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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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江戸川乱歩年譜集成

大正15年・昭和元年●1926 昭和3年●1928

 

昭和二年(一九二七)

 

年齢:三十二歳→三十三歳、数え年三十四歳

住居:東京都牛込区筑土八幡町三二番地

→東京市外戸塚町下戸塚六二番地

 

一月一日(土)

□雑誌□「新青年」新春増大号(第八巻第一号)の奥付発行日。「パノラマ島綺譚」第三回が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」一月号(第三年第一号)の奥付発行日。アンケート「クローズ・アップ」の回答が掲載された。

 

一月十九日(水)

□書簡□小酒井不木に封書。[子不語の夢]

 

一月二十五日(火)

□新聞□「大阪毎日新聞」に「私の抱く夢」が掲載された。

 

一月

□新聞□「東京朝日新聞」と「大阪朝日新聞」に「一寸法師」を連載。

 

一月か二月

平凡社社長の下中彌三郎が支配人とともに訪問、現代大衆文学全集への参加を要請した。承諾はしたが、企画が実現するかどうか半信半疑だった。[探偵小説四十年 円本時代/昭和27年6月]

 

二月一日(火)

□雑誌□「新青年」二月号(第八巻第三号)の奥付発行日。「パノラマ島綺譚」第四回が掲載された。

 

二月十日(木)

□書籍□探偵趣味の会編『創作探偵小説選集 第二輯』の奥付発行日。春陽堂から出版され、「鏡地獄」が収録された。

 

二月十八日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月二十日(日)

□新聞□「東京朝日新聞」で「一寸法師」が完結。「大阪朝日新聞」は翌二十一日に完結した。

「一寸法師」執筆中、休筆することを決意した。作品の中絶も考えたが、許されなかったので、苦しい思いをして完結させた。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

三月一日(火)

□雑誌□「新青年」三月号(第八巻第四号)の発行日。「パノラマ島奇譚」を休載。「カミ感服」が掲載された。

この号から横溝正史が編集長となり、森下雨村は「文芸倶楽部」の担当となった。[新青年:編輯局から/昭和2年4月]

 

三月二十日(日)

□書籍□『一寸法師』の奥付発行日。春陽堂から「創作探偵小説集」第七巻として出版された。

 

三月二十四日(木)

□書簡□小酒井不木に封書、転居通知の葉書を同封した。[子不語の夢]

 

三月二十五日(金)

聯合映画芸術家協会の映画「一寸法師」が千代田館で封切られた。監督は志波西果と直木三十五。明智小五郎に石井漠、一寸法師に栗山茶迷が扮した。[日本映画データベース:一寸法師

「一寸法師」は名古屋の港座でも封切られた。[子不語の夢:不木書簡 三月二十五日]

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

三月二十七日(日)

□書簡□小酒井不木に封書。[子不語の夢]

 

三月二十八日(月)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

三月

牛込区筑土八幡町から東京市外戸塚町下戸塚六二番地に転居、筑陽館という下宿屋を営んだ。隆、隆太郎との三人暮らしで、昭和三年三月までここに住んだ。[貼雑年譜]

「一寸法師」と「パノラマ島奇譚」の原稿料を元手に下宿屋を営むことにし、早稲田大学正門前の筑陽館を入手した。地の利のおかげで開業するとたちまち満室になり、田舎から女中を呼んで、隆に采配を振るわせた。健康を害したため休筆する旨を附記した「転居御通知」の葉書を印刷、知友に送った。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

三月

この月から、東京に妻子を残し、あてのない旅に出た。約一年のあいだ、東京市内や近国、信州、新潟から魚津、千葉、さらに伊勢から紀州、京都、大阪、名古屋などを放浪した。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

四月一日(金)

□雑誌□「新青年」四月号(第八巻第五号)の奥付発行日。「パノラマ島奇譚」の第五回が掲載され、完結。「三月号寸評」も掲載。

□雑誌□「大衆文芸」四月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「参与官と労働代表」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」四月号(第三年第四号)の奥付発行日。「一寸法師雑記」が掲載された。

 

四月

隆太郎が鶴巻小学校に入学。[探偵小説四十年 昭和二年度の主な出来事/昭和27年3月]

 

五月十六日(月)

□書籍□『闇に蠢く』の奥付発行日。波屋書房から「世界探偵文芸叢書」第六編として出版された。

 

五月二十四日(火)

帝国劇場で小酒井不木作「龍門党異聞」を森下雨村、甲賀三郎ら「新青年」「探偵趣味」の関係者二十人あまりとともに観劇。不木のために寄せ書きを書いた。[新青年:近事一束/昭和2年8月]

 

五月二十五日(水)

□書簡□小酒井不木に川畑玄二、甲賀三郎、平山蘆江と連名の葉書。[子不語の夢]

 

五月二十六日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

六月一日(水)

□雑誌□「大衆文芸」六月号(第二巻六号)の奥付発行日。「江戸川乱歩特集(人及び作品について)」が組まれ、「僕の職業変遷史」が掲載された。

 

六月

この月から、日本海沿岸、千葉県などを放浪した。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

このころ

栃木県足尾町の山をさまよった。[子不語の夢:乱歩書簡 六月八日]

 

六月八日(水)

□書簡□小酒井不木に葉書。[子不語の夢]

 

六月二十九日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

八月二十日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

九月一日(木)

□雑誌□「キング」九月号(第三巻九号)の奥付発行日。「前人未踏の夢」と「本物の探偵小説」が掲載された。

 

十月一日(土)

□雑誌□「新青年」十月号(第八巻十二号)の奥付発行日。「偶感」が掲載された。

 

十月五日(水)

□書籍□『江戸川乱歩集』の奥付発行日。平凡社から「現代大衆文学全集」第三巻として出版された。中絶した「闇に蠢く」は加筆して完結させ、収録した。挟み込みの「大衆文学月報」第五号に「探偵小説暖繁盛記」「岩田準一君の挿絵」「江戸川乱歩略歴」「探偵作家一本参る話」が掲載された。

現代大衆文学全集は白井喬二が作家と出版社のとりまとめ役を引き受けたが、乱歩が旅に出たせいで連絡がとれず、第三回配本の予定だった乱歩の巻は第六回となった。十六万数千部が売れた。[探偵小説四十年 円本時代/昭和27年6月]

 

十月

この月から十一月にかけて約二か月、関西を放浪した。大阪で井上勝喜に会って、文楽を見物し、桂春団治が出演している京都の寄席へ二人で行った。山下利三郎の案内で一夜を過ごし、京都に住んでみたくなって、鴨川べりの旅館に滞在した。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

十一月二日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書、国枝史郎と相談して小説を合作することになり、乱歩の意見を求めた。[子不語の夢]

 

十一月

京都市丸太町橋西詰、山水館に一か月ほど滞在した。上島統一郎、加藤重雄、一条栄子らのほか、長谷川伸、志波西果ら映画関係者にも会った。大阪の春日野緑、宝塚の土師清二も訪ねた。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月][貼雑年譜]

 

このころ

小酒井不木の二日付の手紙が京都の山水館に転送されてきた。合作の話には賛成しにくいと思ったが、収入が得られるという誘惑もあった。二、三日後、名古屋の不木を訪ね、二人で国枝史郎を訪問、一応は辞退したが、両人から説き伏せられて合作に加わることにした。国枝と懇意で宝塚に住んでいた土師清二と京都に滞在中だった長谷川伸も勧誘することになり、京都に戻って二人を訪問、快諾を得た。[探偵小説四十年 合作組合「耽綺社」/昭和27年7月、8月]

 

十一月十日(木)

□書簡□小酒井不木が山水館の乱歩に葉書、十五日に合作を始めるため、十四日夜までに名古屋に来るよう依頼した。[子不語の夢]

 

十一月十七日(木)

名古屋市七本松の寸楽園で開かれた「新青年」主催の座談会に出席。ほかに小酒井不木、国枝史郎、長谷川伸、山下利三郎、横溝正史が参加した。「名古屋新聞」には、この日から二十三日まで宿泊し、脚本「残されたる一人」と長篇小説「巨人の反射鏡」を執筆したと報じられたが、実際には二、三日の滞在だった。乱歩と長谷川、土師は大須ホテルに宿泊した。[探偵小説四十年 合作組合「耽綺社」/昭和27年7月、8月]

横溝正史も大須ホテルに宿泊し、枕を並べて寝た。寝物語にひとつ作品ができていると口を滑らせたが、満足できない作品だったため、横溝が寝入ってからその原稿をホテルの便所に捨て、翌朝それを告白した。同じ着想を一年半後にあらためて書き、「押絵と旅する男」として発表した。[探偵小説四十年 「押絵」と「蟲」/昭和28年5月]

 

このころ

山水館で十日ほど扁桃腺で寝込み、近所の医師の来診を受けた。山下利三郎に勧められて大きな病院で受診したところ、蓄膿症にかかっていることが判明した。[探偵小説四十年 山下利三郎/昭和27年6月]

 

十二月一日(木)

□雑誌□「探偵趣味」十二月号(第三巻十二号)の奥付発行日。アンケート「本年度印象に残れる作品、来年度ある作家への希望」の回答が掲載された。

 

このころ

隆が病気になったとの電報を受け、帰宅。隆は胆石の発作を起こしていた。[子不語の夢:不木書簡 十二月八日、不木書簡 十二月十四日]

 

十二月七日(水)

耽綺社の第二回会合が寸楽園で開かれた。乱歩は欠席したが、残り四人に喜多村緑郎もまじえ、二日がかりで脚本「残されたる一人」を修正した。[子不語の夢:不木書簡 十二月八日]

 

十二月八日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月十四日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月十五日(木)

東京放送局の「探偵小説の夕」に出演。「探偵小説が出来るまで」と題して甲賀三郎、横溝正史、水谷準、大下宇陀児と話し合った。[探偵小説四十年 探偵作家総出演の放送/昭和27年8月]

 

十二月十八日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第六年第五十五号の奥付発行日。耽綺社の合作脚本「残されたる一人」が掲載された。

 

十二月十四日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月二十五日(日)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月三十日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

[2012年7月9日]

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江戸川乱歩年譜集成

昭和2年●1927 昭和4年●1929

 

昭和三年(一九二八)

 

年齢:三十三歳→三十四歳、数え年三十五歳

住居:東京市外戸塚町下戸塚六二番地

→戸塚町下諏訪町一一五番地→戸塚町源兵衛一七九番地

 

一月一日(日)

□書籍□探偵趣味の会編『創作探偵小説選集 第三輯』の奥付発行日。春陽堂から出版され、「無駄話」が収録された。

□雑誌□「騒人」一月号(第三巻第一号)の奥付発行日。小酒井不木との合作「ラムール」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」一月号(第四年第一号)の奥付発行日。小酒井不木との合作「屍を」が掲載された。

 

一月二日(月)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

一月

下谷黒門町の高橋耳鼻咽喉科病院に入院し、両扁桃腺の摘出手術を受けた。隆子と岩田準一に介抱されて、一週間後にようやく粥を食べ、声も出るようになった。[探偵小説四十年 昭和三年度の主な出来事/昭和27年11月]

 

一月十九日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

一月二十三日(月)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月一日(水)

□雑誌□「新青年」二月号(第九巻第二号)の奥付発行日。耽綺社の合作「飛機睥睨」第一回が掲載された。連載は九月まで。

耽綺社の作品のうち「飛機睥睨」だけは乱歩が執筆した。第三回のみ病気で書けず、岩田準一が担当した。[探偵小説四十年 合作組合「耽綺社」/昭和27年7月、8月]

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

二月十日(金)

高橋耳鼻咽喉科病院を退院。[探偵小説四十年 昭和三年度の主な出来事/昭和27年11月]

 

二月十五日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

二月十九日(日)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

二月二十日(月)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月二十三日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

二月二十四日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

三月一日(木)

□雑誌□「新青年」三月号(第九巻第四号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第二回が掲載された。

 

三月

戸塚町下戸塚の筑陽館を売却し、次の下宿屋を見つけるまで戸塚町下諏訪町一一五番地の借家に転居した。[探偵小説四十年 昭和三年度の主な出来事/昭和27年11月][貼雑年譜]

 

三月十一日(日)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

三月三十日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

四月一日(日)

□雑誌□「新青年」四月号(第九巻第五号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第三回が掲載された。

 

