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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 寒くて寒くて、身も心も小さく小さくちぢこまってしまうような日がつづくけれど、ご閲覧の諸兄姉はお元気か。
 
 なんかほんと、ぱぁーっと明るい気分になれない日が多いような気がする。
 
 雪も降ったしな。
 
 ま、なんとなくうれしかったけどな。
 
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 では、なんかもううんざり、みたいな気もするのじゃが、アドバイスの現状と見通し、のつづき。
 
 (さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
 
 このアドバイスは、このままのかたちでは伝えてないのだが、似たようなことは進言している。
 
 名張市立図書館がどうして乱歩関連資料を収集しているのか、というと、開館した時点でそんなふうに決まっていたから、なのである。
 
 お役所名物である前例墨守体質のしからしむるところではあろうけれども、四十年も前に決まったことなんだから、いちど見直してみるのもいいんじゃね? つか、見直すべきじゃね? ということは、アドバイスとして伝えてある。
 
 四十年という時間経過の問題も、むろんある。
 
 つまり、四十年のあいだに状況が変化する、ということは当然あるから、四十年前には正当であったことも、いま判断すれば不当なものになってしまっている、みたいなことがあるかもしんない、ということである。
 
 それが、四十年という時間経過の問題、というやつであって、そういう問題があるから見直しが必要になる、ということはもちろんあるのじゃが、それとはべつに、四十年も前に決まったことといったって、深い考えがあってのことではまったくなかった、という問題もある。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決めた、ということではまったくなかった。
 
 ただの思いつきである。
 
 どんな思いつきか、というと、まず、当時の名張市には、乱歩記念館とか乱歩文学館とかを建設しよう、という思いつきが存在していた。
 
 だから、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集には、乱歩記念館とか乱歩文学館とかを建設するための準備作業、といった側面があった。
 
 図書館が集めた資料は、いずれ記念館とか文学館とかの収蔵品になる、という寸法である。
 
 そのせいかして、関係者一同、乱歩関連資料ってのは展示品や陳列物のことだ、と考えていたらしい節がある。
 
 つまり、乱歩の色紙や書簡や生原稿、あるいは値の張る古書、そういったものが資料である、と考えていたらしい節があるのである。
 
 どうも、そんな気がする。
 
 いやまあ、そんなことはかまわない。
 
 乱歩記念館だの乱歩文学館だの、そういったものを建設しようという四十年前の発想そのものは、けちをつけられなければならぬようなものではない。
 
 問題は、当時の名張市において、乱歩記念館がどうの、乱歩文学館がこうの、あるいは名張市立図書館がどうのこうの、とかまびすしくさえずっておった関係者のなかには、まともに乱歩作品を読んでいた人間などひとりもおらんかった、ということなのである。
 
 乱歩作品を読もうともせず、乱歩のことを知ろうともせんようなひとたちが、深い考えなどなにもなく、ただの思いつきではじめてしまったのが、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集なのであった、ということなのである。
 
 読むということにも、考えるということにも、ともに無縁なひとたちが寄り集まって、さあ乱歩記念館だ、乱歩文学館だ、名張市立図書館だ、乱歩関連資料の収集だ、と無駄に幅を利かせていた。
 
 それが四十年ほど前の名張市の実態であった。
 
 しかし、ただの思いつきではじめられたことであっても、その思いつきをあとからフォローすることは、いくらだって可能である。
 
 まともな人間が、ちゃんと考えてちゃんと決めさえすれば、乱歩関連資料の収集を意義あるものにすることは可能である。
 
 あるいは、ちゃんと考えてみた結果、乱歩関連資料を収集することには意義が認められない、という結論にたどりつき、だったら収集は中止しよう、とちゃんと決めてしまうこともまた可能である。
 
 どんな結論が出されるにせよ、事業の本質を最初からよく考えてみるというのが、すなわち見直しということなのである。
 
 だから、アドバイスとしては、こうなるわけな。
 
 (さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
 
 しかし、よーく考えてみようね、ったって、なあ。
 
 見直してみようね、ったって、なあ。
 
 いくら懇切丁寧にアドバイスしてみたところで、なあ、という悲観的な気分を拭いきれない。
 
 なんともむなしい気分になってきてしかたないのではあるが、アドバイザーたるもの、あまり悲観的になってもおられんからなあ。
 
 先に進もう。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 以前にも記したとおり、このアドバイスは勇み足であったかな、といささか反省している。
 
 先を急ぎすぎていたみたいである。
 
 だから、現段階のアドバイスは、とりあえず(いち)だけ、ということにしておいたほうがいいだろう。
 
 (いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
 
 最初からあれこれ並べ立てては、考えられることも考えられなくなってしまう。
 
 しかし、この(よん)は、名張市立図書館によってぜひとも手がけられるべきことである。
 
 ほかにこんなことができるところは、どこにも存在しない。
 
 名張市立図書館がオンリーワンなのである。
 
 といったって、難しいことではまったくない。
 
 お金がかかることでもまったくない。
 
 乱歩が何年何月何日にどんな作品を発表したのか、その作品はその後どういったところに収録されたのか、といったことをはじめとして、作品個々のデータをまじめにこつこつまとめればそれでいいのである。
 
