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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 ちゃんとしよう。
 
 ほんと。
 
 ちゃんとしような。
 
 お願いだからちゃんとしてくれ。
 
 ほんとにお願いだからちゃんとしておくれよ。
 
 しかし、いくらお願いしてみても、いっこうにちゃんとしてくれないのが名張市という自治体なのである。
 
 返答もしやがらんのな。
 
 10月13日付メールで、名張市企画財政部の地域経営室に質問を送信した。
 
 乱歩蔵びらきの会に十四問、地域経営室に二問、あわせて十六の質問を送ったのだが、うんともすんとも反応がない。
 
 むろん、きのうも記したとおり、乱歩蔵びらきの会にも地域経営室にも、どうしても答えにゃならんという義務はない。
 
 とはいえ、だんまりをつづけるのは、得策ではないと思うぞ。
 
 印象がよくない。
 
 それでなくても、印象はよくないのである。
 
 なんなんだまったく、市民の眼が届かないところでこそこそこそこそ癒着結託かましやがってよお、みたいな印象が、すでにあるわけ。
 
 小ずるいのう小ずるいのう、そこまで小ずるい真似してもかっこつけたいのかのう、という印象がすでにあるわけ。
 
 知らん顔つづけてるのは、ほんとに得策ではないと思うぞ。
 
 ところで、地域経営室への質問では、こんなことも尋ねた。
 
 (a)名張市が事業を民間団体に委託する場合、その団体に名張市の職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 名張市がなんらかの事業を委託するための民間団体を公募し、かりにA、B、C、D、Eという五つの団体がそれに応じたとします。そのうちの団体Aには市職員が入会していますが、残り四団体には市職員は加わっていないと仮定してみてください。こんな図式になるわけです。
 
 団体A……市民 市民 市民 市民 市民 市職員
 
 団体B……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 団体C……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 団体D……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 団体E……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 募集する側の人間が、応募する側に加わっている。これは、公正や公平、あるいは平等といった観点から考えた場合、はたして適切なことなのでしょうか。ここにはなんの問題もないのでしょうか。李下の冠、瓜田の履、といった故事をもちだすつもりはありませんが、名張市にはこうした場合の指針やガイドラインといったものは存在していないのでしょうか。
 
 わからんか、という気がしてきた。
 
 わからんかもわからんな、と思われてきた。
 
 なんの問題もないのでしょうか、というのはいわゆる反語で、実際には問題がありまくりなのであるけれど、名張市役所のみなさんのなかには、なにが問題なんだかおわかりにならない人がいらっしゃるかもわからんな。
 
 そこで、念のために記しておく。
 
 上にあげた例を引き継いで説明すると、名張市がなんらかの事業を委託するために民間団体を公募し、五つの団体がそれに応じた、という場合、名張市は五つの団体のなかからひとつを選ばなければならないわけ。
 
 つまり、競争原理が働くわけ。
 
 で、公募する側の名張市としては、その競争が平等に進められるように努める義務があるわけね。
 
 たとえうわっつらだけのことだとしても、この募集は公正、公平、平等に進められますざんす、というふりをしなければならない。
 
 ところが、募集に応じたA、B、C、D、Eという五つの民間団体のうち、団体Aだけに名張市の職員が加わっている。
 
 市職員というのは、公募する側の人間であり、一般市民が知りえない行政内部の情報を容易に知りうる立場にあると目される人間であり、さらにいえば、当該事業担当部署の職員ではなくたって、その部署になんらかの働きかけができるかもしれないと目される人間でもある。
 
 要するに、市職員が入会してるというだけで、団体Aは競争においてものすごく有利にみえる、ということなわけ。
 
 団体Aに加わっている市職員が小ずるいことをしてもしなくても、彼が小ずるいことをして競争で優位に立てる立場の人間である、という状況があるだけで、競争の平等性はすでにして損なわれているわけである。
 
 募集する側の名張市役所の人間が、応募する側の民間団体に加わっている、なんてことじゃ問題がありまくりじゃねーかこら、さーあ、いったいどうよ、というのが質問(a)の趣旨であった。
 
 ただし、名張市の実態というのは、もっとひどい。
 
 ほんとにひどい。
 
 なにしろ、これである。
 
20100714aa.jpg
 
 名張市長名義の文書で、名張市は公正だの公平だの平等だの、そんなことばを思いっきり踏みにじっております、と表明しておるのである。
 
 たとえうわっつらだけにもせよ、この公募は公正、公平、平等なんざんす、というふりをしなければならぬところ、公募おっぱじめる前に官製談合でみんな決めてたんだよばーか、市民不在なんだよばーか、癒着結託最優先なんだよばーか、それが名張市ゆうとこどっせ、と表明しておるのである。
 
 つまりもう、名張市長おんみずから、
 
 ──名張市政はインチキどぇーす。
 
 と世界に発信してらっしゃるわけ。
 
 太字で強調。
 
 ──名張市政はインチキどぇーす。
 
 さらに赤字で。
 
 ──名張市政はインチキどぇーす。
 
 フォント大きくしてやろうかこら。
 
 ──名張市政はインチキどぇーす。
 
 あ。
 
 そうだ。
 
 名張市公式サイト「市長への手紙」を利用しようっと。
 
 というわけで、こんなことをお訊きした。
 
 いつもお世話さまです。
 
 市事業の民間委託についてお訊きしたいのですが、委託団体を公募する場合、その対象団体に市職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/10/21
 
 質問の趣旨は上に記したとおりであるから、「市長への手紙」担当職員のかたは当方の意をよくお汲み取りのうえ、勝手ながらしっかり考えたお答えを頂戴できれば幸甚である。
 
 頂戴する回答は、こうした場合の指針やガイドラインとなるはずのものであり、思いつきだの脊髄反射だのみたいなお答えでは、今後に禍根を残すことにもなりかねない、ということを申し添えておくからね。
 
 とにかく、ちゃんとしようね。
 
 ほんとに、ちゃんとしてよね。
 
 おらおらおらおら。
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 一週間が経過したが、なぞがたりなばりの怪事件、これといった進展はない。
 
 乱歩蔵びらきの会からも、名張市企画財政部地域経営室からも、反応はいっさいない。
 
 もちろん、おれからあれこれ尋ねられたからって、必ず回答しなければならない、というわけではない。
 
 しかし、ちゃんと回答していただいたほうが、展開は面白くなる。
 
 いくら尋ねてもうんともすんとも反応がない、という事態をネタにすることだって可能ではあるんだけど、やっぱ素材としては、関係各位の生の声にまさるものはないからな。
 
 関係各位はなにも、そんなに堅苦しく考えていただかなくてもいいんだぞ。
 
 しょせん漫才なんだからな。
 
 漫才のネタになるだけの話なんだから、ごくごく軽い気持ちでご回答いただければ、とてもとてもありがたい。
 名張まちなか再生委員会の話題はひとまず終了し、つづいて漫才の件。
 
 名張市企画財政部の地域経営室に、ついさっき、こんなメールを送信した。
 
地域経営室御中
 
 こんにちは。名張市政が公正で公平でありますように、と日々念じている市民です。
 
 さて今般、信頼できる消息筋からもたらされた情報によりますと、本年3月21日に催されたミステリー講演会なぞがたりなばりの委託団体募集に不正があったようです。同事業は昨年度、はじめて民間団体に委託されることになり、公募の結果、乱歩蔵びらきの会が受託しました。公募期間は昨年11月15日から30日までとされていましたが、公募がはじまった時点ですでに、乱歩蔵びらきの会と市当局とのあいだで内密な調整が済まされていたと聞きおよびます。公募において保障されるべき公正や公平、あるいは平等といったものが最初から否定されていたことになります。
 
 とはいえ、これはにわかに信じがたい話ではあり、信頼できる消息筋からの情報だけを鵜呑みにするのはいかがなものかとも思われますので、乱歩蔵びらきの会からも事情をお聞きいたしたく、不正行為などにかんして確認するための質問をまとめてみました。つきましては、当該事業の担当部署である貴セクションから乱歩蔵びらきの会へ回答方のご手配をたまわりたく、勝手ながらお願いを申しあげる次第です。質問は下記のとおりです。文中、貴会とあるのは乱歩蔵びらきの会のことです。よろしくお願いいたします。
 
………………
 
 平成22・2010年3月21日に催された第19回ミステリー講演会なぞがたりなばりについてお訊きします。
 
 (1)講演会の有料入場者数は何人だったのでしょうか。
 
 (2)講演会のPRはどういう手段で進められたのでしょうか。
 
 (3)講演会入場券の予約は往復はがきで受け付けるとのことでしたが、前年度までのようにインターネットが利用できなかったのはなぜでしょうか。
 
 (4)委託団体の募集が開始されたのは昨年11月15日でしたが、貴会と市当局による調整がおこなわれたのはいつでしょうか。
 
 (5)調整の内容はどういったものだったのでしょうか。
 
 (6)調整は市当局から貴会に働きかけたものか、あるいは逆に貴会から市当局に働きかけたものか、いずれだったのでしょうか。
 
 (7)公募以前の段階、つまり一般の市民には情報がいっさい開示されていない段階で、市当局と特定の民間団体とが調整を進めるのは不正な行為である、という認識は貴会におありだったのでしょうか。
 
 (8)名張市公式サイトに掲載されている貴会の「なぞがたりなばり委託事業応募企画書」には、貴会の設立が平成17・2005年5月であると記されていますが、にもかかわらず「活動内容」には平成16・2004年度の事業が三件、列挙されています。これは明らかな虚偽記載であると判断されますが、虚偽記載であることをお認めになりますか。
 
 (9)同じく「活動内容」に「2009年 江戸川乱歩生誕地整備事業に参画 乱歩生誕地碑広場」とありますが、参画内容を具体的にお教えください。
 
 つづいて、名張市の主催、貴会の共催で平成20・2008年11月22日に催された第18回ミステリー講演会なぞがたりなばりについてお訊きいたします。
 
 (10)貴会がミステリー講演会なぞがたりなばりを共催するにいたった経緯をお教えください。
 
 (11)講演会に先がけてまちなかミニツアーが催されましたが、貴会はどうしてミニツアーの案内を担当なさらなかったのでしょうか。
 
 (12)もしもいま、まちなかミニツアーの案内を依頼されたとしたら、お引き受けになりますか。
 
 (13)貴会の平成20・2008年度通常総会はいつ開かれたのでしょうか。
 
 最後にもうひとつだけ、お訊きします。
 
 (14)私も貴会に入会したいのですが、入会の資格や手続き、活動内容、会費などについてお教えください。
 
 以上です。ご回答を頂戴できれば幸甚です。ご回答は当方のブログで公開いたしたいと考えておりますが、もしも差し支えがある場合には、その旨をお知らせいただければ非公開といたします。勝手なお願いで恐縮ですが、よろしくお願い申しあげます。
 
