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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 アドバイザーとしては、なんだかとっても不安である。
 
 主体的に考えて、主体的に決める、というごくあたりまえのことを、お役所のみなさんにやっていただけるのかどうか、不安で不安でしかたがない。
 
 不安ではあるが、アドバイスはきっちりとしなければならん。
 
 なんつったって、アドバイザーなのだからな。
 
 とはいえ、しかし、結局のところ、とどのつまり、しょせんは、まああれであろう。
 
 こちらがいくら有能なアドバイザーであったとしても、アドバイスを受ける側がどうしようもない場合には、やっぱどうしようもない。
 
 能力もなければ、やる気もない。
 
 懇切にかみくだいて教えてやってもなにもわからず、叱り飛ばしてやってもへらへら笑ってごまかすばかり。
 
 理解だの、理解にもとづく判断だの、そういった芸当はいっさいできない。
 
 なんかもう、うわっつらだけちゃらちゃらかっこつけてればそれで満足、みたいな。
 
 そんなのが相手だったら、アドバイスなんてただの無駄、ということになってしまう。
 
 そんなことになるかどうかは、アドバイザーたるおれではなく、名張市サイドの問題である。
 
 さて、不安は横において、とりあえず名張市立図書館の話である。
 
 11月25日、すなわち憂国忌の就任以来、順序立てて少しずつ、アドバイスを進めている。
 
 まず、乱歩関連資料を収集するにあたっては、いったいなにを集めればいいのか、それをちゃんと定義することが必要である、とアドバイスした。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決める。
 
 主体的に判断する。
 
 それが大切だ、ということである。
 
 そのさい、それと同時に、収集した資料をどう活用するのか、ということも考えておく必要がある。
 
 収集と活用は、いうまでもなく表裏一体、ワンセットのものである。
 
 これが四十年ほどまえ、名張市立図書館が開館した当時であれば、とりあえず収集を開始し、活用の方法はじっくり考えていこうか、みたいなことでもよかったはずなのだが、四十年も経過してこんなことでは困る。
 
中 相作 さま
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 資料収集そのものが目的ということでいいではないか、とおっしゃる向きもあるかもしれんが、個人のコレクターならそれでよくても、公共図書館が税金つかって収集した資料なんだから、活用の方向性をはっきり明示しないことには市民の理解や納得は得られまい。
 
 だから、アドバイザーとしては、収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてはどうかね、とかアドバイスしてみたのだが、これはちょっとまずかったかな、と思わないでもない。
 
 勇み足であったかもしれない、と思う。
 
 アドバイザーとしていまだ初心者であるがゆえ、ついつい功をあせってしまったのかもしれない。
 
 相手の自主性や内発性というものを、もっと重んじるべきであったな、といまは反省している。
 
 おれがなすべきなのは、名張市立図書館が主体的に判断するためのアドバイスなのである。
 
 一から十まで、手取り足取り、あれしなさい、これしなさい、そうしなさい、どうしなさい、などといった感じで幼児を教導しているのではない。
 
 もちろん、おれの頭のなかには、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをどうしていけばいいのか、といったことにかんして、明確なビジョンやプランが存在している。
 
 しかし、それを押しつけるわけにはいかない。
 
 かりに押しつけたところで、名張市立図書館にそれを実現する能力があるのか、やる気があるのか、ということになると、おおきに首をかしげざるをえない。
 
 たぶん無理じゃね? という気がしないでもない。
 
 だから、現時点では、とりあえず、これからも乱歩関連資料の収集を継続するというのであれば、どう活用するのかということも念頭におきながら、乱歩関連資料とはどんなものなのか、なにを収集すればいいのか、それを明確に定義しなければならない、というところまで、はじめの第一歩、とでも呼ぶべきアドバイスを進めた、ということを名張市民各位にご報告申しあげる次第である。
 
 では、アドバイザーであるおれ自身は、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集についてどう考えているのかというと、以前からまったく変わりはない。
 
 乱歩の自己収集を継承する、ということである。
 
 乱歩その人の遺志を継ぐ、ということである。
 
 より具体的なことを知りたいとおっしゃるのであれば、名張市立図書館が発行した三冊の目録をごらんいただくのが手っ取り早い。
 
 あの目録は、いってみれば、名張市立図書館が収集対象としている乱歩関連資料のリストなのである。
 
 だったら、名張市立図書館は乱歩関連資料を定義できているのではないか、と人は思うであろう。
 
 それが、そうではないということになっている。
 
 どうしてなのかは、じつは、おれにもよくわからない。
 
 お役所ってのは、じつに奇々怪々なところである、としかいいようがない。
 
 なんかもう、狐につままれたような話ではあるのだが、そのあたりの経緯を確認しておいたほうがいいかもしれない。
 
 すでに一再ならず記したことだから、簡単に振り返ることにして、おれは名張市立図書館から、市民を対象にした乱歩作品の読書会を開催したい、ついてはその講師を務めてくれないか、と依頼された。
 
 速攻で断った。
 
 そんな読書会、必要ないとおれには思われた。
 
 むろん、開催するのは図書館の勝手だが、おれにはその片棒を担ぐ気などさらさらなかった。
 
 一年後、また依頼された。
 
 そんな読書会、まったく必要ないという考えに変わりはなかったが、図書館としても乱歩生誕百年を控え、なにか乱歩がらみのことをやってないとかっこうがつかないのであろうな、と理解して、それなら二年だけ、と応諾した。
 
