忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

きのうのつづきである。

11月16日の夜、名張まちなか再生委員会の主要スタッフおひとりと密談した。細川邸整備には直接関係のないポジションの方である。用件は、その方が手がけていらっしゃるプロジェクトへの協力要請であったが、過去の経緯を説明し、お断りした。いまごろ泣きついてきたって手遅れである、と申しあげておいた。

酒を飲みながら話を進めるうち、駅弁大学名物御用学者の先生の話題になった。なんなんだあのインチキ学者は、みたいなことを口走ったところ、あの先生とは完全に縁を切りました、とのことである。名張市とあの先生は今後いっさい、なんの関係もありません、と教えていただいた。どんな事情があったのかまでは聞かなかったが、とにかくそういうことらしい。しかし、いまごろ手を切ったって手遅れである。

ちなみに、7月30日付で名張市監査委員に提出した住民監査請求は、名張市とこの御用学者の先生ならびにNPOなばりとの癒着についてただすものであった。9月20日に監査委員から示された監査結果通知書には、この先生にかんしてこんなことが記されていた。

   
さらに、当該研究を名張市が「三重大学」との間で契約を締結しようとする理由において、当該大学の研究室に「名張地区既成市街地再生計画策定委員会委員長」及び「名張まちなか再生委員会副委員長」を歴任した教授が在籍し、名張地区既成市街地の近年の経緯、実状について熟知しており、地域課題についても掌握している研究機関であり、あわせて学術的・専門的な知識を有していることから、随意契約理由としている根拠も、妥当なものと判断できる。

ばーか。ポチがいかにきゃんきゃん吠えようとも、げんに学者先生は絶縁状を突きつけられたみたいではないか。ところ払いを命じられたようではないか。それはそれでいいとして、いったいだれが責任をとるのか。

この先生、名張まちなか再生プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長だった方である。細川邸を歴史資料館として整備するなどというリフォーム詐欺まがいのプランを策定し、「歴史的建造物改修に係る基本設計業務ならびに当該建造物を活用した管理運営モデルの開発、運営効果の測定に関する研究及び実践」とかいうなんの役にも立たぬインチキ研究で税金149万9400円をかすめ取っていったのが、この駅弁大学の御用学者の先生なのである。

そんな手合いをありがたがっていた不明というものを、名張市はどのように考えているのか。何も考えてはおらんのであろうな。いくら考えたところで、もう取り返しはつかんのだしなあ。ばかだなあ名張市。

そんなこんなで、名張駅東口にほど近い居酒屋で、名張まちなか再生委員会の主要スタッフの方とじっくり話し込んだのだが、経緯や事情を理解していただき、協力要請を拒否することも納得していただいたうえ、飲み代までおごっていただいて、一件落着となった。
PR
きのうの午前、時間があったので、名張市役所に行ってきた。四階、名張まちなか再生委員会事務局。てめーいやがらせかよ、と思われるかもしれないが、細川邸乗っ取りプロジェクトを展開するうえで、確認しておきたいことがあった。

どうして名張まちなか再生委員会が、いまだに細川邸のことやってんの? という点の確認である。平成16・2004年度に名張まちなか再生プランが策定され、平成17・2005年6月に名張まちなか再生委員会が結成された。名張まちなか再生プランを具体化するための組織である。それはわかる。

名張市公式サイトには、名張まちなか再生プランの設置目的が掲載されている。

名張市公式サイト:設置目的

引用。

   
名張市総合計画に位置づけた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、市民・事業者・行政の共通共有の計画である、「名張まちなか再生プラン」を平成17年3月に策定いたしました。
今後10年間は、この「名張まちなか再生プラン」を指針として、市民・事業者・行政など多様な主体の協働により各事業に取り組んでいくこととなっています。
名張地区全体の総合的な再生につながるよう各プロジェクトの執行管理を行なうと共に、「名張まちなか再生プラン」の実現に向け企画・実践・調整を行う機能を 備えた組織の構築を目指し、名張地区まちづくり推進協議会をはじめとする各種団体などを母体とした「名張まちなか再生委員会」を平成17年6月26日に設立いたしました。

だが、プランの目玉であったはずの細川邸の活用は、改修工事こそ進んでいるものの、運営面はまったく白紙の状態である。へたをすれば、来春のオープンと同時に、閉鎖に追い込まれる可能性だってないではない。名張市長をはじめ、名張まちなか再生委員会の委員長、名張地区の区長、名張地区まちづくり推進協議会の会長、といったあたりの関係者がテープカットをおこなったあと、いきなり扉をとざして、閉店ガラガラッ! てめーらますだおかだかよ。