2010/10/13
 
………………
 
 乱歩蔵びらきの会への質問は以上です。
 
 ついでですから、貴セクションへの質問も以下に二点、あわせて記したいと思います。
 
 (a)名張市が事業を民間団体に委託する場合、その団体に名張市の職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 名張市がなんらかの事業を委託するための民間団体を公募し、かりにA、B、C、D、Eという五つの団体がそれに応じたとします。そのうちの団体Aには市職員が入会していますが、残り四団体には市職員は加わっていないと仮定してみてください。こんな図式になるわけです。
 
 団体A……市民 市民 市民 市民 市民 市職員
 
 団体B……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 団体C……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 団体D……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 団体E……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 募集する側の人間が、応募する側に加わっている。これは、公正や公平、あるいは平等といった観点から考えた場合、はたして適切なことなのでしょうか。ここにはなんの問題もないのでしょうか。李下の冠、瓜田の履、といった故事をもちだすつもりはありませんが、名張市にはこうした場合の指針やガイドラインといったものは存在していないのでしょうか。
 
 (b)貴セクションにお訊きするのは筋違いかもしれませんが、名張市公式サイト「なぞがたりなばり」のページ(http://www.city.nabari.lg.jp/hp/menu000009200/hpg000009144.htm)にどうして第18回がみあたらないのでしょうか。
 
 以上二点、お忙しいところ恐縮ですが、お答えをいただければありがたく思います。
 
 それでは、名張市政が公正で公平でありますように、と念じつつ。
 
2010/10/13
 
 心配するな心配するな。
 
 冒頭にも記したとおり、これはあくまでも漫才がらみの件である。
 
 まだテロではない。
 いまさら指摘するまでもなく、名張市のまちなか再生事業は惨憺たる結果に終わった。
 
 その失敗から学ぶべきことは多くあるはずだが、まずなによりも、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということの大切さを知るべきであろう。
 
 これまでにもさんざっぱら述べてきたことではあるが、名張市はまずなによりも、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということの大切さを学ぶべきであろう。
 
 早い話、ものの道理というやつをまるでわきまえていなかった名張まちなか再生委員会でさえ、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということの重要性に遅ればせながら気がついて、そのための規約改正を進めておったのである。
 
 平成20・2008年6月1日の定時総会で、規約改正に着手するという委員会の意向が表明された。
 
 なぜ改正が必要なのか、おれにはわからなかったのだが、その後、委員会の内部で聞きおよんだところでは、役員会が紛糾混乱ばかりしていたからだという。
 
 つまり、あのときこうゆうたぞ、とか、そんな話は聞いとらんぞ、とか、前に決めたことじゃろーが、とか、そんな話いつ決めたゆーんじゃこら、とか、役員会のたんびにそんな水かけ論めいた展開になって、話し合いがなかなか前に進まんかったらしいのである。
 
 はなはだしきにいたっては、決めたはずのないことが、いつのまにか決定事項として扱われていた、などというケースもあったという。
 
 どうして、そんなことになるのか。
 
 ちゃんと決める、ということができなんだからである。
 
 ちゃんと決めようにも、決めるためのルールがなかったのである。
 
 役員会でなにをどうすればものごとを決めたことになるのか、それがまったく明確ではなかったのである。
 
 だから、組織として意思を決定するためのルールを定める必要がある。
 
 そのための規約改正であった。
 
 ひどい話ではないか。
 
 名張まちなか再生委員会の発足は、平成17・2005年6月。
 
 規約改正の意向が発表されたのは、平成20・2008年6月。
 
 委員会は三年ものあいだ、組織としていかに意思決定すべきか、なんてことにはまったく考えがおよばぬまま、あーでもない、こーでもない、と紛糾混乱をくり返し、しかもその裏では、実際には発足してもいないまちなか運営協議会がいつのまにか発足したことにされておった、という寸法なのである。
 
 ちなみに記せば、規約改正の必要性を指摘したのは、名張まちなか再生委員会発足以来のメンバーではなく、あとになって入会したメンバーであった。
 
 そのメンバーはおそらく、委員会に入り、役員会に出席し、ものすごくレベルの低い紛糾や混乱をまのあたりにし、なんなんだこれは、と驚き、だめだこりゃ、とあきれ返り、これはなんとかせにゃならんな、と規約の改正を提案したのだろうと思う。
 
 では、改正以前の規約はだれがつくったのか。
 
 名張市であろう。
 
 名張まちなか再生委員会を発足させるにあたって、名張市が規約をまとめ、それが委員会の結成総会に規約案として提出され、出席委員の承認を得た、ということだったはずである。
 
 だから、名張市の手でまとめられた規約が無茶苦茶であった、というわけである。
 
 しかし、いくら無茶苦茶でも、問題はなかった。
 
 名張市も、名張まちなか再生委員会も、規約なんてものには紙きれ一枚の重さも認めていなかったからである。
 
 好きなようにすればいい、というのが、双方の暗黙の合意だったのではないか。
 
 規約どころか、委員会の指針となるべき名張まちなか再生プランさえ、彼らの前では紙きれ一枚の重さも有していなかったのである。
 
 好きなようにすればいい、というのが、双方の暗黙の合意だったはずである。
 
 しかし、好きなようにしようったって、なにをどうすればいいのか、それがわからなかった。
 
 名張まちなか再生ブランなんて、ただの思いつきをずらずら並べただけのものだったから、もとより指針にはならない。
 
 だからといって、再生プランを無視して最初から考えてゆくにしても、知恵のない人間ばかり集めた組織だから、なにをどうすればいいのかがわからない。
 
 事業の目玉であった旧細川邸の活用策ですら、歴史資料館として整備する、という再生プランに定められていた線はあっさり覆してしまったものの、ならばどうすればいいのか、それを決めることが委員会にはできなかった。
 
 ここで記しておくならば、これもまたさんざんいってきたことだけれど、名張まちなか再生委員会には、市議会のチェックと市民のパブリックコメントという所定の手続きを経て決められたプランを、あっさりひっくり返してしまうことはできない。
 
 そんな権限は認められていない。
 
 だからおれはもう最初っから、おめーらにゃなんの権限もねーんだよばーか、勘違いしてんじゃねーぞすっとこどっこい、と事務局を通じて再生委員会に申し伝えていたのである。
 
 事務局というのはむろん、例の大うそをかましてくれた事務局なのであるが、いくらいってやってもどうにもならず、再生委員会の内部にようやく、
 
 「再生委員会の規約をしっかり読んだら、再生委員会の権限がどこにも書かれていません」
 
 という声があがったのは、はるかに時間が経過して平成20・2008年5月21日に開かれた第二十一回役員会の席においてであった。
 
 おれが入会する以前の話であるが、このエントリに掲載してある役員会議事録の「page 06」にその発言がある。
 
 
 再生委員会にはなんの権限もない、という当然すぎるほど当然のことに気がつくまでに、発足以来三年という時間がかかったというわけである。
 
 で、「再生委員会の権限がどこにも書かれて」いない規約をつくったのは、名張市にほかならない。
 
 どんな規約であったのか、引用しておく。
 
(目的及び設置)
第1条 名張まちなか再生プランの基本目標である名張の原風景と人情が息づく魅力あるまちをテーマに、名張地区既成市街地の再生を多様な主体の協働により推進していくことを目的として名張まちなか再生委員会(以下「委員会」という。)を設置する。
(所掌事項)
第2条 委員会は、名張まちなか再生プランの実現を目指し、名張地区のまちづくり活動を継続かつ円滑に運営するために、調査、企画及び計画の立案並びにプロジェクト及び事業の具体化、推進、調整を図るものとする。
 
 権限が明記されていないのはもちろんだが、そもそも意味が不明である。
 
 こんな意味不明な規約にもとづいて、どんな活動ができるというのか。
 
 名張市にとっては、規約なんてどうでもいい、ということだったのであろうが、どうでもよくなかったから、規約の改正が進められたのである。
 
 昨年1月25日、名張まちなか再生委員会の臨時総会が開会され、規約の改正が協議された。
 
 示された規約改正案では、委員会の目的はこう規定されていた。
 
(目的)
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。
 
 あいかわらず意味不明である。
 
 だから、臨時総会では、ほかのところはともかく、こんなあいまいな条文は呑めない、とつっぱねてやった。
 
 結局、規約改正案は承認するが、条文の不備はひきつづき協議の対象とする、ということで、臨時総会は閉会となった。
 
 だからそれ以降、理事会ではひきつづき規約の検討、とくに第二条の検討が進められたのであるが、ちゃんとした条文になる道理はなかった。
 
 なぜかというと、委員会と名張市との関係が明確ではなかったからである。
 
 協働の蜂の頭のといいながら、名張市は再生委員会になんの権限も与えようとしなかった。
 
 まさしく、「再生委員会の規約をしっかり読んだら、再生委員会の権限がどこにも書かれていません」というわけである。
 
 名張市は再生委員会に、いったいなにを託したかったのか。
 
 なにをゆだねたかったのか。
 
 なにをさせたかったのか。
 
 そのあたりがみごとに不明であった。
 
 再生委員会が組織として意思を決定するためのルールなら、規約を改正して明確に定めることができる。
 
 げんに、できた。
 
 だが、再生委員会と名張市の関係性を明確にするなんてのは、再生委員会単独ではできないことである。
 
 名張市がどう考えているのか、それを知ることが必要であった。
 
 だからおれは、理事会のたんびに、
 
 ──ケータイで市長を呼び出せ。
 
 と事務局にゆうとったわけである。
 
 事務局がまともに返答できてたら、べつに市長にお出ましいただく必要などなかったのじゃが、事務局にはそんな返答なんてとてもできない。
 
 そもそも、だれもそんなこと、考えたこともなかったわけである。
 
 再生委員会と名張市の関係性はどうなっているのか、とか、名張市は再生委員会になんの権限も与えておらんではないか、とか、そんなことを考える人間が、少なくとも発足当初の委員のなかには、ただのひとりもおらんかったのである。
 