四月

戸塚町源兵衛一七九番地にあった福助足袋の寮が売りに出ていたため、福助足袋の本社まで出向いて話を進め、多くの競争者を排して入手、戸塚町下諏訪町から転居した。田舎から親戚の大工を呼んで改造し、別棟として小さな二階屋を新築、一階を客用の玄関、二階を自分の部屋とした。隣家の二階から見られることが心配で、ほとんど窓のない設計にし、昼でも電灯をつけて読み書きした。現代大衆文学全集の印税一万五、六千円は家屋の買い入れと改造で大部分をつかってしまった。家族は、きく、隆子、玉子、隆太郎。ほかに女中が四人、田舎から呼んだ書生がおり、二山久も同居した。昭和八年四月までここに住んだ。[探偵小説四十年 第二の下宿屋開業/昭和27年11月][貼雑年譜]

 

四月十一日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

四月

□書籍□『心理試験』の奥付発行日。神戸盲唖院出版部から点字訳で出版された。

 

五月一日(火)

□雑誌□「新青年」五月号(第九巻第六号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第四回が掲載された。

 

五月

下旬、下宿屋を開業。緑館と名づけた。下宿に関することはすべて隆子に任せ、できるだけ下宿人と顔を合わさないようにして生活した。[探偵小説四十年 第二の下宿屋開業/昭和27年11月]

 

五月五日(土)

□雑誌□「新青年」六月臨時増大号(第九巻第七号)が発売された。ファーガス・ヒューム「二輪馬車の秘密」が横溝正史の訳で掲載された。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/1975年7月]

 

五月六日(日)

□書簡□横溝正史への手紙が着信、「二輪馬車の秘密」の訳文について長文の批評が書かれていた。横溝は乱歩がふたたび書く気になったと思った。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/1975年7月]

 

五月七日(月)

この日か翌八日、横溝正史が乱歩を訪問、「新青年」増刊号に百枚程度の小説を依頼した。当時、乱歩の原稿料は一枚四円だったが、横溝は倍額の八円を提示した。八百円支払うことが可能だと説明すると、乱歩は納得したものの、確たる返事はなかった。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/1975年7月]

「陰獣」は「改造」の佐藤績から依頼されて執筆したが、百枚以内という意向に沿えなかったため、「新青年」へ回すことにして、横溝正史にその旨を伝えた。[探偵小説四十年 「陰獣」回顧」/昭和27年12月、28年1月]

「陰獣」の原稿料は一枚七円にするよう申し出て、横溝正史に呑んでもらった。[探偵小説四十年 初めての講談社もの/昭和28年6月]

横溝正史によれば、「陰獣」はいったんほかの雑誌社に渡してあったが、原稿を取り返して手を入れていたところで、横溝の原稿依頼に応じて乱歩が「新青年」に回した。最初は「恐ろしき復讐」というタイトルだった。[横溝正史:陰獣縁起/昭和3年11月]

 

五月十六日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

五月二十三日(水)

□書籍□文芸家協会編『大衆文学集 第一集』の奥付発行日。新潮社から出版され、「人間椅子」が収録された。

 

六月一日(金)

□雑誌□「新青年」六月臨時増大号(第九巻第七号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第五回が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」六月号(第四年第六号)の奥付発行日。「私のやり方」が掲載された。

 

六月十六日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

六月二十日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

六月二十一日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

六月二十五日(月)

「陰獣」を脱稿。[初出末尾]

 

七月一日(日)

□雑誌□「新青年」七月号(第九巻第八号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第六回が掲載された。

 

七月三日(火)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

七月十一日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

七月十四日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

七月二十一日(土) 

□雑誌□「新青年」夏期増刊号(第九巻第十号)が発売された。二十四日には売り切れとなった。[新青年:編輯局より/昭和3年9月]

 

八月一日(水) 

□雑誌□「新青年」八月号(第九巻第九号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第七回が掲載された。「陰獣」の予告が掲載され、横溝正史が「懐しの乱歩!」に始まる宣伝文を寄せた。

 

八月二日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

八月五日(日) 

□雑誌□「新青年」夏期増刊号(第九巻第十号)の奥付発行日。「陰獣」第一回が掲載された。連載は十月まで。「少年ルヴェル」も掲載。

 

八月二十二日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

九月一日(土) 

□雑誌□「新青年」九月号(第九巻第十一号)の奥付発行日。「飛機睥睨」第八回が掲載され、完結。「陰獣」第二回が掲載された。

横溝正史と渡辺温による編集はこの号まで。十月号からは延原謙と水谷準が編集を担当した。[新青年:編輯局より/昭和3年9月号]

 

九月三日(月)

□雑誌□「新青年」十月増大号(第九巻第十二号)が発売された。たちまち売り切れとなり、増刷された。

*乱歩は『探偵小説四十年』で八月増刊号が増刷されたと誤認している。

 

九月八日(土)

□雑誌□「新青年」十月増大号(第九巻第十二号)の再版が発売された。[貼雑年譜]

 

十月一日(月)

□雑誌□「黄表紙」十月号(第二巻第五号)の奥付発行日。「パノラマと八幡の藪不知」が掲載された。

□雑誌□「新青年」十月増大号(第九巻第十二号)の奥付発行日。「陰獣」第三回が掲載され、完結。

 

十月二日(火)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書、森下雨村から乱歩の長篇執筆が決定したとの通知があったことを伝え、激励。[子不語の夢]

 

このころ

「孤島の鬼」の連載第一回を書くため、三重県南部の温暖な漁村へ旅行し、鳥羽の岩田準一に来てもらって、散歩したり話をしたりして日を過ごした。岩田が持参した鴎外全集の一冊を読み、中国の片輪者製造の話を面白く感じたので、東京に戻ってから『虞初新誌』や西洋の不具者に関する書物を求めた。[探偵小説四十年 「孤島の鬼」/昭和28年4月、5月]

漁村滞在中、森下雨村から借りていった『The Canary Murder Case』と『The Greene Murder Case』を読み、ヴァン・ダインを知った。二冊に感想をつけて返送し、『The Benson Murder Case』を送ってもらった。[探偵小説四十年 ヴァン・ダインの出現/昭和28年5月]

 

十一月一日(木)

□雑誌□「新青年」十一月号(第九巻第十三号)の奥付発行日。「最近の感想」が掲載された。

 

十一月四日(日)

□書籍□『陰獣』の奥付発行日。博文館から出版された。

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十一月七日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十一月九日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

十一月十七日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

十一月二十日(火)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

十一月三十日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

十二月六日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

十二月二十八日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

[2012年7月12日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和3年●1928 昭和5年●1930

 

昭和四年(一九二九)

 

年齢:三十四歳→三十五歳、数え年三十六歳

住居:東京市外戸塚町源兵衛一七九番地

 

□探偵小説四十年:細目□

生きるとは妥協すること【昭和四年度】

昭和四年の主な出来事

探偵小説出版最盛の年

小酒井不木

犯罪学大学

生きるとは妥協すること

「孤島の鬼」

「芋虫」のこと

「押絵」と「虫」

ヴァン・ダインの出現

初めての講談社もの

「何者」のこと

 

一月一日(火)

□雑誌□「朝日」創刊号(第一巻第一号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第一回が掲載された。連載は翌年二月まで。

□雑誌□「新青年」新春増大号(第十巻第一号)の発行日。「悪夢」が掲載された。

 

一月二日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

一月八日(火)

名古屋の寸楽園で開かれた耽綺社の会合に出席。[子不語の夢:不木書簡 一月二日、不木書簡 一月十六日]

 

一月十六日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月一日(金)

□雑誌□「朝日」二月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第二回が掲載された。「『押絵の奇蹟』読後」も掲載。

 

三月一日(金)

□雑誌□「朝日」三月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第三回が掲載された。

□雑誌□「文章倶楽部」三月号(第十四巻第三号)の奥付発行日。「入口のない部屋・その他」が掲載された。

 

三月三十日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に手紙、病臥中であることを告げた。乱歩への最後の書簡となった。[子不語の夢]

 

三月

《【三月】平凡社「ルパン全集」を発表す》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

四月一日(月)

小酒井不木が午前二時三十分、急性肺炎で死去した。三月二十七日夜に風邪を引き、自宅で病床に就いていた。

押しかけてきた新聞記者から不木の死を知らされたが、信じられなかったので名古屋の不木宅に電話で確認した。「読売新聞」と「万朝報」に不木の追悼文を書いた。[探偵小説四十年 小酒井不木/昭和28年4月、5月]

《【四月】一日、小酒井不木氏逝去、二日葬儀に列するため名古屋に赴く》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

□雑誌□「朝日」四月号(第一巻第四号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第四回が掲載された。

 

四月二日(火)

汽車で東京を出発、夜、名古屋に着いた。小酒井不木邸を訪れ、通夜に列席。別棟の医学研究室で「大阪朝日新聞」に不木の追悼文を書いた。[探偵小説四十年 小酒井不木/昭和28年4月、5月]

 

四月三日(水)

午後四時から名古屋市中区矢場町の勝曼寺で営まれた小酒井不木の葬儀に参列。[探偵小説四十年 小酒井不木/昭和28年4月、5月]

勝曼寺の一室で永井潜、古畑種基ら不木の先輩や知己による座談会が開かれ、長谷川伸、森下雨村、水谷準とともに臨席した。[新青年:追悼座談会/昭和4年6月][岡戸武平:不木・乱歩・私(名古屋豆本)/昭和49年7月]

□書籍□『ポー、ホフマン集』の奥付発行日。改造社から「世界大衆文学全集」第三十巻として出版され、翻訳を担当したが、代役だった。《世界大衆文学全集の私の受持ち「ポオ・ホフマン集」出版》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

翻訳は渡辺温による代訳だった。[探偵小説四十年 探偵小説出版最盛の年/昭和28年3月]

渡辺啓助によれば、啓助は温に頼まれて八篇ほど翻訳した。[渡辺啓助:探偵横丁下宿人(『鴉白書』東京創元社)/平成3年6月]

 

四月二十四日(水)

□書簡□小酒井不木未亡人の久枝に手紙、前日、上京した岡戸武平と相談し、不木全集の出版社として改造社を選んだことを伝えた。[子不語の夢]

小酒井不木全集は春陽堂と改造社から出版の申し込みを受け、遺族の希望で改造社が選ばれた。全八巻の予定だったが、最終的に全十七巻になった。[探偵小説四十年 小酒井不木/昭和28年4月、5月]

 

五月一日(水)

□雑誌□「朝日」五月号(第一巻第五号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第五回が掲載された。

 

五月

《【五月】改造社「小酒井不木全集」を発表す》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

《【五月】改造社「日本探偵小説全集」を発表》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

《【五月】博文館「世界探偵小説全集」を発表》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

六月一日(土)

□雑誌□「朝日」六月号(第一巻第六号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第六回が掲載された。

□雑誌□「改造」六月号(第十一巻第六号)の奥付発行日。「虫」第一回が掲載された。連載は七月まで。

□雑誌□「新青年」六月増大号(第十巻第七号)の奥付発行日。「押絵と旅する男」が掲載された。「肱掛椅子の凭り心地」も掲載。

 

六月十八日(火)

□書籍□『江戸川乱歩集』の奥付発行日。春陽堂から「探偵小説全集」第一巻として出版された。

 

六月二十一日(金)

□書籍□『悪人志願』の奥付発行日。博文館から「新青年叢書」四として出版された。《【六月】処女随筆集「悪人志願」を出版す》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

六月

《【六月】春陽堂「探偵小説全集」を発表》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

七月一日(月) 

□雑誌□「朝日」七月号(第一巻第七号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第七回が掲載された。

□雑誌□「改造」七月号(第十一巻第七号)の奥付発行日。「虫」第二回が掲載され、完結。

 

七月二十七日(土)

□書籍□『乱歩集』の奥付発行日。博文館から「世界探偵小説全集」第二十三巻として出版された。

 

七月二十八日(日)

□書籍□『江戸川乱歩集』の奥付発行日。改造社から「日本探偵小説全集」第三篇として出版された。

 

七月

《【七月】平凡社「世界探偵小説全集」を発表》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

《【七月】自営旅館下宿「緑館」の増築に着手す》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

《【七月】初めて講談社の雑誌に執筆を諾し、「講談倶楽部」に「蜘蛛男」の連載をはじむ》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

《【七月】より八月に亘り、鎌倉大仏の辺に家を借り家族と共に避暑す》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

このころ

《この年後半期より内外同性愛文献の蒐集をはじむ》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

八月一日(木)

□雑誌□「朝日」八月号(第一巻第八号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第八回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」八月号(第十九巻第八号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第一回が掲載された。連載は翌年六月まで。

 

九月一日(日)

□雑誌□「朝日」九月号(第一巻第九号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第九回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第十九巻第九号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第二回が掲載された。

 

九月五日(木) 

