三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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続報が掲載された。
三重県名張市の市政について語りませんか?Part2:647-648
きのうにひきつづき、無断転載して録しておく。投稿者のかたのご寛恕を、重ねて願いあげる次第である。
3月7日付エントリに、「市民がてめーらの手駒か手駒でないか、とっくり思い知らせてやるからそう思え」と記した。
3月7日:臨時総会に市長を呼び出せ
しかし、桔梗が丘地区の住民説明会において、名張市役所の職員諸君は、市民が行政の手駒ではないことを骨身にしみるまでたっぷり思い知らされておったわけなのね。重畳である。それにしても、副市長「…………」、部長「…………」、といったあたりの実況を読んでいると、なんだか前田さんと田中さんが気の毒になってくる。3月12日付エントリにも記したけれど、「すまじきものは宮仕え、とはよくいったものである。職員諸君、お察しするぞ」との感慨を禁じえない。
3月12日:中先生の回答講座 瞞着篇
正直になれないというのは、とてもつらいことなのであろうな。12日付エントリから引くならば、「正直になれない。正直に答えたら、それまでに積みあげてきた悪だくみが一瞬にしてパーになってしまう。立場上、そんなことはとてもできない。だから、質問をはぐらかすか、黙りこんでしまうか、そうやってその場をやり過ごすしかない」。そんな状況は、さぞやつらいものなのであろうな。全体に奉仕する公務員の身でありながら、正直になれない、つまり、市民の立場に立つことができない。それはもう、死ぬほどつらいことなのであろうな。
で、こそ長はどうよ、という話になる。江戸時代、ここ伊賀の国では、藤堂高虎が確立した商業保護政策によって、上野、名張、阿保のみっつのまちだけが商業地とされ、ほかの地域では商売を営むことが禁じられていた。つまり高虎は、規制緩和だの市場原理だの新自由主義だのと、そんなあほなことはいわなかったのである。伊勢の国と伊賀の国とを自立した経済圏として経営するために、いろいろと真剣に知恵をしぼった。その方策のひとつとして、伊賀の国の商業地を限定したのである。上野のまちでは、城下町を東西につらぬく本町、二之町、三之町、これら三本の通りに面したいわゆる三筋町が、商業の場となった。しかし、時代が進むと、三筋町以外であきないを営むものが出てくる。三筋町の商人たちが、藩に対し、藩許なく商売する人間の取り締まりを願い出ていることから、それが知れる。無許可で営業する商人たちは、陰でこそこそ商売をするところから、こそ商、と呼ばれた。だから、かりに、こそこそこそこそ逃げ隠れする市長、などというものがこの世に存在しているとしたら、こそ長、と呼ばれることになるのではないか。そんなことはともかく、3月7日と8日の住民説明会が市長不在で開催されたのは、きのうも同様のことを記したわけであるけれど、じつにまことに遺憾である。市民のひとりとして、心からそう思う。こんなことではほんとにいかんぞ。
さて、職員諸君、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君。お待ちかねの連続講座である。まず、中先生が名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信した質問がこれである。
で、3月13日午後4時23分49秒に着信した回答がこれ。
では職員諸君、本題に入るぞ。とりあえず、諸君の苦心は認めよう。諸君の苦衷、察するにあまりある。しかし、しかしな、小手先のことでごまかしてはいけない。見え透いたことやったって意味はない。先日の講座において、「たまには誠実な答えをよこしてみろ」と激励してやったというのに、諸君はどうしてこんな小ずるい真似ばかり、なりふりかまわず、恥も外聞もなく、とにかくその場しのぎの一点張り、飽きもせずにつぎつぎ重ねてしまうのか。中先生は悲しい。ほんとに悲しいぞ。
どこが小ずるいのか。職員諸君には自覚があるであろう。つまり、中先生の質問は、いわゆる箇条書きになっておった。できるだけ答えやすいように、との配慮からである。きわめて簡潔な質問を三点、いち、に、さん、と書いてあった。しかるに、回答は箇条書きではない。なぜか。みっつの質問のうち、ふたつにしか答えていないからである。箇条書きにしてしまったら、三点目の質問に対する回答を空白にせざるをえないからである。だからといって、箇条書きではない回答を寄せてきたところで、そんなことでなにかをごまかしたことにはちっともならんぞ。それどころか、すっかり激怒してしまっている中先生を、その小ずるさでさらに怒らせることになるのである。いいだけ逆上している中先生の逆鱗にふれてしまって、いったいどうするつもりだ名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君。
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。
だからゆうたろーが。この三点目の質問、答えるのはちょっと難儀であろうけれども、とゆうたったろーが。勇を鼓して市長室を訪れたまえと、中先生はちゃーんとゆうたったろーがとゆうとろーが。にもかかわらず、おまえらどうして行かなんだのじゃ、とゆうとろーがとゆうたっておろーがとゆうとろーがとゆうとるきに。それともあれか。ちゃんと行きはしたものの、市長室のドアの前で、お邪魔します、と声をかけたところ、ドアのむこうから、邪魔するんやったら帰って〜、と返事があったので、あいよ〜、と答えてそのまま帰ってきたとでもいうのか。ばかよのう。おおばかものよのう。いいか、職員諸君。そういう場合にはじゃな、たとえ、あんたらなにしにきた〜ん? と門前払いをくらわされたとしても、ごめんください、どなたですか、桑原和夫がまいりました、お入りなさい、ありがとう、とひとりで畳みかけて強引に侵入してしまえばいいのである。そんなこともわからんのか。どーしよーもねーなーまったく。わてほんまにようゆわんわ、とでもゆうとるしかないかもしれんな。
三重県名張市の市政について語りませんか?Part2:647-648
きのうにひきつづき、無断転載して録しておく。投稿者のかたのご寛恕を、重ねて願いあげる次第である。
647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 19:56:18 ID:???
桔梗が丘ごみステーション説明会実況その2 区長A「昨年10月、私の区は欠席者の委任状をとり、区の全体集会をした。 〇 その席上で、副市長と田中部長は-住民の納得が得られるまでステーションは実施しない-と約束した。所が何だ。 〇 1月29日夜、都市内分権の説明会の直前30分間だけ区長を集めて、マジックで路線を示した地図を渡し、-4月からステーションにする- 〇 ことを一方的に通告してきた。路線収集に至った経緯を説明してくれ。 副市長「・・・・・・・・・・・・・」部長「・・・・・・・ ・・・・・・・・・・」 区長B「路線収集を決めた責任者は誰だ」 部長「市と伊賀南部環境衛生が協議して決めた。」 市民A「責任者を聞いている。責任者をこたえなさい。」 区長A「昨年十月以来、あなた方から1本の電話もない。 〇 何ら努力もしないでいきなりステーションとはどういう了見だ。 〇 そのような状況で区長に何ができると思うのか。住民に説明できると思えるか。 〇 -住民の納得が得られるまでステーションは実施しない-と言った言葉は何だ。 〇 あなた方は市民を騙したのか。市民にウソをついたのか。 〇 そんなやり方で市民の信頼を裏切るやり方で、納得する市民がいると思っているのか。 〇 それとも市民の前で-ウソをついて悪うございました。ごめんなさい。-と謝るか。」 副市長「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」部長「・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 |
648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 19:58:24 ID:???
桔梗が丘ごみステーション説明会実況その2のつづき 路線収集という名の「ステーションを強制」に関しては 1月29日(土曜日)夜、区長に説明があり、 各紙が1月31日(月曜日)の朝刊に掲載した。 〇 田中部長「記者クラブに資料を投函しただけ」 〇 区長「我々に示した以外の資料か」 〇 田中部長「同じ資料だ」 〇 区長「私たちがもらった資料には記載されていないことが記事内容に見られる。」 〇 田中部長「提供資料によって新聞記者が私に取材した。」 〇 区長「日曜日に取材に来たのか。記者会見をしたのではないか。情報操作目的で」 〇 市民「新聞記者に電話して聞いてみようか」 〇 昨年来、(ステーションに移行した地区の数をでっち上げ) 〇 ウソニュースをリークして市民をダマシ続けた経緯から、 〇 田中部長は多分情報操作をしかけたと思う。 |
3月7日付エントリに、「市民がてめーらの手駒か手駒でないか、とっくり思い知らせてやるからそう思え」と記した。
3月7日:臨時総会に市長を呼び出せ
しかし、桔梗が丘地区の住民説明会において、名張市役所の職員諸君は、市民が行政の手駒ではないことを骨身にしみるまでたっぷり思い知らされておったわけなのね。重畳である。それにしても、副市長「…………」、部長「…………」、といったあたりの実況を読んでいると、なんだか前田さんと田中さんが気の毒になってくる。3月12日付エントリにも記したけれど、「すまじきものは宮仕え、とはよくいったものである。職員諸君、お察しするぞ」との感慨を禁じえない。
3月12日:中先生の回答講座 瞞着篇
正直になれないというのは、とてもつらいことなのであろうな。12日付エントリから引くならば、「正直になれない。正直に答えたら、それまでに積みあげてきた悪だくみが一瞬にしてパーになってしまう。立場上、そんなことはとてもできない。だから、質問をはぐらかすか、黙りこんでしまうか、そうやってその場をやり過ごすしかない」。そんな状況は、さぞやつらいものなのであろうな。全体に奉仕する公務員の身でありながら、正直になれない、つまり、市民の立場に立つことができない。それはもう、死ぬほどつらいことなのであろうな。
で、こそ長はどうよ、という話になる。江戸時代、ここ伊賀の国では、藤堂高虎が確立した商業保護政策によって、上野、名張、阿保のみっつのまちだけが商業地とされ、ほかの地域では商売を営むことが禁じられていた。つまり高虎は、規制緩和だの市場原理だの新自由主義だのと、そんなあほなことはいわなかったのである。伊勢の国と伊賀の国とを自立した経済圏として経営するために、いろいろと真剣に知恵をしぼった。その方策のひとつとして、伊賀の国の商業地を限定したのである。上野のまちでは、城下町を東西につらぬく本町、二之町、三之町、これら三本の通りに面したいわゆる三筋町が、商業の場となった。しかし、時代が進むと、三筋町以外であきないを営むものが出てくる。三筋町の商人たちが、藩に対し、藩許なく商売する人間の取り締まりを願い出ていることから、それが知れる。無許可で営業する商人たちは、陰でこそこそ商売をするところから、こそ商、と呼ばれた。だから、かりに、こそこそこそこそ逃げ隠れする市長、などというものがこの世に存在しているとしたら、こそ長、と呼ばれることになるのではないか。そんなことはともかく、3月7日と8日の住民説明会が市長不在で開催されたのは、きのうも同様のことを記したわけであるけれど、じつにまことに遺憾である。市民のひとりとして、心からそう思う。こんなことではほんとにいかんぞ。