 二年と期限を切ったのは、二年目が乱歩生誕百年にあたっていたからである。
 
 ところが、三年目にも読書会が継続されていると知らされて、おれは怒ったわけ。
 
 約束は守れよこら、二年で終わる約束だったではないかこら、なんで勝手に三年目やるって決めてんだよ、おれはおまえらの手駒かこら、市民は行政の手駒かっつってんだよインチキ自治体、三年目なんて知らねーやばーか、とおれは怒ったわけ。
 
 だいたいおまえらはなんなんだ、どうしてそうなんだ、どうして市民相手の読書会なんてものでお茶をにごそうとするんだ、日本でたったひとつ、乱歩関連資料を専門的に収集してる公共図書館なんだから、それにふさわしいことをやればいいではないか、どうしてやらんのだ、あーん? と叱り飛ばしてやったわけ。
 
 すると、なにをしていいのかまったくわからない、との返事が返ってきた。
 
 乱歩にかんしてなにをすればいいのか、名張市立図書館にはまったくわからない、とのことであった。
 
 そんなこと知らんがな、とは思ったのだが、お願いだからなんとかしてくれんかと泣きつくように頼まれて、おれはついついその気になった。
 
 そこで、だったらなんでもいいから立場をくれんか、と申し出たところ、名張市立図書館の嘱託というポジションが与えられて、それで目録三冊をつくった。
 
 手をつけるべきことはまだまだあったけど、乱歩関連資料にかんする目録としてこれだけやっときゃまずOK、という最低限のものはできたので、さあ、これからどうするよ、ということになった。
 
 つまり、収集と活用の土台はできたんだから、その土台に立ってそれなりのことをすればいいのであるが、それなりのことをするための態勢はどうするのか、はたまた、インターネットを活用したサービスを展開するべきだと判断されるのであるが、そのあたりはどう考えるのか、みたいなことを当時の教育長に質問したり進言したりした。
 
 ただし、もっとも強力にアドバイスしたのは、名張市立図書館はこのあたりで乱歩から手を引いてはどうか、ということであった。
 
 つまり、平成14・2002年、旧乱歩邸の土地建物や所蔵資料が、乱歩のご遺族から立教大学に譲渡された。
 
 ほんとのことをいえば、立教大学と名張市立図書館では、おなじく乱歩にかんする事業を手がけるにしても、守備範囲は大きく異なっている。
 
 しかし、そんなことには、だれも気がつかない。
 
 だから、乱歩の著書や蔵書などの遺産が立教大学の手で管理されることになりましたので、今後のことは立教大学にお願いすることにして、目録三冊が完成したことでもあり、乱歩関連資料の収集から手を引きたいと思います、ということにしてしまえば、名張市立図書館は乱歩の看板を円満かつ華麗に降ろすことができたはずであった。
 
 それが望ましい選択ではないか、とおれは思ったわけ。
 
 乱歩生誕地にある公共図書館として、名張市立図書館が乱歩関連資料の収集をつづけるのは、それはそれでいいことだと思う。
 
 しかし、実態はひどいものなのである。
 
 乱歩にかんしてなにをすればいいのかがさっぱりわからない、というのが名張市立図書館の実態なのである。
 
 図書館の副館長が、目録二冊を手にもって、
 
 「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
 
 などと尋ねてくる。
 
 それが名張市立図書館の実態だったのである。
 
 それが、名張市という自治体のアベレージでもあるのである。
 
 眼にしみるほどの無能と怠慢がふつうにまかり通り、だれひとりとしてそれを困ったことだとは思わない。
 
 お役所ってのは、そういうところなわけな。
 
 そういうところの人たちに、まともなことなんかとてもできない。
 
 だから、思いつきではじめた乱歩関連資料の収集なんて、いい機会があればやめてしまったほうがいいのではないか、という考えもありだとおれは思う。
 
 そもそも、名張市立図書館がそんな収集をはじめたのは、開館の時点において、いつの日か乱歩記念館なり乱歩文学館なりを市内に建設したい、というぼんやりした望みがあったからなのである。
 
 しかし、以前からいってるとおり、そんな施設は必要ない。
 
 もしも必要だというのであれば、そんなものつくっていったいなにをするのか、簡単でいいから説明してみろ、といってやっても、まともに答えられる人間は官民双方にひとりもいないはずである。
 
 だから、旧乱歩邸の土地建物や所蔵資料が立教大学に譲渡されたのは、名張市に乱歩記念館ないしは乱歩文学館を建設しよう、などと口走るうすらばかを黙らせる好機でもあったのだが、結局、なにもできなかった。
 
 だれひとりとして、なにかを考えようとしなかった。
 
 またあらためてみんなで話し合いましょう、とかなんとかいってその場をやり過ごし、すべて聞き流して知らん顔をする。
 
 教育長へのおれの提言は、そうして水泡に帰したのであった。
 
 しかし、やっぱ、とにかく、ちゃんと考えなくっちゃな。
 
 ちゃんと考えないことには、ほんと、どうにもならんぞ。
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