□書籍□『シャーロック・ホームズの冒険』の奥付発行日。平凡社から「世界探偵小説全集」第二巻として出版され、翻訳を担当したが、井上勝喜による代訳だった。

全集の企画は直木三十五が平凡社に持ち込んだ。直木から第一、二巻の翻訳を依頼されたので、友人に翻訳させることの了解を得たうえで、大阪から探偵小説好きの旧友を呼び寄せて代訳させた。[探偵小説四十年 探偵小説出版最盛の年/昭和28年3月]

 

十月一日(火)

□雑誌□「朝日」十月号(第一巻第十号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第十回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十月号(第十九巻第十号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第三回が掲載された。

 

十一月一日(金)

□雑誌□「朝日」十一月号(第一巻第十一号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第十一回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第十九巻第十一号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第四回が掲載された。

 

十一月二十八日(木) 

□新聞□「時事新報」夕刊に「何者」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

 

十二月一日(日)

□雑誌□「朝日」十二月号(第一巻第十二号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第十二回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第十九巻第十二号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第五回が掲載された。

 

十二月二十九日(日)

□新聞□「時事新報」夕刊に「何者」第二十八回が掲載され、完結。

 

十二月

《【十二月】より翌年一月にかけ、「時事新報」に中篇「何者」を連載す》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

このころ

年末からアルス「フロイド精神分析大系」と春陽堂「フロイド精神分析学全集」の刊行が始まり、両方とも購入して愛読した。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]

 

この年

《この年、早稲田犯罪大学なるもの設立され、私も強いられて教授の名に連なる》[探偵小説四十年 昭和四年の主な出来事/昭和28年3月]

 

[2012年7月22日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和4年●1929 昭和6年●1931

 

昭和五年(一九三〇)

 

年齢:三十五歳→三十六歳、数え年三十七歳

住居:東京市外戸塚町源兵衛一七九番地

 

□探偵小説四十年:細目□

虚名大いにあがる【昭和五年度】

昭和五年度の主な出来事

上山草人

渡辺温

コナン・ドイルの死

虚名大いにあがる

「吸血鬼」

代作二冊

探偵小説流行の余波

 

一月一日(水)

□雑誌□「朝日」新年号(第二巻第一号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第十三回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十巻第一号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第六回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」新年号(第三十六巻第一号)の奥付発行日。「猟奇の果」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

 

一月ごろ

アメリカから帰朝した上山草人が訪ねてきて、探偵映画の台本執筆を依頼されたが、断った。[探偵小説四十年 上山草人/昭和28年6月]

《【一月】(金解禁、浜口内閣のデフレーション政策)》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

《【一月】(行李詰死体、清作事件起る)》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

《【一月】このころ大蘇芳年の血の錦絵を蒐集す》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

二月一日(土)

□雑誌□「朝日」二月号(第二巻第二号)の奥付発行日。「孤島の鬼」第十四回が掲載され、完結。

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十巻第二号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第七回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」二月号(第三十六巻第二号)の奥付発行日。「猟奇の果」第二回が掲載された。

 

二月十日(月)

渡辺温が兵庫県西宮市夙川の踏切で乗っていた自動車の鉄道事故により死去。

《【二月】渡辺温君、「新青年」編集部員として原稿催促のため谷崎潤一郎氏を訪問の帰途、阪神沿線「夙川」の踏切にて渡辺君の自動車、汽車にはねられ即死す》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

三月一日(土)

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十巻第三号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第八回が掲載された。

□雑誌□「新青年」三月号(第十一巻第四号)の奥付発行日。上山草人、藤原義江との座談会「われらの三人、探偵映画座談会」が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」三月号(第三十六巻第三号)の奥付発行日。「猟奇の果」第三回が掲載された。

 

三月十六日(日)

「テトラガミイ」を脱稿。[初出末尾]

 

上山草人が鎌倉か箱根の料亭で開いた会合に出席。久米正雄、近藤経一、北村小松、松竹の六車修ら十一人が顔を合わせたが、うやむやのうちに散会した。[探偵小説四十年 上山草人/昭和28年6月]

《【三月】米映画界に大人気を博せる上山草人氏、この年の初め(あるいは前年末か)帰朝、一月ごろ私の家に来訪、探偵映画につき相談を受く。松竹映画主催の相談会にも列し、又「新青年」は三月号に上山草人、藤原義江両氏と私との座談会記事をのせた》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

四月一日(火)

□雑誌□「講談倶楽部」四月号(第二十巻第四号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第九回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」四月号(第三十六巻第四号)の奥付発行日。「猟奇の果」第四回が掲載された。

□雑誌□「猟奇」四月号(第三年第三輯)の奥付発行日。「夢野久作氏」が掲載された。

 

四月十日(木)

□書籍□『名探偵明智小五郎』の奥付発行日。先進社から「大衆文庫」第五巻として出版された。

 

五月一日(木)

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十巻第五号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第十回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」五月号(第三十六巻第五号)の奥付発行日。「猟奇の果」第五回が掲載された。

□雑誌□「漫談」五月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「テトラガミイ」が掲載された。

 

五月十五日(木)

□書籍□『首の綱』の奥付発行日。春陽堂から「探偵小説全集」第十八巻として出版され、ガボリオ「首の綱」などの翻訳を担当した。

翻訳は代訳で、誰が代訳したのかも知らなかった。[探偵小説四十年 探偵小説出版最盛の年/昭和28年3月]

 

五月十八日(日)

□書籍□『孤島の鬼』の奥付発行日。改造社から出版された。

 

六月一日(日)

□雑誌□「講談倶楽部」六月号(第二十巻第六号)の奥付発行日。「蜘蛛男」第十一回が掲載され、完結。

□雑誌□「文芸倶楽部」六月号(第三十六巻第六号)の奥付発行日。「猟奇の果」第六回が掲載された。

 

六月三日(火)

□書籍□文芸家協会編『大衆文学集 第三集』の奥付発行日。新潮社から出版され、「押絵と旅する男」が収録された。

 

七月一日(火)

□雑誌□「講談倶楽部」七月号(第二十巻第七号)の奥付発行日。「魔術師」第一回が掲載された。連載は翌年六月まで。

□雑誌□「文芸倶楽部」七月号(第三十六巻第七号)の奥付発行日。「猟奇の果」を「白蝙蝠」と改題し、第七回が掲載された。

 

七月三日(木)

□新聞□「大阪朝日新聞」に「見えぬ兇器」が掲載された。

 

七月七日(月)

コナン・ドイルが死去。「東京日日新聞」「時事新報」「国民新聞」「報知新聞」から談話を求められ、八日付紙面に掲載された。[探偵小説四十年 コナン・ドイルの死/昭和28年7月]

《【七月】七日、コナン・ドイル死す。同月十五日JOAKよりドイル回顧放送をなす》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

七月十五日(火)

午後七時二十五分からのラジオ「趣味講座」でコナン・ドイルについて話した。[探偵小説四十年 コナン・ドイルの死/昭和28年3月][貼雑年譜]

□書籍□『恐怖の谷・妖犬』の奥付発行日。平凡社から「世界探偵小説全集」第一巻として出版され、翻訳を担当したが、井上勝喜による代訳だった。

前年九月の第二巻同様、大阪から探偵小説好きの旧友を呼び寄せて代訳させた。[探偵小説四十年 探偵小説出版最盛の年/昭和28年3月]

 

八月一日(金)

□雑誌□「講談倶楽部」八月号(第二十巻第八号)の奥付発行日。「魔術師」第二回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」八月号(第三十六巻第八号)の奥付発行日。「白蝙蝠」第八回が掲載された。

 

八月

《【八月】九月号の「新青年」に連作「江川蘭子」第一回を書く。この題名より浅草にて旗上げせるエノケン一座に江川蘭子と称する踊り子生れ、又その後、松竹歌劇に江戸川蘭子現わる》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

九月一日(月)

□雑誌□「キング」九月号(第六巻第九号)の奥付発行日。「黄金仮面」第一回が掲載された。連載は翌年十月まで。

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第二十巻第九号)の奥付発行日。「魔術師」第三回が掲載された。

□雑誌□「新青年」九月号(第十一巻第十二号)の奥付発行日。連作「江川蘭子」第一回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」九月号(第三十六巻第十号)の奥付発行日。「白蝙蝠」第九回が掲載された。

 

九月二十七日(土)

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」第一回が掲載された。連載は翌年三月まで。

この年、講談社が報知新聞を買収し、社長の野間清治が経営に乗り出したが、夏ごろ、野間が「報知新聞」夕刊への連載を希望しているとして講談社から依頼があった。断ったが、再三再四、鄭重な依頼があったため引き受けた。[探偵小説四十年 「吸血鬼」/昭和28年7月]

《【九月】より半年、報知新聞夕刊に「吸血鬼」を連載》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

十月一日(水)

□雑誌□「キング」十月号(第六巻第十号)の奥付発行日。「黄金仮面」第二回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十月号(第二十巻第十号)の奥付発行日。「魔術師」第四回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」十月号(第三十六巻第十一号)の奥付発行日。「白蝙蝠」第十回が掲載された。

 

十月二十日(月)

□書籍□『蜘蛛男』の奥付発行日。大日本雄弁会講談社から出版された。

《【十月】講談社より「蜘蛛男」出版、単行本として最も出版部数多し》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

十月

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」を連載。

 

十一月一日(土)

□雑誌□「キング」十一月号(第六巻第十一号)の奥付発行日。「黄金仮面」第三回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第二十巻第十一号)の奥付発行日。「魔術師」第五回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」十一月号(第三十六巻第十二号)の奥付発行日。「白蝙蝠」第十一回が掲載された。

□雑誌□「モダン日本」十一月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「1頁自伝」が掲載された。

 

十一月十五日(土)

□書籍□『変態殺人篇』の奥付発行日。天人社から「世界犯罪叢書」第二巻として出版された。

大阪時事新報記者時代の先輩から、新しい出版社を創業するからと全集への参加を依頼された。断りきれず、代作でもいいという了解をとりつけて承諾し、井上勝喜に代作させた。[探偵小説四十年 代作二冊/昭和28年7月、8月]

 

十一月二十六日(水)

□新聞□「報知新聞」に「名士の家庭訪問記」の江戸川乱歩篇が掲載された。ある日訪ねてきた大阪毎日新聞広告部勤務時代の友人が無断で探訪記をまとめ、スマイルという目薬の広告として記事にした。これに懲り、広告に名前を出すことはいっさい断るようになった。[探偵小説四十年 探偵小説流行の余波/昭和28年8月][貼雑年譜]

《【十一月】私の名、目薬の不快なる記事広告に使用さる》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

十一月

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」を連載。

 

十二月一日(月)

□雑誌□「キング」十二月号(第六巻第十二号)の奥付発行日。「黄金仮面」第四回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第二十巻第十二号)の奥付発行日。「魔術師」第六回が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」十月号(第三十六巻第十三号)の奥付発行日。「白蝙蝠」第十二回が掲載され、完結。

 

十二月十日(水

「旧探偵小説時代は過去った」を脱稿。[初出末尾]

 

十二月十五日(月)

□書籍□『Unu Bileto』の奥付発行日。エスペラント研究社から「一枚の切符」のエスペラント語訳として出版された。

《【十二月】「一枚の切符」エスペラント訳出版さる》[探偵小説四十年 昭和五年度の主な出来事/昭和28年6月]

 

十二月二十三日(火)

□書籍□『女怪』の奥付発行日。平凡社から「世界猟奇全集」第三巻として出版され、翻訳を担当したが、代訳だった。

全集の企画に関わっていた本位田準一から依頼を受け、訳者として名前を貸した。代訳者も知らず、訳文も読まなかった。[探偵小説四十年 代作二冊/昭和28年7月、8月]

 

十二月

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」を連載。

 

[2012年7月25日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和5年●1930 昭和7年●1932

 

昭和六年(一九三一)

 

年齢:三十六歳→三十七歳、数え年三十八歳

住居:東京市外戸塚町源兵衛一七九番地

 

□探偵小説四十年:細目□

最初の江戸川乱歩全集【昭和六年度】

昭和六年度の主な出来事

身辺多事の年

江戸川乱歩全集

宣伝お祭り騒ぎ

全集の内容

内容見本と附録雑誌

代作ざんげ

川田功

「魔術師」露字新聞に連載

小太夫一座の「黒手組」劇

甲賀、大下論争

下宿争議

森下雨村の博文館退社

 

一月一日(木)

□雑誌□「朝日」新年号(第三巻第一号)の奥付発行日。「盲獣」第一回が掲載された。連載は翌年三月まで。

□雑誌□「キング」新年号(第七巻第一号)の奥付発行日。「黄金仮面」第五回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」新年特大号(第二十一巻第一号)の奥付発行日。「魔術師」第七回が掲載された。

