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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張市議会の会議録で「乱歩」を検索していたら細川邸のことが出てきたので、今度は「細川」で検索を試みた。細川内閣、などという見当ちがいなものは省略して、「細川家」または「細川邸」への言及を引く。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

平成16・2004年第310回(3月)定例会。

   
P.153 ◆ 議員(梶田淑子)

もう一点、基本計画に、名張地区既成市街地のまちづくりに、豊かな地域資源を持つ都市空間、初瀬街道、名張藤堂家邸、江戸川乱歩生誕地など、ネットワーク化を進め、文化の薫りを生かした集客・交流を目指しますと書かれていますが、疎水がめぐり、日やわいのあるまち、今も昔が残る江戸川乱歩生誕の地、新町の住民の皆さんが今よみがえらせ、後世に残したいと強く望まれていることと関連して、旧商家細川家が名張市に提供されると聞きましたが、このことについては、市長のお考えをお聞かせください。

   
P.157 ◎ 市長(亀井利克)

数点のお尋ねであったわけでございますが、私に対しては直接は、名張地区の既成市街地に市民活動の拠点をという中での細川邸の活用も含めてのお尋ねでございます。
新町の細川邸の活用につきまして、名張地区既成市街地は、名張の歴史、文化、資源が集積する地域であり、本市の個性や魅力を高め、オンリーワンのまちづくりを進めるためには、大変重要な地区であると言えます。しかしながら、近年人口減少や商業の衰退など、中心市街地の活力は著しく低下している状況はご承知のとおりでございます。こうしたことから、総合計画ではリーディングプランの一つとして、まちの顔づくりプランを位置づけ、初瀬街道のまち並みや簗瀬水路などの歴史、文化、資源を活用してまちづくりに取り組む方針を掲げております。
一方、こうした状況を踏まえて、昨年11月には名張地区まちづくり推進協議会と名張商工会議所から共同してオールドタウン構想として、名張地区のまちづくりについてご提案をいただいたところでございます。この構想の中で、乱歩生誕の地である新町の細川邸を活用して、歴史記念館等を整備することが提案されてございます。総合計画に掲げるリーディングプランを推進するため、平成16年度には幅広い住民の皆さんの参加をいただきながら、名張地区のまちづくりを進めるための計画策定を進めることにしております。これから計画づくりに着手する段階であり、確定的なことは申し上げられませんが、オールドタウン構想を踏まえ、細川邸の活用策も含めまして、できる限りこの計画に反映したいと考えております。

   
P.163 ◆ 議員(梶田淑子)

もう時間もないので。それでまず、旧市街地の活性の中で、市長は細川邸のことっていうか、そういうことも総合計画と絡めてやっていくということを非常に前向きにお答えをいただきました。私は、この商工会議所等から出されたオールドタウン構想、これは非常に大きな夢を語った構想なんですね。でも、これ全部網羅した形でお願いしても、なかなか先の遠い話になるので、まず一つ一つ取り組んでいただくということで、そういう江戸川乱歩、この事業を新町の人は一つの拠点にして町の活性につなげたいと。

結構なことである。市議会の場で夢や希望を語っていただくのはおおいに結構なことである。ただしまあ、そうした夢や希望がただの大言壮語や大ぼらや、へたすりゃ大うそってことになってしまうと、市民は市議会なんてまったく信用しなくなるであろう。というよりはもう、名張市そのものを信用しなくなるであろう。げんに細川邸の整備にかんしては、事前に議場でどのような夢や希望が語られていたにせよ、実際にはあのていたらくではないか。なんのための施設だかも不明なままに整備が進んで、名張市の無策無能ぶりを露呈しただけの話ではないか。名張市なんて、これっぽっちも信用できねーんじゃね?