 名張市のいう協働なんて、しょせんこんなものなのである。
 
 あほはあほとしかつるまない。
 
 それが協働の法則なのである。
 
 な。
 
 だから、おれが、最初っからゆうておったとおり、うすらばかがうすらばか集めて大騒ぎしてんじゃねーよばーか、といったことでしかなかったのである。
 
 やーい、ばーか。
 
 さて、そんなこんなで、9月24日夜、名張まちなか再生委員会は正式に解散した。
 
 冒頭にも記したとおり、無惨な失敗に終わったまちなか再生事業から、官であると民であるとを問わず、関係各位は多くのことを学ぶべきだとおれは思うんだけど、もしかしたら無理かもしれない。
 
 ちゃんと考えてちゃんと決める、というごくあたりまえのことが、名張市にはできぬかもしれんなあ。
 
 無理かもしれんなあ。
 
 というか、絶対に無理だろうなあ。
 
 やーい、ばーか。
 名張まちなか再生委員会について、もう少し述べておく。
 
 旧細川邸やなせ宿にかんして、かたをつけておくべきだったふたつの問題をほったらかしにしたまま、名張まちなか再生委員会が解散してしまったものだから、それが心残りというか、悔いが残るというか、反省しなきゃなというか、二度とこういうことが起きないようにもうちょっと叩いといたろかというか、まあそんなところである。
 
 ふたつの問題のふたつめ。
 
 名張市は、旧細川邸やなせ宿に開設二年度目から指定管理者制度を導入する、と約束しておきながら、いまだにそれを実現していない。
 
 名張市は名張まちなか再生委員会にうそをついた、ということになる。
 
 しかし世の中、結果としてうそをついてしまう、なんてのはよくあることである。
 
 たとえば、どっかのお父さんが子供たちに、夏休みには家族みんなで東京ディズニーランドへ遊びにいくぞ、と約束する。
 
 ところが、夏休みに入る前に、お父さんがリストラされてしまった。
 
 えらいことである。
 
 家族で東京ディズニーランドへ遊びにいく余裕など、なくなってしまった。
 
 子供たち、泣く。
 
 泣きじゃくる。
 
 お父さんのうそつき、といいながら泣きわめく。
 
 この場合、お父さんは結果としてうそをついた、ということになる。
 
 子供たちにしてみれば、お父さんにだまされた、ということになる。
 
 しかし、お父さんは、子供たちをだまそうと考えていたわけではない。
 
 不測の事態によって、約束をはたすことができなくなった、というだけの話なのである。
 
 それがつまり、結果としてうそをついてしまう、ということになったのである。
 
 だからまあ、せめて夏休みの一日、卵焼きだのたこのウインナーだの、定番のおかずを詰めたお弁当をこしらえて、家族みんなで比奈知ダムの親水公園にでも出かければいいのではないか、みたいなことはまあいいとして、やなせ宿には開設二年度目から指定管理者制度を導入します、という名張市の大うそはどうであったか。
 
 指定管理者制度の導入を目指し、そのための準備を進めていながら、なにかしらの事情で断念せざるをえなかった、ということであったのかというと、そんなはずねーだろばーか。
 
 名張市は最初っから、だます気まんまんだったはずである。
 
 なにしろ名張市役所のみなさんは、平気でうそをつくのだからな。
 
 涼しい顔をしてうそをつきやがるからな。
 
 息をするようにうそをつく。
 
 苦しまぎれに、一時しのぎに、その場のがれに、とにかく平気でうそがつけるのだからな。
 
 だから、うそをつくのはわるいことだ、という感覚さえなくしてしまう。
 
 なんかもう、感覚が麻痺してしまってるわけな。
 
 わるいことをしても、わるいことをしたとは感じない。
 
 ちかい例をあげれば、たとえばこれである。
 
20100714aa.jpg
 
 な。
 
 あほである。
 
 無茶苦茶である。
 
 公正や公平、あるいは平等なんてものは、ここ名張市には存在しない。
 
 そんな驚くべき事実が、あろうことかあるまいことか、名張市長名義の文書で明かされておるわけである。
 
 公募をおこなうにあたり、機会の平等を保障しよう、なんてことを名張市はまったく考えないわけな。
 
 公募をはじめる以前に、いまだオープンにされていない情報を一部の市民、特定の団体、つまりは乱歩蔵びらきの会のことであるが、そうした癒着結託相手に漏洩してしまうわけ。
 
 で、名張市と乱歩蔵びらきの会だけで、いろんなことをこっそり談合して決めてしまうわけ。
 
 だから、さあみなさんどんどん応募してください、みたいな感じで実際に公募がはじまった時点では、アンダーザテーブルでみんなすっかり決められてたわけ。
 
 みたいなことが、なんと名張市長名義の文書に、堂々と記されてるわけなのな。
 
 あほである。
 
 無茶苦茶である。
 
 インチキばっかかましてんじゃねーぞこの便所下駄。
 
 この文書、どの職員が書いたのかは知らねども、その職員は完全に感覚が麻痺しておるのであろうな。
 
 まっとうな市民感覚なんてのは、とっくの昔になくなっていて、フェアとアンフェアの区別すらつかなくなっている。
 
 自分のこと、自分たちのことしか、みえなくなっている。
 
 市民のことなど頭からきれいに消えてしまっていて、一部の腐れ市民、この場合は乱歩蔵びらきの会のことであるが、ごく少数の腐れ市民と癒着結託し、官民一体で小つまらぬ快を追求することしか頭にない。
 
 そのためには平気でうそをつき、やましさをおぼえることもない。
 
 市民をだます、ごまかす、だまくらかす、それが公務員の仕事である、くらいのことは思ってそうだもんな。
 
 それにしても、話はやや横道にそれるわけであるが、名張市と乱歩蔵びらきの会の癒着結託について述べておくならば、ここまであほで笑える展開というのも珍しい。
 
 おれとしてはもう、名張市ならびに乱歩蔵びらきの会のみなさんから、手前どもが昨年度のなぞがたりなばり事業においてぶちかましましたインチキをぜひとも漫才にしてくださらんか、と頼まれているような感じがする。
 
 けけけ。
 
 よろしい。
 
 ご要望にはなんとかお応えしたい、とぞ思う。
 
 できうるならば11月13日の土曜日、これはつまり第二十回を迎えるなぞがたりなばり事業がアドバンスコープADSホールで催される日なのじゃが、この日、ホールのロビーあたりでおれの漫才が掲載された地域雑誌「伊賀百筆」を大々的に販売したい、とぞ思う。
 
 けけけ。
 
 しかし、「伊賀百筆」編集部の意向も確認してみないことにはなあ。
 
 まだ原稿が集まってないかもしれんしなあ。
 
 いやいや、心配はいらんぞ。
 
 まだなにも、必ず漫才にする、と決まったわけではない。
 
 おれの気が変わって、漫才なんか書くのやめよう、ということになってしまうかもしれんのだから、関係各位はいまから涙目にならなくたっていいんだぞ。
 
 けけけけけ。
 
 そんなことはともかく、いったいなにを記していたのかというと、名張市役所のみなさんは平気でうそをつく、ということである。
 
 旧細川邸やなせ宿に開設二年度目から指定管理者制度を導入する、というのもまた大うそであって、しかもそれは結果としてうそになったわけではなく、そもそもの最初からだます気まんまんであったはずである、という話である。
 
 では、名張市はどうしてそんなうそをついたのか。
 
 それはわからん。
 
 しかし、苦しまぎれに、一時しのぎに、その場のがれに、うそをつく必要があったのじゃろう。
 
 以前から記しているとおり、名張市がこんな大うそをかました当時、おれはまだ名張まちなか再生委員会に入会していなかった。
 
 だから、このうそがどんな局面でつかれたものか、まったくわからない。
 
 まちなか運営協議会の発足が決定したあとなのか、あるいはそれ以前なのか、それもわからない。
 
 ここで説明を加えておくと、旧細川邸やなせ宿の整備を主体としたまちなか再生事業で、名張市はなーんにも考えておらんかった。
 
 国土交通省のまちづくり交付金で旧細川邸を改修し、それを癒着結託相手に与えて管理運営させれば、まちなか再生はいっちょあがりである、などというあほなストーリーをぼんやり考えていただけだと思う。
 
 当初のストーリーとしては、NPOなばり、という組織が癒着結託相手として想定されていた。
 
 しかし、仔細は不明ながら、いろいろとすったもんだがあったらしく、このNPOは結成されることがなかった。
 
 だから、NPOなばりの代わりに旧細川邸を管理運営する団体として、名張まちなか再生委員会の内部にまちなか運営協議会が結成されることになった。
 
 ところが、それもまた、いまだ発足していない、ということになるわけだが、現実には、まちなか運営協議会を自称する団体が名張市と癒着結託し、旧細川邸やなせ宿を私物化しておるのである。
 
 前述したとおり、名張市がいつ、どんな必要から、旧細川邸やなせ宿には開設二年度目から指定管理者制度を導入します、という大うそをぶちかましたのか、それはわからない。
 
 しかし、というか、だから、というか、とにかく名張市は事情を説明しなければならないはずである、といったことは、9月24日の臨時総会で発言しておいた。
 
 旧細川邸やなせ宿にどうしていまだに指定管理者制度が導入されていないのか、そして、それはこの先ともずーっとそうなのか、みたいなことを名張市は名張まちなか再生委員会に、というよりは名張市民に、ちゃーんと説明する義務があるはずだぞ、と指摘しておいたのじゃが、名張市には説明するつもりなんてさらさらないはずである。
 
 だから、ここで市民が想像をたくましくして説明しておくならば、さすがの名張市も、ある時点で、NPOなばりであれ、まちなか運営協議会であれ、特定の団体に旧細川邸やなせ宿にかんする便益を無競争で提供するのはよろしくないのではないか、と気がついたのではないか。
 
 これといった目的や方針もないままに一億円の税金をかけて整備した旧細川邸やなせ宿、まったくの無競争で特定の民間団体に提供してしまっては、いくらなんでも癒着結託の度が過ぎんじゃね? ということにうすぼんやりと気がついたのではないか。
 
