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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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9月17日である。ということは、一周年である。このブログは去年の9月17日、中井英夫の命日を期して開設した。【平成20・2008年11月5日追記:「命日」とあるのは「誕生日」の誤りである】

いわゆるジーパンというやつを、もう二十数年、身につけていない。若いころには愛用していて、これがまたすこぶる似合ったものであったが、あるとき、三歳児から老人までがこぞって着用しているジーパンなんて、はいていたって面白くもなんともないではないか、という気になった。それで、身につけるのはやめてしまった。おなじような理由で、つまり、だれもかれもが何かに感染でもしたみたいに手を染めているブログというやつに、わざわざ手を出すつもりはまったくなかった。

それがどうして、ブログを開設することになどなったのか。名張のまちを記録しておく必要がある、と考えたからである。衰退いちじるしい、そしてその衰退がさらに度を深めてゆくであろう名張のまちを、文章と写真で記録しておく必要がある。あるいは、このまちでどんな歴史が刻まれ、どんな生活が営まれたのか、過去の文献にもとづいて整理し、公開しておく必要がある。そう考えたからである。だから、ブログタイトルの下にあるとおり、これは「三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ」なのである。

ほかの理由もあった。平成11・1999年の10月、ウェブサイトを開設した。メインコンテンツは江戸川乱歩のデータであるが、ブログなどというものがいまだ存在しないころから、毎日のように文章を発表していた。すると、この地域のことに話題がおよぶ場合もある。たとえば平成16・2004年、三重県が芭蕉生誕三百六十年にかこつけた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業を実施したとき、その予算をかすめ取って江戸川乱歩と小酒井不木の往復書簡集を刊行しようと考えたため、官民合同の事業実施組織に軽く首をつっこむことになった。これがひどい組織であった。どいつもこいつもばかばかりだったものだから、こんな連中が三億もの税金の具体的なつかいみちを決めていいわけがないと、ウェブサイトでうすらばか各位をいいだけこきおろす仕儀となった。事業は、さんざんな悪評のうちに終了した。

