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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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江戸川乱歩年譜集成

大正14年●1925(下半期) 昭和2年●1927

 

大正十五年・昭和元年(一九二六)

 

年齢:三十一歳→三十二歳、数え年三十三歳

住居:大阪府北河内郡守口町外島六九四番地

→東京都牛込区筑土八幡町三二番地

 

一月一日(金)

□雑誌□「苦楽」新年特別号(第五巻第一号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第一回が掲載された。連載は十一月号まで。

□雑誌□「新青年」新年増大号(第七巻第一号)の奥付発行日。「踊る一寸法師」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」正月号(第二年第一号)の奥付発行日。「ある恐怖」「情死」とアンケート「『探偵趣味』問答」の回答が掲載された。

□雑誌□「探偵文芸」一月号(第二巻第一号)の奥付発行日。「毒草」が掲載された。

□雑誌□「婦人の国」新年特大号(第二巻第一号)の奥付発行日。「覆面の舞踏者」第一回が掲載された。連載は二月号まで。

□書籍□『屋根裏の散歩者』の奥付発行日。春陽堂から「創作探偵小説集」第二巻として出版された。

 

一月三日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第二号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第一回が掲載された。連載は五月まで。

 

一月五日(火)

□雑誌□「写真報知」第四巻第一号の奥付発行日。「二人の探偵小説家」第一回が掲載された。連載は二月まで。

 

一月十日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第三号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第二回が掲載された。

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

一月十五日(金)

□雑誌□「写真報知」第四巻第二号の奥付発行日。「二人の探偵小説家」第二回が掲載された。

 

一月十七日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第四号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第三回が掲載された。

 

このころ

大阪府北河内郡守口町から東京市牛込区筑土八幡町三二番地に転居。家族を先に移転させ、守口町の家に一人残って急な原稿を書き終えてから、一月中旬に上京した。上京の途次、名古屋の小酒井不木を訪問。名古屋駅の待合室で置き引きに遭った。タクシーで小酒井邸に行き、タクシー代を立て替えてもらったうえ、上京の費用も借用した。家族は、きく、玉子、隆、隆太郎。雑誌社からの原稿依頼で千客万来となったが、創作力の枯渇を覚え、注文の大部分は断らなければならなかった。昭和二年三月までこの家に住んだ。[探偵小説四十年 名古屋と東京への旅/昭和25年4月 東京に転宅/昭和26年8月][貼雑年譜]

 

一月二十四日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第五号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第四回が掲載された。

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

一月二十五日(月)

□雑誌□「写真報知」第四巻第三号の奥付発行日。「二人の探偵小説家」第三回が掲載された。

 

一月三十一日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第六号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第五回が掲載された。

 

二月一日(月)

□雑誌□「苦楽」二月号(第五巻第二号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第二回が掲載された。

□雑誌□「大衆文芸」二月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「探偵小説は大衆文芸家」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」二月号(第二年第二号)の奥付発行日。「宇野浩二式」が掲載された。

□雑誌□「婦人の国」二月号(第二巻第二号)の奥付発行日。「覆面の舞踏者」第二回が掲載され、完結。

 

二月七日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第七号の奥付発行日。「湖畔亭事件」を休載。

 

二月八日(月)

□書籍□探偵趣味の会編『創作探偵小説選集』の奥付発行日。春陽堂から出版され、「心理試験」と「選集縁起」が収録された。

 

二月十四日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第八号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第六回が掲載される。

 

二月十五日(月)

□雑誌□「写真報知」第四巻第五号の奥付発行日。「二人の探偵小説家」第四回が掲載され、この回で中絶。

 

二月二十一日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第九号の奥付発行日。「湖畔亭事件」を休載。

 

二月二十四日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月二十五日(木)

博文館社長の長谷川天渓に招待され、「新青年」に連載する合作小説について相談。ほかに森下雨村、甲賀三郎、平林初之輔、神部正次が同席。[子不語の夢:乱歩書簡 二月二十五日]

□書簡□小酒井不木に封書。[子不語の夢]

 

二月二十七日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月二十八日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第十号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第七回が掲載される。

 

このころか

春まだ寒いころ、橋爪健から手紙が届いた。江戸川乱歩論を執筆することになったので一度会いたいと乞われ、光栄に思って快諾すると、橋爪は家まで訪ねてきた。[探偵小説四十年 橋爪健の乱歩論/昭和27年2月]

 

三月一日(月)

□雑誌□「演劇・映画」三月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「半七劇素人評」が掲載された。

