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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。

名張まちなか再生委員会乱歩関連事業検討委員会の話題である。

だいたいがまあ、怒っておるわけである。当方はもう、ずーっと怒っておるのである。なぜ怒っておるのかというと、名張市がおかしいからである。変だからである。ものごとをまともに決める、ということができていないからである。決めなければならないことを決めなかったり、決めるべき立場にない人間がなぜか決めていたり、決めるプロセスが尋常ではなかったり、決めた結果が市民を唖然茫然愕然とさせるものであったり、決められたことが平気でひっくり返されたり、誰がどこで何を決めているのかがさっぱりわからなかったり、とにかく決定という行為が決定的に変質してしまっている。ものごとを決定するということにおいては、たとえば名張小学校の学級会のほうが、名張市よりよほどまともでしっかりしているのではないか。

だから乱歩関連事業検討委員会にも、まず怒ることが要請されると思う。江戸川乱歩生誕地碑広場の整備についてご意見をうかがいたい、と名張市がいうのであれば、そんなものは広場の設計に入る以前にやることじゃ、と叱り飛ばし、話を思いきり蹴り飛ばしてやるべきだと思う。順序がみごとに逆である。まさに決めかたがおかしいのである。委員会の席では、こんな話なんで受けるねん、と委員長に苦言を呈してもおいたのだが、それでも協議とやらが粛々と進行するのだからわけがわからぬ。どうして誰も怒らぬのか。すでに決まってしまった設計を前にして、いったい何を協議できるというのか。市民との協議、という名のアリバイ工作に嬉々として参加してどうする。

などと思っているあいだにも、協議が着々と進行する。何を協議するのかというと、A案、B案、C案のみっつを並べ、三者択一でさあどれにする、ということではさすがにない。しかし、なにしろ設計ががちがちに固まっている。むろん予算も決まっていて、広場整備の総工費は一千万円ちょいということになるらしい。とにかく、いまからあれこれ注文をつけてみたところで、何がどうなるわけでもないのである。とはいえ、ごくごくわずかながら、市民の声を反映できる幅がないでもないという。

ひとつめは、生誕地碑の位置である。広場のどこに碑を据えるか、それはこれから決定できることだという。それはそうであろう。広場といったって、べつに芝生にするわけでもなく、それこそ単なる広場である。ただの地べたがむきだしで、民家と隣接する境界は高さ二メートルに満たぬ塀でちょいちょいと仕切り、それでいっちょあがりというしろものである。生誕地碑の位置なんて、たしかにどうにでもできるはずである。ただし、どこに据えたところで、曲もなければ変哲もない。むしろ以前の、閉鎖された入院病棟の中庭に忘れられたみたいにたたずんでいる、といったおもむきのほうが、まだしも風情を感じられるかとさえ思われる。

もしも面白い広場にしようと思ったら、たとえば生誕地碑を隠してしまうといった趣向が考えられる。とはいえ、乱歩好みの視角や光学のトリックを駆使して隠そうにも、いまから設計に変更を加えることは不可能である。何もできんのである。だからこんな協議は設計以前にやれというのだが、名張市はそれをしようとしないのである。なにしろ、名張市だもの。ならばせめて、テープカットの日だけでも、生誕地碑が怪人二十面相に盗まれました、といったことにして、市内外からの一般参加者もまじえたまちなか散策イベントを試みてもいいと思うのだが、そんな垢抜けた真似はとてもできまい。名張市だもの。

それともうひとつ、モニュメントがあるという。広場に新しく、モニュメントを設置するのだという。これもばかみたいな話である。モニュメントというなら、生誕地碑が何よりのモニュメントではないか。新しいものなど不要であろう。どこのばかがモニュメントなんて話を吹きこんだのか。こらばか、出てこい。出てこんのか。ならいつまでも隠れてろ。ていうかもう、名張市役所の連中にはものを考えさせるな。ものを決めさせるな。ろくなことにはならぬ。しかし実際には、モニュメントのほうもデザインができていて、ふたつの案が示された。いずれも噴飯ものであった。周囲との調和を無視し、江戸川乱歩という作家のことをよく理解していない案であった。

で、モニュメントのデザインである。これもいまから変更することが可能であるという。好きにするがよろしい。当方はいっさい関知しない。生誕地碑をどの地点に設置するか、モニュメントのデザインをどうするか。そんなものは知ったことではない。当方が名張まちなか再生委員会に加わったのは、あくまでもこの委員会をぶっ壊すためなのである。委員会に、あるいは名張市に協力する気など、さらさらない。地域社会の害虫に、あるいは、底が抜けたかと思われるほどのうすらとんかち自治体に、どうして協力などしなければならんのか。

協力といえば、委員会の席上、名張まちなか再生委員会の委員長から乱歩関連事業検討委員会にたいして、やなせ宿を乱歩ないしはミステリー小説と関連づけるための協力要請があった、との報告があった。具体的には、やなせ宿に乱歩関連資料を展示したり、ミステリー文庫めいたものを設置したり、そんなことをしてみたいとの意向が伝えられたという。お門違いもはなはだしい。乱歩関連事業検討委員会にはなんの権限もない。そんな話は、やなせ宿の運営主体であるまちなか運営協議会が名張市長にもってゆくべき筋合いのものである。