 いやいや、甘いか。
 
 名張市役所のみなさんには、癒着結託の度が過ぎる、といったことに気がつくことはできんじゃろう。
 
 なにしろ名張市長おんみずから、
 
 ──名張市は乱歩蔵びらきの会と官製談合かましてま〜す。
 
 と堂々と公表してしまうほどのレベルなのであるからなあ。
 
 これではまるで、
 
 ──名張市はあほどぇ〜す。
 
 と天下に公言してるようなもんだもんなあ。
 
 あほどぇ〜す、とみずから公言してるような自治体にゃ、癒着結託の度が過ぎる、みたいなことは永久にわからんじゃろうなあ。
 
 いくら田舎のお役所じゃとて
 
  はあどーしたどしたあ
 
 ここまであほではちょいと困る
 
  それからどしたあ
 
 ちょいとどころかだいぶ困る
 
  はあもっともだーあもっともだあ
 
 だから、まことに遺憾ながら、癒着結託の度が過ぎる、ということに名張市役所のみなさんみずからが気づいてくれた、みたいなことはあんまり期待できんだろうな。
 
 むしろ可能性としては、お役所の外部からなんらかのアドバイス、あるいはクレームが寄せられて、それでようようお役所の中の人たちが、え? 癒着結託っていけないことなの? と気がつき、けど旧細川邸を民間に丸投げするのは最初から決まってたことだしなあ、と悩んだあげく、苦しまぎれ、一時しのぎ、その場のがれ、いろんな意味をこめて、やなせ宿には開設二年度目から指定管理者制度を導入しま〜す、と大うそをかましたのではなかったか、と考えるほうがまだ自然だと思う。
 
 とはいうものの、名張市役所の人たちが外部の声に耳を傾ける、なんてことは、やっぱありえないことかもしれんなあ。
 
 なにしろ、名張市役所のみなさんは、
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。
 
 なんてことを平気でいうんだもんなあ。
 
 いついったのか。
 
 平成17・2005年8月2日のことである。
 
 つまり、名張まちなか再生委員会が結成されてまもなくのことである。
 
 この年の2月、名張まちなか再生プランの素案が公表された。
 
 読んでみたところ、無茶苦茶であった。
 
 なにからなにまで無茶苦茶だったんだけど、おれとしてはやっぱり、旧細川邸を歴史資料館にする、なんてことは絶対無理だぞこら、ということと、名張市が寄贈を受けた旧桝田医院第二病棟のことがなんにも書いてねーじゃねーかこら、ということは名張市に伝えとかなくちゃならないと思ったから、その旨を記したパブリックコメントを提出した。
 
 むろん、パブリックコメントなんて制度はただの形骸である。
 
 プランの素案は一言一句の訂正もなく、そのまま決定された。
 
 決定されたのならば、それはそれでしかたない。
 
 インチキと呼ぶしかないそのプランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、そこに名張のまちの古地図や乱歩関連資料を展示する、などと書かれてあった。
 
 まさしくインチキと呼ぶしかないおそまつなプランではあったが、なにしろ名張市である、おそまつさに気づくことなく、それなりの手続きを経て、つまり、市議会の承認と市民のパブリックコメントというハードルをクリアして、おそまつなまま決定してしまったものだから、いくらインチキなプランでもそれなりの重みというやつをもってしまった。
 
 だから、プランを具体化するための名張まちなか再生委員会ができたと聞いて、知らん顔はできず、名張のまちの歴史も乱歩のこともなにも知らない委員のみなさんに、せめて最低限の知識は身につけていただかねばならぬのう、と考え、そのための場を設けてくれるよう委員会の事務局に要請した。
 
 あれからもう五年か、とうたた感慨に堪えぬけれど、平成17・2005年の8月2日、事務局から7月29日に開かれた歴史拠点整備プロジェクト第二回会合における結論が電話で伝えられた。
 
 結論というのは、
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。
 
 という耳を疑うようなものであった。
 
 で、三年後、平成20・2008年5月、おれは思いがけず名張まちなか再生委員会への入会が認められ、6月1日の総会に出席した。
 
 総会が終わってから、歴史拠点整備プロジェクトのメンバーがいうことにゃ、さのいうことにゃ、われわれのプロジェクトでは、
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。
 
 なんてことは決めなかった、とのことである。
 
 事務局の市職員が独断であんなこと回答しやがったのでおじゃりまする、とのことであった。
 
 な。
 
 いったとおりだろ。
 
 名張市役所の人たちってのは、ほんとに平気でうそをつくのである。
 
 やってらんねーよな。
 
 しかも、なおかつ、どぇ〜す、なのである。
 
 名張市はあほどぇ〜す、なのである。
 
 なんとかしてくれんか。
 
 ともあれ、旧細川邸やなせ宿にはこれから先、いつまで待っても指定管理者制度が導入されることはなく、名張市がその件にかんしていっさい説明をしようとせんこともまたたしかであろう。
 
 名張市名物、くさいものにはふた、ってやつである。
 
 だからもうどうしようもないわけなんだけど、お役所がいくらあほなストーリーを思いついてみたところで、そのストーリーどおりに人が動き、ことが運ぶなんて思ってたら大きなまちがいだ、っつーようなことはわきまえといたほうがいいんじゃね? みたいなことも臨時総会では述べておいた次第であるが、ほんとにそうだぞ。
 
 市民を手駒にしようとしたり、だしにしようとしたり、そんなことはもういいかげんにしておいたらどうよ。
 名張まちなか再生委員会について、さらにいささかを述べる。
 
 昨年6月6日に開かれた名張まちなか再生委員会の第四回理事会で、まちなか運営協議会にかんするインチキを暴き立ててやったところ、再生委員会がぐだぐだになってしまった、ということはすでに記した。
 
 そのせいで問題がそれ以上の進展をみることはなかったのだが、そのあとの流れとしては、委員会が行政サイドの見解を求める、ということになっていたはずである。
 
 より具体的にいえば、名張市長の判断や裁定を求める、ということである。
 
 名張まちなか再生委員会の一部の委員が、正当ではない手段で旧細川邸やなせ宿を手中にした。
 
 まちなか再生事業の最高責任者として、この事態をどう理解し、どう判断し、どのような裁定をくだすのか、委員会は市長にそれを問うべきであった。
 
 その場合、名張市が逃げを打つことはできない、といったことも9月24日の臨時総会で発言しておいた。
 
 名張市はおそらく、逃げ道を求めて、まちなか運営協議会が正式に発足していないというのは、あくまでも名張まちなか再生委員会の内部事情にすぎない、と主張するはずである。
 
 いやいや、こんなことを主張して逃げを打つだけの知恵さえ、名張市にはないかもしれない。
 
 しかし、逃げ道を探すとしたら、まずはそのあたりになるはずである。
 
 再生委員会のお家の事情は、名張市には関係がない。
 
 名張市はあくまでも、名張まちなか再生委員会が新たにまちなか運営協議会という組織を発足させ、この協議会に旧細川邸やなせ宿の管理運営を担当させます、と申し出てきたから、それに従ったまでである。
 
 名張市の逃げは、たぶんそういったところになるだろう。
 
 しかし、無理である。
 
 なぜか。
 
 まちなか運営協議会が発足した、という虚偽を押し通すための実務は、名張まちなか再生委員会の事務局を担当していた名張市の職員によって進められていたからである。
 
 名張市はすべてを知っていた、ということになる。
 
 全体の奉仕者たるべき公務員が、一部の委員の手先になるってのはどうよ、ということになる。
 
 名張市には、知らぬ存ぜぬを通すことなど、とてもできない。
 
 というところまで、臨時総会でしゃべった。
 
 本来であれば、というのは、名張まちなか再生委員会があそこまで一気にぐだぐだになってしまわず、名張市が再生委員会から引くという最悪の選択にもいたらなかったとしたら、という意味であるが、まちなか再生事業最大のインチキにどう対処するのか、再生委員会として市長見解の提示を要求すべきであると、おれは理事会の席で提案するつもりであった。
 
 しかし、そんな機会はいちども訪れず、名張まちなか再生委員会は解散してしまうことになった。
 
 いまさら市長見解を求めてみたところで、その見解を受け取る組織が存在しない、ということになる。
 
 だから、臨時総会では、現在活動しているまちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会とはなんの関係もない団体である、ということを再生委員会から名張市長に正式に、できれば文書のかたちで伝えておくことが必要ではないか、と述べるにとどめた。
 
 ほかの委員からは、事務局にたいして、たとえば市議会でまちなか運営協議会のことを質問された場合にもちゃんと回答できるよう、つまり、名張まちなか再生委員会とは縁もゆかりもない団体が旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託されている根拠はなにか、といった質問にもあわてふためくことなく回答できるよう、しっかり準備をしておきなさい、との要請も出された。
 
 むろん、前エントリにも記したとおり、この問題をおれ個人が追及してゆくのは、いくらだって可能である。
 
 名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用すれば、市長見解を引き出すことなどしごく容易であろう。
 
 しかしなあ、これも前エントリに記したごとく、テロにはせんとゆうておるからなあ。
 
 それに、いくら市長見解を引き出したところで、例によって例のごとく、人を唖然とさせずにはおかぬ噴飯ものの回答が寄せられるだけであろうしなあ。
 
 噴飯ものというか、ほんと、名張市っていったいどうなってんの? と首をひねりつつ腰が抜けそうになる、みたいなことばっかだもんなあ。
 
 ざっとした印象でいえば、きわめてレベルの低い思いつきでうわっつらだけとりつくろい、実際にはアンダーザテーブルで小ずるい癒着結託を進めている、というのが名張市政の実態ではないのか。
 
 まちなか運営協議会の一件など、まさにアンダーザテーブルの癒着結託が表面化した端的な例だというしかない。
 
 それに、「市長への手紙」といえば、これもまさしく噴飯もの、こんな笑えるものもあったしなあ。
 
20100714aa.jpg
 
 要するに、ここ名張市においては癒着結託が常態である、ということであろう。
 
 民間団体を公募するにあたって、特定の団体との調整をすっかり済ませてから、やおら一般に公表して募集をおこなう、などというばかな話が平然とまかり通っておるのである。
 
 とにかく癒着結託が常態だから、行為の不公正さや不公平さを隠すことさえ忘れてしまう。
 
 ジャスティスやフェアネスはどこにもない。
 
 市民不在、癒着結託最優先。
 
 それが名張市政の本質なのである。
 
 よーし。
 
 江戸のかたきを長崎で、というわけではないけれど、まちなか運営協議会がらみの一件はどうにも不完全燃焼に終わったという感が否めないから、名張市と乱歩蔵びらきの会との癒着結託をエンジン全開で叩いてやることにするか。
 
