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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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7月15日夜、名張市役所三階三〇四会議室、名張まちなか再生委員会乱歩関連事業検討委員会。

配付された事項書には、こうあった。

1.あいさつ
2.乱歩生誕地碑広場整備について
3.その他

乱歩生誕地碑広場整備について、などというのは、じつにわけのわからん話である。広場の設計はとっくに終わっている。げんに委員会では、「桝田医院第2病棟活用イメージ」なるものが資料として配られた。同工異曲の三案のうち、A案とやらがこれである。

20080717a.jpg

話はここまで進んでいる。おとといの委員会で行政サイドから説明されたところによれば、広場を整備する工事の入札が8月、開札が9月、秋には竣工を迎えるとのことであった。しかしそんなものは、名張まちなか再生委員会にはなんの相談もなく、名張市が勝手に決めたことである。市民も市議会も関係がない。むろん、整備のための予算は3月の定例会で承認されているはずだから、その意味においては市議会のOKが出ていることになるのだが、しかし、あんな市議会ではなあ。

では、誰が決めたのか。桝田医院第二病棟の跡地を広場にする、なんてことをいったい誰が決めたのか。市民にとってはまったくの謎である。ミステリーである。委員会の席で行政サイドに確認したところ、名張市都市環境部が決めたとのことである。そんな決定に、はたして正当性があるのか。ないない。あるかそんなもん。根拠もなければ目的もない。例によって例のごとく、その場しのぎでしかない。うわっつらだけをとりつくろう弥縫策でしかない。

昨年6月3日付毎日新聞のウェブニュース「名張まちなか再生委:総会で乱歩施設巡り紛糾 事業計画案、承認先送り /三重」から引用。

   
官民一体で名張市の活性化推進を目指す「名張まちなか再生委員会」(田畑純也委員長)の07年度総会が2日、同市役所で開かれ、関係者約50人が出席した。市財源での実現が困難とされる江戸川乱歩顕彰施設の整備計画を巡り議論がまとまらず、今年度の事業計画案は、同事業を除いて承認される異例の事態となった。【傳田賢史】

冒頭、来賓として出席した亀井利克市長が「全国に例のない試み。住民が支えあう、まちなか再生を成功させたい」と力説した。その後、今年度役員の改選や、施設整備後の管理運営に当たる「まちなか運営協議会」設置が承認された。

続いて、事業計画案の検討に入った。乱歩関連施設整備事業で、生誕地の「旧桝田医院第2病棟」(同市本町)の解体工事費などに計950万円が計上された計画案に対し、出席者から「昨年度の計画案では乱歩文学館の整備が明記され、総会で承認もされた。変更に関し、なぜ何の情報もないのか」「市長が『乱歩』をどうしたいのかが見えてこない」などと不満の声が相次ぎ、承認が先送りされた。

総会後、同市の荒木雅夫・まちなか再生担当監は「予算の制約や、建設後の維持管理費などを考えると、市としては難しい」と話した。

それはまあ、そうであろう。「全国に例のない試み」ってのは、たぶんそうであろうと思う。日本全国津々浦々、金のわらじで探したって、ここまでおまぬけな自治体はざらにゃ転がっておらんだろう。市民の誇りといっていいかもしれぬ。

つづいて、昨年6月14日付中日新聞ウェブニュース「江戸川乱歩の生家復元計画を断念 名張市長が表明」から引用。

   
名張市の亀井利克市長は十三日、本町の旧桝田医院第二病棟跡地に地元出身の作家江戸川乱歩の生家を復元して「乱歩文学館(仮称)」を整備する計画を断念し、跡地は広場として記念碑を建立する程度にとどめる考えを示した。市議会一般質問で明らかにした。

亀井市長は「二〇〇六年度のまちなか再生委員会総会で、生家復元をイメージした乱歩関連施設の整備に向け、施設計画や維持管理運営方針などを検討していくことになったが、その後、住環境面への配慮や維持管理費の在り方などから、市として施設整備計画を見直すことになった」と説明した。

跡地は「広場として乱歩生誕地碑や生誕の証しが分かるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩顕彰の場として整備する方向でまちなか再生委員会役員会などと引き続き協議を進めたい」との考えを示した。

