三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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こちらアドバイザー。
報告すべきことは、とくにない。
ただまあ、話がまったく進んでいない、というわけでもないから、そのあたりのことを記すことにする。
乱歩から手は引かない、というのが、現時点における名張市立図書館の方針である。
このブログにくり返し書いてきたことだけど、これまでにもおれは、名張市立図書館にたいして、あるいは名張市教育委員会にたいして、もう乱歩から手を引いたらどうよ、という提案をしてきた。
いやいや、なにがなんでも手を引け、などといったわけではないから、を、ではなくて、も、といったほうが正確か。
つまり、もう乱歩から手を引いたらどうよ、という提案も、してきた。
乱歩にかんしてなにひとつ、ほんとにもうなにひとつ、という感じなのであるが、まともなことができないのであれば、乱歩の看板を掲げてたってしかたねーんじゃね? ということである。
そんな看板は、詐欺であり、ペテンであり、いかさまである。
いつまでもそんなことやってないで、もうすっぱりと手を引いたらどうよ、という提案である。
しかし、なーに提案してやったって、だれもなーんにも考えようとしない。
考える能力もなければ、考えるための知識もない。
だいいち、考えるという習慣がない。
だから、どんな答えも返ってこない。
お役所ってのはほんと、世話が焼けるよなあ。
つか、ばかってのはほんと、世話が焼けるよなあ。
ほんとに世話が焼けるのであるが、名張市乱歩関連事業アドバイザーとして確認したところでは、名張市立図書館は乱歩関連資料の収集を中止するつもりはありません、とのことである。
それならそれでいいであろう。
乱歩から手を引く、というのであれば、それはそれで尊重すべき判断であるし、手を引かない、というのであれば、それはそれでやはり尊重すべき判断である。
個人的には、名張市立図書館には今後とも、乱歩関連資料を収集するオンリーワンの公共図書館でありつづけてもらいたい、と願っているのであるが、アドバイザーとしては、名張市立図書館が熟慮を重ねて主体的な判断をくだしたのであれば、引くか引かないか、いずれの答えが出ようとも、それを尊重せんわけにはいかんのである。
で、手は引かない、ということになった。
だったら、ちゃんとしたことをやってもらわなければならない。
いままでみたいな調子にはいかんと思う。
こんなことでは困るんだよね。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
だから、ちゃんとしたことをやってもらうべく、あしたのために、とアドバイスをしてるわけであって、最初はこれであった。
(いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
このあたりのことは、どうやら、とりあえずみんな集めます、ということになりそうなあんばいである。
以前、徳島県の小西昌幸さんからも、こんなアドバイスをいただいた。
2010年12月13日:アドバイザーは不安である > ごぶさたしております(2010年12月20日)
「名張市立図書館の乱歩収集の基準は、東京のゲーテ記念館の収集方針を参考にすればよいのではないでしょうか。つまり雑誌や単行本に《ゲーテ》の文字があれば全て集めるという基本方針です。中さんがリファレンス・ブックで追及された基本姿勢を踏襲されたらよいのではないかなー、と思います」とのことであったのだが、小西さんのご指導よろしきを得て、ということか、どうやらそういう方向で、ちゃんと考えてちゃんと決める、という話が進んでいるらしい。
ならば、話は早い。
早いというか、簡単である。
たとえば、昨年12月13日付エントリ「アドバイザーは不安である」に記したこの本の問題。
この『思いがけない話』という文庫本を購入すべきかどうか、つまり、いわゆる親本を所蔵しているのに、おなじ内容の文庫本まで購入すべきかどうか、といった問題で悩む必要はなくなるわけである。
名張市立図書館は乱歩が時代にどう受容されるかを記録しつづけております、といったようなことを乱歩関連資料の収集方針として明示しておけば、それでいいはずである。
収集方針はいまだ明文化されるにいたっていないが、とりあえずそういう方向に進みつつある、ということをアドバイザーとして報告しておく。
ちなみに記しておけば、おれがアドバイザーとして留意しているのは、自分の甲羅に似せて穴を掘らせない、ということである。
お役所名物の無能と怠慢、無責任と不勉強を基準にしてものを考えちゃだーめ、ということである。
あるいは、現状にもとづいてものごとを考えちゃだーめ、ということでもある。
現在ただいまの態勢がこうであるとか、予算がこうであるとか、そういったことをベースにして考えちゃだーめ、ということである。
たとえば、乱歩に関連のある記事が新聞に掲載される、ということは、当然ある。
だから、乱歩関連資料を収集しますというのであれば、最低でも名張市立図書館が購入している新聞にはすべて眼を通し、乱歩にかんする記事が出ていないかどうか、毎日チェックしなければならない。
それは当然のことである。
しかし、そんなことやるのは面倒だ、いやだ、人手がない、みたいなことを理由として、新聞記事の収集はいたしません、ということにしてしまったら、それこそが無能や怠慢や無責任や不勉強を基準にしてものごとを考える、ということであり、つまりは本末の転倒、すなわち自分の甲羅に似せて穴を掘ってしまう、ということにほかならない。
だからまず、現状がどうかということは横において、乱歩関連資料を収集するというのであれば、なにを集めればいいのか、集めたものはどう体系化すればいいのか、どう活用すればいいのか、収集資料にもとづいてどんなサービスを提供すればいいのか、それをちゃんと考えて、ちゃんと決めることが大切なのである。
ちゃんと考えて、ちゃんと決めたけど、予算も人手も足りませんので、十やるべきことのうち五しかできません、なので新聞を毎日チェックすることは不可能です、ということになったら、そのときはそのときでまた、どうすればいいんだろうね、ということを考えればいいのである。
肝要なのは、無能や怠慢や無責任や不勉強を基準にしないこと、本末転倒しないこと、甲羅に似せて穴を掘らないこと、そういったことなのである。
でもって、乱歩関連資料の収集方針が決まったら、公式サイトに明示するべきであろう。
ごく一般的な資料収集にかんして方針を公表するというのは、ごく一般的におこなわれていることであって、たとえば千代田区立図書館はこんな感じ。
千代田区立図書館:資料収集方針
なんで千代田区立図書館なのかというと、この図書館で先月、「作家と古本屋」という展示会が開かれ、乱歩関連の出展もあった関係上、公式サイトをざーっと閲覧したばかりだったから、そのついで、というだけの話である。
展示内容はこちら。
千代田区立図書館:イベント展示情報 > としょかんのこしょてん VOL.44
出展は神田神保町の三茶書房。
乱歩と横溝正史、西田政治による連句「桜三吟」の巻物三百八十万円、毎度おなじみ「うつし世はゆめよるの夢こそまこと」の色紙二十万円、みたいなあたりが展示販売されていたとのことである。
そんなことはともかく、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するというのであれば、その方針や基準や定義なんかを公式サイトで明らかにしておくのは、ぜひとも必要なことである。
資料収集のタクティクスとしても、きわめて重要なことである。
だいたいが、いまの名張市立図書館の公式サイトをみてごらん。
名張市立図書館:Home
なにこれ。
なによこのサイト。
乱歩がどうこういう以前に、なんかサイトとしてずいぶんひどくね? という感じが強くする。
ていうか、図書館運営のおそまつさがそのままサイトににじみ出てる、みたいな感じがする。
要するに、名張市立図書館は無料貸本屋でございます、と公言して恬として恥じない、みたいな。
先月のことである。
前回のエントリにも記したけど、某全国紙の千葉県内にある某支局から、乱歩にかんする問い合わせが入った。
それに答えるべくあちこちネット検索を試みているうち、こんなページが引っかかった。
市川市立図書館:市川の文学 > 江戸川乱歩
市川市立図書館の公式サイトにはいろいろなデータベースが掲載されていて、そのひとつに「市川の文学」というのがある。
「市川市を描いた作家と、市川市に関係する文学作品を調べることができます。青空文庫の電子テキストともリンクしています」とのことで、そのうちの乱歩のページが引っかかってきたというわけである。
市川市立図書館のことはまったく知らんのだが、この図書館は名張市立図書館とは異なり、本を読む、ということができているらしい。
名張市立図書館も、こんなデータベースをつくるべきだとおれは思うのだが、それは無理であろう。
なにしろ名張市立図書館は、本を読む、ということをしない図書館なのである。
図書館の副館長が、本を二冊手にもって、
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
などと尋ねてくるような図書館なのである。
乱歩関連資料を収集しようと思ったら、とりあえず乱歩作品を読まなければなにもはじまらない、ということに、ごくごく最近気がついたような図書館なのである。
収集資料にもとづいて名張市にかんするさまざまなデータベースをつくるのは名張市立図書館の責務といっていいはずなんだけど、本を読む、ということをしないのだから、なにもできない。
うそだと思ったら、市川市立図書館の「市川の文学」みたいな「名張の文学」というデータベースをつくって公式サイトで公開してください、と名張市立図書館に依頼してみな。
態勢がどうの予算がこうのといいわけたらたら並べたあげく、名張市立図書館は結局なんにもしないと思う。
なんにもできないと思う。
やる気もなければ能力もなく、そもそも本を読むということをせず、地域の公共図書館としてなにをすればいいのか、それを考えることすらできない。
無料貸本屋でございます、ということしかできない。
名張市立図書館の公式サイトをみるだけで、そういった程度のわるさは如実に伝わってくるのであるが、そんなことはいまはほっとくことにしても、乱歩関連資料を収集しております、ということが公式サイトにまったく示されていないのは、さすがに困ったもんだなと思う。
ウィキみてみろウィキ。
Wikipedia:名張市立図書館
このごく簡略な記事にさえ、「江戸川乱歩関係資料」という項目が立てられて、「名張市は作家江戸川乱歩の出身地であることから、乱歩関係の資料を収集している」との紹介が記されておるではないか。
公式サイトよりウィキペディアのほうが、よっぽどまともである。
名張市立図書館の公式サイトは、いったいどうしてここまで乱歩のことをないがしろにしておるのであろうか。
なんか、ほんと、おれはほんとになんとひどい目に遭わされたんだろうな、とあらためて思う。