 いやいや、いかんいかん。
 
 なにしろ、テロにはせんとゆうておるのだからなあ。
 
 しかし、漫才にはせん、とはゆうておらんぞ。
 
 地域雑誌「伊賀百筆」に寄稿する漫才は、名張市役所のみなさんとの話し合いがえらく停滞しているせいで、その後まったく書き進めることができないでいるのだが、しかたないから路線をやや変更し、乱歩がらみの癒着結託をメインテーマにしてやるか。
 
 テロにはせんが、漫才にはする、という寸法である。
 
 けけけ。
 
 そういえば、以前にも指摘したことだが、公募の対象となる民間団体に市職員が加わっていていいものかどうか、という問題もある。
 
 これは、漫才がどうのこうのということはべつにしても、やたら主体性を放棄して協働とかいう名の無責任に身をゆだねてしまいがちな名張市にとって、ぜひとも明快な見解を示しておかねばならぬ問題であろう。
 
 いや、しかしまあ、なにいってやったって理解はできんかもしれんのだが。
 
 しかし、ほんと、どうしようかなあ。
 ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんぱかぱーん、といったところである。
 
 きのう、ついに、とうとう、ようやく、やっとのことで、名張まちなか再生委員会が解散した。
 
 ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんぱかぱーん、と喜ばずしてなんとする。
 
 あんな委員会ぶっ壊してやる、と宣言して名張まちなか再生委員会に入会し、それからの苦節は指折り数えれば二年三か月あまり、艱難辛苦の甲斐あって、委員会がようよう正式にぶっ壊れてくれたのである。
 
 昨24日午後7時30分から、新町の旧細川邸やなせ宿で名張まちなか再生委員会の臨時総会が開かれた。
 
 議案は、「規約第39条第1項第1号の規定により名張まちなか再生委員会を解散する件について」、これだけである。
 
 要するに、規約にのっとって委員会を解散する、それだけのための臨時総会である。
 
 「規約第39条第1項第1号」というのはこれである。
 
(解散)
第39条 この委員会は、次に掲げる事由により解散する。
(1)総会の議決
(2)目的とする事業の成功の不能
(3)委員の欠乏
2 前項第1号の事由によりこの委員会が解散するときは、委員総数の4分の3以上の承諾を得なければならない。
 
 きのうの時点で、委員総数は二十七人。
 
 総会に出席した委員は八人。
 
 出席委員の賛否を問うたところ、解散に賛成が六人、棄権が二人、という結果になった。
 
 委任状を提出して議長に表決を一任した委員を加えれば、「委員総数の4分の3以上の承諾」を得たことになるとのことで、名張まちなか再生委員会はここに解散を決議した。
 
 めでたしめでたし。
 
 で、解散が決議されるまでに、ふたつの問題点をあらためて指摘しておいた。
 
 まちなか運営協議会が名張市から旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託されていることにはなんの根拠も正当性もない、という問題と、やなせ宿は開設二年度目から指定管理者制度を導入することになっていた、という問題である。
 
 なんども記してきたことだが、きのうの総会でもかいつまんで説明しておいたので、煩をいとわずここにも記しておく。
 
 名張まちなか再生委員会の平成19・2007年度総会で、委員会の内部組織としてまちなか運営協議会を発足させることが決定した。
 
 まちなか運営協議会の目的は、名張まちなか再生委員会の内部において中心的役割をはたすこと、整備を終えた旧細川邸の管理運営を担当すること、このふたつであった。
 
 それ以外には、なにも決められていなかった。
 
 しかし一年後、名張まちなか再生委員会の平成20・2008年度総会では、まちなか運営協議会にかんするどんな協議や報告もおこなわれなかった。
 
 本来であれば、まちなか運営協議会をどのような組織とするのか、つまり協議会の規約案が示されて、それが総会の場で協議検討され、最終的に承認が与えられる、というプロセスが必要である。
 
 のみならず、まちなか運営協議会が名張まちなか再生委員会の内部組織である以上、再生委員会の規約そのものにも、新たな内部組織を規定するための変更が加えられなければならない。
 
 しかし、そうした手続きは、平成20・2008年度総会においても、それ以降においても、いっさいとられていない。
 
 まちなか運営協議会は、発足させることが決定されたものの、実際にはいまだ発足していない、ということになる。
 
 といったような指摘は、ほんとであれば、平成20・2008年度総会でばーんとかましておくべきだったのであるが、おれも委員会に入って数日後のこととて、とてもそこまで考えがおよばなかった。
 
 だから、遅ればせながら、昨年6月6日に開かれた名張まちなか再生委員会の第四回理事会の席で、ばーんとかましてやった。
 
 すると、名張まちなか再生委員会は、ぐだぐだになってしまった。
 
 理事会が開かれなくなって、理事の有志が署名を集めて委員長に理事会の開会を要請する、という異例の事態となった。
 
 ひさしぶりで理事会が招集されたと思ったら、委員会を解散するかどうかアンケートをとりたい、などという意向が伝えられた。
 
 解散はしない、と理事会の席で確認がおこなわれたそのあとは、名張地区まちづくり推進協議会に所属する委員が名張まちなか再生委員会から大挙して退会する、という流れとなった。
 
 そしてそのあと、9月4日の第六回理事会で、あの驚天動地の展開がくりひろげられたのであった。
 
 いくら田舎のお役所じゃとて
 
  はあどーしたどしたあ
 
 ここまであほではちょいと困る
 
  それからどしたあ
 
 ちょいとどころかだいぶ困る
 
  はあもっともだーあもっともだあ
 
 と昔から歌の文句にうたわれておる名張市役所ではあるが、ここまであほな展開が待っていようとは、お釈迦さまでもご存じなかったはずである。
 
 当時のエントリをお読みいただこう。
 
 
 
 
 しっかしまあ、名張市ってのはつくづく無茶苦茶だよな、とあらためて思う。
 
 で、まちなか運営協議会の件である。
 
 まちなか運営協議会なんていまだこの世に存在しちゃいねーんだよ、とかましてやったとたんに名張まちなか再生委員会がぐだぐだになってしまったものだから、問題は一歩も進展をみないままであった。
 
 ぜひともクリアにしておくべき問題ではあったのだが、なんの進展もないまま委員会が解散してしまった。
 
 結局のところ、名張市が旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託しているまちなか運営協議会という団体は、名張まちなか再生委員会とはなんの関係もない組織である、ということになる。
 
 これはおれ個人の見解ではなく、きのうの総会でもあらためて確認したところであり、いってみれば名張まちなか再生委員会の公式見解である。
 
 この問題がこのあとどうなるのか、あるいは、どうにもならないのか、そのあたりのことはよくわからない。
 
 問題にするのであれば、おれひとりでいくらでも問題にすることは可能である。
 
 しかし、テロにはせんとゆうておるからなあ。
 
 まちなか再生事業の笑うべき大失敗は、いうまでもなく恰好のテロの素材である。
 
 しかしまあ、テロにはせんとゆうておるからなあ。
 
 もう一点、指定管理者制度の問題がある。
 
 旧細川邸やなせ宿は、開設二年度目から指定管理者制度を導入して管理運営を進める、ということになっていたらしい。
 
 おれが入会する以前のことだからくわしいことは知らないのだが、名張市は名張まちなか再生委員会にそう約束していた、とのことである。
 
 しかし約束は、いまだにはたされていない。
 
 この点にかんして、きのうの総会で事務局を担当している名張市職員から説明があっただが、みごとなまでに意味不明な説明だったので、そんなことゆうとったらあかんがな、と軽くいなしておいた。
 
 この件もまた、このあとどうなるのか、あるいは、どうにもならないのか、そのあたりのことはよくわからない。
 
 とはいえ、なにしろ名張市である。
 
 行政運営におけるこの程度のわけのわからなさは、べつに驚くにもあたらぬのかもしれん。
 
 なにしろまあ、名張市なのだからな。
 
 さて、名張まちなか再生委員会はここにめでたく解散したわけであるが、このあとは「(仮称)新生・まちなか再生委員会」なる市民組織の設立が準備されることになっている。
 
 きのうの臨時総会が終了したあと、設立準備の説明がおこなわれた。
 
 しかし、おれはもう、以前からいってるとおり、まちなかよさようなら、なのである。
 
 「(仮称)新生・まちなか再生委員会」に加わる気はない。
 
 それに、いまから新しい市民組織をつくってみたところで、なにがどうなるものとも思えないしな。
 
 以上、昨夜開催された名張まちなか再生委員会臨時総会にかんする報告であった。
 
 ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんばかぱーん。
 
 やーい、ばーか。
 十日あまり前のことである。
 
 正確にいえば、9月6日午前8時36分。
 
 一通のメールが届いた。
 
 スキャン画像が一枚、添付されていた。
 
 いわゆるガリ版刷りの雑誌をスキャンした画像である。
 
 乱歩の「同感の言葉」という文章が掲載されている。
 
 未見であった。
 
 未見というのは、みたことがなかった、という意味である。
 
 とるに足りない文章だから、ということなのか、乱歩がつくった自作目録にも、この「同感の言葉」という文章のことは記されていない。
 
 いうまでもなく、名張市立図書館が発行した目録『江戸川乱歩執筆年譜』にも載せられていない。
 
 どうしてこんなメールが届いたのか。
 
 前日、つまり9月5日の夜、あるかたから電話を頂戴した。
 
 古い雑誌を整理していて、乱歩が書いた短い文章を発見したのだが、おまえのサイトの「江戸川乱歩執筆年譜」にも記載されていないようだから、なんなら送ってやろうか、とのありがたいおことばをいただいた次第であった。
 
 ところで、おれのサイトは、いったいどうなっておるのか。
 
 つまり、この件である。
 
20100918a.png
 
 アドビ社のサイト作成ソフト Dreamweaver を導入すべきかどうか、いまだ結論を出すにいたっていない。
 
 というか、いまさら css とかのお勉強をするのも億劫だから、ワードプレスあたりを導入して、ブログ主体のウェブ生活にシフトをチェンジするか、みたいなことも考えたりもしているのだが、それも手つかず。
 
 ただまあ、現時点でもブログ主体のシフトではある。
 
 ウェブサイトの更新ができないものだから、急場しのぎに新しいブログを開設し、乱歩の「同感の言葉」は著作権も無視してその新しいブログに掲載しておいた。
 
名張人外境ブログ:同感の言葉(2010年9月7日)
 