さて、職員諸君、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君。お待ちかねの連続講座である。まず、中先生が名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信した質問がこれである。
昨年10月には教育委員会との面談の場をご手配いただき、ありがとうございました。ひきつづき、貴職ならびに前教育次長との話し合いの場を設けていただきますよう、広報対話室を通じて要請しております。公務ご多用のところ恐縮ですが、ご高配をたまわりますようお願い申しあげます。
さて、3月4日に発表された施政方針を名張市公式サイトで拝読いたしました。「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」と述べていらっしゃることにかんして、腑に落ちない点が少なからずあるのですが、とりあえず次の三点についてお答えを頂戴できればと思います。 1)名張まちなか再生委員会と名張市が「今後の計画づくり」を進めるとあるが、名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか。また、名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか。 2)「今後の計画づくり」には、いつ着手するのか。 3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。 ほかにもお尋ねしたいことはあるのですが、本日のところは以上三点、僭越ながらご回答をお願い申しあげる次第です。 2009/03/09 |
で、3月13日午後4時23分49秒に着信した回答がこれ。
中 相作 様
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 計画づくりの中で名張まちなか再生委員会以外の市民の参画につきましては、事業の推進においては、市民・事業者・行政等の多様な主体の協働により取組むべきであると考えており、計画づくりの段階においても多くの皆様の参画機会を設けて参りたいと考えております。 また、名張まちなか再生委員会は、広く市民の方に委員としてお入りいただくことのできる組織でありますので、現在、委員でない方も、「今後の計画づくり」をはじめ、まちなか再生に向けた取組みにご参画いただければと考えております。 「今後の計画づくり」は、引き続き、市街地整備室を主担当に、関係各室から構成する庁内プロジェクトを設置し、市の方針として今後とも名張まちなか再生委員会と連携し、平成21年度より着手していきたいと考えております。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成21年 3月13日 〇名張市長 亀井利克 |
では職員諸君、本題に入るぞ。とりあえず、諸君の苦心は認めよう。諸君の苦衷、察するにあまりある。しかし、しかしな、小手先のことでごまかしてはいけない。見え透いたことやったって意味はない。先日の講座において、「たまには誠実な答えをよこしてみろ」と激励してやったというのに、諸君はどうしてこんな小ずるい真似ばかり、なりふりかまわず、恥も外聞もなく、とにかくその場しのぎの一点張り、飽きもせずにつぎつぎ重ねてしまうのか。中先生は悲しい。ほんとに悲しいぞ。
どこが小ずるいのか。職員諸君には自覚があるであろう。つまり、中先生の質問は、いわゆる箇条書きになっておった。できるだけ答えやすいように、との配慮からである。きわめて簡潔な質問を三点、いち、に、さん、と書いてあった。しかるに、回答は箇条書きではない。なぜか。みっつの質問のうち、ふたつにしか答えていないからである。箇条書きにしてしまったら、三点目の質問に対する回答を空白にせざるをえないからである。だからといって、箇条書きではない回答を寄せてきたところで、そんなことでなにかをごまかしたことにはちっともならんぞ。それどころか、すっかり激怒してしまっている中先生を、その小ずるさでさらに怒らせることになるのである。いいだけ逆上している中先生の逆鱗にふれてしまって、いったいどうするつもりだ名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君。
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。
だからゆうたろーが。この三点目の質問、答えるのはちょっと難儀であろうけれども、とゆうたったろーが。勇を鼓して市長室を訪れたまえと、中先生はちゃーんとゆうたったろーがとゆうとろーが。にもかかわらず、おまえらどうして行かなんだのじゃ、とゆうとろーがとゆうたっておろーがとゆうとろーがとゆうとるきに。それともあれか。ちゃんと行きはしたものの、市長室のドアの前で、お邪魔します、と声をかけたところ、ドアのむこうから、邪魔するんやったら帰って〜、と返事があったので、あいよ〜、と答えてそのまま帰ってきたとでもいうのか。ばかよのう。おおばかものよのう。いいか、職員諸君。そういう場合にはじゃな、たとえ、あんたらなにしにきた〜ん? と門前払いをくらわされたとしても、ごめんください、どなたですか、桑原和夫がまいりました、お入りなさい、ありがとう、とひとりで畳みかけて強引に侵入してしまえばいいのである。そんなこともわからんのか。どーしよーもねーなーまったく。わてほんまにようゆわんわ、とでもゆうとるしかないかもしれんな。
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名張市において「市長への手紙」の回答を担当している職員諸君、どうもご苦労である。というか、なにを焦っておるのだ。回答が届くまでに一週間とか十日とか、その程度のタイムラグは承知しておるというのに、このたびはまたえらくあわてて回答が送られてきたではないか。早けりゃいいってもんでもないぞ。
回答を公開しておく。まず、昨日、つまり3月13日午前8時56分46秒に到着した分である。それにしても、朝9時前といえば、お役所においては職員諸君がいまだウォーミングアップ中の時間ではないか。職員がアップをはじめました、とか、そろそろ肩が温まってきたようです、とか、そういったころおいではないか。そんな時間に中先生への回答などというハードなお仕事にとっかかって、はたして大丈夫なのであろうか。ともあれ、到着した文面がこれである。件名は「返信:市長への手紙(面談の件につきお願い二件)」。
あーりゃりゃッ。またかよ。またしてもこれかよ。時代劇ふうにいえば、またしても殿にお目通りかなわず、という結果に終わってしまった。一生の不覚である。しかし職員諸君、いったいなにを焦っておるのか。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用してくだんの要請をおこなったのは、つい先日、3月9日と11日のことである。11日付の文面がこれ。
いままでほったらかしにしていたくせに、いまごろになってなーにあわてて返事してんの。経緯をふり返っておくぞ。
去年10月のことである。名張市公式サイト「市長への手紙」へ寄せた質問に、こんな回答があった。
で、こんなふうに要請した。
十日後に、こんな回答があった。
で、広報対話室にメールを送った。
以上、いずれもこのブログで、受発信のつど公開してきた文面であるが、去年の10月28日、「ひきつづき、市長との面談の機会を設けていただくことを要望いたします」と伝えておいたというのに、その返事がいまごろになってしまったのはどういうことか。しかも、きのう届いた回答には「日時については、後ほど担当から連絡させます」とある。どうせ遅れついでではないか。日時の調整を済ませてから連絡してくればいいではないか、と思う。
思っているところへ、こんどはきのうの午前9時3分5秒、名張市企画財政部広報対話室からメールが入った。件名は「面談日の調整について」。文面がこれ。
で、きょう送信した返信がこれ。件名は「承知しました」。
これでまあ、結局のところ、二回要請して二回ともだめだった、という首尾に終わったことになる。殿のお目通りの話である。殿のお目通りというやつは、なかなか実現しないものであるらしい。3月7日と8日、桔梗が丘地区でおこなわれた住民説明会においても、その会場で殿にお目通りすることを期待し、切望していた民の声は完全に無視されてしまったみたいだし。
三重県名張市の市政について語りませんか?Part2:630
無断転載しておくか。レス番630の投稿者のかたのご寛恕を乞う次第である。
こんなことではいかんと思うぞ。市長不在の住民説明会、なんてことではいかにもまずい。これは以前にも記したことであるが、自分を無条件で温かく迎え入れてくれる市民にしか顔を向けない、なんてことでは、はっきりいって市長失格である。こんなことがたび重なると、トンズラ市長、だの、雲隠れ市長、だの、市民はろくなこといわなくなるぞ。重要かつ困難な局面になると必ず行方不明になってどこかをさまよってしまう、などという印象が定着してしまったら、徘徊市長、とさえ呼ばれかねない。もう少し前の時代、つまり戦争体験者が多く生きていた時代なら、市長まーた敵前逃亡かよ、とか絶対いわれてるはずであるし、さらに昔の封建時代であれば、殿ご乱心、とかなんとかいわれて、主君押し込めの儀に発展している可能性だってある。こんなことではほんと、いかんと思うなあ。
いかんと思っているところへ、こんどはきのうの午後4時23分49秒、市長名義の回答が着信した。件名は「返信:市長への手紙(名張まちなか再生の今後の計画づくりについて)」。さっそく拝読いたしたのであるが、大丈夫か職員諸君、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君、ほんっとに大丈夫か。いったいなにを焦っておるのか。という以前に、なにを考えておるのか。というよりは、なにも考えておらんのか。なんなんだこのていたらくは。中先生があれほど親身になり、3月10日から13日まで四日間連続で、回答のポイントをわかりやすくわかりやすく説明してやったというのに、この回答はいったいなんであるか。先生のいうことを聞いておらんかったのか。先生は悲しい。とても悲しい。だからまたあしたから、鬼の気合の連続講座だ。君たちが真人間に生まれ変わる日まで、先生の愛のむちは休むことがないと思うがよい。覚悟しておきたまえ。それにしてもひどい。ひどいものである。わてほんまにようゆわんわ、とかいってる場合か実際。
回答を公開しておく。まず、昨日、つまり3月13日午前8時56分46秒に到着した分である。それにしても、朝9時前といえば、お役所においては職員諸君がいまだウォーミングアップ中の時間ではないか。職員がアップをはじめました、とか、そろそろ肩が温まってきたようです、とか、そういったころおいではないか。そんな時間に中先生への回答などというハードなお仕事にとっかかって、はたして大丈夫なのであろうか。ともあれ、到着した文面がこれである。件名は「返信:市長への手紙(面談の件につきお願い二件)」。
中 相作 様
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 ご依頼のありました面談につきましては、教育委員会及び乱歩都市交流会議の担当部署である総合企画政策室で、対応させていただきますのでよろしくお願いします。 なお、日時については、後ほど担当から連絡させます。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成21年3月13日 〇名張市長 亀井利克 |