□雑誌□「新青年」新春特大号(第十二巻第一号)の奥付発行日。「打てば響く 一九三一年問答録」にアンケート回答が掲載された。

アンケート回答は《これは本当の気持であった》[探偵小説四十年 身辺多事の年/昭和28年8月]

 

一月十五日(木)

□書籍□『猟奇の果』の奥付発行日。博文館から出版された。

 

一月

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」を連載。

 

一月

《【一月】小説資料集めの助手として、私の宅に同居していた旧友二山久君と口論あり同君去る》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

このころ

一月か二月ごろ、平凡社から全集出版の話を受けた。乗り気ではなかったが、下中彌三郎社長の人格を信頼し、承諾した。平凡社にしばしば足を運んで下中と相談し、全集の内容や宣伝の方法など、自分の考えをかなり通すことができた。[探偵小説四十年 江戸川乱歩全集/昭和28年8月]

 

二月一日(日)

□雑誌□「朝日」二月号(第三巻第二号)の奥付発行日。「盲獣」を休載した。

□雑誌□「キング」二月号(第七巻第二号)の奥付発行日。「黄金仮面」を休載した。

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十一巻第二号)の奥付発行日。「魔術師」を休載した。

 

二月十四日(土)

□書簡□森園豊吉に書簡、「世界犯罪叢書」第一巻の松谷与二郎『思想犯罪篇』を徹夜で読んだと伝えた。[江戸川乱歩推理文庫64]

森園豊吉(明治22年-昭和32年)は昭和四年に天人社を設立、「世界犯罪叢書」などを出版した。

 

二月二十日(金)

□雑誌□「新青年」春季増刊号(第十二巻第三号)の奥付発行日。「旧探偵小説時代は過去った」が掲載された。

 

二月

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」を連載。

 

三月一日(日)

□雑誌□「朝日」三月号(第三巻第三号)の奥付発行日。「盲獣」第二回が掲載された。

□雑誌□「キング」三月号(第七巻第三号)の奥付発行日。「黄金仮面」第六回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十一巻第三号)の奥付発行日。「魔術師」第八回が掲載された。

 

三月十二日(木)

□新聞□「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」第百三十八回が掲載され、完結。

 

三月二十八日(土)

□書籍□『吸血鬼』の奥付発行日。博文館から出版された。

 

四月一日(水)

□雑誌□「朝日」四月号(第三巻第四号)の奥付発行日。「盲獣」第三回が掲載された。

□雑誌□「キング」四月号(第七巻第四号)の奥付発行日。「黄金仮面」第七回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」四月号(第二十一巻第四号)の奥付発行日。「魔術師」第九回が掲載された。

□雑誌□「富士」四月号(第四巻第四号)の奥付発行日。「白髪鬼」第一回が掲載された。連載は翌年四月まで。

 

四月五日(日)

□雑誌□「週刊朝日」春季特別号(第十九巻第十六号)の奥付発行日。「中将姫」が掲載された。

□雑誌□「文芸倶楽部」探偵小説と滑稽小説号(第三十七巻第五号)の奥付発行日。「目羅博士の不思議な犯罪」が掲載された。

 

四月八日(水)

□雑誌□「報知新聞」附録「日米親善北太平洋横断飛行」に「人類史的一飛び」が掲載された。

 

四月二十五日(土)

□新聞□「読売新聞」に「獏の言葉」が掲載された。

 

四月二十八日(火)

「全集の編輯について」を脱稿。[初出末尾]

 

五月一日(金)

□雑誌□「朝日」五月号(第三巻第五号)の奥付発行日。「盲獣」第四回が掲載された。

□雑誌□「キング」五月号(第七巻第五号)の奥付発行日。「黄金仮面」第八回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十一巻第五号)の奥付発行日。「魔術師」第十回が掲載された。

□雑誌□「富士」五月号(第四巻第五号)の奥付発行日。「白髪鬼」第二回が掲載された。

 

五月三日(日)

愛知県立熱田中学校(旧第五中学校)の創立二十五周年記念事業に無理に引っ張り出され、名古屋市公会堂で講演を行った。[貼雑年譜]

 

五月五日(火)

□書籍□平凡社から江戸川乱歩全集の第一回配本があった。発行部数は三万三千部。全十二巻の予定が全十三巻になり、完結は翌年五月。発行部数は十三巻で二十五万三千部だった。[探偵小説四十年 宣伝お祭り騒ぎ/昭和28年9月]

《【五月】平凡社「江戸川乱歩全集」十三巻を発表、大いに宣伝す。旧友井上勝喜君を全集附録「探偵趣味」の編集者に推薦し、平凡社より月給を受く》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

五月八日(金)

江戸川乱歩全集の最初の新聞広告が掲載された。広告の図案も考えた。東京、大阪の大新聞と地方の主要な新聞に、紙面の三分の一の大きさで掲載した。以後、予約の締切だった五月三十一日まで、新聞広告を集中的に掲載した。[探偵小説四十年 宣伝お祭り騒ぎ/昭和28年9月]

 

五月十日(日)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第八巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第一号の奥付発行日。「地獄風景」第一回が掲載された。連載は翌年三月まで。

 

五月十二日(火)

□書籍□『江川蘭子』の奥付発行日。博文館から横溝正史、甲賀三郎、大下宇陀児、夢野久作、森下雨村、平林初之輔、国枝史郎、小酒井不木による共著として出版された。

 

五月二十八日(木)

《【五月】二十八日、海軍少佐の探偵作家、川田功氏死去》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

五月二十九日(金)

ハルビンで発行されている新聞「ХАРБИНСКОЕ ВРЕМЯ(ハルビンスコエ・ヴレーミア)に「魔術師」のロシア語訳「АРОДЪИ」第一回が掲載された。連載は五十回。春、日本の銀行のハルビン支店に勤務する人から手紙が届き、翻訳連載の承諾を求められた。原作料の要求もせず、承諾を与えた。[探偵小説四十年 「魔術師」露字新聞に連載/昭和28年10月]

《【五月】より七月にかけて「魔術師」ハルビン市露字新聞に訳載さる》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

五月

《【五月】妹、玉子肋膜炎を病み、母とともに別宅に療養す》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

《【五月】大阪在住の私の弟、脊髄カリエスに罹り、昭和八年全快まで療養生活をなす》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

《【五月】井上勝喜君結婚式。披露宴に探偵文壇の人々を招く》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

六月一日(月)

□雑誌□「朝日」六月号(第三巻第六号)の奥付発行日。「盲獣」第五回が掲載された。

□雑誌□「キング」六月号(第七巻第六号)の奥付発行日。「黄金仮面」第九回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」六月号(第二十一巻第六号)の奥付発行日。「魔術師」第十一回が掲載され、完結。「恐怖王」第一回も掲載された。連載は翌年五月まで。

□雑誌□「富士」六月号(第四巻第六号)の奥付発行日。「白髪鬼」第三回が掲載された。

 

六月十日(水)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第一巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第二号の奥付発行日。「地獄風景」第二回が掲載された。

 

六月十五日(月)

《【六月】十五日、平林初之輔氏、パリに客死す。遺友と相謀り、平凡社より「平林初之輔遺稿集」を出版す》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

七月一日(水)

□書籍□文芸家協会編『大衆文学集 第四集』の奥付発行日。新潮社から出版され、「目羅博士の不思議な犯罪」が収録された。

□雑誌□「朝日」七月号(第三巻第七号)の奥付発行日。「盲獣」第六回が掲載された。

□雑誌□「キング」七月号(第七巻第七号)の奥付発行日。「黄金仮面」第十回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」七月号(第二十一巻第七号)の奥付発行日。「恐怖王」第二回が掲載された。

□雑誌□「富士」七月号(第四巻第七号)の奥付発行日。「白髪鬼」第四回が掲載された。

 

七月二日(木)

「『黄金仮面』エスペラント訳出版に際して」を脱稿。[初出末尾]

 

七月十日(金)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第五巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第三号の奥付発行日。「地獄風景」第三回が掲載された。

 

七月二十六日(日)

市川小太夫の新興座が帝国劇場で第一回公演を行い、上演四作品のひとつに「黒手組」をとりあげた。公演は二十八日まで。これ以降、大阪、京都、神戸、名古屋、博多などでも上演された。[貼雑年譜]

《【七月】市川小太夫一座、私の短篇「黒手組」を脚色し帝劇に上演す》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

七月二十九日(水)

「探偵趣味」に掲載する「黒手組」の写真を撮るため、芝の紅葉館に市川小太夫、下中彌三郎、井上勝喜らと集まり、昼食のあと写真と十六ミリフィルムを撮影した。[探偵小説四十年 小太夫一座の「黒手組」劇/昭和28年10月、11月]

 

七月

《【七月】「東京日日新聞」学芸欄に甲賀三郎、大下宇陀児両君の探偵小説論発表され、やや論争の形となったので、私も寄稿を求められ意見を述べた。これは甲賀、木々論争の前駆をなす本格非本格論争であった》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

八月一日(土)

□雑誌□「朝日」八月号(第三巻第八号)の奥付発行日。「盲獣」を休載した。

□雑誌□「キング」八月号(第七巻第八号)の奥付発行日。「黄金仮面」を休載した。

□雑誌□「講談倶楽部」八月号(第二十一巻第八号)の奥付発行日。「恐怖王」を休載した。

□雑誌□「富士」「富士」八月号(第四巻第八号)の奥付発行日。「白髪鬼」を休載した。

 

八月十日(月)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第四巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第四号の奥付発行日。「地獄風景」を休載した。

 

八月十五日(土)

□書籍□『Ora Masko Volumo 1』の奥付発行日。日本エスペラント会から「黄金仮面」のエスペラント語訳としとて出版された。

□書籍□『江戸川乱歩・小酒井不木・甲賀三郎・大下宇陀児』の奥付発行日。春陽堂から「明治大正昭和文学全集」第五十六巻として出版された。

 

八月三十一日(月)

□新聞□「東京日日新聞」に「探偵作家の立場」第一回が掲載された。二回分載で、九月一日に完結。七月に掲載された甲賀三郎「探偵小説はこれからだ」と大下宇陀児「探偵小説の型を破れ」を受け、新聞社の求めに応じて執筆した。[探偵小説四十年 甲賀、大下論争/昭和28年11月、12月] 

 

八月

《【八月】九月号より博文館の「探偵小説」創刊、翌七年八月号にて終刊》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

九月一日(火)

□雑誌□「朝日」九月号(第三巻第九号)の奥付発行日。「盲獣」第七回が掲載された。

□雑誌□「キング」九月号(第七巻第九号)の奥付発行日。「黄金仮面」第十一回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第二十一巻第九号)の奥付発行日。「恐怖王」第三回が掲載された。

□雑誌□「探偵小説」九月号(第一巻第一号)の奥付発行日。「探偵小説のトリック」が発行された。

□雑誌□「富士」九月号(第四巻第九号)の奥付発行日。「白髪鬼」第五回が掲載された。

 

九月十日(木)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第四巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第五号の奥付発行日。「地獄風景」第四回が掲載された。

 

九月十七日(木)

平林初之輔の告別式が小石川の伝通院で営まれた。[新青年:戸崎町風土記/昭和6年11月]

告別式のあと、伝通院前のレストランで、吉江喬松、森下雨村、宮島新三郎、木村毅らと平林の遺稿出版について相談した。乱歩全集が出版されていた関係で、下中彌三郎社長に話をし、平凡社から出版することに決まった。[探偵小説四十年 平林初之輔/昭和27年1月]

 

九月十八日(金)

関東軍が中国の柳条湖で満鉄線路を爆破し、満州事変が勃発した。

《【九月】(満州事変勃発)》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

十月一日(木)

□雑誌□「朝日」十月号(第三巻第十号)の奥付発行日。「盲獣」第八回が掲載された。

□雑誌□「キング」十月号(第七巻第十号)の奥付発行日。「黄金仮面」第十二回が掲載され、完結。

□雑誌□「講談倶楽部」十月号(第二十一巻第十号)の奥付発行日。「恐怖王」第四回が掲載された。

□雑誌□「富士」十月号(第四巻第十号)の奥付発行日。「白髪鬼」第六回が掲載された。

 

十月十日(土)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第二巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第六号の奥付発行日。「地獄風景」第五回が掲載された。

 

十一月一日(日)

□雑誌□「朝日」十一月号(第三巻第十一号)の奥付発行日。「盲獣」を休載した。

□雑誌□「キング」十一月号(第七巻第十一号)の奥付発行日。「鬼」第一回が掲載された。連載は翌年二月まで。

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第二十一巻第十一号)の奥付発行日。「恐怖王」を休載した。