細川邸の活用という側面に限っていえば、名張まちなか再生委員会の無能力は、いまや明白なのである。衆目の一致するところである、といっていいであろう。にもかかわらず、この期におよんでなお、委員会は細川邸の活用を自分たちの職掌だと心得ている。職掌というよりは、既得権益か。いずれにしても、市民をばかにした話である。

だから、どうして名張まちなか再生委員会が、いまだに細川邸のことやってんの? という話になる。かれらの職掌は、あるいは既得権益は、いったい何によって担保されているのか。決定的に無能力であるかれらは何を根拠として、細川邸のことは一手引き受けでございます、とふんぞり返っていられるのか。

事務局で確認したところ、明文化された根拠は何もない、とのことであった。たんなる流れでしかない。名張まちなか再生プランが策定され、プランの素材として細川邸がとりあげられた。そして、プランを具体化させるための委員会が組織された、という流れがあるだけである。

名張まちなか再生委員会の規約を確認しておく。

名張市公式サイト:名張まちなか再生委員会規約

   
(目的及び設置)
第1条 名張まちなか再生プランの基本目標である名張の原風景と人情が息づく魅力あるまちをテーマに、名張地区既成市街地の再生を多様な主体の協働により推進していくことを目的として名張まちなか再生委員会(以下「委員会」という。)を設置する。
(所掌事項)
第2条 委員会は、名張まちなか再生プランの実現を目指し、名張地区のまちづくり活動を継続かつ円滑に運営するために、調査、企画及び計画の立案並びにプロジェクト及び事業の具体化、推進、調整を図るものとする。
(組織及び構成員)
第3条 委員会は、名張地区まちづくり推進協議会委員、名張商工会議所会員、まちづくり関係団体の構成員及び名張市の職員の中から推薦された者、学識経験者、その他委員会の活動目的を理解し、役員会で認められた者で構成し組織する。

「多様な主体の協働」といったってこら、そんなものは癒着構造を正当化するためのことばでしかないではないか。しかも実際には、多様な主体とやらが思いきり反目し、いがみあっているのがあの委員会の現状ではないか。

もうひとつ、名張市考査委員会から提出された事務事業評価報告書では、名張まちなか再生委員会の位置づけが不明確であり、責任主体の明確化が必要である、と指摘されていたが、この点はどう改善されるのか、ということも訊いてきた。委員会を解散させることはありえない、とのことであった。さりとて、具体的な改善策も検討されていないようである。

だろーな、と思い、一階総合案内の女の子に手を振りながら市役所をあとにして、皇學館大学名張キャンパスに足を運んだ。「名張まちなかナビ2.0」の隠街道市での配布分にいくらか残部が出たため、皇學館の学内でも配ってもらえればと考えて、その依頼に行ったのである。隠街道市の二日目、皇學館大学の先生にお会いしたとき、ふと思いついた考えである。

事務局のようなところで用件を告げたところ、学生向けのパンフレット立てに入れてやろう、と快諾を得た。ついでに、というか、むしろこっちのほうが本命だったのだが、皇學館大学名張キャンパスに、ミステリー小説が好きな学生のクラブか同好会は存在するか、と質問した。存在しない、とのことであった。

何かのおりには皇學館の学生さんにもNPO活動を手伝ってもらいたいものだと虫のいいことを考え、そのとっかかりとなるのはミス研あたりかと踏んで質問した次第であるが、ないというのであればいたしかたない。ま、ほかにも道はあるだろう。

夜になって、名張まちなか再生委員会の主要スタッフおひとりと、名張駅東口からほど近い居酒屋で密談。内容については、またあすにでも。
ご町内のことしか知らない。知ろうとしない。理解できない。理解しようとしない。ご町内を相対化できない。視点を外在化させられない。外部の人間の話を聴く考えはない、とか平気でいってしまう。

そんなご町内感覚一辺倒なうすらばか連中の話題から離れて、鳥羽の話題。きのうの朝日新聞の記事である。

朝日新聞:鳥羽観光 再生を模索

引用。

   
●歴史・文化資源の活用「強力に」●
吉田新会頭は先月30日、就任の記者会見で「大きな柱の一つとして、地域の歴史や文化を発掘し観光資源として活用するエコミュージアム事業を、強力に進めたい」と強調した。とくに6年後の遷宮に向けて、鳥羽への誘客を強めていく考えだ。

