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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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そんなこんなの状況なのである。ひとことでいってしまえば、とても不謹慎なことをいうようであるけれど、細川邸を整備して開設される「やなせ宿」なる施設は、誰からも望まれることなく生まれてくる赤子のようなものなのである。改修工事がまだ終わってもいない段階で、名張まちなか再生委員会も名張市も、やなせ宿という子供をもてあまして困惑している、というのが正直なところであろうと推測される。

毎日新聞の2月6日付記事にあったごとく、名張市はやなせ宿に「観光情報の発信や交流スペースを設置するとしている」としているらしい。なさけないことに、この期におよんでまだこんなことしかいえないのである。もともとが、観光交流施設を整備する名目で国土交通省のまちづくり交付金をぶんどってくるという話である。観光情報の発信だの交流スペースの設置だの、それくらいのことは誰にだっていえるだろう。しかし具体的なことは、おそらく何ひとつ決まっていないのではないか。

それに観光情報の発信ということでいえば、たとえば名張市観光協会がすでに手がけているではないか。似たようなことをあと追いしてもたいして意味はあるまい。むろん、これまでになかった視点や発想や手法にもとづいて、斬新で有効な情報発信とやらを進めることは可能だろう。だが、名張まちなか再生委員会に、あるいはまちなか運営協議会でもいいけれど、あの委員会や協議会にそんな気のきいたことができるのかどうか。これまでの経過をみるかぎり、外部からもたらされた意見や提言をいっさい受信しようとせず、細川邸にかんして自分たちが有している情報を外部にいっさい発信しようとしなかったのが、あの名張まちなか再生委員会なのである。情報がどうの受発信がこうのといえる立場か。ちゃんちゃらおかしい。ちゃらいこと口走ってんじゃねーぞ唐変木。

ともあれ、不幸な星のもとに生を享けた赤ん坊に無慈悲なことをいうようではあるけれど、やなせ宿は名張地区の再生になんの効果も見込めない施設である。少なくとも現時点では、そのように判断せざるをえない。そして名張地区の疲弊衰退は、いよいよ深刻の度を深めている。かつての中心市街地が見る影もなくなっているのは全国に共通した傾向で、これといった特効薬などどこにもなく、いたしかたのないところだというしかないのかもしれないけれど、それでもなんとかならんものかという気はする。

昨年12月10日の月曜日、地域の名門、三重県立名張高等学校の教え子をひきつれて名張市役所を訪れ、校外学習をおこなった。名張まちなか再生プラン関係セクションのスタッフに事前にお願いし、市議会開会中だったというのに無理を聞いていただいて、名張まちなかの現状と展望、みたいなことを生徒たちに説明していただいたのである。そのときはじめて知ったのだが、名張市内十四地区のうち、名張地区すなわち名張まちなかは、高齢化率でいえば堂々第二位にランクインしているという。

衰微したとはいえ名張まちなかである。旧名張町である。名張町役場もあれば名張市役所もあった土地である。八日戎ともなれば近郷近在から善男善女がつめかけてきたまちである。それが高齢化率第二位なのである。ちなみに第一位は国津地区で、名張市南部の山間に位置する旧国津村の高齢化率が高いのはうなずける話だが、国津以外の旧村部をおさえ、名張まちなかの高齢化がそこまで進行しているとは気づかなかった。聞いていささかのショックを受けた。

いささかのショックを受けたそのあとで、そんなところにハコモノひとつおっ建てるだけで、そんなことで名張まちなかの再生とやらが進むと本気で考えていたのかと、いまさらながらあきれたり驚いたりされた次第であった。特効薬などどこにもないかつての中心市街地の再生を、それでも真剣に考えて何かしらの手を打つのは必要なことだろう。重要なことだろう。だがその再生は、これまでにもしつこく主張してきたことなれど、あくまでも生活の場として再生させるということであるべきで、観光だの交流だのといった文脈だけで語ることには無理があるのではないか。あるのではないか、というよりも、無理がありまくりなのである。

名張市役所の校外学習を終えて、名張高校にむかう帰り道でのことである。生徒たちの会話を聞くともなしに聞いていると、談たまたま細川邸のことにおよんだ。市役所では細川邸の整備についても説明を受けたのだが、あんなとこに何かつくっても、人が集まるわけないやん、とか、あんなん絶対、税金の無駄づかいやで、とか、そういったあたりが高校生の生の声、忌憚のない意見であった。むろんこちらから水をむけた話題ではなく、ましてふだんの授業中に名張まちなか再生事業批判を吹きこんでいるというわけでもない。細川邸の整備事業は結局のところ、高校生に一瞥で本質を見抜かれてしまうような、そんな程度のものでしかなかったということなのである。

だからまあ、名張地区既成市街地再生計画策定委員会とか、あるいは名張まちなか再生委員会とか、そういう組織を結成するにあたっては、いろいろと役職をおもちのみなさんだけを集めてこと足れりとするのではなく、ごくふつうの高校生にも加わってもらっておればよかったのではないかと愚考される次第である。関係当局には、ぜひとも今後の参考としていただきたいものである。

