
 なんでまた、NPOをつくろうか、などと血迷ったようなことを考えたのかというと、サーバーを確保してデータベースを発信する、みたいなことのほかに、だれかに手伝ってもらいたい、というおもわくもあったような気がする。
 
 手伝ってもらいたいことはいろいろあったわけなのだが、名張市立図書館内部の話に限定すると、膨大な量のデータをチェックして記録する、という作業の手伝いが必要であった。
 
 どんなデータか。
 
 ひとつだけ、例をあげておく。
 
 一冊目の目録、つまり『乱歩文献データブック』の予算が獲得できて、調査編纂の作業に入ったとき、名張市役所の記者クラブに依頼して記事を書いてもらった。
 
 名張市立図書館がこんな事業に着手しました、という記事である。
 
 お役所ってのはとかくものごとを隠したがるところで、名張市名物アンダーザテーブル、なんてことばもあるほどだけど、ほんとはまったく逆でなければならんはずである。
 
 市民の税金でなにをするのか、しているのか、みたいなことはあたうかぎりオープンにされるべきなのである、とか考えて、目録づくりがはじまったことを記事にしてもらった。
 
 記事を読んでくれたひとから、こちらの思いもかけないようなリアクションがあるかもしれない、という皮算用もあった。
 
 はたして、もとより伊賀版ないしは三重版の記事ではあったのだが、あとで知ったところでは、記事のコピーが県外の乱歩ファンのあいだでやりとりされて話題になっていたらしい。
 
 そうした反響のひとつが、津市にお住まいの探偵小説ファンのかたから寄せられた。
 
 戦後まもなく創刊された月刊の探偵小説専門誌「宝石」を全冊寄贈しようか、という申し出をいただいたのである。
 
 夢のような話である。
 
 津まで、いただきにあがった。
 
 名張市立図書館はこれまで、乱歩関係の寄贈を少なからず受けていて、きのうのエントリに引用した平成19・2007年6月定例会一般質問の市長答弁にも、
 
 「なお、寄附を受けております推理小説等数千冊、あるいは乱歩の関連資料などの活用につきましても、あわせて検討を進めてまいりたいと思っております」
 
 と述べられていた次第であり、しかし、うそうそ、大うそ、例によって大うそ、実際には活用だの検討だのなんてのはいっさい進められておらんのじゃが、そんなことはともかく、なかでも最大のプレゼントがこの「宝石」であった。
 
 寄贈していただいたかたとは賀状をやりとりする程度のおつきあいをつづけていたのだが、先年、お亡くなりになった。
 
 その「宝石」全冊、『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』をつくるときにはおおいに役に立ってくれたのだが、その後の作業は手つかずである。
 
 つまり、目録二冊をつくるために必要なデータを拾いあげることまではしたのだが、「宝石」全冊そのもののデータをとることはまったくできていない。
 
 本来であれば、名張市立図書館の公式サイトで全冊のデータを公開する、といった程度のことはできておらねばならんところなのじゃが、公開どころか、「宝石」全冊のデータを拾うことすらできておらんのである。
 
 ご寄贈いただいたかたにたいして、なんとも申しわけないという気がする。
 
 ご寄贈いただいたかたに申しわけがないのは、なにも桝田医院第二病棟にかぎった話ではないのである。
 
 なんか、穴があったら入りたいわよね。
 
 むろん、「宝石」全冊のデータをとる作業はおれが担当しなければならんかったのではあるが、そんなところまで手はまわらない。
 
 なんつったって、おれが嘱託として頂戴していたお手当は月に七万円とか八万円とかだったから、嘱託そのものが片手間のお仕事にならざるをえない。
 
 しかしなあ、ほんと、七万円とか八万円とか、そんな雀の涙であそこまでの仕事をよくやったものだ、とわれながら感心してしまう。
 
 それにまた、あそこまで滅私奉公した人間にたいして、ここまでひどい仕打ちがよくもできたもんだよなあ、などと記すと愚痴っぽくなってしまうから昔を振り返るのはここまでとして、とにかくそんなこんなの状態であったから、手のまわらない作業を手伝ってくれるスタッフも確保できるのではないかしら、とか夢みたいなおもわくもあって、NPOの結成に思いいたったのであった。
 
 要するに、名張市立図書館の内部だけに話をかぎっても、やらなければならない作業は膨大にある、ということである。
 
 ただし、名張市立図書館にはなにをすればいいのかがまったくわかっていないし、かりに「宝石」全冊のデータをとるように、とアドバイスしてみたところで、人がいません、時間がありません、ということで話は終わってしまうはずである。
 
 ──役人はできない理由をすぐにいい
 
 だからまあ、先日も記したとおり、データベース以前の問題として、乱歩関連資料として購入した資料を、きょうお知らせした「宝石」のように寄贈を受けた資料も含めて、すべてリスト化して公開するというごくごく簡単な作業さえ、なんだかとっても無理みたい、というのがアドバイザーの実感なわけなのよね。
 
 ほんと、どうしようもないぞまったく。
 
 ほんと、どうすっぺや。
 
 乱歩というのは名張市にとってまぎれもなく最良の地域資源のひとつであり、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料もまた市民の貴重な財産、いやいや、全国の乱歩関係者にとってもかけがえのない共有財産であるというのに、実態はこんなんなんだもんな。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 ほんと、乱歩にかんして名張市の最前線、いやいや、全国的にみても最前線にいるはずの名張市立図書館が、こんなお恥ずかしいことでどうするよ。
 
 色を変えてやろうか。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 やよ、はかなげな色じゃなあ。
 
 つづく。
 
 嘆きながらつづく。
 つづき。
 
 茶番のつづきじゃ。
 
 ま、ゆっくりしてってけろ。
 
 名張市立図書館にたいするアドバイスでは、乱歩文学館ないしは乱歩記念館のことにも、ちょっとだけふれておいた。
 
 ここ名張市においては、乱歩文学館とか、乱歩記念館とか、そういったものをつくろうという話が、ときに浮かびあがってはすぐに沈没してゆくわけなのね。
 
 近い例では、みごとなまでの大失敗に終わったまちなか再生事業において、なぜか、そんな話が出てきた。
 
 なぜか、というのは、ほかでもない。
 
 そんなものをつくるなんて話は、事業の指針だったまちなか再生プランにはいっさい記されていなかったからである。
 
 桝田医院第二病棟の名前すら、プランにはまったく出てきておらんかったのである。
 
 で、結局は、わけのわかんないことになった。
 
 だから、どうしてあんなわけのわかんないことになったのか、と尋ねられ、おまえがついてながらどういうことか、と叱られたりもして、そんなこんなで漫才一本、ぜひとも書きあげねばならぬ仕儀とはなった。
 
 原稿落として、迷惑かけまくりだったけど。
 
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 しかし、
 
 「名張市におまえがついていながらなんであんなことになってしもたんや」
 
 と尋ねられても、
 
 「だあほッ。このだあほッ」
 
 と叱られても、わかんないことはわかんないのよね。
 
 簡単に振り返ってみると、名張まちなか再生委員会が、ある年の総会で、桝田医院第二病棟跡に乱歩文学館を建設すると決めたわけなのね。
 
 しかし、そんな決定にはなんの意味もない。
 
 その決定がそのまま名張市に採用される、といったことはまったくない。
 
 だからおれは委員会にたいして、なにやってんだばーか、といってやったわけ。
 
 おめーらにゃそんなこと決める権限は与えられてねーんだよばーか、といってやったわけ。
 
 しかしまあ、なにしろ名張まちなか再生委員会である。
 
 ひとの忠言にはいっさい耳を傾けず、乱歩文学館がどうのこうのと、ひきつづき白熱の議論をお進めになったようである。
 
 しかしな、白熱の議論ったってあーた、委員会のメンバーは乱歩のことも文学館のこともなにも知りゃせんかったわけなの。
 
 そんなみなさんがいくら白熱の議論を展開してみたところで、話がまとまるわけなんかありゃせんのよ。
 
 げんに、なにもまとまらなかった。
 
 そうこうするうちに一年が経過して、ふたたび名張まちなか再生委員会の総会が開かれたのじゃ。
 
 その総会で、乱歩文学館は建設しない、と名張市が表明した。
 
 当時、おれはまだ委員会に加わってはいなかったから、総会に立ち会ってもおらず、直接的に知るところはなにもないのだが、ちょっとブログ内を検索してみたら、こんなエントリがあった。
 
2008年03月16日:市議会の乱歩 2007
 
 平成19・2007年6月定例会、つまり名張まちなか再生委員会の総会で名張市がくだんの表明をおこなった直後の定例会なわけじゃが、その一般質問の議事録が引用してあった。
 
 簡単に振り返るために、再度引用しておく。
 
P.20 ◆ 議員(柳生大輔)
 
