忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[1063] [1049] [1043] [991] [1045] [989] [990] [992]

江戸川乱歩年譜集成

昭和19年●1943 昭和21年●1945(上半期)

 

昭和二十年(一九四五)

 

年齢:五十歳→五十一歳、数え年五十二歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

戦災記【昭和二十年度】

昭和二十年度の主な出来事

私の身辺の主な出来事

家族を疎開させる

空襲罹災記

月給取り志願

栄養失調

地下の別宴

白菊塚の調査

戦争末期に死亡した作家たち

蘭郁二郎

甲賀三郎

田中早苗

大阪圭吉

井上良夫

〔余白に〕罹災直後の手紙

 

一月一日(月)

□雑誌□「日の出」一月号(第十四巻第一号)の奥付発行日。「たのもしい隣組防空陣」が掲載された。

 

一月

《【一月】○米軍ルソン島に上陸開始○米機伊勢神宮を爆撃す》

 

二月十四日(水)

甲賀三郎が五十一歳で死去。

《【二月】十四日、甲賀三郎、少国民文化協会の用務にて九州に出張の帰途、車中にて発病、岡山市に下車、同市病院にて肺炎のため急死す。(追記、昨十九年一月、蘭郁二郎、報道班員として出発の際、台湾にて飛行機事故のため準戦死)》

 

三月

《【三月】○帝都夜間大空襲、江東方面焦土と化す○国民義勇隊結成を決す》

 

四月

母と妻を福島県保原町の小林という売薬業者宅二階に疎開させた。池袋で世話になっていた野口という運送業者が娘の嫁ぎ先を疎開先として紹介してくれた。町はずれの東条という百姓家の土蔵の二階も蔵書の保管用に借りた。[探偵小説四十年 家族を疎開させる/昭和32年1月]

《【四月】月初めに家族全部を福島県保原町の知合いの家に疎開させ、私ひとり池袋の家に残る》

 

四月十三日(金)

豊島区を含む数区が空襲で被害を受けたが、乱歩邸は奇跡的に罹災しなかった。[探偵小説四十年 空襲罹災記/昭和32年1月、2月]

《【四月】十三日夜、B29の大空襲あり、池袋地区焼野原となる。私の町会は南の半分が焼失し、隣組も全焼したが、私の家一軒だけ不思議に助かった》

 

四月二十五日(水)

井上良夫が三十六歳で死去。

《【四月】二十五日、井上良夫、名古屋市の自宅にて病死》

 

四月二十六日(木)

福島県の母と妻に手紙を出し、空襲による罹災状況を報告した。[探偵小説四十年 〔余白に〕罹災直後の手紙]

 

四月

《【四月】○米軍沖縄本土上陸○七日鈴木貫太郎内閣成立○大空襲、明治神宮空襲に焼く○皇土決戦訓布さる》

 

五月

町会で親しくなった代議士の小笠原三九郎と豊島区翼壮団長だった食糧営団理事の横山敬教に就職を相談し、両者から勤め口を世話された。横山から紹介された食糧営団の福島県支部長を選び、履歴書も提出して終戦直前に就職が確定した。[探偵小説四十年 月給取り志願/昭和32年3月]

《【五月】数年にわたる坐食のため貯蓄もほとんど使い果たし、収入の道を講ぜざるを得なくなり、小笠原大蔵次官と、横山翼壮団長とに就職のことを頼む》

蘭郁二郎死後の世話を引き受けている医師、道又慶治から蘭の墓標を書くよう頼まれ、多磨墓地まで出かけて事務所で木標に筆を執った。[探偵小説四十年 蘭郁二郎/昭和32年4月]

《【五月】○名古屋城空爆焼失○連続三日大空襲、宮城炎上、東京大半焦土と化す》

 

このころ

大腸カタルになり、医者のいうとおりにしてもなかなか治らなかった。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月]

 

五月二十五日(金)

池袋一帯に空襲があったが、乱歩邸の被害は軽微だった。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月]

《【五月】下旬、病気のため町会役員を辞任。二十五日、池袋地区に再度の大空襲あり、焼け跡に焼夷弾筒林立す。私の家も再度火を受けたが大事に至らず消しとめた》

田中早苗が六十歳(六十一歳か)で死去。

《【五月】二十五日、田中早苗、奈良の疎開先にて病死》

 

六月八日(金)

福島県保原町へ汽車で疎開した。蔵書は新聞紙に包んで米俵に詰め、荷馬車で駅へ往復して貨車に積み込んだ。出発前には大下宇陀児の半地下壕の住居で水谷準もまじえて別離の宴を張った。保原町では骨と皮ばかりになってしまい、下腹部を押さえると背骨にさわることができた。東京に帰ることなど思いもよらなかった。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月│地下の別宴/昭和32年3月]