つづいて、第313回(12月)定例会。

   
P.70 ◆ 議員(福田博行)

それからもう一つ、忘れてました。今もまち歩き観光でバスが来てるという話がありました。降りられた方はふれあいのトイレを利用してくれてると聞かせてもらいました。考えたらトイレ何もないんです。先ほど酒酌み交わしながら話ししてた旅行会社の友人も、観光で一番問題となるのは何やと言うたら、トイレと言いました。トイレ。今後まち歩き観光が発展して、いろんな乱歩のとか細川邸とかいろいろあるんですけども、そういうのがふえていってお客さんがふえてくると、当然トイレは足らんようになってくると思います。
今言うた細川邸も改修を考えていると私は聞かせてもろてるんですけども、その折には観光客なりが利用しやすいちょっと大き目のええトイレつくってもらいたいと思ってます。

いや知らなんだ。これは知らなんだ。まったく知らなんだ。細川邸は結局のところ無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として整備されたのであるけれど、平成16・2004年の12月定例会において、「観光客なりが利用しやすいちょっと大き目のええトイレ」をつくれとの要請が出されていたとは知らなんだ。無駄に立派な公衆便所というのは、市議会サイドから突きつけられた至上命令だったのである。どうせなら、ポチ用の便所もリクエストしとけばよかったんじゃね? ははは。
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いつまでも寒い。いっそこのまま春なんか来ずに、細川邸改めやなせ宿も永遠に改修工事中だったらいいのにな、と思っている関係者もいるのかもしれぬが、そうは問屋が卸してくれない。誰からも望まれることなく生まれてくる赤子のような施設が、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館と揶揄されながら、2月中には改修を終え、6月オープンという運びになっているのである。なんのための施設なんだか結局だれにもわからぬまま、一億円もかけた公共施設が堂々と誕生してしまうのである。名張市って、あほなん?

いやいや、あほなのはやなせ宿だけではない。江戸川乱歩生誕地碑広場だってずいぶんあほである。1月31日に名張まちなか再生委員会事務局で確認したところでは、桝田医院第二病棟跡地を広場として整備する事案にかんしては、名張市がすべてをとりまとめ、その結果が委員会サイドに報告されているのだという。つまり、民間から委員を集めて委員会たら協議会たらを発足させ、そこに市の課題や懸案の検討をゆだねるという名張市お得意の手法は、すでにモデルとして破綻しておるのである。名張まちなか再生委員会が本来検討すべきことを、名張市が庁舎内部の協議のみによって決定し、その結果が委員会に伝達されているだけだというのである。名張市って、あほなん?

江戸川乱歩生誕地碑広場についていえば、広場の設計もまだできていない段階で、公共サインという名の案内板が建てられてしまうあほさについてはきのう記した。この案内板というのは、やはりきのう記したことであるが、名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトが製作を担当している。すなわち、案内板の文案、写真、デザインなんかを手がけている。名張まちなかの四か所に、3月中には、名張まちなか再生委員会謹製の案内板が設置されることになっているのである。

去年の秋であったか、名張市役所の一階大会議室で、案内板の原稿というか原案というか、デザインどおりにプリントアウトした図面を見る機会があった。委員会の事務局から感想を求められたので、中学生がつくった壁新聞みたいだ、と率直なところを述べておいた。いまから考えれば、中学生に対してじつに失礼な感想であったのだが、忌憚なくいえばそういうことであった。江戸川乱歩生誕地碑広場の案内板にかんして、何かアドバイスはないかとも尋ねられたので、そんなものはないとお答えした。

名張まちなか再生委員会に対しては今後いっさい、もうどんな協力をする気もないんだもんね、と事務局に伝えたのは平成18・2006年6月のことである。いまさら何いってきたって手遅れである。それにだいたい、たとえ中学生がつくった壁新聞のようなものであっても、それが名張まちなか再生委員会の身のほど身のたけというものではないか。ひいては名張市のアベレージというものではないか。こんな程度の案内板しかようつくりませんねんと、それが名張市でございますねんと、正直に披露するのをなぜ憚る。

とにかくそういうことである。江戸川乱歩生誕地碑広場に設置される案内板には、いっさいタッチすることはせず、ただ悪口雑言をならべてきただけである。事務局スタッフからは、そんなこというけど歩行者空間整備プロジェクトが一生懸命つくったんだから、とのフォローが入ったが、一生懸命やりました、などという言葉がエクスキューズとして通用するのは、たぶん幼児の世界くらいなものではないか。そこらの幼稚園や保育所でならOKだとしても、税金の具体的なつかいみちを決めるにあたって、みんな一生懸命やったんですから、なんて話は通用するまい。

そこらのうすらばかを何十人と寄せ集め、たとえ一生懸命に協議検討を重ねさせたとしてみても、結果がペケならペケなのである。ただそれだけの話なのである。げんに細川邸改めやなせ宿は、ペケというしかない帰結を迎えようとしているではないか。名張まちなか再生委員会がいかに一生懸命であったにせよ、一億円つかってなんのためのものなんだか誰にもわからない施設をつくってしまいましたとなれば、一般市民からはあほかといわれるしかないであろう。名張市って、あほなん?