□雑誌□「富士」十一月号(第四巻第十一号)の奥付発行日。「白髪鬼」を休載した。

 

十一月八日(日)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第六巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第七号の奥付発行日。「地獄風景」第六回が掲載された。

 

十一月二十九日(日)

三重県津市で繁男の七回忌法要を営み、親戚や繁男の知人を聴潮館でもてなした。[貼雑年譜]

 

十一月

《【十一月】家内の経営する下宿屋「緑館」に下宿学生の争議起り、面倒なので下宿屋廃業と決す》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

十二月一日(日)

□雑誌□「朝日」十二月号(第三巻第十二号)の奥付発行日。「盲獣」を休載した。

□雑誌□「キング」十二月号(第七巻第十二号)の奥付発行日。「鬼」第を休載した。

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第二十一巻第十二号)の奥付発行日。「恐怖王」を休載した。

□雑誌□「富士」十二月号(第四巻第十二号)の奥付発行日。「白髪鬼」を休載した。

 

十二月八日(火)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第七巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第八号の奥付発行日。「地獄風景」第七回が掲載された。

 

十二月十三日(日)

「トリックを超越して」を脱稿。[初出末尾]

 

十二月

《【十二月】森下雨村氏博文館を退社す》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

この年

《この年、元禄期の小説類にて稀本いろいろ入手す》[探偵小説四十年 昭和六年度の主な出来事/昭和28年8月]

 

[2012年8月1日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和6年●1931 昭和8年●1933

 

昭和七年(一九三二)

 

年齢:三十七歳→三十八歳、数え年三十九歳

住居:東京市外戸塚町源兵衛一七九番地

→東京市淀橋区戸塚町二丁目(地名変更)

 

□探偵小説四十年:細目□

二回目の休筆宣言【昭和七年度】

昭和七年度の主な出来事

大犯罪事件の年

二回目の休筆宣言

新潮社「新作探偵小説全集」

「文学時代」と佐左木俊郎

小太夫の「陰獣」劇

クイーンの最初の邦訳

文壇郷土誌

「ペンマンシップ」

横溝正史の首途を励ます会

 

一月一日(金)

□雑誌□「朝日」新年号(第四巻第一号)の奥付発行日。「盲獣」第九回が掲載された。

□雑誌□「キング」新年号(第八巻第一号)の奥付発行日。「鬼」第二回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十二巻第一号)の奥付発行日。「恐怖王」第五回が掲載された。

□雑誌□「富士」新年特大号(第五巻第一号)の奥付発行日。「白髪鬼」第七回が掲載された。

 

一月八日(金)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第三巻』の奥付発行日。

 

一月十日(日)

□雑誌□「探偵趣味」第九号の奥付発行日。「地獄風景」第八回が掲載された。

 

一月

《【一月】ハンス・リヒトの「古希臘風俗史」の英訳を読み、ひとしお古代ギリシアに興味を生ず。岩田準一君と旅すること多し、ローブの希英対訳本を大量に注文したのもこのころであった》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

一月

岩田準一と京都の醍醐寺を訪れた。[貼雑年譜]

 

二月一日(月)

□雑誌□「朝日」二月号(第四巻第二号)の奥付発行日。「盲獣」第十回が掲載された。

□雑誌□「キング」二月号(第八巻第二号)の奥付発行日。「鬼」第三回が掲載され、完結。

□雑誌□「講談倶楽部」二月特大号(第二十二巻第二号)の奥付発行日。「恐怖王」第六回が掲載された。

□雑誌□「富士」二月号(第五巻第二号)の奥付発行日。「白髪鬼」第八回が掲載された。

□雑誌□「文学時代」二月号(第四巻第二号)の奥付発行日。「妖虫」が掲載された。

 

二月六日(土)

午後五時から日本橋の三越本店前、三共ビル内のエンプレス食堂で開かれた「森下雨村氏の会」に出席。発起人に加わり、案内状の文章を記した。[探偵小説四十年 森下雨村の博文館退社/昭和29年1月]

《【二月】森下雨村氏昨年博文館を退社されたるにつき前途を激励する会を開く》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

二月八日(月)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第十二巻』の奥付発行日。

 

二月十日(水)

□雑誌□「新青年」新春増刊号(第十三巻第三号)の奥付発行日。「トリックを超越して」が掲載された。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、乱歩の「畢生の力作」が「本年の六月号あたり」に掲載されると予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

三月一日(火)

初の大西洋単独無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグの長男がニュージャージー州の邸宅から誘拐された。五月十二日になって邸宅近くで死体が発見された。

《【三月】米国にリンドバーグ大佐幼児誘拐事件起る》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

□雑誌□「朝日」三月号(第四巻第三号)の奥付発行日。「盲獣」第十一回が掲載され、完結。

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十二巻第三号)の奥付発行日。「恐怖王」第七回が掲載された。

□雑誌□「富士」三月号(第五巻第三号)の奥付発行日。「白髪鬼」第九回が掲載された。

 

三月五日(土)

□書籍□『江戸川乱歩集』の奥付発行日。平凡社から「現代大衆文学全集」続第二十巻として出版された。

 

三月七日(月)

玉の井のお歯黒どぶで三つのハトロン紙に包まれた男性の切断死体が発見された。翌日の新聞で報じられ、玉の井八つ切り事件などとして喧伝された。犯人は十月二十日に逮捕された。[龍田恵子:日本のバラバラ殺人(新潮社)/2000年10月]

《【三月】玉の井、八つ切り死体事件起る》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

三月十日(木)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第九巻』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵趣味」第十一号の奥付発行日。「地獄風景」第九回が掲載され、四月発行の『江戸が乱歩全集 第十一巻』で完結。

 

三月十六日(水)

前年からの連載小説がすべて終わったのを機に休筆することとし、通知の葉書を出した。[探偵小説四十年 二回目の休筆宣言/昭和29年1月、2月][貼雑年譜]

《【三月】昨年よりの連載小説の執筆を悉く終りたれば、当分休筆することにし、その挨拶ハガキを出す》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

三月二十日(日

玉の井八つ切り事件の捜査本部に乱歩が犯人だとする投書が寄せられ、翌日の「読売新聞」でそれが報じられた。[探偵小説四十年 大犯罪事件の年/昭和29年1月]

 

三月

《【三月】家族を伴い京都、奈良、近江等を旅行す》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

四月一日(金)

□雑誌□「講談倶楽部」四月特大号(第二十二巻第四号)の奥付発行日。「恐怖王」第八回が掲載された。

□雑誌□「探偵小説」四月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「騎士道的探偵小説」が掲載された。

「探偵小説」編集長の横溝正史から依頼され、クイーンの『オランダ靴の秘密』を原書で読んで感想を記したが、西洋の探偵小説に興味がなく、クイーンの文体にも馴染めなかった。[探偵小説四十年 クイーンの最初の邦訳/昭和29年3月]

□雑誌□「富士」四月号(第五巻第四号)の奥付発行日。「白髪鬼」第十回が掲載され、完結。

 

四月六日(水)

夜、新潮社で催された探偵作家の集まりに出席した。ほかに甲賀三郎、森下雨村、大下宇陀児、海野十三、水谷準、佐左木俊郎、橋本五郎、奥村某、横溝正史が参加。[「探偵クラブ」第一号口絵写真/昭和7年4月]

 

四月十日(日)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第十一巻』の奥付発行日。「地獄風景」「火縄銃」が収録された。

 

四月十三日(水)

□雑誌□「探偵クラブ」第一号の奥付発行日。「巡り来し長篇時代」が掲載された。

 

四月二十日(水)

「探偵小説十年」を脱稿した。[初出末尾]

 

四月

《【四月】新潮社、書下し探偵小説全集の刊行を発表す》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

《【四月】大阪の探偵雑誌「猟奇」五月号限り廃刊す》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

五月一日(日)

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十二巻第五号)の奥付発行日。「恐怖王」第九回が掲載され、完結。

 

五月十日(火)

□書籍□『江戸川乱歩全集 第十三巻』の奥付発行日。「探偵小説十年」が収録された。

 

五月十五日(日)

海軍の青年将校を中心にした反乱事件が発生し、首相官邸に乱入した武装将校によって犬養毅首相が暗殺された。

《【五月】(五・一五事件起り、犬養首相射殺さる)》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

五月二十一日(土)

□雑誌□「探偵クラブ」第二号の奥付発行日。「大下君の長篇小説」が掲載され た。

 

六月一日(水)

□雑誌□「新青年」六月号(第十三巻第七号)の奥付発行日。「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、先に予告した乱歩の長篇は「構想の準備中」と告知した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

六月七日(火)

夕刻、玉子が腹膜炎で死去した。[貼雑年譜]

《【六月】七日、妹、玉子死亡。算え年十七歳。自宅にて告別式。十二日三重県津市浄明院にて葬儀》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

六月十日(金)

午後三時から自宅で玉子の告別式を営む。[貼雑年譜]

 

六月十二日(日)

午後二時から三重県津市の浄明院で玉子の埋葬式を営み、夜、東京に帰った。[貼雑年譜]

 

七月

《【七月】「探偵小説」誌、八月号限り廃刊》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

横溝正史によれば、森下雨村が博文館を退社したあと、専務から「探偵小説」の廃刊を告げられたため、みずからも退社することを決意し、自分の好きな小説を紹介しておこうと、四月号からクイーン「阿蘭陀靴の秘密」を連載したほか、六月号にメイスン「矢の家」、七月号にベントリー「生ける死美人(トレント最後の事件)」、八月号にミルン「赤屋敷殺人事件」を掲載した。《それからまもなく乱歩さんに会うと、あんな面白いものがあるなら、なぜもっとはやく紹介しなかったのだと、叱られたのを憶えている》。[横溝正史:私の推理小説雑感/昭和47年6月]

 

このころ

《【七・八両月】単身にて東北旅行。十和田湖をはじめ東日本の湖水を全部見て廻る。南部恐山にて打切りとし引返す》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

このころ

夏ごろ、新宿のレストラン白十字で開かれた新潮社「新作探偵小説全集」の打ち合わせに出席。森下雨村、甲賀三郎、大下宇陀児、横溝正史、水谷準、橋本五郎らが顔を揃えた。執筆は断ったが、代作でいいとの妥協案が出されたため、博文館にいた岡戸武平に依頼した。[探偵小説四十年 新潮社「新作探偵小説全集」/昭和29年2月]

 

八月一日(月)

□雑誌□「新青年」八月号(第十三巻第九号)の奥付発行日。「上等馬車に乗って」が掲載された。

 

八月十一日(木)

□新聞□「時事新報」の連載「文壇郷土誌」で探偵文壇が扱われ、十五日まで五回にわたって掲載された。[探偵小説四十年 文壇郷土誌/昭和29年3月、4月]

 

このころか

□新聞□「東京日日新聞報」の連載「ペンマンシップ」で探偵作家が扱われ、五回にわたって掲載された。[探偵小説四十年 「ペンマンシップ」/昭和29年3月、4月]

 

九月一日(木)

□新聞□「読売新聞」に「欧米の本格型 甲賀三郎君」が掲載された。

 

九月十五日(木)

日満議定書が調印され、日本が満州を独立国として承認。

《【九月】(満州国承認)》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

十月一日(土)

東京市が隣接する五郡八十二町村を合併し、世界第二の都市となる。

《【十月】大東京市となる。随って住所「緑館」も市外戸塚源兵衛より淀橋区戸塚町二丁目と改称さる》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

十月六日(木)

東京市大森区の川崎第百銀行大森支店で現金強奪事件が発生した。

《【十月】大森、銀行ギャング事件起る》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

十月八日(土)

午後七時から日比谷の山水楼で開かれた松野一夫帰朝歓迎会に出席。探偵作家による大森ギャング事件の座談会に切り替えられ、翌日の「報知新聞」に掲載された。顔ぶれは海野十三、大下宇陀児、甲賀三郎、延原謙、橋本五郎、久山秀子、森下雨村、水谷準、横溝正史。[探偵小説四十年 大犯罪事件の年/昭和29年1月]

 

十一月一日(火)

□雑誌□「新青年」十一月号(第十三巻第十三号)の奥付発行日。「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、翌年、乱歩の「大探偵小説」が寄せられることになったと予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

十一月十二日(土)

赤坂の幸楽で開かれた「横溝正史君の会」に出席。博文館を退社した横溝正史を激励する言葉を述べた。[探偵小説四十年 横溝正史の首途を励ます会/昭和29年9月]

 

十一月二十二日(火)

