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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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再々掲。

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この案内板に素材としてもちいられている「ふるさと発見記」は、乱歩が生まれ故郷に置いていってくれた貴重な遺産である。名張市民の共有財産だといっても過言ではない。だから、涙が出るほどありがたいことだと乱歩に感謝を捧げつつ、案内板であろうがなんであろうが、活用できる場があれぱ活用すればいいのである。活用させていただけばいいのである。だがそれにしても、もうちょっとうまく活用させていただけぬものか実際。

「ふるさと発見記」から名張のまちの描写を抜粋してきて、それをぺたぺた貼りつける。その横に、乱歩が言及したスポットの写真を六点、やはりぺたぺた貼りつける。それでいったいどうしたの? というしかないではないか。そもそも、こんな写真が必要なのか。「ふるさと発見記」が記された当時のものであるならばともかく、現在ただいまの写真である。案内板からとことこ歩いてゆけば、いくらでも現物に遭遇できるのである。とはいえ、その現場がいったいどこなのか、案内板には明示されていない。どうやって行けばいいんだかわからない。それでは案内にならぬではないか。ほんとにいったいどうしたの?

だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。

中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。

中学生がつくった壁新聞なら、読者というものをちゃんと想定できているはずである。だれに読んでもらうための新聞かということが、しっかり認識できているはずである。この案内板にはそれがない。なんのためのものか、だれのためのものか、そうした視点が欠如している。ここにみられるのは野放図なまでの幼児性であり、頑迷なまでの自己中心性なのである。念のため、辞書へのリンク。

大辞泉:自己中心性

文章の抜粋だって同様である。幼稚園児が眼についたものをすべて抱えこみ、自慢げに運んでくるみたいな真似をする必要はない。案内板に「ふるさと発見記」の抜粋を入れたいというのであれば、「名張の町そのものも美しい。四方を遠山にかこまれ、大火にあっていないと見えて、昔ながらの城下町の風情を残している」というあたりだけで充分である。ポイントを絞りこむというテクニック、素材をあえて捨てるという手法をおぼえておくべきであろう。捨てるのはもったいない、という倹約好きな主婦のような意見もあるかもしれないが、別の場で活かせばいいだけの話である。すなわち、やなせ宿の出番である。

やなせ宿である。この案内板とまったく同様、なんのためのものか、だれのためのものか、そういったことを毛筋ほど考えることもなくたったかたったか整備だけが進み、いまや無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として市民のまえにその威容を現した、あの細川邸改めやなせ宿の出番である。やなせ宿に案内パンフレット置いてまーす、でおなじみのやなせ宿の出番なのである。

つまり、なんでもかんでも案内板につめこんでしまうのではなくて、「ふるさと発見記」をモチーフにしたパンフレットをつくればいいのである。それをやなせ宿に置いておけばいいのである。情報には、それにふさわしい器というものがある。逆にいえば、器にはそれにふさわしい情報というものがある。案内板には案内板に、パンフレットにはパンフレットに盛るべき情報というものがある。だから、やなせ宿に案内パンフレット置いてまーす、でおなじみのやなせ宿の出番なのである。案内板ひとつつくるにしてもだな、たとえばパンフレットとの相乗効果を考えるといったような、多少なりともトータルな視点に立つことができんものかこら。

たとえばあの六枚の写真だって、案内板ではなくパンフレットなら生きてくる。それがどこに存在するのかを示しておけば、パンフレット片手に乱歩の言及スポットをめぐる散策が楽しめるであろうし、なにより、まちなかの散歩者が名張の地を去り、それぞれの地域、それぞれの家庭に戻ったあとには、パンフレットの写真は名張のまちを懐かしく思い出してもらうためのよすがともなるであろう。

パンフレットではなくてリーフレットだが、おそらく参考になるであろう見本を示しておく。現物のスキャン画像が手許にないため、印刷原稿のpdfをgif画像にする。

20080425a.gif
20080425b.gif

高校生のつくったリーフレットなんか参考にしてられるかばーか、とかほざいてんじゃねーぞ低能。しかしまあ、やなせ宿においては、「地域の案内パンフレットや散策地図を置き、旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場にする」(朝日新聞)そうなのであるから、いずれ自前のパンフレットも登場することであろう。「ふるさと発見記」を素材としたものであろうとなかろうと、あまりにも出来が悪いものであればまた、このブログにおいてパンフレットデザイン講座低級篇を開講することになるかもしれない。心して励むように。
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再掲。

20080423a.jpg

写真のあとは、テキストを問題にする。

案内板には、写真のキャプションを別にすれば、二種類のテキストをみることができる。白をバックに文章が配されたところである。タイトルがある。

・「ふるさと発見記」にみる名張の町
・〈「ふるさと発見記」要約〉

以上のふたつである。

前者を転載。

   
「ふるさと発見記」にみる名張の町

江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、昭和27年(1952)9月、乱歩は選挙の応援演説を引き受けて名張に赴いています。
そして、翌28年にこのときの様子をくわしく記し、発表された随筆が「ふるさと発見記」です。
また、
昭和27年の帰郷がきっかけになって、名張では江戸川乱歩生誕地碑の建立が企画され、かつて乱歩の生家があったところに石碑が建てられ、「江戸川乱歩生誕地」という文字のほかに、乱歩の書いた「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉が刻まれました。
除幕式は昭和30年(1955)11月3日、乱歩夫妻の臨席のもと、盛大に催されました。

これは、名張市公式サイトにある乱歩の紹介ページにもとづいて、しごく適当なコピー&ペーストでしあげられた文章である。

名張市公式サイト:江戸川乱歩

意地の悪いことをいうようだが、アンダーラインを附したのは、コピー&ペーストではなく、執筆者が自分のことばで書いた文章である。だから、こなれが悪い。ほかの部分との一貫性や整合性に乱れが生じている。端的にいえば、へたな文章になっている。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。だいたいがこら、コピー&ペーストですませてしまおうというその根性が気にくわぬ。そこらのサイトから素材をみつけてくるのはいいけれど、それを自分なりに消化して文章にしようとは思わんのか。もしも思わんというのなら、そんな人間は税金つかった案内板の文章なんか書いてはいかんのではないか。

だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。

中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。

つぎ。

   
〈「ふるさと発見記」要約〉

○名張の町そのものも美しい。四方を遠山にかこまれ、大火にあっていないと見えて、昔ながらの城下町の風情を残している。

○京都風の丹塗格子の家も残っている。

以下、「ふるさと発見記」の抜粋が列挙されている。

まず、タイトルにおけることばの誤用を指摘しておく。「要約」とあるのは、少しおかしい。というか、完全なあやまりである。抜粋とか、引用とか、そういうことばが使用されているべきである。しかもこのタイトル、どうして山かっこでくくられているのか、意図がまったく不明なのであるが、その問題はあっさりスルーして、しっかし要約の意味もわかんねーのかよ、と嘆きつつ辞書へのリンク。

大辞泉:要約
大辞泉:抜粋
大辞泉:引用

ごらんのとおりである。要約とは「文章などの要点をとりまとめること」、抜粋とは「物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと」、引用とは「人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること」である。「ふるさと発見記」の要約というのであれば、昭和何年の何月、乱歩がこれこれの用件で名張のまちを訪れ、こういうことがあってこういう人たちに会い、生家があった場所にも案内されましたとさ、といったものでなければならない。「ふるさと発見記」からフレーズを抜粋引用するだけでは、あいにく要約ということにはならないのである。

この点にかんしては昨年秋、名張まちなか再生委員会に協力する気などまったくないけれど、さりとて明らかな誤用を見過ごしにすることもできないから、委員会の事務局にきっちりと指摘しておいた。したがって、もしもこの図案がこのまま案内板になるのだとしても、要約ということばは訂正されているだろうと思っていたのだが、先日、目隠しをはずされた案内板をはじめてとくとうちながめ、そのまま生きているのを知ってびっくりした。まさに衝撃の事実である。まーったくあの委員会と来た日には、人の助言進言忠言にみごとに耳を貸さねーんだからな、とあらためて思い知らされた。きわめて首尾一貫した態度である、といえばいえよう。たいしたもんだ蛙のしょんべん、みあげたもんだ屋根屋のふんどし。

