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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 いやー、飲み過ぎ飲み過ぎ。きのうはお盆だからって昼間っから酒くらっちゃってさ、きょうはもうしんどいしんどい。しかし、しんどくてもつづける。
 
 平成17・2005年10月
 
 この年、いつのことであったか、名張のまちをぶらぶらしていたとき、細川邸は歴史資料館にはならないらしい、との風聞を耳にした。とんでもないことだな、とおれは思った。名張まちなか再生委員会という組織は、
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 なんてこといってくるくらいだから、とんでもないばかであることには間違いがないのであるが、名張まちなか再生プランがどんなふうにして決められたのか、それすら理解できておらんのではないか、とおれには思われた。ちょっと図式化してみる。
 
名張地区既成市街地再生計画策定委員会
 ↓
名張市議会
 ↓
名張市民
 ↓
名張市
 
 まず、策定委員会がプランの素案をまとめた。名張市はその素案を市議会の重要施策調査特別委員会に示し、市議会議員による検討がおこなわれた。そのあと、名張市は素案を公開して、市民のパブリックコメントを求めた。それだけの手順を踏んで、最終的に名張市がプランを決定したのである。プランの内容はひどいものだが、決定にいたるプロセスには問題はない。正当な手続きを経て決定されたプランである。でもって、名張まちなか再生委員会には、この決定を覆す権限なんかいっさい与えられておらんのである。つまり、図式化すればこんな感じ。
 
名張地区既成市街地再生計画策定委員会
 ↓
名張市議会
 ↓
名張市民
 ↓
名張市 → 名張まちなか再生委員会
 
 名張まちなか再生委員会は、プラン策定のためのラインには位置していない。決定されたプランの実施組織として、名張市が発足させた委員会なのである。むろん、諸悪の根源は名張まちなか再生プランである。細川邸を歴史資料館にいたします、などという脳内妄想を並べたプランを決定してしまった名張市がいけない。ばかである。ちっとはものを考える癖もつけような、みたいな話なのである。歴史資料館なんて、最初っからできっこなかったのである。それはわかる。それはわかるが、名張まちなか再生委員会に歴史資料館構想を変更する権限はない。あるわけがない。
 
 あとになって、名張市に公文書公開請求を提出して議事録を入手したところ、この年7月29日に開かれた歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合で、こんなことが決定されていた。
 
   
1. 決定事項
 ・細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする。
 
 とんでもない話である。枝葉末節の問題ではない。細川邸の問題である。プランの目玉の問題である。くり返しいうけれど、細川邸を歴史資料館にいたします、などという脳内妄想を実現することが不可能であるのは最初から知れていた。だから、歴史資料館構想に変更を加えなければならないというのは、現実問題としてはよく理解できる話である。だがそれは、所定の手続きを踏んで決定されたことなのである。市議会と市民のチェックを経て、名張市が決定したことなのである。その決定を、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトが、つまりごくごくわずかな数の人間が、市民の眼の届かない場所で、だれに相談することもなく、報告することもなく、まったくの独断でひっくり返せるわけなんかありゃせんのである。
 
 こうなると、問題はまちなか再生事業のみにはとどまらない。ここ名張市において、決定というのはいったいなんなんだよ、という問題になってくる。なんでもありかよ、という話になってくる。で、こういう話になってくると、名張まちなか再生プランにはなにも記されていなかった桝田医院第二病棟の活用策を、なんでもありの歴史拠点整備プロジェクトが検討してるってのも明らかにおかしな話だよなあこら、という点も指摘せざるをえなくなってくる。だから、まあいちいち書きだせばきりがないほどいろいろなことがあったのだが、ごく簡単に概略だけをたどっておくと、この年10月、おれは事務局にたいして、名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集し、プランを練り直させるように要請した。せっかくおまとめいただいたプランではございますが、残念ながらてんでつかいものになりませんので、恐れ入りますが細川邸と桝田医院第二病棟の活用策をご検討ください、といってやれよといってやった。
 
 平成18・2006年1月
 
 年が明けた。名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集する話は、いっこうに進まなかった、だからおれは、この年1月、名張まちなか再生委員会の当時の委員長から面談の機会を頂戴して、善処をお願いした。にもかかわらず、事務局からはうんともすんともいってこない。
 
 平成18・2006年5月
 
 あっというまに5月になった。ようやく、事務局から返答があった。前年10月に要請した名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集は、できません、とのことであった。むろん、できるわけがない。てめーらのつくったプランが無茶苦茶だからこちとら苦労してんだよばーか、などということを、事務局が策定委員会にいいだせるわけがない。そんなことはわかっておるのだから、返答くらいとっととしろよ、という話なのであるが、再招集できないということが確認できたのだから、こちらはつぎの手をくり出すまでである。おれは事務局に、それなら行政が主体性を発揮してみろよ、といってやった。要するに、こういうことである。
 