 だからいずれ、この(よん)をアドバイスすることになるかもしれんのだが、そのアドバイスを受けて名張市立図書館がどんな判断をくだすか、それはわからない。
 
 おれが決めることではないから、見通しは立てられない。
 
 ただまあ、かりにこの(よん)が受け容れられて、名張市立図書館が収集資料にもとづきながら乱歩作品個々のデータをまとめていく、と決めたとしても、実際にそんなことはできないであろう、ということなら容易に見通せる。
 
 それはもう、そうに決まっておるのである。
 
 そもそも名張市立図書館は、乱歩という作家に興味もなければ関心もないのである。
 
 乱歩がどんな作品を書いたのかも、まったくといっていいほど知らんのである。
 
 乱歩が生まれた土地にある公共図書館なんだし、いずれ乱歩記念館とか乱歩文学館とかをつくることにもなるはずだから、とりあえず乱歩関連資料を収集すればいいんじゃね? と深い考えもなくただの思いつきで決めてしまい、そのあともまたなにも考えることなくずーっと過ごしてきただけの図書館なんだから、乱歩作品個々のデータをまとめる、なんて芸当はとてもできない。
 
 ただまあ、そんなことをいうのであれば、(いち)の見通しだって同様である。
 
 乱歩関連資料はとりあえずみんな、なんでもかんでも、手びろく集めます、みたいな方針が決められたとしても、その実現可能性というのはきわめて低い。
 
 なにしろ、名張市立図書館は乱歩のことなどほぼなにも知らんからである。
 
 知ろうともせんからである。
 
 それはまあ、たとえばこの本ならば、名張市立図書館にだって収集できるであろう。
 
20101213a.jpg
 
 大手から出ている文庫本である。
 
 眼にとまらないわけがない。
 
 しかし、ここいらのマイナーどころとなると、とても無理である。
 
20110215b.jpg
 
 表紙の下のほうに印刷されているとおり、長田育恵さんの「乱歩の恋文」という戯曲が収録されている。
 
 どんな戯曲かというと、ま、こんなんである。
 
名張人外境ブログ:演劇:乱歩の恋文(2010年11月19日)
名張人外境ブログ:乱歩の恋文をめぐる旅(2010年11月27日)
名張人外境ブログ:長田育恵さんの「乱歩の恋文」(2010年11月29日)
名張人外境ブログ:シアターアーツ到着(2010年12月26日)
名張人外境ブログ:雑誌:乱歩の恋文(2011年1月5日)
名張人外境ブログ:横取りされた役(2011年1月9日)
 
 ところで、名張市の提唱で発足し、みごとになーんにもしておらん乱歩都市交流会議はどうしておるのかな。
  
 
 どうせなにいってやったってなにもできないであろうからなにもいわんが、乱歩夫妻が主役を張ったこのお芝居、乱歩都市交流会議にとっては絶好の素材だと思われる、とは記しておこう。
 
 で、「乱歩の恋文」が掲載された「シアターアーツ」みたいなものもきっちり集めます、ということにしないと、乱歩関連資料はとりあえずみんな、なんでもかんでも、手びろく集めます、ということにはならない。
 
 しかし、実際には、とてもできない。
 
 乱歩に興味も関心もなく、乱歩作品もろくに読んだことがありません、みたいなこといってる名張市立図書館に、そんな芸当はとてもできない。
 
 今後の見通しというやつを記すならば、資料の収集だの活用だのといくら大風呂敷をひろげてみたところで、名張市立図書館にゃまともなことはなにひとつできまい、ということになる。
 
 そんなことは、火をみるよりも明らかである。
 
 だから、アドバイザーとしては、もうやめたら? 乱歩から手を引いたら? 無理しなくたっていいと思うけど? などとやさしいことばをかけたりもしておるのじゃが、名張市立図書館は首を縦に振らない。
 
 ならば、いたしかたない。
 
 なにも知らない、なにもできない、という現状はいったん横へおいて、つまり、甲羅に似せた穴を掘ることはやめて、すなわち、できるかできないか、ということを考えるのはあとまわしにして、まず、名張市立図書館は乱歩という作家にかんして、いったいなにをするのか、すればいいのか、するべきなのか、そういったことを考えてみようね、と現在ただいま、おれはアドバイスをしておるわけだっちゃ。
 
 どんな結論が出てくるのかはわからんけど、名張市立図書館が乱歩にかんしてどの程度まで考えを深めるのか、アドバイスしながらそれをきっちり見極めるのが、アドバイザーたるおれのお仕事、ということになるであろうな。
 
 で、最終的には、先日も記したとおり、市長判断を仰ぐ、ということになると思う。
 
 なんかほんと、もううんざりだっちゃ、という気もするけど、けけけ、とても楽しみだっちゃ、という気もするしな。
 
 つづく。
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