いまからいってもしかたのないことだが、歩行者空間整備プロジェクトのみなさんは、案内板の設置箇所を徹底的に協議して、それが決まったらあとはアウトソーシング、たとえば地域の名門、三重県立名張高等学校のマスコミ論受講生にデザインその他をいっさいゆだねてしまえばよかったのである。そうすれば、少なくとも中学生がつくった壁新聞だなどとおちょくられることはなかったであろう。

もっとも、去年の秋に目にした図面がそのまま採用されたのかどうか、それはわからない。ただ、年度内に予算を消化する都合上、もうぎりぎりの日程であるとのことだったから、手直しをする時間的余裕はなかったのではないか。それに、いまにして思えば、お役所に巣くう闇の業者、コンサルタントと称する連中は、あの案内板にはいっさい関与していなかったのであろうか。もしも関与していたのであれば、さすがに中学生がつくった壁新聞みたいなレベルにはならなかったはずなのだが。

いやいや、そんなことをいってみたってしかたがない。過ぎたことである。終わったことである。それにしてもあの時点では、つまり去年の秋の時点では、案内板を四箇所に設置するために八百万円もの税金が投じられるとは知らなかったなあ。もしもコンサルタントの暗躍があったのなら、八百万円たすことのコンサルタント料が消えていったことになるのだからなあ。そんなことならどうして、地域の名門のマスコミ論受講生に話をもってきてくれなかったのかなあ。地域の税金は地域に落とすのが基本だと思うけどなあ。
ついでだから、桝田医院第二病棟の話題。

まだ現地を確認してはいないのだが、病棟はすでに解体除却されたという。新年度、つまり平成20・2008年度に、江戸川乱歩生誕地碑広場として整備されることになっている。

広場の設計にかんする入札は、1月23日におこなわれた。予定価格234万8000円、落札金額160万8000円、契約金額168万8400円。

名張市公式サイト:入札結果情報 桝田医院第2病棟跡地乱歩生誕地碑広場設計業務委託

これとは別に、昨年12月28日、公共サインなるものの設置工事にかんする入札もおこなわれた。予定価格1010万7000円、落札金額808万6000円、契約金額849万0300円。

名張市公式サイト:入札結果情報 公共サイン設置工事

公共サインとは、名張まちなか再生ブランの一環として、新たに設けられる案内板のことである。名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトが担当し、平成19・2007年度総会資料には、今年度の事業計画として「公共サインの製作及び設置」を進めることが明記されている。昨年末の入札で建設業者も決定し、今年度ということだから3月中には案内板がお披露目されることになる。事業が停滞なく進行しているのはまことに慶賀のいたりである。

この公共サインは、名張まちなかの四か所に設置されるらしい。うち一か所が桝田医院第二病棟、というよりは江戸川乱歩生誕地碑広場である。その広場は、先述のとおり新年度に整備される。現在ただいまは、業者の手で設計がおこなわれているところである。かなりおかしい。要するに、広場の設計もまだ終わっていないというのに、広場を紹介する案内板が3月中にはやばやと完成してしまうという話なのである。早ッ、とか喜んでいる場合ではない。明らかに話が逆なのである。矛盾しているのである。

なぜこんなことが起きるのか。公共サインを設置するための予算は今年度、つまり平成19・2007年度中に消化してしまわなければならないからである。しかしまあ、こんなのは驚くにあたらない。名張まちなか再生プランには、この程度に矛盾した話ならいやというほど見つけることができるのではないか。

