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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 資料収集の方針を明確にすること
 
 本格的に考えてみる。名張市立図書館はなにをすればいいのか、ということを考えてみる。以前にも記したごとく、乱歩にも本にも図書館にも関心がないという諸兄姉には、面白くもなんともない内容となる。
 
 資料の収集、整理、提供ということでいうと、まず収集の面では、どうすればいいのか。名張市立図書館に行くと、乱歩が発表したすべての作品を読むことができます、みたいなことが望ましい。むろん、そこまでする必要があるのか、という疑問もありだろうが、そこまでやったほうが面白い、そこまでやらなきゃ意味がない、というのがおれの考えである。完璧に実現するのは至難であるとしかいいようがないが、方針としてはそのあたりを明示すべきであろう。
 
 つまり、方針なんかないのである。名張市立図書館は乱歩関連資料を収集しております、とはいうものの、どんな資料を収集するのか、明確な方針なんてなんにもないのである。市立図書館の嘱託を拝命したとき、教育長にその点をお訊きしたことがある。よーおとっつぁん、ちょっとおせーてほしーんだけどよー、とか口頭で質問したのではなく、ちゃんと文書を提出して、乱歩関連資料の収集方針について名張市教育委員会の考えをただしたわけなのであったが、方針なんてなんにもなかった。というか、教育長からはなんのお答えも頂戴できなかった。だから、やっぱりな、方針なんてなんにもないんだよな、と判断した。
 
 当時の教育長は、いささか変わった経歴のもちぬしでいらっしゃった。だいたいが日本全国津々浦々、どこの地方自治体においても事情はほぼ共通していて、教育長は退職した校長先生、教員委員長は土地の名士、といったあたりが通り相場である。ところが、当時の教育長はいってみればちょっと異色で、学校にはまったく縁がなく、名張市役所で長く勤務していらっしゃったかたであった。どうしてそんなことになったのかというと、当時の市長と学校関係者、というか、はっきりいってしまえば三重県教職員組合なのであるが、両者の関係がこじれにこじれていたからである。とてもとても、そこらの退職校長にえっさほいさっさと教育長をやってもらえる状態ではなかった。
 
 これもまた日本全国津々浦々、教職員組合なんてのはまったくとんでもない組織だよな、というのも当節の通り相場であって、直近の例をあげれば北海道教職員組合、略して北教組が民主党衆議院議員の選挙陣営に不正な資金提供をおこなったというニュースが耳目を集めているけれど、教職員組合なんてのはひと皮むけばみなおなじ、教鞭をもった選挙軍団、みたいなところが確実にあって、早い話がわれらが三重県教職員組合、略称は教育やくざ三教組というらしいのであるが、あそこだって少し前まで選挙ともなれば、学校の先生が勤務時間中に好きなように選挙活動に汗をお流しであったと伝えられる。なーにやってんだ腐れ先公、しまいにゃそこらじゅうの学校にモンスターペアレントたばにして送りこむぞこら、みたいな話ではあったのだが、そんなことはまあ、全然関係がない。
 
 なんの話か。おれが市立図書館の嘱託になったときには、当時の市長が結局は選挙がらみの問題で教鞭をもった選挙軍団たる教育やくざ三教組を怒らせてしまっていて、それで教育長には教育とまったく関係のない畑の人が着任せざるをえなかったということなのであるが、そういうかただったから市立図書館における乱歩資料収集方針について確乎たるところをお示しいただけなかった、ということではまったくない。教育長個々の問題ではなく、終始一貫、名張市教育委員会には、それからもちろん市立図書館にも、乱歩関連資料の収集にかんする明確な方針なんて存在していなかったのである。嘱託をやってたときにそこらの方針をきっちり固めておくべきだったかな、という反省はおれにもあるのだが、いまからなにをいってみたってしかたがない。
 
 しかし、いまから方針を明確にすることは、いくらだって可能である。というか、明確にしないのは明らかにまずい。なにしろこのご時世である。なんの方針も明示せず、市民の税金で乱歩関連資料を収集してまーす、とかなんとかいってみたって、市民の理解や共感を獲得できるものかどうか。むろん、名張市政の各般にわたり、市民の理解や共感をえられないようなことは多々存在しているのであろうけれども、せめて乱歩にかんしては、乱歩に興味なんてまるでないという名張市民のみなさんからも、名張市が税金つかってやってることに理解や共感を頂戴したいものだとおれは思う。そうでないとなんつーか、市民にも乱歩にもなんだか申しわけないような気がおれはする。
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 そろそろ本格的に考えてみような
 
 さーあ、どうする。八方ふさがりである。雪隠詰めである。さっぱりわやである。無茶苦茶でござりまするがなである。さーあ、どうするよ名張市、という話である。たぶんさまざまな局面でどうするよ状態なんだろうなとは思われるが、ひとまず乱歩限定の話である。で、どうするったって、もうどうしようもないのである、というところまで話は進んだ。ここ名張市においては、お役所のあれな人たちと地域社会のあれな人たちが手に手をとって、もう無茶苦茶でござりまするがな、というところまで記した。あれな人たちというのはまったく困ったもので、自分たちのために乱歩を利用することしか考えない。しかも、あったまだいじょーぶっすかあ〜? とこちらが心配になるくらい、きわめて低いレベルのことしか考えられない。地をはうほどの、いやいや、大地を深々とえぐってしまうほどのレベルの低さである。乱歩の名を聞いて、脊髄反射的に、乱歩記念館をつくろうかとか、ミステリー作家の講演会でもやっときゃいいんだろうとか、怪人二十面相にそこらのひやわいはっしゃりまわらしたったらどうですのどなとか、いやもうひどいものであるけれど、連中の本音は、
 
 「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」
 
 という怪人19面相君の捨てぜりふに尽きている。それにしても、こんな程度の人間が、おそれ多くも名張市の公益活動とやらにからんでいたというのだからなあ。ここまでのうすらばかをのさばらせて、名張市はいったいなにがうれしいのか、と思わざるをえない。無茶苦茶でござりまするがな。しかし、ここでよくよく考えてみたら、怪人19面相君は公益活動とやらに関与していたのだから、もしかしたら、協働と名のつく場にも頻繁に出没していたのではないのかな。可能性は低くあるまい。となると、先日記したプロファイリングの件であるが、あそこにもうひとつ、怪人19面相君は名張まちなか再生委員会の委員であった可能性が高い、と追記しておくべきかもしれんなあ。とはいうものの、追記してみたところで、やっぱわからん。怪人19面相君の正体は、とんと見当がつかない。怪人19面相君、いまごろはどこでなにをしているのやら。お〜い、怪人19面相く〜ん、せいぜい人の足をひっぱらないようにしろよな〜。
 
 さて、乱歩である。名張市は乱歩にかんして、いったいなにをどうしてきたのか。これまで概観してきたとおりである。八方ふさがりであり、雪隠詰めであり、さっぱりわやであり、無茶苦茶でござりまするがな。しかし、どうするよ名張市、といってみたって、どうにもならない。お役所の人にまかせておいたら、
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 という話にしかならない。とはいえ、いくらあれこれいってやったって、
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない。
 
 という話にしかならない。なんかもう堂々めぐりだよな。名張市は乱歩をどうすればいいのかということを考えるエントリ「乱歩のことを考える」を記すために、手順としてまず過去と現在を俯瞰してみたわけであるけれど、四方八方にそそり立つばかの壁に行く手をはばまれ、堂々めぐりするしかなくなってしまうわけよ。だから、過去と現在のことはここまでとしておいて、とはいえ、21日のミステリ講演会が終わったら名張市の乱歩関連事業についていささかを記すことになるわけだが、それはそれとして、ここからはこれから先の話をする。未来の話である。むろん、実現性のある話ではない。おれが権限というやつをもっていたら、いくらだって可能なことなのであるが、残念ながら権限とか権力とか、あるいは権勢とか権威とか、そういうものとはいっさい無縁なんだからしかたがない。
 
 話の内容は、当然、名張市立図書館のことが中心になる。話のとっかかりとして、先日の朝日新聞に掲載されていた国立国会図書館長のインタビュー記事をとりあげる。当地では2月13日付統合版載っていたオピニオン面の「日本文化のデジタル化」である。まずリードを引用。
 
   
 デジタル時代、書物という知的遺産を守り伝える図書館の役割は。官僚OB以外で初の国立国会図書館長である長尾真さん(73)は、米国のグローバル企業グーグルが仕掛けた世界規模の書籍デジタル化事業に対抗して、日本語文化を守る独自の「デジタル図書館」を主張する。
(聞き手・池田洋一郎)
 
