三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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みなさんそろそろ無理ぽであろうな
それにしても、わかりきったことをわざわざ説明するというのは、じつに面倒なものである。なんかもうやだ、という気がする。そろそろキレかけてるぞ、とかいってないで、名張市役所のみなさんのために、念には念を入れて、ねちねちねちねちと確認しておくか。
(1)名張市立図書館は乱歩関連資料を収集しております。
この件にかんしては、名張市役所のみなさんもよくご存じのところであろう。開館準備の段階から収集がつづけられていた。なにしろ四十年ほど前のことだから、どんな経緯を経てこんな決定にいたったのか、それはわからぬ。しかしまあ、ただの思いつきであったことはたしかであろう。収集の方針も活用の構想もいっさいなく、ひたすらぼーっとした思いつきだけで、乱歩関連資料の収集が決められてしまったわけである。名張市役所のみなさんの思いつきってのは、きのうやきょうの話ではなくて、もう筋金入りなわけなのね。いいだけ年季が入っておる。ちかい例でいえば、平成17・2005年12月7日付朝日新聞のコラム「青鉛筆」で、こんな思いつきも報じられておったよな。
▽推理小説の生みの親、江戸川乱歩の生誕地である三重県名張市は5日、古今東西の推理小説を一堂に集めた「ミステリー文庫」を設置する方針を明らかにした。
▽同市は、乱歩に関する街おこし事業が盛ん。08年までに完成させる予定で、市立図書館の乱歩関係の蔵書約千冊を移し、寄贈も受け付けるという。
▽「全国の推理小説ファンの集まる場に」と同市。しかし、具体的な運営方法や設置場所は未定だ。行政側の思惑通りにいくか、それもまた「ミステリー」。
名張市役所のみなさんや、この思いつきはどうなったのかな。この記事には方針ということばが使用されているけれど、こんなものはどう考えても思いつきでしかない。なんの成算も目算もなく、ただの思いつきをぱっぱかぱっぱか公表してしまっただけの話である。なあ、名張市役所のみなさんや。あんたらほんとにどうしてそうなの? 平成20・2008年までに完成させる方針、って書かれてるけど、なんにもできてないどころか、市民になんの報告もないではないか。ま、思いつきだけ口走ってあとは知らん顔、ってのは名張市のお家芸のようなものだから、いまさら驚きもせんわけだが、おれはときどき人から、
「ミステリー文庫はどうしたあッ」
とか尋ねられることがあってな、尋ねられたって答えようはないんだけど、おれは名張市の思いつきのおかげでおおきに迷惑をしてるわけよ。ほんと、いい加減で勘弁してくれよな。
(2)収集資料は活用すべきであります。
このあたりのことになると、名張市役所のみなさんにはもうわからなくなるであろうな。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
な。これが名張市役所のみなさんのアベレージなわけよ。しっかりしてくれよほんと。資料活用の具体的な方針はいまのところございません、みたいなこといっていつまでも逃げを打ってないで、死蔵するだけの資料なら収集なんてやめちまえよ。市民の税金無駄につかってんじゃねーよ。しかし、名張市役所のみなさんや。みなさんにはおわかりにならぬであろうが、収集した資料ってのは、驚いたことに、活用することができるのである。ていうか、そのために収集してるわけな。死蔵が目的ではありゃせんのよ。それをようよう、名張市役所のみなさんにもご理解いただけた。そのはずである。で、どうすればいいと思う? というところまで来た。
ご参考までに、昔の文章をお読みいただこうか。社団法人日本図書館協会が発行する「図書館雑誌」の平成11・1999年5月号に寄稿した文章である。編集部から名張市立図書館に原稿の依頼があったのだと思うが、細かいことは忘れてしまった。「クローズアップ 図書館の出版物」の第五回として掲載されたものである。
名張人外境:乱歩その人の遺志を継ぐ
ちょっと読みづらいから転載しておく。
乱歩その人の遺志を継ぐ
名張市立図書館(三重県)の江戸川乱歩リファレンスブック
中 相作
江戸川乱歩と名張市立図書館
名張市立図書館は1969年の開館当初から、名張に誕生した探偵作家、江戸川乱歩の著作ならびに関連文献の収集に努めてきた。1987年の移転改築を機に乱歩コーナーを新設し、乱歩の著書や遺品を展示する体制が整ったが、収集資料を活用するための目録の刊行は長く課題となっていた。乱歩に関する目録ないしは書誌の編纂が、館内に乱歩コーナーを開設する公共図書館の責務であることはいうまでもない。
小説家の書誌は従来、篤実な研究者やアマチュアによって作成される場合が多く、商業出版社が発行を手がけることはほとんど望めない。その意味で、書籍文化に携わる図書館が書誌を刊行することには小さからぬ意義が認められるだろう。また乱歩自身、自作や自著をはじめ内外の探偵小説などの目録を作成して書誌への情熱を示していたことを考え合わせれば、乱歩に関する書誌の編纂は乱歩その人の遺志を継ぐ作業でもあると判断される。
『乱歩文献データブック』
1994年の乱歩生誕100年を契機として、名張市立図書館は「江戸川乱歩リファレンスブック」の発行を企画した。1996年度事業として刊行した第1巻『乱歩文献データブック』は、乱歩がデビューした大正12年から現代に至るまで、乱歩に関して記された評論や随筆などの「乱歩文献」を体系化し、タイトル、執筆者などのデータを発表順に記した書誌である。乱歩令息の平井隆太郎氏と探偵小説評論の第一人者である中島河太郎氏に監修を依頼した。
記載した文献には初出以降に収録された単行本や全集も明記して検索の便を図り、全ページ2色刷りとするなど、書誌としての機能性と実用性に重きを置いた。体裁はA5判、290ページ、ハードカバー、函入り。発行部数は1,000部で、監修・装幀料と印刷・製本費は300万円。本体3,000円で販売したが、刊行の広報や書店への流通に関しては克服されなければならない課題が少なからず残されている。
『江戸川乱歩執筆年譜』
1997年度事業として第2巻の『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行し、43年間にわたる乱歩の文業を書誌にまとめた。2段組みの上段に小説作品、下段に評論、随筆、翻訳など非小説作品を配して、上下を月ごとに対照させながらタイトル、掲載紙誌、連載の章題などを記載した。発行部数と体裁は第巻に準じ、302ページ、本体3,000円。名張市立図書館(電話0595-63-3260)で購入申し込みを受け付けている。
乱歩が小説発表のホームグラウンドとしていた娯楽雑誌はわが国の図書館では冷遇されてきた傾向にあるため、初出の確認は国立国会図書館など主だった図書館の蔵書だけでは果たせなかった。そこで、講談社や光文社の雑誌はそれぞれの資料室にある保存分を閲覧し、平井家の了解を得て乱歩が遺した自作目録やスクラップ類を参照したうえ、研究者やコレクター、古書業者などの協力を仰いだ。結果として乱歩作品を軸とした協力関係が生まれ、今後の図書館運営のうえでも有用なネットワークとして期待される。
インターネットと書誌の編纂
第3巻となる『江戸川乱歩著書目録』は、ホームページを開設してデータを公開しながら調査編集を進めることを計画している。全国の乱歩ファンやコレクター、研究者からデータに関する教示を受け、また広く乱歩に関する情報を受発信するうえでも、インターネットはきわめて有効な媒体になると思われる。第3巻刊行後もデータはそのまま公開し、将来は第1巻、2巻の内容も増補を加えながら掲載して、作品、著書、関連文献という三つの視点から乱歩という作家にアプローチできるよう、インターネットを利用したデータの閲覧システムを実現したい。
(名張市立図書館)
名張市役所のみなさんにおわかりいただけるかどうかは疑問なれど、ここにはいわゆる方針があるわけな。方針にもとづいて資料を収集し、それを目録として体系化したということが書かれてるわけな。じつは方針なんてなにもなかったのだが、資料収集の方針もないのに目録をつくれるわけがない。これこれこういう方針に沿って資料を収集してきました、ということを示すのが目録というものなのである。だからまあ、うそといえばうそではあるが、最初から方針がありましたということにしておいたわけである。むろん、ここに記したのは、おれの独断というわけではまったくない。当時の市立図書館の、いわば公式見解である。平井隆太郎先生にもコピーをお送りしたはずである。しかし、なんかこれ、ほんとに大うそになっちまったなあ。名張市役所のみなさんには、これがどうして大うそということになってしまったのか、そのあたりの疑問も念頭におきながら、どーかひとつ、乱歩のことを真剣にまじめに一生懸命に考えていただきたい。
(3)もう無理ぽ。
とはいうものの、もう無理ぽ、というところまで来てしまったようである。昨年の秋以来、お役所のみなさんにお手数をおかけして、乱歩のことをどうすればいいか、名張市立図書館は乱歩のことをどうすればいいのか、それを真剣にまじめに一生懸命に考えていただいてきたのであるが、しょせん無理な話ではあろう。耳の穴から黒い煙がもーくもく、みたいな事態に立ちいたっておることであろう。そんなのは最初から知れていたことであるが、お役所のみなさんに考えていただかなくちゃはじまらんのだから、とにかく考えていただいた。その結果の黒い煙である。さあ、どうすりゃいいのよ、ということになった。で、おれは最初から、名張市役所のみなさんに、あんたらが乱歩のことを考える場に立ち会わせてくれんかね、とお願いをしておる。その結論がいまだに出ておらんわけなのだが、いったいどうなっておるのかな。