 それから、去る6月2日に名張まちなか再生委員会総会が開催されました。市長も来賓で出席なされておりましたが、退席してからのことでございますが、市の方にご寄贈いただきました枡田医院第2病棟の今後の整備計画について活発な議論がなされました。明くる日の新聞にも掲載されておりますように、現在のところ当局としては、(仮称)江戸川乱歩文学館の建設を断念するような説明がありましたが、説明自体の歯切れが悪く、大変わかりにくかったのであります。反面、担当部局としては精いっぱいの説明であったのかなと、そう感じていたわけでありますが、市長も後日、総会の報告も聞いておられることと思いますが、新聞に掲載されていたようなことでございます。
 いずれにいたしましても、乱歩関連施設整備事業検討委員長の発言にもありましたように、乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます。せっかくご寄贈いただいたのでございますので、これを生かさない手はないと考えます。総会の中でも、市長の考え方を聞くべきだというような強い声もあったところでございます。
 
P.25 ◎ 市長(亀井利克)
 
 次に、乱歩生誕地碑でございますが、枡田医院第2病棟の跡地整備につきましては、平成18年度名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家の復元をイメージした乱歩関連施設の整備に向け、施設計画及び維持管理運営方針などを検討していくことといたしました。その後、住環境面への配慮や維持管理運営のあり方など、市として施設整備計画を見直し、広場として乱歩生誕地碑と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩顕彰の場として整備する方向で、本年度まちなか再生委員会の役員会や検討委員会と引き続き協議を進めていきたいと考えております。
 なお、寄附を受けております推理小説等数千冊、あるいは乱歩の関連資料などの活用につきましても、あわせて検討を進めてまいりたいと思っております。
 
P.42 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 大変な難産ではありましたが、市長初め関係各位の格別のご理解、ご尽力によってようやく細川邸が新たにやなせ宿として生まれ変わることが、先日まちなか再生委員会総会において発表をされました。旧市街地出身議員としてうれしい限りであると考えております。しかし、その総会の中で、乱歩館の整備に関して紛糾いたしましたことは周知の事実でありますし、大きく報道もされたわけであります。当然市長のマニフェストにも、乱歩館の整備はしていくと書かれておりますし、桝田医院跡もそのために寄贈を受けたのでしょうし、まして昨年の総会で整備を推進していくことが申し合わされたわけで、それというのも市長みずから生家の復元やミステリー文庫などをつくりたいという構想から発展した話であったとも記憶をしております。委員や役員からも、市長が最終的にどのように考えているのかお尋ねすべきだという意見に決着をいたしましたが、市長は乱歩館の整備に関しましてはどのようにお考えなのかをお伺いいたします。このことについては、先ほどの柳生議員のご質問に対しましてもご答弁いただきましたが、不十分なところがあろうかと思います。どうぞご答弁を下さい。
 そして、以前の私の一般質問の中で市長は、9億円から3億円にまちなか再生予算が減額されたと私が指摘した際に、意味がわかりませんとの発言をされました。そして、住民自治の熟度を見ながら、1期と2期に分けて分配していく。そして、私なりの考えがあり、榊町であったり、東町であったりといった整備計画も視野に入れてとのご答弁でありました。すなわち市長のおっしゃる住民自治の高まりとは、地域住民のコンセンサスが十分に調い、計画が練り上がった時点のことを指されるのであろうと思います。であるならば、乱歩館は総会でも承認されて、乱歩関係施設の整備は要望もあるわけです。しかし、予算は大幅に減額されて、整備予算もままならないとの先日の説明でありました。これでは計画は進行しませんし、当然無視されたも同様でございます。やはり私の指摘どおり、まちなか再生予算は減額した形になりつつあるのではないですか。それとも、2期目に当初の約束どおり6億円用意して、おくれても乱歩館は整備していけるのでしょうか。
 
P.46 ◎ 市長(亀井利克)
 
 それから、2点目のまちなか再生でございますけれども、これは先刻柳生議員にお答え申し上げたとおりでございまして、乱歩につきましては、ミステリー文庫も含めまして、この整備をしていかなければならないということにいたしております。それを5年で切ってるわけでございますけれども、さてそれをどの時点でということにつきましてはまだ定かではございませんけれども、いただいてあるミステリー本をやっぱり世に出していかないと、こちらも申しわけないという思いであるわけでございますので、これは世に出していきたい。また、乱歩のゆかりのものにつきましても、同時にそういう展示する場所が必要であるというふうにも思わせていただいてるところでございます。
 
P.50 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 市長の答弁どおり、先ほどのご答弁の中で乱歩館の整備は難しいんだというふうなお話もあったわけなんですけども、これはやっぱり関連の関係の方々も説明を聞いてなかったわけでありますし、これは訂正をしていただかなければならないんじゃないかなというふうに思っております。私は、まちなかの整備に関しましては、市長は市長なりの考えがあってと申されて、そしてまた東町であったり、榊町であったりといったことを整備していくというふうなことも申されたわけですけども、私は現実にはほど遠いなというふうに思っております。まちなかの整備の皆さん方、まちなか再生委員会の方々というのは、本当にご苦労して、難産をしてやったわけなんですから、そしてまたそのこと自体をまとめ上げていくというのは大変な困難であるというふうに思っております。私は今まちなか再生委員会の参与という立場ではありますけども、みずから率先して、我々は同志もたくさんいるわけですから、本当に真の名張の顔づくりというものを私は努めてまいりたいなというふうに旧町出身議員として、あるいはまた旧市街地に住む住人の一人として思っているわけであります。これからもまた、情のある十分な予算措置を市長にはお願いしておきたいなというふうに思っております。
 そしてまた、広場に乱歩のモニュメントもつくってというふうなことでございますけども、これはそのように乱歩館というものはもう建てないんだと、建設は難しいんだと。コスト等も考えたときに大変難しいんだというふうなことでありましたけども、やはり去年の総会で通った段階であるのに、その関連の関係者の方々は理解をしていない、説明を受けていない。まさに、きょうの午前中の市長の答弁は寝耳に水というふうな形になっていたんじゃないんですか。市長みずからがご説明なさった、あるいは無理なんだというふうなことを都市環境部長はその方々に言ったんでしょうか。恐らく言ってないんじゃないかなというふうに思っております。また、市長がどのように指示をされておったのかというふうなこともお聞きしておきたいなというふうに思います。
P.54 ◎ 市長(亀井利克)
 
 それから、乱歩館の問題につきましては、担当部長の方から詳しくお話を申し上げますけれども、あの場所に建物というか、そのものを建てていくのは余りふさわしいことではないかなというふうに判断をいたしているわけでございます。ただ、整備はしていかなければならないということも、柳生議員のご質問の中でも申し上げたところでございまして、この乱歩のゆかりの品であったり、あるいはまた、たくさんいただいてる本であったり、そんなものをきちっと展示をさせていただかなければならないと、こんなふうに思っております。
 
P.58 ◎ 都市環境部長(堀永猛)
 
◎都市環境部長(堀永猛) それでは、乱歩整備に関する先ほどの質問についてお答えを申し上げます。
 議員お話しいただきましたように、平成18年度の名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家復元をイメージしました乱歩関連施設の整備に向け、施設計画なり維持管理、運営方針などを検討する旨が承認されたわけでございます。そして、この中で乱歩関連施設整備事業検討委員会を設置するということで決めていただいたわけでございまして、その後、まず庁内でこの委員会に提出すべき整備方針、内容等について関係する部署が寄りまして、数回この内容について検討させていただきました。この内容につきまして、乱歩関連施設整備検討委員会にこういった市の考え方について説明をさせていただき、ご議論いただいたわけでございますが、結果として結論までは至ってないということでございます。
 そういった中で、現在のところ市の考え方としましては、先ほどからも市長の方からも申し上げておりますように、住環境への配慮とか維持管理、運営のあり方、そういったことを含めて施設整備計画を見直しまして、広場として乱歩生誕地域と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩の顕彰の場として整備する方向でこれからまちなか再生委員会の役員会なり検討委員会と引き続いて協議をさせていただくように考えております。
 また、あわせまして寄附を受けておりますミステリー図書や乱歩関連資料などの活用についても、こういったところでも協議をしていただくようにお願いをさせていただきながら進めてまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
 