鳥羽市の観光客数(同市調べ)は、91年の699万人をピークに下降線を描き、98年には560万人に落ち込んだ。危機感を抱いた商議所は同年、外部の研究機関に観光地としての評価を依頼したところ、「観光資源は豊かだが、宿泊施設のサービス水準、まちの雰囲気などに問題点が多い」と指摘された。

「大変なショックだった」と清水清嗣・専務理事(52)。会員の約1100社のうち6割近くを観光関連企業が占める。「観光客の落ち込みは死活問題」との意識は強く、「小手先の改善ではなく、観光都市づくりを目指そう」と、3人の副会頭のうち観光担当の吉田副会頭が中心になって模索を始めた。

それまでの観光客は団体客が中心で、水族館や真珠の観光施設、ホテルだけに集中していた。しかし、最近では、個人客の割合が大きくなり、「自由に散策できるコースがほしい」という声が強まっていた。

「各地域で観光資源を発掘できれば、市内を巡る観光ルートができる」という思いが、エコミュージアム事業へとつながった。

同事業の一環として、鳥羽地区では、かつて市内で過ごしたこともある市ゆかりの作家、江戸川乱歩の世界を見せる「鳥羽みなとまち文学館」が02年8月に第1次オープンし、その後も施設を徐々に拡充しており、散策コースの目玉になりつつある。浦村地区では和歌の散策路が整備され、相差地区では海女小屋などを見学するコースづくりが進んでいる。

2002年に485万人まで減った市内の観光客はその後、横ばいが続いた。06年には503万人とやや持ち直したものの、厳しい状況は変わらない。

引用してみたところで、なんの参考にもならぬか。なにしろご町内感覚一辺倒なのであるから。

ご町内感覚の特徴のひとつとして、ご町内でしか通用しない価値観をいくらでも一般化できると思っている、というのもあげておこう。隠街道市、というネーミングなど、まさにご町内感覚そのものである。どーしよーもねーなー。わーっはっは。わーっはっは。
前総務部長のGJによって、さらにいささかさかのぼれば、市長みずからが主役を演じたことし4月の耐震ゴルフ事件によって、2ちゃんねる的にはおおいに勇名を馳せた伊賀市であるが、わが名張市においてはその手の話題もまったくなく、ただひそかに、人知れず、マイナスポイントばかりが着実に積み重ねられている昨今である。

そうした傾向を端的に物語るのは、やはり細川邸であろう。細川邸の改修工事が終了し、やなせ宿として公開されれば、名張市はかなり大量のマイナスポイントを稼ぐことになる。あきらかな失政の象徴が、具体的なかたちをとって市民にお披露目されるのである。金もないのになーに無駄なものつくってんだばーか、という市民の批判が、あの細川邸に集中することになるのである。責任なんて、だれもとろうとはしないのであろうけれども。

なにしろなんのための施設なのか、それがまったく不明である。目的も意味もまったくわからぬ。ただ税金つかってうわっつらだけ整備してみました、なかみはきれいにからっぽでございます、というだけの話なのである。なんか観光交流施設らしいんですけど、関係者にも何もわかってないわけでございまして、いやもうどいつもこいつもうすらばかなんで困ってしまいますわーっはっは、わーっはっは、どーもさーせんわーっはっは、わーっはっは、という施設が誕生することになるのである。完全無欠のあほなのである。

意味もなく工事が進められている細川邸の、いわばビフォアーの姿がこれ。昨年1月5日に撮影した。

20071115a.jpg

新町の通りからではなく、裏側にあたる名張川のほうから撮影。左手奥にみえるのが母屋、手前にふたつの蔵。この場所でいま、意味もなく工事が進められているのである。

しいて意味をさがせば、予算を消化するという一点にこそ、意味は求められよう。予算消化のための工事なのである。細川邸の改修のみにはとどまらぬ。名張まちなか再生プラン全体の問題である。これまでずっと、何ひとつ決めることができないからずーっと先送りを重ねてきた、そのツケを支払わねばならぬ時期が来たのである。もう先送りはできない。かといって、なんのプランもない。アイデアもない。

だいたいがもう、ものごとを正式に、ルールに沿って、手続きを踏んで決めている余裕さえない。桝田医院第二病棟の活用がまさにそうである。早い話、名張まちなか再生プラン関係者の頭からは、名張まちなかの再生というテーマはみごとにすっかり失われてしまっていて、なんでもいいから涙目でわーっと予算を執行してしまわなければ、もはやどうしようもないのである。あきれ返った話である。大笑いするしかないのである。わーっはっは。わーっはっは。