そりゃおめーよー、おめーが嫌われもんだからに決まってんだろーがよー、とお思いの諸兄姉も少なからずおいでであろう。じつは、おれもそう思う。おれなんて、名張市役所のみなさんからほんとに嫌われてるもんな。毛嫌いされてるもんな。おかしいな、とは思う。なぜかというと、おれは名張市役所に行って、妙なことや変なことはいっぺんもいってないぞ。まともなこと、まっとうなこと、筋の通ったふーき、みたいなことしかいってないんだからな。しかし、嫌われておる。隠すな隠すな。たまに市役所に行ったとき、おれを目撃したみなさんの目線の泳ぎかたでそれがよくわかる。それにしても名張市役所のみなさんや、いくら公務員だからって、鳩山由紀夫首相の真似なんかする必要はないんだぞ。
いやいや、名張市役所のみならず、おれは名張まちなか再生委員会でも嫌われておったからなあ。それはまあ、こんな委員会は地域社会の害虫でしかないから、委員会に入って委員長になって委員会をぶっ壊してやる、と宣言して入会した人間が嫌われるのはあたりまえであるが、しかし驚いたぞ。あれはもう二年ほど前か。名張まちなか再生委員会の総会が開かれる直前の役員会で、おれの入会を認めるべきかどうかが審議されたわけ。で、かなりあとになってから、そのときの理事会の議事録を入手した。読んでみると、おれはもう無茶苦茶いわれてるわけなのな。どこまで嫌われてんだよ自分、みたいな感じで、なんかもう生きてんのがいやになったぞ。
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ここらで煙が出るコロナであろうな
名張市役所のレベルは無視して、松竹梅の松コースで行くことにした。それは市民の意にも添うことであろう、と思われた。おれの知ってるかぎり、名張市民が乱歩にかんして漠然と考えてるのは、乱歩の名前を利用して名張を有名にしたい、ということである。乱歩作品は読んだことないけど、乱歩っていうのは有名な作家なんだから、なんとかそれにあやかることができるのではないか、とか虫のいいことを考えてるわけな。小つまらぬ自己顕示欲のレベルの話である。なら、具体的にどうすればいいと思うの? と尋ねてやると、乱歩記念館をつくろう、みたいな答えしか返ってこない。なんの考えもない。とはいうものの、市民のぼーっとした願望も理解できないではない。だから、どうせ目録をつくるのであれば、それも市民の税金でつくるわけなんだから、多少なりとも名張の名を揚げることに役立つものをつくらなくちゃな、ということになる。
それに、市民生活にまったく関係のない事業に市民の税金を使うことに、おれはなんとなく負い目を感じる。そんな必要はまったくないんだけど、とにかく感じてしまう。だから、一冊目の目録で甲子園初出場初優勝みたいなあたりまでもっていければ、市民生活にまったく無関係なことに税金をつかったことにかんして、市民のダイレクトな納得が得られるのではないか、とか虫のいいことを考えた。甲子園とはどういうことか。日本推理作家協会賞である。あの賞には評論その他の部門というのがあって、一冊目の目録はその部門で受賞できるであろうとおれは皮算用していた。そういった下馬評がちらっと伝えられてきたりもしたのだが、実際にはノミネートすらされないという意想外の結果に終わってしまった。公立図書館なんて授賞対象ではなかったのかもしれんが、とにかく甲子園初出場初優勝どころか、監督の不始末かなんかで地方大会にも出られなかったかわいそうな野球部、みたいなことになってしまった。
とはいえ、目録そのものは評判がよかった。手前みそになるが、関係方面から高い評価をいただくことができた。これひとえに、名張市役所のレベルなどというものを無視して、最上級の松コースを志向したたまものである。松竹梅、というたとえは理解していただきにくいかもしれないけれど、たとえば、ここにお米があるとして、そのお米をどうやって炊くか、という話である。おなじお米でも、炊きかたによって味が全然ちがってくる。その炊きかたに、松、竹、梅、というみっつのコースがあって、松コースとなると使用する水や釜を吟味しなければならず、お米のとぎかたや火加減にも細心の注意が必要で、要するに手間がかかっていろいろ面倒ではあるのだが、炊けたご飯はとてもおいしい、という話である。たとえがますますややこしくなったような気もするが、要するにそういうことである。収集資料という素材から、どれだけ上質なサービスを提供できるか、という問題なのである。
ところで、おれのみるところ、どうもお役所のみなさんは、サービス対象を念頭におく、ということが苦手らしい。お役所のみなさんというのは、いうまでもなく公務員であり、公僕であり、すなわちパブリックサーバントである。そのサーバントがサービスの提供対象を念頭におかないというのは、よく考えてみれば、というか考えてみなくたってかなりおかしなことなのであるが、お役所のみなさんはそのあたり、屁とも思っていないような感じがする。なんかもう、自分たちの勝手な都合をろくに説明もせず市民に押しつけてるだけ、という感じがする。たとえば、名張市における一連のごみ問題はどうよ、みたいなところに話がそれるとどこまでそれてしまうかわかんないし、それにそもそもまだテロではないんだからここまでとしておくけど、煎じつめれば単純な話で、収集資料というお米をいかにおいしく炊いて提供するか、という話なのである。ところが名張市立図書館の場合は、え? お米って炊くものなんですか? みたいな感じだったわけな。全国でただひとつ、乱歩の関連資料を収集している公共図書館として、いったいどんなサービスを提供すればいいのか、なんてことは考えてもみない。
その点、おれはもともとサービスを受ける側の人間だから、どんなサービスが望ましいかなんてことは、いちいち考えなくてもすぐにわかる。つまり、いきなり松竹梅の松コースでご飯を炊くことができるわけな。とはいえ、一冊の目録で松コースのサービスを提供するとなると、調査や編纂なんかの作業は半端ではない。なんかもう大変だったなほんと。なにしろおれなんて、名張市立図書館の嘱託になった時点では、目録をつくった経験などもちろん皆無で、書誌学の知識は完全にゼロである。雑誌の巻号数の意味さえ知らなかったほどである。のみならず、探偵小説にさして興味があるわけでもなかったし、古書への関心はまったくなかった。だからいわゆる泥縄ってやつで、その道の専門家の人からお近づきをいただいていろんなことを教えてもらったり、むろん自分でも死ぬほどお勉強をしたわけだけど、それでもまあ、なんとかなるだろうとは思っておった。乱歩がついてる、と思ってたからである。どういうことかというと、乱歩は一面では書誌学者でもあって、さまざまな目録を編んでたわけな。そのなかには自分の作品や関連文献の目録もあったから、悩むことや迷うことがあったら、乱歩ならどうしたか、ということを考えてみれば、乱歩の残した文章や目録が、おのずと答えを出してくれる。思案に暮れたら乱歩に立ち返り、乱歩ならこうしただろうな、という線を出してくればいいだけの話だったのである。
さて、話の流れをぶった切って現在ただいまの話をすると、いまここ、ということになる。まさにここ、ようやくここまでたどり着いた。昨年の秋以来、名張市役所のみなさんに、乱歩のことを真剣にまじめに一生懸命に考えていただいておる。ひとことでいえば、名張市立図書館はなにをすればいいのか、それを考えていただいておるわけであるが、直近の話し合いの場において、おれは名張市役所のみなさんに、乱歩に立ち返って考えることが必要である、乱歩は自作目録も残してくれてるし、『貼雑年譜』なんかもおおいに参考になるしな、とアドバイスしておいた。いうまでもないことだが、現在ただいま、名張市立図書館には乱歩にかんしてなんの考えもない。資料収集の方針すらない。ましてや、収集資料をどう活用するか、なんてことにはまるで考えがおよんでいない。しかし、それではだめだろうが、という一点においては、いやいや、じつはこのあたりいささか不安ではあるのだが、名張市役所のみなさんと見解の一致をみているはずである。つまり、こんなことほざいてちゃだめだろーが、ということである。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
なあ、名張市役所のみなさんや。こんなことほざいてちゃだめだよな。だから、こんなことじゃだめだ、という一点において、おれは名張市役所のみなさんと見解の一致をみていると思うんだけど、もしもかりにみなさんが、収集資料を活用する必要なんかない、なんてことおっしゃるのであれば、それはちょっとえらいことだぞ。なにしろ名張市は、すでに三冊も目録を発行しておる。つまり、名張市の最高議決機関である市議会において、目録の発行は必要である、ってんで予算が認められたわけなのな。それがどうよ。資料なんて活用する必要がない、みたいなことになったら、あの目録は必要ありませんでした、税金の無駄づかいでした、ってことになってしまうではないか。名張市役所のみなさんは、市議会の議決を否定するつもりなわけ? それはまあ、なにしろ名張市議会である。けったいな議決はいっぱいある。しかし、市職員の立場で市議会の議決を正面から否定するってのは、ポケットに辞表をしのばせてからじゃないとできないことじゃねーの?