しかし、それだけでは終わらなかった。平成17・2005年、悪夢がよみがえった。このあたりのことはウェブサイトに記したので、同年7月2日付の文章から引用しておく。

   
欺瞞という名の幕開け

堅苦しいようだが、自己紹介から始めよう。
俺は名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託。嘱託というのはいつクビが飛んでも不思議ではないポジションだが、いまのところは現役だ。名張市教育委員会と半年単位で契約を交わしている。九月末日には契約が切れることになるが、それから先も嘱託でいられるという保証はどこにもない。
七月一日の朝。俺は名張市役所の玄関前に立ち、その堂々たるファサードを見あげていた。降り出した小雨が頬に冷たい。これから庁舎内を巡回するのだろう、セールスレディらしい若い女が俺を小走りに追い抜いてゆく。俺はトゥミのメッセンジャーバッグを抱え直し、正面に見える扉に進んだ。その先にはお役所という名の伏魔殿が待ち受けている。
三日前のことだ。俺はこの伏魔殿の都市計画室という部署にメールを入れた。名張まちなか再生委員会の事務局はどこにあるのか、それを問い合わせるメールだった。委員会のことは新聞記事で知った。見覚えのある名前だった。
名張まちなか再生プラン──。
名張市がそんな名前のプランを公表したのは今年二月のことだ。それに基づいてパブリックコメントが募集された。プランはいまだ正式に決定されてはいない。市民の意見を募って見るべきものがあればプランに反映させる。それがパブリックコメント制度の建前だ。
プランには歴史資料館の整備構想が盛り込まれていた。新町に細川邸という旧家がある。人が住まなくなった民家で、文化財的価値を有する建築物ではないが、それを歴史資料館として整備するのだという。名張市のオフィシャルサイトに掲載されたそのプランを読んで、俺は目を疑った。
そこには「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」という文章が記されていた。そしてそれだけしか書かれてはいなかった。歴史資料館の整備構想を示すプランに、肝腎の歴史資料の説明がわずかにそれだけしか書かれていなかったのだ。俺は職業倫理に突き動かされ、プランの不備を指摘するパブリックコメントを一気に書き飛ばした。
都市計画室は名張市役所の四階にある。名張まちなか再生委員会の事務局はここに置かれている。メールへの返事の電話でそう教えられた俺は、尋ねたいことがあるからと担当者との面談を要請した。指定された日時は七月一日午前九時。俺は八時五十五分に都市計画室に到着した。訪れるのはパブリックコメントを提出したとき以来のことだ。
担当職員二人とテーブルに着き、俺はまず自分の立場について説明した。お役所の縦割りシステムからいえば、図書館の嘱託である俺が建設部の職掌に口を出すのは明らかな越権行為だ。だが、そんな理屈はお役所の内部でしか通用しない。名張市役所に厳然として縦割りシステムが存在しているという事実は、市民に対するエクスキューズにはならない。
俺は江戸川乱歩という作家に関する仕事をするために、名張市民の税金から一定の報酬を得ている。図書館とは関係ない部署の事業であっても、乱歩に関するものなら俺はその事業に対して助言や協力を惜しむべきではないだろう。お役所の人間の目にはいかに奇異で非常識なものに映ろうとも、それが俺の職業倫理なのだ。
一時間ほどいて、俺は都市計画室をあとにした。市役所の四階から一階まで階段を降りながら、俺はたまたま捲き込まれることになったある事件を思い出していた。
──伊賀の蔵びらき事件……。
俺の職業倫理はあの事件と同じ匂いを嗅ぎつけている。名張まちなか再生プランがかすかな腐臭のように放っている、官民合同という名の欺瞞の匂い。三重県の行政が深く関わっていた伊賀の蔵びらき事件は結局迷宮入りとなり、一人の逮捕者も出すことはなかったが、結果として曖昧な汚名が青痣のように残った。その汚名は三重県のものなのか、あるいは俺自身に背負わされたものなのか。
もっとも、たとえその汚名が俺のものであったとしても、三重県には俺を表だって批難することはできない。俺を批難することはそのままみずからへの批判を呼び覚ますことにつながるからだ。そしてそれ以前に、俺は公立図書館というお役所に身を置きながら公式には存在を否定された人間、一箇のアンパーソンであるからだ。存在しない人間をあげつらうことは、たぶん神様にだってできない相談だ。少なくともヴィトゲンシュタインならそういうだろう。
俺は玄関の扉を押し開けた。これは間違いなく魔法の扉だ。それぞれの家庭や地域社会では善良な一市民に過ぎない公務員たちは、毎朝この扉を通過するたびに、まるでいきなりスイッチをオンにされたとでもいうように、お役所という無責任構造の一部と化し、システムの奴隷と化してしまう。外の世界の常識を忘れ、責任回避を金城鉄壁の行動原理とする、お役人と呼ばれる非人間的な生き物に変身してしまうのだ。
全館禁煙という拷問から解放された俺は、プリントシャツの胸ポケットからマイルドセブンライトを取り出し、ひしゃげたパッケージからひしゃげた煙草を取り出した。パッケージには喫煙の害が以前よりでかでかと印刷されている。喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。親切なことだ。日本はいつからこれほど人に優しい国になったのだろう。
ジッポのオイルが切れかけているらしく、なかなかつかなかった火はしばらく弱々しく揺れたあと、マッチのそれのようにふっと消えてしまった。マッチという言葉の連想から、俺は若くして自死を選んだある歌人の歌を思い出し、それから同じくマッチが想起させた別の歌人の歌を口にしてみた。
──身捨つるほどの祖国はありや。
火のついていない煙草をくわえたまま見あげると、雨はいつのまにかあがっていた。それでも空は幾重もの雲に覆われ、安っぽい書き割りめいて暗く垂れ込めつづけていた。

つまり、三重県による官民合同事業のあと、名張市によるまちなか再生事業に首をつっこむことになった。あの名張まちなか再生プランに「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と記されていなかったら、乱歩の名前さえ出てこなかったら、こちらから首をつっこむことにはならなかったはずである。しかし、乱歩の名が出てしまった以上、知らん顔をしていられる立場ではなかった。名張まちなか再生委員会に協力を申し出たのだが、ばかというやつはどうしようもない。途中経過はすっ飛ばしてしまうが、ウェブサイトには頻繁に、名張の話題が登場するようになった。