P.58 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 それと、私は聞いてるんですよ、市長に。だから、広場に乱歩館の建設が困難でどうしてもできないんだ、今の名張市の状況考えてください。そうやって関係者の方々に、最初にお話しなさった方々に市長からご説明をなさったんですか。多分なさってないと思うんです。何も知らないうちにまた総会で承認されて、恐らく予算をつけてくれるであろうな、そのように思っていたのにつかなかった。恐らくそのことがやっぱり関係者にとってはショックじゃなかろうかな、というふうに私は思うわけであります。ですから、その辺のところ、やっぱり結果そういうふうになってしまったと言うならば、やはりその辺のところはしっかりと説明をしてあげて納得のいく形にしてあげていただかなきゃならんな、また納得がいかないというんであれば納得いくまで十分にお話し合いをさせていただかなきゃならんなって、このままの行政のあり方ではその方たちにとっては今本当に不誠実になってしまうし、行政不信にもつながってしまうんじゃないかなというふうに私は思ってしまうわけでございます。
 ………………
 まちなか再生については、先ほど担当部長、都市環境部長、また本当に乱歩館のことに関しては十分な説明責任というのをしっかりと行政で果たしていかないと、やっぱりその関係者の方々というのは納得いかないというふうに思いますんで、どうぞ懇切丁寧な説明をしてあげてください。
 
P.91 ◆ 議員(吉住美智子)
 
 しかし、まちづくりといえば財源と人材の不足が上がってきます。名張市においても、江戸川乱歩の生誕地である本町の旧桝田医院第2病棟の活用について、財政難を理由に、当初検討していました乱歩文学館構想を断念して記念公園に変更するということを先日新聞で拝見しました。
 
P.126 ◆ 議員(梶田淑子)
 
 それから、乱歩事業につきまして、これは桝田病院第2病棟跡、あそこは乱歩の生誕地ということで、市に寄贈していただきました。もちろん市長もそれをいただいた当初から、そこで乱歩の生誕地であるから乱歩の生家をつくるとか、またそれにかかわるミステリー文庫、いただいた文庫を世に出さなければならない、だからそういったものを展示する場所が欲しい。歴史館というか記念館というか、そういうのをつくりたいというような意向をいろんなところで市長、言ってこられたわけです。それを受けてまちなか再生のプロジェクトの長をしておられる方は、一生懸命にいろんなことを考えてきたのですが、しかしこれすら、先日からの質問に対しても、またその以前から、あのとこは公園にしてしまうんやと、モニュメント建てて、そういう公園というものにしていくというふうな言い方をされたがために、一体それは何を考えてるんかなあと、任された人が怒って当たり前ですよね。その方は、実はこの乱歩の事業を進めるについては、やはり図書館に今、乱歩のいろんなことを展示してございます、大事な資料を。その教育委員会として、この乱歩のことを継承していく大事な事業とも含めて、このプロジェクトの中に教育委員会が入っていないのがおかしいということで、まずその方を教育長と次長にお会いしていただき、るるお話し合いもしていただきました。その後、またまちなか再生の担当である部長と室長にも会っていただいて、これから前向きに教育委員会も取り組んでやっていきましょうという話になっていたのですが、何か聞いてますと、それこそ公園だけにしてしまうって、これはおかしいのと違いますか。例えば、予算的にそれがなかっても、その肝心、何をしようとしてたかという目的まで変えてしまうということはおかしいと思います。私はその方ともいろいろお話ししてた中で、今は予算がなかっても、将来こういったことをしようというひとつの市の本旨、まず市長みずからがそのミステリー文庫にしようというような文庫ももらってきたり、桝田病院第2病棟跡、それを受けたんでしょ、もらって。その人が、その市長が何をしようということを明快に出していただいてこそ、市長から言わせれば、市民の方が盛り上がってきたら、私の方はそれについてお金も出していくと、それが協働型やっておっしゃいますけれども、そうじゃないでしょ。それは事と次第によると思うんです。すべてそんなことでは、大きな物事は達成できないんじゃないかなというふうに考えます。
 
P.133 ◎ 市長(亀井利克)
 
 それから、まちなかの中で乱歩の関係のお尋ねがあったわけでございます。当方のこれについての考え方は今議会で申し上げたとおりでございまして、桝田病院第2病棟の部分というのは、地域の方々にとりましては生活の場でもあるわけでございます。そんな中で、さまざまなご意見もいただいてまいりました。よって、この場所は生誕の地であることを表現できる公園の整備をいたしていくのがいいのではないかというふうに思っております。
 ただでございますけれども、ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。
 
P.145 ◆ 議員(梶田淑子)
 
 それから、このまちなかの再生のことにつきましては、いろんな問題点を残しておりますので、都市環境部長、しっかりとそこに携わる人たちと乱歩事業についても、ぐっと煮詰めていただきたいと思います。
 
P.227 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 市長もですね、ある一定の方たちの住民の声を聞いて、乱歩館の建設を考え直されたのではなかったでしょうか。その部分においては、私の考え方と同じではなかったのかなというふうに思っております。まさに公約に触れる部分を修正されたわけであります。
 
 なんとも不毛で幼稚なやりとりがくりひろげられておったわけじゃが、長々と引用したのはほかでもない、名張市にとって乱歩文学館とか乱歩記念館とかといったものがいったいどんな意味をもっているのか、それを確認するためである。
 
 ここに引用した議事録に名前の出てくるみなさんは、おそらく、と決めつけてしまうのは失礼な話であるけれど、あえて決めつけることにして話を進めると、ろくに乱歩作品を読んだこともないかたばかりであろうと推測される。
 
 むろん、そんなことはどうだってかまわない、乱歩を読もうが読むまいが、そんなのは個人の勝手である、ということにしておこう。
 
 ほんとは、どうだってかまわない、ということはないかもしれない。
 
 名張市議会という神聖な場で、名張市民の税金つかって乱歩関連施設をつくるかつくんないか、みたいなことを話し合ってるひとたちが、じつはろくに乱歩作品を読んだことがなく、乱歩のことなんかまるで知らない、なんてことでは、ほんとはよくないかもしれない。
 
 問題あり、というべきかもしれない。
 
 しかしまあ、いまは、どうだってかまわない、ということにしておく。
 
 で、乱歩を読まず、乱歩を知らず、みたいなみなさんが、かくも熱心に乱歩のことを話し合っていらっしゃったのである。
 
 なぜか。
 
 みなさんにはいったい、どんなお考えがあったのか。
 
 それはたぶん、乱歩の名前を名張市のために利用したい、というお考えであろう。
 
 乱歩というのはとにかく名を知られた作家だから、その知名度を利用して名張市をPRすることはできぬものか、名張市を有名にすることはできぬものか、名張市を知るひとや名張市に来てくれるひとを増やすことはできぬものか、といったようなことが、ここにお名前の出てきたお偉いみなさんのお考えであろうと思われる。
 
 ていうか、一般市民レベルにおいても、乱歩を読まず、乱歩を知らず、みたいなひとたちが乱歩の文学館や記念館のことを口にするのは珍しいことではなく、したがってそういったひとたちもまた、乱歩の知名度を名張市のために利用するべきだ、という考えをおもちなのではないかと思われる。
 
 で、そういった考えは、一概に否定されるべきものでもないのではないか、とおれは思うし、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにかやるのであれば、お偉いひとや一般市民のあいだにそういう考えが潜在している、ということを念頭においておくべきであろうな、とも思う。
 
 だから、そういう考えをもっているひとたちの意を、図書館という立場で汲むことも必要なのではないかいな、みたいなことをアドバイスしたわけである。
 
 図書館には図書館の守備範囲というものがあるから、その範囲のなかで、身のたけや身のほどに応じて、本来やるべきことを地道にこつこつ継続して、それを名張市の知名度アップやPR、あるいは乱歩の生誕地である名張市に来てくれるひとを増やすことにつなげればいいのである。
 
 となると、たとえばこんなのはどうよ、ということになる。
 
 (ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
 
 かなり有効だと思う。
 
 いつかも記したとおり、実際の建築物としての乱歩文学館を建築するのではなくて、サイバースペースに乱歩文学館を構築する、という発想である。
 
 しかし、どうよ、といってみたってなあ。
 
 発想そのものを理解できない、とか、発想は理解できても具体的になにをやっていいかがわからない、とか、そのあたりが名張市立図書館のレベルである。
 
 世間一般に照らしてごくごくふつうのレベルであれば、インターネットを活用して乱歩にかんするデータベースを発信する、なんてのはとっくの昔に着手されているはずのことである。
 
 しかし、残念ながら名張市立図書館は、というか、残念ながら名張市は、といったほうがいいのかもしれないけど、世間一般に照らしてごくごくふつうのレベルには手が届いておらんのよ。
 
 ふつうのレベルってのがどんなものかというと、たとえばいつかも紹介した千葉県の市川市立図書館。
 
 あの図書館は地域ゆかりの文学作品にまつわるデータベースをインターネットで公開していたけど、あのあたりがふつうのレベルと呼べるものだと思う。
 
 市川市は人口四十七万人あまりの自治体だが、こんなのは自治体の規模には関係のない話であって、昨今の図書館業界でインターネットの活用によって注目を集めているのは、横芝光町立図書館という小さな自治体の図書館である。
 