とはいえ、いままで述べたのはあくまでも現時点での話である。現時点では望まれることなく生まれてくる子というしかないやなせ宿であるが、毎日新聞の記事に記されていたとおり、「今後、市民らで作る委員会で協議を続ける」ことになっているのである。この子の未来は名張まちなか再生委員会の双肩にかかっているのである。関係各位には、いっそうの奮励努力を期待したいものである。無理か。無理かよ。無理であろうな。

粘着さんはきょうもお休みらしい。
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きのうは八日戎であった。名張市鍛冶町、蛭子神社の例祭である。午後、足を運んでみたのだが、去年より人出が少ない印象だった。まちの人の話によれば、露店の数も減っているらしい。露天商にとって、八日戎はうまみのあるタカマチではなくなっているということか。

新町まで足を伸ばして、細川邸を撮影してきた。ブルーシートはすでに取り除かれていた。

20080209a.jpg

画面左にみえる背の低い屋根が、母屋から独立して整備された便所のそれかと思われる。名張市が天下に誇る無駄に立派な公衆便所、いよいよ近日公開、といったところか。

写真を撮り終えると、曇天から雪が舞いはじめた。毎月7日と8日の二日だけ、新町の空き家を借りて営業している菓子屋、星安に顔を出すと、「いや雪やわ。やっぱりえびすまつりやなあ」という女性の声が聞こえた。こぞの雪、いまいずこ、といった感慨をおぼえないでもない。

さて、きのうのつづきである。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

引用。



一方、川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていたが、現在具体的な活用法は未定。再生委員会での協議が続いており、市は「遅くても3月には利用法を決めたい」と話している。【金森崇之】

川蔵というのは、ふたつあるうち名張川にちかいほうの蔵である。伊勢湾台風の被害をまともに受けたこともあって損傷が激しく、関係者のあいだでは解体除却することが了解されていたらしいのだが、駅弁大学の御用学者の先生が鶴のひと声、残して改修することになったという。一年ほどまえに聞きおよんだことだから記憶に自信がないのだが、川蔵を残すことになった理由は要するに見映えの問題であったらしい。名張川のほうから眺めた場合、川蔵があったほうが景観としてより良好である、といったところだろう。

景観優先で残されたのだから、とくにこれといった用途は考えられていなかった。いやいや、川蔵のみならず細川邸全体が、とくにこれといった用途のあてもなしに整備されてしまったのだから、川蔵の用途が決まっていなかったことをうんぬんしても意味はないのだが、とにかく何につかっていいのかあてがない。そこで「川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていた」という運びになったらしい。

名張まちなか再生委員会の内部では、桝田医院第二病棟の跡地に「江戸川乱歩に関連する施設」を建設する構想が協議されていた。しかし昨年6月、名張市がいきなり乱歩文学館の建設断念を表明し、そのあとの経緯は知るところではなかったのだが、川蔵があいているから乱歩関連の資料でも展示しとくか、といったあんばいの検討がおこなわれていたということか。笑止千万。

できるものならやってみな。たまたま残された川蔵ひとつ、いいようにつかって「江戸川乱歩に関連する施設」をつくってみろこら。ろくに乱歩作品を読んだこともない連中が何をどうあがいても、そんなものができるとはとても思えぬ。かりにできたとしても、名張市は何を考えているのかと失笑を買い、名張市は乱歩をばかにしているのかと憤慨を招くのがオチであろう。

この記事によれば、川蔵の利用法は3月中にまとめられるとのことである。だが、「江戸川乱歩に関連する施設」にこだわっているかぎり、とてもまとめるのは無理なのではないか。いやまあ、こだわらなくたってしょせん無理ではあろうけれども、いったいどうするおつもりなのかな、名張まちなか再生委員会のみなさんは、というより名張市は。

来てくれた来てくれた。粘着さんが来てくれた。僭越ながらずっとスルー申しあげていたそのあいだ、さぞやうずうずうずうずしていらっしゃったのであろうなあ。それにしても粘着さん、いったい何に反応してコメントをお寄せくださるのであろうか。2月4日付のコメントは、前日のエントリに名張まちなか再生委員会の名簿を転載したことへの反応であったのか。つまり、名簿のなかに粘着さんの名前があったということなのか。ならば、8日付コメントは何に対する反応なのか。私物化とか私利私欲とか、そのあたりの言葉に対する反応なのか。どうもよくわからない。しかしまあ、面白いから放置を継続してみようっと。
きのうのつづき。「やなせ宿」の件。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

引用。

   
旧市街地(名張地区)の活性化を図る「まちなか再生事業」の一環で、主な施設は▽母屋(木造2階建て)▽中蔵(土蔵造り平屋建て)▽川蔵(同2階建て) ▽物産棟(木造平屋建て)--など。母屋の和室や中蔵は休憩・交流スペースとして利用でき、物産棟では市民らが料理を振る舞う「ワンデイシェフ」などを計画している。

1時間ごとの使用料は、市内在住者の場合、▽和室が150~200円▽物産棟が300円--で、市外在住者は2倍、営利目的の場合は3倍などとなっている。運営は、市民らで作る「名張まちなか再生委員会」(田畑純也委員長)が設置した「まちなか運営協議会」が行う。