あーりゃりゃッ。またかよ。またしてもこれかよ。時代劇ふうにいえば、またしても殿にお目通りかなわず、という結果に終わってしまった。一生の不覚である。しかし職員諸君、いったいなにを焦っておるのか。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用してくだんの要請をおこなったのは、つい先日、3月9日と11日のことである。11日付の文面がこれ。
3月9日付「市長への手紙」において、貴職と前教育次長との面談の場を設けていただきますよう、あらためてお願い申しあげましたが、昨年10月に発足した乱歩都市交流会議の担当部署職員のかたにもご同席をたまわりたく、勝手なお願いばかり並べたてて恐縮ですが、ご高配を願いあげる次第です。
また、その面談の席において、市立図書館が平成20年度に収集した乱歩関連資料のリストと、収集に要した予算の総額とをお示しいただきたく、お手数ながらご手配をお願い申しあげます。 2009/03/11 |
いままでほったらかしにしていたくせに、いまごろになってなーにあわてて返事してんの。経緯をふり返っておくぞ。
去年10月のことである。名張市公式サイト「市長への手紙」へ寄せた質問に、こんな回答があった。
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月 9日 〇名張市長 亀井利克 |
で、こんなふうに要請した。
ご回答ありがとうございました。せっかくの仰せですから、おことばに甘えて、「貴重なご意見・ご提案」を具申したいと思います。つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします。面談の場には、貴職のほか、教育長と前教育次長にもご臨席たまわりますよう、勝手ながら願いあげます。面談の日時と場所のご連絡をお待ちしております。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
2008/10/10 |
十日後に、こんな回答があった。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 ご要望の面談の件につきまして、次のとおり予定させていただきます。 なお、今回は教育委員会として、ご意見・ご提案を承らせていただきますので、ご了承ください。 【日 時】:10月29日(水) 午前11時 【場 所】:名張市役所 3階 教育委員会室 ご都合が悪い場合には、ご連絡をお願い致します。 連絡先:63−7402 広報対話室 大西 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月20日 〇名張市長 亀井利克 |
で、広報対話室にメールを送った。
お世話さまです。ご手配、ありがとうございました。つきましては、あすご出席いただく教育委員会のかたに、下記のブログ記事を事前にお読みいただきたく、そのご手配もよろしくお願いいたします。
http://nabarimachinaka.blog.shinobi.jp/Entry/681/ http://nabarimachinaka.blog.shinobi.jp/Entry/682/ http://nabarimachinaka.blog.shinobi.jp/Entry/683/ このブログ記事に、下記の質問を記してあります。 ・名張市立図書館が四十年にわたって収集してきた江戸川乱歩関連資料にかんして、それを活用するための具体的な方針は、市教育委員会はいっさい考えていない。以上、相違ないか。 教育委員会のかたには、この質問に対する回答をご用意いただきますよう、お伝えください。 ひきつづき、市長との面談の機会を設けていただくことを要望いたします。よろしくお願いいたします。 2008/10/28 |
以上、いずれもこのブログで、受発信のつど公開してきた文面であるが、去年の10月28日、「ひきつづき、市長との面談の機会を設けていただくことを要望いたします」と伝えておいたというのに、その返事がいまごろになってしまったのはどういうことか。しかも、きのう届いた回答には「日時については、後ほど担当から連絡させます」とある。どうせ遅れついでではないか。日時の調整を済ませてから連絡してくればいいではないか、と思う。
思っているところへ、こんどはきのうの午前9時3分5秒、名張市企画財政部広報対話室からメールが入った。件名は「面談日の調整について」。文面がこれ。
中 相作 様
〇教育委員会及び総合企画政策室とお会いいただく日を下記のとおり調整しましたので、よろしくお願いします。 なお、都合が悪い場合は下記まで、ご連絡ください。 〇 記 日時 平成21年3月25日(水)午後2時〜 場所 市役所405会議室(4階) |
で、きょう送信した返信がこれ。件名は「承知しました」。
メール拝受しました。ご多用中、お手数をおかけしました。ご指定の日時にお邪魔いたします。つきましては、以下二点、うち一点は先日もお願いしたものですが、教育委員会と総合企画政策室にお伝えいただきますよう願いあげます。
・市立図書館が平成20年度に収集した乱歩関連資料のリストと、収集に要した予算の総額とをお示しいただきたい。 ・乱歩都市交流会議の平成21年度事業計画をお示しいただきたい。 よろしくお願いいたします。 2009/03/14 |
これでまあ、結局のところ、二回要請して二回ともだめだった、という首尾に終わったことになる。殿のお目通りの話である。殿のお目通りというやつは、なかなか実現しないものであるらしい。3月7日と8日、桔梗が丘地区でおこなわれた住民説明会においても、その会場で殿にお目通りすることを期待し、切望していた民の声は完全に無視されてしまったみたいだし。
三重県名張市の市政について語りませんか?Part2:630
無断転載しておくか。レス番630の投稿者のかたのご寛恕を乞う次第である。
630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 15:03:16 ID:???
桔梗が丘ごみステーション説明会実況その1 市民A「市長はどうして来ないのか」 部長「市長は公務でこれません」 市民A「大事な公務か」 部長「本説明会の日程が決まったときには既に他の公務が入っており、 〇 調整できなかった。」 市民B「市長の今日の公務は何か。何処で何をしているか」 部長「内容については知りません」 市民B「副市長、答えてください」 副市長「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・」 彼らは平気でウソをつく。 他の公務の内容を知らなければ市長の出席調整はできない。 すなわち市長に出席を求めたならば、他の公務内容を知ることになる。 当日、市長はゆっくり休養していたことだろう。 副市長と部長は市長への出席を求めてないか、 又は市長に出席を求めたが市長が逃げたか、のどちらかだろう。 市長は昨年6月、桔梗が丘南公民館でさんざんな目に会って以来、 桔梗が丘は鬼門になっているようだ。 |
こんなことではいかんと思うぞ。市長不在の住民説明会、なんてことではいかにもまずい。これは以前にも記したことであるが、自分を無条件で温かく迎え入れてくれる市民にしか顔を向けない、なんてことでは、はっきりいって市長失格である。こんなことがたび重なると、トンズラ市長、だの、雲隠れ市長、だの、市民はろくなこといわなくなるぞ。重要かつ困難な局面になると必ず行方不明になってどこかをさまよってしまう、などという印象が定着してしまったら、徘徊市長、とさえ呼ばれかねない。もう少し前の時代、つまり戦争体験者が多く生きていた時代なら、市長まーた敵前逃亡かよ、とか絶対いわれてるはずであるし、さらに昔の封建時代であれば、殿ご乱心、とかなんとかいわれて、主君押し込めの儀に発展している可能性だってある。こんなことではほんと、いかんと思うなあ。
いかんと思っているところへ、こんどはきのうの午後4時23分49秒、市長名義の回答が着信した。件名は「返信:市長への手紙(名張まちなか再生の今後の計画づくりについて)」。さっそく拝読いたしたのであるが、大丈夫か職員諸君、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君、ほんっとに大丈夫か。いったいなにを焦っておるのか。という以前に、なにを考えておるのか。というよりは、なにも考えておらんのか。なんなんだこのていたらくは。中先生があれほど親身になり、3月10日から13日まで四日間連続で、回答のポイントをわかりやすくわかりやすく説明してやったというのに、この回答はいったいなんであるか。先生のいうことを聞いておらんかったのか。先生は悲しい。とても悲しい。だからまたあしたから、鬼の気合の連続講座だ。君たちが真人間に生まれ変わる日まで、先生の愛のむちは休むことがないと思うがよい。覚悟しておきたまえ。それにしてもひどい。ひどいものである。わてほんまにようゆわんわ、とかいってる場合か実際。
中先生の回答講座、ひとつ、ふたつ、と順調に進んで、きょうは三日目、みっつみちみちうんこして、というやつである。
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。
この質問に答えるにあたっては、なによりも強く深く、おつむに刻みこんでおかねばならぬことがある。なにか。中先生が怒っている、ということである。激怒している、という一事である。てめーらまあこの低能が一度ならず二度三度、と怒りまくっているという事実である。なんの説明もなく、不適切なことであったと認めるか、と、ただそれだけの質問を切り口上めいて突きつけている点に、中先生の怒りがにじみ出ている。てめーらこら、と中先生は憤怒している。てめーらにゃ反省能力もなければ学習能力もないのか。いくら叱り飛ばされても二回か三回、首をぶるぶるっと左右に振るだけですべてをけろっと忘れてしまう頭のわるい犬なのかおまえらは。いやいや、おまえらと犬をいっしょにしてたらそこらの犬から叱り飛ばされてしまうわ。
ふり返ってもみるがよい。中先生が名張まちなか再生委員会に加わる以前のことではあるが、桝田医院第二病棟跡地に乱歩文学館だか乱歩記念館だか、あほなハコモノをつくる話が検討されておった。検討していたのは、もちろん名張まちなか再生委員会である。で、名張市はなにをしたか。委員会がいまだ結論にいたっておらぬというのに、乱歩文学館は建設いたしません、と発表してしまったのである。ばかかこら低能。おまえら組織の自立性とか主体性とか、そういった問題について考えてみたこともないのか。かりそめにも、かたちのうえでは、名張市は名張まちなか再生委員会に検討をゆだねていたのである。その結論も出ていないというのに、一方的に、委員会になんの相談もなく、いきなり結論を出してどうする。市民との協働などというインチキなお題目は、しょせんお役所が勝手な都合を地域住民に押しつけるための隠れみのなのである、とみずから証明してどうする。そんなことでいいと思うておるのか。といってやったって理解はできぬか。笑止笑止。笑止千万。
ほんとに笑うしかないのであるが、桝田医院第二病棟の件でもう、いいだけぼろは出ておるのである。名張市という名の低能自治体には、組織の自立性や主体性という問題がてんで理解できないのである。ずぶずぶなあなあのムラ社会に首までどっぷりつかっておるから、なにからなにまでこの始末なのである。このざまなのである。ひとっかけらの反省もなく、まーたおんなじことをくり返すのである。ちっとは反省したらどうだ。名張まちなか再生プランをつくりましたと、このプランを具体化するために名張まちなか再生委員会を発足させましたと、十年がかりでよろしくお願いいたしますと、名張市がそうほざいたのは平成17・2005年6月のことではないか。だから委員会は、実際にはもはやなにもしておらんわけではあるが、かたちのうえでは、十年がかりで名張まちなかの再生を進めます、ということになっておるのである。だというのに、またしても一方的に、委員会になんの相談もなく、やぶから棒に「今後の計画づくりを進めてまいります」とはどういうことだ。なーに考えて施政方針にこんな寝言を書きつけやがった。そんなことが通用すると思うておるのか。だから訊いてやったのである。これまでのことを深く反省したそのうえで、たまには誠実な答えをよこしてみろ。