大丈夫か名張市。ていうか、あほ?
先月提出された名張市考査委員会の事務事業評価報告書で、位置づけが不明確であると指摘されていた名張まちなか再生委員会。要するに、おまいらなにやってんの、なんのため組織なの、という指摘である。考査委員会の評価などまたなくても、多少なりとも事情を知っている名張市民なら、おそらくはほぼ全員が、この委員会に対してNOの評価をくだしているのではないか。ていうか、委員会のメンバーのなかにも、委員会オワタ、と見切りをつけている人間がいる。

それはそうであろう。平成17・2005年6月の発足以来、協議だか検討だかを二年半ちかくつづけてきたあげく、名張まちなか再生プランの目玉と目されていた細川邸の活用について、具体的なプランをいっさい示すことができていないのである。細川邸あらためやなせ宿は、来春オープンすると公表されている。4月にオープンするのなら、あと四か月ほどしか時間はないのである。

きょうびのことばでいえば、民間ならありえねー、ということが、平然と進められている。しかも、三重大学の浦山研究室やそこらのコンサルタントに、細川邸の改修にからんでいいように税金をふんだくられているのである。そこらの御用学者がワークショップだのなんだのと適当なことばっかかましてるから、考査委員会からは「ワークショップとしての位置づけを明確にし、事業決定権は市長にあることを明らかにする必要がある」との指摘もなされている。

名張まちなか再生委員会というのは、もうどうしようもないのである。そのどうしようもない委員会の委員長に、きのうお会いしてきた。用件は単純。NPOつくって細川邸を乗っ取るけど、とお伝えした。

用意していったのは、A4サイズのプリント二枚。一枚は「《乱歩と名張》設立趣意」、もう一枚は「《NPO乱歩と名張》事業方針」。11月3日に発足した市民組織《乱歩と名張》が、いずれ《NPO乱歩と名張》に移行し、細川邸を乗っ取って活動する、といったことが記されたプリントである。

《NPO乱歩と名張》をNPOなばりと競合させる、という寸法である。NPOなばりは、名張まちなか再生委員会が発足させた組織で、細川邸の管理運営をゆだねられることになっていた。ただし、名張市考査委員会からは「NPO法人への特命は望ましくない」と指摘されていて、要するにずぶずぶなあなあの癒着体質で八百長かましてんじゃねーぞおまいら、ということである。

しかし、新しいNPOが名乗りをあげた場合、細川邸の活用についてはNPOなばりが一手引き受けでございます、とはいってられなくなる。そのはずである。それとも、やっぱNPOなばりが優遇されるのかな、いやだいたい、名張まちなか再生委員会とNPOなばりの関係っていったいどうよ、といろいろなことを尋ねてみたのだが、不明な点も少なくない。

ただまあ、名張まちなか再生委員会のなかに、まちなか運営協議会、といったかどうであったか、そういう組織がつくられていて、これはどんな協議会なのかというと、NPOなばりに細川邸の管理運営をゆだねるのは無理みたいな感じがするから、あらためて細川邸の運営を検討しようという、じつにややこしい話であるが、そのための組織らしい。で、現在は、細川邸の活用についてNPOなばりからプランが提示されてくるのをまっているところらしいのだが、いつまでたっても提示されない。膠着状態がつづいている。

なんとも不得要領な話である。で、新しいNPOが細川邸の活用に名乗りをあげたら、名張まちなか再生委員会としてはどう取り扱うのか、と迫ってみたところ、早急にまちなか運営協議会の役員会を開いて検討する、とのことであったので、早急にっていつよ、と確認し、役員会の日程が決まったら連絡をいただけることになった。

ところで、隠街道市で配られていた細川邸あらためやなせ宿のチラシである。

20071104a.jpg

やなせ宿がなんのための施設かという説明はどこにもなく、ただ「交流の場として誰もが気軽に集えるような空間を育んでいきます」と記されているばかりである。どうして交流の場なのか。細川邸は国からまちづくり交付金の助成をうけて整備されるのだが、どうやら、その交付金の使途が観光交流施設に限定されているらしい。だからまあ、交流の場にいたします、とでもさえずってるしかないのである。なんかもう、大笑いである。はっはっは。
乗っ取り対象となる新町の細川邸。きのう通りかかったら、順調に改修工事が進んでいた。