 ことしは「電子書籍元年」とかいわれていて、早い話、4月末に日本でも発売が開始されるアップルの「iPad」というデバイスには、おれもおおいに興味をそそられている。電子書籍とかデジタルコンテンツとか、そのあたりのものが今後どうなるのか、どう扱ってゆけばいいのか、図書館関係者にはとても気になるところだろうが、長尾さんのおっしゃるデジタル図書館のことは、名張市は乱歩をどうすればいいのかということを考えるうえで、いまはとりあえず関係がない。デジタル以前のレベルの話からはじめることにして、インタビュー最初のQ&A。
 
   
 ──グーグルが世界中の書籍をデジタル化する「電子図書館」事業に対し、各国の作家や出版社が「著作権侵害」と反発を強め、訴訟も起きています。
 「人類のあらゆる知識や情報を収集・整理して世界中の人に提供するんだというグーグルの理念自体は、評価していいんじゃないかと思います。その点は、図書館の精神と同じですから。しかし、資金力のある一企業が、世界中の知識を独占的に集めることには危険性を感じます。知的財産の公開という公共性の高い仕事を、ある国のある企業に任せていいのか。その辺が、みんな心配していることですよね」
 
 グーグルのことはさておき、というか、なにも長尾さんの言をいちいち引かなくてもほんとはいいんだけど、なにしろ国立国会図書館長でいらっしゃる。なにをいってやってもなんにも理解できないみなさんだって、肩書くらいは理解できるであろう。国立国会図書館の館長さんがこうおっしゃってるんだから、と話をもっていけば、理解はできなくたってへいこらへいこら、国のほうの偉いかたの言とあればありがたく拝聴するのがお役所の人たちの習性である。だから、おれの記すところもありがたく思って読んでくれ。
 
 「人類のあらゆる知識や情報を収集・整理して世界中の人に提供する」
 
 長尾さんはグーグルの構想をそう要約して、それは「図書館の精神と同じ」だと述べていらっしゃる。図書館がただの無料貸本屋だと信じて疑わぬ人たちには理解できないことかもしれぬが、国立国会図書館の館長さんがこのようにおっしゃっているのである。怪人19面相君がそこらの電子掲示板できゃんきゃん吠えてるのとはわけがちがう。それなりの重みをもったことばとして、しかと拝聴してくれよな。で、この長尾さんの言をかりるならば、名張市立図書館は、
 
 「乱歩にかんするあらゆる知識や情報を収集・整理して世界中の人に提供する」
 
 ということを考えるべきなのである。というか、どうしてそれができてねーんだ? ということになる。開館準備の段階から乱歩関連資料を収集してきましたと、市民のみなさんの税金で乱歩関連資料の充実に努めておりますと、市立図書館は乱歩にかんしてそういう建前で運営されているのである。だったらやれよ、というしかない。できてないの? とお尋ねになる向きもあろうが、できてねーからおれがここまで怒っんじゃねーかばーか。やらねばならぬことはなにもしようとせず、そのくせ、乱歩の名前をうわっつらだけ利用して、ちゃらちゃらちゃらかっこばっかりつけて喜ぶ、みたいな真似だけは一人前なんだからなあまったく。乱歩にかこつけたてめーらのおめかしやおままごとに出せるような税金は、この名張市には一円だってねーんだよすっとこどっこい、とかいちどでいいから啖呵を切ってみたいものだよなあ。
 
 もうひとつ、長尾さんの言で肝に銘じておくべきなのは、「知的財産の公開という公共性の高い仕事」ということばであろう。一国の首相が「新しい公共」などというあいまいなことばで公共性なるものをなし崩しにしようとしているご時世だからこそ、公立図書館の公共性について深く考えるべきなのであるけれど、えーっと、このあたりのことはまあいいか。とにかく名張市立図書館は、全国でただひとつ、四十年にわたって乱歩関連資料を収集してきた公立図書館として、知識や情報の収集、整理、提供を進めるべきなのである。ちなみに記しておくと、提供の対象は名張市民ではない。先日も記したとおり、乱歩を読むかどうか、乱歩に興味を抱くかどうか、乱歩が好きかどうか、そんなことは人それぞれ、あくまでも個人の問題で、名張市立図書館がなにを提供したところで、乱歩に関心がない市民にはスルーされてしまう。逆に、乱歩が好きだという人は、名張市民でなくたって、全国各地のどこに住んでいたって、いやいや、アメリカや中国に住む人間だって、まぎれもない提供の対象なのである。
 
 さて、国立国会図書館長のインタビュー記事、眼目はデジタルライブラリーである。おしまいのほうにあるQ&A。
 
   
 ──文化発信というのは、政治家や官僚には理解されにくい?
 「我々は現代の出版物だけじゃなく、過去数百年の書籍全体を知的財産としてデジタル化して、あまねく利用してもらう歴史的視野でも考えています。すでに配信中の『近代デジタルライブラリー』は、国内はもちろん海外の日本研究者から、すごくありがたい、と大好評です。この3月も、米国で開かれる日本研究者の学会に、国会図書館のデジタル化の状況を説明してくれと招かれています」
 
 近代デジタルライブラリーのリンクを掲げておく。「名張」で検索すれば十八件がヒットし、そのなかの「10. 花袋叢書 / 田山花袋著,博文館, 明43.6. - (名家小説文庫 ; 第6編)」をクリックすると花袋の「名張少女」を読むことができる。
 
国立国会図書館:近代デジタルライブラリー
 
 先述したとおり、デジタル図書館のことは、いまは関係がない。とはいえ、図書館による資料の収集、整理、提供といったことを考える場合、提供にあたってはインターネットを活用する、というのはいまやあたりまえのことである、くらいのことはわきまえておこうな。つまり、収集、整理、提供という作業を進めてゆけば、いずれデジタル図書館が視野に入ってこざるをえなくなる、ということである。さーあ、名張市は乱歩をどうすればいいのかということを、そろそろ本格的に考えてみることにしような。「政治家や官僚には理解されにくい?」みたいなことではあろうけれどもな。
 名張市民にとって乱歩とはなにか
 
 これまでのところをまとめておく。まず、もう乱歩記念館の話はなしにしような、ということである。考えてみれば、名張市の発足以来こんにちまで、四人の市長のうち三人までが、なんらかのかたちで乱歩記念館構想をぶちあげては、はらほろひれはれとむなしく散ってきた。もうよかろう。なにも考えず、ただの思いつきで乱歩記念館構想を口走る愚は、いくらなんでもこれ以上くり返してはならんとぞ思う。
 
 乱歩関連事業にかんしては、先日も記したとおり、今月21日のミステリ講演会「なぞがたりなばり」が終わってから俎上に載せるつもりである。ただし、煎じ詰めればこれもまた、
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 ということになってしまうはずである。とはいうものの、ミステリ講演会がスタートした二十年ほど前に比べると、事情はいささか変化している。めいっぱいおつむがおよろしくないお役所の人と、同程度におつむがおよろしくない地域住民とが手に手を取って、いやもうなにがなにやら、いよいよわけがわかんないことになってきている。それが当節の風潮である。なんともえらいもので、おつむのおよろしくない人間というのは、おつむのおよろしくない人間としかつるまない。それはそうであろう。賢い人間とつるんだりしたら、自分のおつむのおよろしくなさがばれてしまう。だからおつむのおよろしくない人間ばかりが団子状態を呈していて、みてらんねーよばーか、と賢い人間が親切に救いの手を差し伸べてやろうとすると、
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない。
 
 などとヒステリックな拒否反応を示してしまう。めいっぱいおつむのおよろしくない連中というのはまことに救いがたいもので、おたがいのおつむの程度を共通項として形成された狭小な世界だけがすべてなのである。世界は仲間内にしかないのである。その世界では、かたやお役所、こなた地域住民、めいっぱいおつむのおよろしくない人間がタッグを組み、馴れあいやもたれ合い、最終的には責任のなすりつけあいまで演じたあげく、可能性の芽をぐだぐだにしてすべてをぶち壊してしまう。一例をあげるとすれば、まちなか再生事業がまさしくそうであったな。名張まちなか再生委員会はどうなったか。ムラ社会的な価値観で押し流されていた委員会に市民社会的価値観を投げこんでやったところ、ほなやめさしてもらいまっさ、と名張地区まちづくり推進協議会はとっととトンズラを決め込んでしまった。異なった価値観をもつ人間とは同席できない、というわけである。おなじ価値観を有する人間以外は排除してしまう、というわけである。邪魔なやつを排除しようとしたけど排除できなかった、だったらこっちから排除されてやる、というわけである。しかも笑止千万。名張市は名張まちなか再生委員会と手を切り、名張地区まちづくり推進協議会との協働とやらでまちなか再生事業を継続するというではないか。手前どもはムラ社会的な価値観しか理解できません、ムラ社会的な馴れあいもたれ合いにおすがり申しあげております、とかみずから宣言してどうするよこのインチキ自治体。
 