名張市立図書館に、名張市教育委員会に、名張市に、なんかもうむごいというしかない仕打ちを受けてしまった。
なんなんだよいったい。
名張市立図書館が、乱歩にかんしてなにをすればいいのかさっぱりわかりません、と泣きついてきやがるから、知らねーよばーか、勝手に泣いてろ、といってやってもよかったのだが、まあそんなむごいこともできんな、と思い、名張市立図書館は乱歩の生誕地にある公共図書館としてオンリーワンの責務や使命をはたすべきでもあるしな、とも考えて、だったらちょっとやってやるから、と滅私奉公してやったら、えらいむごい目に遭わされてしまったわけである。
なんなんだよいったい。
おれのやったことは、名張市立図書館における黒歴史かよ。
できるものなら、なかったことにしたいことなのかよ。
ここで、名張市立図書館の本音はどんなものか、ということを推測しておくとするならば、それはもうまちがいなく、乱歩うざっ、ということなのであろうと思う。
乱歩のことなんかどうだっていーんだよ、てゆーか、わざわざ名張で生まれてんじゃねーよまったく、みたいなことであろうなと思う。
今回のおれのアドバイスにしたって、人が機嫌よく無能と怠慢と無責任と不勉強を決めこんでんだから、外部の人間が乱歩乱歩いってきてんじゃねーよ、というのが、名張市立図書館の本音であろうと思われる。
だったら公式サイトにこんなふうに書いとけ。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
しかし、名張市立図書館は乱歩から手を引かない、という。
上等である。
そういうことなら、せーだい親身なアドバイスかましちゃるきのう。
ということで、現状と見通しである。
(に)収集した資料をどう活用するのか、それを念頭において考えてみると、乱歩関連資料としてなにを集めればいいのかが、よくわかってくるかもしれないね。
このあたり、どうなのであろうな。
少なくとも、こんなあほなことはゆうとれんぞ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
どこの職員が書いたのかは知らんけど、名張市長名義の文書である。
ということは、ここに記されたのは名張市長のお考えである、ということになる。
名張市立図書館がなんにも考えようとしないから、名張市長がいいだけ赤っ恥をおかきなのである。
白い色は恋人の色。
赤い色は赤っ恥の色。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
とにかく、現在のところございませんが、とか先送り体質全開にしてないで、ちゃんと考えてちゃんと決めよう、ということであって、資料の収集と活用、双方の方針を連動させて考えてみようね、というアドバイスも名張市立図書館に伝えてあるのだが、どうなるのであろうな。
こんなのもある。
(さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
このアドバイスは、まだ伝えていない。
ていうか、(いち)と(に)をまじめに考えた場合、当然この(さん)についても考えざるをえないはずなのだが、いったいどうなのであろうな。
ま、本日はこのへんまでとして、以下、つづく。
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前回のエントリに記したとおり、報告すべきことはとくになし、という状態がつづいているのだが、ちょっと書きもらしたことがあったので、それを補足しておく。
しかし、そのまえに、つい先日、たまたま会った人から名張まちなか再生委員会のことを尋ねられたので、答えた内容をここにも記しておく。
なにを尋ねられたかというと、名張まちなか再生委員会の後継組織が発足するという話はどうなったのか、ということである。
どうなってもいない。
なんの動きもない。
後継組織が誕生する可能性は、いまや、はっきりいってゼロだと思う。
昨年最後のエントリにも、「新組織をつくる話は、どうやら自然消滅したっぽい」と書いておいたのだが、再生委員会のことを、あるいはまちなか再生のことを、いまだ気にかけてくれている人もあるようなので、ここにあらためて現状と見通しを披露しておく次第である。
現状も見通しも、要するにゼロ、ということでしかないわけだけどな。
それにしても、名張まちなか再生委員会ってのは、いったいなんだったんだろうな。
まちなか再生事業ってのは、いったいなんだったんだろうな。
なんだったんだかはようわからんけど、名張のまちが死んどるのはたしかだな。
先週、伊賀地域出身で他県にお住まいのかたと伊賀市内で話す機会があったのだが、伊賀上野のまちはまだ生きてる感じがするけど、名張のまちは完全に死んでしまったみたいな印象だ、とのことであった。
ほんと、なーにがまちなか再生だばーか。
さて、前エントリの補足である。
(いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
このアドバイス(いち)にもとづいて、いったいどんな資料を集めるのか、文章にまとめて提出してもらおうか、ということにしてある。
提出の時期がいつになるのか、それはよくわからないのだが、提出されたらもちろんこのブログで報告する。
そのことを書きもらしていた、ということに思いあたったので、ここに補足して記しておく次第である。
ただまあ、提出がいつになったとしても、名張市立図書館をめぐる今回の一件に関心ないしは期待をお寄せくださっているかたにはまことに申しわけのないことなのであるが、前回のエントリにも記したごとく、過剰な期待はしていただかないほうがいいと思う。
名張市立図書館はおそらく、寄せられたどのような期待もことごとく、みごとなまでに裏切ってしまうものと予測される。
アドバイザーがこんなこというのもあれなんだけど、どんなアドバイスをくりひろげてみたところで、名張市立図書館が乱歩にかんしてみるみるちゃんとなる、なんてことはないものと思われる。
もちろんおれは、ちゃんとしてほしいわけ。
ちゃんとしてほしいから、アドバイザーにしてもらったわけ。
ちゃんと考えて、ちゃんと決める、というあたりまえのことを、一日も早くやってほしいわけ。
しかし、四十年ほど、なーんにもしてこなかったんだからな。
ごくごく最近になって、えッ? 乱歩関連資料を収集するためには、乱歩関連資料っていったいどんなものなのか、ちゃんと考えてちゃんと決めなくちゃならないんですか? とか、えッ? 乱歩関連資料を収集するためには、乱歩作品を読んで、乱歩のことをよく知らなくちゃならないんですか? とか、そういったことにようよう気がついたのが名張市立図書館なのである。
あるいは、乱歩生誕百年も近づいたから名張市民相手に乱歩作品の読書会を開こうぜ、いーぞいーぞ、おー、とか、乱歩関連資料というのは乱歩賞とか日本推理作家協会賞とかを受賞した作品のことなんだぜ、そーだそーだ、おー、とか、そんな思いつきを並べることしかできなかったのが名張市立図書館なのである。
そんなこんなの名張市立図書館が、急場しのぎの泥縄で付け焼刃の間に合わせ、いまからなにをどう文章にまとめてみたところで、そんなのはどうせろくなものではない、ただのわるあがきにしかすぎない、なんてことは火を見るよりも明らかなのである、みたいなことは、とくに乱歩に関心のない諸兄姉にだってよくよくおわかりのことであろう。
しかし、そこからスタートしないことには、どうにもならんのである。
いやいや、スタートすらできないかもしれんな。
乱歩関連資料の収集にかんする方針や基準や定義みたいなものを文章にまとめる、ということすら、名張市立図書館にはできないのかもしれん。
そこまでレベルが低いとなると、ほんと、アドバイザーにはもうなにもできない。
アドバイザーもお手あげ、ということになるであろうな。
そんなことは信じられない、とおっしゃる向きもあるかもしれんが、それはもうひどいものでな。
あれはいつであったか。
十日ほどまえのことであったか。
某全国紙の千葉県内にある某支局から電話が入った。
乱歩にかんする問い合わせであった。
名張市立図書館に問い合わせの電話を入れたのだが、よくわからないからおれに電話して尋ねてくれ、といわれたという。
な。
ひどいものであろうが。
おれはこういう者である。
しかし、乱歩のことをなにも知らない名張市立図書館になりかわって乱歩にかんする問い合わせに答える、などというお仕事は、残念ながら名張市乱歩関連事業アドバイザーの職掌には存在していない。
だから、おれに振られても困るわけな。
ていうか、振ってくるなよそんなもん。
小ずるいことばっかかましてんじゃねーよ。
問い合わせにはちゃんと回答するように努めなさい、というのがおれのアドバイスである。
なにも答えられないのなら乱歩の看板を降ろしてしまいなさい、というのがおれのアドバイスである。
あるいは、名張市立図書館の公式サイトにこんなふうに書いときなさい、というのがおれのアドバイスである。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
でかでかと書いておけ。
ほんと、かりそめにも乱歩関連資料を収集してますと公言している図書館が、ほんというと乱歩のことなんかなんにも知らないんです、みたいなことでどうするよ。
それはまあ、手前ども公務員は身内のことしか考えません、外のことなんかどうだっていいんです、というのが正直なところなのであろうけれども、お役所というのは本来、それもとくに図書館なんてのはやっぱ、外に開かれた施設なわけなのな。
名張市立図書館は乱歩関連資料の収集をつづけてる公共図書館として外に開かれてるわけなんだから、乱歩にかんして外から問い合わせが入るのはあたりまえのことなのである。
早い話、某全国紙の千葉県内にある某支局は、名張市立図書館は乱歩関連資料の収集で少しは知られたところだから、乱歩のことを質問したら的確な回答が返ってくるだろうな、と考えて名張市立図書館の電話番号をプッシュしたはずなのである。
それがどうよ。
乱歩のことはよく知りません、というのが、名張市立図書館の答えだったわけな。
どーしよーもねーなーまったく。
乱歩生誕地である名張市の名をいいだけおとしめてろばーか、というのがおれのアドバイスである。
いやいや、こんなアドバイスをしておってはいかんのだが、こんなおちょくりのひとつも入れたくなってくるわけなのな。
前回のエントリにも書いたけど、名張市立図書館は乱歩にかんしてオンリーワンの公共図書館なのである。
乱歩関連資料の収集をつづける、と決めた時点で、というか、実際には、思いついた時点で、というべきなんだけど、いちおう対外的には決めたということになっておるわけではあり、その決めた時点で名張市立図書館はオンリーワンの存在としてそれなりのことをしようと考えたのであろうな、と外の世界の人は思ってしまうはずなのであって、たとえばこんなふうに認識してくださっているかたもあったわけな。
な。
名張市立図書館は、ある時期、乱歩や探偵小説に関心がある人などのあいだでは、こんなふうに紹介されることがよくあった。