それはまあそれとして、しかしまあそれにしても、広場の設計で契約金額が168万8400円、公共サインを設置するってことで契約金額が849万0300円。かなり高額だという印象が否めないのだが、これが相場ってやつなのかな。
2月21日の木曜、名張市役所四階の名張まちなか再生委員会事務局を訪れたとき、ついでだから、細川邸改めやなせ宿の川蔵のことも尋ねてきた。2月6日付毎日新聞の記事で、「同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていたが、現在具体的な活用法は未定」と報じられていた建物のことである。しかし確たる返答はなく、まあぼちぼち検討を進めたい、みたいなことであった。はっきりしたことは何も決まっておらんのであろう。もう永遠に決まらぬのではないか。

江戸川乱歩といえば、桝田敏明先生のご遺族から名張市に寄贈された桝田医院第二病棟の件であるが、最近になってようやく、名張市からご遺族のもとに活用策の報告がなされたとのことであった。市民から大事な財産をもらっておきながら、そのあとなんの報告もしようとしなかったのが名張市である。人の道というか、ものの道理というか、あるいは恩義というか、そういうものをまったく理解できていないのが名張市である。最終的な結論が出るまでに、検討過程の要所要所でご遺族への連絡や報告がなされるべきであったのは論をまたない。

そういえば2月21日、名張市役所での用事を終えたあと、昼と夜の二回にわたって、いわゆるふるさと納税制度について語る機会があった。機会があったというか、人と飯を食ったり酒を飲んだりしながら雑談の話題にしたのである。たまたまおなじ日、野呂昭彦知事もこの制度について熱弁をふるわれたようである。翌22日の新聞に記事が出た。

毎日新聞:ふるさと納税:県がPRサイト、きょうから開設 /三重
読売新聞:寄付募るサイト開設 「ふるさと納税」制度活用を 知事会見
伊勢新聞:ふるさと納税サイト開設 導入疑問視一転PRへ 知事

ちなみに、三重県の開設したサイトがこれである。

三重県公式サイト:美し国三重ふるさと応援サイト

なんかもうひとつ垢抜けない、ということはいかにも三重県らしいPRサイトであるが、そんなことはまあいい。伊勢新聞は「涼しい顔だ」といった表現で知事のダブルスタンダードというか二枚舌というか、あるいは変わり身の早さを露骨におちょくっているけれど、そんなこともどうでもかまわない。制度の是非はどうあれ、国が導入するというのであれば、ふるさと納税制度をうまく活用すればいいのである。これが知事の主張であり、当方もまた21日の昼と夜、まったくおなじことを二回にわたって述べた次第である。

だから、可能性としては、名張市とはなんの関係もない人間だけれど、名張は江戸川乱歩のふるさとだし、乱歩をテーマに有意義な事業をやってるようだから、名張市にふるさと納税でもかましてみるかという乱歩ファンが、広い世間に皆無であるとはいいきれない。名張が乱歩のふるさとなら、乱歩を愛するすべての人にとっても、名張はやはりふるさとのようなものなのではないか。しかし、しかしもうだめ。こんなことじゃだめ。これはもう処置なしというしかないであろう。こんなひどいことではだめである。21日の昼と夜、諦めと憤りとをこもごもに感じながら、二回にわたってそんなようなことをしゃべった次第である。恩義もわきまえぬ自治体に、誰が寄付などしてくれようか。
きのうのつづき。誰からも望まれることなく生まれてくる赤子のような施設、無駄に立派な公衆便所を擁する無用の長物、細川邸改めやなせ宿の話題である。

開設初年度には、つまり6月にオープンしてから年度いっぱい、来年の3月までは、名張市からやなせ宿に対して約二百五十万円の運営費が支出される。無駄に立派な公衆便所の維持管理費も、この運営費から捻出される。なにしろ現時点では、やなせ宿の売りはこの便所しかないのである。開設初年度にやなせ宿を運営するまちなか運営協議会に対しては、名張市が天下に誇る公衆便所の徹底した美化に努めていただくよう、くれぐれもお願いしておきたい。

それからもうひとつ、名張警察署のおまわりさんが便所内に盗撮用ビデオカメラをこっそり仕掛けてくれる可能性が否定できない。不審なビデオカメラには充分すぎるほど目を光らせていただきたい。しかし、しかしである。あんなところに盗撮用ビデオカメラを仕掛けたところで、名張川納涼花火大会の日ならばいざ知らず、高齢化率市内第二位を誇る名張旧町地区である。日常的にやなせ宿の公衆便所を利用するのは高齢者ばかりではないのか。名張警察署はじいさんばあさんの放尿や脱糞がそれほど見たいというのか。わけのわかんねーケーサツだよなあまったく。

