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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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9月17日である。ということは、一周年である。このブログは去年の9月17日、中井英夫の命日を期して開設した。【平成20・2008年11月5日追記:「命日」とあるのは「誕生日」の誤りである】

いわゆるジーパンというやつを、もう二十数年、身につけていない。若いころには愛用していて、これがまたすこぶる似合ったものであったが、あるとき、三歳児から老人までがこぞって着用しているジーパンなんて、はいていたって面白くもなんともないではないか、という気になった。それで、身につけるのはやめてしまった。おなじような理由で、つまり、だれもかれもが何かに感染でもしたみたいに手を染めているブログというやつに、わざわざ手を出すつもりはまったくなかった。

それがどうして、ブログを開設することになどなったのか。名張のまちを記録しておく必要がある、と考えたからである。衰退いちじるしい、そしてその衰退がさらに度を深めてゆくであろう名張のまちを、文章と写真で記録しておく必要がある。あるいは、このまちでどんな歴史が刻まれ、どんな生活が営まれたのか、過去の文献にもとづいて整理し、公開しておく必要がある。そう考えたからである。だから、ブログタイトルの下にあるとおり、これは「三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ」なのである。

ほかの理由もあった。平成11・1999年の10月、ウェブサイトを開設した。メインコンテンツは江戸川乱歩のデータであるが、ブログなどというものがいまだ存在しないころから、毎日のように文章を発表していた。すると、この地域のことに話題がおよぶ場合もある。たとえば平成16・2004年、三重県が芭蕉生誕三百六十年にかこつけた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業を実施したとき、その予算をかすめ取って江戸川乱歩と小酒井不木の往復書簡集を刊行しようと考えたため、官民合同の事業実施組織に軽く首をつっこむことになった。これがひどい組織であった。どいつもこいつもばかばかりだったものだから、こんな連中が三億もの税金の具体的なつかいみちを決めていいわけがないと、ウェブサイトでうすらばか各位をいいだけこきおろす仕儀となった。事業は、さんざんな悪評のうちに終了した。

しかし、それだけでは終わらなかった。平成17・2005年、悪夢がよみがえった。このあたりのことはウェブサイトに記したので、同年7月2日付の文章から引用しておく。

   
欺瞞という名の幕開け

堅苦しいようだが、自己紹介から始めよう。
俺は名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託。嘱託というのはいつクビが飛んでも不思議ではないポジションだが、いまのところは現役だ。名張市教育委員会と半年単位で契約を交わしている。九月末日には契約が切れることになるが、それから先も嘱託でいられるという保証はどこにもない。
七月一日の朝。俺は名張市役所の玄関前に立ち、その堂々たるファサードを見あげていた。降り出した小雨が頬に冷たい。これから庁舎内を巡回するのだろう、セールスレディらしい若い女が俺を小走りに追い抜いてゆく。俺はトゥミのメッセンジャーバッグを抱え直し、正面に見える扉に進んだ。その先にはお役所という名の伏魔殿が待ち受けている。
三日前のことだ。俺はこの伏魔殿の都市計画室という部署にメールを入れた。名張まちなか再生委員会の事務局はどこにあるのか、それを問い合わせるメールだった。委員会のことは新聞記事で知った。見覚えのある名前だった。
名張まちなか再生プラン──。
名張市がそんな名前のプランを公表したのは今年二月のことだ。それに基づいてパブリックコメントが募集された。プランはいまだ正式に決定されてはいない。市民の意見を募って見るべきものがあればプランに反映させる。それがパブリックコメント制度の建前だ。
プランには歴史資料館の整備構想が盛り込まれていた。新町に細川邸という旧家がある。人が住まなくなった民家で、文化財的価値を有する建築物ではないが、それを歴史資料館として整備するのだという。名張市のオフィシャルサイトに掲載されたそのプランを読んで、俺は目を疑った。
そこには「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」という文章が記されていた。そしてそれだけしか書かれてはいなかった。歴史資料館の整備構想を示すプランに、肝腎の歴史資料の説明がわずかにそれだけしか書かれていなかったのだ。俺は職業倫理に突き動かされ、プランの不備を指摘するパブリックコメントを一気に書き飛ばした。
都市計画室は名張市役所の四階にある。名張まちなか再生委員会の事務局はここに置かれている。メールへの返事の電話でそう教えられた俺は、尋ねたいことがあるからと担当者との面談を要請した。指定された日時は七月一日午前九時。俺は八時五十五分に都市計画室に到着した。訪れるのはパブリックコメントを提出したとき以来のことだ。
担当職員二人とテーブルに着き、俺はまず自分の立場について説明した。お役所の縦割りシステムからいえば、図書館の嘱託である俺が建設部の職掌に口を出すのは明らかな越権行為だ。だが、そんな理屈はお役所の内部でしか通用しない。名張市役所に厳然として縦割りシステムが存在しているという事実は、市民に対するエクスキューズにはならない。
俺は江戸川乱歩という作家に関する仕事をするために、名張市民の税金から一定の報酬を得ている。図書館とは関係ない部署の事業であっても、乱歩に関するものなら俺はその事業に対して助言や協力を惜しむべきではないだろう。お役所の人間の目にはいかに奇異で非常識なものに映ろうとも、それが俺の職業倫理なのだ。
一時間ほどいて、俺は都市計画室をあとにした。市役所の四階から一階まで階段を降りながら、俺はたまたま捲き込まれることになったある事件を思い出していた。
──伊賀の蔵びらき事件……。
俺の職業倫理はあの事件と同じ匂いを嗅ぎつけている。名張まちなか再生プランがかすかな腐臭のように放っている、官民合同という名の欺瞞の匂い。三重県の行政が深く関わっていた伊賀の蔵びらき事件は結局迷宮入りとなり、一人の逮捕者も出すことはなかったが、結果として曖昧な汚名が青痣のように残った。その汚名は三重県のものなのか、あるいは俺自身に背負わされたものなのか。
もっとも、たとえその汚名が俺のものであったとしても、三重県には俺を表だって批難することはできない。俺を批難することはそのままみずからへの批判を呼び覚ますことにつながるからだ。そしてそれ以前に、俺は公立図書館というお役所に身を置きながら公式には存在を否定された人間、一箇のアンパーソンであるからだ。存在しない人間をあげつらうことは、たぶん神様にだってできない相談だ。少なくともヴィトゲンシュタインならそういうだろう。
俺は玄関の扉を押し開けた。これは間違いなく魔法の扉だ。それぞれの家庭や地域社会では善良な一市民に過ぎない公務員たちは、毎朝この扉を通過するたびに、まるでいきなりスイッチをオンにされたとでもいうように、お役所という無責任構造の一部と化し、システムの奴隷と化してしまう。外の世界の常識を忘れ、責任回避を金城鉄壁の行動原理とする、お役人と呼ばれる非人間的な生き物に変身してしまうのだ。
全館禁煙という拷問から解放された俺は、プリントシャツの胸ポケットからマイルドセブンライトを取り出し、ひしゃげたパッケージからひしゃげた煙草を取り出した。パッケージには喫煙の害が以前よりでかでかと印刷されている。喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。親切なことだ。日本はいつからこれほど人に優しい国になったのだろう。
ジッポのオイルが切れかけているらしく、なかなかつかなかった火はしばらく弱々しく揺れたあと、マッチのそれのようにふっと消えてしまった。マッチという言葉の連想から、俺は若くして自死を選んだある歌人の歌を思い出し、それから同じくマッチが想起させた別の歌人の歌を口にしてみた。
──身捨つるほどの祖国はありや。
火のついていない煙草をくわえたまま見あげると、雨はいつのまにかあがっていた。それでも空は幾重もの雲に覆われ、安っぽい書き割りめいて暗く垂れ込めつづけていた。