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。
職員諸君、ちょっとえらいことだぞ。「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしなければならぬ職員諸君、ちょっと困ったことになったぞ。回答は、認める、認めない、イエスか、ノーか、どちらかしかないのだから、話そのものは簡単である。だが、回答を書くにあたっては、やはり、どうあっても、市長のお考えをお聞きしなければならぬ。さすがにそれは、職員諸君にとって難儀なことであろう。しかし、知らん顔はできん。雲隠れもできん。行くしかあるまい。名張市役所二階の市長室に行くしかあるまい。恐れることなどなにもない。重要な職務である。勇を鼓して市長室を訪れたまえ。ただし、いきなり市長室のドアを開けたりしてはいけない。作法というやつがある。教えてあげよう。まず、市長室のドアを静かにノックする。そのあと、ドアのむこうに、こう声をかける。お邪魔しますか? これこれ、質問してどうする。市長室のドアの前でよしもと新喜劇かましてどうする。そういう場合は、お邪魔します、というのである。それでよろしい。すると、ドアのむこうから、返事が聞こえる。邪魔するんやったら帰って〜。こういわれたら、あいよ〜、と答えて帰ってくればいいのである。いやいや、だからほんとにね、市長室の前でよしもと新喜劇かましてどうするっていうのよ。
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。
この質問に答えるにあたっては、なによりも強く深く、おつむに刻みこんでおかねばならぬことがある。なにか。中先生が怒っている、ということである。激怒している、という一事である。てめーらまあこの低能が一度ならず二度三度、と怒りまくっているという事実である。なんの説明もなく、不適切なことであったと認めるか、と、ただそれだけの質問を切り口上めいて突きつけている点に、中先生の怒りがにじみ出ている。てめーらこら、と中先生は憤怒している。てめーらにゃ反省能力もなければ学習能力もないのか。いくら叱り飛ばされても二回か三回、首をぶるぶるっと左右に振るだけですべてをけろっと忘れてしまう頭のわるい犬なのかおまえらは。いやいや、おまえらと犬をいっしょにしてたらそこらの犬から叱り飛ばされてしまうわ。
ふり返ってもみるがよい。中先生が名張まちなか再生委員会に加わる以前のことではあるが、桝田医院第二病棟跡地に乱歩文学館だか乱歩記念館だか、あほなハコモノをつくる話が検討されておった。検討していたのは、もちろん名張まちなか再生委員会である。で、名張市はなにをしたか。委員会がいまだ結論にいたっておらぬというのに、乱歩文学館は建設いたしません、と発表してしまったのである。ばかかこら低能。おまえら組織の自立性とか主体性とか、そういった問題について考えてみたこともないのか。かりそめにも、かたちのうえでは、名張市は名張まちなか再生委員会に検討をゆだねていたのである。その結論も出ていないというのに、一方的に、委員会になんの相談もなく、いきなり結論を出してどうする。市民との協働などというインチキなお題目は、しょせんお役所が勝手な都合を地域住民に押しつけるための隠れみのなのである、とみずから証明してどうする。そんなことでいいと思うておるのか。といってやったって理解はできぬか。笑止笑止。笑止千万。
ほんとに笑うしかないのであるが、桝田医院第二病棟の件でもう、いいだけぼろは出ておるのである。名張市という名の低能自治体には、組織の自立性や主体性という問題がてんで理解できないのである。ずぶずぶなあなあのムラ社会に首までどっぷりつかっておるから、なにからなにまでこの始末なのである。このざまなのである。ひとっかけらの反省もなく、まーたおんなじことをくり返すのである。ちっとは反省したらどうだ。名張まちなか再生プランをつくりましたと、このプランを具体化するために名張まちなか再生委員会を発足させましたと、十年がかりでよろしくお願いいたしますと、名張市がそうほざいたのは平成17・2005年6月のことではないか。だから委員会は、実際にはもはやなにもしておらんわけではあるが、かたちのうえでは、十年がかりで名張まちなかの再生を進めます、ということになっておるのである。だというのに、またしても一方的に、委員会になんの相談もなく、やぶから棒に「今後の計画づくりを進めてまいります」とはどういうことだ。なーに考えて施政方針にこんな寝言を書きつけやがった。そんなことが通用すると思うておるのか。だから訊いてやったのである。これまでのことを深く反省したそのうえで、たまには誠実な答えをよこしてみろ。
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。
職員諸君、ちょっとえらいことだぞ。「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしなければならぬ職員諸君、ちょっと困ったことになったぞ。回答は、認める、認めない、イエスか、ノーか、どちらかしかないのだから、話そのものは簡単である。だが、回答を書くにあたっては、やはり、どうあっても、市長のお考えをお聞きしなければならぬ。さすがにそれは、職員諸君にとって難儀なことであろう。しかし、知らん顔はできん。雲隠れもできん。行くしかあるまい。名張市役所二階の市長室に行くしかあるまい。恐れることなどなにもない。重要な職務である。勇を鼓して市長室を訪れたまえ。ただし、いきなり市長室のドアを開けたりしてはいけない。作法というやつがある。教えてあげよう。まず、市長室のドアを静かにノックする。そのあと、ドアのむこうに、こう声をかける。お邪魔しますか? これこれ、質問してどうする。市長室のドアの前でよしもと新喜劇かましてどうする。そういう場合は、お邪魔します、というのである。それでよろしい。すると、ドアのむこうから、返事が聞こえる。邪魔するんやったら帰って〜。こういわれたら、あいよ〜、と答えて帰ってくればいいのである。いやいや、だからほんとにね、市長室の前でよしもと新喜劇かましてどうするっていうのよ。
きのうの講座では、記された質問の行間というか、紙背というか、そのあたりへの気配りについて学んだ。文面をぼーっと眺めておらんで、どうしてそんな質問が寄せられたのか、その質問にどんな批判や進言がこめられているのか、要するに質問者の意図というやつであるが、それをよく考えなさい、ということである。もっとも、いくら意図をくむことができたところで、それに応えることができない、という場合だってあるだろう。つまり、正直になれない。正直に答えたら、それまでに積みあげてきた悪だくみが一瞬にしてパーになってしまう。立場上、そんなことはとてもできない。だから、質問をはぐらかすか、黙りこんでしまうか、そうやってその場をやり過ごすしかない。そんなこともあるのであろうけれど、そんなことやってたらますます泥沼だぞ。とはいうものの、その泥沼から脱出しようと思ったら、名張市職員を辞めることしか手はないのかもしれんな。すまじきものは宮仕え、とはよくいったものである。職員諸君、お察しするぞ。
さて本日は、きのうのひとつめにつづいて、ふたあつ不埒な悪行ざんまい、でおなじみのふたつめである。
2)「今後の計画づくり」には、いつ着手するのか。
質問者の意図は、きわめて明快である。ほんとかよ、ということに尽きる。たしかに施政方針には、「今後の計画づくりを進めてまいります」と書かれてあった。しかし、どうも信用できない。どうせまた、ただの思いつきであろう、思いつきを並べただけであろう、と思ってしまう。むろん、いくら内容空疎なものとはいえ、施政方針は施政方針である。そこに明記されている以上、計画づくりとやらにかんする最低限の絵図はすでに引かれている、と考えるべきであろう。市民としては、そうあってほしい。だから、いくらなんでも、計画づくりのスケジュールくらいは決められているはずではないか。現時点では完全に白紙である、というのであれば、そんなこといちいち施政方針で発表してんじゃねーぞ低能、ということになる。そのあたりを確認するために、着手の時期を質問した次第である。
じつにわかりやすい話であり、答えやすい質問である。批判も進言も関係ない。正直に答えればよろしい。しかし、うわっつらをとりつくろうためだけに、例によって例のごとく、あとさきのことをなにも考えずに思いつきを並べてみました、というのが正直なところなのであれば、職員諸君、あまり正直にはなれぬかもしれんな。なんにも考えてませーん、などとほんとのところを答えたりしたら、えらいことになるかもしれん。だからといって、はぐらかしたり、黙りこんだり、あるいは、はっきりとうそをついてしまったり、そういった手段で目先の糊塗を図ったら最後、まちがいなく泥沼に足をつっこんでしまうぞ。で、脱出できなくなる。うそにうそを上塗りしつづけるしかなくなる。しかも、そんなうそなんてすぐに見透かされる。だいたいが職員諸君、八万三千名張市民、お役所のうそにころっと瞞着されてしまうようなあほばかり、というわけではないんよ。というか、いったいどっちがあほやねん、といった話なのである。そのあたりのことを、くれぐれも肝に銘じておきたまえ。
以上、ちゃんと伝わったと思うのではあるが、念のために書き添えておく。かりに、計画づくりに着手する時期などまったく決まっていない、といった場合でも、ほんとのところを答えたりしたら、まーたぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめかれてえらいことになりそうだな、とかよけいな気をまわして、計画づくりは六月に着手いたします、などと適当なことを答えてはいけない。その時点で、即、泥沼行きである。ただし、必要な根回しや調整をすべてささっと済ませてしまったそのうえで、ほんとは泥縄で決定したスケジュールであるにもかかわらず、こんなものはもちろん以前から決まっておりました、そうでなければ、施政方針で発表できるわけないじゃないですか、はっはっは、と涼しい顔で回答するぶんには、大目にみてやらぬというわけでもない。計画づくりをスタートさせるための根回しや調整を手早くすませることなんて、とてもできないはずなのではあるが、ま、できるものならやってみなさい。あとあとどこからもぼろを出さぬよう、周到のうえにも周到であることが肝要であろう。いや職員諸君、ほんとにお察しするぞ。
さて本日は、きのうのひとつめにつづいて、ふたあつ不埒な悪行ざんまい、でおなじみのふたつめである。
2)「今後の計画づくり」には、いつ着手するのか。
質問者の意図は、きわめて明快である。ほんとかよ、ということに尽きる。たしかに施政方針には、「今後の計画づくりを進めてまいります」と書かれてあった。しかし、どうも信用できない。どうせまた、ただの思いつきであろう、思いつきを並べただけであろう、と思ってしまう。むろん、いくら内容空疎なものとはいえ、施政方針は施政方針である。そこに明記されている以上、計画づくりとやらにかんする最低限の絵図はすでに引かれている、と考えるべきであろう。市民としては、そうあってほしい。だから、いくらなんでも、計画づくりのスケジュールくらいは決められているはずではないか。現時点では完全に白紙である、というのであれば、そんなこといちいち施政方針で発表してんじゃねーぞ低能、ということになる。そのあたりを確認するために、着手の時期を質問した次第である。