□雑誌□「苦楽」三月号(第五巻第三号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第三回が掲載された。

□雑誌□「大衆文芸」三月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「灰神楽」が掲載された。

□雑誌□「中央公論」三月号(第四十一年第三号)の奥付発行日。「荒唐無稽」が掲載された。

 

三月七日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第十一号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第八回が掲載された。

 

三月十四日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第十二号の奥付発行日。「湖畔亭事件」を休載。四月十一日号まで休載をつづけ、十八日号から再開。

 

三月三十日(火)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

四月一日(木)

□雑誌□「映画と探偵」四月号(第二巻第三号)の奥付発行日。「映画横好き」が掲載された。

□雑誌□「苦楽」四月号(第五巻第四号)の奥付発行日。「闇に蠢く」を休載。

□雑誌□「新青年」四月特別増大号(第七巻第五号)の奥付発行日。「火星の運河」が掲載された。

□雑誌□「大衆文芸」四月号(第一巻第四号)の奥付発行日。「探偵叢話」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」四月号(第二年第四号)の奥付発行日。「病中偶感」と「薄毛の弁」が掲載された。

□雑誌□「婦人の国」四月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「墓場の秘密」が掲載された。

□雑誌□「不同調」四月特大号(第二巻第四号)の奥付発行日。「たね二三」が掲載された。

□雑誌□「文藝春秋」四月特別号(第四年第四号)の奥付発行日。「一人一語」が掲載された。

 

このころ

「湖畔亭事件」の休載がつづき、電報では埒が明かないと判断した「サンデー毎日」編集長の渡辺均が、大阪から原稿催促のため上京してきた。[探偵小説四十年 三つの連載長篇/昭和26年7月、上京後の惨状/昭和26年8月]

 

四月十八日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第十八号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第九回が掲載された。

 

四月二十五日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第十九号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第十回が掲載された。

□雑誌□「文芸時報」に「日本人の探偵趣味」が掲載された。

 

四月

モスクワの対外文化連絡局が「日本文学の夕」を開催、東洋語学院のニコライ・キン教授が「現代の日本文学」という題で講演し、大衆文学の興隆と乱歩作品の面白さを紹介した。[探偵小説四十年 ソ連作家キム/昭和27年7月]

 

五月一日(土)

□雑誌□「苦楽」五月号(第五巻第五号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第四回が掲載された。

□雑誌□「新青年」五月号(第七巻第六号)の奥付発行日。合作「五階の窓」の第一回が掲載された。

□雑誌□「新小説」五月号(第三十一巻第五号)の奥付発行日。橋爪健「現代作家素描」の第四回「江戸川乱歩論」が掲載された。

*「現代作家素描」は、一月号「谷崎潤一郎論」、二月号「菊池寛論」、三月号「今東光論」、四月号休載、五月号まで。

□雑誌□「探偵趣味」五月号(第二年第五号)の奥付発行日。「二銭銅貨」が掲載された。

□雑誌□「婦人画報」五月号(第二百四十八号)の奥付発行日。「錯誤の話」が掲載された。

 

五月二日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第五年第二十号の奥付発行日。「湖畔亭事件」第十一回が掲載され、完結。

 

五月三十日(日)

□新聞□「読売新聞」にアンケート回答が掲載された。

 

五月三十一日(月)

大阪放送局一周年記念放送の四日目に「探偵趣味の話」を講演。[探偵小説四十年 大正十五(昭和元)年度の主な出来事/昭和26年7月][貼雑年譜]

 

六月一日(火)

□雑誌□「苦楽」六月号(第五巻第六号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第五回が掲載された。

□雑誌□「新小説」六月号(第三十一年第六号)の奥付発行日。「モノグラム」が掲載された。

□雑誌□「新青年」六月号(第七巻第七号)の奥付発行日。「当選作所感」と「『遺書』を推す」が掲載された。

□雑誌□「大衆文芸」六月号(第一巻第六号)の奥付発行日。「私の探偵趣味」が掲載された。

□雑誌□「文芸道」六月号(第一巻第四号)の奥付発行日。「精神分析学と探偵小説」が掲載された。

□雑誌□「文章往来」六月号(第一年第六号)の奥付発行日。「映画いろいろ」が掲載された。

 

六月

ラジオ出演のため大阪を訪れたついでに、神戸の横溝正史を訪ね、深夜の元町通りを放歌高吟して歩いた。[大正十五(昭和元)年度の主な出来事/昭和26年7月]

 

六月十一日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

六月十五日(火)

