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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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簡単に、おさらいをしておく。名張市公式サイト「市長への手紙」往復メールのおさらいである。

5月15日。往信第一信。件名「やなせ宿について」。

   
先日、市街地整備室にメールで質問を送信したのですが、埒が明きそうもありませんのでこちらでお訊きします。質問はつぎのとおりです。

・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

5月20日。往信第二信。件名「ふたたびやなせ宿について」。

   
5月15日に、つぎの質問をお送りしました。

・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

しかし、うんともすんとも応答はなかった。「市長への手紙」のメールサーバーに不具合が生じていたらしい。7月11日、名張市企画財政部広報対話室からその旨を知らせるメールが届いた。件名は「『市長への手紙』返事の遅延について」。

   
中 相作 様

「市長への手紙」をお寄せいただきありがとうございます。
お寄せいただいたメールが、メールサーバの障害により、「市長への手紙」のメールアドレスに到着していないことが、7月9日判明いたしました。大変ご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げます。
現在、プロバイダから記録を取り寄せ、市長に回送中でございます。
返事につきましては、今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。
今後は、このようなことが、起こらないように細心の注意を払ってまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

7月18日。返信第一信。

   
中 相作  さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
メールサーバの障害により回答が遅くなり、お詫び申し上げます。

名張まちなか再生プランでは、確かに歴史資料館として整備することについて述べております。
その後、プランの具体化の為に設けられたまちなか再生委員会内の歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきたことなどもあり、歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも物販や飲食なども含む、複合的な利用が可能な施設とすることとなり、既存建造物である町屋を活用した「初瀬ものがたり交流館」として、訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをしたものです。
今後、やなせ宿として多くの人が本施設を訪れ、まちなかの魅力を高める拠点施設になっていくことを目指すものです。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。


平成20年7月18日

名張市長 亀井利克

7月21日。往信第三信。件名「みたびやなせ宿について」。

   
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。

・名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる変更、すなわち、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館として整備するという決定は、正当なものと考えるかどうか。

この場合の「正当」は、あくまでも手続き上の問題であるとお考えください。名張まちなか再生プランは、名張地区既成市街地再生計画策定委員会によって素案がまとめられ、市議会重要施策調査特別委員会でその素案が審議されたあと、素案を公開して市民のパブリックコメントも募集したうえで、最終的に決定されたものです。名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトは、プロジェクトだけの判断で、つまり、市議会や市民を無視して、プランに重大な変更を加えてしまいました。この変更、すなわち決定は、はたして正当なものであるのかどうか。その点をお訊きしております。

正当なものとお考えでしょうか。そうではないとお考えでしょうか。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/07/21

8月7日。返信第二信。

   
中 相作 さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。

「名張まちなか再生プラン」は平成16年6月から平成17年3月にかけて多くの市民の方々で議論され策定されました。
その中で旧細川邸は、旧家の風情を活かして母屋と蔵を改修し主用途を歴史資料館として整備し、また、来訪者の利便に配慮し駐車場、公衆トイレの整備、物販や飲食なども含む多様な市民のニーズに応えるための施設として整備してまいりました。
従いまして、初瀬ものがたり交流館として改修された「やなせ宿」でも名称は「資料館」から、より親しみのあるものへと変わっているものの、プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成20年 8月 7日
名張市長 亀井利克

8月12日。往信第四信。件名「よたびやなせ宿について」。

   
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。

・名張まちなか再生プランにもとづき、「主用途を歴史資料館として整備」したというやなせ宿には、どのような歴史資料が展示されているのか。具体的な名称をあげてお示しいただきたい。

ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/08/12

8月19日。返信第三信。

   
中 相作 さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。

お尋ねのやなせ宿での歴史展示資料ですが、現時点では「名張城下絵図」の複写版や、新町区百年史部会編纂による初瀬街道・新町今昔町屋分布(明治〜大正〜昭和初期)、新町の歴史と文化と伝統の複写版などを展示しています。
また、店の間、中蔵を利用し、生人形師亀本安八を紹介した新聞記事や資料、なつかしの名張と題して昭和初期の古地図や古写真なども展示しています。
今後も施設の活用方法について、創意工夫し、様々な歴史、文化を紹介できる場としていきたいと考えておりますので、ご支援ご協力をお願い致します。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成20年 8月19日