□書籍□『蠢く触手』の奥付発行日。新潮社から「新作探偵小説全集」第一巻として出版された。

 

十二月十一日(日)

新橋演舞場で新興座公演が開幕し、上演四作品のひとつとして「陰獣」がとりあげられた。脚色は小納戸容、演出は早瀬亘。市川小太夫が寒川、藤間林太郎が本田、石山健二郎が小山田、特別加入の梅野井秀男が静子を演じた。[探偵小説四十年 小太夫の「陰獣」劇/昭和29年2月][貼雑年譜]

《【十二月】「陰獣」市川小太夫により脚色、同一座にて新橋演舞場に上演さる》[探偵小説四十年 昭和七年度の主な出来事/昭和29年1月]

 

十二月

神田須田町のアメリカンベーカリーで開かれた精神分析研究会の会合に出席した。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]

 

[2012年8月5日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和7年●1932 昭和9年●1934

 

昭和八年(一九三三)

 

年齢:三十八歳→三十九歳、数え年四十歳

住居:東京市淀橋区戸塚町二丁目

→芝区車町八番地

 

□探偵小説四十年:細目□

精神分析研究会【昭和八年度】

昭和八年度の主な出来事

又もや不愉快な新聞記事

精神分析研究会

J・A・サイモンズ

鼻茸の手術

「緑館」を売却・芝区車町に移転

中絶作「悪霊」

 

一月一日(日)

□雑誌□「新青年」新年特大号(第十四巻第一号)の奥付発行日。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、乱歩の長篇を四月号から連載すると予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

一月

大槻憲二が昭和八年の初めごろ結成した精神分析研究会に誘われて入会した。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]

《【一月】大槻憲二氏の精神分析研究会に加わり毎月の例会に出席、機関誌「精神分析」にも執筆す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

大槻憲二は昭和三年、東京精神分析学研究所を創設して所長となった。[コトバンク:大槻憲二

 

このころ

放浪旅行に出たり東京市内のホテルを泊まり歩いたりすることが多かった。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]

 

三月十三日(月)

佐左木俊郎が三十二歳で死去した。[コトバンク:佐左木俊郎

《【三月】佐左木俊郎君死去》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

三月二十七日(月)

日本が国際連盟に正式に脱退を通告した。

《【三月】(日本、国際連盟より脱退す)》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

三月

《【三月】倅、隆太郎府立第五中学校に入学す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

《【三月】末より四月初めにかけて浅草橋近くの千葉病院に入院し左右鼻茸を摘出す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

四月一日 (土)

□雑誌□「新青年」四月増大号(第十四巻第五号)の奥付発行日。「よだれかけ」が掲載された。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、連載開始を予定していた乱歩の長篇が間に合わなかったと告知した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

四月二十四日(月)

□雑誌□「探偵クラブ」第十号の奥付発行日。「探偵小説界の為に惜しむ」が掲載された。

 

四月

東京市淀橋区戸塚町から芝区車町八番地に転居した。家族は、きく、龍子、隆太郎。ほかに女中がいた。[貼雑年譜]

《【四月】下宿「緑館」の建物を売却、芝区車町に移転す。このころ、J・A・サイモンズの諸著を集め耽読、その影響により愈々古ギリシャに親しみを感じ、ローブ希英対訳叢書などにより古典を読む》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

「新青年」十一月号で「悪霊」の連載を始めるまではサイモンズの著書に没頭していた。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]

 

四月

《【四月】山本直一君博文館を退社し浪人となれるため、助手の如き仕事をたのむ》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

《【四月】「ぷろふいる」五月号創刊》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

五月一日 (月)

□雑誌□「精神分析」創刊号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第一回が掲載された。

□雑誌□「ぷろふいる」創刊号(第一巻第一号)の奥付発行日。「ぷろふいるに寄する言葉」が掲載された。

 

五月七日(日)

横溝正史が喀血。[横溝正史:途切れ途切れの記(七)/昭和45年7月]

 

五月二十日(土)

□新聞□「読売新聞」に「探偵小説と瀉泄」第一回が掲載された。二回分載で、二十一日に完結。

 

五月二十一日(日)

□新聞□「東京朝日新聞」に「『謎』以上のもの」第一回が掲載された。三回分載で、二十三日に完結。

 

六月一日(木)

□雑誌□「精神分析」第二号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第二回が掲載された。

 

このころ

六月の終わりか七月の初めごろ、医者から絶対安静を命じられていた正史を見舞い、富士見高原療養所への転地を勧めて現金千円を置いていった。[横溝正史:途切れ途切れの記(七)/昭和45年7月]

 

七月

横溝正史が長野県諏訪郡の富士見高原療養所に入り、正木不如丘の指示を受けた。[中島河太郎:横溝正史年譜(横溝正史追憶集)/昭和57年12月]

富士見高原療養所の記録によれば、正史の入所は八月十一日。[富士見高原医療福祉センター:高原療養所で療養されていた方々

 

七月

《【七月】長野善光寺、上諏訪、箱根、熱海、伊香保などに旅行。箱根以下は妻を呼びよせ同行》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

このころ

旅行の途中、上諏訪から水谷準に葉書を出し、「新青年」のために小説の筋を考えていると伝えたため、編集後記で予告されて原稿の催促が始まった。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

八月一日(火)

□雑誌□「新青年」八月号(第十四巻第九号)の奥付発行日。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、乱歩の長篇について次号に「吉報を掲げる」と予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

□雑誌□「精神分析」第四号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第三回が掲載された。

 

八月九日(水)

第一回関東地方防空大演習が行われた。

《【八月】(初めて関東地方防空演習あり)》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

九月一日 (金)

□雑誌□「新青年」九月号(第十四巻第十一号)の奥付発行日。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が「乱歩の出陣」を予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

□雑誌□「ぶろふいる」九月号(第一巻第五号)の奥付発行日。「陰獣劇について」が掲載された。

 

九月十八日(月)

□書籍□『現代日本文学短篇名著集 第三巻』の奥付発行日。陸軍恤兵部から出版され、「屋根裏の散歩者」が収録された。

 

このころか

秋、新潮社の「日の出」編集部から執筆依頼を受け、横溝正史の著書を新潮社から出すことを交換条件として引き受けた。翌年一月、「日の出」で「黒蜥蜴」の連載が始まり、二月には新潮社から正史の『塙侯爵一家』が出版された。[大潟若郎:続文壇友情物語/昭和10年4月=貼雑年譜]

 

十月一日(日)

□雑誌□「精神分析」第六号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第四回が掲載され、中絶。

 

十月二十六日(木)

横溝正史が富士見高原療養所を退所、武蔵野町吉祥寺の自宅に帰宅した。[富士見高原医療福祉センター:高原療養所で療養されていた方々

 

十月

《【十月】昨年筆を断ちてより一年七カ月ぶりに、「新青年」十一月号より長篇「悪霊」を書きはじめたるも、翌九年一月号までに三回執筆せしのみにて中絶す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]

 

十一月一日(水)

□雑誌□「新青年」十一月号(第十四巻第十三号)の奥付発行日。「悪霊」第一回が掲載された。翌年一月までで中絶。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)は「悪霊」に言及しなかった。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

十二月一日(金)

□雑誌□ 「キング」十二月号(第九巻第十二号)の奥付発行日。「妖虫」第一回が掲載された。連載は翌年十月まで。

□雑誌□「新青年」十二月号(第十四巻第十四号)の奥付発行日。「悪霊」第二回が掲載された。

「編輯だより」にJ・M(水谷準)が、「悪霊」で「大旋風捲き起り」「再版をしなくてはならないような騒ぎ」と記した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

 

[2012年8月15日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和8年●1933 昭和10年●1935

 

昭和九年(一九三四)

 

年齢:三十九歳→四十歳、数え年四十一歳

住居:東京市芝区車町八番地

→豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

小栗、木々の登場【昭和九・十年度】

昭和九年度の主な出来事

張ホテルのこと

十年ぶりの洋服

池袋三丁目に移転

中央公論の「石榴」

 

一月一日(月)

□雑誌□「キング」新年特大号(第十巻第一号)の奥付発行日。「妖虫」第二回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十四巻第一号)の奥付発行日。「人間豹」第一回が掲載された。

□雑誌□「新青年」新年特大号(第十五巻第一号)の奥付発行日。「悪霊」第三回が掲載された。

「編輯だより」でJ・M・(水谷準)が乱歩の「大童の活躍」を伝えた。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

□雑誌□「日の出」一月号(第三巻第一号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第一回が掲載された。連載は十一月まで。

□雑誌□「婦人公論」一月号(第十九年第一号)の奥付発行日。連作「黒い虹」第一回が掲載された。

□雑誌□「ぷろふいる」新年号(第二巻巻一号)の奥付発行日。「野口男三郎と吹上佐太郎」が掲載された。

 

一月

「悪霊」休載中、麻布区のチェコスロバキア公使館のすぐそばにあった張ホテルが気に入り、誰にも知らせずに半月ほど滞在したが、書いた原稿はものにならなかった。[探偵小説四十年 張ホテルのこと/昭和29年7月]

十年ほど和服ばかり着ていたが、西洋式の生活を送るために洋服が欲しくなり、張ホテル出入りの洋服屋に冬服と外套をつくらせた。[探偵小説四十年 十年ぶりの洋服/昭和29年7月]

《【一月】芝区車町の家の騒音(京浜国道に近く、汽車、自動車、終夜轟々たり)を避け麻布区の「張ホテル」に長期滞在せるも、やはり何も書けず》[探偵小説四十年 昭和九年度の主な出来事/昭和29年7月]

 

一月

《【一月】大阪角座にて梅野井秀男一座、小太夫のとは別の妙な脚色にて「陰獣」を上演す》[探偵小説四十年 昭和九年度の主な出来事/昭和29年7月]

 

二月一日(木

□雑誌□「キング」二月号(第十巻第二号)の奥付発行日。「妖虫」第三回が掲載された。「自作自演の探偵劇」も掲載。

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十四巻第二号)の奥付発行日。「人間豹」第二回が掲載された。

□雑誌□「新青年」二月号(第十五巻第二号)の奥付発行日。「悪霊」を休載。

「編輯だより」でS・U・(上塚貞雄)が乱歩の「原稿〆切に間に合わず」と伝えた。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

□雑誌□「日の出」二月号(第三巻第二号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第二回が掲載された。

 

二月五日(月)

□雑誌□「新青年」春期増刊号(第十五巻第三号)の奥付発行日。「ドレッテ」に就いて」が掲載された。

 

このころか

横溝正史によれば、喀血して病臥していた正史のもとを乱歩が訪れ、「水谷君にはちっともおれの『悪霊』のことを編集後記に書いてくれねェ」、それを水谷準に伝えたところ、「書こうにも書きようがないじゃないか。はたして原稿がくるかどうかわからないじゃないか」、それを乱歩に取り次ぐと、「何とか書きようがありそうなもんだ」といったやりとりがあり、《それで、おれはヒス起こして、やめちまえッと書いた……》[横溝正史、水谷準ほか:男色まで実験した常識人/昭和46年9月]

 

三月一日(木)

□雑誌□「キング」三月号(第十巻第三号)の奥付発行日。「妖虫」を休載。休載告知の「謹告」に四日市方面旅行中に打電した「タビサキニテハツビヨウ」に始まる電文が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十四巻第三号)の奥付発行日。「人間豹」を休載。

□雑誌□「新青年」三月号(第十五巻第三号)の奥付発行日。「悪霊」を休載。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が乱歩の休載を詫び、「御病気である」と伝えた。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

□雑誌□「日の出」三月号(第三巻第三号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」を休載。

 

三月

《【三月】ロンドンの古本屋よりサイモンズの二秘書の再版本を入手す》[探偵小説四十年 昭和九年度の主な出来事/昭和29年7月]

 

四月一日(日)

□雑誌□「キング」四月号(第十巻第四号)の奥付発行日。「妖虫」第四回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」四月号(第二十四巻第四号)の奥付発行日。「人間豹」を休載。

□雑誌□「新青年」四月号(第十五巻第四号)の奥付発行日。「悪霊」の中絶を発表する「『悪霊』についてお詫び」が掲載された。横溝正史の「江戸川乱歩へ」も掲載。

「編輯だより」でJ・M(水谷準)が「悪霊」の中絶を告知した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]

□雑誌□「日の出」四月号(第三巻第四号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第三回が掲載された。

 

五月一日(火)

□雑誌□「キング」五月号(第十巻第五号)の奥付発行日。「妖虫」第五回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十四巻第五号)の奥付発行日。「人間豹」第三回が掲載された。