 やはり千葉県にある図書館で、いま調べてみたところ横芝光町の人口は二万五千人あまりらしいのだが、その横芝光町立図書館の公式サイト、とくとごらんあれ。
 
横芝町立図書館ホームページ:トップページ
 
 ブログやツイッターまでつかって、ちょっとびっくりするほどの読書情報が発信されておる。
 
 しかし、ここ名張市においては、こういったことはまったく望めない。
 
 なにしろやる気がないし、そもそもなにも考えようとしない。
 
 したがって、アドバイスするだけ無駄、ということにしかならないわけなのじゃが、それではアドバイザーとしては困ってしまう。
 
 だから、困りながらもアドバイスするとしたら、もしもサイバースペースに乱歩文学館を建設するというのであれば、乱歩を名張市の商工観光あたりに結びつけたコンテンツをつくることもいくらだって可能であり、それはそれできわめて重要なことになるわけではあるが、もっとも基本になるのはやっぱこういったデータであろうな。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 しかし、無理である。
 
 こうした作業を進めようと思ったら、最低でも、乱歩作品を読むことが要請される。
 
 だから、無理である。
 
 サイバースペースに乱歩文学館を構築するなんてのは夢のまた夢、結局のところ、こんな看板を掲げておくしかないのではないか。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 しかしなあ、これやんないと、もうどうしようもないぞ。
 
 なんつったって、乱歩ゆかりの桝田医院第二病棟跡が、あんなばかなことになってしまったのだものなあ。
 
 怪しげな神社みたいなスポットになってしまったのだものなあ。
 
 さーあ、名張市に新しい乱歩スポットができたみたいだから、いっちょ行ってみようか、とわざわざ足を運んでくれた乱歩ファンや探偵小説マニアなんて、たぶんひとりもいなかったと思うぞ。
 
 だいたいが、名張市民からさえ見向きもされておらぬではないか。
 
 ばかみたいな話だよね。
 
 桝田医院第二病棟跡のことはもうどうにもならないとしても、乱歩にかんするデータベースをインターネットで発信する、なんてのは、おれが名張市立図書館の嘱託をやっていた当時、一再ならず提案してそのたんびに却下された構想であって、あれはいったいどうしてなのであったかなあ、と振り返ってみることにする。
 
 最初に提案したのはいつだったかというと、二冊目の目録が出たあとだから、平成10・1998年のことであったか。
 
 とりあえず、目録二冊の内容をネット上で公開して、それをみたひとから不備や遺漏を指摘してもらいたい、ということがまずあったし、三冊目の目録はネット上で公開しながら編纂を進めたい、というねらいもあった。
 
 で、そのための予算を要求したのだが、これはあっさり却下された。
 
 だから、とりあえず自分でやろうと考えて、ウェブサイトを開設し、データベースをつくっていった。
 
 三冊目の目録は、当初の考えどおりネット上で公開しながら編纂を進めることができたので、紙の本として出版する以前の段階で、ネット上の目録は完成していた。
 
 三冊目の目録が本のかたちで完成したあと、データベースをネット上で構築するための予算を再度要求したのであったが、これまた却下されてしまった。
 
 その後、まあいろいろあって、なにをいったって、提案したって、要求したって、名張市はもうだめだな、無理だな、動かんな、なにも理解できんのであろうな、と判断せざるをえないことになった。
 
 どうすっかな、と思った。
 
 じつをいうと、自分のサイトで目録三冊のデータを公開していることが、いささか負担に思われてもきた。
 
 個人のサイトなんて、個人が死んでしまえば、その時点でぱーである。
 
 死ななくたって、プロバイダとの契約を解消してしまえば、その時点でぱーになってしまう。
 
 それに、新しいデータをつぎつぎに追いかけ、こまめに更新してゆくのも骨である。
 
 どうすっかな、と思った。
 
 で、いつかも記したとおり、かなり血迷っていたのであろう、NPOでもつくるか、と思いついた。
 
 NPO活動の柱のひとつは、ちゃんとサーバーを確保してインターネットでデータベースを発信する、みたいなことも含め、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料を活用する、ということにするつもりであった。
 
 だから、そのNPOが市立図書館の資料を自由に扱うことが可能かどうか、みたいなことを確認する必要もあったから、そのあたりのことやなんかを文書で名張市に質問したのであったが、回答は寄せられることがなかった。
 
 どうすっかな、と思った。
 
 血迷いつづけて、地元資本の大型書店に話をもっていったりもした。
 
 その書店のサイトに乱歩のデータを掲載できないか、と虫のいいことを考えて、社長さんにお願いしてみた。
 
 乱歩が生まれたまちにある大型書店が、乱歩のデータベースを全国発信するというのは、なかなか面白いのではないか、と考えた。
 
 むろん、名張市立図書館の目録の内容をそのまま掲載するわけではない。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう
 
 こんな感じでデータをまとめ、それを発信することになる。
 
 (ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
 
 つまり、アドバイスの(よん)と(ご)の内容を、地元資本による大型書店のサイトで実現できないか、とずいぶん虫のいいことを考えた次第である。
 
 が、こんな話がうまく進むはずもない。
 
 ブログ内を検索してみたら、ぽしゃった経緯をこのエントリに記してあった。
 
 
 引用しておく。
 
当方のウェブサイト名張人外境は、平成11・1999年10月21日、江戸川乱歩の誕生日を期して開設した。開設にいたる簡単な経緯は、10月24日付エントリに記した。
 
 
サイトのメインコンテンツは、名張市立図書館が発行した『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』という三冊のリファレンスブックである。本来であれば、これらのデータは、乱歩の作品と著書にかんする高度な検索機能をプログラミングしたうえで、名張市立図書館のサイトに掲載されていなければならないのだが、名張市は財政難だからそれができない、ということになっている。リファレンスブックの内容以外に、乱歩にかんする情報も掲載している。最近は更新もとどこおりがちなのだが、いちおうはこんな感じである。
 
名張人外境:トップページ
 
しかし、いつまでも名張市立図書館の著作権を侵害しているわけにもまいらぬであろう。当方、名張地区ぬすっと推進協議会ではないのである。だからサイトを閉鎖して、というか、少なくとも江戸川乱歩リファレンスブックのデータは、いずれ削除してしまわなければなるまい。データそのものはたいへん充実していて、全国に存在する乱歩ファンなどにはおおいに重宝していただいているはずである。その意味では乱歩ファンの共有財産になっているといっても過言ではないのだが、しょせんは個人サイトである。当方が死んだら消滅してしまうものである。しかも当方、澁澤龍彦が死んだ齢まであと四年である。そんな人間が、名張市が面倒をみるべきデータをいつまでも個人として抱えこんでいるのも、なんだかばかみたいな話であると思われる。
 
とはいえ、もう少しなんとかならんものか、とも思われたので、人のふんどしで相撲がとれぬものかどうか、ちょっと考えてみた。書店はどうか、と思いついた。地元大型書店のサイトに、乱歩の作品と著書のデータを掲載して、高度な検索が可能なようにプログラミングする。江戸川乱歩リファレンスブックのデータを流用するわけではまったくないから、名張市立図書館の著作権を侵害することにはならない。ほかに、乱歩にかんする新刊などの情報を掲載してゆけば、それだけで有用なコンテンツになるのだし、乱歩が生まれたまちの書店が乱歩の本にかんする情報を発信する、というのはなかなか面白い話でもある。
 
ただし、無理な話でもあるはずである。当節、書店経営などというのは綱渡りのようなものである。そもそも、出版業界が悲鳴をあげている。新刊点数と書店の床面積は増えつづけているのに、書籍や雑誌の売りあげは相当な勢いで減りつづけている、というのが、本と書店をめぐる現状である。大都市に乱立する大型書店の一店が、ある日突然、閉店になってもふしぎでもなんでもない状況である。名張市だって事情は同様であろう。虫のいい申し出など容れられるわけがない、とは百も承知でいたのだが、とりあえずあたってみるかと考えて、名張市内の某地元大型書店の社長さんから時間を頂戴した。
 
社長さんには親身に話をお聞きいただいたのだが、そもそも成立するはずのない申し出である。むろん当方とて、虫がいいことを口走るだけでは申しわけがないゆえ、乱歩にかんするデータ以外に、オフィシャルサイトにたとえばこんなコンテンツを掲載すれば、乱歩ファンはもとより地域の人たちにも親しまれるのではないか、みたいな提案もそこそこしてはみたのだが、もとより直接的な利益に結びつく話ではない。世間話もまじえていろいろ話しているうちに、ひとつ某地元CATV局に話をもっていってみるか、ということになった。その場の話の流れで、そういうことにしていただいた。
 
