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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 おとといの夜、名張市役所で名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議が開かれた。議題は、第五回理事会の報告、など。なんの意味もない会議であった、ということだけを報告しておいて、癒着結託構造の話をつづける。
 
名張市 ←→ 名張まちなか再生委員会
 
 名張まちなか再生委員会の発足によって、こういった癒着結託ラインが誕生した。両者が共有していたのは、細川邸は私物である、という認識である。だからほんと、ひどいものであったな。それなりの手続きを経て決定された名張まちなか再生プランの内容を、歴史拠点整備プロジェクトのごくわずかな数の人間が、勝手に変更してしまうのである。細川邸を歴史資料館にはいたしません、などと決めてしまうのである。私物なんだから好きなようにできる、という認識がそうさせたのであろう。というか、そもそも決定というのがどんなことなんだか、それすら理解できてない連中が集まっていたのである。
 
 名張まちなか再生委員会の内部で、具体的にどんな検討が進んでいたのか、それはわからない。しかし、ぽつりぽつりと、ひどい話が洩れ聞こえてくることはあった。たとえば、あるメンバーは、
 
 「おれはこの事業で一億円の予算を好きなようにつかえるねん」
 
 と口走っていたというし、
 
 「おれはまちづくりのことなんかどうでもええねん。税金つこて細川邸を自由にできたらええねん。遊べたらええねん」
 
 と公言してはばからぬメンバーもあったという。むろん伝聞の話だから、事実かどうかは不明である。とはいえ、いかにもいいそうだな、と思わせるだけのリアリティを帯びた風聞ではあった。そんなうわさをまことしやかに伝えられているような連中が、癒着結託構造のうえにあぐらをかき、官民の協働とやらに参加していることを笠に着て、なんの権限もないくせに市職員に偉そうな口を利き、市職員をあごでつかったりもしていたのである。それでまた、こういう手合いってのは、じつによく湧いてくるものなのである。おなじ穴のむじな、と呼ぶべき手合いのことは、8月8日付のコメントに記した。
 
08月08日 (土) :解散は遠くなりにけりの巻 > とんでもないことに首つっこんで五度目の夏を迎えた
 
 なんのことかというと、やはり四年前の夏、こんなことがあったわけな。
 
名張人外境 > エジプトの怪人たち
 
 細川邸の裏に、スフィンクスとピラミッドを描いたばかでかい看板が押っ立てられた。さる市民団体が、名張市の市民公益活動実践事業のひとつとして押っ立てたのである。なんなんだこれは、と思ってウェブサイトでおちょくってやったところ、この巨大看板、大受けであった。たとえば、名古屋で人に会って酒を飲んだとき、こちらからはなにもいってないのに先方からこの話題がもちだされて、こんなふうに感心された。
 
 「つまりあれですね、名張には、エジプトの看板を立てよう、といいだした人がいて、そうだそうだー、と賛成した人が最低ひとりはいる、ということですね」
 
 おれは、いやいや、それどころではなくて、名張市のお役所にも、それがいいそれがいい、いいぞいいぞー、という人がいて、エジプト看板掲出企画に税金が投入されることになったわけなのである、と答えておいた。なんかもう、名張市では官民あげて、名張市はばかだばかだー、と宣伝したいらしくってさ、とでもいっておかなければしかたがなかったのであるが、そのあと、秋になって東京へ行ったときにも、やはりこの話題が出て、
 
 「そんなまちに住んでるのって、やっぱり、大変なんでしょうね」
 
 と初対面の女性から同情されたりもした。
 
 で、四年前の夏、8月2日のことであるが、おれのウェブサイトの掲示板に、エジプト看板掲出企画の関係者らしい投稿者が大挙して押し寄せてきた。大挙ったってわずかに三人だったわけだが、なかで抜きん出てばかであったのが「怪人19面相」と名乗る男であり、そのばかがみごとなまでにばかの頂点をきわめたのが、8月4日付の投稿なのであった。ちなみに、一連の投稿が寄せられはじめた8月2日ってのは、名張まちなか再生委員会から、
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 という通知があったまさにその日である。ま、わかりやすいっちゃじつにわかりやすい話なんだよな。
 
   
怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]
 
勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。
連絡したるからまっとれ。
県民の血税を搾取なさったごとき事業をなさったオマエ、図書館嘱託のいんちきおっさん。
いろいろ返事を書いて頂いて有難う。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!
 
以上。
 
尚私は♂です。
商工会議所で会う理由もありません。
割と回りくどいのが嫌いな性格の人間です。
だいぶ我慢をしてメールを書いています。
 
推理作家の大家よくお考えあれ!!
 
 いま読んでも、不覚にも大笑いしてしまう。眼にしみるほどのばかである。ほんと、このばかはいったい、なんだったんだろうな。ちょっと突っついてやったら、
 
 「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん」
 
 とうろたえまくって本音を吐いてしまい、
 
 「20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」
 
 などと幼児のような悲鳴をあげて他者を排除してしまう。この程度のばかが、驚くべきことに、公益の名のもとに税金つかった事業に関係していたのである。悲鳴をあげながら遁走してしまったから、このばかがいったいどこのだれであったのか、さっぱり見当もつかんわけではあるのだが、なんか、共通するものが感じられるよな。
 