しかし、ことは名張まちなか再生委員会のレベルでは収まらない。案内板にしっかりクレジットされている「名張市・名張市教育委員会」にまで波及する。この両者はいったい何をしでかしたのか。そこらのメーカーでたとえるならば、食品であれ家電製品であれ、品質チェックをいっさいしないまま商品を市場に流通させたということなのではないか。案内板なのであるから、それを食べて食中毒を起こす人が出る心配はないであろう。電源をオンにしたとたんに火を噴いて、火災の原因になるといったこともないであろう。だが、無責任さにおいてはまったく同断ではないか。

「名張市・名張市教育委員会」はいったい何を考えているのか。というか、たまにはものを考えてみてくれんか。というか、ほんとにもういいかげんにしてくれんか。無策無能無責任な自治体が、おなじく無策無能無責任な市民と手を結んで、市民といったってごくごく少数の市民なのであるけれど、しかもこれはごくごく少数の特定の市民といったほうがいいのかもしれないけれど、協働だ委員会だと大騒ぎした結果がこれではないか。市民のひとりとして、もう恥ずかしくってたまんない。

とくにこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。あんたらには要約ということばの意味もわからんということになる。この名張市においてはそんな程度の連中が、あろうことか教育という重要事に携わってくれておるということになる。ここまでくるとはっきりいって、市民にたいする背信行為ですらあるのではないか。重箱の隅つっついて喜んでんじゃねーぞばーか、とか思ってんじゃねーぞばーか。重箱の隅というならまだいいけれど、名張市教育委員会という名の重箱、いやさ名張市という名の重箱の全体に、それはもうまんべんなく、市民にたいする背信行為ですらあるこうした無責任さが充満しているのではないか。
さて、これである。

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ばかかこら名張まちなか再生委員会、といったレベルの話では、もはやなくなっている。なぜか。案内板の下のほうに「名張市・名張市教育委員会」と明記されているからである。案内板製作の実務を担当したのが名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトであったとしても、そんなことにはかかわりなく、この案内板は名張市と名張市教育委員会が設置したものであります、この案内板の責任はすべて両者が負っております、という意味を示したクレジットである。だから、ばかかこら名張まちなか再生委員会、ではなくて、ばかかこら名張市ならびに名張市教育委員会、と啖呵を切らなければならない。なんか語呂が悪いけどなあ。

語呂が悪くてもいたしかたあるまい。それにだいたいこの両者、名張市ならびに名張市教育委員会は、この案内板とはまったく無関係に、いずれぼこぼこにしてやらねばならぬ相手なのである。いやいや、ぼこぼこにしてやるなどというのはいかにも剣呑である。誤解が生じよう。名張市立図書館とはきっぱり無縁の身となったそのうえで、さあみなさん乱歩をいったいどうするおつもり? とお訊きし、市民のひとりとして提案すべきことは提案して、手を携えながらいわゆるいい方向ってやつを模索したいと考えているそのお相手が、ほかならぬこの名張市ならびに名張市教育委員会なのである。当方が図書館に身を置いている人間であれば、たとえばかつての教育長やまたかつての教育次長のように、こちらの質問や提案を完全に黙殺しつづけることが可能かもしれない。いや、げんに黙殺しつづけやがったのである。だから図書館とおさらばしたのである。お役所のヒエラルキーから自由になった市民のことを、はたして無視することができるのかな。

名張市公式サイト:名張市 市長への手紙

たいして意味はない。ちょっとリンクしてみたかっただけである。

それでは、案内板デザイン講座初級篇、元気にはじめたい。内容としては、去年の秋、名張市役所一階大会議室で名張まちなか再生委員会事務局から案内板の図案を示されたとき、アドバイスというのではまったくなく、なんなんだこのひどい出来は、と並べ立てた悪口雑言とほぼおなじことになる。悪口雑言から有益なアドバイスを汲みとることができるかどうか、それはこちらの問題ではない。

まず、写真である。案内板には、それこそ手近なところから切り抜いてきたような写真がぺたぺたと貼られている。これではまずかろう。いくらなんでもまずかろう。手抜きもここに極まれり、といった印象を与える。では、どうすればいいのか。どう考えればいいのか。こうした場合の考えかたについて考えてみたい。

これはそもそも、何を案内するための案内板か。江戸川乱歩生誕地碑広場である。つまり、乱歩はこの場所で誕生したのである。ということは、ここには何があったのか。いわずと知れた家である。乱歩の家があったのである。すなわち、乱歩一家の生活があったのである。裏通りの小さな借家で、乱歩一家が生活していたのである。

草深い土地でかりそめの郡役所勤務に甘んじながら、胸中には時代の子らしい野心を燃えたたせている若い父親がいた。名を繁男という。その繁男のもとに、見合写真を交わしただけで実際には一度の対面もはたさぬまま、津からはるばる峠を越えて嫁いできた若い母親がいた。名をきくという。そして、母ひとり子ひとりの境涯となって繁男だけを頼りとし、繁男夫婦に恵まれた初の子宝である乱歩をこよなく可愛がる祖母がいた。名を和佐という。そして乱歩は、むろんまだ乱歩ではなく、お父さんは小柄な人なのにずいぶん大きな子ができた、と近所で評判になった赤ん坊であった。名を太郎という。一家の姓は平井という。

この四人の家族による生活が、かつてこの地で営まれていたのである。この土地には、ごく短い期間ではあるけれど、この家族四人の歴史が、喜怒哀楽が、ありきたりだがかけがえのない日常が、たしかに刻まれていたのである。だとすれば、どんな写真が必要か。いうまでもない。家族の写真である。いわゆる家族の肖像である。家族の肖像っつったらヴィスコンティだぞこら。山猫である。地獄に堕ちた勇者どもである。ルートヴィヒである。ベニスに死すである。ベニスまで行けとはいわないけれど、とんこ山あたりでいっぺん死んでこいこら低能。ちっとはおつむがよくなるかもしれんぞ。

とはいえ、赤ん坊だった乱歩を囲んで名張で撮影された写真なんてのは、残念ながら存在しない。河出書房新社の『江戸川乱歩アルバム』には、お母さんに抱かれた太郎ちゃんの写真が収録されていて、撮影は明治29・1896年、場所は亀山、これがもっとも古い乱歩の写真であるという。それならそれでかまわない。とにかくご遺族にお願いして、家族四人が写った写真を拝借し、それを案内板に使用することも、一案として考えてみるべきだろう。

むろん一案でしかない。じっくり考えればまだアイデアは出てくるだろう。出るだけのアイデアを並べたあと、どれが最善のアイデアかを判断し、それを練りあげてゆくのがふつうのやりかたである。こうした場合の考えかたというものである。ところがこの案内板には、そうしたプロセスがいっさいなかったようである。考えるとか、練りあげるとか、そういった過程はみごとになかったようである。手近なものを切り抜いて貼り合わせ、それでいっちょあがりというだけのしろものである。

だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。

中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。

中学生がつくった壁新聞なら、もう少し深く対象にアプローチできているはずである。乱歩という対象について何も知ろうとせず、調べようともせず、ありあわせの素材を切り貼りするだけでことをすませるなどというペテンみたいな真似がこら、よくもできたものだな名張まちなか再生委員会。ばかかこら低能。うすらばかが税金の具体的なつかいみちいちいち決めてんじゃねーぞたこ。

だから、教えてやろうといったのである。名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会の事務局に足を運んで、うすらばかが何十人と集まってもろくなことにはならないから、せめて最低限の知識だけは教えてやろうと申し出たのである。あの時点で人の好意を素直に受け容れていさえすれば、まかりまちがってもこんな出来の悪い案内板は誕生していなかったはずである。ばかってのはまったくどうしようもないものである。