そんなことはともかく、初年度が終わったそのあと、すなわち平成21・2009年度以降はどうなるのか。そんなことはまだよくわからない。よくはわからないのだが、まちなか運営協議会が初年度の運営を手がけたあと、二年度目からは指定管理者制度を採用して運営がつづけられることになるらしい。まだ本決まりになったわけではないのだが、そういうことになるようである。名張まちなか再生プランに盛られていた「公設民営」なる理念はどうなってしまうのか。というか、深い考えもなしに虫のいいご託ならべてやがるから結局このざまじゃねーかばーか。

さてそれで、名張市民の期待を一身に背負ったまちなか運営協議会はいま何をしておるのか。やなせ宿運営特別検討部なるものを発足させ、6月のオープンをめざして鋭意検討を進めているという。何を検討しているのかはよくわからない。それ以前に、検討能力があるのかどうかも不明である。たぶん全然ないであろう。そのいっぽう、新たなNPOを発足させる準備も着々と進行しているらしい。なんのためのNPOかというと、開設二年度目以降、やなせ宿の運営を担当するためのNPOであるらしい。といってもそれだけを目的とした組織ではなく、名張市のいわゆるまちづくりを手がけるためのNPOであって、事業の一環としてやなせ宿の運営を担当するのだという。つまり指定管理者としてやなせ宿を運営することがねらいのひとつになっているらしい。

ろくなことにはならぬであろう。委員会であれ協議会であれ検討部であれNPOであれ、みんなまとめてろくなものではないのである。いくら分身の術のごとく新しい組織をつくってみたところで、中身のメンバーはろくでなしばかりではないか。うすらばか何十人と集めてみたってろくなことにはならぬのだということは、名張まちなか再生委員会の、さらには名張地区既成市街地再生計画策定委員会の歩みを見れば一目瞭然。まーだわからんのか低能ども。とはいえ、まちなか運営協議会が発足させようとしているNPOが、開設二年度目からやなせ宿を運営することになるのかどうか、それはわからない。そのNPO以外に名乗りをあげるところがあれば、そこには当然、競争原理が働くことになる。しかしまあ、いずれにせよ、もはやこちらには関係のない話である。

以下、あした。
ようやく連絡があった。きのう、名張まちなか再生委員会の事務局から連絡があって、名張市役所四階の事務局に足を運び、2月14日に開かれた役員会の報告を聞いてきた。

答えはNOということであった。こちらが新しいNPOを組織して、実質的に死んでしまっているNPOなばりになりかわり、名張まちなか再生委員会に細川邸の活用策を提案することは可能なのか。その問いに対する答えは、NOということであった。そんなのは最初から予想されていたことである。あたりまえっちゃあたりまえの結論である。去年の11月に提示したごくごく簡単な質問に対して、三か月もたった2月になって回答が提出されるなんてのは、なんともいただけぬ話である。

それはそれとして、細川邸改めやなせ宿はどうなるのか。6月にオープンし、開設初年度はまちなか運営協議会の手で運営されるという。名張市から運営費として約二百五十万円の予算が支出されるという。この二百五十万円で、光熱費だの電話代だの、さらには名張市が天下に誇る無駄に立派な公衆便所の掃除代などがまかなわれる。オープンにあわせて記念イベントが催されるのかどうか、それは現時点では未定だというが、もしも開催されるとなれば、その経費もやはりこの二百五十万円から支払われることになる。

しかしまあ、実際のところ、やなせ宿開設記念行事をかまさぬわけにはいかんであろうな。オープンということになれば当然、関係者一同が出席したセレモニーが催されるはずである。テープカットなんてものもおこなわれて、へたしたらそこらから石だの生卵だのが飛んでくるかもしれんのだが、とにかくテープカットが終わったあとはすぐ解散、がらがらぴしゃんとしっかり戸締まりをし、手前どもはやなせ宿利用希望者からのお申し込みをお待ちしております、なんてことでは格好がつかんではないか。