それにあれではないか、当方の聞きおよんでいるところによれば、少なくとも今年度、やなせ宿は乱歩にはノータッチである、というのがまちなか運営協議会の方針であるというではないか。協議会の会長がその旨を言明されたというではないか。だというのに、オープンして二か月もたたぬうちに方針の変更かよ。そんなことでは、まちなか運営協議会にやなせ宿という公共施設の運営を担当する資格はない。そう思われてもしかたあるまい。実際、資格も能力もないようなのであるが、そんなことはまあいいとして、まちなか運営協議会は名張市長に泣きつくべきである、ということは断言しておく。いいように取り計らっていただけるのではないかな。市長室に足を運ぶのが面倒だというのであれば、名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用する手もある、とアドバイスしておく。

さて、名張まちなか再生委員会乱歩関連事業検討委員会の話題なのであるが、きのう、委員会から、はがきが届いた。例によって、「乱歩関連事業検討委員会の開催について」とある。内容はこんなんである。

   
みだしの会議につきまして、下記のとおり開催させていただきますので、ご出席賜りますようお願い申し上げます。
日時:平成20年7月24日(木)19:00〜
場所:名張市役所3階 302会議室
議題:
1.乱歩生誕地碑広場整備の確定について
2.その他

「確定」とあるのは、生誕地碑の位置とモニュメントのデザインを確定する、ということであろう。7月15日の委員会では、いずれも結論にはいたらなかった。むろん当方としては、先述のとおり知ったことではない。だから先日の委員会でも、この話からは降りる、と宣言しておいた。協議をやめろとはいわない。しかし、協議には加わらない。委員会のメンバーが協議するためのヒントや手がかりは、きょうの委員会で話しておいたつもりである、とも伝えた。とはいうものの、当方いまや、なにしろコンサルタントなのである。ビジネスとしてならいくらだって話に乗ってやる、とも通告しておいた。

江戸川乱歩生誕地碑広場に新設されるモニュメントには、約二百万円の予算が見こまれているという。まったく不要なモニュメント、なんでそんなものが必要なのか、根拠も目的もいっさい説明されず、だというのになぜかそんなものがつくられることが決まっているモニュメントに、大枚二百万も張りこむというのだから、名張市はほんとに財政難なのかと疑われる次第なのであるが、それはそれとして、ならばその半額の百万円、コンサル料として耳をそろえて差し出すというのであれば、いくらでも話に乗ってやる。そのように告げておいた。さあ、どうする。
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7月15日夜、名張市役所三階三〇四会議室、名張まちなか再生委員会乱歩関連事業検討委員会。

配付された事項書には、こうあった。

1.あいさつ
2.乱歩生誕地碑広場整備について
3.その他

乱歩生誕地碑広場整備について、などというのは、じつにわけのわからん話である。広場の設計はとっくに終わっている。げんに委員会では、「桝田医院第2病棟活用イメージ」なるものが資料として配られた。同工異曲の三案のうち、A案とやらがこれである。

20080717a.jpg

話はここまで進んでいる。おとといの委員会で行政サイドから説明されたところによれば、広場を整備する工事の入札が8月、開札が9月、秋には竣工を迎えるとのことであった。しかしそんなものは、名張まちなか再生委員会にはなんの相談もなく、名張市が勝手に決めたことである。市民も市議会も関係がない。むろん、整備のための予算は3月の定例会で承認されているはずだから、その意味においては市議会のOKが出ていることになるのだが、しかし、あんな市議会ではなあ。

では、誰が決めたのか。桝田医院第二病棟の跡地を広場にする、なんてことをいったい誰が決めたのか。市民にとってはまったくの謎である。ミステリーである。委員会の席で行政サイドに確認したところ、名張市都市環境部が決めたとのことである。そんな決定に、はたして正当性があるのか。ないない。あるかそんなもん。根拠もなければ目的もない。例によって例のごとく、その場しのぎでしかない。うわっつらだけをとりつくろう弥縫策でしかない。

昨年6月3日付毎日新聞のウェブニュース「名張まちなか再生委:総会で乱歩施設巡り紛糾 事業計画案、承認先送り /三重」から引用。

   
官民一体で名張市の活性化推進を目指す「名張まちなか再生委員会」(田畑純也委員長)の07年度総会が2日、同市役所で開かれ、関係者約50人が出席した。市財源での実現が困難とされる江戸川乱歩顕彰施設の整備計画を巡り議論がまとまらず、今年度の事業計画案は、同事業を除いて承認される異例の事態となった。【傳田賢史】

冒頭、来賓として出席した亀井利克市長が「全国に例のない試み。住民が支えあう、まちなか再生を成功させたい」と力説した。その後、今年度役員の改選や、施設整備後の管理運営に当たる「まちなか運営協議会」設置が承認された。

続いて、事業計画案の検討に入った。乱歩関連施設整備事業で、生誕地の「旧桝田医院第2病棟」(同市本町)の解体工事費などに計950万円が計上された計画案に対し、出席者から「昨年度の計画案では乱歩文学館の整備が明記され、総会で承認もされた。変更に関し、なぜ何の情報もないのか」「市長が『乱歩』をどうしたいのかが見えてこない」などと不満の声が相次ぎ、承認が先送りされた。