話がそれてしまった。要するに、いまのままじゃだめだから、いったいなにをどうすればいいのかな、という話である。いまさらことあらためて考えるようなことではないんだけど、ずっと考えてきてもらったわけである。つまり、いまみえている花の話からはじめて、枝から幹、そして根っこというぐあいに話を進めてきた。眼にみえる目録の話からはじめて、そうした目録が存在するためには、どうしたって根っこになる方針が必要である、その方針はいったいどうよ、といったところまで、ようようたどり着くことができた。しかし、さすがに、そろそろ、ここらで煙が出るコロナ、みたいなことにはなってきた。というか、乱歩の自作目録や『貼雑年譜』なんかの話題を出したとき、おれにはもう、はっきりと煙がみえてしまった。煙ってのはなにかというと、これは名張まちなか再生委員会にかんして記したことで、乱歩には直接は関係ないのだが、今回の場合にもまんまあてはまるはずである。
2009年07月10日:幕引きは市長にお願いの巻
それにしても、まさか名張市が名張まちなか再生委員会から引いてしまう、などという驚天動地の結末が待っていようとは、このエントリの時点では夢にも思っておらなんだなあ、みたいなことはいいとして、煙にかんする部分を引用しておく。
ところが、因果なことに、なにしろ名張市なのである。なんつったって、名張市だもの。庁舎あげて統一見解を打ち出すことまではできたとしても、その先が難しい。統一見解にもとづいてなにをすればいいのか、なにをどうすれば名張まちなか再生委員会を解散に追い込めるのか、それがわからない。なんせ、頭をつかわなければならんのだからな。そんなこと、名張市にはできない相談なのである。ちょっとでも頭をつかおうとしたとたん、おつむがたちまちオーバーヒートして、ひゅーん、ひゅーん、とおつむのどっかから切なそうな音が聞こえてきたかと思うと、耳の穴からもくもくと黒い煙が出てくる。えらいもので、庁内会議でちょっとした難問にぶち当たり、出席者が無謀にもいっせいにものを考えはじめたりするやいなや、あっちこっちでひゅーん、ひゅーんと切なげな音がすると同時に、耳から出てきた黒い煙がたちまち室内に充満して、スプリンクラーが勢いよく散水をはじめてしまうってんだからたまらんよな。とにかく、庁舎一丸となってみたところで、ろくな知恵が浮かばんというのが現実なのである。
なんかもう、その煙が、おれの眼にはありありとみえてしまったわけよ。むろん、煙が出ることは最初からわかっておった。しかし、せめて耳の穴からもくもく煙が出るところまでは、名張市役所のみなさんにちゃんと考えてもらわにゃならん問題なのである。むろん、当然、考えはおよばぬであろう。なにも考えられなくて、ただただ黒い煙に包まれてしまうばかりであろう。どーしよーもねーなーまったく、ということになるしかないわけなんだけど、だから、だからこそ、おれはお役所のみなさんに、あんたらが乱歩のことを考える場におれを立ち会わせてくれんかね、とお願いしておるわけなのである。名張市立図書館が乱歩をどうすればいいのか、それを真剣に考える場はどうしても必要である。しかし、いくら場だけ設けたって、そこに集まるのがお役所のみなさんではどうしようもない。乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともせず、図書館は無料貸本屋だと信じて疑わないようなみなさんが何十人何百人と集まってみたところで、なんの役にも立たんわけな。わかるか? お役所のみなさん、おわかりか? これは、こちらからなにかを提案して、それをみなさんにご検討いたただく、などといった話ではまるでない。検討いたします、なんていうのはちゃんとした検討能力のある人間が口にすべきことばなのである。わかるか? 検討能力のない人間がなにを検討したところで、つまり、名張市役所のみなさんになにを考えていただいたって、そんなものはしょせん、
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
といったことにしかならんのである。このあたりの事情は名張市役所のみなさんにも自覚がおありだろうとは思うのだが、もしも自覚がないのだとしたら、それはかなりの重症だぞ。
松竹梅でいえば松のコースがいいと思う
福井健二さんの『絵図からみた上野城』、入手方法はこちらでご確認あれ。
伊賀上野城(伊賀文化産業協会):上野城発行図書のお知らせ
朝日新聞のウェブニュースがこちら。
asahi.com:上野城の変遷 絵図で集大成(5月8日)
「上野城や伊賀市内の書店で販売するほか、県立図書館や伊賀、名張の市立図書館で閲覧できる」とのことであるが、名張市立図書館はあれだぞ、乱歩のご先祖さまの家はどこにあったんですか? とか尋ねられたら、『絵図からみた上野城』をさっと開いてすぐ答えられるように勉強しておいたほうがいいと思うぞ。それから、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、そもそもミステリに興味なんかまるでないっつーのに、乱歩の名前を利用してかっこつけたいからってんでちゃらちゃらミステリ講演会の主催なんかしてたインチキ団体も、『絵図からみた上野城』を読んで勉強しとくように、といいたいところだけど、上野のまちのよりもまず名張のまちである。せめて名張のまちを乱歩がらみで案内できるようにはなっとこうな、とか思ってたら、なんか大笑いしてしまうけど、あのインチキ団体、まだ懲りてないらしいな。
名張市公式サイト:平成22年度「新しい公」委託事業選考結果
そもそも、選考にあたった「新しい公」委託事業審査委員会とかいう組織の選考能力がおおいに疑問なんだけど、その点にはとりあえずふれないことにして、審査委員会がたぶん厳正な審査を進めてくれたその結果、なぞがたりなばり関連事業が乱歩蔵びらきの会に委託されたという。しかし、これだけではなにがなにやらようわからん。さっぱりわからん。わからせようとしておらんのか。名張市役所のみなさんは市民の眼をごまかすことしか考えておらんのか、とすら思えてくる。いやいや、乱歩蔵びらきの会の関係各位は、おれがこんなこと書いたからって、いきなり涙目になる必要はないんだぞ。テロにはせん、とゆうておるではないか。心配するな心配するな。なにしろ現在ただいま、名張市役所のみなさんに、乱歩のことを煙が出るほど考えていただいておる最中である。とはいえ、なにしろお役所のみなさんである。なんともちんたらしていらっしゃるのよな。待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか、とかばかなこといっててもしかたないから、どうだ、乱歩蔵びらきの会の関係各位、名張市役所のみなさんが結論を出してくれるまでの暇つぶしに、おまえらネット上で軽くおちょくってやろうか。地域経営室気付で公開質問状でも出してやろうか。そんなことになってみろ。ちゃらちゃらとかっこつけるつもりが、全国に赤っ恥をさらしてしまうことになりかねんぞ。それがいやだというのであれば、名張市役所の総合企画政策室あたりにかけこんでだな、もしもテロなんてことになった乱歩蔵びらきの会はひとたまりもありません、なんとかテロだけは阻止してくださいましお役人さま、と涙目で泣きついてみるか。おまえらお役人とは仲がいいんだろ? 地域経営室で確認したところによれば、今年3月のミステリ講演会だって、日本推理作家協会との連絡はすべて名張市役所のお役人さまにお願いしておったというではないか。そういうのをおんぶにだっこっていうんだけど、名張市の事業委託ってそんなものなの? ちょっとちがうんじゃね? しかしまあ、ずぶずぶなあなあが当然のことだと思ってる連中には、こんなこといってやったって理解不能か。ま、達者で暮らせ。
さて、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料の活用にかんして、松竹梅のうちやっぱ松コースで行くべきだろうな、とおれは考えたわけ。松コースってのは、最上のコースということである。べつのいいかたをするならば、名張市役所のレベルは無視しよう、というわけである。名張市役所のみなさんのレベルというのは、いまさら指摘するまでもないことだけど、それほど高く見積もることはできない。では、いったいどれくらいなのか。人間の背の高さくらい? いやいや、まったく。それなら、腰のあたりの高さ? とんでもない。じゃ、まさかとは思うけど、地面すれすれ? それでもまだ見積もりが甘いわけね。たとえていうならば、とにかくまず、ジュンテンドー名張店へ行っていただいて、もちろんスーパービバホーム名張店とかでもいいんだけど、とにかくその手の店で手ごろなスコップをご購入いただく。そのスコップで、ご自宅の庭でもどこでも、そこらの地べたを三尺か四尺がとこほど掘っていただく。ご苦労であった。つまり、地べたからかなり深く掘りさげたあたりが、わが名張市役所のレベルなのである。
だからまあ、名張市役所のレベルなんて無視しないことには話がはじまんないわけな。なにしろあれだぞ、名張市立図書館なんて、乱歩関連資料を収集しております、とかいってながら、収集してどうすんだよ? と尋ねてやったら、え? なんかせなあきませんの? とかいってびっくりしてたくらいだからな。名張市役所のレベルで考えるならば、手前どもの辞書には収集資料の活用などということばはございません、ということになる。つまり、これな。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
な。じつにレベルが低い。泣きたくなるほど低い。こんなことでいいわけがない、ということにさえ気がつかないほど低い。もしかしたら、地べたを三尺か四尺がとこほど掘ったくらいでは追いつかないかもしれないほど低い。しかし、ほんと、こんなことでいいわけがないのである。だから、名張市役所のレベルは無視するべきだ、と考えた。もしも名張市役所のレベルでやったとすれば、つまり、え? なんかせなあきませんの? と尋ねられて、せめて目録くらいつくんなきゃな、とアドバイスしてやったとする。で、名張市役所のレベルで目録がつくられる。みてみると、ばーか、といってやるしかないおそまつさである。松、竹、梅、というみっつのコースでいえば、まちがいなく梅である。梅のなかでも下である。下のなかでも、甲乙丙でいえば丙である。梅の下の丙、最低である。おまえら絶対、市民の眼をごまかせたらそれでいいと思ってんだろ、といってやるしかないレベルである。だから、松のコース、つまり、全国のどこに出しても恥ずかしくないものにするべきだろうな、と考えたわけな。つまりは、天国の乱歩にも喜んでもらえるものにしなくちゃな、という寸法である。