 そうだそうだ。
 
 地元資本による大型書店の社長さんからお口添えをいただいて、某地元CATV局にもお邪魔した。
 
 どうなったか。
 
 さらに引用。
 
ちょっとまずいかな、とは思った。当方、地元CATVには加入していないし、これから加入することもないと思う。そんな人間が、えー、こんちこれまた御社のサイトに乱歩のコンテンツをですね、などと申し出るのはいかにも見当ちがいな話である。とはいえ、CATV局が公共性の高い企業であることはまちがいないのだし、名張市が財政難でできないことをCATVが肩代わりするのは無茶苦茶不自然なことでもないであろう。乱歩の出身地にあるCATVのオフィシャルサイトに乱歩にかんするコンテンツがあるというのは、よく考えてみたら面白い話かもしれないなとも思われたので、某地元CATV局の会長さんと社長さんに、別々の日にお会いいただいた。
 
しかしこれは、もちろんそうなるしかないことではあったのだが、話がまったくかみ合わなかった。当方の申し出は、ほとんど常軌を逸したものなのであるから、かみ合わなくてあたりまえである。某地元大型書店にも某地元CATV局にも、こちらから無理をいって時間を頂戴したにもかかわらず、たんに迷惑をおかけしただけの結果に終わってしまった。もちろん、それぞれのトップのかたにお会いでき、話を聞いていただけただけでも、当方にとってはじつにありがたいことであった。おかげですっきりした、もうすっぱりあきらめよう、と考えたのがたしか6月下旬、名張市役所で名張ロータリークラブが教育委員会に「少年少女乱歩手帳」を寄贈した日のことであった。その場に顔を出すようロータリークラブから要請されていたのだが、あいにくと某地元CATV局にお邪魔する先約があったのではたせなかった、その日のことであったと記憶する。
 
 そうだそうだ。
 
 いや懐かしいなあほんとに。
 
 「少年少女乱歩手帳」をつくったころのことであったなあ。
 
 それから、これはブログには記さなかったことで、だから過去のエントリにもとづいて確認することができないのだが、伊賀市に話をもっていったこともある。
 
 伊賀市といったって伊賀市役所ではなく、伊賀市内の某企業なのであるが、伊賀地域のポータルサイトをつくるのはどうよ、みたいな話が出ていて、だったらぜひ乱歩のデータベースを掲載してけろ、と話を進めた。
 
 考えてみれば、乱歩が恩人として慕った川崎克は伊賀上野の人間だし、乱歩のご先祖さまが住んだ家も上野の城下町にあったのだから、伊賀地域全体で乱歩を発信するべきかもしれない、みたいなことにも気がついたのだが、このポータルサイトの話、いまだ完全に死んではいないのだが、ほぼぽしゃってしまったみたいである。
 
 ほかにもいろいろ、わるあがきみたいなことをしてみたのだが、どうにもうまく進まない。
 
 どうしてここまでわるあがきしたのか、理由を考えてみると、個人のサイトでデータベースを背負っているのがしんどい、楽をしたい、ということではなかったか、と思いあたる。
 
 しかもその後、パソコンがぶっ壊れ、サイトを更新するには新しいソフトを購入しなければならぬことになり、しかもインターネットの世界はすっかり進化していて、購入したソフトをつかいこなすにはまたいろいろ勉強しなければならぬことが多くあって、なんかもうやだ、という気になり、しかし、いくら個人がやってるサイトだからって、それなりの使命や責務を背負ってはいるわけで、みたいなことはお役所のみなさんにはとても理解していただけぬであろうが、とにかく最低限の使命や責務をはたすべく、とりあえず新たにブログを開設してかすかに命脈を保っているのではあるが、なんかこんなこと書いてるとほんとにいやになってきた。
 
 あーやだやだ。
 
 ほんとにやだ。
 
 つづく。
 つづき。
 
 アドバイスとしては、こんなのもある。
 
 乱歩関連資料の収集方針をまとめるにあたっては、過去の収集をオーソライズすることも考えたほうがいいかもしれんぞ。
 
 どういうことかというと、名張市立図書館は開館準備の段階から乱歩関連資料を収集していたわけなのであるが、そこには方針だの基準だの、あるいは定義だのといったものはなにもなかった。
 
 いっさいなかった。
 
 なんかもう無茶苦茶、手当たり次第、たとえば古書目録なんかで乱歩の名をみつけたら即買い、みたいな感じの収集だったと思われる。
 
 だから、たとえば、乱歩作品が掲載された雑誌、なんてのが収集されてるわけ。
 
 つまり、初出誌である。
 
 ある作品がはじめて掲載された雑誌のことを、初出誌という。
 
 しかし、わざわざ初出誌を購入しなくたって、単行本でも、全集でも、文庫本でも、乱歩作品はいくらでも読むことができるわけ。
 
 初出誌でなければ読めない乱歩作品というのは、対談や座談会などの談話をべつにすれば、いまやごくわずかしか存在していない。
 
 単に作品を読むためだけなら、初出誌なんか購入する必要はまったくない。
 
 しかも、長篇の連載だったりしたら、連載一回分しか読めない雑誌なんか買って、ばかじゃね? といわれたりするかもしれず、これから先、過去に収集した乱歩関連資料のリストをネット上で公開する、ということになったとしたら、というか、それは当然そうせにゃならんはずなのじゃが、その場合、どうしてこんな雑誌なんか買ったの? ばかなの? という質問が市民から寄せられるかもしれない。
 
 それは困った、とお役所のみなさんは考えるはずである。
 
 お役所のみなさんというのは、市民を平気でだまくらかしやがるくせに、というか、市民を平気でだまくらかしてばかりいやがるがゆえに、市民からのクレームは異常なくらいいやがるものなのである。
 
 だから、全集や文庫本で読めるのに、どうして雑誌まで買ってんの? と市民から尋ねられたとき、しっかり説明できないとまずいぞ、ちゃんとした理由が存在していなければまずいぞ、収集の方針や基準を市民にすらすら述べられなければまずいぞ、換言すれば、過去の収集をオーソライズできないのはまずいぞ、ということになる。
 
 そのあたりの問題もおつむに入れたうえで、ちゃんと考えてちゃんと決めようね、みたいなことも、おれは名張市立図書館にたいしてアドバイスしておる。
 
 なんか、不正行為を指南しているような気もしてくるのじゃが、上に記した問題はどんなふうにクリアすればいいのかというと、初出誌はすべて収集対象です、ということにしてしまうのが手っ取り早い。
 
 生誕地にある公共図書館として乱歩にアプローチし、その作家像に明晰な輪郭を与えるためには初出誌の収集が不可欠です、とか大風呂敷をひろげまくって、ですが、初出誌なんてなかなかみつかりませんし、みつかったとしても購入するお金がありませんから、いまのところはちょっとしか所蔵しておりません、あしからずご了承ください、あらあらかしこ、ということにしてしまえばいいのである。
 
 そうすれば、じゃあ名張市立図書館がもってない初出誌を寄贈してやるぜ、といってくれるような奇特なひとも出てくるかもしれない。
 
 とにかく、明確な収集方針を打ち出すことが必要である。
 
 しっかし、開館から四十年もたったいまになって、こんなことアドバイスしなきゃならないんだからなあ。
 
 なんか笑える。
 
 というか、なんか泣けてくる。
 
 複雑である。
 
 ちょっと話題を変えることにする。
 
 こんな本が出た。
 
 
 紹介文を転載。
 
日本のミステリーの始祖として、厖大な作品と偉大な業績を遺し、いまなお燦然と輝きつづける巨星・江戸川乱歩。そんな先達を敬愛する当代の人気作家たちによる“乱歩小説”を集めた傑作アンソロジー。評伝的要素を盛り込んだ「講談・江戸川乱歩一代記」に始まり、乱歩作品を彷彿させる「新・D坂の殺人事件」、「屋根裏の散歩者」など、読み応え充分の一冊!
 