 「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」
 
 「おれはまちづくりのことなんかどうでもええねん。税金つこて細川邸を自由にできたらええねん。遊べたらええねん」
 
 並べてみると、おなじ人間がしゃべったとしか思えない。むろん、同一人物であるかどうかは判然としないが、癒着結託構造を公益だの協働だのといった大義名分で粉飾しても、お役所が寄せ集めようとするのは、あるいは、市民のなかから群がり寄ってくるのは、たいていこういった連中でしかないのである。自分たちだけの価値観を協働だの公益だのということばで一般化しようとし、それにたいして正当な批判を向けてくる他者は有無をいわさず、悲鳴のように感情的なことばで排除してしまう。そういった観点からみれば、たとえばこのことばも、自分たちだけの価値観を無理やり一般化しようとし、それを正当に批判しそうな他者をあらかじめ排除するためのものだった、というわけなのである。
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 ここで、懐かしの怪人19面相君に伝言である。19面相君、気をつけろよな。「勘違い馬鹿のお方」みたいな感じで2ちゃんねるの名張市政スレあたりに書き込みなんかしたら、それが君の投稿だっていうことは一発でばれてしまうからな。ま、せいぜい気をつけたまえよな。
 
 さて、発足二年目の平成18・2006年、名張まちなか再生委員会の総会で、名張市から細川邸を提供される民間団体として、NPOなばりを発足させることがきまった。癒着結託ラインはこんなぐあいになった。
 
名張市 ←→ 名張まちなか再生委員会
        ↓
       NPOなばり
 
 名張市からNPOへの細川邸の提供は、あくまでも特権的なものである。つまり、まったくの無条件無競争で、NPOが細川邸を独占的に手に入れることになっていた。他者の介入は認められない。まさしく、外部の人間の話を聞く考えはない、というやつであるが、翌年、名張市考査委員会による事務事業評価報告書では、こうした特権性が「NPO法人への特命は望ましくない」と批判されることになる。いくら黄金の癒着結託ラインだからといって、そこまであからさまに便益の供与かましてんじゃねーよ、という寸法である。
 
 しかし、このNPO設立構想は、あえなく頓挫してしまう。理由は不明である。むろん、細川邸をどんな施設にすればいいのかが決められなかった、ということもあるのだろうが、公設民営方式というやつを実現することが不可能だった、ということもあったのではないか。いずれにせよ、こうした事態を受けて、平成19・2007年の総会で、NPOなばりに代わる組織として登場してきたのが、まちなか運営協議会だったのである。
 
名張市 ←→ 名張まちなか再生委員会
        ↓
       まちなか運営協議会
 
 まちなか運営協議会は、じつはいまだ正式には発足していないのだが、この名を名乗る団体はげんに存在していて、やなせ宿の運営を委託されている。つまり、現実に、こういう癒着結託ラインが誕生したのである。
 
名張市 ←→ まちなか運営協議会
 
 この癒着結託ラインにおいて、両者は深く深く手を結ぶことになったはずである。平成19・2007年といえば、つまりおととしのことであるが、名張市がすっかり涙目になっていた時期である。細川邸の改修工事は順調に進んでいたけれど、なんのための施設にすればいいのかは白紙の状態、特権的に運営を丸投げするはずだったNPOは空中分解してしまい、もしかしたら細川邸は工事が終わってもオープンできないかもしれない、という可能性だって皆無ではなかった。そんなことになったら、全国に赤っ恥をさらすことになる。国土交通省からも、ばーか、底抜けのばーか、とお叱りを頂戴してしまうことであろう。名張市、涙目。死ぬほど涙目。
 
 だから、名張市にとっては、まちなか運営協議会こそが唯一の頼みの綱だったのである。名張市には運営協議会が、白馬にまたがった騎士にさえみえたのではないか。なんでもいってください、おっしゃるとおりにいたします、奴隷とお呼びください、みたいなことになったとしても、決して不思議ではない状態だったのである。すなわち、市民の眼などまったく届かない闇のなかで、名張市とまちなか運営協議会とが、共犯者のごとく強く強く手を握りあったことは想像にかたくない。でもって、これまでにもしつこく指摘してきたそのとおり、まちなか運営協議会は名張地区まちづくり推進協議会のダミー団体にほかならないのである。
 
 ではここで、ひとつお知らせである。おととい開かれた歴史拠点整備プロジェクトの会議は、先述したとおりなんの意味もない会議であったが、終わってからコメダ珈琲名張店に入って票読みしてみたところ、早くも当確が出ました、ということになった。衆院選の話ではない。名張まちなか再生委員会の話である。次期委員長はおれ、という当確である。役員の任期は一年である。だからつぎの総会では、必ず役員改選がおこなわれる。委員会の規約には「委員長、副委員長は、理事の互選により定める」とあるから、総会前の理事会が互選の場ということになる。そこでおれが次期委員長に立候補し、かりに現委員長と決選投票、ということになったとしたらどうよ。現委員長に一票を投じることになるであろう理事の面々は、8月の3日と4日にいっせいに退会してしまっているのである。だから、票読みしてみると、現委員長よりおれのほうが得票が多い、ということになった。当確である。新委員長の誕生である。国政よりひとあし早く、政権交代が決まったのである。
 
 しかしこうなると、名張市と名張地区まちづくり推進協議会による黄金の癒着結託コンビは、どんな手をつかってでも名張まちなか再生委員会の総会開催を阻止し、委員会そのものを解散に追い込まなければならなくなった、ということであろうな。どんな手をつかっていただいても誠心誠意お相手いたす所存ではあるが、なんならあれだぞ、やっぱり退会届は撤回することにいたしました〜、とかいって理事が大挙してカムバックしてくれることになったとしても、おれ個人としては全然OKだぞ。広く温かい心をもって、いくらでもお迎えするつもりである。とりあえず、そのあたりを一考してみるのも一興であろう。
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