『絵図からみた上野城』にみる平井家
伊賀市の福井健二さんから『絵図からみた上野城』をご恵投いただいた。A4判、二百八十七ページ、布装ハードカバーの大著にして、圧倒的な労作である。版元は伊賀文化産業協会、頒価五千円。いずれ全国紙の伊賀版あたりに登場するはずだから、内容紹介は省略しておくが、福井さんは同協会専務理事をお務めで、一般には上野城の城代家老として知られている。上野城を研究することほぼ五十年、上野のお城や城下町のことならなんでもよくご存じのかたである。
おととしの秋、その上野のお城にお邪魔して、福井さんからいろいろ教えていただいたことがある。ひとことでいえば、乱歩の先祖にかんすることである。乱歩は本姓を平井といい、先祖は津藩の藩士であった。『宗国史』や『永保記事略』『庁事類編』『公室年譜略』といった津藩の記録を調べてみると、たしかに平井という藩士が出てくるのだが、これが乱歩の先祖かどうかはわからない。
そのあたりのことを福井さんにお訊きしたところ、津藩にはふたつの平井家があって、そのひとつが乱歩の先祖だろうということになった。のみならず、こちらから持参した乱歩の先祖にかんするデータと、福井さんが収集された地図や分限帳などの資料を照合していただいた結果、乱歩の先祖が住んでいた場所があっというまに特定された。
地図や分限帳は、前者はコピーで、後者はパソコンにテキスト入力したデータのプリントアウトで、いつでも参照できるようになっていた。じつに便利ではあったのだが、上野のお城まで足を運ばなければ閲覧できない。だから、こういう貴重な資料はぜひとも公刊していただきたい、みたいなことを福井さんにお願いしたような記憶もあるのだが、それはどうやらよけいなお世話だったらしい。地図をはじめとした収集資料がフルに活用され、わかりやすく体系化されたのが『絵図からみた上野城』なのである。
たとえば、「記録にみる藩士の動き」というのがある。タイトルどおり、記録として残されている藩士の動きをすべてピックアップしたデータベースで、こんなのがあれば重宝するのに、とじつは以前から思っていた。それが思いがけず完成していたので、さっそく乱歩関連でチェックを入れてみると、「文久4年(1864)3月7日、平井杢右衛門(陳就)殿城和奉行被 仰付候」と乱歩のおじいさんが城和奉行になった年月日なんてのも一目瞭然である。はたまた、名張市教育委員会所蔵の地図にもとづいて作図された「享保年間城下町図」では、平井隼人というなんだかかっこいい名前の乱歩の先祖が広禅寺というお寺の横に住んでいたこともわかる。さらにまた、享保2・1717年の「伊賀附俸禄帳」によれば平井隼人は寄合で禄高は千石、慶応3・1867年の「伊賀御家中分限帳」によれば平井杢右衛門は加判奉行で禄高は変わらず千石、ということまで知ることができる。
乱歩が記すところによれば、微禄で召し抱えられた平井家は、のち千石取りに出世し、幕末までその禄高を維持したのだが、そうした記述は『絵図からみた上野城』にも符合している。そんなことはまあいいとして、名張市役所のみなさんには、乱歩は伊賀市とも浅からぬかかわりをもっていた、ということをご理解いただければそれでよろしく、こうなるとつまり、以前にも書いたことだけど、津、亀山、鳥羽、名張の県内四市が連携した乱歩都市交流会議とやらに伊賀市が入ってないのはちょっとまずいぞ、とおれは思う。乱歩の先祖のことはべつにしても、乱歩がただひとり先生と呼び、恩人として慕った川崎克との関係性という一点だけから考えても、ばーか、と先方から断られることにはなったかもしれんけど、いちおう伊賀市にも話をもっていくのが筋であったな。しかしまあ、過ぎたことだからどうだっていいか。
どうだっていいことではあるけれど、僭越ながらひとことお願いしておくとすれば、なあ、もう勘弁しろよ。勘弁してくれよ。あの乱歩都市交流会議だって結局は、
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
という話なわけよ。名張市役所のみなさんや、あんたらほんとにどうしてそうなの? あとさきのことなにも考えず、ただの思いつきだけでものごとをぶちあげてしまうの? この乱歩都市交流会議のせいで、おれは迷惑をこうむってるわけよ。出先で乱歩ファンから質問されたり、それからこれは先日も書いたけど、3月のミステリ講演会で鳥羽市から足を運んでくださったお客さんからは、せっかく会議を発足させたのになにもしないのはなぜか、とお叱りを頂戴したりしておるのである。名張市役所のみなさんや、あんたら市民に迷惑をかけるのが好きなのか。なんかほんと、ものすごく好きみたいだな。しかし、みなさんがお好きな思いつきのせいで、どうしておれが迷惑をこうむらなければならんのよ。だからもうほんと、名張市役所のみなさんや、ほんとにもう勘弁してくれんかね。
閑話休題。なんの話をしているのかというと、資料収集の話である。福井健二さんによる資料収集とその成果としての『絵図からみた上野城』がちょうどいいお手本なわけだけど、資料っていうのはちゃんとした方針にもとづいて収集し、なにか知りたい、調べたいという人間が訪れれば、的確な助言とともにその資料を閲覧に供し、いずれは資料そのものなり目録なりを公刊してひろく一般に提供する。それがふつうのことなのである。いくらなんでもこの程度のことは、名張市役所のみなさんにだってご理解いただけることであろう。乱歩の資料を収集してます、とかいうのであれば、それなりのことをしなきゃならんわけね。それができない、活用の計画どころか収集の方針さえなにもないというのであれば、資料の収集なんて中止してしまえばいいのである。先日来お知らせしておるとおり、現在ただいま、名張市役所のみなさんに乱歩のことをお考えいただいているところなのではあるが、もうやめたほうがいいんじゃね? という選択肢もおれは示している。なにもできないんだったら、やめるしかねーだろーが。
さて、乱歩の資料を収集してます、とかいいながらなんにも考えてなかった名張市立図書館から依頼されて、おれは資料活用に筋道をつけることになったわけである。第一歩は、いうまでもなく目録の作成である。ていうか、いうまでもないはずのことが、じつはいってやらなきゃなんないことだったのであり、しかもいってやっただけではどうにもならず、こちらが一から十まで進めてやらなきゃならないことでもあったのだから、ほんとに困ったものだよな。で、松、竹、梅、とみっつのコースがあるとして、これはなんのコースかというと、手に取った人が、おおっ、と思うのが松、ふーん、と思うのが竹、ばーか、と思うのが梅、そういうことなのであるが、やっぱ松で行くか、とおれは考えた。
ちゃんと考えていただけてうれしいな
橘の件が片づいたので、もとの話題に戻ることにする。ここまでのところは、名張市役所のみなさんにもよくご理解いただけたものと思う。なにしろ、おれはごくあたりまえのことしかいってないんだからな。理不尽なことや不合理なことはいってない。無理難題をふっかけてるわけでもない。とにかくちゃんとしてくれ。名張市役所のみなさんにそうお願いしているだけである。ちゃんと考えてちゃんと決めよう。ちゃんと決めたことはちゃんと守ろう。そういってるだけである。名張小学校のよい子たちにだって、おれのいってることはちゃーんと理解してもらえるはずだぞ。なあ、名張市役所のみなさんや。とにかく、もうちょっとしっかりしような。ちゃんと考える。ちゃんと決める。ちゃんと守る。その程度のことはふつうにできるお役所になろうな。おれはそういってるだけである。
問題は、もとより乱歩まわりのことだけにはかぎらない。まちなか再生事業だってそうだったではないか。プラン策定の段階から、ちゃんと考える、ということがまずできてなかった。なにも考えることなく、ただの思いつきを寄せ集めただけでプランを決めてしまった。その時点で、事業の失敗は約束されていたようなものなのである。まちなか再生事業がらみでいえば、乱歩文学館構想だってそうだったよな。乱歩文学館を建設する、ということだけは思いつける。しかし、そのあとがつづかない。なにも考えられない。なにも決められない。うすらばかがおつむ煮つまらせていただけの話である。乱歩文学館なんてつくって、いったいなにをするのか。まったく考えられない。そんなものがどうして必要なのか。さっぱりわからない。じつにおめでたい話である。
名張市立図書館における乱歩関連資料の収集も、じつはおなじようなものであった。図書館つくるから乱歩関連資料を収集しよう、というところまでは思いつく。桝田医院第二病棟を寄贈されたから乱歩文学館を建設しよう、と思いつくのとおんなじである。ただまあ、資料収集なのだから、さすがに思いついただけで煮つまってしまう、ということにはならない。神田の古本屋へ行って、乱歩関係の古本を五貫目ほど、と注文すれば、それはもうほいほい売ってくれる。しかし、そこまでである。それで終了である。おつむが煮つまることさえない。収集資料の活用、などといったことにはまるで考えがおよばぬからである。なんのための資料収集か、なんてことはまったく考えようとしないのである。だから、読書会でお茶を濁してりゃそれでいいか、みたいな話になる。やらねばならぬことをなぜやらぬのか、と責められて、なにをやったらいいのかよくわかんない、などと泣きごとを並べてしまうことになるのである。
とにかく名張市役所のみなさんや、もうちょっとしっかりしてくれよな、とおれはつねづねお願いしておったのだが、ようやくしっかりしていただけることになった。ちゃんと考えていただけることになって、げんに現在ただいま、しっかり考えていただいている最中である。名張市立図書館における乱歩関連資料の活用について、それはもう煙が出るほど真剣に考えていただいているところなのである。開館の時点でちゃんと考えられ、ちゃんと決められているべきだったことを、四十年後にようやく、ちゃんと考えてちゃんと決めていただいておる真っ最中なのである。おれとしては、うれしいなったらうれしいな、てなもんよ。だが、しかし、と疑問にお思いの諸兄姉もあるかもしれない。名張市役所のみなさんがいくら真剣に考えてくれたところで、結局おつむ煮つまらせるだけの話なんじゃねーの? と。