外に向かって開かれている図書館が、社会的責務とか公共的使命とかを念頭において、収集資料にもとづいた情報発信を手がける、というのは当然といえば当然のことなんだけど、名張市立図書館にはそういった当然のことを考えられる人間が、開館以来ただのひとりもいなかった、というわけなのな。
乱歩関連資料の収集をつづける、というのは、乱歩が同時代にどう受容されたかを記録しつづける、ということでもあるわけだから、そのあたりのオンリーワンとしての責務や使命もちっとは念頭におきながら、さあ、ちゃんと考えてちゃんと決めようね、というのがおれのアドバイスではあるんだけど、ぶっちゃけ、とても無理であろうな、とは思う。
とても無理であろうな、とは思いつつ、アドバイスにたいする名張市立図書館のリターンを待っているところなのである。
そのあと、どうなるのか。
むろん、どんなリターンになるのかはわからないが、リターン次第では、いくらアドバイスしても無駄だな、ということにもなりかねない。
その場合にはどうするのか、というと、おれはなにしろこういう者である。
名張市長からコミッションをたまわった名張市乱歩関連事業アドバイザーである。
だから、現状と見通しを報告したうえで、市長判断を仰ぐ、ということになると思う。
本来であれば、これはおかしな話である。
名張市教育委員会の独立性や自立性や自主性や主体性を無視していいのか、という話なのである。
本来はそうなのであるが、気にすることはまったくない。
なぜかっつーと、名張市役所というところには、独立性、自立性、自主性、主体性、みたいなことばは存在しておらんからである。
だから休んじて、市長判断を仰ぐ、ということになると思う。
以上、報告ともつかぬ報告、の補足であった。
その後いかがですか、とのメールを頂戴したので、ここに簡略な報告を記すこととする。
とくになし。
以上。
報告終了。
いやいや、いくらなんでも愛想がなさすぎ。
もうちょっと記すことにして、いったいなんの報告なのかというと、もちろん名張市立図書館の件である。
名張市立図書館にアドバイスしたのはわかったけど、そのあとの経過はいったいどうよ、というメールを頂戴した。
むろん、名張市民のかたからのメールではない。
名張市内にはおそらく、市立図書館における乱歩関連資料の収集に関心を寄せ、おれのアドバイスがどうなるのか、その推移を気にかけてくれている市民、なんてのはただのひとりも存在しないものと思われる。
しかし、名張市の外に広がるひろい世間には、そんなひとも存在してくれているようである。
名張市立図書館の動静を気にかけてくださっているかたが、それも、なにがしかの期待を抱きつつ気にかけてくださっているかたが、わずかながらもいらっしゃるようなのである。
まことにありがたい話ではあるのだが、しかしまあ、ぶっちゃけ、いくら期待していただいても、期待はずれに終わってしまう公算はきわめて大きいといわざるをえない。
むろん、名張市立図書館はそうした期待に応えるべきである、とおれは思う。
名張市立図書館はもう四十年以上、乱歩関連資料を収集してきた、ということになっているのであって、その意味においてはまちがいなく、ひろい世界にただひとつ、オンリーワンの公共図書館なわけなのであり、したがって当然、オンリーワンとしての社会的責務とか公共的使命とか、そうしたもの背負っているということになるわけなんだけど、しかしそんなこと、関係者のだれひとりとして考えてもいなければ、そもそも気がついてもおらんわけなのである。
なんつったって、関係者は公務員である。
公務員の辞書には、責務とか使命とか、そんなことばは残念ながら記載されておらんわけなのな。
公という漢字がつかわれてるからうっかり勘違いしてしまうけど、公務員のおつむのなかには公なんて概念はかけらほども存在しておらんのよ。
公ではなくて私。
連中のおつむのなかには私という字しか存在しとらんのよ。
だから、自分たちのことしか眼中にない。
自分たちの都合がすべての基準である。
蟹が甲羅に似せて穴を掘るのと同様に、公務員は自分たちの都合に合わせてものごとを進める。
責務だの使命だの、そんなもの知ったことかよばーか、っつーのが連中の心の声なわけ。
だから、名張市立図書館にたいして、乱歩関連資料を収集している世界でたったひとつの公共図書館としての責務や使命、みたいなものを期待していただいては困るわけである。
いやいや、おれとしては当然、先述のとおり、名張市立図書館はそうした責務や使命をはたすべきだと思う。
なにしろ乱歩は、「蒐集癖」という随筆に「自分が一番可愛いのだから、自己蒐集こそ最も意味があるのではないか。自分のものを集めるのには、自分こそ最適の立場にあり、最も正確を期することもできるわけである」とまで記した自己収集のオーソリティである。
その乱歩が死去したのは昭和40・1965年7月のこと。
乱歩関連資料を収集いたします、と宣言して名張市立図書館がオープンしたのは昭和44・1969年7月のこと。
ふつうに考えれば、名張市立図書館は乱歩の自己収集を念頭において乱歩関連資料の収集をはじめたのであろうな、ということになる。
乱歩に関心のあるひとなら、当然そんなふうに受け取るはずなのである。
しかししかし、なんのなんの、田舎のお役所を甘くみてはいけない。
世間一般におけるふつうってやつは、お役所においては全然ふつうではないわけであり、それが田舎のお役所となると、これはもうほんとに端倪すべからざる域に達しておるわけである。
つまり、え? なに? 乱歩の自己収集っていったいなに? っつーのが名張市立図書館の域なわけなのな。
うわーっはっはっは。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
それが名張市立図書館の実態なわけ。
うわーっはっはっは、うわーっはっはっは、うわーっはっはっは。
笑ってる場合じゃねーぞこら。
とにかくもう、無茶苦茶なわけである。
しっかしまあ、なにしろ田舎のお役所なんだから、無茶苦茶なのはしかたないことかもしれん。
とはいうものの、おれとしては、名張市立図書館にはなんとかちゃんとしてもらいたいわけなのである。
いくら田舎の図書館だからって、もう少しまじめにお仕事しても罰はあたらんじゃろーが、と思っているわけなのである。
だからこそ、おらおらおらおら、てめーらいっぺんテロかましてやろうかこら、おらおらおらおら、と恫喝に恫喝を重ねて名張市乱歩関連事業アドバイザーにしていただいて、そのうえで渾身のアドバイスを送っている次第ではあるのだが、しつこくもくり返すけど、というか、結局は堂々めぐりになってしまうわけなんだけど、こんなのは要するに相手次第、先方次第の話なわけな。
おれのアドバイスというのは、煎じ詰めていってしまえば、ちゃんと考えてちゃんと決めよう、ということに尽きるわけなんだけど、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということがふつうにできる人間であるのならば、というか、ちゃんと考えてちゃんと決める、なんてのはごくごくふつうのことであって、そこらのふつうの人間が毎日あたりまえにやってることなんだけど、とにかくふつうのことがあたりまえにできる人間であるのならば、ちゃんと考えてちゃんと決めよう、などと他人からアドバイスされるまでもなく、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということが難なくできているはずなのである。
なんかごく単純なことをわざとまわりくどくいってるような気もするけど、これを逆にいえば、ちゃんと考えてちゃんと決めよう、と他人からアドバイスされてしまう人間には、たぶんおそらく十中八九、ちゃんと考えてちゃんと決める、というふつうであたりまえのことがなーんにもできない、ということになるのではないか、とぞ思う。
思わざるをえない。
思わざるをえないのだが、まだ決めつけることはできない。
とにかく現在は、アドバイスにたいする返事待ち、みたいな状態である。
ではここで、あしたのためにそのいち、みたいな感じのアドバイス、これまたしつこくもくり返しておくこととする。
(いち)乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
(に)収集した資料をどう活用するのか、それを念頭において考えてみると、乱歩関連資料としてなにを集めればいいのかが、よくわかってくるかもしれないね。
(さん)どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
しかし、こんなことからアドバイスしなくちゃならないんだから、つくづくおかしな話ではある。
とはいえ、なにしろ四十年このかた、名張市立図書館はなにも考えようとせず、なにも決めようとしなかったのだから、やっぱこのレベルからスタートしなければならんのである。
いやはや、まいったまいった、と書いて思い出したのだが、乱歩関連資料の収集にかんして、名張市立図書館はなにも考えようとせず、なにも決めようとしなかった、ということはなかったのかもしれない。
多少なりとも考えたことがあったのだろうな、といま気がついた。
むろん方針として、あるいは基準として、ないしは定義として、きちんと明文化されたものではなかったけれど、うすらぼんやりとしたプリンシプルのようなものとして、乱歩賞の受賞作品を収集しよう、えいえいおー、日本推理作家協会賞の受賞作品を収集しよう、えいえいおー、みたいなものはあったみたいである。
そして、そんなことに気がつけば気がついたで、名張市立図書館のおそまつさがいっそう身にしみて感じられてくるつらさせつなさよ。
なんかもう泣けてきそうな感じになるんだけど、さあ乱歩関連資料を集めましょうと思いつき、にもかかわらず乱歩作品を読もうとせず、乱歩のことを知ろうともせんわけだから、なにを収集すればいいのかがさっぱりわからない。
さっぱりわかんないなりに、そういえば、乱歩賞ってあったよね? とだれかが思いついたわけなのであろうな。
で、あるある、乱歩賞ってあるある、ほらほら、仁木悦子仁木悦子、とかだれかが応じて、んじゃあ乱歩賞受賞作品って、もしかしたら乱歩関連資料なんじゃね? とかいうことになって、それならば乱歩賞受賞作品を収集しましょう、ということになったわけなんだろうな。
ばーか、といってやるしかないわな。
乱歩賞受賞作品を集めるな、とはいわんが、ほかに収集しなければならんものが死ぬほどあるじゃろうが、という以前に、ちっとは頭つかってものを考えろよすっとこどっこい、という話なのである。
日本推理作家協会賞受賞作品もたぶんおなじようなことだったはずで、日本推理作家協会とかって、もしかしたら乱歩に関係あるっけ? とかだれかが思いつき、やっぱあんじゃね? とかだれかが答えて、乱歩ってもしかしたら推理作家? あったりまえじゃん、そんなことも知らねーの? いやーわりいわりい、大きな声じゃいえないけど、乱歩のことなんてなーんも知らなくってさー、こんな人間が図書館がどうの乱歩がこうのなんていってんだから、市民にばれたら怒られちゃうよねー、みたいな流れがありつつも、結局は日本推理作家協会賞の受賞作品を収集しましょう、ということになったわけなんだろうな。