 だからまあ、名張市において乱歩のことを考えるにあたっては、協働であるとか新しい公であるとか、そういったうさんくさいお題目を正当な批判の対象とすることも必要になってくるであろう。そういえば、あいつはどうも超弩級のばかであったようだな、という認識が少なからぬ国民のあいだにひろがっているわが国の首相が、こんどはこんなことを口走っている。
 
 
 鳩山由紀夫首相が口にしたというこの一事だけをもってしても、新しい公共などという理念がいかにうさんくさいものであるかはたちどころに了解されるであろう。なにしろ新聞の見出しで、「あいまい理念」などとおちょくられている始末なのである。主体性を思いきりあいまいにしたうえで自分たちの身勝手な都合を国民に押しつけたい、というのが新しい公共とやらに隠された本音なのであろうけれども、この国はいったいどうなってしまうのであろうな。
 
 そんなことはともかく、二十年ちかく継続されているミステリ講演会については、またあらためて述べることになる。といったって、なにもいきなり叱り飛ばそうというのではない。二十年ほど前に決定された方向性が、いまなお有効かどうか。二十年ちかく事業をつづけてきて、どんな蓄積なり成果がもたらされたのか。そのあたりをじっくり考えてみるだけの話である。本来であれば、こうした検証はお役所の内部で、恒常的になされていなければならない。ところが、なにしろお役所である。検証なんてことばは存在していない。だから市民が検証してやる。それだけの話である。これこれ関係各位、いまから涙目にならなくたっていいんだぞ。
 
 お役所レベルの構想や事業はべつにして、市民レベルの動きはどうか。名張市に乱歩の生誕地碑が建立されたのは五十五年前、昭和30・1955年のことであるが、それを受けて、市民レベルになにかしらの動きがあったのか。とくになかったようである。なにも伝えられておらず、どんな資料も残されていない。
 
 よその事例はどうか。他都市のことはあまり知るところではないのだが、去年、実際に足を運んだところについて述べておくと、まず神戸市。東川崎町というところに平成16・2004年、横溝正史の生誕地碑が建立された。以来、地元の関係団体が協力して、金属製の生誕地碑をメンテナンスしたり、年にいちど講演会を催したりしている。去年は11月22日に講演会が催され、講師は有栖川有栖さん、主催は東川崎ふれあいのまちづくり協議会と神戸探偵小説愛好會。日本SFの父と称される海野十三は、昨年が没後六十年だった。生まれたのは四国の徳島市で、市内の公園には海野十三文学碑が建てられている。昨年の命日、5月17日に訪れると、海野十三の会のメンバーが文学碑の掃除に精を出していた。そのあと同会主催の講演会があって、講師は野村恒彦さん。神戸も徳島も、たぶん行政の支援などまるでなく、横溝正史や海野十三に崇敬の念を抱く関係者が会費を出し合ったり、おそらく自腹も切ったりして、地域に生まれた偉大な先人の業績をしのんでいる、といったところであった。
 
 そこへ行くと名張市においては、みたいなことはミステリ講演会が終わってから記すわけであるが、ここで市民レベルのことをいささか述べておくならば、いまさらいうまでもないことではあれど、名張市民だからといって、乱歩作品を読まなければならぬということはない。乱歩という作家に親しまなければならぬ、ということはない。ことはあくまでも個人の問題である。個人の好き嫌い、趣味嗜好の問題である。他人が強制すべきことではまったくない。乱歩を好きになろうが嫌いになろうが、あるいはまったく興味を向けなかろうが、そんなのは名張市民それぞれの勝手である。お役所が音頭を取って、乱歩作品を読みましょうと市民に呼びかける必要も、乱歩のことをよく知りましょうと市民に訴える筋合いも、そんなものはいっさいないのである。市民それぞれ、もう好きにすればいいのである。
 
 結局、おおかたの名張市民にとって、乱歩とはいったいなんであるのか。決して嗜好愛好の対象でもなければ、敬愛崇敬の対象でもない。名張という片田舎を少しでも有名にするための、えがたい素材でしかないのである。乱歩の知名度を利用して、名張をPRしたいというのが、なにかというと乱歩の名前を口にする市民の本音なのである。しかし、残念であったな。官民双方、めいっぱいおつむのおよろしくない連中がいくら頑張ったって、ろくなことはできない。うわっつらのことしかできない。ちまちましたご町内イベントでちゃらちゃらかっこつける程度の話にしかならぬのである。官民双方のめいっぱいおつむのおよろしくない連中が他者を排除してなにを考えてみたところで、ろくなことにはならんのである。
 
 涙目になってる諸君も、その程度のことはわかるよな。だいたいがあれだぞ、おれはこれまでに、身のたけ身のほどをわきまえろ、とはいってきた。名張市には名張市の身のたけ身のほどというものがあるのだから、それに応じて乱歩のことをやればいいのである、とはいってきた。しかし、おまえらのおつむのレベルでやれ、とはいってない。乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともしないような人間が、いやいや、こういったことはミステリ講演会が終わってから記すわけなのであるから、まあどうぞお楽しみに。
 乱歩関連事業は武士のなさけで先送り
 
 前回までで、名張市における乱歩記念館構想にひとまずとどめを刺すことができたように思う。ひとたびうやむやになってもまた思い出したように浮上してくる。それが名張市の乱歩記念館構想だったのであるが、ほんとにもう、ここらでおしまいにしておこうな。
 
 だいたいがいまのご時世では、たとえ十年以上かけて準備しても、できないものはできない。
 
 
 十年運営をつづけても、閉鎖されるものは閉鎖される。
 
 
 そういえば、アビーロードスタジオがこんなことになるご時世でもある。
 
 
 むろんご時世にはかかわりなく、大枚はたいてハコモノをつくるのであれば、そんなものがほんとに必要なのかということも含め、めいっぱい考えることが要請されるわけなのである。まして、どっかの片田舎が地域ゆかりのなんとか館をつくってみても、運営がままならなくて苦労するだけだということは目にみえている。
 
 
 さて、乱歩記念館構想のてんやわんやを概観したあとは、名張市における乱歩関連事業を瞥見するつもりでいた。当然の流れである。しかし、よく考えてみたら、いまはちょっとぐあいがわるい。なぜかというと、名張市が天下に誇る乱歩関連事業、ミステリ講演会「なぞがたりなばり」が3月21日に迫っているからである。この事業を俎上に載せるのは、ことしの講演会が終わってからにすべきであろう。武士のなさけというやつである。といったって、べつに頭ごなしに否定してやろうというのではない。事業に携わってきた関係各位の労を多とするにやぶさかではない。しかし、ミステリ講演会もことしがもう十九回目なんだから、いろいろ考えなければならないことがあるんじゃねーの? ということである。
 
 いまや、成長ということばが確乎たる実体を有していた時代は遠く去っている。成長の時代のあと、一時期は持続ということばがひろく喧伝された。持続可能ななんとかかんとか、みたいなことばは名張市においてもよく耳にした。しかし、そんなことばさえすでに虚妄である。時代のトレンドは、トレンドというのも時代遅れなことばであるが、いまや縮小である。いかにうまく縮小できるか。あえていえば、いかにうまく衰退できるか。そういうことに知恵をしぼらなければならん時代が、国のレベルにおいても、地方自治体のレベルにおいても、明らかに到来しているとみるべきであろう。
 
 だからこれもまた、乱歩のことにかぎった話ではない、ということになってしまう。乱歩関連事業について考えるというのは、ごくあたりまえの話ではあるが、名張市の現状を的確にみきわめながら、名張市の将来を適切に予測しながら、つまりは名張市全体のことを考えながら乱歩関連事業について考える、ということになるのである。そうでなければおかしいのである。名張市は乱歩をどうすればいいのかということを考えるエントリ「乱歩のことを考える」の第三回は、そんなあたりまえのことを指摘してお開きとする。
 乱歩記念館はもうおしまいにしような
 