ま、いまさら何をいっても手遅れである。手遅れではあるがいってやる。もうぼこぼこに叩いてやる。つづきはあすとなるのである。
きのうにつづいて、桝田医院第二病棟跡地に建てられた「江戸川乱歩生誕地碑広場」の案内板を手がかりに、名張市および名張市教育委員会を並び叩いてやるつもりであったのだが、予定を変更し、名張まちなか再生委員会からのお知らせを披露する。いってみればメッセンジャーである。

名張市公式サイト:名張市旧細川邸やなせ宿「ロゴマーク」募集要項

もう笑うしかない。笑いながら思いきり脱力してしまう。思わず瞳孔が開きっぱなしになってしまいそうである。

ばーか。ロゴマークなんか募集してる場合かよ。そんなことより先にやるべきことがあるだろうが。やなせ宿でいったい何をするつもりだ。

4月3日付朝日新聞によれば、こうである。

「地域の案内パンフレットや散策地図を置き、旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場にする」

「史料の展示などに活用する」

「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」

4月12日付YOUによれば、こうである。

「観光客と住民の交流スペース、市民らが腕を振るう『ワンデイシェフ』などオープン以降にもさまざまな企画が練られているが、いまだに具体化されていない」

な。だからロゴマークなんか募集してる場合かよっつってんだろーが。YOUの場合は見出しからして、「総工費1億円 名張の観光交流施設『やなせ宿』どうなる?何する?」なんだぞ。

何する? との問いかけにたいして、ロゴマーク募集しまーす、ときちんと返事ができたのは、文字どおり打てば響くようなレスポンスである、おおいによろしい、よくやったと褒めてやりたいところだけれど、まったく関係のないところを響かせてんじゃねーやばーか。

いやはや。やれやれ。ほんとに腰が抜けそうになる。瞳孔ほぼ全開でばーかとかいって笑っているうち、しかし、だんだんと怒りがこみあげてきた。猛烈にむかっ腹が立ってきた。もうとめられない。誰にもとめられない。怒り憤りのおもむくまま、名張市にメールを送信してしまった。送信先は名張市都市環境部市街地整備室内「やなせ宿ロゴマーク募集」係のアドレス、すなわちshigaichi@city.nabari.mie.jp。件名は「やなせ宿についておききしますッ」。

文面はこんなの。

   
おはようございますッ。ちょっとおききしますッ。やなせ宿のことですがッ、やなせ宿を利用するための申請はッ、どうすればいいのでしょうかッ。またッ、申請はいつからッ、うけつけてもらえるのでしょうかッ。やなせ宿を利用してッ、講演会をッ、ひらきたいとッ、考えておりますッ。四週ぐらい連続でッ、毎週土曜日にッ、と考えておりますッ。テーマはッ、こんなかんじですッ。

第一週「名張の歴史をしっとるか」
第二週「なにがやなせ宿だばーか」
第三週「乱歩はどこへきえたのか」
第四週「へたれ責任者でてこんか」

かで脚韻をッ、踏んでみましたッ。講演会ッ、といいましたがッ、「へたれ責任者でてこんか」というのはッ、シンポジウムですッ。名張まちなか再生委員会のえらい人とかッ、名張市のえらい人とかッ、いっぱい集まってもらってッ、なかよくおはなしをしたいなッ。

それからッ、講演をやろうと思ってもッ、よくわからないことがありますのでッ、ついでにッ、そのわからない点もッ、おしえてくださいッ。細川邸はッ、名張まちなか再生プランではッ、歴史資料館として整備されるということにッ、なっていましたがッ、観光交流施設のッ、やなせ宿にッ、なってしまいましたッ。どうして変更されたのかッ、理由や経緯などッ、市民にはッ、いっさいなにもッ、しらされていませんッ。そうですねッ。そこでッ、どうしてこんなことになったのかッ、その点についてッ、おしえてくださいッ。

以上ッ、二点ですッ。メールでのお返事ッ、おまちしていますッ。よろしくッ、おねがいしますッ。さようならッ。

2008/04/22

なかなか元気があってよろしい。

それにしても、この名張市公式サイトのロゴマーク募集記事を読むかぎり、やなせ宿からは乱歩が完全に消えてしまったとおぼしい。あらためてその事実が知られる。

引用。

   
【募集概要】
旧細川邸やなせ宿は、名張川が大きく蛇行したところに位置しています。この付近は、鮎を取るための簗がたくさん設けられたことから、平安時代から簗瀬(やなせ)と称されており、また、江戸時代には初瀬街道の宿場として栄え「名張八宿」と呼ばれていました。風土に由来した名張の旧称を生かすとともに、人々が集う場となることを目指して、旧細川邸の名称を「やなせ宿」としました。
この施設の、今後の発展を期待したシンボルとなる「ロゴマーク」を募集します。「ロゴマーク」は、施設の公式ロゴとして、ホームページ・ポスター・チラシなど、様々な用途に使用することを計画しています。

乱歩のらの字も見当たらない。川がどうの街道がこうのという説明もいいけれど、やなせ宿のある新町をいちばん手っ取り早く、わかりやすく紹介しようと思ったら、江戸川乱歩が生まれた町ですといえばいいのである。それがもっとも、きょうびのことばでいえば発信力のある紹介なのである。しかし、乱歩のらの字も見当たらない。これはもう完全に、意図的な黙殺であり隠蔽であるとしか考えられない。乱歩は抹殺されてしまったのである。

じつに困ったものである。いまさら何を説明したところで、あの名張まちなか再生委員会が耳を貸すはずもなかろうが、というか、説明を理解できるかどうかもあやしいものであろうが、たとえば、平成17・2005年12月7日付朝日新聞のコラム「青鉛筆」に、こんなことが記されていた。いうまでもなく、伊賀版の記事ではない。

   
▽推理小説の生みの親、江戸川乱歩の生誕地である三重県名張市は5日、古今東西の推理小説を一堂に集めた「ミステリー文庫」を設置する方針を明らかにした。
▽同市は、乱歩に関する街おこし事業が盛ん。08年までに完成させる予定で、市立図書館の乱歩関係の蔵書約千冊を移し、寄贈も受け付けるという。
▽「全国の推理小説ファンの集まる場に」と同市。しかし、具体的な運営方法や設置場所は未定だ。行政側の思惑通りにいくか、それもまた「ミステリー」。

大阪本社発行版に掲載されたコラムである。名古屋本社発行版ではおなじ日、コラムではなく社会面の記事として、ほぼ同内容のことが報じられていた。タイトルは「世界の推理小説一堂に 乱歩生誕地にミステリー文庫」。

むろんこの時点では、ミステリー文庫などいまだ海のものとも山のものともつかぬ構想であった。だが、その程度の構想であっても、朝日のコラムや社会面の記事にとりあげられるのである。乱歩という名前が秘めているところの、いわゆる発信力のなせるわざなのである。それを抹殺してどうする。やなせ宿に案内パンフレット置いてまーす、とか、やなせ宿でワンデイシェフやってまーす、とか、そんなこといってみたって朝日のコラムはとりあげてなんかくれないぞ。こら聞いておるのか名張まちなか再生委員会、というか、やなせ宿私物化委員会。

新町に観光交流施設を整備するというのであれば、それを乱歩に関連づけるのはあたりまえの話である。あえて損得で考えれば、乱歩という素材を無視してしまうのは損である。たとえ観光という分野であっても、乱歩という名前の発信力はおおいに期待できるはずなのである。それがどうして消えてしまうのか。乱歩の名前がどうして消されてしまうのか。たとえば名張市議会の議事録を読んでみても、まちなか再生に乱歩という素材を活用すべきであるということは、おおげさにいえば共通認識として存在しているではないか。その素材を、名張まちなか再生委員会はどうして抹殺してしまうのか。名張のまちなかに残されている貴重な可能性の芽を、どうして踏みつぶしてしまうのか。