じつにわかりやすい話であり、答えやすい質問である。批判も進言も関係ない。正直に答えればよろしい。しかし、うわっつらをとりつくろうためだけに、例によって例のごとく、あとさきのことをなにも考えずに思いつきを並べてみました、というのが正直なところなのであれば、職員諸君、あまり正直にはなれぬかもしれんな。なんにも考えてませーん、などとほんとのところを答えたりしたら、えらいことになるかもしれん。だからといって、はぐらかしたり、黙りこんだり、あるいは、はっきりとうそをついてしまったり、そういった手段で目先の糊塗を図ったら最後、まちがいなく泥沼に足をつっこんでしまうぞ。で、脱出できなくなる。うそにうそを上塗りしつづけるしかなくなる。しかも、そんなうそなんてすぐに見透かされる。だいたいが職員諸君、八万三千名張市民、お役所のうそにころっと瞞着されてしまうようなあほばかり、というわけではないんよ。というか、いったいどっちがあほやねん、といった話なのである。そのあたりのことを、くれぐれも肝に銘じておきたまえ。
以上、ちゃんと伝わったと思うのではあるが、念のために書き添えておく。かりに、計画づくりに着手する時期などまったく決まっていない、といった場合でも、ほんとのところを答えたりしたら、まーたぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめかれてえらいことになりそうだな、とかよけいな気をまわして、計画づくりは六月に着手いたします、などと適当なことを答えてはいけない。その時点で、即、泥沼行きである。ただし、必要な根回しや調整をすべてささっと済ませてしまったそのうえで、ほんとは泥縄で決定したスケジュールであるにもかかわらず、こんなものはもちろん以前から決まっておりました、そうでなければ、施政方針で発表できるわけないじゃないですか、はっはっは、と涼しい顔で回答するぶんには、大目にみてやらぬというわけでもない。計画づくりをスタートさせるための根回しや調整を手早くすませることなんて、とてもできないはずなのではあるが、ま、できるものならやってみなさい。あとあとどこからもぼろを出さぬよう、周到のうえにも周到であることが肝要であろう。いや職員諸君、ほんとにお察しするぞ。
市長不在の名張に春を呼ぶ、まるで八日えびすみたいな中先生の回答講座である。3月9日、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信した質問三点のうち、本日は、ひとおつ人の世生き血をすすり、でおなじみの、なにがおなじみなんだかもうひとつようわからんのであるが、とにかくひとつめである。
1)名張まちなか再生委員会と名張市が「今後の計画づくり」を進めるとあるが、名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか。また、名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか。
3月4日に発表された施政方針に、こんなくだりがあった。
「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」
これはいったいなんなんだ、というのが、「市長への手紙」に記した質問のいわば起点である。「市長への手紙」の回答を担当する職員諸君にとっては、施政方針にこんなこと書くからよけいな仕事が増えてしまったではないか、といったところなのかもしれぬが、そんなことは知らない。仕事に励め。ただし、「市長への手紙」に記した質問は、いずれも答えやすさに配慮した内容となっている。たとえば、これからつくられる計画と名張まちなか再生プランとの関係性はどうなのか、といった質問も当然ありなのであるが、そんなことを尋ねてもだれも答えることなどできぬであろう。だから、そんなことは訊かない。答えやすいことしか、質問していない。
眼にみえるもの、そこに書かれていること、そうったものだけを手がかりにしているから、答えやすいはずである。なにがみえ、書かれているのか。名張市と名張まちなか再生委員会が新しい計画をつくる、ということである。そこから、「名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか」という質問を導き出した。この質問には、名張まちなか再生委員会なんてあんなものはペケである、という批判がこめられている。計画をつくる能力なんかまったくない。なにしろあれだぞ、いきなり名張川の鮎なんてものが出てくるんだぞ。あれではいかん。そういった批判のほかに、もしも計画をつくるのであれば、名張地区に直接関係のない市民の参画も拒むべきではあるまい、という進言も含まれている。回答執筆にあたっては、このあたりに留意すべきであろうな。
さらに、「名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか」との質問には、名張まちなか再生委員会はペケであるが、名張市だってペケなのである、といった批判が含まれている。かりにも名張まちなかの再生なんてテーマを掲げるのであれば、守備範囲はえらく複合する。じゃというのに、現在ただいまの名張まちなか再生事業は、都市環境部市街地整備室の職掌となっておる。要するに、土木建築関係のセクションが担当しておるのである。そんなことでいいわけがない。しかも、なにしろ、お役所である。縦割りである。横の連携は皆無にひとしい。早い話、先日も記したところであるが、旧細川邸を歴史資料館にできるわけねーじゃねーか、とのツッコミを入れるべき立場にあった教育委員会が、名張まちなか再生プランには知らん顔だったのである。そういった点への批判にも、やはり慎重に配慮することが必要であろうな。
とはいうものの、いくら留意や配慮に努めても、たいした点は獲得できんかもしれんなあ。職員諸君の努力を考慮に入れたとしても、及第点に届くかどうか、どうにも微妙だという気がする。ただし、ひとつだけ、奥の手がある。起死回生の策がある。とっておきである。模範回答の文案を示しておいて進ぜよう。
──「今後の計画づくり」についてご質問をいただいたところでございますが、計画づくりには、じつは市民も市職員も関係ございません。当市におきましては、計画策定はすべてコンサルタントまかせとなっておりますので、市民や市職員の出番はどこにもございません。あしからずご了承いただければ幸甚これにすぎるものはないと思わさせていただいております。
これはいい。いいぞいいぞ。じつにいい回答である。とにかく正直でよろしい。昔から、正直の頭に神宿る、と申してな、この場合、頭という漢字はこうべと読むのであるけれど、正直な人間の頭には神が宿ってくれるのじゃ。ところが、どうじゃ、最近の名張市、うそをついたり隠しごとをしたり、不正直なことばかりやっておるから、神は神でも疫病神が宿っておるではないか。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。ともあれ、いま文案を示したような回答を書くことができたなら、ほかのことはすべて不問に付して、その正直さだけで百点満点をつけてやるのだがなあ。どうかね、職員諸君。正直者で行こう、という気になってみてはくれんかね。
では、本日の「市長への手紙」である。件名は「面談の件につきお願い二件」。文面はつぎのとおり。
返信は不要である。送信時、チェックボックスでその旨を指示しておいた。
1)名張まちなか再生委員会と名張市が「今後の計画づくり」を進めるとあるが、名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか。また、名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか。
3月4日に発表された施政方針に、こんなくだりがあった。
「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」
これはいったいなんなんだ、というのが、「市長への手紙」に記した質問のいわば起点である。「市長への手紙」の回答を担当する職員諸君にとっては、施政方針にこんなこと書くからよけいな仕事が増えてしまったではないか、といったところなのかもしれぬが、そんなことは知らない。仕事に励め。ただし、「市長への手紙」に記した質問は、いずれも答えやすさに配慮した内容となっている。たとえば、これからつくられる計画と名張まちなか再生プランとの関係性はどうなのか、といった質問も当然ありなのであるが、そんなことを尋ねてもだれも答えることなどできぬであろう。だから、そんなことは訊かない。答えやすいことしか、質問していない。
眼にみえるもの、そこに書かれていること、そうったものだけを手がかりにしているから、答えやすいはずである。なにがみえ、書かれているのか。名張市と名張まちなか再生委員会が新しい計画をつくる、ということである。そこから、「名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか」という質問を導き出した。この質問には、名張まちなか再生委員会なんてあんなものはペケである、という批判がこめられている。計画をつくる能力なんかまったくない。なにしろあれだぞ、いきなり名張川の鮎なんてものが出てくるんだぞ。あれではいかん。そういった批判のほかに、もしも計画をつくるのであれば、名張地区に直接関係のない市民の参画も拒むべきではあるまい、という進言も含まれている。回答執筆にあたっては、このあたりに留意すべきであろうな。
さらに、「名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか」との質問には、名張まちなか再生委員会はペケであるが、名張市だってペケなのである、といった批判が含まれている。かりにも名張まちなかの再生なんてテーマを掲げるのであれば、守備範囲はえらく複合する。じゃというのに、現在ただいまの名張まちなか再生事業は、都市環境部市街地整備室の職掌となっておる。要するに、土木建築関係のセクションが担当しておるのである。そんなことでいいわけがない。しかも、なにしろ、お役所である。縦割りである。横の連携は皆無にひとしい。早い話、先日も記したところであるが、旧細川邸を歴史資料館にできるわけねーじゃねーか、とのツッコミを入れるべき立場にあった教育委員会が、名張まちなか再生プランには知らん顔だったのである。そういった点への批判にも、やはり慎重に配慮することが必要であろうな。
とはいうものの、いくら留意や配慮に努めても、たいした点は獲得できんかもしれんなあ。職員諸君の努力を考慮に入れたとしても、及第点に届くかどうか、どうにも微妙だという気がする。ただし、ひとつだけ、奥の手がある。起死回生の策がある。とっておきである。模範回答の文案を示しておいて進ぜよう。
──「今後の計画づくり」についてご質問をいただいたところでございますが、計画づくりには、じつは市民も市職員も関係ございません。当市におきましては、計画策定はすべてコンサルタントまかせとなっておりますので、市民や市職員の出番はどこにもございません。あしからずご了承いただければ幸甚これにすぎるものはないと思わさせていただいております。
これはいい。いいぞいいぞ。じつにいい回答である。とにかく正直でよろしい。昔から、正直の頭に神宿る、と申してな、この場合、頭という漢字はこうべと読むのであるけれど、正直な人間の頭には神が宿ってくれるのじゃ。ところが、どうじゃ、最近の名張市、うそをついたり隠しごとをしたり、不正直なことばかりやっておるから、神は神でも疫病神が宿っておるではないか。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。ともあれ、いま文案を示したような回答を書くことができたなら、ほかのことはすべて不問に付して、その正直さだけで百点満点をつけてやるのだがなあ。どうかね、職員諸君。正直者で行こう、という気になってみてはくれんかね。