 ふと気になったのだが、怪人19面相君がただのばかではなく、意外にもそれなりの学習能力を有しているとしたらどうであろうか。おとといのエントリで、「文意を理解しづらいところが少なからずあるたどたどしい日本語で、なにがしかの好戦的な主張を日常的に展開している可能性が高い」とプロファイリングされたことを勘案して、以前のように突然なりをひそめてはしまわず、たどたどしくもなければ好戦的でもない、そんな文章をどっかの電子掲示板にしれっと投稿しているかもしれんのである。しかしなあ、怪人19面相君、角を矯めて牛を殺す、ってことばを知ってるか? 君が妙にお行儀のいい文章を書いたところで、そんなものは面白くもなんともないと思うぞ。いつもの調子でぎゃあぎゃあかましてやれよぎゃあぎゃあ、みたいなことはどうだってよろしい。
 
 問題なのは、なにも考えることなくただの思いつきで、さあ乱歩記念館をつくろうぜ、みたいな血迷ったことを口走るのは、いくらなんでももうやめとこうな、ということである。しかしこんなこと、いくら名張市にいってやったって、お役所のみなさんは歯牙にもかけない。貴重なご意見としてありがたくうけたまわりました、とかなんとかいいながら、聞き置くだけで聞き流す、みたいなことでおしまいになってしまう。ほんと困ったものである。とはいうものの、いくらなんでも、たんなる思いつきで乱歩記念館構想を派手にぶちあげる、みたいな真似はいいかげんにしとかにゃならんぞ。
 
 そこで本日は、名張市における乱歩記念館騒動をお題にご機嫌をうかがう。なにしろここ名張市においては、指折り数えればもう四十年ほども以前から、さあ乱歩記念館をつくろうぜ、という話が浮かんでは消え、消えては浮かびしてきたのである。むろん四十年も昔のことなんて、さすがのおれもくわしくは知らない。知っていることだけを綴っておくことにして、ネタはふたつある。かりに名づければ、平成9・1997年バージョンと平成18・2006年バージョン、このふたつである。ただしこのふたつのネタ、過去において当ブログでしつこくつかいまわしてきたものである。新鮮なネタではないことをお断りしておく。
 
 ではまず十三年前、平成9・1997年バージョン。この年1月11日付中日新聞の伊賀版に、こんな記事が掲載された。
 
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 当時の名張市長が新年の記者会見で、乱歩記念館の建設を表明したという記事である。おれが名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を拝命したのは平成7・1995年の秋のことで、この記事が出た当時にはなにをしていたのかというと、年末年始に一日の休みもなく、市立図書館が発行する江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』の索引づくりを進めていた。むろん、乱歩記念館構想のことなんて、おれはいっさい知らなかった。当時の市立図書館長も、市長部局からはなにも伝えられていなかったと記憶する。
 
 乱歩記念館に関連して記しておくならば、平成8・1996年の春のこと、市長に会いたい、とおれは希望した。名張市が乱歩のことをどう考えているのか、乱歩のことを施策にどう位置づけているのか、位置づけようとしているのか、あるいは、乱歩記念館構想はまだ生きているのか、それとも死んでしまったのか、そういったことを確認しておく必要が生じたからである。すると、当時の教育長からストップがかかった。ばーか、図書館の嘱託ふぜいが市長に面会できると思ってんのか、訊きたいことがあるんなら教育長のとこへ来いこら、というわけである。おれのほうだって、ばーか、おめーみたいなこんにゃく野郎になに訊いたってらちが明かねーから市長に会わせろっつってんだよ、とは思ったのだが、お役所のヒエラルキーを盾にとられたのではいたしかたない。市役所の教育長室で教育長にお会いした。
 
 話のついでに、市長は乱歩のことをどうお考えなのか、と教育長にお訊きしたところ、乱歩記念館をつくりたいと考えているのではないか、とのことであった。具体性はまるでなく、市長にはそういう意向がおありらしい、といった程度のことだったのだが、なにがどう転んだって実現する見込みはゼロだと思われた。むろん、そうお考えになることは市長の自由である。おれは市立図書館乱歩資料担当嘱託として、名張市には乱歩記念館なんて必要ない、という考えを教育長にお伝えしておいた。
 
 それから一年もたたぬうちに、市長の口から乱歩記念館構想が飛び出したのである。おれは呆気にとられたが、結局のところ、ただそれだけのことであった。乱歩記念館構想1997バージョンは、なんの動きもないまま立ち消えになってしまった。かなりあとになって、市役所の内部で確認したところ、
 
 「あのときは、乱歩記念館のことで動いた職員、ひとりもいませんでしたわてなあ」
 
 とのことであった。それはまあ、そうであろう。名張市役所の中の人には、乱歩記念館のことで動くなどという気の利いたことは、とてもできないはずである。もっともこの場合、市役所のみなさんが能なしである、ということが問題なのではない。なんの成算もなしに乱歩記念館などという大風呂敷をひろげてしまった市長っていったいどうよ、ということが問題なのである。つまり、ただの思いつきで適当なことかましてんじゃねーよ、ということであり、要するに、こういうことにほかならない。
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 名張市の構想があっけなくうやむやになってしまったあと、東京の豊島区が旧乱歩邸を乱歩記念館として整備するらしい、という話が伝わってきた。やれやれ、とおれは思った。名張市に乱歩記念館を建設する必要なんてまるでないけれど、蔵書をはじめとした乱歩の遺産を保存活用する公的機関は絶対に必要である。豊島区が手をあげてくれたのは、おれにはとても心強いことであった。豊島区は記念館建設のための調査を開始し、区の学芸員おふたりが名張市まで足を運んでくれて、その夜はおれと三人、鍜冶町の清風亭でおおいに盛りあがったりもしたのだが、財政難がネックとなり、豊島区は構想を断念してしまった。
 
 あとを受けて、立教大学が名乗りをあげた。旧乱歩邸の土地家屋や蔵書のたぐいは立教大学に譲渡され、平成14・2002年の4月1日から大学の管理下に入ることが発表された。おれはちょうど江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』をつくっている最中だったのだが、どうしても調べがつかないものは乱歩邸の土蔵にある蔵書に頼らざるをえず、ならば立教の管理下に入ってしまうまでにと、いま思い出しても冷や汗が出るほどの厚かましさで土蔵の調査をさせてもらったものであったが、その後、乱歩の遺産はめでたく立教大学のものとなり、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが設立されるにいたった。やれやれ、とおれは思った。これでもう、さあ名張市に乱歩記念館をつくろうぜ、などという世迷いごとを口にする手合いは一掃されることであろう、と。
 
 ところが、それはおおきに見込みちがいであった。世迷いごとをなんの考えもなく口走ってくれる連中が、またぞろわいてきたのである。まちなか再生事業にわいて出たのである。あの事業のことを筆にするのはもううんざりなのであるけれど、名張市は乱歩をどうすればいいのかということを考えるうえにおいては、こっだらばかなことは二度としてはなんねぞ、という恰好の見本として、どうしても筆にしておかなければならない。すなわち、乱歩記念館構想2006バージョンである。あっさり流して書いておこう。
 
 名張市は、乱歩生誕地碑がその中庭にある桝田医院第二病棟の寄贈を受けた。おりしも、名張まちなか再生プランが策定されている最中であった。しかし、まとめられたプランの素案には、桝田医院第二病棟のことはいっさい記されていなかった。だというのに、名張まちなか再生プランを具体化するために組織された名張まちなか再生委員会は、桝田医院第二病棟の活用策の検討をはじめた。すると、出てきた。乱歩記念館とか乱歩文学館とか口走る手合いが、なんにもできないくせにわいて出てきた。いつのまにか、乱歩記念館だの乱歩文学館だのという構想が、そこらにわいて出てきたのである。
 
 平成18・2006年、そのあたりのことが新聞でも報道されるようになった。中日新聞の6月19日付ウェブニュース「市街地再生へNPO/名張の委員会 来年度の設立を確認」では「本町の民間病棟跡地に『江戸川乱歩文学記念館』(仮称)を建設する計画などの再生事業が進んでいる」、毎日新聞の6月20日付ウェブニュース「細川邸:改修、交流館に 名張まちなか再生委が計画──来年秋開館へ /三重」では「ミステリー作家・江戸川乱歩の生誕地に隣接する、同市本町の旧桝田医院第2病棟敷地を『乱歩文学館』として活用する計画を進めてきた。老朽化が進む旧桝田医院第2病棟を取り壊し、木造長屋の乱歩生家を復元する計画で、館内にミステリー作品を集めた読書室を設ける案もある」なんてことが報じられたわけである。
 