むろん、やなせ宿を乱歩に関連づけるべきではない、という考えがあってもふしぎではない。それを否定するつもりはない。なにごとであれ、意見のちがいは存在していて当然であるし、ことなった意見をもつ人間が正当な批判を応酬し、着地点を見いだしてゆくのはあたりまえのことである。ただし名張市においては、すくなくとも細川邸整備事業をみるかぎりでは、ことなった意見に耳を傾けるだの、正当な批判をやりとりするだの、そんなシーンはまったくみられなかった。その意味において、名張市はもう死んでいる。完全に死んではいないにしても、脳死状態が長くつづいている。

それとは別に、つまり、やなせ宿と乱歩を関連づけるかどうかという問題とは別に、それ以前の問題として、名張まちなか再生委員会はいったいどうして、ここまでのさばっているのか、はばかっているのか、場所ふさぎをしているのか、という問題がある。無能力はすでに歴然としている。乱歩という素材を活用できないという一点だけをとっても、驚くばかりに無能力である。そんな委員会とどうして名張市は、結託をつづけ、癒着をつづけ、市民を無視した専横を容認放置しつづけるのか。

名張市職員諸君だって、名張まちなか再生委員会の手先に甘んじて、ロゴマークの募集なんぞにこきつかわれるのは本意ではないのではないか。それとも市職員諸君には、あの委員会の抱えている重大な問題が、まったくみえていないというのか。気がついていないというのか。そんなことはないはずである。いやいや、これは酷であろう。あまりにも酷であろう。名張まちなか再生委員会の専横にかんして、市職員諸君を責めるのはなんとも酷な話であろう。

名張市公式サイト:名張市 市長への手紙

たいして意味はない。ちょっとリンクしてみたかっただけである。
予告登板である。きのうの予告どおり、桝田医院第二病棟跡地に建てられた案内板を俎上に載せる。

まず、これがその案内板。名張まちなかの四か所に設置されたうちのひとつである。

20080421a.jpg

新聞でも報じられた。

毎日新聞;観光案内板:旧市街地の魅力PR 近鉄名張駅西口など4カ所に設置 /三重(4月1日)

このブログで話題にもした。

2月25日:乱歩生誕地碑広場案内板
2月26日:一生懸命つくられた案内板

予算を確認しておく。

名張市公式サイト:入札結果情報 公共サイン設置工事

公共サインという名目で案内板を四か所に設置し、契約金額は849万0300円。上の毎日の記事によれば、「3月に設置された城下川などへの誘導標(石碑)、旧細川邸について説明した立て看板(高札)と合わせ、市が計1080万円で整備した」ということになる。細川邸改めやなせ宿の整備には一億円、案内板と看板の設置には一千万円、とおぼえておけば目安になるだろう。なんの目安かはよくわからぬが。

さてここで、ひとつ詫びを入れなければならない。経緯を確認するため、2月26日付エントリ「一生懸命つくられた案内板」から引用。

   
江戸川乱歩生誕地碑広場についていえば、広場の設計もまだできていない段階で、公共サインという名の案内板が建てられてしまうあほさについてはきのう記した。この案内板というのは、やはりきのう記したことであるが、名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトが製作を担当している。すなわち、案内板の文案、写真、デザインなんかを手がけている。名張まちなかの四か所に、3月中には、名張まちなか再生委員会謹製の案内板が設置されることになっているのである。

去年の秋であったか、名張市役所の一階大会議室で、案内板の原稿というか原案というか、デザインどおりにプリントアウトした図面を見る機会があった。委員会の事務局から感想を求められたので、中学生がつくった壁新聞みたいだ、と率直なところを述べておいた。いまから考えれば、中学生に対してじつに失礼な感想であったのだが、忌憚なくいえばそういうことであった。江戸川乱歩生誕地碑広場の案内板にかんして、何かアドバイスはないかとも尋ねられたので、そんなものはないとお答えした。

名張まちなか再生委員会に対しては今後いっさい、もうどんな協力をする気もないんだもんね、と事務局に伝えたのは平成18・2006年6月のことである。いまさら何いってきたって手遅れである。それにだいたい、たとえ中学生がつくった壁新聞のようなものであっても、それが名張まちなか再生委員会の身のほど身のたけというものではないか。ひいては名張市のアベレージというものではないか。こんな程度の案内板しかようつくりませんねんと、それが名張市でございますねんと、正直に披露するのをなぜ憚る。

とにかくそういうことである。江戸川乱歩生誕地碑広場に設置される案内板には、いっさいタッチすることはせず、ただ悪口雑言をならべてきただけである。事務局スタッフからは、そんなこというけど歩行者空間整備プロジェクトが一生懸命つくったんだから、とのフォローが入ったが、一生懸命やりました、などという言葉がエクスキューズとして通用するのは、たぶん幼児の世界くらいなものではないか。そこらの幼稚園や保育所でならOKだとしても、税金の具体的なつかいみちを決めるにあたって、みんな一生懸命やったんですから、なんて話は通用するまい。

なかに、「中学生がつくった壁新聞みたいだ」とある。失言であった。事実を誤認していた。全国の中学生諸君に心からお詫びを申しあげたい。完成した案内板をとくとながめてみるならば、中学生がつくった壁新聞、といったレベルのものではまったくない。前言を撤回し、あらためてこのように述べておく。

幼稚園児の切り貼り遊びみたいだ。

中学生がつくった壁新聞であれば、もう少し深く取材対象にアプローチできているはずである。読者というものをちゃんと想定できているはずである。記事を書くためのノウハウや、レイアウトにかんするABCも、ひととおりは理解できているはずである。ところがこの案内板には、そんなものは何もない。ごくごく手近なところから、あ、こんな写真があった、あ、こんな文章があった、と切り抜いてきたものをぺたぺた貼り合わせてみただけ。ただそれだけである。はっきりいって、人前に出せるしろものではない。こんな程度のしろものに、ほかの案内板や看板もあわせて一千万円の税金をかけたというのだから、市民のひとりとしては涙を禁じえないような気がする。

幼稚園児が困っているんだったら手を貸してやればいいではないか、とおっしゃる向きもあろう。むろんそれくらいの道理は心得ている。だが、今回にかぎっては、はなはだ勝手ながらとても無理である。平成17・2005年6月に名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会事務局に足を運び、委員会への協力を申し出た。なぜか。委員名簿に眼を通したところ、それがまさしく幼稚園児レベルの連中の名簿だったからである。とんでもないことになると思われた。

名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されていた。しかし名簿の幼稚園児たちには、その構想を具体化することなど明らかに不可能である。歴史についても乱歩についても、何ひとつ知らない連中ばかりである。まかせておいたらとんでもないことになる。いやそれ以前に、そもそも歴史資料館をつくるという構想じたいがインチキだったのであるが、構想は実際に動き出していた。もうとどめようがない。だからせめて、乱歩のことであれ、名張の歴史のことであれ、最低限の知識を教えてやるからそのための場を設けるように、と事務局に要請した。後日、回答がもたらされた。

現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。

これが、名張まちなか再生委員会としての正式な回答である。外部を完全にシャットアウトして、名張まちなか再生委員会だけで細川邸を好きなように私物化するという宣言である。ここまではっきりと協力の申し出を断られてしまったのである。いまになって、この期におよんで協力できる道理など、どこを探したってあるわけがない。

それにしても、いったいどこの誰が「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない」などという断をくだしたのか、とお思いの向きもあるかもしれない。そのあたりの真実は、やなせ宿での講演会で明らかにすることになるのか、ならないのか。それはわからないのだが、ここはやはり、現段階では名張まちなか再生委員会にかんして内部の人間の悪行を暴露する考えはない、といっておいたほうが無難かもしれない。

しかしながら、これは去年の11月3日、コミュニティイベント隠街道市の記念行事のひとつとして、名張市総合福祉センターふれあいで名張の歴史をテーマに講演をおこなったときのことなのであるが、やはり魔が差したのであろうか、話の冒頭、名張まちなか再生プランはもうアウトである、細川邸は無茶苦茶なことになってしまう、誰が悪いのか、といったような話の流れになってしまって、さすがに実名は出さなかったものの、そこらの○○屋さんとか○○○○○屋さんとか、といったぐあいに職業というか商売というか、それを明示していささかを話しておいた。講演のあとで、話を聞いてくれた人から、