では、本日の「市長への手紙」である。件名は「面談の件につきお願い二件」。文面はつぎのとおり。
3月9日付「市長への手紙」において、貴職と前教育次長との面談の場を設けていただきますよう、あらためてお願い申しあげましたが、昨年10月に発足した乱歩都市交流会議の担当部署職員のかたにもご同席をたまわりたく、勝手なお願いばかり並べたてて恐縮ですが、ご高配を願いあげる次第です。
また、その面談の席において、市立図書館が平成20年度に収集した乱歩関連資料のリストと、収集に要した予算の総額とをお示しいただきたく、お手数ながらご手配をお願い申しあげます。 2009/03/11 |
返信は不要である。送信時、チェックボックスでその旨を指示しておいた。
なんつーか、名張市もいろいろ大変みたいだな。3月7日と8日、桔梗が丘地区で開かれたいわゆるごみ問題にかんする住民説明会のことである。むろん会場に足を運んだわけではないが、インターネット上で知りえた情報の範囲内で判断するに、もはや収拾がつかない、といった感じなのではないかいな。
まず、ウェブニュース。
毎日新聞:家庭ごみ収集:名張・桔梗が丘地区のステーション化で説明会 /三重(3月8日)
名張市議会の例の先生による報告。
「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:説明会(3月8日)
2ちゃんねる名張市政スレにおいては、初日未明から注目を集めておった。
三重県名張市の市政について語りませんか?Part2:589-603(3月7日−9日)
収拾がつかないっつーか、もう終わりじゃね? 以前から指摘していることではあるが、名張市、終わったな、である。自業自得、とかいうやつであろう。市制施行五十五周年とかなんとか、そんなこといって浮かれておる場合ではないのではないかいな。
ところで、回答はまだである。きのう、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、三点にわたる質問を送信した。全文を再掲しておく。
回答はまだである。これまでの例からいっても、回答が着信するまでには一週間とか十日とか、その程度のタイムラグがあったと記憶する。送信翌日に催促をかますつもりはない。しかし、なんつーか、まともな答えをちょうだいね、とはお願いしておきたい。やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備しました、であるとか、市立図書館は活用することなどいっさい考えずに乱歩関連資料の収集に努めております、であるとか、そんなうすらとんかちな回答もらったって、受けとったほうはただただ唖然とするばかりなのだからな。
とはいえ、回答を考えたり書いたりする職員諸君も、それこそいろいろ大変であろう。だからここはひとつ、三点にわたる質問のポイントを、出題者みずからが懇切丁寧に説明し、もって回答担当職員諸君の一助としたい。要するに、みっつの質問にどんなふうに回答すれば、満点とはまいらずとも、まあまあの及第点をゲットすることができるのか、それを教えて進ぜようというのである。大助かりであろう。
それにしても、7日と8日に開かれた住民説明会にそれが端的に示されているのだけれど、いまの名張市はもう、市長不在、といった状態なのではないかいな。ほんと、非常事態だぞ。だから職員諸君、せめて「市長への手紙」の回答くらい、ちゃんと書こうな。手紙に記されている質問をよく読み、指摘されている問題を、なにしろ市長不在なのであるから、だれでもない自分の問題、公務員たるみずからが主体的に考えるべき問題であると認識して、めいっぱい考え抜いた回答をまとめあげてもらいたい。なに、心配は無用である。君たちには中先生がついておるではないか。大船に乗った気分でいたまえ。つづきはあしただ。
まず、ウェブニュース。
毎日新聞:家庭ごみ収集:名張・桔梗が丘地区のステーション化で説明会 /三重(3月8日)
名張市議会の例の先生による報告。
「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:説明会(3月8日)
2ちゃんねる名張市政スレにおいては、初日未明から注目を集めておった。
三重県名張市の市政について語りませんか?Part2:589-603(3月7日−9日)
収拾がつかないっつーか、もう終わりじゃね? 以前から指摘していることではあるが、名張市、終わったな、である。自業自得、とかいうやつであろう。市制施行五十五周年とかなんとか、そんなこといって浮かれておる場合ではないのではないかいな。
ところで、回答はまだである。きのう、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、三点にわたる質問を送信した。全文を再掲しておく。
昨年10月には教育委員会との面談の場をご手配いただき、ありがとうございました。ひきつづき、貴職ならびに前教育次長との話し合いの場を設けていただきますよう、広報対話室を通じて要請しております。公務ご多用のところ恐縮ですが、ご高配をたまわりますようお願い申しあげます。
さて、3月4日に発表された施政方針を名張市公式サイトで拝読いたしました。「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」と述べていらっしゃることにかんして、腑に落ちない点が少なからずあるのですが、とりあえず次の三点についてお答えを頂戴できればと思います。 1)名張まちなか再生委員会と名張市が「今後の計画づくり」を進めるとあるが、名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか。また、名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか。 2)「今後の計画づくり」には、いつ着手するのか。 3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。 ほかにもお尋ねしたいことはあるのですが、本日のところは以上三点、僭越ながらご回答をお願い申しあげる次第です。 2009/03/09 |
回答はまだである。これまでの例からいっても、回答が着信するまでには一週間とか十日とか、その程度のタイムラグがあったと記憶する。送信翌日に催促をかますつもりはない。しかし、なんつーか、まともな答えをちょうだいね、とはお願いしておきたい。やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備しました、であるとか、市立図書館は活用することなどいっさい考えずに乱歩関連資料の収集に努めております、であるとか、そんなうすらとんかちな回答もらったって、受けとったほうはただただ唖然とするばかりなのだからな。
とはいえ、回答を考えたり書いたりする職員諸君も、それこそいろいろ大変であろう。だからここはひとつ、三点にわたる質問のポイントを、出題者みずからが懇切丁寧に説明し、もって回答担当職員諸君の一助としたい。要するに、みっつの質問にどんなふうに回答すれば、満点とはまいらずとも、まあまあの及第点をゲットすることができるのか、それを教えて進ぜようというのである。大助かりであろう。
それにしても、7日と8日に開かれた住民説明会にそれが端的に示されているのだけれど、いまの名張市はもう、市長不在、といった状態なのではないかいな。ほんと、非常事態だぞ。だから職員諸君、せめて「市長への手紙」の回答くらい、ちゃんと書こうな。手紙に記されている質問をよく読み、指摘されている問題を、なにしろ市長不在なのであるから、だれでもない自分の問題、公務員たるみずからが主体的に考えるべき問題であると認識して、めいっぱい考え抜いた回答をまとめあげてもらいたい。なに、心配は無用である。君たちには中先生がついておるではないか。大船に乗った気分でいたまえ。つづきはあしただ。
ほんとにけったいな雲行きになってきたので、というのはもちろん名張まちなか再生委員会のことであるが、暗雲をはらう乾坤一擲、四の五のいってないで名張市公式サイト「市長への手紙」を利用した。
送信した文面はつぎのとおり。件名は「名張まちなか再生の今後の計画づくりについて」。
名張市公式サイトがリニューアルされる以前には、「市長への手紙」を送信すると送信IDが表示されるしくみになっていたのだが、現システムでは「【送信完了】ご意見を受け付けました」との文章が示されるだけである。
さて、どうなるのかな。面白いことになってきやがるのかな。おもしろきこともなき世をおもしろく、さのよいよい、っとくらあ。
送信した文面はつぎのとおり。件名は「名張まちなか再生の今後の計画づくりについて」。
昨年10月には教育委員会との面談の場をご手配いただき、ありがとうございました。ひきつづき、貴職ならびに前教育次長との話し合いの場を設けていただきますよう、広報対話室を通じて要請しております。公務ご多用のところ恐縮ですが、ご高配をたまわりますようお願い申しあげます。
さて、3月4日に発表された施政方針を名張市公式サイトで拝読いたしました。「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」と述べていらっしゃることにかんして、腑に落ちない点が少なからずあるのですが、とりあえず次の三点についてお答えを頂戴できればと思います。 1)名張まちなか再生委員会と名張市が「今後の計画づくり」を進めるとあるが、名張まちなか再生委員会以外の市民は計画づくりに参画できないのか。また、名張市において、計画づくりを担当する部署はどこか。その部署以外に、計画づくりに参画する部署はあるのか。 2)「今後の計画づくり」には、いつ着手するのか。 3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは不適切なことであったと認めるか。 ほかにもお尋ねしたいことはあるのですが、本日のところは以上三点、僭越ながらご回答をお願い申しあげる次第です。 2009/03/09 |
名張市公式サイトがリニューアルされる以前には、「市長への手紙」を送信すると送信IDが表示されるしくみになっていたのだが、現システムでは「【送信完了】ご意見を受け付けました」との文章が示されるだけである。
さて、どうなるのかな。面白いことになってきやがるのかな。おもしろきこともなき世をおもしろく、さのよいよい、っとくらあ。
低能ってやつは、もしかしたらあれか? この低能がこの低能がこの低能が、という悪罵嘲罵痛罵怒罵漫罵冷罵を浴びつづけていると、かたくなになり意固地になり、ますます低能になってしまうのか? これが女の子の場合であれば、そういうことはないでもない。かわいいかわいい、とことあるごとに声をかけていると、女の子はかわいさの度合を確実にアップさせる。そういうことはある。ただしこれ、かわいいかわいい、といってるこっちが自己暗示にかかってしまって、相手の女の子がかわいくみえてくるというだけの話なのかもしれんが。しかし、名張市という名の低能自治体は、意を決し、鋭意努力し、総力をあげて、みずからの低能に磨きをかけつづけているとしか思えない。なんかもう、低能一直線なのである。それも、ただ低能になってるというだけではなく、自分が低能であるということを嬉々として満天下に知らしめている、という感じがする。大丈夫か。
毎日新聞:名張市政功労者:映画「悪名」の故田中監督を特別表彰へ 文化振興に寄与 /三重(3月7日)
名張市制施行五十五周年という中途半端なメモリアルイヤーにちなみ、市政功労者の表彰がおこなわれる、という記事である。見出しには、一昨年12月になくなった映画監督の田中徳三さんの名があげられているが、そのほかに「芥川賞作家の伊藤たかみ、大蔵流狂言師の茂山七五三、江戸川乱歩長男の平井隆太郎の3氏を表彰する」とのことである。どうした低能。気はたしかか。