 いやー、懐かしいなあ。
 
 ここに出てくる「乱歩小説」というのは、名張市立図書館が発行した『乱歩文献データブック』ではじめて使用されたことばであって、つまり、ややおおげさにいえば名張市立図書館が全国発信したコンセプトなのでありフレーズなのであって、この本の巻末に収められた新保博久さんの解説には『乱歩文献データブック』のこともちゃんとお書きいただいてある。
 
 で、世間的には、名張市立図書館は乱歩関連資料として乱歩小説も収集している、ということになっておるわけな。
 
 実際には、こうなのであるが。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 乱歩小説はおろか、乱歩そのひとの作品すらろくに読んだことがない、というのが名張市立図書館なのである。
 
 実際、こんな簡単で基本的な作業をアドバイスしても、たぶん実現は不可能であろうな、と思われるようなレベルなのである。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 乱歩作品についてろくろく知らない図書館が、乱歩作品のパロディやパスティーシュを収集するなんてことは、だれが考えたってどだい無理な話に決まっとろーがよ。
 
 なにしろ、『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』を両手に携え、
 
 「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
 
 などと尋ねてくるようなすっとこどっこいでも余裕で副館長を務められるのが、名張市立図書館というところなのである。
 
 手前はこれまでの長い人生でただのいちどたりとも本と名のつくものを読んだことがありません、と顔に書いてあるような人間が副館長をしたりしてんだから、名張市ももうちょっと気をつかったほうがいいと思うぞ。
 
 図書館というのは市民と接することの多い職場なんだから、そんなところにばかまるだしな職員をむきだしにして野放しにしといてはいかんじゃろう。
 
 ばかまるだしでどうしようもない職員は、できるだけ市民の眼につかぬ部署で静かに静かに飼い殺しにしておくようにね、とアドバイスしておく。
 
 そんなことはともかく、先日も記したとおり、できるかできないかは二次的な問題であると認識し、まず、名張市立図書館は乱歩という作家にかんして、いったいなにをするのか、すればいいのか、するべきなのか、そういったことを考えてみようね、とアドバイスをしておるわけだから、現在ただいまの時点では、乱歩小説もひきつづき収集対象である、ということになっているはずで、この点では過去の収集がオーソライズされているというわけである。
 
 『江戸川乱歩に愛をこめて』の紹介文に戻ると、「講談・江戸川乱歩一代記」は芦辺拓さんの作品で、この講談は旭堂南湖さんによって名張市で初演、東京で再演された。
 
 つまりこれまた名張市から発信したイベントで、むろん新保さんの解説にはそのことも記していただいているのだが、いまの名張市にゃこんな芸当はとてもできない。
 
 わけのわかんない会議を思いつきで発足させてあとはなにもしないとか、乱歩がらみのご町内イベントをぶちかましながら市民から見向きもされないとか、もう無茶苦茶である。
 
 なんか笑える。
 
 というか、なんか泣けてくる。
 
 つづく。
 つづき。
 
 つづきったって、ことのなりゆきはきわめてちんたらしているから、似たようなことをくどくどくどくど綴るだけなり。
 
 名張市立図書館は、ついにめざめた。
 
 乱歩関連資料を収集するのであれば、乱歩関連資料ってなに? いったいなにを集めればいいの? みたいなことを、ちゃんと考えてちゃんと決めなくちゃなんない、ということにめざめた。
 
 で、まだ、考え中、というやつなんだけど、ちゃんと決めた、ということになったとする。
 
 そのあと、どうするか。
 
 公表じゃな。
 
 明文化した収集方針を、名張市立図書館の公式サイトで公表する。
 
 べつに隠しておく必要はない。
 
 手前どもはこれこれこういった方針のもと、乱歩関連資料を収集しております、と堂々と宣言すればいいのじゃ。
 
 そうすると、予想されるメリットのひとつとして、資料を寄贈してくれるひとがあるかもしんない、ということが出てくる。
 
 ものほしげだ、とか、あさましげだ、とか、そんなふうにみえるかもしれないけど、これは名張市立図書館にとって、だいじな使命であり責務である、ということになる。
 
 去年の暮れにもお知らせしたけど、乱歩関連の雑誌四冊、ある乱歩ファンのかたからご寄贈いただいた。
 
 
 このエントリにも書いたとおり、「こうした資料や情報の提供は、名張市立図書館がお受けするべきなのであるが、それが全然できていない」わけなのである。
 
 だから名張市立図書館ではなく、おれという個人が乱歩関連資料のご寄贈をいただく、ということになる。
 
 しかし、おれなんてもう、はっきりいって、いつ死ぬかわからんからな。
 
 あれはきのうのことであったか、全国紙伊賀版のおくやみ欄に地域の名門、名張市立名張中学校で同期だったやつの訃報が載っていた。
 
 合掌。
 
 心から冥福を祈りつつ、やっぱちょっと驚いてしまったのだが、よくよく考えてみたら、というか、べつによくよく考えてみなくたって、実際にはもう、いつ死んだってふしぎではない齢になってるわけな。
 
 だいたいおれなんて、先日ちょっと検査してもらったら、やっぱかなり高いの。
 
 γ-GTPが、かなり高いの。
 
 なんなんだよあのうすらばかはまったく、とか、いっぺん泣かしたらなどんならんな実際、とか、悪態つきながらお酒ばっか飲んでるからだろうな。
 
 だから、やっぱ、すんごく死にやすいって思うわけ。
 
 もしも死んだら、所蔵している蔵書や資料なんて、あっというまにぱーである。
 
 だから、おれという個人が寄贈を受ける、というのはできれば避けるべきであって、乱歩にかんする資料や情報は、名張市立図書館が保存し、管理し、発信する、ということがふつうにできているべきなんだけど、それが全然できておらんのな。
 
 なにしろ、これだもんよ。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 したがって、天下の名張市立図書館、乱歩のファンやコレクターからまったく信用されておらんわけなのな。
 
 しかし、おれとしては、信用されてほしいわけよ。
 
 天下の名張市立図書館ならば、乱歩関連資料を将来にわたって保存し、管理し、それを資料として活用してくれるはずだから、安心して蔵書を寄贈できる、と思ってもらえるだけの信頼を獲得し、乱歩関連資料の寄贈をありがたく受けることこそは、オンリーワンたる名張市立図書館の使命であり責務でもあるわけなんだけど、関係者のだれひとりとして、そんなことは考えてこなかった。
 
 むろん、いまも考えていない。
 
 しかし、おれとしては、考えてほしいわけよ。
 
 だからこそ、乱歩関連資料の収集方針を公式サイトで公表することが、ぜひとも必要なわけなのな。
 
 で、とにかく、公表した、ということにしよう。
 
 それを読んだひとは、なにを考えるか。
 
 たぶん、どんな資料が収集されているのかな、と思うはずである。
 
 だから、名張市立図書館が四十年がかりで収集した乱歩関連資料のリストも、当然のことながら公式サイトで公開することになる。
 
 これは、資料の体系化とか、データベース化とか、そういったことではまったくない。
 
 それ以前の話である。
 
 いまだ活用ではなく、収集という作業にかかわる話である。
 
 これこれこういう本があります、だの、これこれこういう雑誌の何年何月号があります、だの、乱歩関連資料として収集したアイテムのごくごく簡略なリストを公開するだけでいい。
 
 つか、なんでいままでしてこなかったの? とかそういうツッコミも予想されるところではあるけれど、そのあたりはまあ大目にみてやっていただきたい。
 
 なにしろ名張市立図書館、ようやくめざめたところなのである。
 
 前非を悔い、心を入れ替えて、更生の道を歩みはじめたばかりなのである。
 
 長い目、温かい心で、どうぞいましばらく、そっとお見守りいただければ幸甚である。
 
 しかしまあ、実際のところ、乱歩関連資料のしっかりした収集方針をちゃんとした文章にまとめる、なんてのは難しくもなんともない作業であり、そんなことすらできなくていったいなにができる、というレベルの話なんだけど、これまでの手応えから判断すると、そんなことさえ名張市立図書館にとっては手に余ることのようである。
 
 あるいは、これまでに収集した乱歩関連資料のリストをインターネット上に公開するというごく簡単な作業さえ、これはもう乱歩作品を読んだことがなくたっていくらでも可能な作業ではあるんだけど、それさえすんなりとは進まないのではないかという懸念を否定できない。
 
 ほんと、アドバイザーがこんな無責任なこといってていいのかと思うけど、いったいどうなってしまうのだろうね。
 
 段取りとしては、いつかこんなアドバイスもしなければならんな、とは考えているんだけどな。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 もしかしたら、一生かかってもできないかもしれないな。
 
 まだそのあと、こんなのもあるんだけどな。
 
 (ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
 
 以前にも書いたけど、こんなのは夢のまた夢、というしかないのかもしれないな。
 
 ネット上にデータベースを構築するということは、お役所用語でいえばハードではなくてソフトの分野で、毎度おなじみ乱歩記念館だの乱歩文学館だのを建築する、ということにほかならないんだけど、こんなことアドバイスしてみたところで、理解できる人間なんてここらにゃひとりもおらんであろうしなあ。
 