いやいや、ご心配なく。その点にかんして抜かりはない。心配はご無用である。なにしろおれは、名張市役所のみなさんに、乱歩のことを真剣にまじめに一生懸命に考えていただくにあたって、できればおれをその場に立ち会わせてくれんかね、とお願いしているのである。名張市役所のみなさんにとって、じつに心強いことであろう。むろんおれは、おれの考えを押しつけるつもりはない。おれのいうとおりにしろ、と強要する気はない。そんなことするわけがないではないか。ただまあ、おれはものすごく心配なのね。乱歩のことを考えていただくのはとてもとってもありがたいことなんだけど、乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともせず、図書館は無料貸本屋だと信じて疑わないような人たちに、いくら煙が出るまで考えていただいたところで、
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
みたいなことになるのは火をみるよりも明らかなわけね。だからって、いつまでもこんなばかなことはいってらんないわけ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
いやいや、話が先に進みすぎたかもしれんな。「現在のところございません」ということになってる「江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針」について、これまでの歴史を振り返りつつ、市役所のみなさんのご検討に資する意味もこめて、次回に記すこととする。
さつきまつはなたちばなのかをかげば
まず最初に、乱歩のことを真剣にお考えいただいている名張市役所のみなさんに、深甚なる謝意を表する次第である。大儀じゃ。
さて、ご閲覧の諸兄姉にご教示をお願いしたいことが出てきた。これをお読みいただきたい。
名張まちなかブログ:人外境だより2008 > タチバナの花はありませんか(5月5日)
そういったわけなので、名張のまちでもその周辺地域でも結構なのだが、橘の花が咲いているところをご存じのかたは、お手数ながらぜひともご教示をたまわりたく、ここにお願いを申しあげる次第である。
それにしても、旧細川邸やなせ宿の無駄に立派な公衆便所、あれがやっぱり元凶らしいな。あそこが諸悪の根源であったらしいな。なんかいかにもそんな感じがするではないか。いまさらなにいったって取り返しはつかんのだから、そんなことはまあどうでもいいとして、じつはガラシャ!さんのご投稿を拝読して、おれは植物にかんしてまったく無知と来ていてるから、ガラシャ!さんには旧細川邸やなせ宿の公式サイトにお尋ねいただこうかと考えた。なにしろ「名張市旧細川邸やなせ宿の設置及び管理に関する条例」では「(1)名張地区既成市街地の歴史、文化、自然、季節等地域資源の積極的な情報発信に関すること」があげられているのであるから、旧細川邸やなせ宿こそは名張まちなかの情報拠点、名張のまちのことならなにを尋ねても、それはもう打てば響くように答えが返ってくるはずなのである。それにあそこの中庭には、その名も橘今滋の歌碑まであるんだからな。
ところが、ひさしぶりでアクセスしてみたところ、旧細川邸やなせ宿の公式サイトには、インターネットを利用して連絡することができないらしい。おっかしいなあ。以前はあそこのブログ、コメント機能がオンだったはずなのに、いまみてみるとオフである。メールアドレスも公開されていたはずなのに、いまみてみると公開されてない。おれは以前、やなせ宿を運営しているまちなか運営協議会にメールを送信して、おまえらばかかこらどこまでばかかと思いきり叱り飛ばしてやったことがあるのだが、あのときはたしか、やなせ宿公式サイトでメールアドレスが公開されていたと記憶する。ま、そんなことがあったから、コメントもメールも受け付けません、みたいなことにしてしまったのかな。どうもご苦労なことである。しかし、そんなことでは、情報の積極的な受発信、みたいなことはとても不可能であろうな。旧細川邸やなせ宿の関係者は、そんなことにはさっぱり関心がないのであろうな。
それにしても、あの旧細川邸やなせ宿、なんかもうただごとではないもんな。罰が当たったとか、なにかのたたりとか、やっぱりそういうことなのであろうな。あそこを中心にした負のオーラが、いまやまちなか全体を包んでいるような観すらある。だいたいがあそこは、最初っからわけがわかんなさすぎだよな。たとえば、あの諸悪の根源、じつに罰当たりな無駄に立派な公衆便所はどうよ。いつかの市議会一般質問で橋本マサ子議員から指摘された二重投資問題はどうよ、と思って検索してみたら、平成20・2008年6月議会のことであった。橋本議員からこんな指摘が出ておったな。一部太字で強調して引用。
私がなぜ一番最初に社会保障の問題を取り上げたかといいますと、自治体として何を優先して行うかというふうなことはきちっと位置づけられているわけなんです。だから、市長は先ほど公共を随分と減らしてきたと言いますけれども、それならば先ほども梶田議員からいろいろな声が出されておりました。私も申し上げるならば、例えばやなせ宿の問題にいたしましても、今公共下水道の整備を進めている、いずれはそこに向かって公共下水道の整備もされるにもかかわらず、合併浄化槽の整備に800万円も使ったという、そういうふうな二重投資が行われるというふうなことも私は無駄遣いの一つではないかというふうに思いますし、公共事業の中にはその事業を進める上で当初の金額よりは膨れ上がってしまうというふうなことが多々あるわけなんです。なぜ膨れ上がるかというふうなことにつきましては、やはりそこに専門的にかかわれる職員が、十分対応できる職員が配置されてないというふうなこともあるのではないか、また専門的過ぎて専門家でないと任せられないという面もあろうかというふうに思いますけれども、もっともっとそういうふうな専門的なところにしっかりと職員がかかわれるような形にしていくならば無駄を生まなくて済むというふうなことにもなろうかというふうに思います。
な。あの無駄に立派な公衆便所、いかにも問題あり、みたいな感じじゃね? 実際のところはようわからんのだが、あの罰当たりきわまりない公衆便所は、名張市における税金の無駄づかいの象徴みたいなものなのであろうか。どうもよくわからんが、とにかくわけがわからんということだけはたしかである。わけがわからんといえば、やなせ宿に開設されてるアドバンスコープの FM スタジオもようわからんなあ。しかしまあ、わけのわからんことだらけだから、罰が当たったり、たたりがあったり、いろいろなことになるのであろうな。おーこわ。
いや、いやいや、旧細川邸やなせ宿の関係各位は、いっさい心配ご無用である。心配するな心配するな。おれはもうはっきりと、テロにはしない、とゆうておるではないか。名張市役所のみなさんが乱歩のことを真剣に考えてくれておるのだから、それはもう煙が出るほど真剣に考えてくれておるのだから、テロになんかなるわけがない。枕を高くして眠ってくれ。そして名張市役所のみなさんには、テロを阻止すべく奮闘努力を重ねていただくようお願いする次第である。おれはおれで、世界人類が平和でありますように、と神様にお祈りしておくことにするからさ。
遅いっちゃ遅いけど先送りにはできない
そんなこんなで二年が過ぎた。ある日、名張市立図書館から電話があった。読書会の打ち合わせをしたいという。はあ? と思った。だから、乱歩の読書会は二年だけという約束である、三年目はないから、打ち合わせも不要である、と伝えた。それで終わったと思っていたら、また電話があって、なんとか三年目もやってくれ、と依頼された。むろん、断った。しかし、図書館もしつこい。とうとう拙宅まで押しかけてきてくれて、そんなこといわずにどうかひとつ、ということになった。なんかもう、泣きつかんばかりなわけね。
どうしてそこまで必死なわけ? とおれは図書館に尋ねた。おれは最初から、読書会は二年だけ、といっておったではないか。それが伝わってなかったとしたら、図書館側の連絡ミスである。おれには関係がない。それにだいたい、三年目がなくなったといっても、読書会の受講生を募集しなければいいだけの話ではないか。だれに迷惑がかかるわけでもない。なんでそこまで必死なの?
すると、新年度の当初予算に読書会の予算が組み込まれているから、という返事が返ってきた。知ったことかよ、と思った。予算のことなど考えてもいなかったのだが、いわれてみればたしかにそうである。講師料とテキスト代、ごくごくわずかな金額だが、予算はたしかに組まれているはずである。しかし、それならそれで、次年度予算を要求する以前の段階で、おれの意向を確認してもよかったよな。そうしていたら、その時点で、三年目はなしである、ということがはっきりしたはずである。あとでごたごたすることはなかったはずである。それともなにか、おまえら公務員は、市民は行政の手駒である、とでも思っているのか。おまえらの都合で好きなように市民を動かせるとでも思っているのか。民は唯々諾々として官に従うべき存在だとでも思っていやがるのか。ばーか。いつまでも官尊民卑で凝りかたまってんじゃねーぞ腐れ公務員。とっとと帰りやがれ。で、図書館は帰っていった。
しかし、図書館はまた来てくれた。ほんとにもう、泣きつかんばかりなわけなのね。なんとか三年目もよろしくお願いしたい。その一点張りである。ほとほといやになった。てめーらの勝手な都合を人に押しつけてんじゃねーよ。おれは最初から、図書館が乱歩の読書会を開いてうわべだけかっこつけることを、けっして好ましいものだとは考えていなかった。だいたいおまえら、どうしてそうなの? 読書会などといううわっつらのことだけでお茶を濁そうとするの? 乱歩の資料を専門的に収集しております、というのであれば、読書会なんかよりほかに、もっとやるべきことがあるではないか。だというのに、どうしてそれをしないの? と尋ねた。
なにをしていいのか、まるでわからない、という答えが返ってきた。ふーん、そりゃ大変だな、と思った。しかしまあ、それならそれで、いたしかたあるまい。なにもわからんのなら、なにもしなければいい。それだけの話である。だから、読書会なんて、むしろ絶対やっちゃいけないことだったわけな。なにもわからん人間がなにかをやろうとすると、前例を踏襲するか、よその事例の真似をするか、人のふんどしで相撲をとるか、どれもお役所の得意技ではあるのだが、そんなことしたっていずれぼろが出るのは確実なんだから、なにもわからないと明言するのであれば、もう一歩前進して、なにもわからないからなにもしない、と宣言してしまえばいいのである。ばかならばかでいいから、潔いばかであれ。ばかが背伸びしたりかっこつけたりしたって、そんなものは見苦しいだけである。なにもわかりません、だからなにもしません、かんにんしてください、と一本、すーっと筋の通った潔いばかであれ。いずれにしても、おれには関係のない話である。市立図書館がいかに無能で怠慢であろうと、そんなことおれには関係がない。薄情なようだけど、知らんがな、というしかないではないか。