田中徳三さんといえば、去年の4月11日、大阪のシネ・ヌーヴォという映画館へ田中さんの「鯨神」を観にいった。シネ・ヌーヴォで田中徳三監督作品の特集が組まれていたのである。大阪にむかう近鉄特急のなかで、小島毅さんの『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)を読んだ。4月15日付のエントリに、その本からいささかを引用した。
4月15日:公設民営について憤る
引用したところを再掲しておく。
引用の要諦は、最後のほうにある。「代表制民主主義」という虚構に身を添わせるため、政策なんか二のつぎ三のつぎ、重要課題は「どうやったら当選するか」というただ一点、すなわち人生最大の目標は選挙に当選しつづけることにほかならず、それゆえ選挙に勝つためになにをすればいいのかということしか考えない、考えられない、そんな連中ばかりが多くなってんじゃね? ということである。むろん、ごろごろしておる。そんな連中はそこらじゅうにごろごろしておることであるから、この本のこのあたり、いつか引用することになるかもしれんな、と思われ、しかし、読みっぱなしだったらすぐに忘れてしまうだろうな、とも思われたので、昨年4月15日付エントリにわざわざ引用しておいた次第である。
しかしそれにしても、われながらみごとなものである。昨年4月15日付エントリにおいても、中先生いいだけわめいておるではないか。ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめきつづけである。よくもまあ飽きもせず、おんなじことばかりここまでわめきつづけられるものだと感心してしまう次第ではあるが、おなじことばかりわめいている、ということは、換言すれば、いってることにぶれがない、ということである。もうひとついっとけば、名張市という名の低能自治体は年がら年じゅうぶれまくりなのである、ということでもある。ついでだから、昨年4月15日にわめいたところを引用しておく。
ごく一般的な話として述べておくと、つまり、やなせ宿とはまったく関係のない話として述べておくわけであるが、「特定の市民への便益の供与」というやつは、「どうやったら当選するか」という課題をクリアするための、きわめて有効な手段なのである。ま、こんなこと、いまさら指摘する要もないことではあるのだが、それにしても、やなせ宿はどうなったのかな。今年4月から、どういうことになるのかな。昨年4月の時点では、平成21・2009年度から「指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足する」とされていたわけなのであるが、指定管理者の公募なんておこなわれなかったし、まちなか運営協議会が新たな運営組織を発足させた、みたいな話も聞こえてはこない。いったいどうなっておるのかな。というか、なーにやってんだこの低能、狸のきんたまみたいにいつまでもあっちこっちぶれまくってんじゃねーぞこの低能自治体。
といったような感じで、おらおらおらこの低能がよー、みたいなことばっかかまされてると、低能はいよいよ低能になってしまうものなのか、というのが本日のテーマなのであるが、ほんとにまあ嬉々として低能なのであるから、みていていっそ壮快だという気がしないでもない。もちろん、名張市政功労者表彰の話である。ただし、いうまでもないことを念のために記しておくけれど、表彰をお受けになる故田中徳三さん、伊藤たかみさん、茂山七五三さん、平井隆太郎さん、いやいや、最後だけは平井隆太郎先生とお呼びしたいところなのであるが、とにかくこの四人のかたについて、どうこう申しあげるつもりはまったくない。あたりまえである。
さて、ばかかこら低能。名張市の市政功労者というのは、いったいなんなんだ。ごくわずかなものでもいいから名張市にゆかりのある著名人有名人をピックアップし、名張市政とはなんの関係もないみなさんでいらっしゃるというのに、なぜか市政功労者の名のもとに表彰する。こんなばかなことがほんとにうれしいのか。うれしいのであろうな。ビッグネームはすべからく自己顕示の素材にすべし、というのが田舎者の合言葉なのだものな。だからまあ、ここらのあほがなにかというと口にする乱歩顕彰ってやつと、構造的にはまったくおんなじなのである。例によって例のごとく、まーた漫才から引用しておく。
よかったなあ低能自治体。市政功労者表彰にかこつけて、トップブランドを手にすることができたではないか。しかしなあ、きょうび女子高生だって、ブランド品なんてただのジコマン、とかいってるぞ。ジコマンというのは自己満足のことなのであって、マンという響きからいやらしい意味を想像されても困るのであるが、ブランド品ゲットして喜ぶのはただの自己満足にすぎんのである、そんなことでしか自己顕示できんようなやつはあほなのである、みたいなことは女子高生だって認識しているのであり、しかしながら、自己満足とは知りながらもブランド品に惹かれてしまう悲しい女のさが、女心のせつなさつらさ、みたいなものも女子高生は自覚しているのであるから、女子高生ってのもあれでなかなかあなどれんものなのだぞ。
いやまあそんなことはどうでもいいけれど、なあ、低能自治体。市政功労者表彰ってのは、ほんとにいったいなんなんだ。市政への功労ってのは、いったいどういうことなんだ。故田中徳三さん、伊藤たかみさん、茂山七五三さん、平井隆太郎さん、いやいや、最後だけは平井隆太郎先生とお呼びしたいところなのであるが、とにかくこの四人のかたが文化振興に寄与してくださいましたので、名張市として表彰させていただきたいと思わさせていただいております、ということなのであろうが、それはほんとのことか。茂山さんは名張市内で子供狂言の指導を担当してくださっているはずだから、たしかに名張市の文化とやらとの接点はおありであろうが、ほかの三人のかたはいったい、名張市における文化振興のどんな局面に寄与してくださったというのかな。みたいなこといっても、低能だから理解できんか。
それならそれでしかたないけど、こら教育委員会、おまえらはいったいなにをしておったのだ。文化振興といえば、おまえらの守備範囲ではないか。名張市における文化振興というのは、いったいなんなんだ。著名人有名人と仲よくなって、ひたすらちゃらちゃらちゃらちゃらすることが、おまえらにとって文化の振興ということなのか。そんなもん、おれのケツもちはほんまもんのやくざだもんね、とかいって喜んでるそこらのチンピラと、構造的にはまったくおんなじではないか。いやいや、市政功労者表彰をお受けになるかたを、よりにもよってそこらのやくざといっしょにしてはいけない。ご無礼つかまつった。
しかしこら、名張市教育委員会。おまえらはほんとによくない。以前にもいってやったことだが、おまえらどうして、名張まちなか再生プランにストップをかけようとせなんだのじゃ。旧細川邸を歴史資料館にいたします、などという気のふれたようなことが、あのプランには書いてあったのじゃ。できるわけねーじゃねーか、と、ふつうは思うはずである。だったら教育委員会、なぜそれをゆうてやらなんだのじゃ。おまえらの守備範囲ではないか。低能と呼ぶしかない市長部局の暴走を、おまえらどうして阻止しようとはせなんだのじゃ。おまえらいったい、だれのために働いておるのじゃ。市民のために仕事をしておるのではないのか。
いやいや、こんなこといったってしかたないか。名張市教育委員会だって、低能であることに変わりはないのだものなあ。教育ということばが泣いておるからなあ。まったくまあ、右も低能、左も低能、ある意味まさしく地獄である。低能地獄と呼ぶしかないよなあ。天下晴れての低能自治体として、名張市は一歩一歩、着実に地歩をかためておるのだものなあ。とくに取り柄と呼べるものはないのであるが、この名張市には、官であると民であるとを問わず、低能だけは売るほど転がってるんだもんなあ。とはいえ、いくら売るほどあるからって、買ってくれる人なんてどこにもいないんだもんなあ。やれやれだよなあ。
──大工町寺町米町仏町低能買ふ町あらずやつばめよ
寺山修司で締めてみた。いやいや、こんなこといってたら修司ファンから叱り飛ばされるか。
──兎追ふこともなかりき故里の低能地獄の壁の絵の山
すまんな。寺山修司ファンの諸兄姉、ほんとにすまんな。
──間引かれしゆゑに一生欠席する低能地獄のおとうとの椅子
すまんなとは思うけど、とまんなくなってきたぞ。
──町の遠さを帯の長さではかるなり低能地獄より嫁ぎきて
すまんすまん。ほんとにすまん。
──夏蝶の屍ひそかにかくし来し低能地獄の中の一冊
いやいや、ほんとにもうやめておこう。ご無礼つかまつった。
毎日新聞:名張市政功労者:映画「悪名」の故田中監督を特別表彰へ 文化振興に寄与 /三重(3月7日)
名張市制施行五十五周年という中途半端なメモリアルイヤーにちなみ、市政功労者の表彰がおこなわれる、という記事である。見出しには、一昨年12月になくなった映画監督の田中徳三さんの名があげられているが、そのほかに「芥川賞作家の伊藤たかみ、大蔵流狂言師の茂山七五三、江戸川乱歩長男の平井隆太郎の3氏を表彰する」とのことである。どうした低能。気はたしかか。
田中徳三さんといえば、去年の4月11日、大阪のシネ・ヌーヴォという映画館へ田中さんの「鯨神」を観にいった。シネ・ヌーヴォで田中徳三監督作品の特集が組まれていたのである。大阪にむかう近鉄特急のなかで、小島毅さんの『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)を読んだ。4月15日付のエントリに、その本からいささかを引用した。
4月15日:公設民営について憤る
引用したところを再掲しておく。
〇中国の皇帝は勝手になれるものではない。古来、「天命」という観念が大手を振って通用しているため、皇帝すなわち天子たりうるのは、天の意思にかなう人物でなければならないとされてきた。実際には武力や詐術で新王朝をひらき、皇帝の地位をものにしてきた者たちも、かたちのうえでは「自分は天命を受けている」ことを証明しなければならなかった。そのためのさまざまな煩雑な手続きや方策が、中国三千年の歴史を彩ってきた。
〇と、ここで、そうした「前近代的なばかばかしい形式主義」をわたしたちに嗤う資格が、かならずしもないことを述べておく。「選挙による代表制民主主義」のことである。いま「永田町」で活躍している人たちは、主権者たる国民が日本という国家を運営してもらうために選択した人、ということになっている。そして、それこそがかれらの正当化根拠である。毛並の良さや学力は、(実際にはともかく)形式上の要件ではない。選ばれたからこその政治家なのである。そして、わたしたち(の多く)はこの仕組みを是認している。だが、本当にそうなのか? そこで選ばれている人たちは本当に代表たる器をもった人たちなのか? お子様たち(なんとかチルドレン)もおられるようだし……。 〇これについて、しばしば選挙制度の不備や民度の未熟さといった理由があげられたりするけれど、わたしは問題はもっと根源的なところにあると思う。「代表制民主主義」という仕組み自体が虚構にもとづくということをふまえなければ、いつまでも同じことが繰り返されていくだけだろう。 〇中国における「天命」思想も、ある意味でこれと同質の虚構であった。当事者は本気では信じていない。しかし、それなしには周囲を納得させることができない。そこで、天命を得たとみせかける工夫がいろいろと人為的になされることになる。あたかも、主権者の審判を仰ぐべき政策の中身の検討を二義的なものにして、まずは「どうやったら当選するか」の技術論が横行しているように。 |