□書籍□二十一日会編『大衆文芸傑作選集』の奥付発行日。至玄社から出版され、「人間椅子」が収録された。

 

七月一日(木)

□雑誌□「苦楽」七月号(第五巻第七号)の奥付発行日。「闇に蠢く」を休載。

□雑誌□「大衆文芸」七月号(第一巻第七号)の奥付発行日。「お勢登場」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」七月号(第二年第七号)の奥付発行日。「お化人形」が掲載された。

□雑誌□「中央公論」七月号(第四十一年第七号)の奥付発行日。「発生上の意義丈けを」が掲載された。

 

このころ

「苦楽」編集部の指方龍二が大阪から原稿催促のため上京してきたが、それより早く伊豆の温泉に逃げ出し、旅館を転々として行方をくらました。[探偵小説四十年 宇野浩二/昭和25年5月、6月 上京後の惨状/昭和26年8月]

 

七月

神戸の横溝正史を映画制作にかこつけ、「トモカクスグコイ」と電報を打って東京へ呼び出した。正史はそのまま東京に住み、博文館に勤務、「新青年」の編集に携わった。[横溝正史:散歩の事から/昭和2年4月][横溝正史:ノンキな話/昭和41年6月]

 

八月一日(日)

□雑誌□「苦楽」八月号(第五巻第八号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第六回が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」八月号(第二年第八号)の奥付発行日。「旅順開戦館」が掲載された。

□雑誌□「婦人公論」八月号(第十一年第八号)の奥付発行日。「声の恐怖」が掲載された。

□雑誌□「不同調」八月号(第三巻第二号)の奥付発行日。「大衆作家の観た通俗小説」が掲載された。

□雑誌□「科学画報」八月銷夏号(第七巻第二号)の奥付発行日。読者の投稿に専門家が答える「研究室大会(質問回答)」に「問(鏡張りの大きな球形の室)」が掲載され、福岡県立鞍手中学校、安河内五郎の質問に東京女子高等師範学校教授、藤村信次が回答した。

 

このころ

夏、「科学画報」に掲載された質疑応答欄から着想を得て、「鏡地獄」を脱稿。一夜で書きあげ、翌朝訪ねてきた水谷準に朗読して聞かせたが、水谷の感想が思わしいものではなかったため落胆した。[探偵小説四十年 この年の短篇作/昭和26年8月]

 

八月十三日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

八月十五日(日)

□新聞□「大阪朝日新聞」に「今一つの世界」が掲載された。

 

夏の終わりか秋の初め

原稿の催促を逃れる旅から帰り、まだ旅行中ということにして自宅の二階で寝ていたところ、宇野浩二が訪ねてきた。隆が取り次いだが、合わせる顔がなく、居留守をつかわせた。[探偵小説四十年 宇野浩二/昭和25年5月、6月]

 

九月一日(水)

□雑誌□「映画時代」九月号(第一巻第三号)の奥付発行日。「探偵映画其他」が掲載された。

□雑誌□「苦楽」九月号(第五巻第九号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第七回が掲載された。

□雑誌□「新青年」九月号(第七巻第十一号)の奥付発行日。「浅草趣味」と「近来の珍味」が掲載された。

□雑誌□「大衆文芸」九月号(第一巻第九号)の奥付発行日。「乱歩打開け話」が掲載された。

 

九月十日(金)

喜多村緑郎が乱歩を訪問、しばらく話した。《痩せて神経質であるやうに思つた予想は裏切られて、肥つたまあ好い男だが、やゝむくんでゐるやうな血色の少し悪いやうに思はせられる》[喜多村緑郎:喜多村緑郎日記/昭和37年5月]

□雑誌□「早稲田学報」九月号(第三百七十九号)の奥付発行日。「探偵趣味」が掲載された。

 

九月十五日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

九月十六日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

九月二十四日(金)

探偵趣味の会が午後二時からレーンボーグリルで出版記念会を開催。乱歩、甲賀三郎、横溝正史、延原謙が祝福された。午後四時からは読売新聞社講堂で同会主催の「講演・映画・演劇の夕べ」が開かれ、平林初之輔と甲賀三郎が講演、映画「極楽突進」「罪と罰」を上映し、探偵劇「ユリエ殺し」を上演。探偵劇に警官の姿で出演し、閉会の辞を述べた。[探偵小説四十年 最初の出版記念会と探偵寸劇/昭和26年10月][横溝正史:「ユリエ殺し」の記/大正15年12月]

 

九月二十六日(日)