 ほんと、アドバイザーとしては頭を抱えてしまうしかないのよ。
 
 さて、ひとりで悩んでてもしかたないから、犬と散歩に行ってこようか。
 
 帰ってきたら、お酒だお酒だ。
 
 まだ陽は高いけど、お酒だお酒だ。
 
 しかし、おれのγ-GTP、いったいどうなってしまうのだろうね。
 
 つづく。
 名張市民以外のかたから、励ましていただいたり、慰めていただいたり、なにかと気をつかっていただくことが多い。
 
 むろん、乱歩にかんしてである。
 
 以前は、がんばってください、とか、期待してます、とか、そんな感じのものが多かった。
 
 ある時期から、大変ですね、とか、お察しします、とか、そういった感じのものが混じるようになった。
 
 きっかけは、やっぱ、このあたりであろうな。
 
20071122a.jpg
 
 いまでも笑えるからたいしたものであるが、この写真をみて衝撃を受けたひとから、名張って大変なとこなんですね、としみじみ同情され、慰められたことがあった。
 
 最近では、ますます、慰められることが増えてきた。
 
 少し前までは、乱歩にかんして、名張市って結構やるじゃん、という声が多かったのじゃが、すべてばれてしまった、ということじゃな。
 
 とんでもないあほである、ということが、すっかりばれてしまったのじゃ。
 
 だから、励まされるより、慰められることが多くなってきた。
 
 つい先日も、じつにけったいな慰めかたをされてしまった。
 
 わざわざ電話をかけてきてくださって、ばかなのは名張市だけじゃないから、気を落とすな、と心から慰めてくださったかたがあったのである。
 
 なんでも、太宰治ゆかりの自治体が、走れメロスマラソン、みたいなのを開催したらしい。
 
 で、そんなことを知らずにその土地を訪れた太宰ファンが、あまりといえばあまりな仕打ちに、膝から崩れ落ちるほど脱力しまくってしまった、というのである。
 
 だからね、ばかなのは名張市だけじゃないんだから、あんまり落ちこまないようにね、と電話口で慰めていただいたのだが、いやー、どうよ名張市。
 
 なかなか面白いな、と思っておるのではないかな。
 
 走れメロスマラソン大会みたいなこと、名張市でもできないかな、とか思うておるのではないかな。
 
 よろしい。
 
 アドバイスして進ぜよう。
 
 なにしろ名張市乱歩関連事業アドバイザーである。
 
 アドバイスならお手のものである。
 
 では、なにをすればいいのか。
 
 とりあえず、伝統と栄光の名張青蓮寺湖駅伝競走大会じゃ。
 
 これじゃな。
 
20110218b.jpg
 
 この駅伝に、乱歩コスプレ部門を新設するのじゃ。
 
 参加チームは、乱歩にちなんだコスプレで走らなければならんのじゃ。
 
 どうじゃ。
 
 名案じゃろうが。
 
 怪人二十面相が走る。
 
 明智小五郎が走る。
 
 少年探偵団が走る。
 
 一寸法師が走る。
 
 蜘蛛男が走る。
 
 黄金仮面が走る。
 
 魔術師が走る。
 
 盲獣が走る。
 
 恐怖王が走る。
 
 黒蜥蜴が走る。
 
 人間豹が走る。
 
 人間椅子が走る。
 
 蟲が走る。
 
 蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲、みたいな感じで走る。
 
 芋虫が走る。
 
 走れるか?
 
 芋虫、走れるか?
 
 芋虫が走れるかどうかはともかくとして、なかなか面白いではないか。
 
 よいか。
 
 名張青蓮寺湖駅伝競走大会に乱歩コスプレ部門を新設せよ、というのが、名張市乱歩関連事業アドバイザーの心からなるアドバイスである。
 
 いっぽう、名張市立図書館へのアドバイスはどうか。
 
 なんか、とてもおかしな感じなんよね。
 
 予想はできていたことなんだけど、なんかほんと、もうぐだぐだな感じなんよね。
 
 どういうことかというと、ま、アドバイスはこうである。
 
 (いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
 
 で、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということが、名張市立図書館の手で進められつつある。
 
 とりあえず、収集の方針みたいなものを明文化してみようね、とアドバイスして、その作業が進められつつあるわけなんだけど、これがもうぐだぐだ。
 
 はっきりいって、無理。
 
 無理であることが明白。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料の収集方針を明文化するのは無理、ということはいまや明白である。
 
 しかしまあ、最終的な結論はまだである。
 
 もうちょっとやってみようか、みたいな感じのアドバイスをしてある。
 
 つまり、まだ引導は渡していない。
 
 しかし、とにかくぐだぐだである。
 
 ひどいものである。
 
 たとえば、どうひどいか。
 
 おれ個人の考えは、以前からもいってるとおり、乱歩の自己収集を継承するのがよかろうっちゃ、ということである。
 
 この考えに賛意を表してくれる乱歩の関係者やファン、探偵小説マニアは、たぶん少なからず存在しているはずである。
 
 では、名張市立図書館はどう考えているのか。
 
 収集方針を明文化してみようね、とのアドバイスを受けて、文章が試作される。
 
 それがアドバイザーに提示される。
 
 読んでみる。
 
 乱歩の自己収集をどうこう、みたいな文言が記されてる。
 
 おれ、びっくりする。
 
 なんなんだよ、と思う。
 
 それはそうであろう。
 
 乱歩の自己収集がどんなものなんだか、おれにはある程度、理解できている。
 
 しかし、名張市立図書館にはまったく理解できていない。
 
 これから先も、理解できるようになるための努力はなされない、と予測される。
 
 理解できてもおらず、理解しようとするつもりもないくせに、乱歩の自己収集がどうのこうの、などとしれっと書いてどうする。
 
 うそじゃねーかそんなもん。
 
 そんなとこで大うそかましてどうする。
 
 しかし、驚くにはあたらぬであろう。
 
 以前から記しておるとおり、お役所のみなさんってのは、ほんとに平気でうそをつくわけ。
 
 息をするようにうそをつく、ということばがそのままあてはまる。
 
 そんなことはありません、とはいえぬであろう。
 
 名張市役所のみなさんには、そんなことはありません、手前どもはうそなどつきません、とは絶対にいえぬであろう。
 
 じゃあ、あれはなんなんだ、年末から年始にかけての名張市長お忍び大作戦の巻はいったいなんだったんだ、といわれたら、名張市役所のみなさんにゃぐうの音も出んのではないかいな。
 
 ほんと、あれはいったい、なんだったんだろうな。
 
 さっばりわけがわからん。
 
 しかし、わけはさっぱりわからんながら、ただひとつ歴然たる事実として示されているのは、名張市長が秘書室あたりにたいし、市民にうそをつくように、とお命じになった、ということであろう。
 
 なんでそんなうそが必要だったのか、どうしてわざわざお忍びにしなきゃなんなかったのか、そのあたりのことはさっぱりわからんわけだけれど、ま、お役所の人間ってのはやっぱ、市民に平気でうそをつきやがるんだな、とおれは思った。
 
 というか、おれなんかこれまでにさんざっぱら、名張市役所のみなさんからうそをつかれたり、ごまかされたり、だまくらかされたりしてきたから、はじめて思った、というのではなくて、あらためて思った、ということになるのじゃがな。
 
 ついでに書いとくと、この名張市長お忍び大作戦の巻、あるいは、名張市長雲隠れ大騒動の巻、みたいなタイトルでもいいと思うけど、この件ではもうひとつ、思ったことがあった。
 
 それは、やっぱ神さまっているんだな、ということである。
 
 神さまったって漫才の神さまということになるんだけど、とにかくこんな上ネタ、漫才の神さまからの思いがけないお年玉だっちゃ、というしかないわな実際。
 
 それはそれとして、いくらうそをつくのが得意だからといって、わけもわかんないくせに乱歩の自己収集がどうのこうのとか、そんな大うそ書いてどうするの、という話なわけである。
 
 うそじゃねーかそんなもん、というアドバイザーのことばを受けて、名張市立図書館はどうしたのか。
 
  じゃあ消します、といって、乱歩の自己収集がどうのこうの、というフレーズを削除してしまったのである。
 
 おれ、びっくりする。
 
 なんなんだよ、と思う。
 
 ほんと、なんにも考えてないんだな、ひとのことばを借りただけだったんだな、それを意味も考えずコピー&ペーストしただけだったんだな、と思ってびっくりする。
 
 もとより予想されたことではあったけれど、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、というごくあたりまえのことが、名張市立図書館にはまったくできない、ということなわけな。
 
 アドバイザーとしては、ただただ泣けてくる。
 
 よし、それならばもう、とりあえず収集方針が明文化された時点で、それにもとづいて市長判断を仰ぐことにすっか。
 
 といったって、期限を切るとか、急がせるとか、そういうことはまったくしてないから、いつになるかはまったくわからない。
 
 つづく。
 
 この茶番、まだまだつづく。
 寒くて寒くて、身も心も小さく小さくちぢこまってしまうような日がつづくけれど、ご閲覧の諸兄姉はお元気か。
 
 なんかほんと、ぱぁーっと明るい気分になれない日が多いような気がする。
 
 雪も降ったしな。
 
 ま、なんとなくうれしかったけどな。
 
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 では、なんかもううんざり、みたいな気もするのじゃが、アドバイスの現状と見通し、のつづき。
 