なんかもう、泣けてくるのは泣けてくるけど、ことここにいたるといっそ突き抜けた感じもして、妙なすがすがしさをおぼえてしまうのはどうしたことか。
いやいや、感心してる場合ではない。
アドバイスである。
(よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
(ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
とりあえず以上のようなことなんだけど、いろはのい、基本のき、最初の第一歩のアドバイスはこんなんなのである。
(ぜろ)とりあえず乱歩のことをちっとは知ろうとしてみよっかあ。
いやもう、なんか絶望的な気分だぜ。
もう春なんか、来やしない、来やしない、みたいな。
歌はこちらで。
名張人外境ブログ:1月17日朝のグルーミーな気分(2011年1月17日)
以上、報告ともつかぬ報告であった。
早いもので、新年ももう八日目である。
お正月はあっというまに通りすぎてしまった、という感じだが、年頭に頂戴した賀状に、
──乱歩関連事業アドバイザーとしてのご活躍に、大いに期待しています。
と添え書きされたものがあった。
北関東にお住まいのかたからの賀状である。
乱歩ファンのかたである。
北関東の乱歩ファンのあいだにまで、名張市乱歩関連事業アドバイザーの令名は鳴り響いているのである。
うわーっはっはっは。
なかなかたいしたものであろうが。
とはいうものの、残念ながら、ご期待にはとても添えそうにない。
もちろん、添いたいとは思う。
しかし、しょせんアドバイザーなのである。
なんらかの権限を与えられている、というわけでは、まったくない。
それゆえ、乱歩関連事業に存分に腕をふるう、なんてことは、まるでできない。
それにだいたい、名張市の乱歩関連事業なんてのは、おれにはどうだっていいことである。
たまたま乱歩関連事業アドバイザーという肩書をたまわりはしたけれど、おれの念願はただひとつ、名張市立図書館にもう少ししっかりしてもらいたい、ということだけなのである。
もちろん、しょせんアドバイザーなんだから、名張市立図書館で存分に腕をふるえる、というわけではまったくない。
名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをやればいいのか、ということを、おれは重々承知しているつもりであるから、ふるう腕ならいくらでもあるわけだが、残念ながら、遺憾ながら、アドバイスすることしかできない。
だからアドバイスしてるわけなんだけど、名張市立図書館の現状は、かなりひどい。
ひとことでいえば、きわめて重症である。
いまさら驚きもせんけれど、乱歩にかんしてなにをやればいいのか、まるでわかっていない。
不覚にも落涙しそうになるほど、なんにもわかっていない。
そこで、先日から記しているとおり、渾身のアドバイスを展開しているわけなのじゃが、あしたのためにそのいち、みたいなアドバイスがこれじゃ。
乱歩関連資料を収集する、っつーのなら、乱歩関連資料、っつーのはいったいどんなものなのか、どんな資料を集めればいいのか、そのあたり、ちゃんと考えて、ちゃんと決めようね。
乱歩関連資料を収集するのであれば、どんな資料が収集対象になるのか、それを定義するのはあたりまえのことである。
そんなあたりまえのことができておらんのだから、あたりまえのことをさっさとやれ、とアドバイスするのは、これまたあたりまえのことである。
で、あしたのためにそのに、みたいなのがこれじゃ。
収集した資料をどう活用するのか、それを念頭において考えてみると、乱歩関連資料としてなにを集めればいいのかが、よくわかってくるかもしれないね。
これもまあ、あたりまえのことである。
活用をみすえた収集、といったものが望まれるのは当然のことである。
収集そのものが自己目的化してしまって、資料の活用についてはまったく考えておりません、なんてことでは困るわけなのである。
しかし、さらに困ったことがあった。
最近になって気がついたことなのであるが、どうして乱歩関連資料を収集しているのか、という肝心かなめのことさえも、名張市立図書館にはよくわかっておらんようなのである。
つまり、そもそもの目的、というやつである。
目的がようわかっておらんのである。
じつに困った事態である。
なんかもう、いちばん根っこの問題が、ずーっとほったらかしにされてるわけである。
だから、あしたのためにそのさん、みたいなのがこれ。
どうして乱歩関連資料を収集しているのか、それをよーく考えてみようね。
どうして、というのは、どういった目的のもとに、ということである。
あしたのためにそのに、みたいなものと似たようなことだが、収集の目的があいまいなままでは、なにを収集するべきか、といったこともまたあいまいにならざるをえない。
いまから考えると、まず最初に、名張市立図書館はどういった目的のもとに乱歩関連資料を収集しているのか、どうして名張市民の税金で乱歩関連資料を収集しなければならないのか、そのあたりのことをよーく考えてみようね、とアドバイスするべきであったかもしれんのだが、なにしろアドバイザー初心者のこととて、あとから気がつくことも少なからずある。
むろん、アドバイスする相手が優秀であったならば、収集すべき乱歩関連資料を定義するためには、収集の目的、収集資料の活用方法、そういったものを明確にすることが必要である、といった事情にはすぐ気がつくはずなのであるが、そんなことはとても望めない。
これがアドバイザーのつらいところよ。
それにしても、これはもうほんと、なんだかとんでもない話なのである。
われらが名張市立図書館は、乱歩関連資料を収集いたします、とぶちあげておきながら、どういった目的のもとに、どういった基準にもとづいて、乱歩関連資料とやらを収集し、その資料をどんなふうに活用するのか、といったことをなーんにも考えておらんのである。
ありえねー、と思わず叫びそうになるけれど、それが名張市立図書館の実態なのである。
どうだ。
ひどいだろう。
信じられんくらいひどい話だろう。
アドバイザーも大変である。
信じられんついでにもうひとつ、信じられんような話を披露しておくと、名張市立図書館にはひとつの伝統がある。
どんな伝統か。
乱歩のことを知ろうとしない、という伝統である。
ふつうなら、そんなのは、それこそありえねーことである。
かりそめにも、乱歩関連資料を収集いたします、とぶちあげたのであれば、乱歩のことをよく知ろうと努めるのが本来である。
あたりまえのことである。
それをしなくてどうするよ、という話である。
それってどうよ、という話である。
詐欺。
ペテン。
いかさま。
なんと呼んでもいいのだけれど、なんにせよ、グルーポンでおせち売ってんじゃねーんだからよー、みたいな話なのであって、尋常なことではまったくない。
はっきりいって、異常なことである。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
こんなのは異常なことである。
赤の太字で強調しておこうか。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
うわーっはっはっは、うわーっはっはっは、うわーっはっはっは。
笑ってごまかしてる場合か。
これがまあ、名張市役所において乱歩関連事業に携わるほかのセクションだというのであればともかく、いやいや、ほかのセクションだってほんとはよくないんだけど、新年早々だからきょうは大目にみてやることにして、ほかのセクションだというのであればともかく、名張市立図書館というセクションにおいて、乱歩のことを知ろうとしない、というのはかなりまずい。
しかし、それが事実なのである。
名張市立図書館は乱歩のことを知ろうと努めてこなかった、というのは厳然たる事実なのである。
乱歩のことを知る、というのは、難しいことでもなんでもない。
乱歩作品を読みさえすれば、いくらだって知ることができる。
先日も記したとおり、名張市立図書館がオープンしたのは講談社から歿後第一次乱歩全集が配本されているときだったんだから、配本された小説を、評論を、随筆を、自伝を、と読み進んでゆくだけで、乱歩について知ることは、とりあえずできたはずである。
そのうえで、それこそ乱歩関連資料を収集し、それを読んでゆきさえすれば、収集資料の活用を方向づけることだって、いとも簡単にできていたはずなのである。
ところが、そういうことは、まったくなかったらしいんだなこれが。
なにも知ろうとせず、なにも考えようとせず、なにも決めようとせず、ただぼーっとぼーっとしているばっかりで、せいぜいがまあ、生誕百年が近づいたから乱歩の読書会でも開いてみるっぺ、といった程度のことを思いつくことしかできない。
どうだ。
ほんとにひどい話だろう。
だからおれは、読書会の講師を頼まれて、もう速攻で断ったわけな。
そもそもそんな読書会は必要ない、ということもあったし、それ以上に、乱歩関連資料を収集し、乱歩コーナーを開設しておきながら、乱歩生誕百年を控えて読書会ごときでお茶を濁すことしか思いつかないような程度のわるい図書館とは、頼まれたってかかり合いになんかなりたくねーや、とも思って、速攻で逃げたわけな。
つまりまあ、お役所ってのは、ほんとにいいところなのである。
一般的な感覚でいえば、全国でただひとつ、乱歩関連資料を収集しております、と宣言した図書館なんだから、乱歩のことをよく知ろうと努めるのは当然のことであろう。
ところが、実際には、そんなことに努めなくたって全然OK、ぼーっとぼーっとしてるばかりでもいっさい支障はないと来てるんだから、お役所ってのはほんとにいいところなのである。
無能であり、怠慢であり、無責任であり、不勉強であることが、むしろ常態である世界。
有能であったり、勤勉であったりすることが、むしろ抑制されてしまう世界。
横一線に並んで、無責任や不勉強を貫くことが、むしろ称揚されてしまう世界。
それがお役所という世界なのである。
名張市立図書館における乱歩関連資料の収集も、そういった異常な世界で、内容空疎なお題目としてむなしく存在しているだけのものだったのである。
そのお題目の根拠は、いったいなんであったか。
名張市内に、乱歩記念館とか、乱歩文学館とか、そんなものを建設してみたいっぺ、といううわごとみたいなものでしかなかった。
もう四十年も昔、名張市立図書館が開設された当時のうわごとみたいな思いつきが、ただのいちども検証されることなく、見直されることなく、きわめて無批判に継承されて、現在にいたっているのである。
だーからもうねー、アドバイザーってほーんと大変。
なんとも異常な世界の片隅で、乱歩がどうこういう以前に、ちゃんとすっぺやー、もう少しまじめに仕事しても罰はあたらんぞー、乱歩の仕事するっつーんなら乱歩を読まなくてどうするよー、とお役所のみなさんに呼びかけることがアドバイザーの役目ということになるわけで、あほらしいといえばこれほどあほらしいこともないのじゃが、おれはもちろんそうしたアドバイスもしておる。
2010年12月13日:アドバイザーは不安である > とにかく乱歩が書いたものをよーく読んでみようねと
こんなあたりまえのことをいちいちアドバイスしなきゃならんのだから、しかも、いくら渾身のアドバイスを展開してみたところで、のれんに腕押しのぬかに釘、馬の耳に念仏の蛙のつらに小便と来た日には、なんかもうほんとにね。