つまり、三重県による官民合同事業のあと、名張市によるまちなか再生事業に首をつっこむことになった。あの名張まちなか再生プランに「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と記されていなかったら、乱歩の名前さえ出てこなかったら、こちらから首をつっこむことにはならなかったはずである。しかし、乱歩の名が出てしまった以上、知らん顔をしていられる立場ではなかった。名張まちなか再生委員会に協力を申し出たのだが、ばかというやつはどうしようもない。途中経過はすっ飛ばしてしまうが、ウェブサイトには頻繁に、名張の話題が登場するようになった。

ウェブサイトが汚れてしまうではないか、と思った。愚かしいにもほどがある、と嘆かざるをえない名張の現実が、連日のごとくウェブサイトに登場するのである。目障りったらありゃしない、と思った。それで、名張の話題をウェブサイトからスピンオフさせるために、名張の話題に特化したネット上の場として、ブログを開設するべきかと考えた。喫緊の問題としては、昨年7月28日に提出した住民監査請求の結果が、そろそろ通知されてくるころでもあった。監査結果を徹底的にぼこぼこにしてやる場として、やはりプログが必要かと判断された。9月17日のブログ開設を祝福してくれるかのように、9月20日に監査結果が通知されてきた。いいだけぼこぼこにしてやった。

2007年9月20日:住民監査請求2007
2007年9月21日:住民監査請求棄却
2007年9月22日:監査結果吟味(1) コピー&ペーストに気をつけろの巻
2007年9月23日:監査結果吟味(2) 何もあきらかにされておらんぞの巻
2007年9月24日:監査結果吟味(3) 協働はきょうもインチキだったの巻
2007年9月25日:監査結果吟味(4) 眼をそむけたら事実はみえないの巻
2007年9月26日:監査結果吟味(5) ほんとは黒だが白ということにの巻

早いものである。あっというまに一年が経過した。むろん、事態は好転などしていない。逆である。もはやまったくの手詰まりである。名張市自慢の官民協働はどうなったのか。知れたことである。官は責任の回避である。主体性の放棄である。民は私利私欲である。金銭欲、名誉欲、権勢欲、支配欲、もろもろの欲の見本市である。名張まちなか再生プランはどうなったのか。名張まちなか再生委員会はどうなったのか。細川邸はどうなったのか。そして、名張のまちはいったいどうなったのか。9月16日、ウェブサイトに記したところをそのまま引いておく。

   
9月13日の土曜日は、日本を代表するミステリファン組織であるSRの会が三重県伊勢市で開催する2008年度全国大会の初日でした。伊勢といえば名張、名張といえば乱歩ということになりますので、大会日程には「乱歩生誕地を訪ねるオプショナルツアー」も組み込まれ、全国から十数人の方がわざわざ名張を訪れてくださいました。まず名張市立図書館の乱歩コーナー、それから雑草が生い茂って荒廃ぶりがただごとでない江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地、さらには土曜の午後だというのに人っ子ひとり通らなくてひたすら閑散としまくっている名張のまち、そういったあたりをぶらぶらしていただき、木屋正酒造や山本松寿堂や角田酒店で名張の銘酒銘菓もご購入いただいたのですが、ふらふら歩いてると秋の陽射しを浴びた名張のまちには静かな終末感が隠しようもなく漂っていて、名張もほんとに終わりだなとあらためて実感された次第でした。

江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地に立ったのはしばらくぶりのことだったが、残暑のなか、夏草がたけだけしく繁茂していて、荒廃ということばはけっしておおげさなものではない。SRの会のみなさんの印象も、むろんいいものではなかったであろう。こうしたファンは横の連携が密接だから、というか、そもそも名張訪問のあとにはミステリファンの全国大会が控えていたのだから、名張にある乱歩の生誕地碑がどんなひどいありさまになっているか、情報はたちまち全国のミステリファンにひろがったと考えるべきかもしれない。げんにおひとり、乱歩生誕地碑周辺の惨状にふれて、名張市は観光資源をもう少し大事にするべきだ、とメールで伝えてくださったかたがあった。しかしまあ、無理であろう。もうどうしようもない。