20071110a.jpg

設計監理は尾形建築事務所、施工は丸栄建設。名張市建築界が誇る黄金タッグである。細川邸の改修には何千万円かの税金が投じられているはずだが、設計施工のほかにもいろいろと、あやしげなコンサルタントだの、駅弁大学の御用学者が主宰する研究室だの、そういうのがあっちこっちからいいように、市民の眼にふれないところで市民の税金をかすめ取っているのである。

大丈夫か名張市。ていうか、お願いだからしっかりしてくれ。

きのう、名張市役所に立ち寄って確認したところ、改修は来年2月末完工の予定だそうである。屋根をふき替えたり、外壁を新しくしたり、耐震構造にしたり、母屋の外に厨房をつくったり、とても立派な便所も新設されて、母屋と渡り廊下で結ばれるらしい。

蔵はふたつ残されている。名張川に近いほうは川蔵と呼ばれ、伊勢湾台風の被害に遭っていたこともあって、傷みはかなり激しかったらしい。それでも残して改修することにしたのは、名張川のほうから眺めた場合の景観を考慮してのことだそうである。誰がそんなことをいいだしたのかは知らないが、どうせ御用学者の先生あたりであろう。いずれにせよ、蔵を残して何につかうか、なんてことはまったく考えられておらんのである。

蔵どころか、細川邸を改修して何につかうのか、それさえ結論が出ておらんのである。にもかかわらず、とっとことっとこハコモノとしての整備が進んでいるのである。正気の沙汰ではないのである。無策無能のシンボルにでもするつもりか。

それでまあ、NPOをつくって細川邸を乗っ取ることにしましたので、と挨拶して、名張市役所四階の名張まちなか再生委員会事務局をあとにした。委員長との面談は、11月12日の月曜と決定した。
「名張ミステリーアーカイブ」では名称がややマニアックか、と思い直し、もう少しわかりやすく、「なばり乱歩ライブラリー」と改めることにした。細川邸乗っ取り計画の話である。面倒なことである。平成17・2005年3月にパブリックコメントで提案した、細川邸を名張市立図書館ミステリ分室にする、というプランを名張市が最初から真剣に検討しておればよかったものを、どこまで世話を焼かせれば気がすむのだ。ちっとは反省しろよな。

とか思っていたら、名張市の公式サイトで名張まちなか再生事業の自己評価が発表された。名張市長の掲げた重点施策について、施策の担当部局が進捗状況と自己評価を報告したうちの一部である。

名張市公式サイト:市長の重点施策について マニフェストの進捗状況(報告)

なかに「27 中心市街地の活性化」という項目がある。

名張市公式サイト:4. 活力あふれる「元気先進都市」を目指して(pdf)

中央西土地区画整理事業にかんするものは省いて、名張まちなか再生プランに関連するパートを引用。

   
27 中心市街地の活性化

マニフェストの内容

名張地区の活性化を図るため、平成21年度までに初瀬街道のまちなみや簗瀬水路の親水空間の整備、細川邸を活用した集客施設、乱歩館の整備など、名張の歴史・文化を活かしたまちづくりを推進します。また、まちなか研究室や学生サロン、夢づくり広場の整備など、住民の活発な交流や活動、まちなか観光の振興などに取り組み、まちの顔となる中心市街地の整備を進めます。

総合評価


主な事務事業     担当部   H18決算見込額
中心市街地活性化事業 都市環境部 10,124,745
旧細川邸維持管理費  都市環境部  00065,602

主な施策指標
中心市街地に魅力があると感じる市民の割合 ※再掲

H17実績
45.9%

H18成果
48.1%
「名張まちなか再生プラン」の実現に向けて、地域資源を活かした個性あるまちづくりを推進しました。
市民・行政・大学により、まちなか研究室や学生サロン、夢づくり広場を整備しました。

第2期実施計画への反映状況
平成21年度 目標:51.4%
名張地区既成市街地については、名張まちなか再生プランに基づき、市民・事業者など多様な主体との協働によりまちづくりを進めます。

備考
市民・行政・大学の三者が連携して、細川邸を改修し、まちなかの交流拠点として活用を図るとともに、江戸川乱歩生誕地碑のある元桝田医院第2病棟跡地利用に向けた取組みや、名張地区の名所を紹介する案内板の設置に取り組みます。