とっとと帰ってもらおうとしたところ、図書館から意外な申し出があった。図書館が乱歩にかんしてなにをやればいいのか、考えてくれないか、というのである。まったくまあ、あきれ返った話である。そもそもそんなもの、ことあらためて考えねばならぬことではない。市立図書館が乱歩関連資料を収集しようと決めたのであれば、その時点で考えられているべきことである。そんなことすらできていないのであれば、ほんとにもう、なにもするな、ということになる。考えてくれもくそもないではないか。資料を収集していますというのであれば、その活用を進めればいいのである。そんなこともわからんのか。だったらもうやめてしまえ。乱歩関連資料の収集なんてやめちまえよばーか、という話になる。げんに、いまもそうである。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
な。活用する気もないのなら、収集なんてやめちまえよばーか、という話になるしかないではないか。それにしても、どのセクションの職員がこの回答を書いてくれたのかは知らんけど、ほんと、ばーか、といってやるしかないよなまったく。しかも、小ずるい。「現在のところ」とかいってるあたり、じつに小ずるい。先送りして、うやむやにしようとしている。公務員の常套手段ではあるが、いま考えなければならないことを先送りして、そのまま知らん顔を決め込みさえすれば、あとは異動か退職を待つばかり、ということになる。無責任システム、本日も異状なし。いま決めなければならないことを決めなかったことの責任なんて、だれからも問われることがない。ほんと、お役所ってのはよくできてるよな。
それはそれとして、乱歩にかんしてなにをやればいいのか、考えてくれないか、と依頼されて、そんなのは考えるまでもない、収集資料の活用を進めればいいのである、と答えたところ、それならそれをやってくれないか、とさらに頼まれた。で、受けることにした。市立図書館が収集資料を活用できないっつーのは、市民のひとりとして考えた場合、なんともなさけない話であるし、恥ずかしいような話でもあるし、それ以上にじつにもったいない話なのである。だから話を受けることにして、それならなにか立場を与えてくれ、と頼んだ。そしたら後日、嘱託という立場でやってくれ、と連絡があったので、その年の10月から市立図書館嘱託ということになった。10月といえば、そろそろ次年度予算の編成作業が始まろうという時期である。だからとりあえず、目録を刊行するための予算を請求してもらうことにした。収集資料の活用ってのは、目録を作成することから始まるのである。で、目録を作成するということは、資料収集の方針を明確化する、ということでもある。つまり、おれが嘱託になったとき、市立図書館には収集資料の活用にかんしてはもちろん、資料収集そのものにかんする方針すら存在していなかったのである。
そのあたりのことを、以前書いたところから引用しておく。
さて、嘱託になった私は、名張市や名張市教育委員会が乱歩についてどう考えているのかを知りたいと思った。私は私なりに、名張市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのか、そのプランはもっていた。しかし、それが名張市や名張市教育委員会の考えと整合性をもったものかどうかは判らない。早い話が、名張市は昭和四十年代のなかばに乱歩記念館の建設構想を打ち出しているのだが、その構想が生きているのか死んでしまったのか、生きているとすればどういう形で残っているのか、そしてその構想と図書館との関係はどうあるべきなのか、そのあたりを確認しておかなければ動きようがないのである。そこで私は、教育委員会のしかるべき地位にある方に文書で質問を提出した。図書館が乱歩に関して何をすればいいとお考えか、教育委員会としての見解なり方向づけを示してほしい、といった内容の文書である。
教育委員会のしかるべき地位にある方、といちいち書いていてはまどろっこしい。かりにX氏としておくが、X氏からは、しかし何の返事もなかった。やっぱりな、と私は思った。教育委員会には何の見解もないのだ。それは充分に予想されていたことなので、私は驚きもしなかった。そして、とりあえず自分なりのプランを実行するべく、『乱歩文献データブック』の予算を要求するよう手配した。平成七年十一月のことである。つまりお役所では、毎年十一月に次年度予算獲得のための動きが始まる。来年はこういう事業を進めますからこれだけの予算をいただきたいという折衝が始まるのであって、市立図書館は教育委員会に対し、『乱歩文献データブック』刊行という事業を行いたいと申し出たのである。図書館長がことあるごとに事業の必要性を説いてくれたこともあって、ゴーサインが出た。一昨年三月の市議会で、予算が正式に認められたのである。
これを受けて四月、私は乱歩令息、平井隆太郎先生にお会いするため上京することになった。書状のやりとりで『乱歩文献データブック』のご監修はお引き受けいただいていたのだが、一度お邪魔してご挨拶申しあげる必要があった。上京の前、私は図書館長に、市長にお会いしたいのだが、と申し出た。さきほども記したごとく、名張市が乱歩のことをどう考えているのか、それが知りたかったのである。『乱歩文献データブック』の刊行は、名張市が過去に手がけてきた乱歩関連事業や名張市の将来構想のなかに位置づけられた乱歩関連事業と無縁ではあり得ない。私は平井先生に、名張市は乱歩先生に関してこれだけのことを考えております、このたび図書館が刊行する本もその一環であります、というふうにご説明申しあげ、ご協力をお願いしたかったのである。それが筋というものであろう。やがて図書館長を通じて、市長ではなくX氏から返事があった。
「おまえが市長に会うのは無理である。教育委員会のしかるべき地位にある私をさしおいて市長に会うことなど市役所のシステム上とうてい認められぬ。不可能である。会いたいというなら私が会ってやろう」
というX氏の言い分を伝えられて、私は耳を疑った。そのまま教育委員会に飛んでゆき、X氏の胸倉を掴んで、
「おのれごときぼんくらではラチがあかんさかい市長に会わせ言うとるんじゃぼけ。聞き苦しい声でしょうもないことキャンキャン吠えとったらしまいに水かけるぞこの出来損ないが」
などと怒鳴りつけてやろうかとも考えたのだが、それはさすがに思いとどまり、相手がそんな屁理屈を振り回すのであれば致し方ない、X氏にお会いしようと観念して、指定された日時に名張市役所を訪れた。大幅に遅刻したX氏は、私の顔を見て開口一番、
「乱歩の本をつくるそうですが、誰にも迷惑かけずにできるんですかァ」
とおっしゃった。私は唖然とし、ここに筋金入りの公務員がいる、と思った。何事においても責任回避と自己保身を真っ先に考えることが習い性となった公務員の鑑のような人物が、私の目の前に立っているのだ、と。私は返答する気力も失せ、適当に話をして退散した。しかし、このおっさんいずれ一発かましたらなあかんな、と胸に誓うことは忘れなかった。機会が訪れた。翌年、つまり去年の一月のことである。どうしても問い質したいことが出てきたので、私は図書館長に、X氏にお会いしたいのだが、と申し出た。
「どういうご用件ですか」
「一発かましたりますねん」
とはいわなかったが、私はこれこれこういうことを確認したいのであると館長に伝えた。やがて、館長を通じてX氏の返事がもたらされた。市議会を控えて忙しいから時間が取れない、とのことである。ぼけが、と私は思った。ごく短時間で済む用事ではないか。
といったことをいくら書き連ねても、たいして意味はないのかもしれない。私は別にX氏を非難したいのではなく、いったい乱歩のことをどうお考えなのかと名張市や名張市教育委員会に尋ねてみても、はっきりした返答は得られなかったという事実をお伝えしたいだけなのである。だが読者には、私が私憤をぶちまけているとしか見えないかもしれない。だからX氏の話はここまでとして、話を先に進めよう。要するに、たとえば市立図書館が乱歩の著作を集めるにあたって、刊本のみを対象とするのか初出誌まで視野に入れるべきなのかといった点に関しても、その判断基準となる構想や方向づけはまったくもたらされないのである。こちらが質問しても、返答そのものがないのである。しかし、それはあらかじめ想像がついていたことでもあった。お役所がいかに無責任で無能力で怠慢であろうとも、私は私の仕事をすればよいのだ、と私は単純に思っていた。
「教育委員会のしかるべき地位にある方」というのは、ちょっと前にも書いたけど、教育やくざ三教組のご出身ではなかった教育長のことである。で、市長というのは、前市長のことである。当時、市長にお会いしたいと思えばいつでも、電話で直接お願いすればたちまち OK だったはずなのであるが、なにしろ図書館の嘱託としてお役所のヒエラルキーに身を置いたわけなんだから、それなりの動きをしなければならない。だから図書館長を通じて市長との面談を求めたところ、上に記したような結果になったのであった。
そんなことはともかく、図書館が教育委員会に目録刊行の重要性を強く訴えてプッシュしてくれたこともあって、予算を獲得することができ、無事に一冊目の目録が完成した。二冊目、三冊目もできあがった。だから、市立図書館が乱歩関連資料を収集するにあたっての方針も、その活用の方法も、じつはすっかり決まっていたのである。三冊の目録が、それを明確に示していたのである。それが、そうではなくなった。なぜそうではなくなったのか、それをいまこうして振り返っているわけなのであるが、とにかくそうではなくなった結果、こういうことになった。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
なあ、名張市役所のみなさんや。いくらなんでもこれではまずかろうが。これではまずいということくらい、みなさんにもわかっていただけるものとおれは思う。だから、昨年の秋以来、じわじわと話を進めて、まあなんとか、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをどうすればいいのか、みたいなことをお役所のみなさんに考えていただいているところである。本来であれば四十年あまり前、市立図書館が開館された時点で明確に決められていなければならなかったことを、いまお考えいただいておるのである。遅いっちゃ遅いけど、いつまでも先送りにはしとけないからな。とはいうものの、そろそろ、ここらで煙が出るコロナ、みたいなことになってきてんじゃねーの? という気もして一抹の不安を抱かぬでもないのだが、とにかくめでたいことである。ありがたいことである。名張市役所のみなさんに心からなる謝意を表しておくとともに、名張市民のみなさんにもついでにお知らせしておくわけだけど、名張市役所のみなさんに真剣にものごとを考えていただけるというのは、これはほんとにありがたいことなんだぞ。おれなんてもうありがたさのあまり、日の出とともに市役所のほうに手を合わせてから一日を始めておるほどなのである。