「あれいったい誰のことやねん。もう気になって気になって」

と尋ねられたから、やはり職種職業を明示するだけでは、聴衆に隔靴掻痒の感を与えてしまうのかもしれない。ならば実名を出すべきなのであろうか。なんとも悩ましい話であるが、やなせ宿でのいやがらせ講演会、なんだか魔が差しそうで胸騒ぎがしてくる。

そんなことはともかく、くだんの案内板である。桝田医院第二病棟跡地に建てられた「江戸川乱歩生誕地碑広場」の案内板には、去年の秋、名張市役所一階大会議室で示された図案がそのまま使用されていた。そのときには中学生がつくった壁新聞みたいだと感じられ、いまとなっては幼稚園児の切り貼り遊びみたいだとしか思えないしろものである。しかし、しかしふと気がつけば、この案内板のみにはとどまらず、昨今の名張市においては幼稚園児レベルとしかいいようのないものが、あちらこちらそこここに散見できるのではあるまいか。

幼稚園児のお遊び程度のことしかできない。それが名張市というところなのではないか。案内板設置ごっこ、観光交流施設整備ごっこ、まちなか再生事業ごっこ、委員会ごっこ、市議会ごっこ、行政ごっこ。いつまでレベルの低いお遊びをつづけていれば気がすむというのか。わっけわかんねーよなー名張市ってとこはよー。
きのう、また名張市役所に行ってきた。こうなると、ほとんどいやがらせである。むろん四階、名張まちなか再生委員会の事務局。またも、もぬけの殻であった。となりのデスクの男性職員にお訊きしたところ、毎日やなせ宿で悪だくみしてまーす、とのことであった。いや、うそうそ。悪だくみなどではまったくない。名張市職員諸兄姉の名誉にかけて、そのことだけは断言しておく。

悪だくみではないのだが、事務局スタッフはやなせ宿で公務中であった。電話で話をすることができた。やなせ宿の利用申し込みをしたいのだが、と用件を伝えた。YOUの記事によれば、やなせ宿のオープンは6月7日。その日は空いているか、と尋ねると、いったい何をするのか、との質問が返ってきた。いやがらせに講演会を開くのである、と答えた。市民の立場からやなせ宿の開設に花を添えたいのである、と説明した。

自慢ではないが、いわゆる市民要望もいただいている。2月22日付エントリ「やなせ宿開設記念講演会」へのコメント。

   
無題

中さんこんにちは、細川邸あらため、やなせ塾、内容は会議も、なにもせず、身内で役員と称するいつも同じ顔ぶれが善人づらして、かって税金をつかう、やらせ塾というところですか。記念講演でいままでの内幕を洗いざらいぶちまける講演をしてほしいです。

新名張市民 2008/02/23(Sat)09:03:59 編集

内幕をどこまでぶちまけられるか、というか、密室のなかで進められた名張まちなか再生委員会の悪だくみにどこまで肉迫できるか、自信はまったくない。しかし、かりに講演でやなせ宿をとりあげるとしたら、やはり内幕を市民に伝えることが必要であろう。名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。それを追及すべきであろう。

それに世の中には、魔が差すということがある。いままでの内幕を洗いざらいぶちまけるつもりなどさらさらなく、あたりさわりのない話題だけをしゃべるつもりで演壇に立ったとしても、人にはときとして魔が差す瞬間が訪れるのである。

四年前、平成16・2004年の秋のことであった。三重県伊賀県民局の主催イベントで、子供たちのためにちょっと話をすることになった。会場は名張市総合福祉センターふれあい。小学生が名張まちなかを舞台に宝探しを楽しむ、といったような企画であったと記憶する。乱歩と名張の関係を簡単に紹介する役目をおおせつかって、当日を迎えた。

話の冒頭で、きょうのこのイベントの費用は三重県民の税金によってまかなわれている、みたいなことを説明した瞬間、いきなり魔が差した。不意打ちであった。本題とはなんの関係もないことなのに、お役所批判がはじまってしまった。とまらなくなった。とまらないとまらない。つきることのない泉のように、お役所の悪口があとからあとからわいてくるではないか。

何分くらいしゃべっていたのか、魔に差されていたのだからよくわからない。その場に立ち会っていた伊賀県民局のスタッフが、頭上で両腕を大きくふりながら躍り出てきて、そんなおはなしはやめてくださいッ、と必死の形相で制止してくれるまで、魔の跳梁はえんえんとつづいた。なにごとが起きたかと思った。

イベントの民間スタッフには、伊賀市で画廊を主宰している知人も加わっていて、子供たちといっしょに話を聞いてくれたのだが、まちなかへ出て歩いているとき、

「ああおもしろかった。中さん、あいかわらずやね」

と言葉をかけてくれた。あいかわらずやね、ということは、あいかわらず魔に差されてるのね、ということなのであろうか。いまだによくわからない。

ときが流れた。めぐりあわせというのは恐ろしいものである。つい先週のこと、その四年前の伊賀県民局スタッフ、つまり、両腕頭上形相必死スタッフといっしょに酒を飲むめぐりあわせとなった。くだんのイベントのことに話題がおよび、こちらは細かい内容などまるでおぼえていなかったのだが、そのスタッフにとっては忘れようとしても忘れられない屈辱の記憶であったのだろう。おまえはあのとき、あのイベントで、けがれのない瞳を好奇心できらきら輝かせた純真な子供たちのまえで、たしかに、

「みなさーん、税金泥棒って、だれのことだかわかりますかー」

などとぬかしたのだ、と指摘された。難詰された。面罵された。もう絞め殺されるかと思った。こうなっては是非もない。否も応もない。あのときはえーっとちょっと魔が差しましてー、みたいないいわけが通用するはずはない。ひたすら謝る。平謝りに謝る。それしか道はなかった。おかげでなんとか無事に帰宅することを得たのだが、考えてみれば、ここまで好き勝手なことをわめき散らす渡世を送りながら、よくきょうの日まで命ながらえることができたものである。以後、心したい。

とにかくそういう次第で、講演となると何をしゃべりだすか知れたものではない。新名張市民さんのご期待に添えるかどうか、はなはだ心もとない次第ではあるが、名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか、というのがきわめて重要なテーマであることはたしかであろう。太字で強調しておく。

名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。

ところで、市民要望をお寄せくださった新名張市民さんは、いったいどうしておられるのであろうか。一時は連日のごとくご投稿をいただいたものだが、最近はとんとお見限りである。細川邸改めやなせ宿にかんして、これといった活用策を示してくださったわけではなく、とにかく税金をつかうな税金をつかうなの一点張りでいらっしゃったが、ここであらためて私見を述べておくならば、税金をつかうことそれじたいが悪である、というのはいささか偏狭な意見であろう。

税金はつかうべきものである。有効につかうべきものである。無駄につかってはいけないものである。死に金にしてはいけないものである。その点、一億円もかけて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をつくってしまった細川邸整備事業は、これはもう非のうちどころがないほどみごとな税金の無駄づかいと呼ぶべきであろう。

そういえば、きのう、人からこんな新聞記事を教えられた。

読売新聞:道路財源「拡大解釈」、自治体への交付金でハコモノ600件(4月16日)

引用。

   
国が道路特定財源などを使って区市町村の都市再生事業を支援する「まちづくり交付金制度」で、2004~07年度の4年間に、観光交流センターや多目的ホール、公営住宅など“ハコモノ”の建設が600件を超えていることが読売新聞のまとめでわかった。

交付金に占める道路財源の比率は年々増加し、7割に達している。道路整備とセットにしながら道路財源の使途拡大が着々と進んでいることを裏付けており、専門家からは「無駄遣いの温床」と厳しい批判が出ている。

この制度を所管する国土交通省によると、市街地再開発の一環として道路整備とセットになったケースも多く、これまで区市町村の申請が認められなかった事例はないという。

04~07年度の交付金総額は773区市町村の計8070億円で、道路財源からは4割の計3313億円が支出された。道路財源の比率は04年度は2割強(300億円)だったが、年々増加し、07年度は7割(1708億円)に上っている。