名張のまちを歩いたことは夏のあいだ一度もなかったと記憶するが、ウェブサイトにも記したとおり、もう完全に終わったな、という印象であった。終末感ということばも、やはりおおげさなものではない。じつはSRの会の全国大会は、平成6・1994年には名張市で開催された。乱歩生誕百年の年である。名張市主催の記念イベントにあわせて、全国大会が企画された。当時の名張市長は、そのイベントに全国から参加者があった、と何度も自慢げに吹聴していらっしゃったが、それはSRの会の全国大会が開催されたからこその参加者だったのである。ともあれ、以来十四年のあいだに、名張のまちの衰退はいよいよ深刻なものになってしまった。というか、もう手の施しようがないまでになっている。むろんこれは名張だけの問題ではなく、全国の地方が似たり寄ったりの事情であるだろう。ごく一部の大都市を除いて、この国には急速な壊死が訪れているといっていい。

とか書いていたら、ついいましがた、名張まちなか再生委員会事務局からメールが届いた。この質問への回答である。

   
名張まちなか再生委員会事務局御中

お世話さまです。名張まちなか再生委員会について、ちょっとお尋ねいたします。下記の二点について、メールでお答えいただければ幸甚です。

(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いを申しあげます。

2008/09/09

さっき頂戴した回答がこれ。

   
2008/09/09名張まちなか再生委員会事務局へのお尋ねについて
(1) 規約改正案を審議する臨時総会の開催時期について
<回答>—7月30日の役員会で配布した改正原案以降も若干の見直しをかけており、現在規約改正原案について調整中です。
調整後は役員会に諮り、役員会での意見のまとまり方等によって時期が変わってまいりますので、今後役員会と相談の上決めてまいります。

(2) 平成20年度の総会での案内板の文言表記の誤りについて
訂正することの可能性についての検討結果について
<回答>—修正します。

そういうことだそうである。あの規約改正案、「若干の見直し」といった程度のことではどうにもならない。名張まちなか再生委員会という組織の本質に眼をむけなければ、つかいものにならない。しかしまあ、こちらとしては臨時総会を待つしか手がない。あと、まちなか運営協議会の会長あての9月5日付質問、名張市公式サイト「市長への手紙」への9月8日付質問は、いずれもいまだ回答が寄せられぬのだが、これも待つしか手がないようである。あんまり遅いようだったら催促はかましてみるけれど。
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当面、返事待ちである。整理しておく。

やなせ宿館長、つまりまちなか運営協議会の会長には、やなせ宿公式サイトにメールを送信し、こんなことをお訊きした。9月5日のことである。

   
(1)やなせ宿公式サイト「9月度・主催イベント情報」に、9月15日の「よってだ~こ各号店手作り合同作品展」の案内が掲載され、主催団体として名張地区まちづくり推進協議会などの名があげられている。まちなか運営協議会の主催事業ではないイベントが、やなせ宿公式サイトで「主催イベント」として告知されるのは、明らかに不当なことと判断されるが、これを正当なものと認めるかどうか。

(2)やなせ宿公式サイト「やなせ宿とは」に、やなせ宿は「観光交流センターとして位置づけされた」と明記されているが、名張市公式サイト「市長への手紙」で確認したところによれば、やなせ宿は歴史資料館を主たる用途として整備された、というのが名張市長の主張である。やなせ宿整備の経緯に照らして判断すれば、この市長の言は虚偽であるというしかないが、これを虚偽と認めるかどうか。

名張市長には、名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、こんなことをお訊きした。9月8日のことである。

   
・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。名張市が所有している、または貸与を受けている乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

・現在、やなせ宿の運営はまちなか運営協議会に委託されているが、その運営内容は、当方の直接の知見においても、新聞報道においても、やなせ宿公式サイトから知られるところにおいても、歴史資料館を主用途とした施設にはおよそふさわしくないものといわざるをえない。適切な運営のためには行政による指導が必要であると判断されるが、指導する考えはあるか。また、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠は何か。

名張まちなか再生委員会事務局へは、名張市都市環境部市街地整備室にメールを送信し、こんなことをお訊きした。9月9日のことである。

   
(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上である。同時多発的に世直しの矢を三本、的をはずすことなく放った次第である。返答する気はさらさらない、などという不届きな相手もあるかもしれぬが、まあ当面は返事待ちである。
いよいよ秋らしくなってきて、きょうは重陽の節句である。さわやかな秋風とともに、名張市の都市環境部市街地整備室へ不幸のメールを送信した。件名は「規約改正案その他について」。内容はつぎのとおり。

   
名張まちなか再生委員会事務局御中

お世話さまです。名張まちなか再生委員会について、ちょっとお尋ねいたします。下記の二点について、メールでお答えいただければ幸甚です。

(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いを申しあげます。

2008/09/09

じつはもう一点、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の第三回と第四回はどうなっておるのか、という点も確認したいのだが、これは6月30日の役員会において、企画そのものが歴史拠点整備プロジェクトに差し戻されたと聞きおよぶ。だから早いとこプロジェクトの会議を開かなければならんはずなのだが、かんなくずの親分が怠慢なのか戦線離脱してしまったのか、とにかくいつまでたっても開かれない。どいつもこいつも、まったく困ったものである。
名張市公式サイト「市長への手紙」に質問を送信した。件名は「むたびやなせ宿について」。送信IDは20080908082049627とのことであった。内容はつぎのとおり。

   
ご回答ありがとうございました。当方の質問がやや具体性を欠いておりましたので、不備を補ったうえであらためてお尋ねいたします。関連して、別の質問も提出いたします。次の二点となります。よろしくお願いいたします。

・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。名張市が所有している、または貸与を受けている乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

・現在、やなせ宿の運営はまちなか運営協議会に委託されているが、その運営内容は、当方の直接の知見においても、新聞報道においても、やなせ宿公式サイトから知られるところにおいても、歴史資料館を主用途とした施設にはおよそふさわしくないものといわざるをえない。適切な運営のためには行政による指導が必要であると判断されるが、指導する考えはあるか。また、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠は何か。

ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/09/08

名張まちなか再生プランをまとめた名張地区既成市街地再生計画策定委員会がいくらうすらばかの集まりであったといっても、旧細川邸を歴史資料館にして江戸川乱歩の関連資料を常設展示する、とプランにはっきり書きこんだ時点で、名張市立図書館が所蔵している、また乱歩のご遺族から貸与を受けている乱歩関連資料を念頭に置いていたと考えるのがふつうであろう。しかるに、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して名張市長から頂戴した回答は、市立図書館の資料にいっさい言及することなく、ただ「一部関係者の合意」が得られないせいで資料を展示できない、と記すだけのものであった

一部関係者のことを質問したのではない。名張市はどうするのか、それを尋ねたのである。人をあてにするまえに、自分になにができるのかを考えなさい、と有能な教師なら指導しているはずである。いくらなんでもここまで他人だのみの回答が寄せられるとは思ってもいなかったので、8月27日に「市長への手紙」に送った質問をやや補足して、再質問することにした。それが「むたびやなせ宿について」に記した一点目の質問である。前回、「乱歩関連資料」としてあったところを、「名張市が所有している、または貸与を受けている乱歩関連資料」とした。

二点目の質問は、9月5日、やなせ宿公式サイトにメールで送信した館長宛質問と対をなすものである。館長への質問のひとつは、やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備した、という名張市長の説明はうそなんじゃね? というものであった。いっぽう、「むたびやなせ宿について」に記した質問の二点目は、やなせ宿は歴史資料館を主用途とした施設として運営されていないから、やなせ宿を運営しているまちなか運営協議会ってだめなんじゃね? というものである。

おそらく、やなせ宿の館長からは回答が寄せられないものと思われる。その場合は、「市長への手紙」を利用して、善良な市民から寄せられた施設の根幹にかかわる質問に答えようとしないんだから、やなせ宿を運営してるまちなか運営協議会はほんとにだめなんじゃね? やなせ宿の運営組織としてあまりにも不適格だから、とっととやめさせたほうがいいんじゃね? との質問を送信することになるかもしれない。

いっぽう、「市長への手紙」に送った「むたびやなせ宿について」への回答は、いったいどこまでみっともない内容になってしまうのか、ちょっと予測がつかない。
もっとこじれさせてやろうかな、と思って、やなせ宿公式サイトにメールを送信した。

名張市旧細川邸やなせ宿:トップページ

館長宛のメールである。内容はつぎのとおり。

   
辻本武久様

どうもお世話さまです。やなせ宿の運営に日々ご尽力をいただき、名張まちなか再生委員会の一員として、さらに名張市民のひとりとして、お礼を申しあげます。また、6月と7月に二度にわたって催されたやなせ宿連続講座やなせ塾では、夜遅くまで何かとお世話にあずかり、あらためて謝意を表する次第です。

さて、やなせ宿の運営について、いささか疑問に思われることがありますので、勝手なお願いを申しあげて恐縮ではありますが、お考えをお教えいただければ幸甚です。以下の二点です。

(1)やなせ宿公式サイト「9月度・主催イベント情報」に、9月15日の「よってだ~こ各号店手作り合同作品展」の案内が掲載され、主催団体として名張地区まちづくり推進協議会などの名があげられている。まちなか運営協議会の主催事業ではないイベントが、やなせ宿公式サイトで「主催イベント」として告知されるのは、明らかに不当なことと判断されるが、これを正当なものと認めるかどうか。

(2)やなせ宿公式サイト「やなせ宿とは」に、やなせ宿は「観光交流センターとして位置づけされた」と明記されているが、名張市公式サイト「市長への手紙」で確認したところによれば、やなせ宿は歴史資料館を主たる用途として整備された、というのが名張市長の主張である。やなせ宿整備の経緯に照らして判断すれば、この市長の言は虚偽であるというしかないが、これを虚偽と認めるかどうか。

以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いを申しあげます。

なお、お答えは当方のブログで公開させていただきたく、あらかじめご承諾を願いあげる次第ですが、公開に支障がある場合、その旨をお伝えいただければ非公開といたします。よろしくお願いいたします。

2008/09/05

さーあ、こじれろこじれろ。
蟻地獄である、とは最初っからいってる。のがれようはない。じたばたすればじたばたするほど、よけい深みにはまってゆく。素直に非を認めていれば、ここまでの深みにはまることはなかった。名張まちなか再生プランがひどいしろものであったこと、市民と市議会を無視してプランに変更を加えたこと、プランでは歴史資料館とすることになっていた旧細川邸を観光交流施設として整備したこと、そうした事実を素直に認めていれば、ここまでの深みにはまることはなかった。

しかし、非などどこにもないらしい。やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備された施設であり、こういった歴史資料を常設展示しているのだという。

・「名張城下絵図」の複写版
・新町区百年史部会編纂による初瀬街道・新町今昔町屋分布(明治〜大正〜昭和初期)
・新町の歴史と文化と伝統の複写版
・生人形師亀本安八を紹介した新聞記事や資料
・昭和初期の古地図や古写真

こんなもののどこが歴史資料か。「新町区百年史部会編纂による初瀬街道・新町今昔町屋分布(明治〜大正〜昭和初期)」などというのは、A3サイズ一枚の印刷物ではないか。やなせ宿に置いてある無料の配りものではないか。こんなことでよく、歴史資料館を主用途として整備した、などといえたものである。

名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」とある。しかし、江戸川乱歩に関連する資料は展示されていない。「市長への手紙」で確認したところ、やなせ宿オープン時には展示したのだが、「展示方法に関して一部関係者の合意が得られず、現時点では展示を差し控えております」との回答があった、ということをきのうのエントリに記したところ、その「一部関係者」からコメントをお寄せいただいた。

