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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 そんなわけで、といったって、どんなわけだかおわかりにならんかもしれんが、まあ、こういったわけだとお思いいただきたい。
 
08月08日:解散は遠くなりにけりの巻 > とんでもないことに首つっこんで五度目の夏を迎えた
 
 そんなわけで、みごとなまでの失敗に終わった名張市のまちなか再生事業、簡単に検証しておく。とはいえ、事業全体を概観するつもりはない。おれがまちなか再生事業に首をつっこむようになった接点は、あくまでも乱歩である。それしかない。だから検証も、いわゆる乱歩まわりのこととなる。どのあたりからはじめるか。
 
 平成16・2004年12月
 
 五年前からはじめる。この年12月8日、日刊各紙のウェブニュースにこんな見出しが躍った。
 
朝日新聞:乱歩生誕碑ある家 活用して 名張
毎日新聞:「江戸川乱歩のために使って」 名張の桝田寿子さん、病棟と土地を市に寄贈 /伊賀
中日新聞:乱歩の生誕の敷地と建物寄贈 大阪の所有者が名張市に
 
 むろん、いずれもリンク切れ。読むことができないので、手許に残っている毎日新聞の記事を全文、天下御免の無断転載。
 
   
「江戸川乱歩のために使って」 名張の桝田寿子さん、病棟と土地を市に寄贈 /伊賀 
 
 ◇記念館として、整備検討
 
 名張市生誕の推理作家、江戸川乱歩の生誕碑がある名張市本町の桝田医院第2病棟所有者、桝田寿子さん(81)が「乱歩に関することで活用してほしい」と病棟と土地を名張市に寄贈していたことが7日、分かった。病棟は空き部屋となっており、名張市は「江戸川乱歩記念館」として整備しようと検討を始めている。【熊谷豪】
 
 乱歩は1894年に名張市新町で生まれ、数カ月間過ごした。名張市を離れて以後、1952年に名張市を訪れ、自らの生誕地を確かめた。
 
 桝田敏明・前院長(故人)ら地元住民は、乱歩と交流を続け、55年11月3日に生誕碑の除幕式を行っている。この時、乱歩に花束を渡したのが桝田前院長と妻寿子さんの長女、田中寿美さんであるなど、乱歩と深いゆかりがある。
 
 病棟(木造平屋建て、敷地面積約380平方メートル)は築後約50年が経過し、83年から使用していない。桝田さんは「乱歩にかかわることで市に活用してほしい」と、乱歩に詳しい名張市立図書館嘱託職員の中相作さん(51)を通じて寄贈を申し出て、11月末に所有を移転したという。
 
 中さんは「乱歩の生資料の収集は難しいが、生家を復元したら面白い。生誕碑が出来て50周年となる来年11月3日のオープンを目指してほしい」と話している。
 
 この年、たぶん9月のことであったと思う。桝田敏明先生のご遺族、この記事にある田中寿美さんから電話を頂戴した。桝田医院第二病棟の土地と建物を名張市に寄贈したいのだが、どうすればいいのか、とのお問い合わせをいただいたので、ありがとうございます、おまかせください、と返答して、その旨を市長に伝えた。以後、手続きが着々と進んで、この記事にあるとおり、「11月末に所有を移転した」ということになった。
 
 さて、寄贈された桝田医院第二病棟をどうするのか。毎日新聞の記事はお読みいただいたとおりだが、同日の朝日新聞では、
 
 「市は今後、活用方法を検討する」
 
 「亀井市長は『今後のまちづくりの大きなインパクトになる。活用方法については、住民と協議して今年中にも決め、正式に発表したい』と話している」
 
 中日新聞では、
 
 「乱歩をテーマにしたまちづくりの拠点として利用方法を検討する」
 
 「亀井利克市長は『まちづくりの大きなインパクトになる』と寄贈を喜び、地元などと協議して年内にも活用方法を決めたいとしている」
 
 と報じられていた。
 
 この年12月といえば、当時のおれはそんなことまったく知らなかったのだが、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張まちなか再生プランを策定している真っ最中であった。そういえば、先日の名張まちなか再生委員会第五回理事会では、出席者のひとりから、プランの策定といってもひどいもので、メンバーが思いつきで並べたてた提案に優先順位をつけただけのことであった、との証言も飛び出したのだが、そのあたりは名張市の公式サイトで近く公開されるはずの議事録でご確認いただきたい。ともあれ、プランが策定中だったのは間違いのない事実である。だから、桝田医院第二病棟の活用策は、そのプランの一環として検討されるのが本来であったと思う。ふつうに考えれば、そうなっていたはずである。それが筋ってやつであろう。ところが、実際には、もう全然なのであった。
 
 平成17・2005年1月
 
 年が明けて、1月20日。名張市役所で第三回名張地区既成市街地再生計画策定委員会が開かれ、「名張地区既成市街地再生計画『(仮称)まちなか再生プラン』(素案)」が市長に提出された。同日の中日新聞ウェブニュース「『細川邸』を歴史拠点に 名張市のまちなか再生素案」から引用しておく。
 
   
 名張市の名張地区既成市街地再生計画「まちなか再生プラン」(仮称)の素案がまとまった。地区の歴史拠点として新町の旧家「細川邸」を改修し歴史資料館とすることなどを盛り込んだ内容。二十日開かれる計画策定委員会に提示し、審議を経て正式な計画となる。
 
 同プランは、商業の空洞化、人口減少などが進む名張地区の本年度から十年間のまちづくりの方向性や具体的事業を示す計画。
 
 公募した市民や名張商工会議所の関係者ら四十九人で昨年七月から素案の策定作業を進めてきた。
 
 この記事に接するまで、四十九人もの人間が英知を結集して、前年の7月からプランの策定が進められていたという事実を、おれはまったく知らなかった。むろんいまでは、うすらばかがうすらばか寄せ集めて役立たずなプランつくりやがってまあ、という正当な認識に立っているわけではあるが、そのときにはそこまではわからなかった。で、桝田医院第二病棟のことは当然、このプランに盛り込まれているのであろうな、とおれは思った。寄贈の話がもたらされたのはプランの策定開始から二か月後のことであり、11月にはすべての手続きが完了していたのだから、桝田医院第二病棟の活用策がプランに記されていないわけがないではないか、とおれは思っていた。
 
 平成17・2005年2月
 
 2月18日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開かれた。議員全員参加の委員会である。議題のひとつに「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」があったので、傍聴してみた。なにしろおれは、桝田医院第二病棟の寄贈にあたって、桝田敏明先生のご遺族と名張市との仲をとりもった人間なのである。いわばキューピッドなのである。無関心でいられるわけがない。そこで委員会を傍聴し、プランの審議に耳を傾けた次第であったのだが、驚くべし、桝田医院第二病棟のことはプランにはなにも記されていなかった。出席議員からは、桝田医院第二病棟の活用策を盛り込むように、との修正意見も出されたのだが、名張市はいっさい手を加えず、素案をそのまま公開して、市民からパブリックコメントを募集した。
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