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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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当方が名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を拝命したのは、平成7・1995年のことであった。経緯を記すといくらでも長くなるので、ごく簡単に話を進める。くわしいことを知りたいとおっしゃるかたは、下記のコンテンツを第一回から順にお読みいただきたい。

名張人外境:乱歩文献打明け話 > 第一回 セクハラ始末
名張人外境:乱歩文献打明け話 > 第二回 哀しみは歌に託して
名張人外境:乱歩文献打明け話 > 第三回 わが悪名
名張人外境:乱歩文献打明け話 > 第四回 ああ人生の大師匠
名張人外境:乱歩文献打明け話 > 第五回 うっかりキレた私

名張市立図書館における江戸川乱歩関連資料の収集と活用ということでいえば、当方が嘱託となった当時、具体的な方針はなにもなかった。当時の教育長に文書を提出し、そのあたりのことを質問したりもしたのだが、うんともすんとも応答がなかった。もっとも、そんなことは予想されていた。当方は当方で、資料の活用に道筋をつければよかったのである。

収集資料を活用するにあたっての具体的な方向を示すために、「江戸川乱歩リファレンスブック」と名づけた目録を三冊、発行した。

1『乱歩文献データブック』(平成9・1997年3月31日)
2『江戸川乱歩執筆年譜』(平成10・1998年3月31日)
3『江戸川乱歩著書目録』(平成15・2003年3月31日)

もとより、市民生活に直接かかわりのある話ではない。こんなものに一円も税金をつかうな、という意見だって、一概に否定されるべきではない。とはいえ、収集した資料をただ所蔵しているというだけでは、いかにももったいない話である。収集したものは活用しなければ、損得勘定からいっても損なのである。しかも、素材は江戸川乱歩である。乱歩という作家が、その圧倒的なポピュラリティにおいて、いわゆる全国発信にうってつけの素材であることはいうまでもない。げんに、この三冊のリファレンスブックは、江戸川乱歩の生誕地である名張市のことを、こんなこというのは手前味噌以外のなにものでもないのだが、ある程度いわゆる発信することができたと思う。

いわゆる情報発信ということでいうならば、いまや、インターネットを利用しない手はない。二冊目の『江戸川乱歩執筆年譜』が出たあと、書誌二冊の内容をインターネット上に掲載するための予算を要求した。理由はいくつかあるが、まず、書籍のかたちで発行した目録の不備や遺漏が、ネット上なら簡単に訂正できる、ということである。もうひとつ、ネット上でデータを公開しながら、三冊目となる『江戸川乱歩著書目録』の編纂を進めたい、ということもあった。もちろん、有益なデータだから、インターネットで公開するだけで、乱歩や探偵小説に興味のある人には重宝してもらえるはずであるし、それが名張市という自治体を認識してもらったり信頼してもらったり、そういったことにも結びついて、結局はいわゆる全国発信になるだろう、というもくろみもあった。

名張市教育委員会は、予算要求をあっさり蹴ってくれた。しかし、『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』の増補と、『江戸川乱歩著書目録』の編纂は、ネット上ですぐにでも始めたいことであったから、平成11・1999年、名張人外境というウェブサイトを個人で開設して、作業を開始した。結論からいえば、もくろみは間違っていなかった。データを公開すれば、データが集まってくる。とくに『乱歩文献データブック』は、書籍とウェブ版とを比較すれば、情報量は二倍ほどになっているのではないか。不備や遺漏を指摘してくれる人が少なからずあったからである。『江戸川乱歩著書目録』も、インターネットを利用して多くの人の助力を得ながら、名張人外境でまずウェブ版の編纂を終えたあと、名張市立図書館から書籍のかたちで発行することができた。

『江戸川乱歩著書目録』が出たあと、当時の教育長にお目にかかる機会があったので、さあ、乱歩をどうする気? とお訊きした。目録三冊を発行した時点で、当方の役割はひとまず終了したようなものであった。そもそも当方が嘱託を引き受けたのは、市立図書館が乱歩にかんしてなにをやればいいのかわからない、と図書館側から打ち明けられたからである。そんなものは、収集した資料の活用を考えればそれですむ話である。だから当方、嘱託として身をもってそれを示したつもりである。しんどいところはすべてこちらで片をつけた。あとは楽なものである。資料を活用するうえで、間違いのない筋道を示すことができたのだから、あとはどうする気? とお訊きしたところ、またあらためてみんなで考えましょう、という十年一日のごとき先送りのことばが出ただけで、それっきりであった。

もっとも、インターネット上にデータを掲載する話は、ちょっとだけ持続した。それからしばらくして、教育委員会の職員が図書館まで来てくれて、インターネットにかんする協議を進めてくれた。しかし、話がかみ合わない。教育委員会側は、三冊の目録の内容をネット上で公開する程度のことしか、考えていなかった。もちろん、それだって必要なことである。しかし、眼目は、高度な検索ということである。作品と著書の双方のデータがそろったのだから、それを再構築して、さまざまな検索を可能ならしめることが必要である。早い話、目録の内容をネット上で公開し、グーグルのサイト内検索ができるようにする程度のことなら、素人でもできる。げんに当方のサイトでやっておる。しかし、高度な検索となるとそうは行かない。そのためのプログラミングが必要になる。専門のプログラマーに依頼しなければならない。だから、そのあたりを考えてみてくれ、と教育委員会職員にお願いして、それっきりであった。あとになって、風のうわさで、財政難だから話が蹴られた、と知った。

それ以降は、なんとも中途半端なものであった。当時の教育長からは、うんともすんとも応答がなかった。教育委員会というところは、人の問いかけにいっさい答えようとしないところなのである。ところが、昨年になって、意外な場所で、ゆくりなくも、教育委員会の答えが、うすぼんやりとではあるが、明らかにされることになった。それを聞いた当方がどんな気になったかというと、不謹慎な比喩をあえて使用して表現するならば、手塩にかけて育てた子供を殺されてしまったような気分になった。

あすは三蹴り目。蹴散らしまくるぞ。
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