そろそろ歴史を振り返ってみる
お役所のみなさんにものを考えていただくというのは、ほんとに大変なことなのである。こつ、手順、交渉術、かけひき、などといったものが必要になる。表面的なことや具体的なことから、ゆるやかに話をはじめなければならない。いきなり結論めいたものを求めても、まともな答えは返ってこない。返ってくるのは、たとえばこんな答えである。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
だめだこりゃ。ほんと、いかりや長さんじゃないけど、だめだこりゃ、と思ってしまうよな。どのセクションの職員がこの回答を書いてくれたのかはわからんが、こんなおまぬけなことをゆうておってはいかんぞ。もう少し考えような。とはいえ、ものごとを考える習慣のない人間に、いきなりものごとの本質にかかわる答えを求めたところで、返ってくるのはこの程度のお返事でしかないのである。お役所のみなさんのお相手をして、おれはつくづくそれを学習した。うわっつらのことだけで話を済まそうとする人間に、いきなり本質的な問題を提示したってだめなのである。うわっつらのことから入らなければだめなのである。
うわっつらのこと、眼にみえることから、話をはじめる。それが肝要である。たとえば、ここに桜の花がある、ということは、だれにも理解できる。花はそこにみえている。で、花からたどってゆくと、枝というのがある。枝からたどると、幹がある。幹を上から下にたどった先には、いったいなにがあるのか。地面に隠れてみえないけれど、ここには根というものがある。根っこというだいじなものがある。さあ、根っこの問題、本質的な問題、それを考えてみてくれんかね、みたいな感じでもってかないことには、お役所の人にものごとを深く考えてもらうのは無理だと思う。だからまあ、昨年の秋以来、それなりのステップを踏んで、乱歩のことを考える、っつーことをお役所のみなさんにお願いし、花、枝、幹からいよいよ根っこの問題へ、といったあたりまでたどりついた。なんの問題かというと、むろんこれである。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
だめだこりゃ、というしかないのであるが、市民生活にはなんの関係もない乱歩資料を収集しておいて、それを活用する方針がないというのでは困るではないか。きのうやきょうのことではない。もう四十年である。四十年も資料収集をつづけていて、活用の方針が決まっていない。そんなばかなことがあるのか。という以上に、そんなばかなことをなにも考えずしれっと公表してしまう無分別さはどうよ。大丈夫か。名張市役所ではどんな無分別無思慮無責任なことを口走っても、すべてそのまままかり通るのか。野放しか。名張市役所ではどんなうすらばかも放し飼いなのか。ばーか。サファリパークみたいなこといってんじゃねーぞすっとこどっこい。
いやー、ようやく調子が出てきたようだな。おれのこの芸風ってのは、血のにじむような修業を重ね、粒々辛苦の果てに身につけたものなのであるけれど、それでも日々の修練を怠ると、腕がなまる、みたいなことになってしまう。ブログをしばらく休んでいたせいで、いささか腕がなまったかな、という自覚があったのだが、調子もなんとか戻ってきたようである。にしても、気をつけなくちゃいかん。要するに、日々これ精進、っつーようなことであろうな。
ではここで、根っこの問題を考える、っつーとこまでたどりついていただいたお役所のみなさんに、お役所のみなさんがこれまで、いかになんにも考えてこなかったか、その歴史をお知らせしておくことにする。おおいに参考としていただきたい。だいたいが、四十年前に考えられていてしかるべき問題なのである。名張市に市立図書館が開設され、乱歩関連資料を収集しますと決めたのであれば、それと同時に、収集資料をどう活用するのか、みたいなことも考えられていてしかるべきなのである。それが四十年もたって、これだもんよ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
さて、いかになんにも考えてこなかったかの歴史、といったって、ごく大ざっぱに振り返るだけだから、何年何月のことであった、みたいな細かいことは無視して話を進める。名張市立図書館の開設は昭和44・1969年のことであったが、それから二十年以上が経過したころの話である。
ある年のある日、おれは市立図書館から、乱歩の読書会を開きたいから講師を引き受けてくれ、と依頼を受けた。むろん、断った。乱歩作品なんてのは、読みたい人間が勝手に読めばいいのである。乱歩を読むか読まないか、そんなものは個人の勝手である。名張市民だからといって、乱歩作品に親しまなければならぬという法はない。公立図書館がわざわざ読書会を開く意味なんて、そんなものはどこにもないはずである。公立図書館が読書会を開いてくれなきゃ乱歩作品を読む気になれない、などと甘ったれたことをいうばかな市民がいるのであれば、そんなやつはもう張り倒してやれ。おれはそう考えたのだが、だからといって読書会を開くなとはいってない。好きなように開いていただいて結構である。しかし、おれには、そんなものの片棒を担ぐ気はさらさらない。それだけの話である。
一年ほどたって、また、市立図書館から同様の依頼があった。市立図書館はどうして、これほどまで乱歩の読書会を開きたがるのか。はっはーん、と思い当たったのは、乱歩生誕百年がちかづいている、ということであった。生誕百年を目前にちょっとした乱歩ブームが起きつつあったころではあり、はっはーん、乱歩生誕地の市立図書館、それも館内に乱歩コーナーを開設している図書館としては、乱歩作品を題材にした読書会のひとつも開いてなければかっこがつかない、ということか。はっはーん。お役所の人間というのはとかく、市民をだしにして点数稼ぎをしたがるものである。うわっつらだけ整えてかっこをつけたがるものである。乱歩の読書会も、結局はそういった種類の思いつきであろう。片棒を担ぐのはもとより気の進まぬことながら、かたくなに拒否しつづけなければならぬほどの問題でもない。
だからまあ、二年だけ、という約束で、講師を引き受けることにした。二年というのは、乱歩生誕百年にあたる平成6・1994年とその前年、その両年度である。で、読書会というのは、以前書いたところから引用するならば、こんなものであった。
読書会で私がどんなことを喋っているのかというと、原稿を準備しているわけではないから克明には記憶していないが、たとえばこんなことを口走っていると思っていただきたい。
「ですからまあ、異常性欲という考え方がですね、ヨーロッパから日本に伝えられてきた、それが乱歩の時代であったと、こういうふうにいえると思います。で、乱歩はまさにそうしたヨーロッパ的な考え方、正常なものと異常なものを明確に区別してゆく考え方をわがものとして、作品のなかに異常なものをいろいろと描いていったわけです。異常な心理、異常性欲が、乱歩作品にはたくさん登場してきます」
あるいは、こんなことも喋った。
「そういうふうに、乱歩がいやらしいことを書いている、異常な心理、異常性欲について書いている、そうした作品がわれわれを惹きつけるのは、結局まあ、われわれのなかにもそうした心理なり性欲が潜在しているということなんです。われわれの心の底の、いわゆる無意識がですね、乱歩作品に描かれた異常さに共鳴しているということです。異常性欲の要素というのは万人に共通しているわけですから、これはもう異常でも何でもない、ごくあたりまえのことなんです。したがいまして、世のなかには異常な性欲など存在しない、あるいは、すべての性欲は異常である、そういうことになります」
ああ、思い出した。調子に乗ってこんな馬鹿なことまで喋ってしまった。
「乱歩作品は異常性欲のオンパレードであるみたいなことをいう人がありますけれど、それは正確ではありません。たとえば乱歩が避けて通った異常性欲に糞便愛というものがありまして、糞便、おわかりですね、これに対する愛着というものは、乱歩作品にはまったく見られません。サディズムの本家であるサド公爵はこの糞便愛の所有者でもありまして、あれはマルセイユ事件でしたか何でしたか、街角に立ってる売春婦のお姉さんを何人か連れ込んで、下男といっしょに乱交パーティに興じるという事件を起こしまして、たしかそのとき、サド公爵はお姉さんにおならの出るボンボンを食べさせましてですね、乱交に及びながらときどきお姉さんのお尻のにおいを嗅いでいたということです。はははははは」
読書会初年度のことであった。親子一緒に参加してくれたお母さんとお嬢さんがいらっしゃったのだが、その二人がある日、会の途中で、二言三言囁きを交すや忍びやかに席を立ち、部屋から退出して、以来ふっつりと姿を見せてくれなくなるという事態が発生した。理由はいうまでもなく、私の喋った内容が羞恥や不快の念を呼び醒ましたからにほかならない。彼女たちはその場にいたたまれなかったのである。読者よ、私は敢えて申しあげるが、これは明らかにセクハラである。セクハラに及んだ本人が断言しているのだから、こんな確実なことはないであろう。当時はちょうどセクシャル・ハラスメントという言葉がマスコミで喧伝され始めたころであって、もしもあのお二人がおおそれながらと訴え出れば、翌日の日刊各紙地方版には、
「ハレンチ講師、乱歩でセクハラ」
などといった見出しが三段抜きくらいで躍り、名張市教育委員会のお偉方が眼を白黒させる仕儀となったに相違ないのである。ともあれ、この場をお借りして、あのときのお二人には心からお詫びを申しあげる次第である。
これは、いたしかたのないところであった。乱歩の話をするとなると、どうしたって異常性欲の話題に及ばざるをえない。親子で参加してくださったお母さんとお嬢さんにはほんとにわるいことをした、とは思うけれど、まちがったことをした、とは思わない。むろん、ほかの人間が講師を務めたとしたら、異常性欲の話なんて出なかったかもしれない。しかし、おれがしゃべるとなると、やっぱ出てくる。嬉々として出してしまう。すまんなどうも。ともあれ、そんなこんなで、二年が過ぎたわけね。
モチベーションはどうしたのか