委員会だの協議会だの、かなりややこしい。整理しておく。

名張まちなか再生委員会の発足は平成17・2005年6月。

一年後、平成18・2006年6月の総会で、委員会はNPOなばりを発足させた。といってしまうのは正確ではないか。NPOなばり実行委員会が設立された。こういったほうがいいのかな。なんだかややこしくて困ったものだが、いずれにせよ委員会はNPO設置のための動きに出た。細川邸の活用策について検討し、整備後の運営を担当するNPOである。住民監査請求の準備段階で関係資料を精査した結果、このNPOが細川邸にかんするすべての権限を手中にできるよう、この年の総会で規約の改正がおこなわれていたことがわかった。

すなわち、ひとにぎりの人間が細川邸を私物化するために、それなりに知恵をはたらかせて規約改正をおこなったということなのであろうけれど、いくら知恵をしぼっても意味はなかった。細川邸を私物化してどのように私利私欲を追求するか、その知恵が出なかったのである。あまつさえ、よせばいいのに駅弁大学の御用学者とこっそり組んで、まったく必要のない委託研究まで進めていたのである。そしてその研究の費用は名張市が支払っていたのである。なんとおまぬけなことであるのか。

その点にかんして住民監査請求をかましてみたところ、つまり、そこらのNPOが勝手に決めたことにどうして名張市民の血税がつかわれねばならんのか、そんな契約に税金つかって名張市に損害を与えたのだから、名張市長はさっさと全額返還しなさい、という請求であったのだが、名張市の監査委員の先生おふたかたは、NPOだろうがなんだろうが名張市との協働でやったことなんですから問題はありません、と腰が抜けるような判断をお示しになった。忠犬ポチ公、よくぞほざいた。しかしさすがにえらいもので、名張市に対するこの忠心が愛でられたのか、ポチのうちおひとかたはいまや名張市議会の議長先生でいらっしゃる。あっぱれポチの出世物語、めでたしめでたしなのである。さ、まーた夏見の味ふく行ったときポチ呼びつけて遊んでやろうっと。

そんなことはどうでもよろしい。さらに一年後、平成19・2007年6月の総会で設置されたのが、まちなか運営協議会である。NPOなばりが細川邸の活用にかんするプランを提示しようとしないため、細川邸の運営を協議する目的で新たに協議会を発足させたということらしい。ただしこの協議会も、NPOなばりから細川邸活用にかんする具申があるのを待っていただけ、実際には何もしてこなかった、というのが実情であったのではないか。

何もしてこなかった、ということでいえば、まちなか運営協議会というよりも名張まちなか再生委員会そのものが、長く仮死状態をつづけている印象である。能動的に動きだそうとしない。かといって解散もしない。まるで冬眠中の動物のようである。名張市がここへ来て細川邸にかんする発表をおこない、それが新聞記事としてとりあげられたのも、やなせ宿の使用にかんする条例がまとまり、それが3月議会で正式に決定される運びになったからではないかと推測される。ほんとのところをいえば、名張まちなか再生委員会はいまだ冬眠中ではないのか。あるいは、途方に暮れたあまり狸寝入りをつづけるしか手がなくなっているのではないのか。

そんなこともまあどうでもよろしい。とにかくさらに一年後、つまりことしの6月から、細川邸を整備したやなせ宿はまちなか運営協議会によって運営されることになる。「休憩・交流スペース」として利用できたり、「ワンデイシェフ」の計画があったりもするそうだが、実質的にはいわゆる貸し館にすぎない。時間いくらでご利用いただけます、というやつである。名張地区第二公民館と揶揄されるゆえんである。

結局のところ、細川邸がどういった目的で整備されたのか、それはいまもってあいまいである。不明である。しかしとりあえず、やなせ宿の使用料は明確にさだめられた。それが現状である。めでたしめでたし。いやいや、めでたくないめでたくない。

あすにつづく。

ふと気になってしまうのだが、粘着さんはいまいずこ。どこにどうしておいでやら。
そろそろ新聞沙汰である。新聞沙汰といってしまっては聞こえが悪かろうが、とにかくきのうの毎日新聞、伊賀版に「やなせ宿」の記事が掲載された。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

引用。

   
名張市は、今年6月のオープンを目指し、改修工事を進めている旧細川邸「やなせ宿」(同市新町)の施設概要を明らかにした。観光情報の発信や交流スペースを設置するとしている。しかし一部施設の利用法は未定で、今後、市民らで作る委員会で協議を続ける。

やなせ宿のオープンは6月である。改修工事は今月末に竣工する。にもかかわらず、この期におよんでなお、「一部施設の利用法は未定」という異常事態が市民のまえでくりひろげられているのである。しかも始末の悪いことに、たぶん「一部」ではないはずである。名張市による発表の仔細は不明だが、「一部施設の」というのはいわゆる言葉のあやであろう。「一部」などという限定は不要のはずである。やなせ宿という施設をいったいどのように利用するのか、具体的なことは一部どころか何も決まっていないというのが事実に即した表現であろう。