9月3日:いよいよいけない秋の陣 > はなしつけに行ってきます。

コメントによれば、やなせ宿オープン時に展示された乱歩関連資料は、「乱歩先生の手紙のコピー1点のみ」であったという。しかも、

「乱歩と名張の関係をほとんど示されることもなく手紙だけがぽつんとおかれていたのです。これではダメだと思いましたので、家族と相談の上、乱歩の扱いについて行政としてちゃんとした方針が出来るまで私どもが所有する品の展示を控えていただくようお願いした次第です。状況が改善されればいつでもOKする用意はありましたし、そのための協力ならいくらでもするつもりでした。ところがその後、何の相談もなく、あろう事か『細川邸は乱歩に関わらない』という方針を打ち出したようです」

とのことである。名張市長の回答は、どうやらおおうそだったようである。回答には、こう書かれていた。

「しかしながら本施設の活用にとって乱歩関連資料は欠くことができないものと考えられ、今後、展示ができるよう関係者の皆様のご協力ご支援を頂き、本施設がまちなか再生に寄与できるよう努めてまいりたいと考えます」

理解できないのは、「展示ができるよう関係者の皆様のご協力ご支援を頂き」という点である。きのうも記したとおり、乱歩の関連資料は名張市立図書館に所蔵されている。ご遺族から拝借した乱歩の遺品だって、図書館の乱歩コーナーに展示されている。やなせ宿に乱歩関連資料を展示するというのなら、まず市立図書館にある資料をどうするのか、行政の内部でその結論を出すのが先決である。どうしてそんなあたりまえのことに手をつけず、関係者の協力や支援がどうのこうのと、例によって例のごとく他人に丸投げばかりかましておるのか。まったく理解に苦しんでしまう。しかし、そんなこと以前に、そもそもがおおうそなのである。

やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備された、などとというのが真っ赤なうそなのである。あんなものは、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫と呼ぶしかない施設であり、ゆえに歴史資料が展示されていないのは当然のことである。同様に、「一部関係者」に相談もなく「乱歩に関わらない」と決定されてしまったのも、当然すぎるほど当然のことである。それはもう、事実として確定されてしまったことである。にもかかわらず、この期におよんでなお、みずからの非を認めようとせず、なりふりかまわず保身をはかろうとするから、うそにうそを重ね、市民を悪者あつかいするような真似までしなければならなくなるのである。話はこじれるばかりであろう。もっとこじれさせてやろうかな、とも思うけど。

ここで、きのうのウェブニュース。

朝日新聞:「ふるさと名張に」乱歩の子息寄付

ひとあし早く毎日新聞と中日新聞でもウェブニュースとして報じられたものだが、この朝日の記事には「同市によると、ふるさと納税について市から平井さんに働きかけ、平井さんが応えたという」と他紙にはみられなかった記述がある。記述がなくても容易に察しのついたことだが、これはもう、はっきりいって、ゆすりたかりのたぐいである。朝日新聞の記事によって、それが満天下に示されたのである。よくもまあこんな、といったようなことは8月28日付エントリに記した。

8月28日:少年少女乱歩手帳のあとに

引いておくか。

   
このニュースにかんしては、あまり多くを語りたくない。悄然とするばかりである。厚顔無恥といおうか、鉄面皮といおうか、名張市には正直もう降参である。このところの名張市が、乱歩にかんしていったい何をしてきたのか。桝田敏明先生のご遺族から桝田医院第二病棟の寄贈を受けたものの、脊髄反射的に乱歩記念館をつくりますとぶちあげただけで、なにしろ関係者には知識や見識がまったくないゆえ、まともにものを考えることができない。だから何もできなかった。広場として整備するというじつに中途半端な結論にいたって、ならばそれだけでいいものを、広場にモニュメントをつくりますなどとまたばかなことをいいだす始末である。考える能力がないのなら何も考えるな。

モニュメントの話は名張まちなか再生委員会の内部で叩きつぶすことができたからいいようなものの、とにかく乱歩のことなど何も知らぬ人間が、乱歩にかんして必要なことは何もせず、よけいなことばかり重ねてきた。それが名張市である。そんな自治体がよくもまあ、いったいどのつらをさげて、ふるさと納税制度を利用して名張市への寄附をお願いいたします、などと乱歩のご遺族に申し出ることができたというのか。ここまでの厚顔無恥、ここまでの鉄面皮には、もはや降参するしか手がないと思う。

ほんと、降参するしか手はないと思う。降参しないための方法はただひとつ、こっちより先に相手を降参させることなのであるが、いったいどうなるのであろうかな。
名張市公式サイト「市長への手紙」へ寄せた質問に、名張市長から回答を頂戴した。

質問はこれであった。

   
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。

・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/08/27

きのうメールで送られてきた回答は、こうであった。

   
中 相作 さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。

施設改修後のオープンに当たっては、往時の代表的な町家のイメージを残す歴史的な建物の観覧だけでなく、来館者にできるだけ興味や、魅力を感じてもらえるよう歴史的な資料を展示しており、江戸川乱歩の関連資料も展示いたしましたが、展示方法に関して一部関係者の合意が得られず、現時点では展示を差し控えております。
しかしながら本施設の活用にとって乱歩関連資料は欠くことができないものと考えられ、今後、展示ができるよう関係者の皆様のご協力ご支援を頂き、本施設がまちなか再生に寄与できるよう努めてまいりたいと考えます。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成20年 9月 2日

名張市長 亀井利克

いよいよいけないようである。これはもうだめかもわからん。むろん、もともといけなかった。だめであった。「市長への手紙」を利用したこれまでのやりとりを一覧すれば、そんなことは一目瞭然であろう。

8月21日:人間豹蟻地獄合戦 中

言を左右にし、うそにうそを重ね、保身のためのいいわけ、いいのがれ、いいつくろいを並べたてる。そんなことばかりである。これではいけない。だめである。

しかし、今回の回答は、いよいよいけない。もうだめであろうな。なぜか。うそだけではごまかせなくなって、市民を悪者あつかいしはじめたからである。やなせ宿に江戸川乱歩の関連資料が展示されていないのはなぜか、との質問にたいして、やなせ宿のオープンにあたってちゃんと展示はしたのだが、