名張市長 亀井利克

さて、おさらいである。

返信第一信で明らかにされていたのは、名張まちなか再生プランには不備があったとする認識である。プランにあった細川邸を歴史資料館として整備するという構想を実現するには、新しく展示館を建設しなければならず、また管理体制などの課題も浮上してきたため、複合的な利用が可能な施設とすることにした。原文を引用して記すならば、「主用途としていた歴史的な資料の展示」は無理だと判断した。そういうことである。

それにたいし、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館にするという名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトによる決定は、はたして正当なものなのかどうかと尋ねたところ、返信第二信には、旧細川邸は「主用途を歴史資料館として整備」したと記されていた。歴史資料館が初瀬ものがたり交流館となり、さらにやなせ宿となっても、プランに盛りこまれた施設整備の基本的な方向性には変更がなかった、との認識が述べられていた。

言を左右にする、とはこういう態度のことを指す。きのうは左といい、きょうは右という。返信第一信には、主用途を歴史資料館とすることは無理であったと述べ、返信第二信には、主用途を歴史資料館として整備したと述べる。こうした幼稚きわまりない矛盾撞着がどうして生じるのか。いうまでもない。歴史資料館がやなせ宿となってしまったのはプランの変更であると認めてしまえば、それはそのまま市民や市議会を無視したということになるからである。市議会のチェックや市民のパブリックコメントを経てなされた決定を、名張まちなか再生委員会はあっさりくつがえしてしまった。そんな横紙破りを正当なものと認めてしまうことになるからである。

いや、問題は名張まちなか再生委員会のレベルにはとどまらない。すべての責任者は名張市長である。名張まちなか再生プランもまた、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が素案をまとめ、名張市長によって最終的に決定されたものである。歴史資料館からやなせ宿への変更も、その決定の最終責任者は名張市長にほかならない。名張まちなか再生委員会にはどんな権限も与えられてはいないのである。だから要するに、名張市長が正式に決定したプランに不備があったので、名張市長がそれに変更を加え、名張市長がやなせ宿として整備することを決定した、ということである。

ひとことでいえば、行政の主体性の問題である。名張まちなか再生委員会が細川邸を歴史資料館にしないと決めたとき、もう三年前のことなのであるが、委員会の事務局に足を運び、おまえらにそんな権限はないんだから、プランに変更を加えるのなら名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して練り直しさせろ、とごくまっとうな進言をしたのは当方である。事務局からは結局、それはできません、との回答があったので、だったら行政としての主体性を発揮してみろ、プランを最終的に決定したのは行政である、だったらプランの変更も行政の主体性のもとにいくらだって可能である、と市民の鑑のような進言をしたのも当方である。

その過程では、名張まちなか再生委員会の委員長、もっともこれは当時の委員長で、現在の小判鮫のご隠居のことなのであるが、その委員長にも、さらには当時の建設部長にもお目にかかり、ごくまっとうで市民の鑑のような進言をお聞きいただいたうえで、いわゆる善処というやつをお願いしたはずである。しかし、聞き届けられることはなかった。いっさいなかった。行政は平気な顔をして主体性を放棄しつづけた。その帰結がこれである。この蟻地獄である。のがれようのない蟻地獄である。もう少し謙虚に誠実に虚心坦懐に人の言に耳を傾けていさえすれば、ここまでのことにはならなんだものをなあ。

さて、やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備されましたというのであれば、いったいどんな歴史資料が展示されているのかな、とただしてみたところ、きのう記したとおりの回答があった。またしても、ということは、桝田医院第二病棟跡地の江戸川乱歩生誕地碑広場案内板と同様の、ということなのだが、幼稚園児の切り貼り遊びというしかないような、眼についたものをあわててかき集めてきただけの展示物が示された。バッタモンである。どこが歴史資料か。もしも歴史資料の展示を主用途としているのであれば、やなせ宿においては当然、歴史資料の定義や資料収集の方針が明確にさだめられているはずである。そうでなければうそである。ひとつそのあたりのことを、例によって「市長への手紙」でお訊きしてみようかな。さあ、名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんや、準備だ準備だ。回答の準備だ。

おさらいを終えて、あすにつづく。
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