 この新しいブログも、名張まちなかブログ同様、NINJA TOOLS というウェブサイト運営支援サイトのサービスを利用しているのだが、これがどうも、なんだか不安定なの。
 
 きのうの夕刻も障害が発生して、ブログにアクセスできない状態がつづいていた。
 
 いまみてみると、インフォメーションのページにこんなことが書かれている。
 
2010-09-18 ネットワーク障害のお知らせ
9月18日13:00頃よりネットワーク障害により、NINJA TOOLSへのアクセスおよびサイトの閲覧、各ツールの表示が不安定になる状況が発生しておりましたが、13:30頃に復旧致しました。 ご不便・ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした。
 
2010-09-17 ネットワーク障害復旧のお知らせ
9月17日16:30頃よりネットワーク障害により、NINJA TOOLSへのアクセスおよびサイトの閲覧、各ツールの表示が不安定になる状況が発生しておりましたが、18:50に復旧致しました。 
長時間に渡り、ご不便・ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした。
 
2010-09-14 NINJA TOOLSサーバーメンテナンス中止のお知らせ
平素よりNINJA TOOLSをご利用いただきありがとうございます。 
本日14日3:00~9:00に実施しておりましたサーバーメンテナンスですが、予期せぬ技術的なトラブルが発生し、作業完了には至りませんでした。 
現在、NINJA TOOLSのご利用には支障はございません。 
本日作業が完了していない点につきましては、再度検証し、後日メンテナンスを実施致します。 
なるべく皆様へご迷惑をおかけしない方法を検討致しますが、NINJA TOOLSのご利用に影響が出る場合は、改めて本お知らせ欄にて告知致します。
 
 かなり不安である。
 
 だから、ワードプレスに乗り換えるか、という気にもなっているわけだが、そんなことはともかく、以前からしつこく主張してきたとおり、名張市立図書館が目録作成のために調査し収集し体系化したデータは、市立図書館のウェブサイトでデータベースとして公開されるのが筋である。
 
 どうしてそれをせんのか、とおれに尋ねられても、そんなことはわからん。
 
 というか、それ以前の問題として、乱歩関連資料を収集しますと宣言してはいるものの、いったいなにを収集すればいいのかがさっぱりわからん、というのが名張市立図書館のレベルなのである。
 
 収集資料の活用がどうの、データベース化がどうのと、そんなあたりまえのことをあたりまえに考えられる状態にはないのである。
 
 なにも勉強せず、なにも考えない。
 
 ただの思いつきしかない。
 
 その思いつきも、あくまでもちまちましたご町内感覚の域を出るものではない。
 
 乱歩のことをろくに知りもせず、ご町内のことしかわからん人間が、ぼーっとした思いつきだけで、乱歩関連事業とやらをぶちかます。
 
 それが名張市の実態である。
 
 全国に通用する乱歩という素材を手にしていながら、そして、乱歩というビッグネームを自治体の自己顕示、宣伝、PR、シティセールスに利用したくってうずうずしているくせに、まともなことはなにもできない。
 
 日本推理作家協会に丸投げしたミステリ講演会をほそぼそと継続する、みたいなことが関の山である。
 
 どうせなら、年にいちどは乱歩ファンが名張に眼を向けてくれる、みたいなことをやってもいいのではないか。
 
 そういえば、横溝正史ゆかりの倉敷市で、ことしも正史イベントがくりひろげられる。
 
倉敷市公式ホームページ:金田一耕助誕生の地でイベント開催
 
 たしか去年も開催されたはずで、とくに「本陣殺人事件」のトリックを再現するイベントはみものだったと伝え聞く。
 
 名張市でも、「屋根裏の散歩者」のトリックを再現、みたいなことをやってみてはどうか、といったようなことはどうでもいいとして、乱歩のことをろくに知りもせず、ご町内のことしかわからん人間が、ぼーっとした思いつきだけでものごとを進めているというのは、名張市立図書館だってご同様である。
 
 収集資料の目録を編む、という図書館としてごく基本的なことにさえ、考えがまるでおよばない。
 
 市民対象に乱歩作品の読書会を、などとご町内感覚を全開にしてものすごく月並みなことを思いつくばかりである。
 
 ま、素人なわけな。
 
 名張市の行政運営そのものにも、素人が適当にお茶を濁してま〜す、みたいなところが散見される次第であるが、名張市立図書館もやはりご同様、無料貸本屋として運営することはできても、乱歩関連資料の収集と活用ということにかんしては、まったくの素人だというしかない。
 
 しかし、それじゃまずかろうよ。
 
 もう少しまともになろうな。
 
 もうちょっと勉強して、もうちょっと考えよう。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決めよう。
 
 もうちょっと、ちゃんとしような。
 
 いくら田舎のお役所じゃとて
 
  はあどーしたどしたあ
 
 ここまであほではちょいと困る
 
  それからどしたあ
 
 ちょいとどころかだいぶ困る
 
  はあもっともだーあもっともだあ
 
 と昔から歌の文句にもうたわれている名張市役所ではあるが、もう少しちゃんとしてくれてもいいと思うのなおれは。
 
 だからいま、ちゃんとしてもらっているはずなのであるが、ほんとのところは、どうなのであろうなあ。
 
 ところで、スキャン画像をお送りいただいた乱歩の「同感の言葉」であるが、これははたして、名張市立図書館が乱歩関連資料として収集すべきものなのか、そうではないのか。
 
 現時点では、判断できない。
 
 資料収集の方針や基準が明確ではないからである。
 
 しかし、収集すべきだとおれは思う。
 
 理由はいくつもあげられるが、そのひとつは、そんなことやってるところがどこにもないから、ということである。
 
 乱歩の遺産を継承した立教大学もやってなければ、旧乱歩邸がある豊島区もやってない。
 
 で、どこかにひとつ、そういうところが必要だとおれは思うわけ。
 
 乱歩が残した断簡零墨のたぐいまで、こつこつと収集をつづける公的機関が、どこかにひとつは必要だと思うわけ。
 
 たとえば乱歩の「同感の言葉」をみつけた人が、こんなのがあったから送ってあげる、と気軽に情報提供できるようなところが、どこかにひとつあるべきだと思う。
 
 もちろん、名張市立図書館がどうしてもそれをやらなければならない、という筋合いはない。
 
 しかし、名張市立図書館は開館以来、乱歩関連資料を収集しております、ということになってるわけである。
 
 内実はお寒いかぎりであるけれど、表向き、そういうことになってるわけな。
 
 とくに『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』という三冊の目録を発行したことで、一部の関係者のあいだには、名張市立図書館は乱歩の自己収集を継承した公立図書館だという認識が生まれておったわけなのな。
 
 それはまあ、名張市役所のみなさんには、そんなことはまったくおわかりにならぬであろう。
 
 ほんと、おわかりにならぬであろうからなあ。
 
 それにまあ、責務とか使命とかいってみたところでなあ。
 ぼーっとしてるあいだに、9月もなかばである。
 
 じんわり疲れておる。
 
 夏の疲れが出ておるのか。
 
 そのせいというわけでもあるまいが、その後、これといった進展はない。
 
 なんの進展か。
 
 名張市役所のみなさんに乱歩のことを考えていただいている、その進展である。
 
 だから、地域雑誌「伊賀百筆」に寄稿する漫才も、ほったらかしである。
 
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 締切は9月初旬と聞いていたのだが、催促がないのをいいことに、筆をストップさせたままである。
 
 先日も記したとおり、いまだ不確定要素が多いせいで、名張市における乱歩まわりのあれこれを漫才に仕立てることができない。
 
 名張市役所のみなさんに、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをやっていただかないことには、漫才ひとつ書けぬありさま。
 
 ことほどさように、ちゃんと考えてちゃんと決める、というごくふつうのことが、お役所においてはかなりの難事であるらしい。
 
 乱歩まわりのことにかぎらず、名張市政の少なからぬ局面で、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということができておらんのではないか、という気にもなってくる。
 
 名張市政といえば、2ちゃんねるの名張市政スレ、例の電波会計士に荒らされてまたまたご臨終、ということになるらしい。
 
 それにしても、いったいなんなんだろうなあれは、とお思いの諸兄姉は、というか、おれもそう思っているのだが、ちょいとググってみられるがよろしい。
 
 
 とくに三重県よろずやさんのブログが参考になると思うけど、いくら参考になったところで、いったいなんなんだろうなあのきちがいは、という疑問は解明されることがない。
 
 そんなことはともかく、ちゃんと考えてちゃんと決める、という件である。
 
 お役所では、それがなかなかできない。
 
 逆に、適当に考えて適当に決める、という事例なら、おそらくは掃いて捨てるほどある。
 
 たとえば、例によって例のものを例示するけれど、名張まちなか再生プランなどというのはその最たるものであった。
 
 適当に考えて適当に決めました、の見本みたいなものであった。
 
 ただの思いつきを羅列しただけのプランであった。
 
 だからせめて、おれがパブリックコメントを提出して、歴史資料館なんかできるわけねーじゃねーかばーか、とか、桝田医院第二病棟の活用策がどうして一行も書かれてねーんだよばーか、とか、そういうありがたい忠言を寄せてやったとき、それを素直に受け容れてプランを練り直していさえすれば、もう少しましな展開になっていたであろうものをなあ、などといまからいっても手遅れなれど、名張市は大笑いされることになるかもしれんのだぞ。
 
 「伊賀百筆」の漫才で、名張市のまちなか再生事業が大笑いされてしまうことになるかもしれんのだぞ。
 
 そんなことになるのは、名張市民のひとりとして、すっごくいやである。
 
 のみならず、穴があったら入りたいような気もする。
 
 名張まちなか再生プランといえば、先日、名張まちなか再生委員会から文書が届いていた。
 
 9月24日、やなせ宿で臨時総会が開催され、委員会の解散が協議されるとのことである。
 
 文書のスキャン画像がこれ。
 
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 7月26日、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の会合は、委員会の理事が四、事務局の市職員が二、計六人という少人数の集まりとなったが、こんどの臨時総会も参加者は少ないのではないかと予想される。
 
 しかしまあ、ちゃんと解散したうえでリスタートするというのだから、委員会が規約に則ってきっちり解散できるよう、関係各位には委任状をしっかりご提出いただくようお願いしておきたい。
 
 名張まちなか再生委員会の歩みもまた、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということとはまったく無縁なものであったのだが、やはりいまからいってみたとてしゃーないことである。
 