総会後、同市の荒木雅夫・まちなか再生担当監は「予算の制約や、建設後の維持管理費などを考えると、市としては難しい」と話した。

それはまあ、そうであろう。「全国に例のない試み」ってのは、たぶんそうであろうと思う。日本全国津々浦々、金のわらじで探したって、ここまでおまぬけな自治体はざらにゃ転がっておらんだろう。市民の誇りといっていいかもしれぬ。

つづいて、昨年6月14日付中日新聞ウェブニュース「江戸川乱歩の生家復元計画を断念 名張市長が表明」から引用。

   
名張市の亀井利克市長は十三日、本町の旧桝田医院第二病棟跡地に地元出身の作家江戸川乱歩の生家を復元して「乱歩文学館(仮称)」を整備する計画を断念し、跡地は広場として記念碑を建立する程度にとどめる考えを示した。市議会一般質問で明らかにした。

亀井市長は「二〇〇六年度のまちなか再生委員会総会で、生家復元をイメージした乱歩関連施設の整備に向け、施設計画や維持管理運営方針などを検討していくことになったが、その後、住環境面への配慮や維持管理費の在り方などから、市として施設整備計画を見直すことになった」と説明した。

跡地は「広場として乱歩生誕地碑や生誕の証しが分かるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩顕彰の場として整備する方向でまちなか再生委員会役員会などと引き続き協議を進めたい」との考えを示した。

このあたりにツッコミを入れはじめたら際限がなくなるので、過去に述べたところを引いておく。

名張人外境:乱歩文献打明け話 僕の住民監査請求

   
「何が起きたのか理解できないニュースというのが名張市にもありましてね」
「どんなニュースでした」
「名張市が乱歩文学館の建設を断念」
「新聞に出てましたね。名張市長が市議会で建設断念を表明したそうですけど」
「さっぱり理解できません」
「なんでですねん」
「乱歩文学館について検討していたのは名張まちなか再生委員会なんです。むろんインチキな話ではあるんですけど」
「でも二〇〇六年度の総会で乱歩文学館を建てることになったそうですから」
「再生委員会と名張市がプランを勝手に変更できる『時点更新』とかゆうインチキ制度をでっちあげただけなんです」
「それでOKゆうことにしたんですか」
「身内で決めただけで市民のコンセンサスなんかどこにもありません」
「乱歩文学館を望む市民の声はあるのとちがいますか」
「そんな市民がどこにいるねん」
「それを聞いてどうするんですか」
「思いきり叱り飛ばしたるねん」
「叱らんでもええやないですか」
「不心得な市民は叱り飛ばしたらなあかんのですけどたしかに乱歩文学館をつくろうという声は昔からあったんです」
「それやったらよろしがな」
「けどそうゆう市民要望にはきちんとノーをつきつけとかなあきません」
「なんでですねん」
「どうして名張市に乱歩文学館を建設しなければならないのか。かんじんの理由がその要望からは欠落してるんです」
「なんでそんなことわかりますねん」
「そしたら乱歩文学館が必要やゆうてる市民つかまえてなぜそんな施設を税金で建てなあかんのか質問してみなさい」
「どないなりますねん」
「誰のために文学館を建てるのか。そんなもん建てて何をするのか。質問に答えられる市民はひとりもいないはずです」
「乱歩顕彰とかよくいわれますけど」
「それがおこがましいんです」
「なんでですねん」
「顕彰ゆうのは世に知られていないものをひろく知らせることなんです」
「それやったら乱歩は大メジャーですから顕彰なんか必要ないわけですね」
「事実はまったく逆なんです」
「何が逆なんですか」
「乱歩という有名作家の名前を利用して名張市というあまり知られていない自治体を有名にしたいだけの話なんです」
「それが市民要望の本音ですか」
「市民のみならず行政サイドの願望もそうなんです」
「そしたら乱歩文学館構想の正体はやっぱり自己顕示欲とかそんなんですか」
「そこらのお姉さんが有名ブランドに執着する以上のものではありません。要するにうわっつらだけなんです」
「それで乱歩文学館の中身のことがいつまでも決まらなかったわけですか」
「うわっつらのことしか考えられない人間にできるのはせいぜい乱歩文学館ゆうハコモノの名称を思いつくぐらいです」
「そこから先には一歩も進めないと」
「本も読まんような連中が文学館とかいいだすから話がおかしくなるんです」
「ほなどないしたらええんです」

さてそれで、中日新聞の記事には、「広場として乱歩生誕地碑や生誕の証しが分かるモニュメント的な整備にとどめ」とあった。つまり昨年6月13日の時点で、桝田医院第二病棟跡地を広場とすることが、名張市都市環境部という密室のなかで決められていたのである。むろん、市民の声などはどこにも反映されてない。ただ単に、名張市の勝手な都合を押しつけるための、うわっつらだけをとりつくろってその場をしのぐための決定である。