名張地区既成市街地再生計画策定委員会
 ↓
名張市議会
 ↓
名張市民
 ↓
名張市
 
 名張市は、市議会と市民から素案にたいする意見を求めたうえで、最終的にみずからの判断でプランを決定したのである。だから、そのプランに不備があり、策定組織を再招集できないというのであれば、行政が主体性を発揮して、みずからの責任でプランに変更を加えればいいのである。あのプランはつかいものになりませんでしたので、ちょちょいのちょいと変更を加えました、と市議会ならびに市民に報告するだけでいいのである。それが行政の責任ってやつなのである。その程度のことは、市長裁量の範囲内でいくらでもかたがつくはずではないか。しかし、その程度のこともできんのである。名張市にはその程度のことすらできなんだのである。やれやれ、どーしよーもねーなーまったく。ことここにいたってしまっては、さすがのおれにももう、名張市と名張まちなか再生委員会にたいして、好きなだけインチキかましてろばーか、といってやること以外、できることはなくなってしまったのであった。
 
 平成18・2006年6月
 
 6月18日、名張まちなか再生委員会の総会が開かれた。おれにはなんのかかわりもないことである。
 
 
 名張市公式サイトに掲載されている「平成18年度総会添付資料」によれば、この日の総会において、名張まちなか再生プランにこんなふうな変更が加えられた。アンダーラインは変更または追加された箇所。
 
   
 市民に何ども足を運んでもらえる『初瀬ものがたり交流館』とするために、江戸時代の名張城下絵図など名張地区に関係の深い資料を展示するほか、市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭や市の美術展の出品作、個人や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。市民が関わることのできる場と機会を提供することによって、主催者としてあるいは参加者としてさまざまな市民の来館が期待できます。
 管理運営を担う民間組織には、リピーターが確保できるような企画運営能力をもつことが期待されます。『初瀬ものがたり交流館』の立ち上がり期には、(仮称)NPOなばり(実行委員会)が中心となって、円滑な施設の管理運営に取り組みます。
 また所有者より寄贈のあった乱歩生誕地碑に隣接する桝田医院第2病棟は、江戸川乱歩関連施設として整備を行い、『初瀬ものがたり交流館』との相乗効果を図ります。
 
 プランに記されていた「歴史資料館」は、前年7月の歴史拠点整備プロジェクトの会合では「初瀬街道からくり館」ということにされたのだが、この総会ではさらに「初瀬ものがたり交流館」に変更され、その「初瀬ものがたり交流館」とやらを名張市から特権的に提供される民間団体として、「NPOなばり」がぬーっと顔を出してきた。そして、プランにいっさい言及がなかった桝田医院第二病棟には、「江戸川乱歩関連施設」とかいうものが整備されることになった。これらは、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトに所属するごく少数の人間が、市民の眼も届かなければ声も届かない場所、いってみれば完全な密室の内部で、完全な独断によって決定したものなのである。
 
 乱歩関連施設について述べておくと、桝田医院第二病棟の跡地にそんな施設を建設するというのであれば、つまり、名張まちなか再生プランではなぜか白紙の状態でございましたので、手前ども名張まちなか再生委員会がちゃっちゃと決めてしまいました、というのであれば、本来はこういったプロセスが必要とされるはずである。
 
名張まちなか再生委員会
 ↓
名張市議会
 ↓
名張市民
 ↓
名張市
 
 しかし、こんなプロセスはいっさいなかった。いやまあ、なにもおれだって、こんなプロセスを実現しろとまではいわない。本来ならば、という話をしているだけである。で、なにがいいたいのかというと、ただそれだけの話である、ということなのである。名張まちなか再生委員会が桝田医院第二病棟の跡地に乱歩関連施設を建設することを決めました、といってみたところで、そんな決定はただそれだけのものであり、それが正式な決定となるまでには、こういったプロセスが必要になる。
 
名張まちなか再生委員会
 ↓
名張市
 ↓
名張市議会
 
 名張まちなか再生委員会が乱歩関連施設について最終的な結論を出す。名張市はその結論を検討し、これでよしということになったら、事業化の準備を進める。乱歩関連施設を建設するための予算案をまとめ、市議会に提案する。その予算が認められた時点ではじめて、乱歩関連施設の建設が正式に決定されたということになるのである。だから、名張まちなか再生委員会による乱歩関連施設にかんする決定は、ただそれだけのものだったのである。それでもってまあ、いうまでもないことをあえていっとくと、こんな決定、おれにはなんの関係もないものであった。知ったことかよばーか、いいだけインチキかましてろばーか、みたいなことでしかなかった。
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