だからこれまで、やや勇み足気味ではあったものの、あしたのためにそのよん、みたいなアドバイスもしてみたのじゃが、なんだかなあ。
収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
あるいは、アドバイスというより、こんなことがいまだにできてないのはいったいどうしたことだ、というしかないのだが、あしたのためにそのご、みたいなのがこれ。
インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
どうだろう、っつーよりもな、データベースをインターネットで発信するなんて、いまやごくごくあたりまえのことなのではあるが、名張市立図書館の現状に照らして考えると、これがもう夢のまた夢、という気がしてくるわけなのよね。
とにかく、なにをするにしても、乱歩を知る、乱歩を読む、そこからスタートするわけなんじゃが、それをせんというのであれば、なにをどうアドバイスしてみたところで、なにがどうなるものでもないんだじょ。
うわーっはっはっは。
元日である。
新年の挨拶はこちらに譲る。
名張人外境ブログ:謹賀新年(2011年1月1日)
さっそくはじめよう。
ことしの目標は、いったいなにか。
ちゃんとすっぺや、ということになる。
あるいは、ちゃんとしてもらうっぺや、か。
とにかく、ちゃんとしていただかないとな。
ちゃんと考えて、ちゃんと決める、というごくごくあたりまえのことを、ちゃんとやっていただく。
それでOKである。
とはいえ、なにしろ四十年、なにも考えることなく過ごしてきた名張市立図書館が、いきなり考えはじめたのである。
主体的かつ内発的に、とりあえずは、乱歩関連資料を定義する、というテーマをめぐって真剣に考えはじめたのであるが、いかさま慣れぬことであるがゆえ、そうそううまくは進まぬのではないか、という不安は拭えない。
かりにうまくことが運んだとしても、しょせんはお役所である。
お役人のやることである。
──役人はできない理由をすぐにいい
という川柳が、たちどころに、わるい予感とともに、頭に浮かんでくるではないか。
いや、いかんいかん。
新年早々、縁起でもない。
しかし、現実的な問題として考えた場合、どうであろうな。
蟹は甲羅に似せて穴を掘る、というのは、お役人にもぴったりとあてはまることばである。
お役人は、みずからの無能と怠慢にあわせて穴を掘る。
自分たちの無能と怠慢を合理化し、正当化することにかけては、お役人というのはすこぶる仕事熱心なものなのである。
だから、名張市立図書館が乱歩関連資料の定義について考えるといったって、それは無能と怠慢という土台のうえで、しかも、無責任と不勉強という壁の内部で、お役人だけの都合にもとづいて進められる作業にすぎないのではないか、という気がする。
そんな気がしてしかたがない。
だいたいがまあ、おれなんて、あれだからな。
これまでもうずいぶん、お役所のひとたちの無能や怠慢や無責任や不勉強をまのあたりにし、のみならず、お役所のひとたちの無能や怠慢や無責任や不勉強にひどい目に遭わされてきた、という実感が死ぬほどあるからなほんとに。
しかし、いまのおれは、なんつったって、これだもんよ。
恐れ多くも名張市長からコミッションをたまわり、いまや名張市乱歩関連事業アドバイザーなわけなのなこれがな。
えーいッ、一同のもの頭が高いッ、控えおろうッ、みたいな感じなわけなのな。
ほんと、軽くそんな感じなわけ。
だから、名張市立図書館が乱歩関連資料の定義について考えるにあたっても、めいっぱい渾身のアドバイスをなすべき立場にある。
それはそうなんだけど、なんといってもお役人相手なわけなんだから、今後の話の進みぐあいが、なんだかなあ、とか、あんまりじゃね? とか、そんな展開になってきた場合には、もしかしたらアドバイスではなく、はっきりいってリベンジに走ってしまうことになるのではないか、とわれながら怖いの。
軽く怖いの。
だからまあ、そんなことにだけはならぬよう、年のはじめに肝に銘じておきたいとぞ思う。
いやいや、新年早々、いきなり剣呑なことを記すのもあれだから、本日はこのあたりまでとしておくか。
とにかく、ちゃんとすっぺや。
ていうか、ちゃんとしてもらうっぺや。
なあ。
ではでは、きょうはじまった新しい年がご閲覧の諸兄姉にとってよき年になることを祈念しつつ、これから犬の散歩に行ってこようっと。
おおみそかである。
26日の日曜日からきのう30日まで、毎日、なにかしら用事があって、名張まちなかのあちこちを自動車で通過したが、歳末らしいにぎわいはいっさいみられなかった。
にぎわいどころか、人通りがない。
名張まちなか、完全に詰んだな、という印象である。
訪れた先で、人通りがないことに水をむけてみると、
「もうずーっとこんなんですねて」
という答えが返ってくる。
人通りのないのが常態、ということであるらしい。
名張まちなか、完全に終わったな、という印象である。
そういえば、今年9月に解散した名張まちなか再生委員会、有志が「(仮称)新生・まちなか再生委員会」を発足させるという話も出ていたのだが、いま現在、なんの動きもないようである。
新組織をつくる話は、どうやら自然消滅したっぽい。
もっとも、完全にぽしゃったと決まったわけではないから、動きがあればまたお知らせする。
いっぽう、ぽしゃることなくなんとか継続しているのが、名張市立図書館関連の話である。
実際にはあれも、えらく長いあいだ、ぽしゃったと表現していい状態がつづいていた。
なにしろ、なにを質問しても、なにを提案しても、
「………………」
沈黙しか返ってこなかったのである。
その沈黙に、すべてはあいまいに溶かされ、ごまかされ、明確なものなどどこにも存在しない、ということになってしまった。
名張市立図書館における乱歩関連資料の定義も、目録三冊をつくったことでくっきり明確になったのだが、あっというまに元の木阿弥、あいまいなものになってしまった。
まさしく狐につままれたような話ではあったのだが、ぽしゃったと表現していいような状態が長くつづいたあと、関係各位のご高配をたまわったおかげでようやく、ちゃんと考えてちゃんと決める、というところまでたどりついた。
名張市立図書館が収集する乱歩関連資料とはいったいどんなものか、ちゃんと考えてちゃんと決める、という作業がようようスタートしたのである。
とはいえ、すでに、いちおうの線は出ている。
いちおうの線、というのは、いうまでもなく、さきほどもふれた目録三冊のことである。
あの目録は、乱歩の自己収集を継承する、という方針のもとに編まれたものである。
しかし、あの目録に明記されていた乱歩関連資料の定義は、関係者の沈黙によって、いうならばチャラになってしまった。
チャラにされてしまった。
それはむろん、おれにとっては、いたく腹ふくるるわざではあるのだが、それが名張市教育委員会なり名張市立図書館なりの判断だというのであれば、それはそれでいい、ということにしておく。
しかし、おれの示した方針をチャラにしたのであれば、それに代わる方針が明示されなければならない。
したがって、名張市立図書館に望まれるのは、まずは前言訂正である。
手前どもは過去に目録三冊を発行し、手前どもが進めている乱歩関連資料の収集にかんする方針を明らかにいたしましたが、このたびその方針を変更いたしました、ということを明らかにしなければならない。
そのうえで、新たな方針を明文化して公表し、過去に公表した方針にどんな変更を加えたのか、どうしてそうした変更が必要だったのか、といったことを説明しなければならない。
それができてようやく、名張市立図書館はみずからが収集する乱歩関連資料を定義できた、ということになる。
よく念頭においておかなければならないのは、名張市立図書館は以前にいちど、そうした定義をおこない、公表したことがあるという事実である。
しかもそれは、自分でいうのもなんだけど、とてもよくできたものなのであって、それが証拠に、いまでも支持されたりしている。
2010年12月13日:アドバイザーは不安である > ごぶさたしております(12月20日)
な。
「中さんがリファレンス・ブックで追及された基本姿勢を踏襲されたらよいのではないかなー、と思います」
とのご意見をお寄せいただいたりもしておる。
おれもまた、おれが示した基本姿勢を踏襲してもらいたい、とは思っている。
なんつったって、乱歩関連資料の収集方針として、最善のものを提示したのだからな。
とはいえそれは、いうまでもなく、名張市立図書館が判断すべきこと、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきことなのである。
おれはアドバイザーとして、というか、そもそもの最初から、乱歩の自己収集を基準にするべきだ、という考えをもっているのだが、名張市立図書館が主体的かつ内発的な検討を重ねた結果、いったいどういった判断をくだすことになるのか、それはわからない。
それにそもそも、主体的かつ内発的に考えなさい、といくら渾身のアドバイスをしてみたところで、はたしてお役所に主体性や内発性などといった気の利いたものが存在するのかどうか、という問題になると、おれとしては正直、おおいに首をかしげざるをえない。
やれやれ。
しかしまあ、望みはつなぎたいものである。
とくにおおみそかなんだから、来年にむかって、一縷の、いやいや、一縷の、というのもなんだかわびしい話ではあるが、とにかく望みだけはつないでおきたいものだと思う。
ところで、12月26日の日曜日、あるかたから雑誌四冊をお送りいただいた。
週刊朝日、昭和29・1954年12月12日号。
週刊朝日別冊、昭和30・1955年10月10日号。
映画旬刊、昭和31・1956年1月15日号。
漫画ベストセラー、昭和48・1973年7月6日号。
いずれも乱歩がらみの貴重な資料である。
ほかにも、ここ数か月だけにかぎっても、こういった資料の提供をいただいた。
名張人外境ブログ:同感の言葉(2010年09月07日)
名張人外境ブログ:探偵小説の乱歩氏来津(2010年12月20日)
ご提供くださったのは、目録三冊をつくる過程で、名張市立図書館がえらくお世話になったかたがたである。
だから、本来であれば、こうした資料や情報の提供は、名張市立図書館がお受けするべきなのであるが、それが全然できていない。
乱歩にかんする資料や情報は、名張市立図書館が保存し、管理し、発信する、ということがふつうにできているべきなのであるが、それが全然できておらんのである。
どうしてであろうな。
どうして名張市立図書館には、ふつうのこと、まともなこと、あたりまえのことが、いつまでたっても全然できないのであろうな。
開館以来四十年にわたって乱歩関連資料の収集をつづけ、館内には乱歩コーナーまで開設している名張市立図書館は、乱歩関連資料にかんしてだれからもどこからも相手にされず、おればかりが信頼を一身に集める、ということになっているのは、いったいどうしてなのであろうな。