細川邸整備事業が財源的根拠としているまちづくり交付金は、結局のところハコモノ建設を助長するだけのばらまきでしかなかったと、はじめから知れていたことではあるが、どうやら相場もさだまったようである。この記事によれば、交付金の使途のうち「観光交流センターや地域交流センターなどの都市施設も428件」。この四百二十八件のなかに、われらが細川邸改めやなせ宿もカウントされているはずである。しかしそれにしても、名張市ほどまぬけな整備をしてしまった自治体は、全国を探してもあまり見当たらないのではあるまいか。というか、もしかしたら名張市がまぬけさにおいて堂々のトップに君臨しているのではないか。

名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。

などといったようなことを太字で強調されつつインターネットを通じて全国に発信されている自治体は、ほかには例がないのではないか。これは裏を返せば、名張市はどうして名張まちなか再生委員会による細川邸の私物化を容認しつづけるのか、名張市ってかなり変じゃね? ということなのであって、しかも、そこらの電子掲示板で匿名の市民がきゃんきゃん吠えているのとは、少しばかりわけがちがう。ネット上に実名をさらした市民が、あえて太字で強調しつつ発信しているのである。文句があったらいつでもいってこい、と憤りつつ発信しているのである。ほんとにもうね、名張市ももうちょっとしっかりできんものか実際。

それで、きのうのことである。名張市役所で確認したところ、やなせ宿では6月の7日と8日に開設記念行事が催されるのだが、この両日は一般の利用が不可とのことである。わけがわかんねーよなー。YOUの記事では、名張市都市環境部長が「市民の皆さんには、やなせ宿を積極的に活用していただきたい」とおっしゃっているではないか。だから市民のひとりとして積極的活用に名乗りをあげたというのに、いきなり門前払いと来た。開設に花を添えようと市民がわざわざ申し出ているのである。たとえ三十分でもいいから、時間の都合をつけるべく努めるのが本来であろう。間髪を入れずシャットアウトとは恐れ入った。名張まちなか再生委員会はやはり、案の定、100パーセントまちがいなく、あくまでも特権的独占的にやなせ宿を私物化したいということなのであろう。

あえて太字で、重ねて問う。

名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。

ついでにこっちも問うておく。

みなさーん、税金泥棒って、だれのことだかわかりますかー。
きのう、ひさしぶりで名張市役所に行ってきた。なんといっても、名張市の施策にかんしてYOUからコメントを求められるほどの市民である。さしずめ、伊賀タウン情報YOU公認のクレーマー、といったところか。たまにゃクレームのネタ探しに市役所をのぞくことも必要か、といったことではまったくなかったのだが、四階の市街地整備室、というか、名張まちなか再生委員会の事務局を訪ねた。もぬけの殻であった。となりのデスクの男性職員にお訊きしたところ、どこかへ電話を入れてくれて、結局、すいませーん、全員やなせ宿へ悪だくみに行ってまーす、とのことであった。いや、うそうそ。悪だくみなんかでは全然ない。とにかく、事務局スタッフはやなせ宿へおでかけとのことであった。

そうか、やなせ宿か、と思い、市役所を出て名張まちなかに車を向けた。悪だくみの現場を押さえるためである。いや、うそうそ。悪だくみなんかおこなわれてはいないというのに。だからやなせ宿には行かなかったのだが、ふと思いつて、桝田医院第二病棟の跡地に行ってみた。先月の31日、目隠しされた案内板をうちながめて以来のことである。案内板の目隠しは、むろんはずされていた。そして公開された案内板には、ある衝撃の事実が、といった話題はまたあす以降のことにして、とりあえずおとといのつづき。

伊賀タウン情報YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?

しつこいようながら、コメント再掲。

「民営化を目指すとしても、市は行政としてのまちづくりのビジョンを明らかにして住民らに提示すべき。全てを(民間に)丸投げしていることが遅れの出る理由」

自分でいうのも妙なものだが、これは的はずれな指摘ではないと思う。細川邸の整備にかんして、口にこそ出さね、こんなふうに考えている市民はすくなからず存在しているはずである。いやまあ、細川邸の整備に関心をもっている市民、なんてのはほとんどいないだろうと推測されるのだが、多少なりとも事情を知っている市民なら、程度の差こそあれこんなふうに感じているのではあるまいか。早い話、名張まちなか再生委員会のメンバーのなかにも、あるいは名張市役所の内部にだって、そういった人間が皆無というわけではないのではないか。

ともあれ、丸投げの結果は凶と出た。凶も凶、大凶であった。丸投げした相手に、それを受けるだけの能力がなかったのである。丸投げかましてほぼ三年、実のある結果は得られなかった。失われた三年、などとかっこつけてる場合ではない。

そもそも名張市と名張まちなか再生委員会とは、かたちのうえでは協力関係にあるけれど、実際には一枚岩ではないだろう。双方を本音でしゃべらせたら、たちまち責任のなすりつけあいがはじまってしまうのではないか。かりにそういった状態なのだとしたら、YOUの記事にあるような「今後1年間で利用を通じて、再生委員会で一緒に具体的なことを考えていきたい」なんてことは、とてもじゃないけどできるわけがない。

このままで行けば、一億円かけて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をつくってしまいましたという、まさしく笑い話というしかない事態が招き寄せられるしかないのである。というか、もう招かれて寄ってきている。うそだとお思いなら、名張のまちなかを歩いてごらんになるがよかろう。やなせ宿のオープンを心待ちにしています、とか、まちなか再生の起爆剤として期待しています、とか、そんな声はついぞ聞かれないはずである。期待どころか、おおいなる無関心である。名張地区住民のあいだでは、やなせ宿なんて無用の長物にすぎないと、オープン以前に結論が出てしまっている観さえある。

さあどうする。どうにもできない。現場の人間にはもはやどうしようもない。きのうやなせ宿でおこなわれたという会合は、どうやら開設記念行事の打ち合わせであったらしいのだが、現場はそれでいっぱいいっぱいだろう。細川邸整備事業の本質的な問題には眼を向けることなく、目先の雑務を消化するのに汲々としているだけであろう。

現場の人間にはとても無理だが、活路を開くことのできる人間がいないわけではない。たったひとりいる。いらっしゃる。いうまでもなく、名張市長である。停滞し混乱しすっかり膠着してしまった現状を打破し、少しでも望ましい方向へ導くことができる人間となれば、広い世界にただひとり、名張市長がいらっしゃるのみである。

うちみたところ、さまたげはない。住民の合意といったようなハードルはいっさいない。市長の裁量の範囲内で、すべてかたをつけることができるはずである。腕のふるいどころだと思う。名張市のリーダーとして指導力を発揮し、判断力決断力をフル稼働させて、細川邸改めやなせ宿の未来に明確な方向性をさだめることがおできになるはずである。

これまでのプロセスは、あえて問うまい。はっきりいえば、第一歩目から大きなあやまちを犯し、それ以降も不手際や失態を重ねつづけてきた事業である。だが、それをいまさら蒸し返してみても意味はない。現在ただいまの状況を直視し、打開策に腕をふるうのが市長としての役目であろう。責務であろう。それをはたすのが、真のリーダーというものであろう。

方向性ということでいえば、昨年6月の定例会ですでに示されている。

3月16日:市議会の乱歩 2007

このときの答弁にみられるごとく、「ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要である」というのが市長のお考えである。要するに、細川邸は乱歩に関連づけて整備すべきだということであろう。であれば、名張まちなか再生委員会にはどんな方向性もさだめることができないという事実が明白になった以上、市長ご自身のお考えを前面にお出しになるべきであろう。みずからのビジョンを提示し、その実現に努められるべきであろう。それをしないとおっしゃるのであれば、いったいなんのために市長におなりになったのか、ということになってしまう。

さあ、どうよ。

そっちこそどうよ、と尋ねられたとしたら、こちとら本気よ、と答えるしかない。まことにはばかりさまである。
小島毅さんの新刊『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)を読んでいたら、選挙による代表制民主主義なんて虚構である、という話が出てきた。