 うすらばかがまーた乱歩記念館とかいってやがるのか、とおれは思った。そんなもんできるわけねーだろ、つか、そんなもんつくってなにするっつーの? とも思った。それにしてもひどいものだな、とも思わざるをえなかった。なにしろ、上に引いた毎日新聞の記事にある「木造長屋の乱歩生家を復元する」も、「ミステリー作品を集めた読書室を設ける」も、もとはといえばおれがパブリックコメントに記したアイデアなのである。むろんおれは、桝田医院第二病棟の跡地に乱歩記念館をつくれ、などとばかげたことを口走ってはいない。病棟の跡地と旧細川邸を連動させて活用するために、具体的なアイデアを盛りこんだコメントを提出したのである。
 
 これまでにもくり返し書いてきたことだから、筆にするのはほんとにうんざりなのであるけれど、話の流れを示すために書いておく。名張まちなか再生プランの素案が発表されたとき、そのあまりなおそまつさにおれは絶句した。こんなでたらめなプランが実現できるわけがない、と確信を抱いた。とくに気になったのは、桝田医院第二病棟の活用策についてなにも書かれていないことであった。だから、跡地をこんなふうに活用してはいかがかなものか、というアイデアも明記して、名張市にパブリックコメントを提出した。ところが名張市は、おれのコメントをいっさい無視してしまった。プランを素案どおり、つまり桝田医院第二病棟にはいっさいふれることなく、そのまま正式決定してしまったのである。
 
 そのでたらめなプランを具体化するために、名張市は名張まちなか再生委員会を発足させた。委員会の発足直後、おれは委員会の事務局を訪れ、再生委員会のメンバー表をみて、なんだ、うすらばかばかりではないか、と思った。名張まちなか再生プランには細川邸を歴史資料館として整備し、乱歩の関連資料も展示すると書かれてあったから、こんな乱歩のこともろくに知らないうすらばかを寄せ集めただけの委員会、ほっといたらなにをしでかすかわからんぞ、と心から憂慮されたので、乱歩のことをいろいろ教えてやるから、むろん名張のまちの歴史について教えてやってもいいのだが、とにかくそのための場を設けてくれんかね、と委員会に要請した。協力を申し出たのである。それをまああの委員会、えーい、いったいなんと返答してきやがったか。
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない。
 
 いっぺん絞め殺したろかこら、とふつうの人間なら激怒しているところであるが、おれはそんなことはいわない。ただまあ、ははは、うすらばかってのはやっぱどーしよーもねーなー、とは思った。で、乱歩記念館構想2006バージョンである。新聞報道によれば、名張まちなか再生委員会のうすらばかが、「江戸川乱歩文学記念館」だの「『乱歩文学館」だのの建設を検討しているという。むろん、あの委員会にそんなものを検討する能力はない。毛筋ほどもない。ところが検討しているというのである。検討内容はどんなものか。おれのパブリックコメントからのパクリである。ひどい話ではないか。名張市はおれのパブリックコメントを無視し、名張まちなか再生委員会はおれのパブリックコメントをパクってくれたのである。しかも、おれがそんなものは絶対に必要ないと主張していた乱歩文学館だの乱歩記念館だのとかいう看板のもとに、おれのアイデアを盗用してくれたのである。
 
 とはいうものの、せいぜいそこまでなのである。うすらばかにできるのは、しょせんその程度のことでしかないのである。まず、乱歩という名前から、脊髄反射的に文学館だの記念館だのという看板を思いつく。そのあとは、なにしろ自分たちにはなにも考えられないものだから、人のアイデアを平気でパクって検討に入る。しかし、残念だったなうすらばか。検討能力が皆無なんだから、検討なんてなにもできない。だから、なにも決められなかった。そこで名張市は名張まちなか再生委員会に見切りをつけ、桝田医院第二病棟の跡地を広場にすると独断で決定してしまった。どっちもどっちで困ったものだが、そんなてんやわんやが展開された結果、平成19・2007年の6月14日、読売新聞伊賀版にこんな見出しが躍ったのである。
 
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 五段抜きであった。笑ってしまった。結局は、平成9・1997年に表明された乱歩記念館構想と、まったくおんなじことだったのである。1997バージョンも、2006バージョンも、乱歩記念館というたんなる思いつきを起点にして、1997バージョンはただそれっきり、2006バージョンは無分別に走り出してしまっただけ。結局なんにもできなかった。ただそれだけの笑い話だったのである。ご苦労であったな。
 
 だから、もうやめような。乱歩記念館がどうのこうのと、思いつきの世迷いごとを勢いで口走るのは、ほんとにもうやめにしような。名張市が乱歩をどうすればいいのか、それをまずじっくり考えて、いやいや、ものごとを考える能力のない人間に考えることを呼びかけるのは酷な話ではあるのだが、とにかくじっくり考えて、いろいろなことをいろいろな角度から死ぬほど考えて、名張市が身のたけ身のほどに応じていったいなにをすればいいのか、なにをすれば天国の乱歩にも喜んでもらえるのか、それを突きつめていったそのうえで、やっぱどうしても乱歩記念館というハコモノが必要だよな、という揺るぎない結論にたどりついたというのであれば、その時点ではじめて乱歩記念館の名前をぶちあげればいいのである。それが本来だと思うぞ。ところが、名張市においてはまったく逆のことしかみられなかった。最初に乱歩記念館の名前をぶちあげてしまって、あとはなにもできない。なにも考えられない。そんなことだけはもう、ほんとにおしまいにしてしまおうな。
 
 じつはこれ、乱歩のことにかぎった話ではない。名張市における官民双方のみなさんや、とにかくもう少しものを考える習慣を身につけような。名張市は乱歩をどうすればいいのかということを考えるエントリ「乱歩のことを考える」の第二回は、もうちょっと頭をつかって考えようぜ、ということを官民双方のみなさんに強く訴えて幕とする次第である。
 怪人19面相君のレベルでいいのかよ
 
 いやー、いろいろと考えなければならんことが多くて困ったものだが、考えてばかりいても煮詰まってしまう。考えていることを少しずつ公開することにした。といったって、いまおれが考えてるのは名張市が乱歩をどうすればいいのかということなんだから、乱歩にも本にも図書館にも関心がないという諸兄姉には、面白くもなんともない内容となる。その点、あらかじめご寛恕をお願いしておきたい。
 
 考えるというのは、やはり大切なことである。とくにものごとをはじめるときには、死ぬほど考えることが必要である。はじめにしっかり考えておかないと、いったいどうなってしまうのか。まちなか再生事業みたいなことになってしまうのである。あれはひどかったな。なんにも考えることなく事業がスタートしてしまった。第一歩目というべき名張まちなか再生プランを、なにも考えずただの思いつきでぱたぱたぱたっと決めてしまった。そのあげくどうなったのかというと、あのざまだったのである。目もあてられないことになってしまった。プランを策定するにあたって、つまり最初にものごとを考える時点で、たとえひとりでもいいから、まともにものを考えることのできる人間がいればよかったのだが、じつに残念なことであったな。
 
 しかしまあ、過ぎたことはどうしようもない。まちなか再生事業にはさよならをしておいて、さて、なにから話をはじめるか。やっぱり、これか?
 