中日の記事には、「乱歩顕彰の場として整備する方向でまちなか再生委員会役員会などと引き続き協議を進めたい」ともあった。ところがこれが、というか、これもまた、とんでもないうそっぱちであった。名張市と名張まちなか再生委員会との協議の場は、具体的には、おとといの乱歩関連事業検討委員会であったということになる。しかし、すでに広場の設計は終了しているのである。いまさらなんの協議か。協議もくそもないではないか。ま、江戸川乱歩生誕地碑広場の整備事業にあたっては市民の意見を反映させました、みたいな事実をでっちあげておくためには、こういった場が必要であったのかもしれない。A案、B案、C案、このみっつのなかから、君たち市民に好きなものを選ばせてあげよう、といったところか。

それにしても、名張まちなか再生委員会もえらくこけにされたものではないか。名張市のやってることは、どう考えたっておかしい。考えなくたっておかしい。徹頭徹尾おかしいのである。いいかげんにしろ低能、といってやるべきなのである。桝田医院第二病棟跡地を広場にするなんてのは、名張市が勝手に決めたことである。勝手に設計まで終えてしまっているのである。ならば好きにしろ。勝手にしろ。このまま勝手に整備を進め、勝手に完成記念セレモニーでも開いて喜んでおればいいのである。楽しみだよなあテープカットが。

あすにつづく。
名張ロータリークラブの「少年少女乱歩手帳」が、ようやく完成したらしい。無駄に立派な公衆便所つき名張地区第二公民館にも置くらしいが、やなせ宿なんて行きたかねーやばーか、とおっしゃる市民のために、名張市立図書館でも配布してもらえるよう、関係筋に依頼しておいた。くわしいところは名張ロータリークラブへご確認を。電話番号は0595-63-1338である。

さて、昨15日夜、名張市役所で名張まちなか再生委員会の乱歩関連事業検討委員会が開かれた。行ってきた。あまり時間がないので、委員会の報告はあすとする。
さらにひっぱる。7月5日に催されたやなせ塾第二回の話題である。テーマが「江戸川乱歩を知る」というものだったので、名張ロータリークラブから「少年少女乱歩手帳」をご寄贈いただき、ご来場各位への配りものとした。同クラブが発行し、名張市と旧青山町の中学生全員にプレゼントする手帳である。

手帳といっても、A3サイズ一枚の印刷物である。

こちらA面。

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こちらB面。

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これがなぜ手帳になるのかというと、中央に一本、切り込みを入れてあるからである。

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┃    :少年少女:    :    ┃
┃    :乱歩手帳:    :    ┃
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図の赤い実線が、切り込みである。点線部分に折り目を入れて、うまく折りたためば、手帳みたいな感じになる。

最初から折りたたんだものを提供すればいいではないか、との意見もあろうが、それでは面白くない。完成品を手渡すよりは、中学生諸君にも完成までのプロセスに加わってもらい、それぞれの手で完成品をしあげてもらいたい。折りたたみかたには人によって微妙なずれが生じるはずだから、これすなわちオンリーワンである。むろん、ちょっとした頭の体操になるし、おおげさにいえばミステリーへのチャレンジにもなる。

それに、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが連載されていた「少年」や、「ぼくら」「冒険王」「少年画報」などといった往年の月刊少年雑誌には、かならず別冊付録というのがついていて、男の子は夢中になってそれを組み立てたものであったが、これはその興趣を、現代の中学生諸君におぼろげながら追体験してもらう試みでもある。だから、A3の紙一枚に切り込みを入れただけで提供するのがよろしい。

などといったねらいを名張ロータリークラブ側にお伝えしたのだが、それ以外に、製作費をできるだけ切りつめなければならないという、非常に切実な問題もあった。クラブ側からは、中学生諸君に乱歩のことを紹介する冊子をつくりたい、との申し出をいただいたのだが、ちゃんとした冊子つくるにゃ予算額がひとけた少ねーだろーが、てめーらなーに考えてんだ、みたいな状況であったので、A3サイズ一枚の印刷物とし、さらには折りの手間賃をゼロとするため、あえて折りたたまなかったのだと勘ぐっていただいても結構である。

それでこの「少年少女乱歩手帳」、実際にできあがったのかどうか、いまだに不明である。7月5日、やなせ塾第二回の時点では、印刷は終了していたもののまだ切り込みが入っておらず、名張ロータリークラブメンバー渾身の手作業によって一枚一枚、切り込みを入れていただいたものを配りものとした。以来一週間以上たつのだから、もうできあがっているころだとは思うのだが、いったいどうなっておるのか。なにしろ6月30日の年度末を目前にした予算消化事業だから、クラブメンバーから当方に相談の入った時期がいかにも遅く、したがって完成も遅くなっている。

そういえば、やなせ塾第二回のもうひとつの配りもの、二銭銅貨煎餅を購入するため中町の山本松寿堂に足を運んだときにも、やなせ宿に置いてあると新聞で報道されていたので、「少年少女乱歩手帳」を入手するべくやなせ宿を訪れたのだが、そんなものはどこにもなかった、とご主人からお叱りをいただいた次第であった。夏休みを迎えるまでに、中学生諸君は手帳を手にすることができるのであろうか。ミステリーだよなあまったく。