ウェブサイトが汚れてしまうではないか、と思った。愚かしいにもほどがある、と嘆かざるをえない名張の現実が、連日のごとくウェブサイトに登場するのである。目障りったらありゃしない、と思った。それで、名張の話題をウェブサイトからスピンオフさせるために、名張の話題に特化したネット上の場として、ブログを開設するべきかと考えた。喫緊の問題としては、昨年7月28日に提出した住民監査請求の結果が、そろそろ通知されてくるころでもあった。監査結果を徹底的にぼこぼこにしてやる場として、やはりプログが必要かと判断された。9月17日のブログ開設を祝福してくれるかのように、9月20日に監査結果が通知されてきた。いいだけぼこぼこにしてやった。

2007年9月20日:住民監査請求2007
2007年9月21日:住民監査請求棄却
2007年9月22日:監査結果吟味(1) コピー&ペーストに気をつけろの巻
2007年9月23日:監査結果吟味(2) 何もあきらかにされておらんぞの巻
2007年9月24日:監査結果吟味(3) 協働はきょうもインチキだったの巻
2007年9月25日:監査結果吟味(4) 眼をそむけたら事実はみえないの巻
2007年9月26日:監査結果吟味(5) ほんとは黒だが白ということにの巻

早いものである。あっというまに一年が経過した。むろん、事態は好転などしていない。逆である。もはやまったくの手詰まりである。名張市自慢の官民協働はどうなったのか。知れたことである。官は責任の回避である。主体性の放棄である。民は私利私欲である。金銭欲、名誉欲、権勢欲、支配欲、もろもろの欲の見本市である。名張まちなか再生プランはどうなったのか。名張まちなか再生委員会はどうなったのか。細川邸はどうなったのか。そして、名張のまちはいったいどうなったのか。9月16日、ウェブサイトに記したところをそのまま引いておく。

   
9月13日の土曜日は、日本を代表するミステリファン組織であるSRの会が三重県伊勢市で開催する2008年度全国大会の初日でした。伊勢といえば名張、名張といえば乱歩ということになりますので、大会日程には「乱歩生誕地を訪ねるオプショナルツアー」も組み込まれ、全国から十数人の方がわざわざ名張を訪れてくださいました。まず名張市立図書館の乱歩コーナー、それから雑草が生い茂って荒廃ぶりがただごとでない江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地、さらには土曜の午後だというのに人っ子ひとり通らなくてひたすら閑散としまくっている名張のまち、そういったあたりをぶらぶらしていただき、木屋正酒造や山本松寿堂や角田酒店で名張の銘酒銘菓もご購入いただいたのですが、ふらふら歩いてると秋の陽射しを浴びた名張のまちには静かな終末感が隠しようもなく漂っていて、名張もほんとに終わりだなとあらためて実感された次第でした。

江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地に立ったのはしばらくぶりのことだったが、残暑のなか、夏草がたけだけしく繁茂していて、荒廃ということばはけっしておおげさなものではない。SRの会のみなさんの印象も、むろんいいものではなかったであろう。こうしたファンは横の連携が密接だから、というか、そもそも名張訪問のあとにはミステリファンの全国大会が控えていたのだから、名張にある乱歩の生誕地碑がどんなひどいありさまになっているか、情報はたちまち全国のミステリファンにひろがったと考えるべきかもしれない。げんにおひとり、乱歩生誕地碑周辺の惨状にふれて、名張市は観光資源をもう少し大事にするべきだ、とメールで伝えてくださったかたがあった。しかしまあ、無理であろう。もうどうしようもない。

名張のまちを歩いたことは夏のあいだ一度もなかったと記憶するが、ウェブサイトにも記したとおり、もう完全に終わったな、という印象であった。終末感ということばも、やはりおおげさなものではない。じつはSRの会の全国大会は、平成6・1994年には名張市で開催された。乱歩生誕百年の年である。名張市主催の記念イベントにあわせて、全国大会が企画された。当時の名張市長は、そのイベントに全国から参加者があった、と何度も自慢げに吹聴していらっしゃったが、それはSRの会の全国大会が開催されたからこその参加者だったのである。ともあれ、以来十四年のあいだに、名張のまちの衰退はいよいよ深刻なものになってしまった。というか、もう手の施しようがないまでになっている。むろんこれは名張だけの問題ではなく、全国の地方が似たり寄ったりの事情であるだろう。ごく一部の大都市を除いて、この国には急速な壊死が訪れているといっていい。