このあたりにツッコミを入れはじめたら際限がなくなるので、過去に述べたところを引いておく。

名張人外境:乱歩文献打明け話 僕の住民監査請求

   
「何が起きたのか理解できないニュースというのが名張市にもありましてね」
「どんなニュースでした」
「名張市が乱歩文学館の建設を断念」
「新聞に出てましたね。名張市長が市議会で建設断念を表明したそうですけど」
「さっぱり理解できません」
「なんでですねん」
「乱歩文学館について検討していたのは名張まちなか再生委員会なんです。むろんインチキな話ではあるんですけど」
「でも二〇〇六年度の総会で乱歩文学館を建てることになったそうですから」
「再生委員会と名張市がプランを勝手に変更できる『時点更新』とかゆうインチキ制度をでっちあげただけなんです」
「それでOKゆうことにしたんですか」
「身内で決めただけで市民のコンセンサスなんかどこにもありません」
「乱歩文学館を望む市民の声はあるのとちがいますか」
「そんな市民がどこにいるねん」
「それを聞いてどうするんですか」
「思いきり叱り飛ばしたるねん」
「叱らんでもええやないですか」
「不心得な市民は叱り飛ばしたらなあかんのですけどたしかに乱歩文学館をつくろうという声は昔からあったんです」
「それやったらよろしがな」
「けどそうゆう市民要望にはきちんとノーをつきつけとかなあきません」
「なんでですねん」
「どうして名張市に乱歩文学館を建設しなければならないのか。かんじんの理由がその要望からは欠落してるんです」
「なんでそんなことわかりますねん」
「そしたら乱歩文学館が必要やゆうてる市民つかまえてなぜそんな施設を税金で建てなあかんのか質問してみなさい」
「どないなりますねん」
「誰のために文学館を建てるのか。そんなもん建てて何をするのか。質問に答えられる市民はひとりもいないはずです」
「乱歩顕彰とかよくいわれますけど」
「それがおこがましいんです」
「なんでですねん」
「顕彰ゆうのは世に知られていないものをひろく知らせることなんです」
「それやったら乱歩は大メジャーですから顕彰なんか必要ないわけですね」
「事実はまったく逆なんです」
「何が逆なんですか」
「乱歩という有名作家の名前を利用して名張市というあまり知られていない自治体を有名にしたいだけの話なんです」
「それが市民要望の本音ですか」
「市民のみならず行政サイドの願望もそうなんです」
「そしたら乱歩文学館構想の正体はやっぱり自己顕示欲とかそんなんですか」
「そこらのお姉さんが有名ブランドに執着する以上のものではありません。要するにうわっつらだけなんです」
「それで乱歩文学館の中身のことがいつまでも決まらなかったわけですか」
「うわっつらのことしか考えられない人間にできるのはせいぜい乱歩文学館ゆうハコモノの名称を思いつくぐらいです」
「そこから先には一歩も進めないと」
「本も読まんような連中が文学館とかいいだすから話がおかしくなるんです」
「ほなどないしたらええんです」

さてそれで、中日新聞の記事には、「広場として乱歩生誕地碑や生誕の証しが分かるモニュメント的な整備にとどめ」とあった。つまり昨年6月13日の時点で、桝田医院第二病棟跡地を広場とすることが、名張市都市環境部という密室のなかで決められていたのである。むろん、市民の声などはどこにも反映されてない。ただ単に、名張市の勝手な都合を押しつけるための、うわっつらだけをとりつくろってその場をしのぐための決定である。

中日の記事には、「乱歩顕彰の場として整備する方向でまちなか再生委員会役員会などと引き続き協議を進めたい」ともあった。ところがこれが、というか、これもまた、とんでもないうそっぱちであった。名張市と名張まちなか再生委員会との協議の場は、具体的には、おとといの乱歩関連事業検討委員会であったということになる。しかし、すでに広場の設計は終了しているのである。いまさらなんの協議か。協議もくそもないではないか。ま、江戸川乱歩生誕地碑広場の整備事業にあたっては市民の意見を反映させました、みたいな事実をでっちあげておくためには、こういった場が必要であったのかもしれない。A案、B案、C案、このみっつのなかから、君たち市民に好きなものを選ばせてあげよう、といったところか。

それにしても、名張まちなか再生委員会もえらくこけにされたものではないか。名張市のやってることは、どう考えたっておかしい。考えなくたっておかしい。徹頭徹尾おかしいのである。いいかげんにしろ低能、といってやるべきなのである。桝田医院第二病棟跡地を広場にするなんてのは、名張市が勝手に決めたことである。勝手に設計まで終えてしまっているのである。ならば好きにしろ。勝手にしろ。このまま勝手に整備を進め、勝手に完成記念セレモニーでも開いて喜んでおればいいのである。楽しみだよなあテープカットが。

あすにつづく。
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