引用。

   
中国の皇帝は勝手になれるものではない。古来、「天命」という観念が大手を振って通用しているため、皇帝すなわち天子たりうるのは、天の意思にかなう人物でなければならないとされてきた。実際には武力や詐術で新王朝をひらき、皇帝の地位をものにしてきた者たちも、かたちのうえでは「自分は天命を受けている」ことを証明しなければならなかった。そのためのさまざまな煩雑な手続きや方策が、中国三千年の歴史を彩ってきた。
と、ここで、そうした「前近代的なばかばかしい形式主義」をわたしたちに嗤う資格が、かならずしもないことを述べておく。「選挙による代表制民主主義」のことである。いま「永田町」で活躍している人たちは、主権者たる国民が日本という国家を運営してもらうために選択した人、ということになっている。そして、それこそがかれらの正当化根拠である。毛並の良さや学力は、(実際にはともかく)形式上の要件ではない。選ばれたからこその政治家なのである。そして、わたしたち(の多く)はこの仕組みを是認している。だが、本当にそうなのか? そこで選ばれている人たちは本当に代表たる器をもった人たちなのか? お子様たち(なんとかチルドレン)もおられるようだし……。
これについて、しばしば選挙制度の不備や民度の未熟さといった理由があげられたりするけれど、わたしは問題はもっと根源的なところにあると思う。「代表制民主主義」という仕組み自体が虚構にもとづくということをふまえなければ、いつまでも同じことが繰り返されていくだけだろう。
中国における「天命」思想も、ある意味でこれと同質の虚構であった。当事者は本気では信じていない。しかし、それなしには周囲を納得させることができない。そこで、天命を得たとみせかける工夫がいろいろと人為的になされることになる。あたかも、主権者の審判を仰ぐべき政策の中身の検討を二義的なものにして、まずは「どうやったら当選するか」の技術論が横行しているように。

たいして意味はない。ちょっと引用してみたかっただけである。

おとといのつづき。

伊賀タウン情報YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?

引用。

   
一方、実質的な運営は市の「公設民営」の方針から、05年6月に組織された、市民らによる「名張まちなか再生委員会(田畑純也委員長)」が民営化について協議してきた。その結果、当初は同委員会が立ち上げた団体が運営を任される予定だったが、これまでの役員会などで、同委員会設置の「まちなか運営協議会」が当面の運営を行うことが決定した。名張市が09度の指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足するという。

「正当化根拠」ということでいえば、ここにはそれこそ何もない。この記事にあるとおり細川邸にかんしては、「当初は同委員会が立ち上げた団体が運営を任される予定」であった。だが、そんな予定にはかけらほどの正当性もない。ひとえに名張まちなか再生委員会の恣意でしかない。

そもそも細川邸の整備事業において、たとえ形式的なものであるにせよ、市議会のチェックや市民のパブリックコメントをクリアしたのは名張まちなか再生プランの段階までである。細川邸を歴史資料館として整備するという構想が、すくなくともかたちのうえでは、市議会の承認や市民の合意を得たのである。そのあと方針が二転三転し、歴史資料館が結局やなせ宿になってしまったペテンのごとき変更は、名張まちなか再生委員会が密室の内部で、ごくわずかな数の人間のまさしく恣意によっておこなったものでしかない。正当性などどこにもない。あるわけねーだろそんなもん。

にもかかわらず、名張市はそれを諒としてきた。名張まちなか再生委員会の事務局に足を運んで、委員会の非を諭し、道理を説いてやっても蛙のつらに小便であった。プランの目玉である細川邸の整備構想に変更を加えるのであれば、名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して練り直しをさせるのが本来である。それを指摘してやっても馬の耳に念仏であった。名張市は何も考えず、何も決めようとせず、それまでの過誤にみちたプロセスをまったく無批判に諒とするだけ、そして先送りに先送りを重ねるだけであった。

そのうえ名張市は、細川邸の私物化をも諒としていた。当初から公設民営方式で細川邸を整備すると明言しながら、そのいっぽうで、名張まちなか再生委員会が競争原理を周到に排除し、「同委員会が立ち上げた団体」だけに特権的独占的に細川邸の運営をまかせるという専横を、名張市は一も二もなく容認していた。当然のこととして認めていた。何が民営化だこら。すくなくともこの場合、名張市における民営化とは、特定の市民への便益の供与にほかならない。あらかじめ決められていた特定の市民に、細川邸を整備したうえで提供すること。それが公設民営の正体だったのである。

ばかかこら低能。だから住民監査請求までかましてやったではないか。「同委員会が立ち上げた団体」がそこらの駅弁大学にいらっしゃる御用学者先生の研究室に研究とやらを依頼したとき、名張市はいったい何をしたか。その研究とやらの対価を市民の税金で支払ったのである。どこにそんな必要がある。いつまでも特定の市民と癒着してんじゃねーぞこの低能自治体がと、わざわざ住民監査請求までかましてかーん、かーん、かーんと警鐘を鳴らしてやったではないか。いいかげんに気づけよ。しかし気づかねーんだよなこれが。

まさしく蛙のつらに馬の耳、重要なことにまったく気がつかないでいるあいだに、名張市にとってまことにぐあいの悪い事態が出来した。あてがはずれてしまった。便益を供与されるべき「同委員会が立ち上げた団体」が、ひらたくいえばケツを割ってしまったのである。細川邸から手を引いてしまったのである。整備された細川邸を提供されても、実際にはろくな便益が見込めないと判断したのか、あるいは細川邸を運営する能力がないと自覚したのか、そのあたりのことは知りようがない。しかしとにかく、YOUの記事にあるとおり、「同委員会が立ち上げた団体」がさっさと逃げを打ってしまった結果、「同委員会設置の『まちなか運営協議会』が当面の運営を行うことが決定した」のである。

やなせ宿の運営は、来年度から「指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足する」ということになった。ならざるをえなかった。民営化の眼目のひとつであるはずの競争原理が、開設二年度目にしてようやく発動するというみっともなさである。だが、そんなことがはたして可能なのか。なんのために整備したのかすらあいまいな施設である。国土交通省のまちづくり交付金をせしめる必要から、ただ観光交流施設という名目だけで整備された施設である。民営化がどうの指定管理者がこうのと痴呆のごときうわごとを垂れ流すまえに、やなせ宿とはいったいなんなのか、どういう目的で整備したのか、それを行政の主体性において明確に説明することが必要であろう。それが先決であろう。それができるか。できるのか。できるのかよ。けっ。できねーんだろうなあなさけねーことによー。
朝日新聞につづいて、YOUに記事が出た。4月12日付の号だが、ウェブ版は11日に掲載。

伊賀タウン情報YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?

どうなる? 何する? と見出しからして手厳しい。

引用。

   
町家を利用した観光交流施設として改修工事が行われた名張市新町の旧細川邸。「やなせ宿」と名を変えて、6月7日新たなスタートを切る。開設まで2か月を切ったが、具体的な運営内容が決まっていないなど問題が山積みだ。

運営内容、いまだ固まらず 問題が山積、開所は6月に

同施設は、明治時代の商家で、築140年以上。市の「まちなか再生事業」の一環として、2005年度から昨年度末までに約1億円の総工費をかけ、土蔵や母屋などを改修してきた。

改修後の施設では観光客と住民の交流スペース、市民らが腕を振るう「ワンデイシェフ」などオープン以降にもさまざまな企画が練られているが、いまだに具体化されていない。

手厳しくはあるが、これが事実である。実態である。「開設まで2か月を切ったが、具体的な運営内容が決まっていない」などという信じられぬほどまぬけな事態が、名張のまちなかで現実にくりひろげられているのである。ほんっと、どうなる? 何する?