「展示方法に関して一部関係者の合意が得られず、現時点では展示を差し控えております」

とのことなのである。一部関係者が合意しないから、乱歩関連資料が展示できない、ということなのである。悪いのは行政に協力しようとしない一部関係者である、ということなのである。自分はどこも悪くない、すべては人のせいである、ということなのである。みずからの保身のためなら、市民を悪者あつかいすることなんて屁でもない、ということなのである。こんな手前勝手なことばっか口走ってた日にゃ、心ある人は残らずすーっと去ってしまうことであろう。引き潮のようにさーっと引いてしまって、二度と戻ってくることなどないであろう。

それにだいたい、一部関係者が合意しないだけで、やなせ宿に乱歩関連資料がただの一点も展示されない、なんてのは笑い話でしかあるまい。乱歩関連資料なら、名張市立図書館の乱歩コーナーにだってあるのである。一部関係者の協力などなくたって、乱歩関連資料をやなせ宿に展示することはいくらだって可能なはずなのである。昨年6月定例会のすったもんだはなんだったというのか。

昨年の第325回(6月)定例会一般質問における質疑応答は、3月16日付エントリにおいて、名張市公式サイトで公開されている議事録から引用しておいた。

3月16日:市議会の乱歩 2007

念のために、市長発言を引いておく。

   
P.25 ◎ 市長(亀井利克)

次に、乱歩生誕地碑でございますが、枡田医院第2病棟の跡地整備につきましては、平成18年度名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家の復元をイメージした乱歩関連施設の整備に向け、施設計画及び維持管理運営方針などを検討していくことといたしました。その後、住環境面への配慮や維持管理運営のあり方など、市として施設整備計画を見直し、広場として乱歩生誕地碑と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩顕彰の場として整備する方向で、本年度まちなか再生委員会の役員会や検討委員会と引き続き協議を進めていきたいと考えております。
なお、寄附を受けております推理小説等数千冊、あるいは乱歩の関連資料などの活用につきましても、あわせて検討を進めてまいりたいと思っております。

「モニュメント的な整備」などというあほなプランは、さいわいなことに、名張まちなか再生委員会の内部でひねりつぶしてやることができた。それはいいとして、「推理小説等数千冊、あるいは乱歩の関連資料などの活用」の話はどうなったのかな。

   
P.46 ◎ 市長(亀井利克)

それから、2点目のまちなか再生でございますけれども、これは先刻柳生議員にお答え申し上げたとおりでございまして、乱歩につきましては、ミステリー文庫も含めまして、この整備をしていかなければならないということにいたしております。それを5年で切ってるわけでございますけれども、さてそれをどの時点でということにつきましてはまだ定かではございませんけれども、いただいてあるミステリー本をやっぱり世に出していかないと、こちらも申しわけないという思いであるわけでございますので、これは世に出していきたい。また、乱歩のゆかりのものにつきましても、同時にそういう展示する場所が必要であるというふうにも思わせていただいてるところでございます。

「ミステリー本」を世に出したり、「乱歩のゆかりのもの」を展示したり、そのあたりの話はどうなったのかな。

   
P.54 ◎ 市長(亀井利克)

それから、乱歩館の問題につきましては、担当部長の方から詳しくお話を申し上げますけれども、あの場所に建物というか、そのものを建てていくのは余りふさわしいことではないかなというふうに判断をいたしているわけでございます。ただ、整備はしていかなければならないということも、柳生議員のご質問の中でも申し上げたところでございまして、この乱歩のゆかりの品であったり、あるいはまた、たくさんいただいてる本であったり、そんなものをきちっと展示をさせていただかなければならないと、こんなふうに思っております。

だから「きちっと展示をさせていただかなければならない」という話はどうなったのか。

   
P.133 ◎ 市長(亀井利克)

それから、まちなかの中で乱歩の関係のお尋ねがあったわけでございます。当方のこれについての考え方は今議会で申し上げたとおりでございまして、桝田病院第2病棟の部分というのは、地域の方々にとりましては生活の場でもあるわけでございます。そんな中で、さまざまなご意見もいただいてまいりました。よって、この場所は生誕の地であることを表現できる公園の整備をいたしていくのがいいのではないかというふうに思っております。
ただでございますけれども、ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。

ここまでのすったもんだがあったにもかかわらず、結局のところ、

「江戸川乱歩の関連資料も展示いたしましたが、展示方法に関して一部関係者の合意が得られず、現時点では展示を差し控えております」

ということなのか。一部関係者の協力を得られないというだけの理由で、名張まちなか再生プランに「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されていた構想が、あるいは、昨年6月定例会において「ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要である」と明言されていた構想が、あっさり雲散霧消してしまったというのか。

笑わせてはいけない。やなせ宿に乱歩関連資料がなにひとつ展示されていないという問題、やなせ宿が歴史資料館を主用途として整備されたというのが事実であれば施設の根幹にかかわるはずの問題を、一部関係者の非協力などという些末な問題にすり替えてしまってはいけない。いけないいけない。もういけない。ほんとにいよいよいけないみたいね。
きっとそういった要望もあるだろうな、どうして一発かまさんのかと思っている向きもあるだろうな、と判断されるので、べつにいちいちそんな判断をしなくたっていいのだけれど、このあたりが芸人のさがというやつなのか、おとといの毎日新聞の記事をネタにして、軽くおちょくっておくことにする。

毎日新聞:旧細川邸やなせ宿:出足好調 6、7月で3722人が来館--名張 /三重

引用。

   
今年6月にオープンした名張市新町の旧細川邸「やなせ宿」の来館者数が、7月末までの約2カ月間で3722人に上っていることが分かった。市市街地整備推進室は「出足としては好調」と評価している。

やなせ宿は、旧町再生の拠点にしようと、まちなか運営協議会(辻本武久会長)に運営を委託して開館。6月7日の完成式に訪れた約1200人を除いても、1日に約50人が訪れている計算で、市が管理している名張藤堂家邸跡(同市丸之内)が、年間約4400人の来場者にとどまっているのに対し、「(3722人は)評価できる数字」(同室)としている。