ともあれ、ロータリークラブだの、あるいはライオンズクラブだの、ああいったものは、実態についてはほとんど何も知るところはないのだが、ちょっと見の印象だけでいうならば、無教養きわまりないスノッブ団体ではないかと思う。しかし、たとえそんな団体であっても、また、年度末のかけこみ消化事業であっても、当方のごとき有能なコンサルタントに依頼しさえすれば、そこそこのことができるのである。なかなかのものである、と人からうっかり賞讃されるようなこともできるのである。ロータリーやライオンズにはかぎらない。市民から無策無能無責任とすっかりばかにされている名張市や名張市教育委員会も、頭をつかわねばならぬ事態が出来したらいつでも相談してきなさい。ていうか、たまにゃ頭もつかえよな。どうぞごひいきに。
きのう、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトから、はがきが届いた。「第16回歴史拠点整備プロジェクト会議の開催について」とある。内容はこんなん。

   
みだしの会議について、下記のとおり開催させていただきますのでご出席賜りますようお願い申し上げます。

日時:平成20年7月22日(火)19:00〜
場所:名張市役所3階 304会議室
議題:
1.やなせ塾の反省について
2.今後の活動について
3.その他

ご苦労であったな、かんなくずの親分。

そういえば、少し以前、名張まちなか再生委員会の乱歩関連事業検討委員会からも、はがきが届いた。「乱歩関連事業検討委員会の開催について」とある。内容はこんなん。

   
みだしの会議につきまして、下記のとおり開催させていただきますのでご出席賜りますようお願い申し上げます。

日時:平成20年7月15日(火)19:00〜
場所:名張市役所3階 304会議室
議題:
1.乱歩広場整備について
2.その他

何が協議されるのか、とんと不明である。桝田医院第二病棟跡地に整備される江戸川乱歩生誕地碑広場については、すでに設計業務委託の入札が終了している。

名張市公式サイト:条件付き一般競争入札発注情報(測量・建設コンサルタント業務)(pdf)
名張市公式サイト:入札結果情報 平成20年1月23日 条件付き一般競争入札結果調書

赤井測量設計名張営業所が契約金額168万8400円で落札したのは、今年1月23日のことである。契約履行期限は3月15日とされているから、広場の設計なんてとっくに終わっているはずである。いまごろになって、いったい何を協議するというのか。あいもかわらず、わけのわからぬことである。ま、ことと次第によっては、おおいに暴れてきてやる所存である。

しかしそれにしても、名張まちなか再生委員会のニューヒーロー、と人から賞讃されるのも当然ではあろうな。地域社会の害虫と呼ばれ、長きにわたって仮死状態におちいっていた名張まちなか再生委員会が、わずかひとりの人間、ただしそれは、きわめて優秀有能で誰からも愛される人間的魅力のもちぬしでなければならぬのだが、そうした人間がわずかにひとり加わっただけで、みるみる生命力を取り戻し、いきいきと活動を再開したのである。まさしく再生である。

名張まちなか再生委員会が完全に再生したら、そのあとは正面からぶっ壊してやることになるのだが、それはいったいいつのことか。6月1日の総会では、委員会の規約の見直しを早急に進め、臨時総会を開いて委員にはかる、と説明されていたのだが、いまだいっこうに音沙汰がないではないか。またうそかよ。またその場しのぎかよ。またうやむやかよ。いいかげんにしろよなまったく。
5月の話である。

5月29日:おてがみまだかな 上

遅れに遅れて、というか、こんなエントリがあったことなどほとんど忘れていたのだが、本日はそのつづき、「下」となる。

きのう、名張市企画財政部広報対話室からメールが届いた。件名は「『市長への手紙』返事の遅延について」。

   
中 相作 様

「市長への手紙」をお寄せいただきありがとうございます。
お寄せいただいたメールが、メールサーバの障害により、「市長への手紙」のメールアドレスに到着していないことが、7月9日判明いたしました。大変ご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げます。
現在、プロバイダから記録を取り寄せ、市長に回送中でございます。
返事につきましては、今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。
今後は、このようなことが、起こらないように細心の注意を払ってまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

そういう事情であったとは知らなんだ。なんだシカトかよ、放置プレーかよ、といつか邪推し、決めつけていた。伊賀者だものとはいうものの、人を疑い勘ぐることしかできぬ自分が恥ずかしい。むろん、プロバイダはいったいどんなメンテナンスしてんだよ、などといったツッコミはいくらでも可能であるが、とりあえず返信を送っておいた。最近、名張市役所の特定のセクションやまちなか運営協議会あたりでは、当方のメールが「不幸のメール」と呼ばれて蛇蝎のごとく忌み嫌われているらしいのだが、通知にたいする礼は述べておくべきだろう。

文面は次のとおり。件名は「お世話さまです」としたのだが、これはむしろ「幸福のメール」としておくべきであったか。

   
メール拝受いたしました。「市長への手紙」のご返事の遅延の件、了解いたしました。わざわざお知らせをいただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