このブログは名張まちなかにかんするアーカイブなので、こういった報告も資料として記録しておくわけなのだが、はっきりいって、こんな自己評価にはなんの意味もない。報告されているのは、行政にとって都合のいいことばかりである。そもそも自己評価なんて、そんなものなのである。手前味噌なのである。業績を残しました実績をあげました手柄をたてました効果がありました。そんな報告、真に受ける市民はごく少数なのではないのか。

のみならず、報告には偽装がある。たとえば、平成18・2006年度の成果として、名張まちなか再生プランの実現がどうのこうので、地域資源を活かした個性あるまちづくりを推進しました、なんてことが書いてある。こんなものは偽装である。てめーら赤福か。御福餅か。へんば餅か。平治煎餅か。いろいろあってたいへんである。ていうか、ここまで来るともう真っ赤なうそだというしかない。

そもそも、いまはどういう時期なのか。先月17日に名張市考査委員会の「名張市事務事業評価報告書」が提出され、今月中旬には名張市公式サイトでその内容が発表されることになっている。そんな時期に、おなじ中心市街地の活性化事業を評価の対象として、名張市の自己評価と外部機関による評価とが天と地ほどの差をみせているというあきれた事実を、お役所が嬉しげにあるいは自慢げに、こんなん出ましたけどー、と示してどうする。市民をおちょくっとるのか。

考査委員会の報告書からの引用を再掲。

   
シートNO.
4022

事務事業名
中心市街地活性化事業

総合評価
継続(事務改善)

主な意見
・「まちなか再生委員会」の位置づけが不明確であり、責任主体の明確化が必要である。
・指定管理者の導入は公募を前提とすべきであり、NPO法人への特命は望ましくない。
・計画が楽観論過ぎるので、組織、権利関係を明確にするため、条例の担保が必要である。
・ワークショップとしての位置づけを明確にし、事業決定権は市長にあることを明らかにする必要がある。

多くの市民は、名張市の自己評価よりも、外部機関による事務事業評価報告書のほうに信を置くであろう。そして、名張まちなか再生事業はもう無茶苦茶なのだなと、名張まちなか再生委員会は位置づけすら不明確な組織なのだなと、ほかにもNPOとかいろんな組織があるらしいけど、主体性や自立性をあいまいにして誰も責任なんか持とうとしないのだなと、思い思いに好き勝手なことをやっているのだなと、事業決定権が市長にあるというあったりまえのことさえ忘れられているのだなと、だったらそんなものやめちまえと、そんなことに税金つかってんじゃねーやばかと、そんなふうに思いをいたすことであろう。それが正解なのである。名張市の自己評価には偽装があるのである。

名張まちなか再生プランの策定がスタートしたのは、平成16・2004年6月のことであった。以来三年あまりの月日を重ねてきたというのに、あろうことか、プランの目玉であった細川邸の活用策がまったく決まっておらんのである。こらばかいったいどうなっておるのだ。まったくひどい話である。あきれ返った話である。責任者出てこいといってみたところで、誰も出てこようとはしないのである。

しかしそれにしても、名張まちなか再生委員会の委員長から、まだ連絡がいただけないのはどうしてなのかな。
《乱歩と名張》が首尾よく《NPO乱歩と名張》になったとする。細川邸を乗っ取って何をするのか。

ひとつ、インターネット上に、江戸川乱歩にかんする総合的データベース「名張市乱歩文学館」を構築する。そのための作業や情報の受発信などの拠点として、細川邸を利用する。

もうひとつ、細川邸の一部を「名張ミステリーアーカイブ」として整備する。名張市立図書館に展示されている乱歩の著書や遺品、架蔵されている関連文献などのほか、慶應義塾大学推理小説同好会OB会から寄贈をうけながら死蔵されているミステリー図書、そういったものを収蔵するアーカイブをつくる。

名張市には細川邸にミステリー文庫を開設する構想があるらしいが、その淵源を尋ねれば名張市立図書館ミステリ分室構想である。2005年3月、名張まちなか再生プランの素案に対して提出したパブリックコメントに記した構想である。

名張人外境:僕のパブリックコメント

このミステリー文庫構想、いずれ乱歩作品やミステリーはおろか、そもそも本を読む習慣のない連中がプランニングするしかないのであろうから、ろくなものにはならない。もっとも、お役所にはコンサルタントと称するあやしげな連中が暗躍しており、お役所の人たちはいいだけつけ込まれて、財政難だなんだかんだといいながら、市民の眼にふれないところで何かと税金をふんだくられている。