□雑誌□「新青年」五月号(第十五巻第六号)の奥付発行日。「『猟奇耽異博物館』の驚くべき魅力について──小栗虫太郎君を称うに」が掲載された。

□雑誌□「日の出」五月号(第三巻第五号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第四回が掲載された。

 

五月二日(水)

「槐多『二少年図』」を脱稿。[初出末尾]

 

六月一日(金)

□雑誌□「キング」六月号(第十巻第六号)の奥付発行日。「妖虫」第六回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」六月号(第二十四巻第六号)の奥付発行日。「人間豹」第四回が掲載された。

□雑誌□「日の出」六月号(第三巻第六号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第五回が掲載された。

□雑誌□「文体」六月号(第二巻第六号)の奥付発行日。「槐多『二少年図』」が掲載された。

 

七月一日(日)

□雑誌□「キング」七月号(第十巻第七号)の奥付発行日。「妖虫」第七回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」七月号(第二十四巻第七号)の奥付発行日。「人間豹」第五回が掲載された。

□雑誌□「日の出」七月号(第三巻第七号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第六回が掲載された。

 

七月

東京市芝区車町から豊島区池袋三丁目一六二六に転居した。家族は、きく、隆子、隆太郎。ほかに女中がいた。車町の家は騒音のせいで安眠できず、神経衰弱となったうえ、前年三月から四月にかけて手術した鼻茸が一年でまた悪化したため、六月十六日には「東京日日新聞」のコラム「蝸牛の視覚」で三上於菟吉から連載中の長篇を批判され、「邁進」を促されるほどの無気力状態に陥っていた。[貼雑年譜]

車町の家で一年ほど辛抱し、二か月ほど借家を物色して池袋三丁目の家を見つけた。土蔵が気に入って、数年間は土蔵を書斎として使用した。[探偵小説四十年 池袋三丁目に移転/昭和29年7月]

《【七月】車町の家の騒音に耐えかね二カ月ほど借家探しをしたる末、池袋三丁目の家を見つけ転宅す》[探偵小説四十年 昭和九年度の主な出来事/昭和29年7月]

 

このころ

池袋三丁目に転居してまもなく、「中央公論」からの原稿依頼が激しくなった。熱心な依頼をありがたく思い、力作を書いてみたいという気になって応諾し、日ごろにない気力が出て一か月ほどで「石榴」を書いた。[探偵小説四十年 中央公論の「石榴」/昭和29年7月、8月]

 

七月

横溝正史が長野県諏訪郡上諏訪町に転居し、闘病生活に入った。この年春、水谷準らから一年間の執筆禁止と転地療養を勧告されていた。[横溝正史:途切れ途切れの記(七)/昭和45年7月]

 

八月一日(水)

□雑誌□「キング」八月号(第十巻第八号)の奥付発行日。「妖虫」第八回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」八月特大号(第二十四巻第八号)の奥付発行日。「人間豹」第六回が掲載された。

□雑誌□「日の出」八月号(第三巻第八号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第七回が掲載された。

 

八月五日(日)

□雑誌□「週刊朝日」にE・F・G「作家と語る」第八回として「薄暗い仕事場と赤い錦絵の蒐集 江戸川乱歩の巻」が掲載された。[探偵小説四十年 池袋三丁目に移転/昭和29年7月]

 

八月十七日(金)

□新聞□「東京日日新聞」に高田保の「文壇夏すがた」第十一回として「江戸川乱歩」が掲載された。

高田保が写真班をつれて土蔵を見に訪れ、記事にした。[探偵小説四十年 池袋三丁目に移転/昭和29年7月]

 

八月

《【八月】「中央公論」九月号に「石榴」を発表す》[探偵小説四十年 昭和九年度の主な出来事/昭和29年7月]

「柘榴」の悪評と無反響によって自信を失い、自分の時代が去っていることをはっきり悟った。[貼雑年譜]

 

九月一日(土)

□雑誌□「キング」九月号(第十巻第九号)の奥付発行日。「妖虫」第九回が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第二十四巻第九号)の奥付発行日。「人間豹」第七回が掲載された。

□雑誌□「中央公論」九月号(第四十九年第十号)の奥付発行日。「柘榴」が掲載された。

□雑誌□「日の出」九月号(第三巻第九号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第八回が掲載された。口絵に「江戸川乱歩氏の新居の夕涼み」が掲載された。[探偵小説四十年 池袋三丁目に移転/昭和29年7月]

 

十月一日(月)

□雑誌□「キング」十月号(第十巻第十号)の奥付発行日。「妖虫」第十回が掲載され、完結。

□雑誌□「講談倶楽部」十月特大号(第二十四巻第十号)の奥付発行日。「人間豹」第八回が掲載された。

□雑誌□「日の出」十月号(第三巻第十号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第九回が掲載された。

 

十一月一日(木)

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第二十四巻第十一号)の奥付発行日。「人間豹」第九回が掲載された。

□雑誌□「新青年」十一月号(第十五巻第十三号)の奥付発行日。「本格探偵小説の二つの変種について──クロフツのこと、小栗虫太郎のこと」が掲載された。

□雑誌□「日の出」十一月号(第三巻第十一号)の奥付発行日。「黒蜥蜴」第十回が掲載され、完結。

 

十一月五日(月)

□新聞□「東京日日新聞」に「瞬きする首」が掲載された。

 

十二月一日(土)

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第二十四巻第十二号)の奥付発行日。「人間豹」第十回が掲載された。

□雑誌□「文芸通信」十二月号(第二巻第十二号)の奥付発行日。「探偵小説界の前途」が掲載された。

 

 

十二月二十四日(月)

□書籍□『黒蜥蜴・妖虫』の奥付発行日。新潮社から出版された。

 

[2012年10月20日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和9年●1934 昭和11年●1936

 

昭和十年(一九三五)

 

年齢:四十歳→四十一歳、数え年四十二歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

小栗、木々の登場【昭和九・十年度】

昭和十年の主な出来事

「ドグラ・マグラ」出版記念会

「探偵文学」江戸川乱歩号

小栗虫太郎と木々高太郎

「ぷろふいる」誌の情熱

日本探偵小説第二の山

蓄膿症を手術

鬼の言葉

日本探偵小説傑作集

世界探偵小説傑作叢書

蒼井雄「船富家の惨劇」

世界文芸大辞典

浜尾四郎

 

一月一日(火)

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十五巻第一号)の奥付発行日。「人間豹」第十一回が掲載された。

□雑誌□「新青年」新年特大号(第十六巻第一号)の奥付発行日。「ホイットマンの話」が掲載された。

□雑誌□「ぶろふいる」新年号(第三巻第一号)の奥付発行日。「『探偵小説の鬼』その他」が掲載された。

 

一月二十日(日)

□書籍□乱歩傑作選集第一巻『黄金仮面』の奥付発行日。平凡社から出版された。

《【一月】平凡社「江戸川乱歩全集」の改題改装版「乱歩傑作選集」を出版》

 

一月二十六日(土)

午後六時からレインボー・グリルで夢野久作の『ドグラ・マグラ』出版記念会が開かれ、出席。[探偵小説四十年 「ドグラ・マグラ」出版記念会/昭和29年9月]

《【一月】夢野久作君『ドグラ・マグラ』出版記念会》

 

一月末

名古屋の井上良夫から初めて手紙が届き、探偵小説の感想を長い手紙でやりとりするようになった。井上からフィルポッツ『レッド・レドメインズ』を借覧し、英米の長編探偵小説を物色して読み始めた。[探偵小説愛読記/昭和10年5月]

 

二月一日(金)

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十五巻第二号)の奥付発行日。「人間豹」第十二回が掲載された。

 

二月十六日(土)

□書籍□乱歩傑作選集第二巻『蜘蛛男』の奥付発行日。

 

三月一日(金)

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十五巻第三号)の奥付発行日。「人間豹」第十三回が掲載された。

 

三月五日(火)

□書籍□乱歩傑作選集第三巻『白髪鬼』の奥付発行日。

 

三月七日(木)

「探偵文学」第一巻第一号の奥付発行日。探偵文学社から発行された。第一巻第九号から第二巻第三号までは学芸書院、第二巻第四号から第六号までは古今荘内探偵文学編輯部、第二巻第七号から第十二号までは古今荘が発行し、第三巻第一号から第三号までは「シュピオ」として古今荘から発行された。

《【二月】「探偵文学」三月号より創刊。十一年十二月号にて廃刊、「シュピオ」に転身す》

 

三月二十八日(木)

「探偵小説愛読記」を脱稿。[初出末尾]

 

四月一日(月)

□雑誌□「講談倶楽部」四月特大号(第二十五巻第四号)の奥付発行日。「人間豹」第十四回が掲載された。

 

四月三日(水)

□書籍□乱歩傑作選集第四巻『一寸法師』の奥付発行日。

□雑誌□「探偵文学」五月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「江戸川乱歩号」として特集が組まれた。「探偵小説愛読記」が掲載された。[探偵小説四十年 「探偵文学」江戸川乱歩号/昭和29年9月]

《【四月】》「探偵文学」五月号を「江戸川乱歩号」として発行。

 

四月四日(木)

小栗虫太郎『白蟻』の「推讃」を脱稿。[初出末尾]

 

四月七日(日)

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』の「序」を脱稿。[初出末尾]

 

四月三十日(火)

□新聞□「読売新聞」に「『奇蹟の処女』を薦む──宇陀児の作風を評して」が掲載された。

 

四月

天皇機関説を唱えた美濃部達吉の『憲法撮要』などが発禁処分を受けた。

《【四月】》(美濃部博士の憲法論発禁処分を受く)

 

五月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十五巻第五号)の奥付発行日。「人間豹」第十五回が掲載され、完結。

 

五月三日(金)

□書籍□新作探偵小説全集第一巻『蠢く触手』の奥付発行日。新潮社から出版された。

 

五月七日(火)

□書籍□乱歩傑作選集第五巻『吸血鬼』の奥付発行日。

 

五月二十一日(火)

神田のニコライ堂そばの小野耳鼻科医院に入院、蓄膿症の手術を受けた。[探偵小説四十年 蓄膿症を手術/昭和29年12月]

《【五月】二十一日、駿河台小野病院に入院、左右上顎の蓄膿症手術を受け、六月十五日退院す》

 

六月一日(土)

□書籍□乱歩傑作選集第六巻『闇に蠢く』の奥付発行日。

 

六月十日(月)

□書籍□『人間豹 』の奥付発行日。松柏館書店から出版された。

 

六月十五日(土)

小野耳鼻科医院を退院。

 

六月二十九日(土)

牧逸馬が死去。三十五歳。

《【六月】二十九日、牧逸馬(林不忘)歿す》

 

六月三十日(日)

□書籍□乱歩傑作選集第七巻『陰獣』の奥付発行日。

 

七月

隆子の母が死去し、三重県志摩郡坂手村で営まれた葬儀に夫婦で列席。[貼雑年譜]

 

夏ごろ

木々高太郎が海野十三と連れ立って初めて来訪し、「石榴」を面白く読んだと述べた。[探偵小説四十年 中央公論の「石榴」/昭和29年7月、8月]

 

夏ごろ

須藤憲三によれば、講談社の野間清治社長を囲む有力寄稿家の懇親会、交談会が東京会館で開かれ、その席で初めて会った乱歩に「少年倶楽部」への執筆を依頼した。乱歩は驚きながらも、興味を抱いた様子だった。「少年倶楽部」新年号のプランは、六月に原案がまとめられ、七月の中会議、八月下旬から九月初旬にかけての大会議を経て決定されることになっていたが、須藤は中会議で了解をとりつけたあと、交談会に臨んでいた。数日後、自宅を訪問すると、乱歩はすでに書く気になっていて、編集部との話し合いも支障なく進んだ。[須藤憲三:乱歩先生の「少年もの」/昭和44年11月]

 

八月十六日(金)

□書籍□乱歩傑作選集第八巻『魔術師』 の奥付発行日。

 

八月十八日(日)

□新聞□「読売新聞」に「郷愁としてのグロテスク」が掲載された。

 

九月一日(日)

□雑誌□「ぷろふいる」九月号(第三巻第九号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第一回が掲載された。連載は翌年五月まで。

 

九月二日(月)

□書籍□乱歩傑作選集第九巻『盲獣』の奥付発行日。

 

九月二十二日(日)

□書籍□『日本探偵小説傑作集』の奥付発行日。編纂を担当し、「はしがき」と「日本の探偵小説」を執筆、「心理試験」が収録され、春秋社から出版された。

六月に蓄膿症手術で入院する少し前、来訪してきた大下宇陀児に、ヴァン・ダインやセイヤーズが編んだ傑作集を示して、日本にもこうした傑作集が出てもいいころではないか、と話したことがきっかけで出版されることになった。[探偵小説四十年 日本探偵小説傑作集/昭和29年12月]