□書籍□『湖畔亭事件』の奥付発行日。春陽堂から「創作探偵小説集」第四巻として出版された。

 

九月二十七日(月)

夕方、外出のため玄関に出ると、「報知新聞」の夕刊が配達されていた。八月二十日に発生し、犯人が逃走をつづけていた鬼熊事件の記事が掲載されていて、探偵趣味の会が千葉県の現場に乗り込み、解決を目指すと報じられていたが、森下雨村が冗談半分に話したことが大きく取り扱われたものだった。これ以降、大きな犯罪が起きると新聞が探偵作家の意見を掲載するようになった。[探偵小説四十年 鬼熊事件/昭和26年11月]

夜、銀座のやまとで開かれた探偵趣味の会の慰労会に出席。[新青年:編輯局より/大正15年12月]

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

九月三十日(木)

赤坂の紅葉で開かれた座談会に出席。甲賀三郎、横溝正史、延原謙、高田義一郎、森下雨村、大下宇陀児、川田功、平林初之輔、新居格、金子準二(警視庁鑑識課技師)と鬼熊事件について話した。「東京毎夕新聞」文芸部が主催し、十月三日付文芸欄に掲載された。[探偵小説四十年 鬼熊事件/昭和26年11月]

 

十月一日(金)

□雑誌□「苦楽」十月号(第五巻第十号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第八回が掲載された。

□雑誌□「サンデー毎日」秋季特別号「小説と講談」(第五年第四十三号)の奥付発行日。「人でなしの恋」が掲載された。

□雑誌□「新青年」十月特別増大号(第七巻第十二号)の奥付発行日。「パノラマ島奇譚」第一回が掲載された。連載は昭和二年四月まで。

*森下雨村の斡旋で博文館に入社した横溝正史が、この号から「新青年」の編集に携わった。[新青年「編輯局より/大正15年10月]

□雑誌□「大衆文芸」十月号(第一巻第十号)の奥付発行日。「鏡地獄」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」十月号(第二年第九号)の奥付発行日。「木馬は廻る」と「当番制廃止について」が掲載された。

 

十月四日(月)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十月十日(日)

「パノラマ島奇譚」の執筆が進まず、法事や病気を理由に休載する旨を編集部に伝えた。[新青年:編輯日誌/大正15年12月]

 

十月十二日(火)

「パノラマ島奇譚」休載を詫びる電報を熱海から編集部に送った。[新青年:編輯日誌/大正15年12月]

 

十一月一日(月)

□雑誌□「苦楽」十一月号(第五巻第十一号)の奥付発行日。「闇に蠢く」第九回が掲載され、この回で中絶。

□雑誌□「新青年」十一月号(第七巻第十三号)の奥付発行日。「パノラマ島奇譚」第二回と「『五階の窓』所感」「十月号其他」が掲載された。

□雑誌□「大衆文芸」十一月号(第一巻第十一号)の奥付発行日。「吸血鬼」が掲載された。

 

十一月十一日(木)

□書簡□宇野浩二が乱歩に手紙、居留守をつかったことを詫びるため乱歩が上州の温泉から出した手紙への返信。[探偵小説四十年 宇野浩二/昭和25年5月、6月]

 

十一月二十八日(日)

□書籍□『ラジオ講演集 第十輯』の奥付発行日。博文館から出版され、「探偵趣味」が収録された。

 

十二月一日(水)

□雑誌□「苦楽」十二月号(第五巻第十二号)の奥付発行日。「恋と神様」が掲載された。

□雑誌□「新青年」十二月号(第七巻第十四号)の奥付発行日。「パノラマ島奇譚」を休載。アンケート「印象に残れる作品」の回答が掲載された。

 

このころ

十一月の終わりか十二月の初め、東京朝日新聞社学芸部長が来訪、連載中だった山本有三「生きとし生けるもの」が作者の病気により中絶されることになったため、三か月程度の連載を依頼された。連載開始まで五日間ほどしか余裕のない話で、返事は翌日に引き延ばしたが、結局は承諾した。連載を始めて三、四日後、朝日新聞幹部の美土路昌一、緒方竹虎、鈴木文史朗から料亭に招かれ、「一寸法師」に出てきた衆道のことで談論風発した。[探偵小説四十年 「一寸法師」/昭和26年11月]

 

十二月八日(水)

□新聞□「東京朝日新聞」と「大阪朝日新聞」に「一寸法師」第一回が掲載された。連載は翌年二月まで。

 

十二月二十五日(土)

*大正から昭和に改元。

 

[2012年7月7日]

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