そのあたり、よりにもよって憂国忌に委嘱を受けた名張市乱歩関連事業アドバイザーが、新年早々からびしびしばんばん鬼のごとくに責め立て、名張市立図書館にとって来年がほんとうにいい年になるよう微力を尽くしたいと決意しているわけなのではあるが、そんなことはともかくとして、ご閲覧の諸兄姉におかれてもどうぞよい年をお迎えいただきたいと、まことに月並みなことを心から祈念しておく次第である。
旧乱歩邸の土地建物や所蔵資料が立教大学に譲渡されたのは、平成14・2002年のことであった。
名張市立図書館が編集発行した江戸川乱歩リファレンスブックの三冊目、『江戸川乱歩著書目録』が完成したのは平成15・2003年。
この年、おれは当時の教育長に、これからどうしましょうか、インターネットを活用するのはいかがでしょうか、しかし本当は乱歩から手を引くのがいちばんいいと思うんですけど、とかあれこれ提言し、またあらためてみんなで話し合いましょう、とのおことばを頂戴しながら、実際には話し合いの場などいちども設けられなかった、という苦い経験をしたわけである。
どんならんなほんまに。
その翌年、平成16・2004年には、三重県とかつての伊賀地域七市町村が血税三億円を気前よくどぶに捨て去った「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が5月から11月までのロングランで実施され、みるも無残な大失敗に終わった。
これも、どんならん話であったな。
おなじく平成16・2004年、やはり大失敗に終わって大笑いされることになる名張市のまちなか再生事業が実質的にスタートし、6月23日には第一回名張地区既成市街地再生計画策定委員会が開かれた。
これこそほんと、眼がくらみ、とてもまともに立ってはいられず、意識が遠のき、川のむこうにご先祖さまがずらりと並んでいるのがはっきりみえてしまうほど、じつにどんならん話であった。
同年9月5日、おれは桝田敏明先生のご遺族からお電話をいただき、桝田医院第二病棟の土地建物を名張市に寄贈したいのだが、とのご下問をたまわった。
どうしておれのもとに電話が入ったのか、それはよくわからないのだが、ま、乱歩のことならおれ、という認識が名張市内の一部に存在していた、ということであろうか。
おれはその日のうちに名張市に連絡を入れ、かくかくしかじかだからこの話はぜひお受けいただきたいとぞ思います、と意見を述べた。
同年11月1日、伊賀市が誕生した。
同年11月24日、桝田医院第二病棟の土地と建物が名張市に寄贈された。
同年12月7日、名張市が桝田医院第二病棟の寄贈を受けたと発表し、翌8日の全国紙地方版で報道された。
桝田医院第二病棟をめぐるこのあたりの動きは、けけけ、いずれ漫才にして地域雑誌「伊賀百筆」に寄稿することになるはずなのであるが、けけけけけ、まあざっとそんなところであった。
そして、平成17・2005年。
この年、まちなか再生プランが決定され、名張市のまちなか再生事業は大失敗へむけて大きく歩を踏み出した。
いまから振り返ると、名張市政のレベルダウンが覆いがたくあらわになってしまったのが、この平成17・2005年という年であった。
乱歩関連の話題に限定しても、レベルの低下は一気に進んだ。
同年5月17日、乱歩蔵びらきの会が発足。
同年6月26日、名張まちなか再生委員会が発足。
同年7月10日、名張市の市民公益活動実践事業のひとつとして旧細川邸の裏にこんなものが。
同年7月15日、名張市観光協会の「なばり夏の観光キャンペーン」の一環として名張市議会議員二十人が怪人二十面相に扮し、大阪・道頓堀でこんなことを。
いやー、あの夏の脱力感をおれはいまでもまざまざと思い出せるぞ。
そういえば、あの夏、こんなこともあったな。
名張人外境:人外境だより > エジプトの怪人たち
困ったものである。
名張市政のレベルダウンというのは、この手のうすらばかをのさばらせたことに起因している。
要するに、うすらばかはうすらばかとしかつるまない、ということであろう。
「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」
などとうっかり口走ってしまうようなうすらばかとばかりつるみ、のみならずそういった手合いにいいようにつけこまれさえしておるのだから、名張市政がレベルダウンするのも無理はない。
ちっとはしっかりしてみろよ。
しかし、しっかりなんか全然しないまま、というか、ますますレベルをダウンさせながら、ここ名張市に時間は流れた。
まちなか再生事業の大失敗がだれの眼にも明らかになりつつあったころ、おれは当時の教育次長にこんなメールを送信した。
お世話になっております。単刀直入に申しあげます。以下に一点、質問を記します。ご多用中恐縮ですが、お答えをいただければ幸甚です。
名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。
私個人は、これまでに市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックによって具体的に示しましたとおり、図書館が過去に収集した乱歩関連資料にもとづいて、全国を対象にしたサービスを提供することが望ましいと考えております。そのサービスはインターネットを活用して進めるべきであるとも愚考いたします。
しかるに、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において、貴職は私の考えを必ずしもそのまま受け容れるとはかぎらないという旨のご発言をなさいました。正確なところは事務局による録音を聴いてみなければわかりませんが、とにかく貴職は、私が示した方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであるとおっしゃったように記憶しております。
私にとってこれは驚くべきご発言で、名張まちなか再生プランには直接関係のないことですから委員会の席では何も申しあげませんでしたが、貴職にお訊きして確認したいことは少なからず存在いたします。しかし、いまはほかのことには触れません。ただひとつ、私の示したところをそのまま受け容れるにせよそうでないにせよ、名張市教育委員会が市立図書館の運営における乱歩の扱いをどのようにお考えなのか、あるいはお考えではないのか、その点に関して上記の一点をお訊きする次第です。
お答えはメールでお願いできればと思います。また、お答えは当方のサイトで公開させていただきたく思っておりますが、もしも差し支えがある場合は非公開といたしますので、その旨お知らせくださいますようお願いいたします。
年度末を迎えてお忙しいところ、勝手なお願いを申しあげて心苦しく思っております。よろしくお願い申しあげます。
2007/02/28
催促しても、返事はなかった。
お願いだからこの件について考えてくれんか、と依頼しても、なにも考えない、なにも答えない。
それがお役所というところである。
無能と怠慢に支配されたお役所という世界では、なにをいってやってもなにも動かない。
だれひとりとして、ものごとを真剣に考えようとしない。
思考を停止させ、先送りとだんまりを決め込み、責任を回避してあやしむことがない。
やってらんねーよばーか、とおれが思ったのも、無理のないことであったとおれは思う。
しかも、これとはべつに、テロ用特選素材として秘匿温存している門外不出のエピソードもあって、やれやれ、そこまでいわれたんじゃいつまでも図書館の嘱託やってるわけにもいかねーじゃねーか、なんかもうばからしいしな、と思って、おれは名張市立図書館とおさらばしたのである。
しかし、乱歩にかんしてやらねばならんことはあるのだから、名張市立図書館にはおさらばするとして、NPOでもつくって活動するか、と考えた。
ま、血迷っていたのであろうな。
おれはもともとNPOなんて嫌いなのだが、にもかかわらずNPOでもつくろうかと考えたのは、それほどまでにお役所の現実というやつに絶望していた、ということであったとご理解いただきたい。
とはいえ、NPOをつくって活動するにしても、活動の柱のひとつは、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料を活用する、ということになるはずだったから、NPOをつくるにあたっては市立図書館とのあいだに密接で良好な関係性を構築することが前提になる。
そのあたりのことも含め、NPOつくろうかと考えておるのですがいかがなものでしょうか、と名張市に文書を提出して見通しを質問したのじゃが、例によって例のごとく、返答はない。
とにかくもう、なにかを考えるのがとてもいや、ということなのであろうな。
なにしろ、これだもんよ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
ほんと、考えるのがそれほどいやか、という話である。
打てば響くように、手前どもはなーんにも考えないことにしておりますッ、という答えが返ってくる。
それがお役所である。
それが、考えていただける、ということになったのである。
重畳至極のありがたきしゃーわせ、っつーやつであろうな。
一年以上にわたる粘り強い働きかけが功を奏し、乱歩にかんしてなにをすればいいのか、名張市立図書館がみずから主体的に考える、というところまで、ようようこぎつけたのである。
ようやくにして、そういうところまで、といったって、一般的な感覚でいえばごくごくふつうのことなのであるが、ものごとを考えない世界でものごとを考えていただくというのは、やはりずいぶん大変なことであるらしく、無能と怠慢に支配されたそんな世界でようようそういうところまで、ようやくにしてたどりつくことができたのである。
にしても、ほんと、お役所ってのはどうしてここまで世話が焼けるのであろう。
考えていただかねばならぬことを考えていただく、というあたりまえのことをやっていただくのに、どうしてここまで手間ひまがかかるのであろう。
では、そろそろ行ってみようか。
名張市乱歩関連事業アドバイザー就任を記念して、カラフルな感じで行ってみる。
名張市役所のみなさんも、どうぞごいっしょに。
いくら田舎のお役所じゃとて
はあどーしたどしたあ
ずんずびずばーん
ぱっぱやーん
ここまであほではちょいと困る
それからどしたあ
ずんずびずばーん
ぱっぱやーん
ちょいとどころかだいぶ困る
はあもっともだーあもっともだあ
ずんずびずばーん
ぱっぱやーん
ぱっぱやーん
ぱっぱやーん
以上、正調名張市役所音頭スキャット付き、であった。
それはそれとして、じつにありがたきしゃーわせではあるのじゃが、やっぱものすごい不安でもあるわけな。
アドバイザーとしては、なんだかとっても不安である。
主体的に考えて、主体的に決める、というごくあたりまえのことを、お役所のみなさんにやっていただけるのかどうか、不安で不安でしかたがない。
不安ではあるが、アドバイスはきっちりとしなければならん。
なんつったって、アドバイザーなのだからな。
とはいえ、しかし、結局のところ、とどのつまり、しょせんは、まああれであろう。
こちらがいくら有能なアドバイザーであったとしても、アドバイスを受ける側がどうしようもない場合には、やっぱどうしようもない。
能力もなければ、やる気もない。
懇切にかみくだいて教えてやってもなにもわからず、叱り飛ばしてやってもへらへら笑ってごまかすばかり。