 せめて名張市には、あの事業の失敗を得がたい教訓として胸に刻むことを望んでおきたいところであるが、無理無理、とても無理であろう。
 
 ことの本質にはいっさい眼を向けようとせず、思いつきを頼りにうわっつらをとりつくろうだけでこと足れりとする。
 
 適切な判断が必要な場合にも、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをせず、脊髄反射的に易きにつくことを選んでしまう。
 
 みかねた市民が忠言しても耳を傾けることはせず、みずから進んで泥沼をめざす。
 
 結局、どうなるのか。
 
 泥沼のなかで身動きがとれなくなり、八方ふさがりになるしかない。
 
 泥沼に踏みこんで八方ふさがりとなり、ついには立ち往生してしまったまちなか再生事業を筆頭に、名張市はそんなことばっかやってんじゃね? という印象がある。
 
 しかしもう、どうだっていい。
 
 ほんとにどうだっていい。
 
 どうせなにいってやったって聞きやしないんだし、聞く聞かない以前にいってやったことを理解できないんだから、おんなじことくり返して好きなだけ八方ふさがりになってればいいのよ。
 
 だからほんとにね、乱歩のことさえちゃんと考えてちゃんと決めてくれれば、あとのことはもうどうだっていいわけね、と訴えつづけてはや一年。
 
 乱歩のことといったって、名張市が手がけている乱歩関連事業とやらも、ほんとにどうだってかまわない。
 
 ミステリ講演会なぞがたりなばりが官製談合の温床となり、あろうことかあるまいことか、官製談合やってまーす、と名張市がみずから嬉々として表明していることだって、腰がくだけそうにはなるけれど、いいさいいさ、華麗にスルーしてやろうじゃないの。
 
 だからそのかわり、テロを中止してやるからそのかわり、名張市立図書館における乱歩のことだけはちゃんとしてくれんかね、と声涙ともにくだらんばかりのお願いをした去年の秋から季節はめぐり、あっというまに一年がたってしまったじゃねーかばーか、なーにちんたらしてやがんだばーか、などと思ってしまわないでもないけれど、とにかくこういう認識までたどりついていただいたわけである。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
 
 冗談みたいな話であるが、日本でただひとつ、乱歩関連資料の収集をつづけてきた名張市立図書館には、じつは資料収集のうえでなんの方針も基準もなかったのである。
 
 乱歩関連資料を収集いたします、と高らかに宣言しておきながら、どんな資料を収集するのか、収集した資料をどんなふうに活用するのか、そんなことはまったく考えてなかったのである。
 
 では、なにを考えておったのか。
 
 名張市民を対象にした乱歩作品の読書会を開こうかな、などとレベルの低いことを考えておったのである。
 
 そんな程度のことしか考えられなかった。
 
 お家芸である。
 
 ことの本質にはいっさい眼を向けようとせず、思いつきを頼りにうわっつらをとりつくろうだけでこと足れりとする、という名張市のお家芸は、市立図書館の資料収集にも躍如としておったのである。
 
 だからおれは、とっとと逃げたわけな。
 
 乱歩の読書会の講師をやってくれんかと市立図書館から依頼されて、速攻で断ったわけな。
 
 いやいや、そのあたりのことは過去にしつこく記したところではあるけれど、なにしろ話に進展がないものだから、ついつい蒸し返してしまうことになる。
 
 だから方向を変えて、実践的なことを記そう。
 
 実践的な、というのは、乱歩関連資料の収集における実践的なこと、の意味である。
 
 たとえば来月、こんな本が出る。
 
ポプラ社:(017)異
 
 乱歩作品を収録したアンソロジーである。
 
 「百年文庫」というシリーズの一冊だが、本の大きさは文庫本サイズではないらしい。
 
 価格は七百八十八円。
 
 乱歩の「人でなしの恋」のほか、ビアスの「人間と蛇」、ポーの「ウィリアム・ウィルスン」が収められている。
 
 さて、名張市立図書館はこれをどうするか。
 
 乱歩関連資料として購入すべきかどうか。
 
 以前からいってるとおり、明確な方針や基準は存在していない。
 
 かりに、アンソロジーは収集しない、という方針が打ち出されているのであれば、この『異』という本は乱歩関連資料ではない、ということになる。
 
 したがって、購入する必要はない。
 
 しかし、乱歩の自己収集を踏襲し継承する、という方針にもとづくのであれば、この本もまた収集の対象になる。
 
 乱歩の自作目録では、こうしたアンソロジーも「収録本」として著作に数えられているからである。
 
 つまり、資料収集の方針や基準が明確にされていないことには、わずか七百なんぼの本を一冊購入する場合にも判断がつきかねる、ということになるのである。
 
 ところで、先週木曜のことであったが、乱歩作品を収録したこんな本が出るよ、とこの『異』のことを電話で教えてくださったかたがあった。
 
 それはこちらも承知していたのだが、そのかたによると、これはポプラ社の営業スタッフからお聞きになった情報とのことであったが、この「百年文庫」というシリーズ、分売不可であるという。
 
 それはまったく知らなかったので、さっそくポプラ社のサイトで確認してみたところ、たしかにこうなっていた。
 
 
 定価は三万九千三百七十五円。
 
 個人で購入するとなると、二の足を踏まざるをえない値段である。
 
 一冊の本を入手するために、まったく必要のない四十九冊の本までいっしょに購入する、というのはかなりきつい話である。
 
 個人のみならず、名張市はなにしろ財政難なのだから、名張市立図書館も二の足を踏んでしまうかもしれない。
 
 七百なんぼの本なら買えるけど、四万ちかい本を乱歩関連資料として購入することはできません、ということになるかもしれない。
 
 しかし、それならそれでいいのである。
 
 ない袖は振れない。
 
 買えないのであれば、買わなければいいのである。
 
 ただしその場合にも、この『異』という本は乱歩関連資料として収集すべき本ではありますが、「百年文庫」をワンセット購入するだけのお金はありませんので、名張市立図書館は『異』という本を所蔵しておりません、といったことをはっきりさせておくことが必要である。
 
 そしてそのうえで、『異』という本の書誌データを、それはもう本屋さんで立ち読みしながらこっそり写してきてでもいいから、乱歩関連資料の一冊として記録しておくことが肝要である。
 
 とにかく、買う買わない以前に、資料収集の方針や基準をはっきりさせておかなければならない、ということなのである。
 
 そんなあたりまえのことが、いったいどうしてできないのか。
 
 市立図書館が開設されたとき、この図書館は乱歩関連資料を収集してまいります、と決めたのであれば、そのときどうして、収集の方針や活用の方向性を明確にする、という当然すぎるほど当然のことをしなかったのか。
 
 おれにはそれがふしぎでならんのだが、久繁哲之介さんの『地域再生の罠──なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』から再度引くならば、「勉強しない、働かない、何も考えようとしない、澱んだ空気」が名張市にも市立図書館にも充満していた、ということであろうな。
 
 乱歩関連資料を収集するというのであれば、まず乱歩のことを勉強しなければならん。
 
 そのうえで、市立図書館が乱歩にかんしてどうすればいいのか、それを考えることがどうしたって不可欠である。
 
 ところが実際には、なにも考えようとはせんかったんだもんなあ。
 
 ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことをまともに考えたこともないおつむで、乱歩の読書会がどーたらこーたら、そんなことを思いつくのが関の山であったのだものなあ。
 
 まったくひどい話である。
 
 前エントリにも記したとおり、乱歩関連資料を収集いたしますと公言した時点で、名張市立図書館はひとつの社会的責務をみずから引き受けた、公的使命をみずから担った、ということになるわけなんだけど、お役所の人には責務とか使命とか、そういったことばは理解できんのであろうからなあ。
 
 しかしまあ、ひどいひどいと嘆いていたってしかたがない。
 
 名張市役所のみなさんが、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということにどうか目覚めてくださいますように、とマリアさまにお祈りでもしてみっか。
 
 きゃはは。
 とうとうすだぞおしまいのすだぞ
 
 ついに、す、である。
 
 いろは四十八文字の最後の文字である。
 
 乱歩のことを考える、と題して、四十八のエントリを綴ってきたことになる。
 
 それが、す、まで来た。
 
 つまり、おしまいである。
 
 なんぼなんでも、すが来るまでには名張市役所のみなさんとのおはなしも終わっておるであろうな、と思うておった。
 
 なんのなんの、まだである。
 
 名張市役所のみなさんに、乱歩のことを考える、という不慣れでもあれば不向きでもあることをやっていただいて、まだおしまいになっていない。
 
 だが、ありがたいことに、前エントリでも述べたとおり、こういった認識まではたどりついていただいた。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
 
 でもって、なにも考えず、なにも決めようとしない名張市役所のみなさんに、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをしていただいているわけである。
 
 ところで、半月ほど前、2ちゃんねるで知ったことであるが、
 
 ──役人はできない理由をすぐにいい
 
 という川柳があるらしい。
 
 ひねりはないが、そのぶんストレートに急所をついている。
 
 役人はできない理由をすぐにいい、か。
 
 ほんと、そのとおりだよな。
 
 日本全国津々浦々、お役人の習性というのはまさしくそうだよな、としみじみ思ってしまう。
 
 ではここで、前エントリにつづいて、久繁哲之介さんの『地域再生の罠──なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』から引く。
 
 日本一人口の多い村、岩手県滝沢村が2006年に「日本経営品質賞」を地方自治体として初の受賞は話題を集めた。日本経営品質賞は、顧客視点から経営全体を運営し、自己革新を通じて新しい価値を創出する企業を表彰するものだ。現代日本の地域づくりに最も欠ける「顧客志向」が重視される賞である。「日本経営品質賞公式WEB http://www.jqaward.org/)」に、滝沢村の受賞理由について興味深い文言がある。
 
 自治体固有の風土・文化の打破をめざして、職員一人ひとりの意識改革を進め(以下、略)
 
 「自治体固有の風土・文化の打破をめざし」という文章から、選考委員である財界人が自治体という組織をどのように見ているかをうかがい知ることができる。この文脈を推し量るならば、財界人の目には、「自治体固有の風土・文化」とは「打破されるべきもの」と映っているのであろう。
 では、自治体固有の「風土・文化」とは、いったいどのようなものなのだろうか。それをご理解いただくためには、滝沢村を変革した元村長の柳村純一さんの言葉を借りるのが最もわかりやすい。
 