すこし以前、名張市議会の田合豪市議のブログでその一例が報告されていたので、ウェブサイト名張人外境に引用しておいた。8月25日付伝言「あるブログの記事にもとづいてお役所の御法度を考える」にそれがみえる。

名張人外境:あるブログの記事にもとづいてお役所の御法度を考える

だからミステリー文庫にかんしても、あやしげなコンサルタントの出番になるのかもしれないが、それだってろくなものではない。乱歩やミステリー作品にかんしては、ひたすら無知な連中ばかりであろう。かりに完成したとしても、つくりました、おしまいです、という典型的なハコモノがいっちょあがりとなるだけであろう。

そんなことになったら眼もあてられんから、《乱歩と名張》が細川邸を乗っ取って、うわっつらだけのミステリー文庫とやらとは比較にならない名張ミステリーアーカイブをつくってやろうといっておるのだ。関係各位はありがたく思うように。

それでまあ、乗っ取りのためにはまず、名張まちなか再生委員会の委員長と話をすり合わせる必要がある。隠街道市二日目にばったりお会いしたので、近いうちに時間をとってくれとお願いし、快諾を得たことは先日このブログにも記した。しかし、おかしいなあ。いっこうに連絡がないではないか。
きのうの朝に記す予定だったが、けさにスライドしてしまった。隠街道市初日、11月3日夜の記録である。

この夜、中町のかみ六で会合を開き、《乱歩と名張》という組織を発足させた。いずれ《NPO乱歩と名張》に移行するはずなのだが、うまくことが運ぶかどうか、実際のところはよくわからない。

なんのための組織なのかというと、名称からも明らかなとおり、乱歩と名張のことをちゃんとする組織である。名張市という自治体がもう少ししっかりしてくれていたら、こんな組織をつくる必要はまったくないのである。しかし、全然しっかりしていない。だからしかたがない。多様な主体の協働ってやつである。江戸川乱歩のことにしろ、名張まちなかのことにしろ、行政がやるべきなのにやろうとしない、ていうか無策無能ゆえにできないことを、NPOつくって補完してやろうというのである。新しい時代の公なのである。

《NPO乱歩と名張》の目的のひとつは、細川邸を乗っ取ることである。だから来年の目標は「細川邸乗っ取り!」だっつってんだろーが。名張まちなか再生プランがもう少しまともなしろものであり、それなりの成果にたどりついてさえいたならば、こんなNPOをつくる必要はないのである。しかし実際には無茶苦茶なのである。なんのための施設なのか、この期におよんでまだ決定されていないにもかかわらず、来年春には整備を終えた細川邸あらためやなせ宿がオープンするのである。だから乗っ取ってやるのである。

細川邸あらためやなせ宿は、たぶんNPOなばりという団体が管理運営を手がけることになっている。ただし、名張市考査委員会から先月提出された「名張市事務事業評価報告書」には、中心市街地活性化事業にかんして、「指定管理者の導入は公募を前提とすべきであり、NPO法人への特命は望ましくない」との指摘が記されていた。もしも名張市にまともな感覚があるのなら、特定のNPOとのあからさまな癒着は避けるはずなのであるが、名張市にはまともな感覚なんてないような気がする。

だが、ここに新たなNPOが誕生し、細川邸乗っ取りに名乗りをあげたらどうなるのか。当然、競争原理が働くことになる。どちらのNPOを選ぶのか、名張市は判断を迫られる。どちらのNPOにも実績はない。ただし、細川邸あらためやなせ宿では、どうやらミステリー文庫なるものを開設することになるようである。あるいは、乱歩の遺品を展示することになるようである。これらはいずれも、名張市の方針として市議会で表明されたことである。これらの要素を勘案した場合、NPOなばりと新しいNPO、どちらに軍配があがるのか。あるいは、名張のまちの歴史をどの程度理解しているのか。その理解に立脚して名張のまちに深い愛着を抱いているのかどうか。そのあたりのことを考慮に入れても、すでにして答えは明らかである。

しかし、名張市をみくびってはいけない。NPOなばりをふくむ官民学の癒着にかんしてちょいと住民監査請求をかましてやったらば、なりふりかまわず子供みたいな理屈をならべ、いやいや、そこらのお子供衆を説得することさえできないような屁理屈をならべ、論理と呼べるものはどこにもなく、直視すべき事実からいっさい眼をそむけつづけ、ただ協働ということばによって癒着構造を正当化するだけでこと足れりとするような、ばかかこら低能、そんなところなんだぞ名張市は。したがって競争原理もくそもなく、既定の癒着構造はびくともしないのかもしれない。だから名張市をみくびってはいけないのであるが、かまうかすっとこどっこい。気がすむまでかましてやる。