記者のかたから電話でコメントを求められたので、ぺらぺらとしゃべった。紙面ではこんなあんばい。

「民営化を目指すとしても、市は行政としてのまちづくりのビジョンを明らかにして住民らに提示すべき。全てを(民間に)丸投げしていることが遅れの出る理由」

むろん、実際にはもっと手厳しいことをしゃべっている。とても記事にはできぬであろうなと思われる悪罵怒罵痛罵の連続である。テレビ番組ならピー音が鳴りっぱなしになるはずである。区長会やまちづくり推進協議会あたりから人を寄せ集めても意味はない、選挙の支援団体を固めているのではないのである、みたいな悪口雑言罵詈讒謗の乱れ撃ちである。

名張市都市環境部長のコメントも掲載されている。

「これまでも委員会とは常に相談し、共にやってきた。民営化に向けては、今後1年間で利用を通じて、再生委員会で一緒に具体的なことを考えていきたい。市民の皆さんには、やなせ宿を積極的に活用していただきたい」

うらみつらみはいっさいない。そもそも都市環境部長がどんなかたでいらっしゃるのか、とんと存じあげない。お立場は理解できるし、こうとでもお答えになる以外、コメントの出しようがない状況であることもよく承知している。だが、浮世のしがらみというやつである。渡世の義理というやつである。なんの義理だかよくわからぬが、たぶん生まれ育った名張のまちへの義理である。名張まちなか再生プランという名のインチキに言挙げした人間としての義理である。あたうかぎりのおだやかさを心がけつつ、このコメントにいささかの悪罵怒罵痛罵、悪口雑言罵詈讒謗を投げつける。諸羽流正眼崩し胡蝶の舞、ひとさし舞って進ぜよう。

「これまでも委員会とは常に相談し、共にやってきた」

だからその結果がこれではないか。この惨憺たる現状ではないか。何をどう相談し、何をともにやってきたのかはよく知らぬが、その結果が「開設まで2か月を切ったが、具体的な運営内容が決まっていない」という異常事態なのである。名張まちなか再生委員会には何も考えられず、何ひとつ決めることができないという明々白々たる結果が、いまや歴然と示されているのである。にもかかわらずどうして名張市は、あの無能力きわまりない委員会との結託をつづけるのか。癒着をつづけるのか。

「今後1年間で利用を通じて、再生委員会で一緒に具体的なことを考えていきたい」

また先送りである。こんなばかなことをいつまでほざきつづける気だ。委員会の結成は平成17・2005年の6月である。三年もかかって何もできなかった連中が、いまさら何をどう「考えていきたい」というのか。そのときどきで眼前の問題、喫緊の課題に正対することをせず、あいもかわらぬ思考停止を決めこんで先送りに先送りを重ねるお役所の体質が、必然的にもたらした最悪の結果がこれなのである。4月のオープンを6月に延期するような姑息な真似までして、そのうえまだ「今後1年間で利用を通じて」などと逃げつづける。いつまでもちゃらいこと口走ってんじゃねーぞこのすっとこどっこい自治体。

「市民の皆さんには、やなせ宿を積極的に活用していただきたい」

例によって例のごとき主体性の放棄である。いきなり市民にお鉢をまわしてどうする。市民に利用を呼びかける前に、やなせ宿はいったいなんのための施設なのか、それを説明するのが先であろう。細川邸整備事業は完全な失敗に終わったと、その事実を正直に認めることが先決であろう。そのうえで、やなせ宿の活用策を練り直すことが急務であろう。誰が考えたってそうなるはずである。何が「活用していただきたい」だ。たまにゃてめーらの頭を活用してみろこののーたりん自治体。

YOUの記事にもあるとおり、こちとらひたすら憤っている。このうえないほど憤り、あほらしくなるほど憤っている。笑えてくるほど憤りつつ、きょうのところはおしまいとする。
きのうの中日新聞に、国土交通省のまちづくり交付金にかんする記事が掲載された。名張まちなか再生プランの財源的根拠となっている交付金である。

中日新聞:1兆円、使途市町村任せ 道路財源4割の交付金

引用。

   
国土交通省が市町村の都市整備事業に最大40%まで資金を出す「まちづくり交付金制度」の交付額が、2004年度の導入以来、本年度までの5年間の総額 で1兆円に達する見通しであることが明らかになった。交付金の4割は道路特定財源で賄われるが、道路以外にも公共施設の建設や観光支援など幅広く使われて いる。交付決定後に住民の反対で事業が中止になった例もあり、税金ばらまきやハコモノ批判が出ている。

「税金ばらまきやハコモノ批判が出ている」とのことだが、それは最初から予想されたことである。国が交付金制度を新設したと聞けば、またばらまきかと思い、自治体がそのばらまきを受け容れたと聞けば、またハコモノかと思う。いまやそれが一般的な感覚というものであろう。げんに、まちづくり交付金制度には導入当初から批判が出ていた。住民監査請求の参考資料として提出した「僕の住民監査請求」でも、そのことは指摘しておいた。

名張人外境:乱歩文献打明け話 番外 僕の住民監査請求

引用。

   
「そしたら名張まちなか再生プランの予算もやっぱりばらまきなんですが」
「まちづくり交付金という名目で国が地方にばらまいてるんです」
「伊賀の蔵びらきより大規模ですな」
「二〇〇四年に都市再生特別措置法が改正されて自治体のいわゆるまちづくりを支援する交付金制度が創設されました」
「そしたら名張市もその交付金を活用したらええのとちがうんですか」
「けどこの制度には批判もありまして」
「どこがあきませんねん」
「支援の対象が土木建設事業のレベルですからまったく旧態依然やないかと」
「昔ながらの発想やゆうことですか」
「全国の地方がここまで衰退したのは規制緩和をはじめとした国政の重大な過誤の結果であるという指摘もありますし」
「旧態依然とした国の政策では地方を再生することができないゆうわけですか」
「ただでさえ国から分配されるお金が減ってきてますから名張市が国の交付金にすがりつくのはようわかりますけど」
「たとえばらまきであってもそれをうまく利用することはできないもんですか」

うまく利用することは不可能ではないだろう。現実に制度として存在している以上、ばらまきをうまく利用するべきだという考えかたは、もちろん否定されるべきでもない。だが名張市の場合、それははなから無理な相談であった。国のばらまきにすがりつき、一億円をかけて細川邸というハコモノを整備した結果はどうであったか。惨憺たるものである。中日新聞の「1兆円、使途市町村任せ」という見出しをもじるなら、「一億円、地域住民まかせ」とでもいうしかない名張市の無策無能無責任が、避けがたい帰結として失笑すべき惨状を招き寄せたのである。

さらに引用。

   
「ここでふり返っておくならば要するに内発的なものがどこにもないんです」
「内発的なものといいますと」
「内側から発した動きのことです」
「それがないということはつまり外側から動かされてるゆうわけですか」
「伊賀の蔵びらきでは三億円のばらまきという外在的要因に芭蕉生誕三百六十年という中途半端な思いつきを無理やりこじつけただけでしたし」
「名張まちなか再生プランの細川邸は内発的なものやないんですか」
「素材そのものは内側にありますね」
「細川邸を素材として活用したいという声は以前からあったようですけど」
「そうした声が内発的な動きとして出てくるまでにはいたらなかった」
「なんでですねん」
「内発的なことを自分の頭で考えられる人間がおらんかったからでしょうね」
「それがまちづくり交付金という外側からの働きかけによって動きが出たと」
「その動きが一歩目でずっこけまして」
「ずっこけたといいますと」
「わけのわからん策定委員会つくって丸投げした時点ですべてが終わりました」
「丸投げはあきませんかやっぱり」
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」

たしかに手遅れである。もうどうしようもない。どうしようもないというよりは、名張市にどうにかしようという気があるとは思えない。とてもそんなふうにはみえない。ばらまき、ハコモノ、丸投げ、という三点セットのレールのうえを、痴呆のごとく無批判に走りつづけるしか能がないのである。レールのたどりつく先は、まちなかの再生などではさらさらない。地域社会の疲弊である。しかも始末の悪いことに、細川邸整備事業に内在している本質的な問題は、名張まちなか再生事業だけのものではないのではないか。進路変更のきかないレールの先に、名張市全体の壊滅的な疲弊が待ち受けているのではないか。だがそれを回避することもまた、もはや手遅れであるのかもしれない。

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