とはいえあまりお金はかけられまい。せいぜいが記念講演会でお茶をにごす程度のことか。となれば講師はどなたにお願いすべきか。それはもう、あの駅弁大学の御用学者の先生をおいてほかにはあるまい。細川邸のことならすみからすみまで熟知しておられるかたである。細川邸を一億もかけて整備した意義について、深い学識に裏打ちされた興味深いおはなしがお聞きできることであろう。行ってこい行ってこい。三重大学に行ってこいというのだ。いやいや、あまり剣呑なことをいってはいけない。学者先生ばかりを責めるのはよくない。何がいけないといって、結局は名張市がいけないのであるからな。

したがって、学者先生の線はスルーすることにして、ほかの講師を見つけなければしかたあるまい。なんならあれだぞ、話を受けてやらんでもないぞ。名張のまちの歴史などろくに知ることもなく名張まちなかの再生に邁進していらっしゃる名張まちなか再生委員会のみなさんや、まちなか運営協議会のみなさんや、さのよいよい、細川邸改めやなせ宿の開設記念講演会、名張のまちの歴史をテーマに講師を務めてやらんでもないぞというのである。はっきりいって色ものではあるが、それなりの面白さは保証しておく。一考の余地はあろう。

以下、あした。
火曜日である。もう19日である。だというのに、名張まちなか再生委員会事務局からは、14日に開かれた役員会の報告がまだもたらされない。いったいどうなっておるのか。あの事務局とも長いつきあいになるけれど、とはいえ、お役所における責任回避の一端として、事務局のスタッフはころころころころ異動しておるわけであるが、しかし個々のスタッフがどうのこうのということではなくて、事務局の体質としてどうも信がおけない。好んで人を怒らせようとしているようにしか見えない。

いやいや、これは名張まちなか再生委員会の事務局というよりも、名張市そのものの問題であるのかもしれぬ。名張市というところは、人を怒らせることがよほど好きであるらしい。逆にいえば、人から叱り飛ばされることがたまらなく好きであるらしい。罵倒されるのがそれほど心地よいのか。市民から批判を受けるたび、あッ、あッ、もっともっと、とか思わずいってしまうのか。Mかよ。どMかよ。どうかどM自治体とお呼びくださいませ、とか思っておってはいかんぞなもし。

といったことだから、きょうも連絡待ち、ということにしておく。

ところで、すっかり忘れておった。粘着さんのことを忘れておった。粘着さんにかんしては2月9日以降、おりにふれてエントリに書き記していたのだが、テキストの色を白にしておいたものだから、あまり注意深くない人には気づかれていないかもしれない。カーソル操作でテキストを反転させれば、ただ白いだけのスペースに文字が浮かびあがってくるという寸法である。ともあれ、いつまでもほったらかしというのも失礼な話だから、2月8日付のコメントにレスを一本。

2月8日:名張地区第二公民館使用料
名張まちなか再生委員会からは、まだ連絡がない。2月14日に開かれた役員会でどんな結論が出されたのか、その報告がもたらされるはずなのであるが、うんともすんとも音沙汰がない。きょうあすは土日で休みだから、休み明けの月曜あたりに連絡があるのか。あるいは、こちらから名張市役所四階の事務局に怒鳴りこんでやらなければならぬのか。なんとも世話の焼けることである。
名張まちなか再生委員会の役員会はたしかにきのう開かれたそうで、出席者のおひとりから電話で概略の報告をいただいた。委員会の事務局から公式な連絡ももたらされることになっているらしいが、そちらはまだである。待っているところである。
たしかきょうのことであったと思うが、名張まちなか再生委員会の役員会が開催されると伝え聞いた。ことしに入って、たぶん二回目の役員会である。月一回のペースである。となると3月にも一回か。

毎日新聞の2月6日付記事によれば、江戸川乱歩関連施設として検討されていた川蔵の利用法は、遅くとも3月に決められるとのことであった。だとすれば、残された時間はあとごくわずか。これまでさんざん時間をかけても何も決められなかったのだから、いまさら何がどう決まるというものでもないであろうとは想像されるが、それにしてもどうなってしまうのか。川蔵のみならず、誰からも望まれることなく生まれてくる赤子のごとき「やなせ宿」そのものは、これからどのような宿命を生きてゆかねばならぬのか。

まあこちらとしては、きょうの役員会の結果待ち、といったところである。

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