いわゆる公共施設というやつが、表面的な来館者数をやたらアピールするのは当節のならいである。指定管理者制度なんてものがのさばりだしてから、その傾きはいっそう深まった。公立図書館なんかもその例に洩れない。入館者数や貸出冊数などの数字だけをこれみよがしに掲げて、公共施設としての評価を得ようとする。ま、お役所の連中には図書館がどんな施設なんだかまるで理解できておらず、せいぜいが無料貸本屋だとしか考えておらんのだから、去年より貸出冊数が増えました、みたいなことだけが評価基準となるのは無理からぬところなのであろうが、地域の公立図書館が本来はたすべき役割、といったあたりのことはいずれ名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、名張市長にしみじみじっくりお考えいただく所存である。だからいまはふれない。

で、やなせ宿である。なんのための施設か、だれのための施設か、いまだによくわからぬ施設である。6月と7月で3722人が訪れたという。来館者の定義やカウント方法がよくわからないのだが、それよりもよくわからないのが市街地整備推進室の言である。なにをどう勘違いしたら、名張藤堂家邸跡とやなせ宿の入場者数を比較するなどという素っ頓狂な真似ができるのか。前者は入場料が必要な県史跡であり、後者は整備の目的も運営の趣旨もさっぱりわからぬ、というよりもそんなものがもともと存在していない施設なのである。共通要素のないものを比較対照してどうする。本気なのか。そんな無茶苦茶な、比較の基準になるはずのない数字をもちだして、「出足としては好調」とか、「評価できる数字」とかいってるのか。しっかりしろといっても無理なのであろうけれど、それにしてもあきれ返った話である。

それはたしかに、名張市公式サイト「市長への手紙」で確認したところによれば、やなせ宿は歴史資料館を主たる用途として整備されたという。その意味においては、名張藤堂家邸跡との共通要素を有しているといえる。しかし、名張市長の回答はうそなのである。おおうそなのである。ほかならぬ市街地整備推進室のスタッフにも、うそであることはよくおわかりであろう。げんに毎日の記事には、こう書かれておるではないか。

「また、年間で約90万円の委託料と光熱費などの必要経費約200万円を市が負担しており、同室は『貸し館業務や飲食物の販売に力を入れ、事業収入を増やしていきたい』と話している」

市街地整備推進室には、やなせ宿が歴史資料館を主用途として整備されたという認識などまったくない。眼中には、やなせ宿における貸し館業務と飲食物販売の伸展があるだけである。貸し館というのは、やなせ宿が名張地区第二公民館として進めている業務である。飲食物販売というのは、要するにwith小判鮫による食堂化路線のことである。そんなものに加担してどうする。そんなインチキを正当化してどうする。わざわざ名張藤堂家邸跡の入場者数をひきあいに出してまで、やなせ宿の整備という名張市の明らかな失政を糊塗しなければならんのか。糊塗なんか全然できておらんのだが、とにかく名張市の職員諸君は、名張まちなか再生委員会に雇われているわけでもなければ、名張市長に雇われているわけでもない。名張市民に雇われているのである。そんなことも理解できず、見当ちがいの方向にばかり顔をむけておってはいかんぞなもし。ほかにやるべきことがあるぞなもし。

たとえば、名張まちなか再生委員会の規約改正はどうなったのか。話が進展するよう委員会を指導するのが、市街地整備推進室の本来の役目ではないのか。委員会を指導してあの頭の悪い規約改正案、とっとと委員全員にはかるべきなのではないか。なのではないかと尋ねるまでもない。早く総会を開いてはかるのが当然である。なぜそれをせんのか。なぜ委員会のけつを叩いてやらんのか。委員会のやってることに口出しができぬというのかな。ま、あんまり遅いようなら、また名張市公式サイト「市長への手紙」のお世話にならねばならぬかもしれん。

まだある。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾のことである。本来であればあす30日が第四回のはずであったのだが、いったいどうなっておるのか。小判鮫の親方とかんなくずの親分はいったい何をしておるのか。話がこじれているというのであれば、円滑に進むよう手をつくすのが市街地整備推進室の本来の役目ではないのか。なぜそれをせんのか。名張市長や名張まちなか再生委員会委員長にやなせ宿でおはなしいただくということが、それほどまでにいやなのか。ま、あんまり遅いようなら、また名張市公式サイト「市長への手紙」のお世話にならねばならぬかもしれん。

以上、潜在しているであろうご要望におこたえして、軽くおちょくってみた。おちょくりの直接の対象となった市街地整備推進室スタッフには気の毒なことをしたが、ま、当方のおちょくりは最終的には「市長への手紙」に収斂するものと思っていただこう。早く回答が届かねーかなーまったく。
一気に秋になった。わきたつような夏の感情はすでに遠く去り、いつの秋にも訪れる静かな悲哀の気配が感じられる。秋風秋雨が人を愁殺する候である。だからといって、殺気が消えてしまったわけではない。怒りは秋の大気のように研ぎ澄まされている。

まず、きのうのウェブニュース。

毎日新聞:寄付:江戸川乱歩の長男から、ふるさと納税で--名張 /三重

引用。

   
名張市は25日、同市生誕の推理作家、江戸川乱歩(1894~1965)の長男で、立教大学名誉教授の平井隆太郎さん(87)=東京都豊島区=から、ふるさと納税として寄付があったと発表した。「乱歩生誕の地をはじめとした地域資源を活かしたまちづくりに活用いただきたい」との申し出があったという。金額は本人の希望で非公表。

「平井家の皆様が名張をふるさととお感じいただいていることに感銘を受けております」という名張市長のコメントも掲載されているのだが、ここで話題は名張市公式サイト「市長への手紙」にスライドする。