2008/07/11

この一件、きょうの中日新聞で報じられている。

中日新聞:市民のメール30通“放置” 名張市HP、サーバー故障

よく考えてみると、状況はなんだかややこしい。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信したのは、こんな質問であった。

・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

細川邸を歴史資料館として整備する、という名張まちなか再生プランの構想をひっくり返したのは、どこでもない、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトである。そして当方、いまやそのプロジェクトの花形メンバーなのである。なんともややこしい話ではないか。5月29日付エントリ「おてがみまだかな 上」を書いた時点ではまだ知らされていなかったのだが、その前日、28日の夜に開かれた名張まちなか再生委員会の役員会で、当方の委員会加入が認められていたのである。それはとても信じられぬことであったので、翌日のエントリはこんなぐあいになった。

5月30日:超へんてこな命運である

あとの展開は、もう無茶苦茶である。6月1日の名張まちなか再生委員会総会から、7月5日のやなせ塾懇親会まで、まるで予想もしていなかったことがつぎつぎに起きて、気がついてみれば、いまや当方、名張まちなか再生委員会のニューヒーローと呼ばれる身となっている。世の中ってのはほんと、わっかんねーもんだよなあ。ともあれ、名張市企画財政部広報対話室の要請にしたがい、「返事につきましては、今しばらくお待ち」することとする。これから何がどうなるのか、はっきりいって見当もつかんのだが。
土曜日である。先々週と先週の土曜日には、やなせ宿連続講座やなせ塾が開かれた。きょうは開かれない。やなせ塾のない土曜日である。だからもうひとつ、はりあいというものがない朝である。もうひとつこう、なんつーのか、めらめらっと内側から燃えあがってくるものがねーんだよな。先々週も先週もあったのに、今週はどうしてやなせ塾がないのか。どうしてしゃべらせないのか。しゃべらせろしゃべらせろ。やなせ塾を開いて好きなだけしゃべらせろ。名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはいったい何を考えておるのか。しまいにゃ怒るぞ。好きなだけぺらぺらぺらぺらしゃべらせろというのだ。こちとらしゃべりたくってうずうずしてんだ。とにかくぺらぺらぺらぺらとだな、一度でいいからぺらぺらぺらぺら思う存分しゃべらせろというのだ。あ。いかん。いかんいかん。だんだんだんだん、かんなくず化してきたではないか。いかんぞこれは。
かんなくずの親分。きょうのエントリには、親分の話題はまったく出てこない。安心して読んでくれ。

たまには省略せずに記すと、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の話題である。7月5日に催された第二回のテーマは、「江戸川乱歩を知る」というものであった。講座の時間は九十分とした。開始から五十分は勢いで進め、十分間の休憩をはさみ、残り三十分は惰性でつづける。それで九十分の講座になる。

江戸川乱歩の名前が出てきたのは、開始から八十分が経過し、あと十分で講座が終わってしまうというころであった。江戸川乱歩を知る、ということは、このやなせ塾にかぎっていえば、名張という土地との関連性のなかで江戸川乱歩を知る、ということにほかならない。だから、古代から中世へ、そして近世へ連綿とつづいてきた土地の歴史をまず知ることが必要であり、その土地に生起した歴史事象のひとつとして、江戸川乱歩という個人の誕生をとらえる必要がある。

それでまあ、中世の土豪というか地侍というか、国人というか国衆というか、とにかく貧しくて小規模な領主たちがおたがいを監視したり牽制したり、少しでも抜きん出ようとするやつがいたら寄ってたかってそいつの足をひっぱったりして、とにもかくにも伊賀一国に形成され維持されていた水平的世界は、織田信長という戦国大名を頂点とする垂直的世界に徹底的に殲滅され、あえなく消え去ってしまった。信長はその直後、本能寺の変で世を去り、豊臣秀吉の天下となって、さらに徳川家康がこの国の覇権をにぎることになる。

その家康に命じられ、伊賀伊勢両国を支配することになったのが、藤堂高虎という大名であった。津藩の初代藩主である。二代目は高虎の実子、高次が継いだ。高虎の養子であった高吉は、大名の有資格者であったにもかかわらず、名張藤堂家の初代という低い地位に追いやられた。つまり、高虎なきあとの跡目争いにおいて、高次が勝ち、高吉が負けた。負けた高吉が名張にやってきた。高吉をひいきする名張の人間にとって、高次はにっくきあだである。しかし、そのあだである高次なかりせば、いやいや、かりに高次がいたとしても、それが川で洗濯をしている娘さんの真っ白なお尻にいきなりむしゃぶりついてしまうような自制心のない殿さまでなかったら、江戸川乱歩はこの世に生まれてなどいなかったのである。

やなせ塾第二回では、そういう話をした。名張という土地における歴史の流れのなかで乱歩の誕生という歴史事象を語るとなれば、そこまで話をひろげる必要がある。だからまあ、「江戸川乱歩を知る」というテーマであったにもかかわらず、かんじんの乱歩の名前がまったく出てこなくて、テーマそのものもすっかり忘れはててしまったころ、九十分の講座もあと十分でおしまいというころになって、いきなり江戸川乱歩が登場してきたのだから、受講してくださっていたみなさんにはそこそこサプライズを感じていただけたのではないか。乱歩の名を印象深く胸に刻んでいただけたのではないか。結構結構、それで結構。