《【九月】「日本探偵小説傑作集」を編纂、春秋社より出版》

 

九月二十七日(金)

□新聞□「読売新聞」に「探偵小説壇の新なる情熱」第一回が掲載された。三回分載で、二十九日に完結。

 

十月一日(火)

□雑誌□「改造」十月号(第十七巻第十号)の奥付発行日。「日本探偵小説の多様性について」が掲載された。

□雑誌□「新青年」十月特大号(第十六巻第十二号)の奥付発行日。「ハアリヒの方向」が掲載された。

□雑誌□「探偵文学」十月号(第一巻第七号)《小栗虫太郎号》の奥付発行日。「鬼の経営する病院」が掲載された。

□雑誌□「中央公論」五十周年記念特大号(第五十年第十号)の奥付発行日。「群集の中のロビンソン・クルウソウ」が掲載された。

□雑誌□「ぷろふいる」十月号(第三巻第十号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第二回が掲載された。

 

十月四日(金)

□書籍□乱歩傑作選集第十巻『孤島の鬼』の奥付発行日。

 

十月二十日(日)

柳香書院「世界名作探偵全集」第一巻『赤毛のレドメイン一家』の奥付発行日。

柳香書院主人の勧めにより、森下雨村と共同で監修したが、全三十巻のうち五巻を出版しただけで中絶した。[探偵小説四十年 世界探偵小説傑作叢書/昭和29年12月号]

《【十月】柳香書院「世界探偵叢書」を森下雨村氏と共同監修す》

 

十月二十五日(金)

□書籍□『石榴』の奥付発行日。柳香書院から出版された。

自作の純探偵小説を代表する「石榴」「陰獣」「心理試験」を収め、装幀なども贅沢で、著書のうちでもっとも気に入っている。[探偵小説四十年 中央公論の「石榴」/昭和29年7月、8月]

 

十月二十九日(火)

浜尾四郎が脳溢血で死去。三十九歳。

《【十月】》二十九日、浜尾四郎歿す。春秋社より遺稿随筆集出版のことに尽力す。

 

十一月一日(金)

□雑誌□「ぷろふいる」十一月号(第三巻第十一号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第三回が掲載された。

 

十一月二十二日(金)

□書籍□乱歩傑作選集第十一巻『猟奇の果』の奥付発行日。

 

 

十二月一日(日)

□雑誌□「ぷろふいる」十二月号(第三巻第十二号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第四回が掲載された。

□雑誌□「文芸通信」十二月号(第三巻第十二号)の奥付発行日。「探偵小説界への希望」が掲載された。

「月刊探偵」第一巻第一号の奥付発行日。黒白書房から発行された。第二巻第六号を最後に廃刊。

《【十一月】「月刊探偵」十二月号より創刊。(十一年七月終刊)》

 

十二月三日(火)

□雑誌□「東京日日新聞」に「幻影の城主」が掲載された。二回分載で、四日に完結。

 

十二月五日(木)

□書籍□乱歩傑作選集第十二巻『湖畔亭事件』の奥付発行日。

 

十二月八日(日)

午後七時三十分からラジオ第二放送で「放送作家座談会」が放送され、甲賀三郎、大下宇陀児、森下雨村、海野十三、水谷準、夢野久作、木々高太郎、延原県と出演。[貼雑年譜]

《【十二月】探偵作家座談会放送》

 

十二月

一人で九州旅行に出かけた。[探偵小説四十年 意気あがらず/昭和30年2月]

 

[2012年10月28日]

江戸川乱歩年譜集成

昭和10年●1935 昭和12年●1937

 

昭和十一年(一九三六)

 

年齢:四十一歳→四十二歳、数え年四十三歳

住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六

 

□探偵小説四十年:細目□

甲賀、木々論争【昭和十一・十二年度】

昭和十一年度の主な出来事

意気あがらず

夢野久作

そのころの批評

現代日本小説全集

初めての少年もの

この年の評論と随筆

 

一月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十六巻第一号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第一回が掲載された。連載は翌年二月まで。

□雑誌□「少年倶楽部」新年特大号(第二十三巻第一号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第一回が掲載された。連載は十二月まで。

 以前から依頼されていた少年ものを書き始めた。雑誌からの依頼が減っていたところへ、「少年倶楽部」から強く依頼されたことがきっかけとなった。[探偵小説四十年 初めての少年もの/昭和30年3月、4月]

 《今年度ヨリ当方ヨリ希望シテ少年物ヲ書ク》[貼雑年譜]

□雑誌□「ぷろふいる」一月号(第四巻第一号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第五回が掲載された。「浜尾氏のこと」も掲載。

 

一月

前年十二月からの旅行で九州を一周した。博多、熊本、長崎、鹿児島、別府などを回った。[探偵小説四十年 意気あがらず/昭和30年2月]

《【一月】前年末より一月半ばまで九州一周旅行》

 

二月一日(土)

□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十六巻第二号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第二回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」二月特大号(第二十三巻第二号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第二回が掲載された。

□雑誌□「ぷろふいる」二月号(第四巻第二号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第六回が掲載された。

 

二月二十六日(水)

陸軍の皇道派青年将校によるクーデターが発生。翌日、東京市に戒厳令が敷かれ、二十九日に鎮圧された。

 自由主義、個人主義が没落し、唯美主義が消えてなくなる時代が始まったことを実感し、意気阻喪した。[探偵小説四十年 意気あがらず/昭和30年2月]

《【二月】(二・二六事件起る)》

 

三月一日(日)

□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十六巻第三号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第三回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」三月号(第二十三巻第三号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第三回が掲載された。

 

三月十一日(水)

夢野久作が脳溢血で死去。四十七歳。

《【三月】十一日、夢野久作君死す。大下君と共に同君の全集出版のことに尽力す》

 

四月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」四月号(第二十六巻第四号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第四回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」四月特大号(第二十三巻第四号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第四回が掲載された。

□雑誌□「文芸通信」四月号(第四巻第四号)の奥付発行日。「夢野久作を悼む」が掲載された。

 

四月二十八日(火)

午後六時から京橋区の明治ビル六階で開かれた夢野久作全集刊行記念祝賀会に出席。発起人に名を連ねた。[探偵小説四十年 意気あがらず/昭和30年2月]

《【四月】》夢野久作全集出版祝賀会を催す。

 

四月三十日(木)

□新聞□「都新聞」に「夢声氏の声──『黄金虫』を聴く」が掲載された。

 

五月一日(金)

□雑誌□「月刊探偵」五月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「故人の二つの仕合せ」が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十六巻第五号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第五回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」五月号(第二十三巻第五号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第五回が掲載された。

□雑誌□「探偵文学」五月号(第二巻第五号)の奥付発行日。「夢野君余談」が掲載された。

□雑誌□「ぷろふいる」五月号(第四巻第五号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第七回が掲載され、完結。

 

五月二十日(水)

□書籍□『鬼の言葉』の奥付発行日。春秋社から出版された。

《【五月】初めての評論集「鬼の言葉」を出版す》

 

五月

レストラン・エー・ワンで開かれた大阪圭吉の『死の快走船』出版記念会に出席。[探偵小説四十年 大阪圭吉/昭和32年4月]

 

六月一日(月)

□雑誌□「講談倶楽部」六月号(第二十六巻第七号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第六回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」六月号(第二十三巻第六号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第六回が掲載された。

 

六月三日(水)

午後六時から京橋区西銀座八丁目のエーワン亭で開かれた大阪圭吉『死の快走船』の刊行記念祝賀会に出席。発起人に名を連ねた。[探偵小説四十年 意気あがらず/昭和30年2月]

《【六月】大阪圭吉君出版記念会あり》

 

七月一日(水)

□雑誌□「講談倶楽部」七月号(第二十六巻第八号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」を休載。

□雑誌□「少年倶楽部」七月号(第二十三巻第七号)の奥付発行日。「怪人二十面相」を休載。

□雑誌□「ホーム・ライフ」七月号(第二巻第七号)の奥付発行日。「レンズ嗜好症」第七回が掲載された。

「月刊探偵」七月号(第二巻第六号)の奥付発行日。この号を最後に廃刊となった。

《【六月】「月刊探偵」七月号にて廃刊》

 

七月二十四日(金)

日比谷、三信ビルの東洋軒で海野十三『深夜の市長』出版記念会が開かれ、出席。

《【七月】二十四日、三宿ビルの東洋軒にて海野十三君の出版記念会あり。当時の探偵作家と海野君の専門の工学畑の人々顔を揃え、盛会であった》

 

八月一日(土)

□雑誌□「講談倶楽部」八月特大号(第二十六巻第九号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第七回が掲載された。「観客射殺事件」も掲載。

□雑誌□「少年倶楽部」八月特大号(第二十三巻第八号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第七回が掲載された。

 

八月十日(月)

□雑誌□「新評論」八月号の奥付発行日。「探偵小説の意欲」が掲載された。

 

八月十七日(月)

□書籍□『世界文芸大辞典第三巻』の奥付発行日。中央公論社から出版され、「クリスティー」「グリーン(アンナ・キャザリン)」「黒岩涙香」「クロフツ」を執筆した。

 

九月一日(火)

□雑誌□「講談倶楽部」九月号(第二十六巻第十号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第八回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」九月号(第二十三巻第十号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第八回が掲載された。

□雑誌□「新青年」九月号(第十七巻第十一号)の奥付発行日。「残虐への郷愁」が掲載された。

□雑誌□「文藝春秋」九月号(第十四巻第九号)の奥付発行日。「衆道もくず塚」が掲載された。

 

十月一日(木)

□雑誌□「現代」十月号(第十七巻第十号)の奥付発行日。附録「文壇大家花形の自叙伝」に「活字と僕と──年少の読者に贈る」が掲載された。

□雑誌□「講談倶楽部」十月号(第二十六巻第十二号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第九回が掲載された。「吉川君と決戦す」も掲載。

□雑誌□「少年倶楽部」十月号(第二十三巻第十一号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第九回が掲載された。

□雑誌□「探偵春秋」創刊号(第一巻第一号)の奥付発行日。「蔵の中から」第一回が掲載された。連載は翌年六月まで。

《【九月】「探偵春秋」十月号より創刊》

□雑誌□「探偵文学」十月号(第二巻第十号)の奥付発行日。「処女作の事」が掲載された。

 

十一月一日(日)

□雑誌□「講談倶楽部」十一月号(第二十六巻第十三号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第十回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十一月号(第二十三巻第十二号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第十回が掲載された。

□雑誌□「探偵春秋」十一月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「蔵の中から」第二回が掲載された。

□雑誌□「とっぷ」十一月号(第十号)の奥付発行日。「ビイ玉」が掲載された。

 

十二月一日(火)

□雑誌□「キング」十二月号(第十二巻第十四号)の奥付発行日。「大暗室」第一回が掲載された。連載は翌々年六月まで。「駄菓子」も掲載。

□雑誌□「講談倶楽部」十二月号(第二十六巻第十四号)の奥付発行日。「緑衣の鬼」第十一回が掲載された。

□雑誌□「少年倶楽部」十二月号(第二十三巻第十三号)の奥付発行日。「怪人二十面相」第十一回が掲載され、完結。

□雑誌□「探偵春秋」十二月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「蔵の中から」第三回が掲載された。

□雑誌□「ぶろふいる」十二月号(第四巻第十二号)の奥付発行日。「彼」第一回が掲載された。連載は翌年四月まで。

 アンドレ・ジイドの「一粒の麦もし死なずば」を読み、自己研究を試みたいと思っているところへ、「ぶろふいる」から随筆の連載を依頼され、「彼」を書いたが、幼年期性欲に関するエピソードを書くことに恥ずかしさをおぼえ、雑誌の廃刊とともに中絶した。[探偵小説四十年 この年の随筆と評論/昭和30年2月]

「探偵文学」十二月号(第二巻第十二号)の奥付発行日。この号を最後に廃刊となり、巻号数を継承して翌年一月、「シュピオ」が創刊される。

《【十一月】「探偵文学」十二月号にて廃刊》

 

十二月五日(土)

□書籍□『世界文芸大辞典第四巻』の奥付発行日。中央公論社から出版され、「セイヤーズ」「探偵小説」を執筆した。附録「世界文芸」第六号に「サイモンズ、カーペンター、ジード」を執筆。

 

十二月二十九日(火)

□書籍□『怪人二十面相』の奥付発行日。大日本雄弁会講談社から出版された。

 

[2012年11月10日]

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