 村長就任当初の滝沢村役場は、ご多分にもれず、“お役所仕事”が幅をきかせていた。縦割り主義の弊害である“縄張り意識”が蔓延し、決してよその部署と連携することはなかった。前例の踏襲ばかり重んじ、新規の施策など受け入れようともしない。“事なかれ主義”の横行、稟議書を提出してから決裁まで二週間を要するスピードの遅さ……。職員を見わたせば、読んでいるのは、新聞といえばスポーツ新聞と競馬新聞だけ、あるいはパチンコ必勝法の雑誌やエロ本の類ばかり。昼間は職場をウロウロしていて、夕方になると残業代目当てに机に向かう職員もいるなど、勉強しない、働かない、何も考えようとしない、澱んだ空気が職場に充満していた(『日本一の村を超優良企業に変えた男』講談社、2007年、3頁)。
 
 この文章には「ただし書き」が必要だと思う。たしかに、ここに書かれるような公務員(前者)は少なからずいる。しかし、公益意識とコスト意識の高い情熱に溢れた優秀な公務員(後者)の方が数的には多い。問題とすべきは、「自治体固有の風土・文化」に支配される世界では、本来なら評価されて当然である後者は評価(昇進)の対象となり難く、前者が権限を有する地位に就いてしまい、公益に結びつかない無駄な事業に税金を浪費し続けていることにある。
 この元凶は、財界人も指摘するように、公務員個人にあるのではなく、「自治体固有の風土・文化」にある。この打破は地方の再生、ひいては日本経済活性化にきわめて有効だと思う。
 
 滝沢村の村長がどんな変革を進めたのか、それはこの本には記されていないが、ここにあげられた変革以前の「自治体固有の風土・文化」は、名張市役所にも共通するものではないのか。
 
 「お役所仕事」
 
 「縦割り主義」
 
 「縄張り意識」
 
 「前例の踏襲」
 
 「事なかれ主義」
 
 「スピードの遅さ」
 
 これらはみな、多かれ少なかれ、名張市役所にもみられる傾向ではないのか。
 
 「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」
 
 こういった職員もまた、はっきりいって、名張市役所に存在していないわけではあるまい。
 
 というより、ごろごろしているのではないか。
 
 そんなみなさんが束になって、
 
 ──役人はできない理由をすぐにいい
 
 みたいな攻撃に出てくるのだから、相手をする市民はたまったものではないと思う。
 
 しかしまあ、いくら名張市役所だって、「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」職員ばかり、というわけでもないであろう。
 
 実際、そこそこ有能そうなのに「自治体固有の風土・文化」にスポイルされている、みたいな職員も、みかけないわけではない。
 
 要するに自治体固有の風土と文化がよくないのでござるの巻、といったことか。
 
 変革するのは大変であろうな。
 
 いやいや、そんな遠大なテーマは横におくとして、とりあえずこれである。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい
 
 ほんとのことをいうと、名張市立図書館が乱歩関連資料の収集をつづけるべきかどうか、名張市役所のみなさんには、まずそれを考えていただくべきなのである。
 
 しかし、これを考えると、堂々めぐりになってしまう。
 
 ちゃんとやります、というのであればつづけるべきだし、ちゃんとしたことはできません、というのであれば、そんなことに税金をつかうのはやめるべきである、ということになる。
 
 ちゃんとやるというのは、どういうことか。
 
 それがわからないから、堂々めぐりをするしかないのである。
 
 名張市立図書館における乱歩関連資料の収集について、順序立てて考えてみる。
 
 なぜ収集するのか。
 
 この質問を、根拠や理由を尋ねるものだと解釈するならば、答えは、名張市が乱歩の生誕地だから、ということになる。
 
 乱歩生誕地にある公共図書館が乱歩関連資料を収集するというのは、べつに不自然でも不合理でもない話である。
 
 むろん、収集しなくたってかまわない。
 
 いっぽう、この質問が目的を問うものだとすれば、つまり、なんのために収集するのか、という問いかけだとすれば、答えるのはやや骨かもしれない。
 
 しかし、いずれにせよ、明確な目的もなしに収集するのは、少なくとも税金の使途としてけっして適切なものではない、ということはできるはずである。
 
 さらに、こうした点も明確にしておかなければならない。
 
 なにを収集するのか。
 
 ひとくちに乱歩関連資料といっても、定義のしかたはいくらでもある。
 
 たとえば、乱歩自身の著書にかぎる、というのもありだし、乱歩作品が掲載された新聞と雑誌にかぎる、と規定することも可能である。
 
 必要なのは、資料収集のルールをはっきりさせておくことである。
 
 名張市立図書館には、それがまったくできていなかった。
 
 というか、いま現在もそうである。
 
 なんの方針も基準もない。
 
 しかし、なんの方針も基準もありません、というのは、話として通用しない。
 
 なぜか。
 
 名張市立図書館は過去、収集資料にもとづいて三冊の目録を発行しているからである。
 
 この目録は、いってみれば、名張市立図書館は乱歩が手がけていた自己収集を引き継ぎました、乱歩自身による乱歩関連資料収集の方針と基準を受け継ぎました、という宣言である。
 
 マニフェストである。
 
 これらの目録を手にとれば、名張市立図書館が乱歩の自作目録にもとづき、いわば乱歩の遺志を継ぐかたちで、乱歩関連資料の収集をつづけているということが、よくわかるようになっている。
 
 ところが、困ったことに、「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」みなさんには、それがわからない。
 
 そもそも、目録を手にとろうともしない。
 
 たまに手にとっていただいたとしても、
 
 「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
 
 などと、驚天動地のお尋ねをたまわってしまう次第である。
 
 そんなみなさんが、
 
 ──役人はできない理由をすぐにいい
 
 と来るんだから、ほんとにもう大変だぞ。
 
 いやいや、そんなことはまあいいとして、収集の方針や基準を明確にする、ということができたならば、そのあとはこうである。
 
 どう活用するのか。
 
 この問題は、なんのために収集するのか、という問題とリンクしてくる。
 
 つまり、目的である。
 
 収集というのは、明確な目的のもとに進められるべきなのである。
 
 ただ漫然と、乱歩関連資料を収集しますとぶちあげておきながら、なにを集めていいのかもわからず、集めた資料をどう活用していいのかもわからない、みたいなことでいいわけがない。
 
 なんのために、なにを収集し、どう活用するのか、それが一本の線として考えられてなければならんわけである。
 
 しかし、実際には、それがまったくできておらんわけである。
 
 「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」みなさんがいくら束になっても、どうにもならんのである。
 
 乱歩作品を読み、乱歩がどういう作家だったのかを理解するだけで、いくらでも適切な判断がくだせるというのに、すなわち、ちゃんと考えてちゃんと決めることができるというのに、それをしようとせんのである。
 
 だから、なにをやっても、思いつきの域を出ることができない。
 
 たとえば、乱歩都市交流会議、という思いつきである。
 
 こんなものに、なにか意味があるのか。
 
 ない。
 
 ないからこそ、ただつくっただけで、そのあとはなにひとつしていないのである。
 
 しかも、三重県内にある乱歩ゆかりの都市をまとめるにあたって、伊賀市をはずすという大失態を演じている。
 
 ちゃんと勉強せず、ちゃんと考えることをせず、ただの脊髄反射的な思いつきだけにもとづいてものごとを決めておるから、こういうことになるのである。
 
 いやまあ、おれだって、名張市行政の実態というものについて、ある程度の知識はあるつもりである。
 
 だから、もうどうしようもないな、とは思うぞ。
 
 乱歩関連事業だけにかぎってみても、乱歩都市交流会議などという愚劣な思いつきを口走る程度のことしかできないし、やはり思いつきではじまったミステリ講演会と来た日には、いまや官製談合の温床になり果ててしまっておるではないか。
 
 ひどい話である。
 
 官製談合なんてのはどこにでも転がってる話かもしれんけれど、さすがにそれを市長名義の文書でうれしげに公表してしまう自治体なんて、たぶんめったにないと思うぞ。
 
 これはもう、モラルハザードと呼んでしかるべき事態であろう。
 
 ここ名張市においては、行政運営のうえで当然要求されるモラルというものが、すっかりおかしくなってしまっているらしい。
 
 なんともひどい話である。
 
 ひどいけれども、どうしようもあるまい。
 
 なにいってやったって、そもそも理解ができんのである。
 
 だから、どうにかしようと思ったらテロしかないんじゃね? と以前からゆうとるわけなのである。
 
 しかし、それもあほらしい。
 
 だから、テロにはせんから乱歩のことを考えてくれんかね、とお願いしているわけである。
 
 名張市立図書館における乱歩関連資料の収集だって、もとはといえば思いつきからはじまったことでしかない。
 
 しかし、資料収集というのは、講演会のように単発的なものではない。
 
 持続的な行為である。
 
 四十年もつづけていれば、資料もそれなりに蓄積されている。
 
 思いつきではじまった資料収集も、ちゃんと方向づけをし、ちゃんと肉づけしてゆくことで、有用有益なデータベースとして全国に発信することができるのである。
 
 そのためには、いまあげたみっつの問いにちゃんと向きあい、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをやっていただく必要がある。
 
 なぜ収集するのか。
 
 なにを収集するのか。
 
 どう活用するのか。
 
 このみっつの問いかけに、ちゃんと答えてくれんかね、ということなのである。
 
 みたいなことをお願いしつづけて、はや一年ちかくが過ぎにけり。
 
 ほんと、これはお願いなわけな。
 
 ちゃんとしてくれ。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決めてくれ。
 
 おれはそれをお願いしている。
 
 なんべんもしつこく記すけれど、乱歩にかんしてなにをしていいのかわかりません、と名張市立図書館がいうから、こういうことをすればいいのである、とおれは身をもって示してやったわけな。
 
 で、それっきりなのである。
 
 うんともすんとも返答がないのである。
 
 どうしようもないなまったく。
 
 「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」みなさんにこんなこといったってしかたないけど、目録三冊を発行したことで、名張市立図書館は乱歩の自己収集を受け継いでおります、とすでに公表しておるわけである。
 
 でもって、自分たちの都合しか考えないみなさんには理解できないことであろうけれども、乱歩関連資料を収集すると決め、それをはじめた時点で、名張市立図書館はひとつの社会的責務をみずから引き受けた、公的使命をみずから担った、ということになるわけなのである。
 
 いややっぱ、理解してはいただけぬかもしれんな。
 
 みたいなことで、8月はきょうでおしまい、いろは四十八文字も最後のすの字になってしまったわけなれど、ほんと、どうするよまったく。

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