そんなこんなで、やなせ塾第二回「江戸川乱歩を知る」においては、江戸川乱歩にかんする衝撃の事実を、歴史の真実というやつを知っていただいた。しかしまあ、ただそれだけであった。もしかしたら、反省しなければならんのかもしれん。お詫びのしるしに、当日配付した資料を掲げておきたい。なんのお詫びにもなっておらんか。わっけわかんねーよな実際。

資料A面。
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つづいて、資料B面。
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この資料、AB両面を一枚の紙にコピーして配付したのだが、いまふり返ってみるに、あのコピー代はいったいどこから出たのであろうか。プロジェクトメンバーの誰かが、かわいそうに自腹を切っているということか。しかし、案ずるな。わが名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはいまや、やなせ塾講師の献身的自己犠牲的配慮によって大枚956円の活動費を有する身となっている。かまわん、あの活動費から第一回と第二回のコピー代を差っ引いておけ、といってやりたいところなのだが、きょうは話題にしないと約束してしまったから、いってやれないのがつらいところである。はた迷惑なやつだよなあまったく。

ここで、ひとつお知らせである。皇學館大学社会福祉学部の月例文化講座で、やなせ塾なんかよりはるかにちゃんとした江戸川乱歩の話をお聴きいただける。乱歩の命日も近い7月26日の土曜日、ということは、協賛金が集まらなくてひいひいいってるらしい名張川納涼花火大会の日でもあるのだが、この日、「江戸川乱歩と名張」をテーマとした特別講座が開かれる。講師は准教授の三品理絵さん。午後2時から春日丘七番町の名張学舎一号館で開催され、受講は無料。近鉄大阪線名張駅東口を午後1時30分に発車する同大学のスクールバスが利用できる。

皇學館大学公式サイト:公開講座のご案内
名張市公式サイト:広報なばり(テキスト版)7月1週号 皇學館大学公開講座(特別講座)

やなせ宿連続講座やなせ塾同様、皇學館大学社会福祉学部月例文化講座もよろしくごひいきをたまわるよう、お願いを申しあげておきたい。
たてつづけに読んだ二冊の新刊が思っていた以上に面白く、無駄に立派な以下略のやなせ塾で述べたことに響き合うところもあるので、やなせ塾の内容をフォローする意味で引用しておく。

まず、きのう読み終えたのが和田竜さんの『忍びの国』。新潮社刊、本体1500円。伊賀の国を舞台に、いわゆる天正伊賀の乱を描く。伊賀の忍びが主役を張る小説としては、近来にない面白さだと思う。先行作品として村山知義の「忍びの者」が連想されないでもないが、じつは相当ちがっていて、忍者たちが本能と第二の天性のおもむくまま、野生の生命をいきいき躍動させることで読者を楽しませてくれる点は、やっぱ山田風太郎版忍法小説の血脈とみるべきか。

面白さを支えているのは、伊乱記や勢州軍記、正忍記や万川集海をはじめとした資料によって基盤がしっかり固められ、そのうえに想像力を駆使した物語の世界がくりひろげられている点に求められよう。全篇を貫いているのは、

「──伊賀の者どもは人ではない」

という基調低音であって、とても人間業とは思えない忍びの術はもちろん、「伊賀の者ども」の冷酷、残虐、背信、狡猾、策謀、我欲などなど、伊賀の人間が読めばなんとも自虐的な快感を得ることになるであろう特性を全開にした忍者群像が描かれる。伊賀のみなさんにとくにお薦めするゆえんであるが、そんなことはべつにしても、決闘シーンの斬新さや合戦シーンの迫力も申しぶんなく、戦国武者の人物造形もなかなかに魅力的、開巻当初は、いかにも当代の若者ふうなことばづかいもあって、ん? と思われないでもない主人公のキャラクターも、終幕にいたって伊賀という風土に深くかかわるものであったと知らされる。