かかる異常事態が意味しているものは何か。細川邸の整備などまったく必要なかったという一事である。

名張まちなか再生プランの策定が開始されたのは、平成16・2004年6月のことである。市議会のチェックや市民のパブリックコメントというハードルをクリアして、プランが正式に決定されたのは平成17・2005年3月。プランを具体化するために名張まちなか再生委員会が結成されたのは同年6月のことである。その委員会が、細川邸を歴史資料館として整備するという構想を、いともあっさりとくつがえしてしまった。

昨年、住民監査請求のための資料として入手した名張まちなか再生委員会の議事録には、平成17・2005年7月29日に開かれた委員会歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合で、「細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする」と決定されたという記録が残されている。もとより、市議会の承認や市民の合意とはいっさい無縁な決定である。ごくひとにぎりの人間による、密室の内部における勝手な決定である。決定の目的は何か。ひとことでいってしまえば、細川邸の私物化である。

フェアネスやジャスティスがどこにある。税金の具体的なつかいみちを決めるプロセスがこんないいかげんなことでいいのか。いいわけがない。だから名張まちなか再生委員会の事務局に足を運び、しつこく提言を重ねたはずである。委員会にプランをくつがえす権限があるのかどうか。もしもくつがえすというのであれば、プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集し、プランの練り直しをさせるのが筋ではないか。いくら提言しても意味はなかった。

いやまあ、そんなことはもうどうだってかまわない。昔のことを掘り返してみたところで、もはや取り返しはつかない。ひとつだけ指摘しておくならば、名張市が行政の主体性を発揮し、これまでのプロセスにおいて、要所要所で適切的確な判断と決定を重ねていれば、ここまでの異常事態は回避できたはずである。もちろん名張市に対して、そろそろ行政の主体性を発揮してはどうかとの要請もおこなったのだが、甲斐はなかった。

ともあれ、平成17・2005年6月に発足した名張まちなか再生委員会は、二年半あまりにわたって細川邸の整備にかんする協議検討をつづけてきた。その結果がこれである。細川邸の私物化をもくろんだ連中は、どこにもうまみがないとでも判断したのか、さっさと身を引いてしまった。連中の片棒をかついでいた御用学者も同様である。あとに残されたのは、やなせ宿の活用策を考えることができず途方に暮れている名張まちなか再生委員会の主要メンバーと、あいもかわらぬ主体性放棄を決め込んでいる名張市という自治体である。

ばかかこら低能。一億もかけて無駄に立派な公衆便所つき第二公民館なんかつくってんじゃねーぞこのすっとこどっこい。

あすにつづく。

それにしても、粘着さんはどうなさったのであろうか。2月4日にひと声、春を待ちわびる鶯のようにさえずってくださったあと、ふたたび沈黙を守っていらっしゃるのであるけれど。
きのうのつづき。

なんのつづきかというと、1月31日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の会合の報告、そのつづきである。

報告ではあるのだが、報告することは何もない、というけったいな報告である。名張まちなか再生委員会に検討を依頼してあった件について、これは昨年11月から12月にかけて、委員会の委員長と、委員会の内部組織であるまちなか運営協議会の会長と、このおふたかたに直接お会いして、当方の趣意を記した書類もお渡ししたうえでお願いした件なのであるが、委員会ではまったく検討がなされていなかった。で、委員会の参与である市議会議員おふたかたが肝煎りとなって、この日の会合を開いていただいたということになるのであるが、なにしろ検討がなされていなかったのだから、こちらとしては得るところなど何もない。

そういう報告なのである。狐につままれたみたいな話だから、報告を書いていても張り合いというものがない。おなじことをくり返し書きつけるだけみたいな感じである。細川邸をめぐるこれまでの動きを確認しておいてもいいのだが、これまでさんざん記してきたことだから、どうも気が乗らない。

要するにこちらとしては、なんというのか、すべては去年のうちに終わった話なのであって、1月6日付エントリ「設立趣意補足 5」にも記したとおり、「まあ、こちらとしてはできるだけのことはやってきたつもりである。やるべきことはやってきたつもりである。江戸川乱歩にかんしても、名張まちなか再生プランにかんしても、めいっぱいのことはしてきたつもりである。だから、年があらたまったいまの時点では、すべては過ぎてしまったことであり、思い残すことは何もないという心境である」といった感じであって、あとはどういう結論が出されるのかをみとどけるだけだという気分である。

ただし、名張まちなか再生委員会からどんな結論がもたらされるかは知れている。いまさら当方の提案を諾とすることはできないだろう。名張市に判断を仰いだとしても、2月4日付エントリ「二者択一の問題」に記したとおり、やはり結果は知れていよう。だから現実的な話としては、かりにこれからNPOを組織してなんらかの活動を進めることになったとしても、その拠点として細川邸を利用することは不可能だということになる。そうなると、こちらとしても構想を練り直さなければならない。

あるいは、まったく新しい構想を考えなければならないかもしれない。新しい構想というと聞こえはいいけれど、はっきりいってそんなものはほとんどないに等しいのであるが、1月31日の会合では一応、新しい構想のことにも簡単に言及しておいた。つまり、こちらの提示したプランが名張まちなか再生委員会に受け容れられなかったとしても、そのときにはまた別の構想を考えればいいだけの話なのであるから、良心の呵責や罪の意識を感じることなく、こちらの提案をばっさりやってくださって結構である、ということをお伝えしておいた。