 (さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
 
 このアドバイスは、このままのかたちでは伝えてないのだが、似たようなことは進言している。
 
 名張市立図書館がどうして乱歩関連資料を収集しているのか、というと、開館した時点でそんなふうに決まっていたから、なのである。
 
 お役所名物である前例墨守体質のしからしむるところではあろうけれども、四十年も前に決まったことなんだから、いちど見直してみるのもいいんじゃね? つか、見直すべきじゃね? ということは、アドバイスとして伝えてある。
 
 四十年という時間経過の問題も、むろんある。
 
 つまり、四十年のあいだに状況が変化する、ということは当然あるから、四十年前には正当であったことも、いま判断すれば不当なものになってしまっている、みたいなことがあるかもしんない、ということである。
 
 それが、四十年という時間経過の問題、というやつであって、そういう問題があるから見直しが必要になる、ということはもちろんあるのじゃが、それとはべつに、四十年も前に決まったことといったって、深い考えがあってのことではまったくなかった、という問題もある。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決めた、ということではまったくなかった。
 
 ただの思いつきである。
 
 どんな思いつきか、というと、まず、当時の名張市には、乱歩記念館とか乱歩文学館とかを建設しよう、という思いつきが存在していた。
 
 だから、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集には、乱歩記念館とか乱歩文学館とかを建設するための準備作業、といった側面があった。
 
 図書館が集めた資料は、いずれ記念館とか文学館とかの収蔵品になる、という寸法である。
 
 そのせいかして、関係者一同、乱歩関連資料ってのは展示品や陳列物のことだ、と考えていたらしい節がある。
 
 つまり、乱歩の色紙や書簡や生原稿、あるいは値の張る古書、そういったものが資料である、と考えていたらしい節があるのである。
 
 どうも、そんな気がする。
 
 いやまあ、そんなことはかまわない。
 
 乱歩記念館だの乱歩文学館だの、そういったものを建設しようという四十年前の発想そのものは、けちをつけられなければならぬようなものではない。
 
 問題は、当時の名張市において、乱歩記念館がどうの、乱歩文学館がこうの、あるいは名張市立図書館がどうのこうの、とかまびすしくさえずっておった関係者のなかには、まともに乱歩作品を読んでいた人間などひとりもおらんかった、ということなのである。
 
 乱歩作品を読もうともせず、乱歩のことを知ろうともせんようなひとたちが、深い考えなどなにもなく、ただの思いつきではじめてしまったのが、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集なのであった、ということなのである。
 
 読むということにも、考えるということにも、ともに無縁なひとたちが寄り集まって、さあ乱歩記念館だ、乱歩文学館だ、名張市立図書館だ、乱歩関連資料の収集だ、と無駄に幅を利かせていた。
 
 それが四十年ほど前の名張市の実態であった。
 
 しかし、ただの思いつきではじめられたことであっても、その思いつきをあとからフォローすることは、いくらだって可能である。
 
 まともな人間が、ちゃんと考えてちゃんと決めさえすれば、乱歩関連資料の収集を意義あるものにすることは可能である。
 
 あるいは、ちゃんと考えてみた結果、乱歩関連資料を収集することには意義が認められない、という結論にたどりつき、だったら収集は中止しよう、とちゃんと決めてしまうこともまた可能である。
 
 どんな結論が出されるにせよ、事業の本質を最初からよく考えてみるというのが、すなわち見直しということなのである。
 
 だから、アドバイスとしては、こうなるわけな。
 
 (さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
 
 しかし、よーく考えてみようね、ったって、なあ。
 
 見直してみようね、ったって、なあ。
 
 いくら懇切丁寧にアドバイスしてみたところで、なあ、という悲観的な気分を拭いきれない。
 
 なんともむなしい気分になってきてしかたないのではあるが、アドバイザーたるもの、あまり悲観的になってもおられんからなあ。
 
 先に進もう。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 以前にも記したとおり、このアドバイスは勇み足であったかな、といささか反省している。
 
 先を急ぎすぎていたみたいである。
 
 だから、現段階のアドバイスは、とりあえず(いち)だけ、ということにしておいたほうがいいだろう。
 
 (いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
 
 最初からあれこれ並べ立てては、考えられることも考えられなくなってしまう。
 
 しかし、この(よん)は、名張市立図書館によってぜひとも手がけられるべきことである。
 
 ほかにこんなことができるところは、どこにも存在しない。
 
 名張市立図書館がオンリーワンなのである。
 
 といったって、難しいことではまったくない。
 
 お金がかかることでもまったくない。
 
 乱歩が何年何月何日にどんな作品を発表したのか、その作品はその後どういったところに収録されたのか、といったことをはじめとして、作品個々のデータをまじめにこつこつまとめればそれでいいのである。
 
 だからいずれ、この(よん)をアドバイスすることになるかもしれんのだが、そのアドバイスを受けて名張市立図書館がどんな判断をくだすか、それはわからない。
 
 おれが決めることではないから、見通しは立てられない。
 
 ただまあ、かりにこの(よん)が受け容れられて、名張市立図書館が収集資料にもとづきながら乱歩作品個々のデータをまとめていく、と決めたとしても、実際にそんなことはできないであろう、ということなら容易に見通せる。
 
 それはもう、そうに決まっておるのである。
 
 そもそも名張市立図書館は、乱歩という作家に興味もなければ関心もないのである。
 
 乱歩がどんな作品を書いたのかも、まったくといっていいほど知らんのである。
 
 乱歩が生まれた土地にある公共図書館なんだし、いずれ乱歩記念館とか乱歩文学館とかをつくることにもなるはずだから、とりあえず乱歩関連資料を収集すればいいんじゃね? と深い考えもなくただの思いつきで決めてしまい、そのあともまたなにも考えることなくずーっと過ごしてきただけの図書館なんだから、乱歩作品個々のデータをまとめる、なんて芸当はとてもできない。
 
 ただまあ、そんなことをいうのであれば、(いち)の見通しだって同様である。
 
 乱歩関連資料はとりあえずみんな、なんでもかんでも、手びろく集めます、みたいな方針が決められたとしても、その実現可能性というのはきわめて低い。
 
 なにしろ、名張市立図書館は乱歩のことなどほぼなにも知らんからである。
 
 知ろうともせんからである。
 
 それはまあ、たとえばこの本ならば、名張市立図書館にだって収集できるであろう。
 
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 大手から出ている文庫本である。
 
 眼にとまらないわけがない。
 
 しかし、ここいらのマイナーどころとなると、とても無理である。
 
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 表紙の下のほうに印刷されているとおり、長田育恵さんの「乱歩の恋文」という戯曲が収録されている。
 
 どんな戯曲かというと、ま、こんなんである。
 
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 ところで、名張市の提唱で発足し、みごとになーんにもしておらん乱歩都市交流会議はどうしておるのかな。
  
 
 どうせなにいってやったってなにもできないであろうからなにもいわんが、乱歩夫妻が主役を張ったこのお芝居、乱歩都市交流会議にとっては絶好の素材だと思われる、とは記しておこう。
 
 で、「乱歩の恋文」が掲載された「シアターアーツ」みたいなものもきっちり集めます、ということにしないと、乱歩関連資料はとりあえずみんな、なんでもかんでも、手びろく集めます、ということにはならない。
 
 しかし、実際には、とてもできない。
 
 乱歩に興味も関心もなく、乱歩作品もろくに読んだことがありません、みたいなこといってる名張市立図書館に、そんな芸当はとてもできない。
 
 今後の見通しというやつを記すならば、資料の収集だの活用だのといくら大風呂敷をひろげてみたところで、名張市立図書館にゃまともなことはなにひとつできまい、ということになる。
 
 そんなことは、火をみるよりも明らかである。
 
 だから、アドバイザーとしては、もうやめたら? 乱歩から手を引いたら? 無理しなくたっていいと思うけど? などとやさしいことばをかけたりもしておるのじゃが、名張市立図書館は首を縦に振らない。
 
 ならば、いたしかたない。
 
 なにも知らない、なにもできない、という現状はいったん横へおいて、つまり、甲羅に似せた穴を掘ることはやめて、すなわち、できるかできないか、ということを考えるのはあとまわしにして、まず、名張市立図書館は乱歩という作家にかんして、いったいなにをするのか、すればいいのか、するべきなのか、そういったことを考えてみようね、と現在ただいま、おれはアドバイスをしておるわけだっちゃ。
 
 どんな結論が出てくるのかはわからんけど、名張市立図書館が乱歩にかんしてどの程度まで考えを深めるのか、アドバイスしながらそれをきっちり見極めるのが、アドバイザーたるおれのお仕事、ということになるであろうな。
 
 で、最終的には、先日も記したとおり、市長判断を仰ぐ、ということになると思う。
 
 なんかほんと、もううんざりだっちゃ、という気もするけど、けけけ、とても楽しみだっちゃ、という気もするしな。
 
 つづく。

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