そんなこんなで《乱歩と名張》は無事に発足。NPO結成をめざして組織を旗揚げするというステップが踏めたので、この日の目標はとどこおりなく達成できた。かみ六の座敷をあとにすることになったのだが、参加者のなかには、なぜか小学生がひとり。酒を飲まない小学生に割り勘を要求することもできない。かといって、こちらひとりですべて支払ってしまっても、参加者にかえって気をつかわせることになるだろう。昼間の講演会のギャラをみんな吐き出して、あとは参加者で適当に勘定をすませてもらった。

かみ六のあとは、二次会。榊町の番じゃ屋敷に足を運んだところ、隠街道市からの流れなのか、きれいに満席である。店の女の子から、こんど来たとき料金が5%オフになるというサービス券を手渡され、べつの店を探すことになった。《乱歩と名張》が誕生した夜なのだから、飲み食いのお金はすべて名張のまちに落としてゆきたいところなのだが、番じゃ屋敷のほかに適当な店が思い浮かばない。まちなかを離れ、夏見にむかった。

到着したのは、夏見の味ふく。味ふくのオーナーの方は名張市議会議員でもいらっしゃる。現在は市議会議長をおつとめである。すこし前までは監査委員の任についておられた。つまり、先日提出した住民監査請求を担当してくださった方なのである。いろいろお世話になったのだからと思い、注文をとりにきてくれた男性店員に、オーナーはいらっしゃるかと訊いてみた。これこれこういうものであるが、できればオーナーにお目にかかりたい、と申し出た。男性店員は、二度ほど座敷に出たり入ったりしていたが、結局、オーナーはあいにく外出しておりまして、とのことであった。

それはそうであろう。なにしろ酔っぱらいである。酔っぱらいが真っ赤な顔をして大きな声で、くらぁーッ、てめーこのさっさと出てこんかこらこのポチがくらぁーッ、くらぁくらぁくらぁーッ、と、いやさすがにそこまで口汚くはないけれど、とにかく酔っぱらいが手ぐすね引いて待ちかまえているのである。ふつうのポチなら顔は出せまい。

名張市議会議員といえば、《乱歩と名張》には市議会議員の先生にご参加いただいたほうがいいのではないかとも思われる。隠街道市に限定して考えても、11月3日の講演会をわざわざ聴講してくださった先生もいらっしゃったし、翌4日に中町かどこかですれ違ってご挨拶を申しあげた先生もいらっしゃって、ともに名張まちなかにゆかりの深い先生なのであるが、いささかのご協力をお願いできぬかと切り出すことは、こちらから一方的に負担を押しつけるような気がして、はたせずに終わった。なんだか困ったものである。

三次会。またまちなかに戻って、上本町のマルシンにのたくり込んだ。もうべろんべろんである。カウンターに添って店内をふらふら歩いていると、がらの悪そうな男が、おまえ中とちゃうんか、と声をかけてくる。よくみてみると、二十数年ぶりの対面ということになるのだが、名張中学の同級生である。となりの席にすわって飲んだのだが、夫婦で飲みにきていた。ふたりめの嫁はんや、という。話をしているあいだに何かがどこかでこじれてしまい、おまえ昔おれの嫁はんとなんかあったんか、と同級生から厳しい追及をうけるはめになったのは難儀なことであった。昔のことだからよくおぼえていないのだが、そんなことはなかったと思う。なかったはずである。ていうか、奥さんとは初対面だし。

11月3日、《乱歩と名張》結成の夜は、こうして更けていった。
11月3日、隠街道市初日。

名張古町を考える会主催の講演会で講師をつとめるべく、名張市総合福祉センターふれあいに足を運ぶと、こんなチラシが配布されていた。ばかだなあ名張市。

20071104a.jpg

細川邸あらためやなせ宿が来春オープンするというチラシなのであるが、ごらんいただいたとおり、やなせ宿がなんのための施設かという説明はどこにもない。せいぜい、「交流の場」ということばが印刷されているだけの話である。よくもこんなチラシが配れたものである。

せっかくだから、講演のマクラとしてこのチラシを紹介し、ついでだから10月17日に提出された名張市考査委員会による中心市街地活性化事業の評価も説明して、名張市はばかなのであるという事実をあきらかにしておいた。ばかだなあ名張市。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012