ともあれ、得るところがなかったのは事実であるけれど、1月31日の会合を開いていただけたことにかんしては、名張まちなか再生委員会に深甚なる謝意を表しておきたい。肝煎り役を買って出てくださった市議会議員おふたかたとは、会合のあと市役所地下の食堂でコーヒーをごいっしょしたのだが、このつぎはお酒をごいっしょしたいということで話をまとめてきた。こういう話はすぐにまとまる。

ところで、粘着さんはどうしていらっしゃるのであろうか。新しいコメントはまだである。本日も放置なり。
しつこくきのうのつづきである。

名張市の細川邸整備事業はいよいよ最終局面を迎えている。そこそこ長い道のりであった。

名張まちなか再生委員会の発足は平成17・2005年6月のことで、しかし当時とくらべると、委員会の内情はかなりさまがわりしているらしい。1月31日の会合その他で聞きおよんだところでは、当初、細川邸を私物化して私利私欲を追求しようとしていた連中は、いまも委員会に籍は置いているものの、実質的には細川邸にかんする検討から完全に身を引いてしまったという。

たとえば、あの駅弁大学の御用学者の先生と最初につるんでくださった方や、あるいは、「おれはこのまちなか再生事業で一億円の金を自由につかえるねん」と豪語していらっしゃった方は、いまや素知らぬ顔で傍観者を決め込んでいるらしい。

したがって、現在の時点で細川邸の整備構想に携わっている委員会の役員なり委員なりは、いってみれば気の毒な役まわりを押しつけられた人たちなのである。名張市が深い考えなど何もなく、ただ漫然と細川邸整備を核とした名張まちなか再生事業に手を出してしまったその尻ぬぐいが、そうした役員なり委員なりに押しつけられているのだといえる。

だが、そんなことは関係ない。内情はどうあれ、名張まちなか再生委員会の無能力はいまや明らかである。程度の悪い市民を委員に任命した名張市の責任は厳しく追及されるべきである。単なる任命責任にはとどまらない。名張まちなか再生プランを策定するにあたって、みずからはどんなビジョンもグランドデザインも示そうとせず、区長会だのまちづくり協議会だのといった関係諸団体からメンバーをかき集めたあげく、名張のことなど何も知らぬ御用学者をトップに据えた委員会を発足させることでよしとした手法そのものが、もうひたすらにあほなのである。

そしてその結果として、名張市民のまえに、なんのために整備されたのかもわからない「やなせ宿」とかいう施設が姿を現そうとしているのである。何がどうなったって、もう取り返しはつかないだろう。名張まちなか再生プランの素案発表以来、パブリックコメントなどであれこれ助言提言をおこない、いままた細川邸活用策の提案を受け容れるかどうかと委員会に検討を要請して、つまりは名張まちなか再生プランとそこそこ長いつきあいになる身として実感されるのは、いまさらどうにもならんぞもう、ということである。あれだけいってやったのに、ということである。

ところで、お気づきの方もおいでであろうが、じつにひさしぶりに粘着さんがおいでくださった。きのうのエントリ「二者択一の問題」に、「新名張市民」との名義でコメントをお寄せくださった。昨年12月24日からスルーしっぱなしの状態だったのであるが、どうやら粘着さん、うずうずうずうず、とうとう粘着気質を抑えられなくなったものとみえる。このまま放置しておいたら、いったいどんな粘着ぶりが発揮されるのかな。ともあれ、粘着さんいらっしゃーい。
きのうのつづき。

名張まちなか再生委員会の話である。1月31日の会合の話である。結論が聞けるものだと思って足を運んだのに、なんら得るところなく帰らねばならなかった話し合いの話である。

要はこうである、と会合の席でも説明したのだが、このブログでもしつこく記しているとおり、名張まちなか再生委員会が発足させたNPOと、こちらが新たに発足させようとしているNPO、このふたつが存在すると仮定した場合、委員会は新しいNPOの提案を受け容れることができるのかどうか、という話である。
  • NPOなばり
  • NPO乱歩と名張
この両者が肩を並べた場合、委員会は両者をどう扱うのか。その点の検討を要請しているわけなのである。結論はまだ出ていない。かりに委員会側が、いまさら新しいNPOの提案を受け容れることはできない、との判断を示したとしても、それはそれで尊重されるべき選択である。

ではどうなるのか。つぎの段階に進むことになる。細川邸の活用策について名張市から検討をゆだねられた名張まちなか再生委員会は、いまや機能不全に陥り、有効なプランを提示することができない。だからこういうことになる。
  • 名張まちなか再生委員会
  • NPO乱歩と名張
やはり二者択一の問題である。今度は、名張まちなか再生委員会と新しいNPOとが肩を並べることになる。名張市に対して、名張まちなか再生委員会以外の組織が細川邸の活用策を提案することは可能か、と問うことになる。名張市の判断を仰ぎ、決断を求めることになる。