とか書いていたら、ついいましがた、名張まちなか再生委員会事務局からメールが届いた。この質問への回答である。

   
名張まちなか再生委員会事務局御中

お世話さまです。名張まちなか再生委員会について、ちょっとお尋ねいたします。下記の二点について、メールでお答えいただければ幸甚です。

(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いを申しあげます。

2008/09/09

さっき頂戴した回答がこれ。

   
2008/09/09名張まちなか再生委員会事務局へのお尋ねについて
(1) 規約改正案を審議する臨時総会の開催時期について
<回答>—7月30日の役員会で配布した改正原案以降も若干の見直しをかけており、現在規約改正原案について調整中です。
調整後は役員会に諮り、役員会での意見のまとまり方等によって時期が変わってまいりますので、今後役員会と相談の上決めてまいります。

(2) 平成20年度の総会での案内板の文言表記の誤りについて
訂正することの可能性についての検討結果について
<回答>—修正します。

そういうことだそうである。あの規約改正案、「若干の見直し」といった程度のことではどうにもならない。名張まちなか再生委員会という組織の本質に眼をむけなければ、つかいものにならない。しかしまあ、こちらとしては臨時総会を待つしか手がない。あと、まちなか運営協議会の会長あての9月5日付質問、名張市公式サイト「市長への手紙」への9月8日付質問は、いずれもいまだ回答が寄せられぬのだが、これも待つしか手がないようである。あんまり遅いようだったら催促はかましてみるけれど。
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ジーパン姿と官民その場しのぎ連中についてひとこと
 ●永遠のJガール様
 ご投稿ありがとうございます。
 開設一周年でもおめでたくもなんともない感じなのですが、ご祝辞にお礼を申しあげます。そろそろ人間豹刺止鉤爪の時期を迎えておりますので、二周年はたぶんないであろうと予測しております。最後までよろしくおつきあいいただければと思います。
 私のジーパン姿はそれはもううっとりもので、名張の吉田栄作との呼び声も高かったのですが、吉田栄作さんがジーニストとして脚光を浴びたころには、こちらはとっくにジーパンを身につけなくなっていたのではないかという記憶もあり、若いころのことはすでに朦朧としております。短パン姿でご勘弁ください。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 ●一部関係者様
 ご投稿ありがとうございます。
 江戸川乱歩生誕地碑広場の案内板の件、名張まちなか再生委員会事務局からは訂正しますとの回答を頂戴したのですが、誤りを訂正するといったって、案内板にガムテープで紙を貼っつける程度のことしかできないであろうと思われますので、いったいどうやって訂正するのか、本気で訂正するのなら案内板の全面をすべてやり直したほうがいいのではないか、その場合はどこから予算が出るのか、などなど、いろいろ思い悩んでいたのですが、歩行者空間整備プロジェクトのチーフが訂正しないとおっしゃっているのであれば、たぶん訂正は実現されないことでしょう。
 ただしその場合には、事務局にお願いして、いったいなにをどう考えたらあんな不細工な案内板がつくれるのか、どうしてあんな明らかな誤りが生じてしまったのか、その誤りを訂正しない理由はなにか、などなど、チーフのご所見お考えをお聞かせいただくことになると思います。どんなお答えが返ってくるのか、じつに楽しみなことですが、それにしても官民双方、どちらをながめても、その場しのぎに適当なことばっかかましてる連中が多いのはじつに困ったものです。
 今後ともよろしくお願いいたします。
人間豹 URL 2008/09/19(Fri)18:27:00 編集
江戸川乱歩生誕地碑案内板の件
昨日の朝聞いた話ですが、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、担当のプロジェクトチーフは一部修正などする意志がなく、そのことは事務局に伝えてあると言うことでした。事務局とプロジェクトの意見が統一されないまま回答されたということですか。いったいどうなっているのでしょう?

官民協働かぁ...
なんかつらいぞ!



一部関係者 2008/09/19(Fri)11:04:20 編集
開設一周年おめでとうございます
といいますか、まだ一年だったのですね。てっきり何年もなさっているのかと勝手に思い込んでおりました。ブレのない安定感あるブログでいらっしゃいますので。
一年前といえば、ちょうど名張在住の田中徳三監督に映画を撮っていただいていました。あの頃なのですね…懐かしいです。
中先生が半ズボンをはいておられる理由もわかりました。半ズボン、まだ誰もはいてませんものね。でもジーパン(最近はデニムというらしいですが)姿の先生も拝んでみたいものです。
永遠のJガール 2008/09/17(Wed)23:51:03 編集
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