みたいなことは、やなせ塾とはあまり関係がない。やなせ塾で述べた中世伊賀の水平的世界に関連するあたりを、第二章から引いておく。

   
伊賀国は、四方を山々に囲まれた上野盆地を中心とする一帯を領域としていた。東で国境を接する伊勢国に対しては、鈴鹿山脈から布引山地に至る南北に連なる山々が衝立のごとき役割を果している。
藤堂元甫が江戸期に編纂した『三国地誌』によると、伊賀国の境域は「東西九八里余、南北凡拾里余」とされる。石高は十万石程度だったという。
小国である。
この小国の中に現在確認されているだけでも、六百三十四箇所の中世城館が存在していたという。さらに未確認のものが二百三十四箇所あるらしい。どこまでが同時期に活用されていたか定かではないが、合計八百六十八箇所の城館が伊賀国の中でひしめいていたことになる。
異常な数である。
『勢州軍記』には、戦国期に伊賀の地侍は六十六人いたとされている。この六十六人が八百超の中世城館を有していたのかどうか。
この六十六人の地侍どもがどの程度の数の城館を有していたかはともあれ、こんな異常な数の要害を築くのには理由があった。
江戸初期に菊岡如幻が伊賀国での戦乱について記した『伊乱記』によれば、鎌倉幕府滅亡以降、伊賀国は二百四十年近くの間、守護が不在も同然であったのだという。守護自体はいるにはいたが、統べ治めていたとは言えず、実際、地侍によって伊賀から叩き出された守護もいた。
他国では戦国大名が生まれ、より広範囲の地域を支配する勢力が出てきていた時代である。しかし、伊賀では小領主(地侍)が乱立し、しかもそれぞれが極めて仲が悪かった。このような情勢の中、異常な数の中世城館が築かれ、同時に互いを討ち果たす忍びの術が磨かれていった。
「国士邪勇につのり、無道の我意を行なひ(中略)其の身の分限を忘れて、無上の奢を極め、(中略)親子連枝の好をも憚らず、乱逆をなし、日夜討伐をのみ之れ事とす」
『伊乱記』には、戦国期の伊賀の状況がこんなふうに記されている。
地侍たちは頭を抑える大勢力がいないのをいいことに、我を張り合い、親子親戚も関係なく互いが互いをやっつけようとしていたのだという。
同書には地侍たちが巻き起こした戦(というより喧嘩刃傷沙汰)も記されているが、いずれも喧嘩の理由は取るに足らない些細なものだ。

つづいて、安田次郎さんの『走る悪党、蜂起する土民』。小学館の全集「日本の歴史」第七巻、本体2400円。巻末の「おわりに」から引いておく。

   
中世びとに学ぶ
ひるがえって今日の日本の社会をみると、南北朝・室町時代に劣らないほどの危機的な状況にある。もちろん、列島各地で血が流される合戦が起きているわけではないが、つぎの世代に押しつけられようとしている国の膨大な借金、目前に迫ってきた超高齢・少子化社会、「失われた一〇年」の犠牲にされた年齢層と、グローバル化・規制緩和の掛け声のもとで増加した非正規雇用、その結果として格差の出現、各方面でみられるモラル・ハザード等々、われわれもまた瀬戸際まで追い込まれている。そして、間違いなくその原因のひとつは、政治や経済への「参加」に及び腰であったわれわれにある。
四〇年前に大学のキャンパスに足を踏み入れたとき、われわれ新入生を迎えてくれたのは、熱く日本の政治や社会を語り、アジアの民衆との連帯と平和を説き、時には過激な行動も辞さない団塊の世代だった。いわゆる大学闘争はそのピークを過ぎていたが、少し遅れてきたわれわれにもその余熱は強く感じられた。もちろん、冷めた目で見る人たちもいたが、キャンパスや社会には変革への気運が高まっていた。少なくとも未熟な私に「夜明けは近い」と錯覚させるには十分だった。
しかし、夜は明けず、政治の季節は過ぎ去り、団塊の世代もわれわれも、それぞれに生きる場所を社会のなかに得て忙しく過ごしてきた。かつて騒がしかったキャンパスも落ち着きを取り戻し、タテ看の間を縫うようにして歩くこともなく学生たちは行き交う。ノンポリが死語になって久しい。
戦後六〇年がたち、たしかに日本人は豊かな社会を実現した。しかしそれは、たとえば働きすぎによる過労死をいつまでも撲滅できず、老後の不安が消えないためにせっせと貯蓄に励まなければならないような、一面では貧しい、いびつな社会である。それに加えて、最近では先述のような格差や世代間対立も大きな問題となってきた。
これらにどう立ち向かっていけばよいのか。誰も確かな処方箋をもっていない。手探りで進むしか道はなく、いっさいの痛みを避けていては十分な回復を期待することはおそらく無理だろう。今後日本の社会が厳しい局面に立たされることは間違いあるまい。
しかし、われわれは何度か大きな危機を乗り越えて今日を迎えている。歴史に、とくに中世びとに学ぶべきことは少なくないだろう。つぎの戦国時代もまた寒冷期だったといわれている。苛酷な自然条件に加えて戦乱が絶えず、いわば危機が日常化した時代であった。そのなかから近世社会が生まれてくる。それが次巻の範囲である。

おとといも記したことなれど、現在というやつをしっかり理解し、未来というやつをきっちり見さだめるために、人は歴史を学ぶのである。やなせ宿がそのための場になるのはいいことだと思うのだが、やなせ塾の第三回と第四回は、そしてそれ以降は、あるいは子供たちのための夏休みやなせ塾は、さらにはやなせ宿を笑いの絶えない名張まちなか不景気亭に変貌させる寄席化計画は、それぞれいったいどうなるのか。これらはすべて、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトリーダー、かんなくずの親分の腹ひとつで動きだすのである。名張まちなかは親分の決断を待っているのである。かんなくずの親分、なかなか責任重大である。
7月5日夜、名張市新町の酒蔵空間で催されたやなせ塾懇親会の決算報告が、7月8日付エントリへのコメントで寄せられた。

7月8日:夏休みやなせ塾はどうよ

収入は6万円、支出は5万9044円。956円の黒字となった。この956円は、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの活動費としてプールされる。懇親会にご参加いただいた各位にお礼を申しあげる。

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