とはいえ、結論は知れていよう。名張市が新しいNPOの提案を認めるということになれば、それはそのまま、名張市がみずから、細川邸整備のこれまでのプロセスを否定してしまうことになる。間違いだったと認めてしまうことになる。

むろん間違いである。大間違いである。細川邸の整備事業はそもそもの最初から間違いに間違いを重ねてここにいたっているのである。贅言は必要ない。なんのための施設なのかも不明なまま細川邸が整備されてしまったという一事が、一連の事業が大間違いのこんこんちきであったことを雄弁に物語っているのである。

しかし、名張市がそれを認めることはないと判断される。認めればたいしたものである。昔から綸言汗のごとしとはいうけれど、君子は豹変すとも、過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれともいうではないか。過ちて改めざる、これを過ちという、ともいうのだけれど、しかしどう考えても、名張市が細川邸整備は過ちでございましたと認めることはないであろう。

ならばどうするのか。奥の手として、いっそこちらが名張市長になってしまう、ということが考えられる。そうなれば手っ取り早い。だが、市長などというものは思い立ってすぐになれるものではないし、だいたいそんなものになるのはいやである。ごめんこうむる。
きのうのつづき。

そんなこんなで1月31日午後、名張市役所四階の一室で名張まちなか再生委員会の、なんというのか、イレギュラーな会合が開かれた。参加者を確認しておく。

そのまえに、名張まちなか再生委員会の顔ぶれを確認しておくか。名張市公式サイトに掲載された資料から無断転載。

名張市公式サイト:平成19年度名張まちなか再生委員会総会資料(pdf)

まず、役員と参与。

20080203a.gif

つづいて、関係者名簿の一枚目。

20080203b.gif

二枚目。NPOなばり実行委員会の名簿あり。
20080203c.gif

三枚目。

20080203d.gif


この名簿と照合しながら、当方以外の参加者を列記しておく。かっこ内は官民議の別で、官というのは市職員、民というのは民間人、議というのは市議会議員の意である。

・委員長(民)
・副委員長(官)
・まちなか運営協議会長(民)
・参与(民)
・参与(議)
・参与(議)
・歴史拠点整備プロジェクト委員(民)
・事務局(官)
・事務局(官)

くわしい経緯は不明だが、ざっと説明を受けたところでは、名張まちなか再生委員会に参与として名を連ねていらっしゃる名張市議会議員のうち、永岡禎議員と森脇和德議員のおふたりが、なんといえばいいのか、いわゆる肝煎りとしてこの会合の開催を主導していただいたものらしい。会合の進行役も永岡議員がお務めであった。

そういえば、ははは、欠席者もあったな。事務局の報告によれば、名張市教育委員会にも出席を要請してあったのだが、当該職員はほかの会議に出席していらっしゃるとのことであった。しかし、ほかの会議とやらがなかったとしても、やはり欠席ということになったのではないのかしら。その職員の方というのはなにしろ、

──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

と人をさんざっぱら怒らせてくれた方なのである。いくら出席要請があったからといって、すんなり顔を出してくださるとは思えない。

思い起こせば一年前、去年の2月1日は木曜日であった。ところもおなじ名張市役所で、名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会が開かれたのである。招かれたからのこのこしゃしゃり出てみると、教育委員会の職員の方がとんでもないことを発言なさったので、

──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

との腹立ちをおぼえざるをえず、後日その方にメールで質問を送信したっけなあ。内容はつぎのとおり。

   
お世話になっております。単刀直入に申しあげます。以下に一点、質問を記します。ご多用中恐縮ですが、お答えをいただければ幸甚です。

名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

私個人は、これまでに市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックによって具体的に示しましたとおり、図書館が過去に収集した乱歩関連資料にもと づいて、全国を対象にしたサービスを提供することが望ましいと考えております。そのサービスはインターネットを活用して進めるべきであるとも愚考いたします。

しかるに、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において、貴職は私の考えを必ずしもそのまま受け容れるとはかぎらないという旨のご発言をなさいました。正確なところは事務局による録音を聴いてみなければわかりませんが、とにかく貴職は、私が示した方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであるとおっしゃったように記憶しております。

私にとってこれは驚くべきご発言で、名張まちなか再生プランには直接関係のないことですから委員会の席では何も申しあげませんでしたが、貴職にお訊きして確認したいことは少なからず存在いたします。しかし、いまはほかのことには触れません。ただひとつ、私の示したところをそのまま受け容れるにせよそうでないにせよ、名張市教育委員会が市立図書館の運営における乱歩の扱いをどのようにお考えなのか、あるいはお考えではないのか、その点に関して上記の一点をお訊きする次第です。

お答えはメールでお願いできればと思います。また、お答えは当方のサイトで公開させていただきたく思っておりますが、もしも差し支えがある場合は非公開といたしますので、その旨お知らせくださいますようお願いいたします。

年度末を迎えてお忙しいところ、勝手なお願いを申しあげて心苦しく思っております。よろしくお願い申しあげます。

2007/02/28

返答はいっさいなかった。いくら催促しても梨のつぶてであった。であるから、教育次長がもしも顔を出してくださるとおっしゃるのであれば、この質問に対する回答を携えてきていただくのが筋であろう。知らん顔してしゃしゃり出てきてくださったりした日にはこら、ぼこぼこにしてしまうかもしれんぞ。