《【六月】七日、書籍家具等を貨車一台を借りて疎開地に積み出し、翌八日、私自身も病気療養のため家族の疎開地に移る。大下君の家は四月十三日の空襲で全焼し、防空壕の中で、大下、水谷両君と別盃を酌み、別れの歌を高唱した》

 

六月

《【六月】国民義勇隊編成され、私は豊島区義勇隊の三人の副隊長の一人に選ばれたが、病気のため実際の仕事はしなかった。(区の隊長は区長)》

《【六月】○大政翼賛会解散○重大御前会議》

 

七月二日(月)

大阪圭吉が三十三歳で死去。

《【七月】二日、大阪圭吉戦死》

 

八月十五日(水)

ラジオで玉音放送を聞いたが、保原でははっきり聞き取れず、あとの放送や新聞で内容を知った。数日間は国民が混乱と放心の状態にあったが、占領軍の方針が温和であることがわかってきた。アメリカが占領するのだから探偵小説はすぐ復活すると病床で考えた。[探偵小説四十年 栄養失調/昭和32年3月]  

《【八月】十五日の終戦大詔の御放送を疎開先の病床に聴く、息子隆太郎、土浦航空隊より疎開先に帰還す》

 

八月

《【八月】○広島に原子爆弾投下さる○ソ連対日宣戦を布告す○長崎に原子爆弾投下○十日午前七時ポツダム宣言受諾を通告す○最後の御前会議、終戦の勅書渙発○十五日正午天皇陛下終戦の大詔御放送○東久邇宮内閣成立○娯楽興行再開○三十日連合国最高司令官マッカーサー厚木に着す》

 

九月

《【九月】○東京湾内ミズリー艦上に降伏調印文書調印行わる○プレスコード指令さる》

 

十月なかば

十月なかばごろから月末にかけて、江の島に伝わる稚児が淵伝説の主人公、白菊丸の塚に調査に通った。[探偵小説四十年 ──/昭和32年3月(白菊塚の調査)]

 

十月

《【十月】○幣原喜重郎内閣成立○日本国軍の解体完了○「アカハタ」再刊さる○第一回宝籤売出し》

 

十一月七日(水)

福島県保原町の疎開先から、貨車二輌分の書籍、家財とともに家族四人で帰宅した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

《【十一月】病気が全快せず帰京がおくれていたが、この月上旬、漸く家族と共に池袋の家に帰る》

 

十一月末

大下宇陀児夫妻と水谷準夫妻を招き、牛肉のすき焼きと生ビールで帰京挨拶の会を開いた。探偵小説の復興について話したが、大下も水谷も茫然自失の体だった。このころから出版社が多く訪れるようになり、探偵小説流行の兆しを感じた。前田出版社からは新たに創刊する探偵雑誌の主幹になるよう依頼があり、引き受けるつもりになった。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十一月

《【十一月】○日本社会党結成○財閥解体指令さる○芸能統制廃止》

 

十二月十二日(水)

お茶の水文化アパートあとにあった出版協会に出版助成会社業務部長となった本位田準一を訪ねたが、北海道から帰っていなかった。牛込の大橋邸内の博文館に立ち寄り、水谷準、横溝武夫と話して帰った。七大出版社が営業停止になるというデマがあり、「新青年」を探偵小説雑誌に戻すよう説いても、二人の耳には入らなかった。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月十四日(金)

日記を書き始め、翌二十一年十一月六日までつづけた。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

夜、渡辺健治を招いて探偵雑誌編集の相談役となるよう頼んだ。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月十六日(日)

渡辺健治と小石川原町の前田豊秀を訪ね、探偵雑誌について相談。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月十七日(月)

前田豊秀来訪。本位田準一に相談するまで編集に関する決定を延期した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月二十一日(金)

大下宇陀児来訪。蔵書を全焼した大下に出版用として大下の著作数冊を呈した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月二十二日(土)

本位田準一来訪。探偵雑誌のことを話した。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月三十日(日)

渡辺健治の提案で誌名を「黄金虫」とした探偵雑誌の契約書や編集案などをつくった。[探偵小説四十年 二十年末より二十一年秋までの日記/昭和32年5月(二十年末より二十一年はじめの日記)]

 

十二月

《【十二月】○日本共産党再建○各界戦犯容疑者五十九名の逮捕命令出る○総司令部農地改革につき指令す○婦人参政権を含む改正選挙法公布○近衛文麿自決す○修身と日本歴史の授業廃止さる》

 

[2013年5月8日]

PR

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012