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 笑える。いまみても笑える。なんどでも笑える。やなせ宿として整備される以前の旧細川邸の裏に、名張川に面して、スフィンクスとピラミッドを描いたこんな看板が掲げられたことがあった。平成17・2005年の7月に撮影した写真である。記憶が薄れてしまった向きもおありだろうから、これはいったいなんだったのか、という点を確認しておく。同年8月1日付毎日新聞のウェブニュース「風景写真:名張?その日はエジプトにいたけど 市民団体が細川邸裏に設置 /三重」によれば、この看板は「写したくなる町名張をつくる会」という市民団体が、「からくりのまち名張」を全国発信するために設置したものである。
 
 おれにはいまだによく理解できんのだが、この看板をケータイで写真に撮り、知人友人にメールで送信することによって、毎日新聞の記事によれば「エジプトに行ってきました!? いや、実はこれ名張やねん」なんて感じで名張を全国発信するのがねらいだったとのことである。はあ? というしかあるまい。スノーボードの国母和宏選手ふうにいえば、あぁ〜ん? あぁ〜ん? といったところか。それにしても、なぜエジプトなのか。「観光地として代表的なエジプトのピラミッドとスフィンクスの図柄を使った」というのだが、なんとも意味不明な話である。
 
 しかし、この看板はおおいに受けた。おれのサイトでこの写真を全国発信したところ、閲覧者から大きな反響があった。しかもあの看板、名張市の市民公益活動実践事業のひとつとして掲出されたのであるから、税金が投入されているという点でも注目を集めた。名張市っていったい、なに考えてんの? という寸法である。むろん、官民双方の関係者がなにを考えていたのか、そんなことおれにはさっぱりわからないのだが、あの看板がまともな感覚をもった人間にかなりの衝撃を与えたらしいことはたしかで、げんに去年の秋に上京したときも、まだ話題にしてくれる人があったほどである。
 
 看板が設置されたとき、なにしろ思いも寄らない上ネタがいきなり飛びこんできたものだから、おれはすっかりうれしくなった。看板のことをサイトでさんざっぱらおちょくってやったところ、サイトの掲示板に三人の投稿者が登場した。当時のログは「エジプトの怪人たち」というタイトルで保存してある。
 
名張人外境:人外境だより > エジプトの怪人たち
 
 その三人は、「新 怪人二十面相」「怪人22面相」「怪人19面相」と名乗っていた。三人あわせても、投稿数はごくわずか。すぐにおとなしくなってしまって、掲示板に姿をみせてくれることはなくなった。もとより正体はわからない。しかし順当に考えれば、写したくなる町名張をつくる会、とかいう団体の関係者だろう。だから、おれは名張市役所を訪れ、市民公益活動実践事業を担当していた生活環境部の部長さんに、ちょいとおねだりをした。当時の部長さんはその後えらいご出世で、いまや名張市の副市長さんでいらっしゃるのだが、その部長さんにおれは、写したくなる町名張をつくる会に質問したいことがありますゆえ、部長さんからお尋ねいただけないものかしら、とお願いした。質問はつぎの四点であった。
 
 一)一連の投稿を行ったのは、写したくなる町名張をつくる会の会員および関係者であったのか、そうではなかったのか。
 
 二)名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げることに、いったいどんな効果や公益が期待できるのか、このさいだから説明をうけたまわりたい。
 
 三)この事業によってどんな成果がもたらされたのか。
 
 四)怪人二十面相を事業のシンボルキャラクターとして使用しつづければよかったのに、最初のエジプトの絵だけでひっこめてしまったのはなぜ?
 
 部長さんを通じて、写したくなる町名張をつくる会の代表のかたから、回答を頂戴した。二点目から四点目までの質問は、いまは関係ないから省略して、一点目の回答だけを記しておくと、会員ではない、とのことであった。写したくなる町名張をつくる会が設置した看板をおちょくってやったことにいちゃもんをつけてきてくれたのだから、ふつうに考えればあの三人はその会の人間だということになるはずだが、そうではなかったということである。だから、あの三人がいったいだれであったのか、おれにはいまだにとんとわからない。
 
 三人のなかでもとくに人目を引いたのは、怪人19面相と名乗る男であった。いやいや、男なんだか女なんだか、実際のところはそれすら不明なのだが、怪人19面相名義の投稿に「私は♂です」と書かれてあったから、それを信用するなら男だということになる。いずれにしても、ろくなやつではあるまい。遠いところからきゃんきゃん吠えたてるしか能のない、口先だけのヘタレであろう。しかし、そんな市民はそこらじゅうにごろっちゃらしている。いやいや、怪人19面相君がはたして名張市民なのかどうかさえ、ほんとのところは判然としない。しかしこの場合、常識的に考えれば、怪人19面相君はやはり名張市民であり、しかもあのエジプトの看板になんらかのかかわりをもっていた人間である、とみるのが妥当なところであろう。
 
 そういえば、去年の8月に、こんなエントリを掲載した。
 
 
 こんなことを書いておいた。
 
   
 ここで、懐かしの怪人19面相君に伝言である。19面相君、気をつけろよな。「勘違い馬鹿のお方」みたいな感じで2ちゃんねるの名張市政スレあたりに書き込みなんかしたら、それが君の投稿だっていうことは一発でばれてしまうからな。ま、せいぜい気をつけたまえよな。
 
 この伝言のせいかどうかは不明だが、このエントリを掲載したとたん、あたかもそれが契機であったかのごとく、毎度おなじみ2ちゃんねる名張市政スレにおいて、しばらくひっそりとなりをひそめてしまった投稿者があった。そんな記憶がたしかにあるのだが、もしかしたら気のせいかもしれない。ともあれ、怪人19面相君の正体は、おれにはいまだにわからない。まったく見当もつかないのだが、あえてプロファイリングを試みるとすれば、ざっとこんなことになるであろうか。
 
・名張市民である。
・男である。
・写したくなる町名張をつくる会の会員ではなかったが、会になんらかのかかわりはもっていたとみられる。
・少なくともエジプトの看板が設置された時点では、「からくりのまち名張」というコンセプトを全国発信しようと考えていたらしい。
・名張市に関係のある電子掲示板や個人のブログに投稿し、文意を理解しづらいところが少なからずあるたどたどしい日本語で、なにがしかの好戦的な主張を日常的に展開している可能性が高い。
・たぶん、口先だけの人間である。
・おそらく、心底ヘタレである。
・したがって、十中八九、人望はない。
 
 ま、こういったところか。わずかこれだけの手がかりから人物を特定するのは、まるで雲をつかむような話である。しかし、怪人19面相君の正体なんて、じつはどうだってかまわない。ならばどうして、わざわざ怪人19面相君のことを話題にしたのかというと、名張市における乱歩ということを考える場合、じつはこの怪人19面相君こそが基準になるからである。それはなぜか。「エジプトの怪人たち」に残っているログにあるとおり、怪人19面相君は平成17・2005年の8月4日、こんなことを投稿してくれたのである。
 
   
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
 
 乱歩にかんしていうならば、名張市内の官民双方、本音のところはこれなのである。乱歩みたいなものどうでもええねん、ということなのである。乱歩作品なんか読んだこともないし、乱歩という作家のことだってなにも知らない。しかし、乱歩が名張に生まれたことはたしかであり、乱歩はいまでも絶大な人気を誇っているのだから、そのネームバリューを利用して、自治体なり個人なりの自己顕示欲を満足させたりその他もろもろ、みずからの快につながることができればそれでいい。むろん、自腹を切る気などさらさらない。すべては税金でまかなってもらうんだもんね。といったあたりが、名張市における官民双方、乱歩にかんする腹を割った本音なのであるとおれは思う。だから名張市において乱歩を考える場合、そういったレベルが基準になるのである。げんにもうずーっとずーっと、そういうレベルのことが長くつづいてきたわけなのである。
 
 だから、もういいかげんにしろよな、とおれはいいたい。1月8日に名張市に提出した「名張市の江戸川乱歩関連事業について」にも記したことだが──
 
 
 名張市の乱歩関連事業というのは、要するにこういうことであった。
 
   
 名張市の乱歩関連事業を概観して痛感させられるのは、一貫した方針が存在していないという一事です。自治体としての施策に乱歩をどう位置づけ、どう扱ってゆくのか、そういったことが何も示されていません。正直なところをいってしまえば、江戸川乱歩というビッグネームを利用して名張市の知名度をアップさせたい、名張をPRしたいというのが行政の思惑でしょう。それはそれで、けっして悪いことでも恥ずかしいことでもありません。問題なのは、そこに何の方針もなく、どんな戦略も存在していないということです。
 要するに、名張市の乱歩関連事業はすべて場当たり的な思いつきの産物でしかありません。じつに月並みで、名張だけの独自性など微塵もなく、どこにでも転がっているような事業の焼き直しにすぎません。しかし、それは当然のことだというべきでしょう。乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともしない人間が、行政職員の職務として乱歩関連事業を企画立案してみたところで、場当たり的な思いつき以上のことができるはずはありません。
 