閑話休題。教育委員会からの出席者はなかったのであるが、事務局が事前に教育委員会の意向を確認してくれたらしく、会合ではその内容が報告された。要するに教育委員会としては、乱歩にかんして当面は何も考えていない、とのことであった。

乱歩にかんして当面は何も考えていない。

それはまあそうであろう。ほんとに何も考えておらぬのである。というよりも、考えることができぬのである。この点にかんしては会合の席でも、要するにあいつらあほやねん、と指摘しておいた。あいつら、というのはもちろん名張市教育委員会のあほのみなさんのことである。

当面もくそもあるものか。名張市教育委員会のあほのみなさんはこれまでずーっと乱歩にかんして何も考えてこなかったのだし、これから先も考えることはけっしてないのである。ろくに乱歩作品を読もうともしないあいつらあほに何ができるか。たとえば乱歩文学館という看板を考えつくことはできるであろう。しかしそこまでである。そんな文学館をつくっていったい何をするのかということになると、とにかくあほなのである、乱歩作品を読んだこともないのである、何も考えることができんのである。

しかし考えてみれば、名張市というところではおなじようなことばかり起きているのかもしれん。乱歩関連資料を収集したのはいいけれど、どんなぐあいに活用したらいいのかさっぱりわからない、ということと、細川邸を整備したのはいいけれど、どんなぐあいに利用したらいいのかさっぱりわからない、ということは、あほさにおいてまったく同質である。

だからまあ、乱歩関連資料を収集したのはいいけれど、どんなぐあいに活用したらいいのかさっぱりわからない、と情けないことをいってるみなさんに、こんなふうに活用すればいいのだよと、図書館が提供すべきサービスの王道を具体的に示してやったはずなのに、あほのみなさんときたら、そんなことする気はありません、なんてほざきやんの。ははは。好きにしろばーか。

それでもっていまの問題は、細川邸を整備したのはいいけれど、どんなぐあいに利用したらいいのかさっぱりわからない、と情けないことをいってるみなさんに、 NPOつくって細川邸の活用策を提案することは可能なのかな、と質問したはずなのに、名張まちなか再生委員会においてはそんな検討はまったくなされておらず、1月31日の会合もなんの意味もないものに終わってしまったということなのである。ほんとに何をやっておるのか。もう好きにしろ、というしかないのかな。
きのうのつづき。

とにかくそういうことで、改修を終えた細川邸は、以前から伝えられていたとおり「やなせ宿」という名称になり、おととい聞きおよんだところでは公民館のような施設として6月にオープンする。

しかし、こんな施設をいったい誰が望んだのか。名張市民もしくは名張地区住民のなかに、細川邸を公民館のような施設として整備することを要望した人間がいるのか。いないのではないか。

あるいは、こんな施設の整備をいったい誰が認めたのか。たとえば名張市議会は、細川邸を公民館のような施設として整備することに承認を与えたのか。与えていないのではないか。

誰に望まれたわけでもなく、どこの承認を得たわけでもない施設が、一億円もの税金を投じて整備される。そういうことなのではないのか。どうしてこんなばかなことがまかり通ってしまうのかというと、結局のところ、名張市がばかだからとしかいいようがない。

もとより細川邸のすべてを仕切ってきたのは名張まちなか再生委員会であるが、あの委員会ひとりを悪者にして話が済むわけではない。あんな委員会を発足させ、いいようにのさばらせた名張市の責めこそが問われるべきであろう。名張まちなか再生における行政の主体性放棄こそが厳しく批判されるべきであろう。

みたいなことをいってみたところで、意味はあるまい。手遅れである。取り返しはつかないのである。名張まちなか再生委員会の会合に顔を出してみたところで、やはり意味などないのではあるが、委員会がげんに存在していることもまたたしかなことだから、とりあえずNPOにかんする検討を依頼し、その結論が伝えられるものだと思って、おとといの席に臨んだ次第である。

だからおとといの席でも、名張まちなか再生委員会はだめである、ということは申しあげてきた。こと細川邸にかんするかぎり、まったくのゼロである。委員会の発足は平成17・2005年6月。以来きょうまでの時間をかけて、それでもなお細川邸活用の具体的な方向性を決定することができていないのだから、あんたらの存在には意味がない、とお伝えしてきた。

というところで時間がなくなった。あすにつづく。
ようやく動きがあった。名張まちなか再生委員会の話である。

名張まちなか再生委員会の役員会が1月15日に開かれ、仔細はいっさい不明であるが、なにしろ名張まちなか再生委員会なのであるから、まともなことはできないらしい。委員会に検討を依頼してあったNPOの件はこの日の役員会に案件として提出されることがなく、しかし検討を依頼したことは役員のあいだでも周知の事実であったのだから、案件として提出されないのはおかしいではないかとの声も出たようで、仔細はまったく不明なのだが、というか、委員会の内情など知りたくもないのだが、とにかくあらためて会合を開こうということになったそうな。