理解だの、理解にもとづく判断だの、そういった芸当はいっさいできない。
なんかもう、うわっつらだけちゃらちゃらかっこつけてればそれで満足、みたいな。
そんなのが相手だったら、アドバイスなんてただの無駄、ということになってしまう。
そんなことになるかどうかは、アドバイザーたるおれではなく、名張市サイドの問題である。
さて、不安は横において、とりあえず名張市立図書館の話である。
11月25日、すなわち憂国忌の就任以来、順序立てて少しずつ、アドバイスを進めている。
まず、乱歩関連資料を収集するにあたっては、いったいなにを集めればいいのか、それをちゃんと定義することが必要である、とアドバイスした。
ちゃんと考えて、ちゃんと決める。
主体的に判断する。
それが大切だ、ということである。
そのさい、それと同時に、収集した資料をどう活用するのか、ということも考えておく必要がある。
収集と活用は、いうまでもなく表裏一体、ワンセットのものである。
これが四十年ほどまえ、名張市立図書館が開館した当時であれば、とりあえず収集を開始し、活用の方法はじっくり考えていこうか、みたいなことでもよかったはずなのだが、四十年も経過してこんなことでは困る。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
資料収集そのものが目的ということでいいではないか、とおっしゃる向きもあるかもしれんが、個人のコレクターならそれでよくても、公共図書館が税金つかって収集した資料なんだから、活用の方向性をはっきり明示しないことには市民の理解や納得は得られまい。
だから、アドバイザーとしては、収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてはどうかね、とかアドバイスしてみたのだが、これはちょっとまずかったかな、と思わないでもない。
勇み足であったかもしれない、と思う。
アドバイザーとしていまだ初心者であるがゆえ、ついつい功をあせってしまったのかもしれない。
相手の自主性や内発性というものを、もっと重んじるべきであったな、といまは反省している。
おれがなすべきなのは、名張市立図書館が主体的に判断するためのアドバイスなのである。
一から十まで、手取り足取り、あれしなさい、これしなさい、そうしなさい、どうしなさい、などといった感じで幼児を教導しているのではない。
もちろん、おれの頭のなかには、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをどうしていけばいいのか、といったことにかんして、明確なビジョンやプランが存在している。
しかし、それを押しつけるわけにはいかない。
かりに押しつけたところで、名張市立図書館にそれを実現する能力があるのか、やる気があるのか、ということになると、おおきに首をかしげざるをえない。
たぶん無理じゃね? という気がしないでもない。
だから、現時点では、とりあえず、これからも乱歩関連資料の収集を継続するというのであれば、どう活用するのかということも念頭におきながら、乱歩関連資料とはどんなものなのか、なにを収集すればいいのか、それを明確に定義しなければならない、というところまで、はじめの第一歩、とでも呼ぶべきアドバイスを進めた、ということを名張市民各位にご報告申しあげる次第である。
では、アドバイザーであるおれ自身は、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集についてどう考えているのかというと、以前からまったく変わりはない。
乱歩の自己収集を継承する、ということである。
乱歩その人の遺志を継ぐ、ということである。
より具体的なことを知りたいとおっしゃるのであれば、名張市立図書館が発行した三冊の目録をごらんいただくのが手っ取り早い。
あの目録は、いってみれば、名張市立図書館が収集対象としている乱歩関連資料のリストなのである。
だったら、名張市立図書館は乱歩関連資料を定義できているのではないか、と人は思うであろう。
それが、そうではないということになっている。
どうしてなのかは、じつは、おれにもよくわからない。
お役所ってのは、じつに奇々怪々なところである、としかいいようがない。
なんかもう、狐につままれたような話ではあるのだが、そのあたりの経緯を確認しておいたほうがいいかもしれない。
すでに一再ならず記したことだから、簡単に振り返ることにして、おれは名張市立図書館から、市民を対象にした乱歩作品の読書会を開催したい、ついてはその講師を務めてくれないか、と依頼された。
速攻で断った。
そんな読書会、必要ないとおれには思われた。
むろん、開催するのは図書館の勝手だが、おれにはその片棒を担ぐ気などさらさらなかった。
一年後、また依頼された。
そんな読書会、まったく必要ないという考えに変わりはなかったが、図書館としても乱歩生誕百年を控え、なにか乱歩がらみのことをやってないとかっこうがつかないのであろうな、と理解して、それなら二年だけ、と応諾した。
二年と期限を切ったのは、二年目が乱歩生誕百年にあたっていたからである。
ところが、三年目にも読書会が継続されていると知らされて、おれは怒ったわけ。
約束は守れよこら、二年で終わる約束だったではないかこら、なんで勝手に三年目やるって決めてんだよ、おれはおまえらの手駒かこら、市民は行政の手駒かっつってんだよインチキ自治体、三年目なんて知らねーやばーか、とおれは怒ったわけ。
だいたいおまえらはなんなんだ、どうしてそうなんだ、どうして市民相手の読書会なんてものでお茶をにごそうとするんだ、日本でたったひとつ、乱歩関連資料を専門的に収集してる公共図書館なんだから、それにふさわしいことをやればいいではないか、どうしてやらんのだ、あーん? と叱り飛ばしてやったわけ。
すると、なにをしていいのかまったくわからない、との返事が返ってきた。
乱歩にかんしてなにをすればいいのか、名張市立図書館にはまったくわからない、とのことであった。
そんなこと知らんがな、とは思ったのだが、お願いだからなんとかしてくれんかと泣きつくように頼まれて、おれはついついその気になった。
そこで、だったらなんでもいいから立場をくれんか、と申し出たところ、名張市立図書館の嘱託というポジションが与えられて、それで目録三冊をつくった。
手をつけるべきことはまだまだあったけど、乱歩関連資料にかんする目録としてこれだけやっときゃまずOK、という最低限のものはできたので、さあ、これからどうするよ、ということになった。
つまり、収集と活用の土台はできたんだから、その土台に立ってそれなりのことをすればいいのであるが、それなりのことをするための態勢はどうするのか、はたまた、インターネットを活用したサービスを展開するべきだと判断されるのであるが、そのあたりはどう考えるのか、みたいなことを当時の教育長に質問したり進言したりした。
ただし、もっとも強力にアドバイスしたのは、名張市立図書館はこのあたりで乱歩から手を引いてはどうか、ということであった。
つまり、平成14・2002年、旧乱歩邸の土地建物や所蔵資料が、乱歩のご遺族から立教大学に譲渡された。
ほんとのことをいえば、立教大学と名張市立図書館では、おなじく乱歩にかんする事業を手がけるにしても、守備範囲は大きく異なっている。
しかし、そんなことには、だれも気がつかない。
だから、乱歩の著書や蔵書などの遺産が立教大学の手で管理されることになりましたので、今後のことは立教大学にお願いすることにして、目録三冊が完成したことでもあり、乱歩関連資料の収集から手を引きたいと思います、ということにしてしまえば、名張市立図書館は乱歩の看板を円満かつ華麗に降ろすことができたはずであった。
それが望ましい選択ではないか、とおれは思ったわけ。
乱歩生誕地にある公共図書館として、名張市立図書館が乱歩関連資料の収集をつづけるのは、それはそれでいいことだと思う。
しかし、実態はひどいものなのである。
乱歩にかんしてなにをすればいいのかがさっぱりわからない、というのが名張市立図書館の実態なのである。
図書館の副館長が、目録二冊を手にもって、
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
などと尋ねてくる。
それが名張市立図書館の実態だったのである。
それが、名張市という自治体のアベレージでもあるのである。
眼にしみるほどの無能と怠慢がふつうにまかり通り、だれひとりとしてそれを困ったことだとは思わない。
お役所ってのは、そういうところなわけな。
そういうところの人たちに、まともなことなんかとてもできない。
だから、思いつきではじめた乱歩関連資料の収集なんて、いい機会があればやめてしまったほうがいいのではないか、という考えもありだとおれは思う。
そもそも、名張市立図書館がそんな収集をはじめたのは、開館の時点において、いつの日か乱歩記念館なり乱歩文学館なりを市内に建設したい、というぼんやりした望みがあったからなのである。
しかし、以前からいってるとおり、そんな施設は必要ない。
もしも必要だというのであれば、そんなものつくっていったいなにをするのか、簡単でいいから説明してみろ、といってやっても、まともに答えられる人間は官民双方にひとりもいないはずである。
だから、旧乱歩邸の土地建物や所蔵資料が立教大学に譲渡されたのは、名張市に乱歩記念館ないしは乱歩文学館を建設しよう、などと口走るうすらばかを黙らせる好機でもあったのだが、結局、なにもできなかった。
だれひとりとして、なにかを考えようとしなかった。
またあらためてみんなで話し合いましょう、とかなんとかいってその場をやり過ごし、すべて聞き流して知らん顔をする。
教育長へのおれの提言は、そうして水泡に帰したのであった。
しかし、やっぱ、とにかく、ちゃんと考えなくっちゃな。
ちゃんと考えないことには、ほんと、どうにもならんぞ。
すまんすまん。
また、間があいてしまった。
いろいろあってな。
まず、神戸市における横溝正史生誕地碑建立記念イベントの講演会について。
先日もそんな雲行きだとお知らせしておいたのだが、あれが本決まりとなった。
来年もひきつづいて講師をあいつとめることが、正式に決定したのである。
つまり、来年もまた、名張市民のみなさんならびに名張市役所のみなさんに、ゆすりたかりを働くことになったということである。
すまんな。
すまんすまん。
なにぶんのご高配を願いあげる次第である。
先日の講演会をご紹介いただいたブログがあるので、ここでお知らせしておきたい。
永遠のJガール:火曜日なれど祝日なり(2010年11月23日)
雫石鉄也のとつぜんブログ:横溝正史生誕地碑建立6周年記念イベント(2010年11月23日)
KENPRODUCTION 私は眠らない。:乱歩と正史(2010年11月30日)
二銭銅貨煎餅の写真を掲載していただいたエントリもあり、ゆすりたかりを働いた身としてはなにがなし面目をほどこしたような気にもなって、まことにありがたいことであると感謝している。
さて、アドバイザーである。
名張市乱歩関連事業アドバイザーである。
アドバイザーってなに? とお思いの向きもあろう。
いささかの説明を加えておく。