 お役所のみならず、市民サイドでも同様である。乱歩なんかどうでもええけど、乱歩の名前を利用して好きなことしたるねん、乱歩という一流ブランドでかっこつけたるねん、などといった怪人19面相君レベルの考えは、お役所にも市民にも共通しているとみるべきであろう。その端的なあらわれが、名張市における乱歩記念館構想というものだったのである。乱歩の名前を利用したハコモノをつくって、名張を有名にしたるねん、ということまでは思いつけても、その先のことがまったく考えられない。あたりまえである。乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことをろくに知りもしない人間が、さーあ乱歩記念館だ乱歩記念館だとめいっぱい声を張りあげてみたところで、そこから先に歩を踏み出すことなんてとてもできない相談である。ただの掛け声倒れに終わるしかない道理なのである。
 
 だからここで、名張市は乱歩をどうすればいいのかということを考えるエントリ「乱歩のことを考える」の第一回においては、とにかく乱歩記念館などという世迷いごとを並べるのはもうやめとこうな、といったことを最初に決めておくべきだと思う、ということを提起しておきたい。以下は、またあした、あるいはそれ以降。
 名張まちなか再生委員会のその後について、簡単にお知らせしておきたい。昨年10月18日、名張市役所で開かれた説明会のその後、という意味であるが、その後、これといった動きはなにもない。委員会の会合が開かれたわけでもなければ、委員会内部でなんらかの情報が受け渡しされたわけでもない。委員会はいまだ存続している、というか、いまだ正式に解散したわけではない、というのはたしかなのだが、実質的には自然消滅してしまったというべきだろう。昨年10月18日が、やはりご臨終の日だったのである。
 
 当方もまあ、いつかも記したとおり、まちなかよさようなら、といった気分である。ただしこれは、まちなか再生事業や名張まちなか再生委員会にたいして、さらばじゃ、といってるだけの話である。生まれ育った名張のまちそのものには、さよならしようったってできるものではない。さりとて、名張のまちのためになにかしようと思っても、むろんこれまで、微力ながらもできるだけのことはしてきたつもりでいるのだが、いまやもう、できることなどなにもない、という気がする。だからやっぱ、実質的にはさようなら、か。
 
 それはそれとして、当ブログが不気味な沈黙を守っているあいだに、名張市長選挙の話題が盛りあがってきた。といいたいところなのだが、実際にはそれほど盛りあがってもいないのかな。いずれにせよ、どうなるのであろうな。
 とりあえず、テロはやめるでござる、ということになった。あくまでも、とりあえず、である。以前から当ブログのコメントでお知らせしていたごとく、昨年10月23日のエントリ「そろそろテロにすっかの巻」のあとは、「いよいよテロでござるの巻」か、あるいは「テロはやめるでござるの巻」 か、いずれかのタイトルで更新を再開することにしていたのだが、とりあえずは、
 
 ──テロはやめるでござるの巻
 
 ということになった次第である。以下に経緯をお知らせしておく。
 
 まず、テロってなによ、というあたりをネット辞書で簡単に確認しておく。

Yahoo!辞書 大辞泉:テロリズム

   
政治的目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ。

 政治的目的などというおおげさなものは、もちろんなにもない。ただし、名張市にはもうちょっとしっかりしてもらいたいな、という気持ちはある。で、問題なのは、というか、問題だったのは、まちなか再生事業である。この問題にかんして、名張市はちっともしっかりしてくれなかったのである。いちいちふり返ることはせんけれど、名張市のしっかりしてなさぶりとでも呼ぶべきものは、このブログにいやになるほど記してきた。
 
 しっかりしてないのであれば、しっかりしてくれるように働きかければいいのである。とはいえそれは、相手に聞く耳があればの話である。相手とのあいだで論理的な話し合いが成立すればの話である。ところが、そんなのはしょせん、無理な相談というやつであった。そのあたりのこともまた、このブログにしつこく綴ってきたところである。つまり、こーりゃもうどうしようもないな、というところまで来た。
 
 だから、昨年10月17日付のエントリに──
 
2009年10月17日:再生委員会あすご臨終の巻

 こんなふうに書いた。

   
 いずれにせよ、星新一ではないけれど、人民は弱し、官吏は強し、というのはいまだ変わらぬ真理なのである。腐敗堕落をきわめたお役所が、金銭欲や名誉欲で眼を血走らせた特定の住民と、あからさまなまでの癒着結託を重ねている。そして、それを当然のこととわきまえている。弱い人民の前には、泣き寝入りするか、テロリズムに走るか、そのふたつの道しか残されていない。しかも、このところの名張市における暴政と言論の死は、いまやテロリズムにじゅうぶんな根拠を与えかねないものである。テロリズムっつったらえらいもので、
 
 「さ、そろそろ風呂にすっか」
 
 というのであればとてものどかな感じだけれど、
 
 「さ、そろそろテロにすっか」
 
 となったりしたらこれは剣呑。ほんと、気をつけろよな名張市。

 その翌日、10月18日には名張まちなか再生委員会の説明会が開かれ、このブログでもお知らせしたとおり、行政サイドと委員会側との不毛な質疑がつづいたのであるが、そんなのは最初から予想がついていたことで、10月19日のエントリでは──
 

 こんなふうに報告した。

   
 要するに消化試合で、まさしく、いうべきことなどなにもない。なにをいっても、なにを質問しても、むなしいばかりである。言論は死んでいる。暴政はまかり通る。これもおととい記したとおり、名張市民には、泣き寝入りするか、テロリズムに走るか、そのふたつの道しか残されていないのである。おれはどっちなのかというと、
 
 「さ、そろそろテロにすっか」
 
 みたいな感じにやや傾いているのだが、むろんまだ確定ではない。なんつか、乙女のごとく心が揺れている状態なのであるが、いずれにしても、説明会なんてのはもうどうだってかまわない。

 まさしく乙女のごとく、心は揺れていた。もとより、テロなんて望むところではない。本意ではない。むかっ腹が立ってしかたないからいっちょぶちかますぞおら、みたいな話でしかない。無駄にエネルギーを費消するだけで、得られるものなどなにもなく、2ちゃんねるふうにいえば、誰得? という話でしかないのである。だから、なんとか実のある話に結びつけられんものか、と考えた。
 
 実のある話といっても、まちなか再生事業は関係がない。あれはもう終わった話である。それにおれは、まちなか再生事業に協力する気などさらさらない。最初っから公言していたとおり、おれは名張まちなか再生委員会をぶっ壊すことを目的として委員会に入会したのであり、その目的はすでに遂げられて、委員会はみごとにぶっ壊れてしまっている。したがって、実のある話を探すとなると、おれの場合、結局は乱歩ということになる。
 
 そんなこんなで、名張市役所に話をもっていった。事前にアポを取り、赴いたのは10月23日。つまり、「そろそろテロにすっかの巻」というエントリを掲載して、その日の午後に市役所を訪れた。で、申し出を伝え、検討を依頼して、帰ってきた。このあたりのことは、庭山由紀さんから頂戴した「テロ準備中ですか?」というタイトルのコメントへのレスに──

2009年04月21日:市民はめざめているかの巻 > テロになるやらならぬやらいまだわかんない状態です(2009年12月15日)

 こんなふうに記しておいた。

   
 とはいうものの、なんとかならんものかと考えて、名張市役所に足を運んだのが10月23日のことでした。その日のエントリ「そろそろテロにすっかの巻」を最後にブログの更新をお休みしているわけですが、10月30日にたこぽんさんから頂戴したコメントへの返信「どつくことはしませんがテロにはなるかもしれません」に記しましたとおり── 
 
テロというのはなにしろ相手のあることですし、私だってできればテロは避けたいとも考えておりますので、10月23日金曜日の午後に名張市役所を訪れ、市の幹部職員のかたに、そろそろテロにしてもいいっすかあ? みたいなことをお訊きして、企画財政部あたりで現在ご検討をいただいているところです。回答はまだ頂戴できていないのですが、回答が届き次第、 
 「いよいよテロでござるの巻」 
 となるのか、 
 「テロはやめるでござるの巻」 
 となるのか、いずれかのタイトルでブログの更新を再開する予定となっております。 
 
 ──という寸法なのですが、いわゆる当局の検討というやつが予想していた以上に長引いているみたいで、テロになるのかならぬのか、私にもいまだによくわからない状態です。何をご検討いただいているのかといいますと、お役所の中の人がものごとを決める現場に立ち会えないものかどうか、というまさにそのことです。ただしこれは行政全般のことではなく、江戸川乱歩に限定した話です。私は以前、名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を拝命し、人からはカリスマと呼ばれていたのですが、みたいなことを書き始めると長くなってしまいますので、ウェブサイト名張人外境に記したところをお読みいただくことにして── 
 