名張まちなか再生プランにおいて、新町の細川邸は歴史資料館として整備されることになっていた。その方針に、名張まちなか再生委員会は勝手に変更を加えた。できあがったのは観光交流施設のやなせ宿である。しかし、「市長への手紙」で確認したところによると、やなせ宿は主用途を歴史資料館として整備されたのだという。ならばやなせ宿にはどんな歴史資料が展示されているのかとただすと、とても歴史資料とは認められぬバッタモンがいくつか示された。

そこで、名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんに、歴史資料の定義や資料収集の方針について、いつ質問を受けても答えられるように準備しておいてくれと、このブログを通じて依頼したのが8月21日と22日のことであった。準備は順調に進んだことであろう。

名張市公式サイト「市長への手紙」に質問を送信した。件名は「いつたびやなせ宿について」。送信IDは20080827073135547とのことであった。

   
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。

・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/08/27

名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんには、やなせ宿における乱歩関連資料の定義と収集方針についても、回答の準備を進めていただかねばならぬ。もっともこれは、もしもやなせ宿に乱歩関連資料を展示するのであれば、という話である。いまのところ、そんな気配はみじんもない。たぶん永遠にないであろう。

ここで表明しておく。以前から記しているとおり、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? ということを名張市長に確認するのが当方のもくろみである。やなせ宿の問題に端を発して、そのもくろみはそろそろ本格化してきている。名張市長にはおそらく、乱歩と名張の関係にきちんとけりをつけた市長として、この名張市の歴史に名を残していただくことになるはずである。
おさらいのまとめをしておく。

ちなみに記しておけば、ここでいうおさらいとは、過去の失敗をあげつらうことではない。過去の失敗を検証すれば、将来におなじ失敗をくり返すことはなくなるであろう。そのためのレッスンがおさらいである。こうしたおさらいの習慣は、なぜか名張市あたりでは見かけることがない。なんの反省もなく、なんの学習もなく、ひとつことが終わったらおつむはみごとに初期化されてしまって、新しいことがはじまればまた過去とおなじ失敗をくり返す。そんなシーンがやたらに多い。

たとえば名張まちなか再生委員会がそうである。発足以来、あの委員会は驚くほどいいかげんでおまぬけな歩みを重ねてきた。しかし、先日の役員会で示された規約改正案には、三年間の過去を教材にレッスンするといった視点や姿勢は皆無であった。なぜ自分たちはいいかげんでありおまぬけであったのか、それを検証しようとする意志や努力はかけらもみられなかった。無根拠な自己肯定があるばかりであった。だからまあ、あほと呼ばれるわけなのである。しかしそれにしても、あの規約改正案はこれからどうなるのか。さっぱり不明である。何をやっておるのだ名張まちなか再生委員会。どうしたどうした名張まちなか再生委員会。

そういえば、きょうはもう8月22日である。ちょうど一か月まえ、7月22日に開かれた歴史拠点整備プロジェクトの会議では、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾について、8月23日に第三回を、30日に第四回を催すと決したものであったが、7月30日の役員会で話がこじれたそのあとはいったいどうなったのかな。ほんとならあしたが第三回のはずなのに、いったいどうなっているのかな。どうしたどうしたかんなくずの親分。プロジェクトのメンバーに何も報告しないというのでは、そんなもんリーダー失格ではないかいな。2ちゃんねる名張市政スレでトップやリーダーを論じるのもいいけれど、親分だってトップなのである。リーダーなのである。そのあたりの自覚がないようでは、ちょっと困ってしまうなあ。

さて、おさらいのまとめである。とどのつまり、決定的に欠けていたのは、行政における主体性の自覚である。行政が主体性を発揮する、ということがついになかった。名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備するという構想が記されていた。名張まちなか再生委員会はその構想に変更を加えた。それは不当なことである。市民や市議会を無視したことである。その点を指摘した市民があったのである。市民は、名張まちなか再生委員会の委員長と名張市の建設部長に会い、行政が主体性を発揮するよう要請したのである。

それを受けて、名張市はどうすればよかったのか。簡単なことである。てまえどもは名張まちなか再生プランを策定いたしましたが、そこに記されていた細川邸を歴史資料館として整備するという構想は、これこれこういった理由から実現が不可能であることがわかりました。よって、これこれこういった施設として整備することにいたしました。そのように表明し、市議会に報告し、市民に説明すればよかったのである。細川邸を歴史資料館にするなどと、あほといえばあほ、まぬけといえばまぬけ、すかたんといえばすかたん、無茶苦茶なプランを策定してしまった不明を詫びておけばそれでよかったのである。

とはいうものの、これはあくまでも手続きの話である。名張市があまりにもルールや手続きを無視していた、という話である。名張市が市民の言を容れ、行政の主体性を発揮して歴史資料館構想に変更を加えたうえで、それをしかるべく報告説明してみたところで、プロセスこそまともなものになりはしても、できあがった結果に変わりはなかったことであろう。つまり、正当な手順を踏んで細川邸を整備したのであったとしても、なんのためのものか、だれのためのものか、さっぱりわからん施設となるしかなかったことであろう。あほでありまぬけでありすかたんであったのは、プロセスばかりではなく、細川邸整備の検討内容もまったくご同様だったであろうということである。じつに残念なことである。

しかし現実には、プロセスも結果も、ともに最悪と呼ぶしかない様相を呈してこんにちにいたっている。にもかかわらず、これまでのプロセスはこれでよかったのかどうかという検証にも、現実として迎えてしまったこの結果を今後どのように方向づければいいのかという検討にも、だれひとり手をつけようとはしない。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して確認してみても、過去のプロセスにはなんら問題はなかったという、まさに無根拠な自己肯定が返ってくるばかり。無根拠どころか、やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備されました、などという事実の手ひどい歪曲のうえにしか成立しない自己肯定が返ってくるばかりなのである。

さて、名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんや。歴史資料館を主用途として整備されたやなせ宿において、歴史資料の定義はどうなっておるのか、資料収集の方針はどうなっておるのか。そのあたりの回答の準備は進めてくれたのかな。結構結構。まことに結構。いくらあほらしくたってお仕事である。精励恪勤をお願いしておきたい。

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