いや、ご無沙汰であった。いつまでも寒いなあまったく、とちぢこまっておったのだが、憲法記念日ともなればさすがに暖かい。暖かさに誘われて、ひさしぶりにぎゃあぎゃあ吠えてみるか。ていうか、あんまりぎゃあぎゃあ吠えてばっかりいるから、おそらく天罰がくだったのであろうな。少し前から調子のわるかったパソコンが、先日とうとう完全にぶっ壊れた。新しいパソコンでブログのエントリを記すのはこれがはじめてである。だから、いきなりぎゃあぎゃあ吠えるってのも、ちょっと考えものかもしれんな。抑え気味にスタートする。
さて、「乱歩のことを考える」と題したエントリを、休み休みながら、これはもうほんとに休み休みで、少し前に津市からいらっしゃったお客さんにも、ブログつづけるモチベーションがかなり低下してるみたいですね、と指摘されてしまったのであるが、つらつら振り返ってみるに、やっぱあれだろうな、去年の9月4日が分岐点ということになるのであろうな。9月4日っつーのは名張まちなか再生委員会の第六回理事会が開かれた日、名張市が委員会から引く、と宣言した日であった。
2009年09月05日:驚くべき展開でござるの巻
どう考えてもありえないはずのことが起きたあの日、あまりといえばあまりのあほらしさに、おれのモチベーションも引き潮に転じてしまったのかもしれんな。名張市役所のみなさんには、ほんとにおそれいってしまったぞ。名張市が発足させた組織から、名張市が引く、などということができると思うておるのか。いやいや、それができてしまったんだから感心してしまうのだが、名張市役所のみなさんは、そんなことでいいとお考えなのであろうか。
とはいえ、あの件で名張市役所のみなさんを十把一絡げにしてしまうのは、もしかしたら酷なことかもしれんな。なぜかっつーと、おれの知ってるかぎりでは、名張市が名張まちなか再生委員会から退会したことにかんして、あれが適切な判断であった、望みうる最善の措置であった、と考えている市職員はひとりも存在しない。じゃあ、かれらはどう考えているのか。委員会が機能しなくなったというのであれば、やっぱ名張市の責任において委員会を廃止するべきだったよな、といったことのようである。おれもまあ、それがまともな考えかただと思うぞ。名張市のやったことは、無責任でもあれば、卑怯でもあった。卑怯というより、とにかく小ずるいわけよ。
いやいや、過ぎたことはまあいいとして、「乱歩のことを考える」と題したエントリを、ほんとに休み休みながら、えんえんとつづけておるわけなのであるが、いったいだれが考えるのか、というと、もちろん名張市である。名張市役所のみなさんが本気になって考えるべきことなのである。しかし、じつは、あんまり考えてくれないのである。それはまあ、そうかもしれんな。まちなか再生事業の経緯から判断するかぎり、お役所のみなさんはなにも考えない。手前どもはものを考えないことにしております、とか、手前どもにはものを考えることができません、とか、そんな感じであった。かたくななまでにそんな感じだったからな。したがって、いくら考えてくれ考えてくれとお願いしてみても、実際に考えていただくのはかなりの難事である。
ところが、じつは、考えていただいておるのである。いま現在、必死になって考えていただいておるのである。昨年の秋から、というのは、まちなか再生事業があんな終幕を迎えてしまい、なんかもうコントみたいなことになってしまって、これがかりにドリフターズのコントであれば、おれはもう、だめだこりゃ、といかりや長さんのごとく天を仰ぐしかなくなったわけね。これはもう、まともな話は通じない。そもそも、言論ってやつが成り立たない。名張市のこの無茶苦茶ぶりはテロリズムにじゅうぶんな根拠を与えるものである。だから、
「さ、そろそろテロにすっか」
っつーとこまで行ったんだけど、そんなことしたって、誰得っちゃ誰得な話でしかないわけだから、テロリストとしてではなく、一市民として、乱歩のことを少しはまじめに考えてみてくれんかね、と依頼してみたところ、といったあたりのことはちょいちょいこのブログでも報告しておったわけだが、なんとか考えていただいておるようである。とはいえ、ものごとを深く考える習慣のないみなさんにものを考えていただくってのは、それを働きかける側にとってはなかなか根気のいる作業であって、いろいろと大変である。ほんとにね、ふつうならちゃっちゃと進むはずの話が、えらく手間取ってしまうわけなのね。しかしまあ、相手はなにしろお役所である。その程度のことは耐え忍ばねばならんであろうな。
癒着結託と丸投げをどうするよ
さーあ、どうよ。名張市役所のみなさん、あーたがたはいったいどうよ。検証もできない。反省もできない。これは、検証能力がないとか、反省能力がないとか、そういったレベルの問題ではないんだぞ。ただもう、なーんにもわからんのである。おつむのなかに、ぼーっとぼーっと、もやみたいなものがかかっておる。なにも考えられない、という以前に、なにも理解できない。自分がなにを考えればいいのか、まずそれが理解できない。むろん、ものごとを考える能力もない。ただひたすら、ぼーっとぼーっとしている。そういう問題なのである。
まいるよなあまったく。これだけでもずいぶんまいる。しかし、なんのなんの、名張市だもの。事態はさらに悪化する。ずーぶずぶッ、ずーぶずぶッ、なばりしめーぶつずーぶずぶッ、と歌の文句にも歌われているかどうかは知らんけど、とにかく名張市名物の癒着結託構造が拍車をかけてくれるのである。まーるなげッ、まーるなげッ、なばりしめーぶつまーるなげッ、と歌の文句にも歌われているかどうかは知らんけど、名張市名物の丸投げがすべてを無茶苦茶にしてくれるのである。なんとかならんかほんとに。
ではここで、乱歩関連事業を例にとって、おつむのなかがぼーっとぼーっとしているお役所の中の人たちが、癒着結託構造という伝家の宝刀に依拠するとどうなるのか、どうなったのか、どんな無茶苦茶なことになったのか、それを確認しておこう。いうまでもなく、桝田医院第二病棟の件である。
桝田医院第二病棟の土地と建物が、所有者から名張市に寄贈された。名張市は、その活用策を考えなければならない。しかし、お役所の中の人たちは、ぼーっとぼーっとしている。考えることなんて、とてもできない。だから、癒着結託構造に依拠して、名張まちなか再生委員会に丸投げする。ところがどっこい、名張まちなか再生委員会というのが、またひどいものだったよな実際。とんでもない烏合の衆であった。おつむのなかがぼーっとぼーっとしている、という一点においては、お役所の中の人たちと甲乙つけがたい大接戦であった。ただし、金銭欲だの名誉欲だの権勢欲だの支配欲だの、そういった私利私欲に小鼻をひくつかせているような連中だったから、その点ではお役所の中の人たちよりもたちがわるかった。名張市役所のみなさんや、喜べ。勝ったぞ。名張まちなか再生委員会に勝ったぞ。
勝っても負けてもどうだっていいけど、名張まちなか再生委員会もまた、なーんにも考えられず、なーんにも決められない。信じられぬような話ではあるが、もともとおつむがおよろしくなく、しかも乱歩のことなんてなんにも知らない連中が、さあ桝田医院第二病棟を乱歩のために活用しましょう、とかいってやがんだから、話は一歩も進まない。そんなのはわかりきったことである。いやいや、わかりきったことである、とふつうの人間なら思うけど、癒着結託の当事者にはそんなことすら理解できんのよ。お役所のほうは、さっさと思考放棄を決めこんでしまい、行政の手駒に丸投げしとけばなんとかなるだろう、と思ってる。あとは知らん顔である。しかし、手駒ってのがまた、どうしようもないほど程度が低い。いくら丸投げされても、どんな結論も出せない。昔の名張の人間は、こういった場合、八角のくそを垂れても、という品のない常套表現を使用したものであるが、まさしく八角のくそを垂れても結論が出せない。くそ垂れてる暇があったら結論を出せよこら、とアドバイスしてやっても、うーん、うーん、とうなるばかりで、結論なんてとても出てこない。それはそうであろう。ばかなのであるからな。要するに、ばかとばかがつるんでるだけの話なのであるからな。
で、結局どうなったか。名張まちなか再生委員会は桝田医院第二病棟の活用策を、いつまでたっても決められない。名張市役所の中の人たちは、さすがに困った。しかし、悲しいかな、ぼーっとぼーっとしている。あげくのはて、桝田医院第二病棟の跡地は広場にしたらどうですどな、と決めてしまった。もやに包まれながら、そんなことを決めてしまった。考えた、とはとてもいえぬであろうな。なにも考えられないから、そんなことになってしまった、というのが正しいであろうな。とにかく、ものを考える能力もなければ、考えるための知識もない、ひたすらぼーっとぼーっとしているだけのみなさんが、市民の意見を求めることもなく、というか、お役所の中の人たちにしてみれば、名張まちなか再生委員会イコール名張市民ということになるのだから、市民の意見を求めることもなく、などといわれるのは心外であろうけれど、しかし実際には市民に意見を求めることなどまったくなく、それからまた、市議会に諮るわけでもなく、というか、桝田医院第二病棟跡を江戸川乱歩生誕地碑広場として整備するための予算が可決されたら、それだけでちゃんと市議会に諮って承認されたということになるのであるが、市議会なんてのもまたぼーっとぼーっとしてるだけじゃーねーかばーか。ばかが偉っそうにかっこつけてんじゃねーぞこの便所下駄。
便所下駄のことは、まあどうだってかまわない。いちいちかまってられるか。とにかく、お役所の中のぼーっとぼーっとしたみなさんが、桝田医院第二病棟の跡地は江戸川乱歩生誕地碑広場として整備いたします、と決めてくれたのである。だからおれはもうな、なんであんなことしましてん、とか、残念なことになりましたね、とか、いったいなに考えとんねん、とか、名張市ってどうなってるんですか、とか、名張市内においても、名張市外に出ていっても、いろんな人からいろんなこといわれてもう大変なのである。おれなんてもう、完全に被害者なんだからな。ぼーっとぼーっとしている名張市役所のみなさんが癒着結託構造に全面的に依拠してしまい、ばかはばかとしかつるまないという癒着結託の大原則を死守してくれてるおかげで、おれなんてもうものすごい被害をこうむってんだからな。どうしてくれんだよばーか。
とか思ってたら、名張市は癒着結託構造に依拠してミステリ講演会まで丸投げしてしてしもうたのである。なんかもう、懲りるということを知らんのである。だから、いっそのこと、丸投げを受けた乱歩蔵びらきの会をぼこぼこにしてやることで、名張市の猛省をうながしてやろうかとも考えるのだが、それでもたぶん、懲りぬのであろうな。手前どもはへっちゃらでございます、みたいな感じなのであろうな。いやー、まいったまいった。名張市役所のみなさん、あーたがたはほんっとにどうよ。