人外境主人残日録:憂国忌の夕刻に十周年を思い名張を憂う(11月25日) 
http://www.e-net.or.jp/user/stako/DE/ZA-200911.html#anchor25 
 
 つまりそんなような次第で、名張市役所の中の人は乱歩にかんして、しょせんハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想の範囲内でうすらぼんやりとものごとを考えることしかできませんし、こちらが何をいってやったってそれを理解したり理解にもとづいて判断したりすることもできず、結局はいたずらに先送りしてしまうばかりですから、そうなるともう、当局がものごとを決める現場に立ち会うしかないんじゃね? ということになります。で、当局による検討の結果はどうなるのかな、と思っているところなわけなのですが、それはそれといたしまして、そちらはそちらでガチンコ勝負、あまり脱力することなくいっそお祭り気分でおつづけいただければと思っております。

 桐生市議会における庭山由紀さんのガチンコ勝負はいよいよ本格化してきたようで、それに匹敵するバトルとなると当節では横綱朝青龍関の場外乱闘劇くらいなものではないかと思われるほどの面白さなのだが、それはさておき、名張市当局による検討の結果は昨年12月28日、ご用納めの日に市役所を訪れて、しかとうけたまわってきた。いわゆる前向きな検討を進めていただいたことはよくわかったのだが、根っこのところで話がかみ合っていない、という気がした。どこがかみ合わないのか。お役所の中の人は、具体的な事業のことを考える。こちらは、事業以前の方針だの理念だのを問題にしている。お役所の中の人は、どんな家を建てようか、と考える。こちらは、家よりもまず土台を固めることが必要だ、と考える。だから、かみ合わない。
 
 困ったことだな、と思った。そもそもおれは、説明というやつが苦手である。いちいちことをわけて口頭で説明するのが、もう面倒でしかたがない。ただでさえかみ合わない話をずるずる引きずって、あれこれくどくど説明するのは願い下げである、と思われたので、その日は適当に切りあげて、年明けにあらためて意見を伝える、ということにした。

 年が明けた。1月8日に「名張市の江戸川乱歩関連事業について」という文書をまとめ、翌9日、その文書を名張市の総合企画政策室へメールで送信した。以下にその文書のPDFファイルを公開する。A4サイズ五枚の文書だが、要点は次の一文に尽きている。
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 たいせつなところを太字で強調しておく。
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこいいっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 さらに赤字で強調しておく。
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこいいっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 では、お読みいただこう。
 
 
 でもって、今週の月曜日、1月25日のこと、名張市役所を訪れて、三回目の話し合いに臨んだのだが、文書に記した「私のような有能な市民の考えに耳を傾けるつもりがおありなのかどうか、その一点をお訊きしております」という点にかんして、なんとか耳を傾けていただけそうな見通しになった。念のために記しておくと、おれはなにも、おれのいうとおりにしろ、といっているわけではない。ちょいとばかり耳を傾けてくれんかね、とお願いしているだけである。お願いだから、
 
 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない。
 
 太字で強調。

 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない

 さらに赤字で。

 ──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない

 みたいなばかなことはいってくれるな。そう考えているだけであって、耳を傾けていただいたあと、こちらの考えていることがどれだけ受け容れられるのか、それはまったくわからない。しかし、こちらは欲張ったことを主張しているわけではない。文書にも記したとおり、おれが「市立図書館の嘱託を務めていた当時にプランニングしていたこと」を真剣に検討していただければ、それでいいのである。で、1月25日の話し合いで、そうした方向性というやつがみえてきたような気がする、つまりは、テロはやめるでござる、という線がみえてきたような気がするから、その旨をここにお知らせすることにした次第である。

 ここでテロの話に戻ると──

   
政治的目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ。

 冒頭にも記したとおり、こちらには「政治的目的」なんてものはまったくない。しかし、名張市にしっかりしてもらいたいという気持ちはあるから、そうした目的を達成するために、「暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力」などといったものではないけれど、なにかしらの「脅威に訴える」ということは試みた。そういう自覚はある。そうでもしないと、お役所にしっかりしてもらうことは不可能ではないか。それがおれの実感である。だからまあ、かけひきというか、交渉というか、あるいは、ゆすりたかりかつあげのたぐいというか、とにかくお役所とおつきあいするうえでのタクティクスとして、そろそろテロにすっか、そろそろテロにすっか、そろそろテロにすっか、とくり返していた次第である。しかしなあ、よくよく考えてみるってえと、こんなことやってるとしまいに人からテロテロ詐欺とかいって叱られんじゃね? とも思うなあ。
  緊急告知です。
 
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多島斗志之さん

 京都にお住まいだったミステリー作家の多島斗志之さんが昨年12月19日、自死をほのめかす手紙を残して失踪されたニュースはご存じのかたもおありだろうと思います。ご家族は伏見警察署に捜索願を提出し、いっぽうでブログを開設、ゆかりの地に足を運ぶなどの捜索活動をつづけておられます。年明けには伊賀にもおいでになり、多島さんが取材で訪れたことのあるJR柘植駅を中心に捜索されたとのことですが、多島さんの安否は依然として不明です。
 
 年末から気になっていたニュースなので、サイトのほうでは1月4日付の記事としたのですが──
 
名張人外境:人外境主人残日録 > 新年四日目は悄然として日常生活に戻る(1月4日)
 
 ミステリー関係者のかたから協力要請のメールが届きましたので、とりあえずこのブログで告知することにいたしました。詳細はご家族のブログでお読みください。
 
父、多島斗志之を探しています。:トップページ
 
 捜索用チラシの掲出や配付にご協力いただけるかたは、お手数ですがご家族のブログにご連絡いただければと思います。よろしくお願いいたします。
 名張まちなか再生委員会は、いたましいことにご臨終である。10月18日の説明会、といったって、あんなものは説明でもなんでもない。名張市がてめーらの勝手な都合を一方的に並べたてただけの話である。ただの茶番であった。それでもあの説明会で、名張市としてはノルマ達成、ということになる。あとは天下晴れて、名張地区まちづくり推進協議会との協働とやらに勇往邁進できる運びとなった。いっぽう、もう協働のバートナーではない、と名張市長からじきじきに三行半をつきつけていただいた名張まちなか再生委員会は、はたしてどうなるのか。説明会を最後に自然消滅してしまう可能性もないではないのだが、ここはやはり臨時総会を招集し、きれいにきっちり解散しておくことが必要であろう。
 
 こうなると、残る問題はこれである。
 
20091023a.jpg
 
 やなせ宿である。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館である。市民のあいだには、公民館としてはほぼつかいものにならない、という評価が定着しつつあるようであるが、そもそもこれは、公民館ではない。ではいったい、なんであるのか。いまだにわからない、というのが正確なところである。なんのための公共施設なんだか、そんなことはだれにもわからない。どうしてこんなものをつくったのか、それもだれにもわからないのだが、つくってしまったんだからしかたがない。市民の血税で維持管理企画運営が進められているのだが、なんかもう、ほんとにどうしようもないぞあんなもの。まったくもって意味不明の施設である。ま、しいていうならば、失政のシンボルとしての意味はおおいにあるのだが。
 
 というか、おれも名張まちなか再生委員会の一員ではあるのだから、その意味においては、やなせ宿の整備が完全に失敗し、さっぱりわけがわかんないもののもうどうしようもないということだけはよくわかる、みたいな事態に立ちいたってしまったことにかんして、責任というやつがある。すなわち、名張市民各位にお詫びをしなければならない立場にある。だから、お詫びを申しあげる。血税一億円をつぎこんで、眼もあてられぬていたらくとなった。ほんとに申しわけないと思う。
 
 本来であれば、細川邸整備事業の、というか、まちなか再生事業の最高責任者である名張市長が、やなせ宿にかんするあれこれの失敗を市民に詫び、最善の対処を約束すべきところではあるが、遺憾ながら、お役所には失敗ということばがない。失政の結果どのような事態がもたらされても、それを追認しつづけるのがお役所というところである。それから、いうまでもなく、責任ということばもない。かりにあるとすれば、他人の責任、というやつである。自分の責任、ということばはない。失敗もしておらず、そもそも責任はない、かりにあるとすれば名張まちなか再生委員会の責任である、だから再生委員会とは縁を切った、これは正しい判断である、したがって、どうしていちいち市民に詫びを入れなきゃなんないの? ということになる。
 
 「さ、そろそろテロにすっか」
 
 きょうは一日、いいお天気のようである。

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