で、昨31日の午後、名張市役所でその会合が催された。出席要請があったので顔を出してきた。まずその場の結論を記しておくと、結論は先送りとなってしまった。何をしておる。というか、例によって例のごときていたらくなのである。名張まちなか委員会は今年もあいかわらずみたいなのである。

話の流れを確認しておこう。新町の細川邸の話である。

細川邸っていったい何? という話である。細川邸の改修工事は2月末に竣工すると伝えられるが、それがいったいなんのための施設なのか、どういう目的で整備され使用されるのか、これがいまだに明確ではない。とても信じられぬ話であるが、ほんとうに明確ではないのである。細川邸っていったい何? という質問に明快に答えられる人間は、この三千世界にただのひとりも存在しないのである。

話の流れから少しそれるが、きのうの時点で聞きおよんだところを総合して記しておこう。改修を終えた細川邸は「やなせ宿」という名称の施設となり、6月にオープンを迎える。で、開設の時点においては結局のところ、名張地区にふたつめの公民館が誕生しました、みたいなことにしかならないらしい。施設整備の主体的な目的はついに見つけられぬまま、どちらさまもお気軽にご利用くださいなんぞという公民館みたいな施設としてオープンするしかないとのことである。既設の名張公民館につづいて、やなせ宿という名前の名張地区第二公民館が開設されることになりました、と理解しておくといいでしょう、というか、そうとしか理解できないじゃありませんか、みたいなことらしいのである。

ちなみに、細川邸整備のための費用は、あれこれあわせると一億円を突破してしまうらしい。一億だぞ一億。諸物価高騰が貧困層を直撃しているご時世にまたなんとも景気のいい話である。ていうか、景気がいいとか気前がいいとかいうよりも、大丈夫なのかこら。気はたしかなのかこら。正気なのかこら。これが財政難でひいひいいってる自治体のやることなのかこら。ばかかこら低能。オープンの時点にいたってなお用途や目的がはっきりしない施設を一億もつかって整備してしまいましたなんてのは、どう考えても正気の沙汰ではないではないか。いやまあ、ばかかこら低能、などとわざわざお訊きする必要もないのではあるが。

閑話休題。話の流れの確認に戻ろう。細川邸の活用策を検討するのは名張まちなか再生委員会である。この委員会は平成18・2006年度総会において、NPOなばりという組織を新たに発足させた。細川邸の活用について協議検討し、整備が終了したら細川邸の運営を手がけるNPOである。しかしいつまで待っても、NPOなばりから名張まちなか再生委員会に対して、細川邸はこんなふうにして活用いたします、という具体的なプランが示されない。いたずらに時間が過ぎるばかりである。

それならば、つまりNPOなばりがどんなプランも提出できないというのであれば、別のNPOが細川邸活用のプランやアイデアを提示することは可能なのであろうか、という話である。そういう話の流れである。事態はすでに抜き差しならない。はっきりいって異常である。にもかかわらず、あいもかわらず、細川邸の活用策検討はやっぱりNPOなばりの一手引き受けなのかな、あのNPOの専売特許なのかな、ということである。ほかの市民なり市民組織なりが手をあげて、細川邸はこんなふうにして活用すればいいと思います、と名張まちなか再生委員会に提案することは可能なのか不可能なのか、ということなのである。

それを確認するために、昨年11月に名張まちなか再生委員会の委員長、12月には名張まちなか再生委員会の内部組織であるまちなか運営協議会の会長にお会いし、こちらが発足させようとしているNPOの趣意書など文書二点を提出し、検討を依頼したという寸法である。これが話の流れである。

むろんきのうの会合でも、こちらとしては名張まちなか再生委員会と協力したり仲よくしたり手を携えたりする気はまったくなく、NPOなばり以外のNPOが細川邸の活用策を提案することは可能かどうか、名張まちなか再生委員会はその提案を受け容れるのか受け容れないのか、きょうはその結論をお聞きしにきた、と最初に明言しておいた次第である。

で、結論はどうなったのかというと、冒頭にも記したごとく、なぜか先送りということになってしまい、名張まちなか再生委員会の役員会においてあらためてご検討をばいただき、その結果をばお知らせいただくということになりにけり。それでもって次の役員会がいつ開催されるのか、日程はまだ決まっていないとのことであった。ははは。なーにやってんだか。

以下、あすにつづくが、細川邸というかやなせ宿について、たったひとつではあるけれど、名張市民にもおおいに喜んでいただけるであろう朗報があるのでお知らせしておく。どういうことかというと、やなせ宿には便所が新設されるのであるが、それは母屋とは別棟の独立した便所である。だから通りすがりに気軽に利用することが可能で、6月にやなせ宿がオープンしたあと、7月に何万人という見物客を集めて催される伝統の名張川納涼花火大会、あの見物客のみなさんにはおおいに利用していただけるはずであろう重宝していただけることであろうと、やなせ宿の便所は関係者の期待を一身に集めているとのことであった。朗報朗報。

だからまあ、一億かけて花火大会用の公衆便所をつくったと考えたら腹も立たんか。って、そんなわけねーだろこら。

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