もう一年以上まえのことになるけれど、おらおらおらおら、とおれはごねてやったわけね。
テロかますぞテロ、おらおらおらおら、とごねてやった。
テロかまされるのがいやだったら、乱歩のことをちゃんとやらんかこら、とごねてやった。
しかし、相手は名張市役所のみなさんである。
最初から知れていたことではあるのだが、ちゃんとやる、ということができない。
このブログでいくたびもいくたびも、しつこくも指摘してきたそのとおり、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということがまったくできない。
ばかみたいに吠えまくってきたとおり、
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
というのが、おれの心の叫びだったわけね。
たとえば、今年の6月21日にはこう記した。
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
ということなのであろう。それが名張市の厳しい現実なのである。厳しい。非常に厳しい。だから、そもそも、名張市役所のみなさんに、乱歩のことをちゃんと考えてくんない? とお願いしてみても、はかばかしいことには絶対にならない。そんなことは最初から知れておる。しかし、考えてもらわなくちゃしかたがない。それが名張市役所のみなさんのお仕事なのである。不作為とか、丸投げとか、そんなものはお仕事でもなんでもないんだぞ。主体的に考える。それが本来のお仕事である。だが、お役所のみなさんは、考えることが苦手である。なにも考えようとしないし、考えるために必要な知識を身につけようともしない。ただのばかとして一生を貫きます、みたいな感じなのであろうな。だから、おれだって、ただ考えてくれ、とゆうておるわけではない。おれは最初から、去年の秋から、お役所のみなさんが乱歩のことを考える場に、おれも立ち会わせてくれんかね、とゆうとるわけなのな。
つまりおれは、一年以上もまえから、お役所のみなさんに乱歩のことを真剣に考えてくれとお願いし、しかしお役所のみなさんには考えるなんてことは無理無理無理無理、とても不可能なんだから、とりあえず考えるための機会を設定してその場におれを立ち会わせてくれんかね、とお願いしてきたわけなのな。
その願いが天に通じ、名張市にも通じて、控えおろう、名張市乱歩関連事業アドバイザーである、ということにしていただけたのである。
していただけたのではあるが、ほんとのことをいえば、名張市の乱歩関連事業なんて、おれにはまったく興味がない。
そんなのもうやめとけば? とさえ思っているのだが、ほっとけないことがひとつだけある。
乱歩にかんして、ちゃんと考えて、ちゃんと決めていただきたい、と念願してきたことがある。
いうまでもなく、名張市立図書館にかんすることである。
名張市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用についてである。
どういうことか。
こういうことなわけ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
おととし10月の文書だが、状況にはいまも変化がない。
この文書に記されているとおり、活用の方針などなにもないまま、名張市立図書館は乱歩関連資料の収集をつづけている。
しかし、活用するあてがないのなら、税金で乱歩関連資料を収集することなんてもうやめたら? と考えるのが、一般的な市民感覚というやつではないか。
じつはおれもそう考えていて、いずれ名張市乱歩関連事業アドバイザーとして、やっぱもうやめたら? というアドバイスをしなければならんかも、と思わないでもない。
とはいえ、それは最悪の結論というやつである。
名張市立図書館にはもちろん、乱歩のことをちゃんとやっていってもらいたい。
それがおれの願いである。
したがって、名張市乱歩関連事業アドバイザーとしては、一般的な市民感覚をもった諸兄姉にも納得していただけるように、収集資料の活用方針を明確にする作業に着手する、ということになるのかというと、そんなことではまったくない。
名張市立図書館はもっと重症である。
どんな状態なのか。
乱歩関連資料というのはそもそもどういうものか、ということが、ちっとも明確になっていないのである。
活用がどうこういう以前に、乱歩関連資料ってなに? ということを、名張市立図書館はちっとも考えておらんのである。
そんなことも考えてなかったの? と首をかしげる向きもおありであろう。
考えてなかった。
なにも考えてなかった。
ふつうなら、ありえねー、という話である。
乱歩関連資料を収集する、と決めたのであれば、まず最初に、乱歩関連資料とはなにか、なにを収集すればいいのか、ということが明確になっていなければならない。
それがもう、ぜんっぜん、なわけなのな。
名張市立図書館の開設は、指折り数えれば四十一年もまえ、昭和44・1969年のことであった。
開設準備の段階から乱歩関連資料を収集しておったのだが、それはただ、古書店に足を運んで乱歩と名のつく商品をとりあえず購入しただけ、ということだったと思われる。
それ以降も、乱歩関連資料とはなにか、なにを収集すればいいのか、ということがまじめに考えられることはなく、古書店の目録から乱歩と名のつく商品を選んで購入していただけ、というのが、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集であったと思われる。
どうしてそうだったのか、おれにはようわからん。
名張市立図書館が開館した昭和44・1969年には、ちょうど講談社から歿後第一次乱歩全集が配本中だったわけなんだから、それをぼちぼち読み継いで、小説を、評論を、随筆を、自伝を、と読破していったならば、開館してまもない段階で、乱歩関連資料をどう定義し、どう収集し、どう活用するか、みたいなことの基本線はおのずから明確になっていたはずなのである。
そんな簡単なことがなぜなされなかったのか、おれにはさっぱりわからんのだが、端的にいってしまえば、お役所の風土というやつのせいであると思われる。
それはもう、お役所の風土や、お役人の体質などというものは、じつにひどいものであるからな。
ただし、そうした風土や体質の話には、いまはこれ以上、踏み込まない。
乱歩関連資料をどう定義するか、という眼前の問題について話を進める。
はっきりいって四十年ほど遅くなったわけではあるが、それをきっちり定義することなしに、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集することができない。
だったら、いくら四十年遅れだとはいえ、やるべきことはやらなければならない。
たとえば、つい先日、こんなアンソロジーが出た。
乱歩の「押絵と旅する男」が収録されている。
これは、名張市立図書館が乱歩関連資料として収集すべき本なのか、そうではないのか。
現時点では、いずれとも決しがたい。
「押絵と旅する男」という作品そのものは、この本を購入しなくたって、名張市立図書館の蔵書でいくらでも読むことができる。
ただし、「押絵と旅する男」がどういう文脈に位置づけられているのか、わかりやすくいえば、ほかの作家のどんな作品といっしょに一冊の本に収められているのか、それを知るためには、この本を購入する必要がある。
ただしこの本、文庫本である。
だから、文庫になる以前の本、いわゆる親本というやつが存在している。
親本を所蔵しているのであれば、文庫本まで購入する必要はないのではないか、という考えもありということになるだろう。
いったいどうすればいいのか、などといちいち思案しなければならんようでは困るから、はっきりした収集方針を決めなければならない。
ただし、おれが決めるわけではない。
おれはあくまでもアドバイザーである。
有用適切なアドバイスをすることはいくらでも可能だが、当然のことながら、最終的な決定権はもっていない。
ちゃんと考えて、ちゃんと決める、というのは、あくまでも名張市立図書館がやるべきことなのである。
お役所の人たちがもっとも苦手とすることではあるが、主体的に考えて、主体的に決める、ということをやってもらわなければならない。
どうなるのであろうな。
アドバイザーとしては、とても不安である。
地域雑誌「伊賀百筆」の第二十号、きのうご恵投いただいた。
原稿を落としてなんとも申しわけないことをしてしまった、とは思っていたのだが、郵送されてきた二十号にざっと眼を通し、いよいよ申しわけないな、という気になった。
巻頭の特集は「さようなら華房良輔さん」で、つまりこの号、昨年11月8日に逝去された華房良輔さんの追悼号になっている。
ところが、編集後記によれば、華房さんの一周忌に間に合わせるべく編集されたものの、残念ながら果たせなかったという。
やべーな、と思う。
おれがぐずぐずしていたから発行が遅れてしまった、ということであろう。
たぶんそのはずである。
なんとも申しわけない。
「伊賀百筆」関係各位と、さらには華房良輔さんの関係各位、それから天国の華房さんにお詫びを申しあげたい。
そういえば、申しわけないことはほかにもあって、もう十年以上も前のことになるか、華房さんに拙宅へおいでいただいていっしょにお酒を飲んだとき、どうしたことであったのか、うちの犬っころが華房さんに咬みついてしまった。
翌日あらためて、名張市赤目町相楽のご自宅まで、一升瓶ぶらさげてお詫びにあがった次第であったのだが、いやはや、亡くなったあとまでご迷惑をおかけしてしまうとは、じつに申しわけのないことである。
お詫びのしるしにもならないが、「伊賀百筆」第二十号の特集「さようなら華房良輔さん」の内容をお知らせしておく。
さようなら華房良輔さん 北出楯夫
ごあいさつ 華房良輔
黄泉の華房良輔兄へ 藤本義一
マイボス・マイメモリー 綱谷隆司郎
ドンキホーテ精神 太田順一
華房さんのこと 番條克治
華房先生の奥様へ 崔文子
華房さんと戎まわしの思い出 井上恵
一周忌を前に 華房洋子
華房さんの略年譜
童話 タヌキの親子 はなぶさりょうすけ
遺稿 美人はなぜ美しいのか 華房良輔
いやー、ほんとに申しわけないことをしてしまった。
重ねてお詫びを申しあげる。
二十号のもうひとつの特集は、伊賀市庁舎の建設問題。
「ほんとに壊してしまっていいの?」と題して、約百ページのボリューム。
編集後記によれば、「伊賀市の医療崩壊が市民生活を脅かしている。今や市民の最大関心事となっているが、安心安全の街づくりを掲げる内保博仁市長までが、入院先を東京の病院にするほどの深刻な有様。そんな中で、市庁舎問題もまた、重要な行政課題となっている。今号の第二特集としたのは、そうした事情である。市民が納得のいく結論を出して欲しいものだと念じている」とのことである。
こちらも内容をお知らせしておく。
たった一日の伊賀上野行(考) 藤木隆男
建築文化の継承──市庁舎の存続をめぐって 滝井利彰
市民ととことん「熟議」を尽くしたか? 北出楯夫
「伊賀百筆」第二十号はA5判、二百九十ページ、伊賀百筆編集委員会発行。
伊賀地域の主要書店に並んでいるはずである。
気になるお値段は税込み千と五百円。
よろしければぜひご購読を。