引用の要諦は、最後のほうにある。「代表制民主主義」という虚構に身を添わせるため、政策なんか二のつぎ三のつぎ、重要課題は「どうやったら当選するか」というただ一点、すなわち人生最大の目標は選挙に当選しつづけることにほかならず、それゆえ選挙に勝つためになにをすればいいのかということしか考えない、考えられない、そんな連中ばかりが多くなってんじゃね? ということである。むろん、ごろごろしておる。そんな連中はそこらじゅうにごろごろしておることであるから、この本のこのあたり、いつか引用することになるかもしれんな、と思われ、しかし、読みっぱなしだったらすぐに忘れてしまうだろうな、とも思われたので、昨年4月15日付エントリにわざわざ引用しておいた次第である。
しかしそれにしても、われながらみごとなものである。昨年4月15日付エントリにおいても、中先生いいだけわめいておるではないか。ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめきつづけである。よくもまあ飽きもせず、おんなじことばかりここまでわめきつづけられるものだと感心してしまう次第ではあるが、おなじことばかりわめいている、ということは、換言すれば、いってることにぶれがない、ということである。もうひとついっとけば、名張市という名の低能自治体は年がら年じゅうぶれまくりなのである、ということでもある。ついでだから、昨年4月15日にわめいたところを引用しておく。
そもそも細川邸の整備事業において、たとえ形式的なものであるにせよ、市議会のチェックや市民のパブリックコメントをクリアしたのは名張まちなか再生プランの段階までである。細川邸を歴史資料館として整備するという構想が、すくなくともかたちのうえでは、市議会の承認や市民の合意を得たのである。そのあと方針が二転三転し、歴史資料館が結局やなせ宿になってしまったペテンのごとき変更は、名張まちなか再生委員会が密室の内部で、ごくわずかな数の人間のまさしく恣意によっておこなったものでしかない。正当性などどこにもない。あるわけねーだろそんなもん。
にもかかわらず、名張市はそれを諒としてきた。名張まちなか再生委員会の事務局に足を運んで、委員会の非を諭し、道理を説いてやっても蛙のつらに小便であった。プランの目玉である細川邸の整備構想に変更を加えるのであれば、名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して練り直しをさせるのが本来である。それを指摘してやっても馬の耳に念仏であった。名張市は何も考えず、何も決めようとせず、それまでの過誤にみちたプロセスをまったく無批判に諒とするだけ、そして先送りに先送りを重ねるだけであった。 そのうえ名張市は、細川邸の私物化をも諒としていた。当初から公設民営方式で細川邸を整備すると明言しながら、そのいっぽうで、名張まちなか再生委員会が競争原理を周到に排除し、「同委員会が立ち上げた団体」だけに特権的独占的に細川邸の運営をまかせるという専横を、名張市は一も二もなく容認していた。当然のこととして認めていた。何が民営化だこら。すくなくともこの場合、名張市における民営化とは、特定の市民への便益の供与にほかならない。あらかじめ決められていた特定の市民に、細川邸を整備したうえで提供すること。それが公設民営の正体だったのである。 ばかかこら低能。だから住民監査請求までかましてやったではないか。「同委員会が立ち上げた団体」がそこらの駅弁大学にいらっしゃる御用学者先生の研究室に研究とやらを依頼したとき、名張市はいったい何をしたか。その研究とやらの対価を市民の税金で支払ったのである。どこにそんな必要がある。いつまでも特定の市民と癒着してんじゃねーぞこの低能自治体がと、わざわざ住民監査請求までかましてかーん、かーん、かーんと警鐘を鳴らしてやったではないか。いいかげんに気づけよ。しかし気づかねーんだよなこれが。 まさしく蛙のつらに馬の耳、重要なことにまったく気がつかないでいるあいだに、名張市にとってまことにぐあいの悪い事態が出来した。あてがはずれてしまった。便益を供与されるべき「同委員会が立ち上げた団体」が、ひらたくいえばケツを割ってしまったのである。細川邸から手を引いてしまったのである。整備された細川邸を提供されても、実際にはろくな便益が見込めないと判断したのか、あるいは細川邸を運営する能力がないと自覚したのか、そのあたりのことは知りようがない。しかしとにかく、YOUの記事にあるとおり、「同委員会が立ち上げた団体」がさっさと逃げを打ってしまった結果、「同委員会設置の『まちなか運営協議会』が当面の運営を行うことが決定した」のである。 やなせ宿の運営は、来年度から「指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足する」ということになった。ならざるをえなかった。民営化の眼目のひとつであるはずの競争原理が、開設二年度目にしてようやく発動するというみっともなさである。だが、そんなことがはたして可能なのか。なんのために整備したのかすらあいまいな施設である。国土交通省のまちづくり交付金をせしめる必要から、ただ観光交流施設という名目だけで整備された施設である。民営化がどうの指定管理者がこうのと痴呆のごときうわごとを垂れ流すまえに、やなせ宿とはいったいなんなのか、どういう目的で整備したのか、それを行政の主体性において明確に説明することが必要であろう。それが先決であろう。それができるか。できるのか。できるのかよ。けっ。できねーんだろうなあなさけねーことによー。 |
ごく一般的な話として述べておくと、つまり、やなせ宿とはまったく関係のない話として述べておくわけであるが、「特定の市民への便益の供与」というやつは、「どうやったら当選するか」という課題をクリアするための、きわめて有効な手段なのである。ま、こんなこと、いまさら指摘する要もないことではあるのだが、それにしても、やなせ宿はどうなったのかな。今年4月から、どういうことになるのかな。昨年4月の時点では、平成21・2009年度から「指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足する」とされていたわけなのであるが、指定管理者の公募なんておこなわれなかったし、まちなか運営協議会が新たな運営組織を発足させた、みたいな話も聞こえてはこない。いったいどうなっておるのかな。というか、なーにやってんだこの低能、狸のきんたまみたいにいつまでもあっちこっちぶれまくってんじゃねーぞこの低能自治体。
といったような感じで、おらおらおらこの低能がよー、みたいなことばっかかまされてると、低能はいよいよ低能になってしまうものなのか、というのが本日のテーマなのであるが、ほんとにまあ嬉々として低能なのであるから、みていていっそ壮快だという気がしないでもない。もちろん、名張市政功労者表彰の話である。ただし、いうまでもないことを念のために記しておくけれど、表彰をお受けになる故田中徳三さん、伊藤たかみさん、茂山七五三さん、平井隆太郎さん、いやいや、最後だけは平井隆太郎先生とお呼びしたいところなのであるが、とにかくこの四人のかたについて、どうこう申しあげるつもりはまったくない。あたりまえである。
さて、ばかかこら低能。名張市の市政功労者というのは、いったいなんなんだ。ごくわずかなものでもいいから名張市にゆかりのある著名人有名人をピックアップし、名張市政とはなんの関係もないみなさんでいらっしゃるというのに、なぜか市政功労者の名のもとに表彰する。こんなばかなことがほんとにうれしいのか。うれしいのであろうな。ビッグネームはすべからく自己顕示の素材にすべし、というのが田舎者の合言葉なのだものな。だからまあ、ここらのあほがなにかというと口にする乱歩顕彰ってやつと、構造的にはまったくおんなじなのである。例によって例のごとく、まーた漫才から引用しておく。
「乱歩顕彰とかよくいわれますけど」
「それがおこがましいんです」 「なんでですねん」 「顕彰ゆうのは世に知られていないものをひろく知らせることなんです」 「それやったら乱歩は大メジャーですから顕彰なんか必要ないわけですね」 「事実はまったく逆なんです」 「何が逆なんですか」 「乱歩という有名作家の名前を利用して名張市というあまり知られていない自治体を有名にしたいだけの話なんです」 「それが市民要望の本音ですか」 「市民のみならず行政サイドの願望もそうなんです」 「そしたら乱歩文学館構想の正体はやっぱり自己顕示欲とかそんなんですか」 「そこらのお姉さんが有名ブランドに執着する以上のものではありません。要するにうわっつらだけなんです」 |
よかったなあ低能自治体。市政功労者表彰にかこつけて、トップブランドを手にすることができたではないか。しかしなあ、きょうび女子高生だって、ブランド品なんてただのジコマン、とかいってるぞ。ジコマンというのは自己満足のことなのであって、マンという響きからいやらしい意味を想像されても困るのであるが、ブランド品ゲットして喜ぶのはただの自己満足にすぎんのである、そんなことでしか自己顕示できんようなやつはあほなのである、みたいなことは女子高生だって認識しているのであり、しかしながら、自己満足とは知りながらもブランド品に惹かれてしまう悲しい女のさが、女心のせつなさつらさ、みたいなものも女子高生は自覚しているのであるから、女子高生ってのもあれでなかなかあなどれんものなのだぞ。
いやまあそんなことはどうでもいいけれど、なあ、低能自治体。市政功労者表彰ってのは、ほんとにいったいなんなんだ。市政への功労ってのは、いったいどういうことなんだ。故田中徳三さん、伊藤たかみさん、茂山七五三さん、平井隆太郎さん、いやいや、最後だけは平井隆太郎先生とお呼びしたいところなのであるが、とにかくこの四人のかたが文化振興に寄与してくださいましたので、名張市として表彰させていただきたいと思わさせていただいております、ということなのであろうが、それはほんとのことか。茂山さんは名張市内で子供狂言の指導を担当してくださっているはずだから、たしかに名張市の文化とやらとの接点はおありであろうが、ほかの三人のかたはいったい、名張市における文化振興のどんな局面に寄与してくださったというのかな。みたいなこといっても、低能だから理解できんか。
それならそれでしかたないけど、こら教育委員会、おまえらはいったいなにをしておったのだ。文化振興といえば、おまえらの守備範囲ではないか。名張市における文化振興というのは、いったいなんなんだ。著名人有名人と仲よくなって、ひたすらちゃらちゃらちゃらちゃらすることが、おまえらにとって文化の振興ということなのか。そんなもん、おれのケツもちはほんまもんのやくざだもんね、とかいって喜んでるそこらのチンピラと、構造的にはまったくおんなじではないか。いやいや、市政功労者表彰をお受けになるかたを、よりにもよってそこらのやくざといっしょにしてはいけない。ご無礼つかまつった。
しかしこら、名張市教育委員会。おまえらはほんとによくない。以前にもいってやったことだが、おまえらどうして、名張まちなか再生プランにストップをかけようとせなんだのじゃ。旧細川邸を歴史資料館にいたします、などという気のふれたようなことが、あのプランには書いてあったのじゃ。できるわけねーじゃねーか、と、ふつうは思うはずである。だったら教育委員会、なぜそれをゆうてやらなんだのじゃ。おまえらの守備範囲ではないか。低能と呼ぶしかない市長部局の暴走を、おまえらどうして阻止しようとはせなんだのじゃ。おまえらいったい、だれのために働いておるのじゃ。市民のために仕事をしておるのではないのか。
いやいや、こんなこといったってしかたないか。名張市教育委員会だって、低能であることに変わりはないのだものなあ。教育ということばが泣いておるからなあ。まったくまあ、右も低能、左も低能、ある意味まさしく地獄である。低能地獄と呼ぶしかないよなあ。天下晴れての低能自治体として、名張市は一歩一歩、着実に地歩をかためておるのだものなあ。とくに取り柄と呼べるものはないのであるが、この名張市には、官であると民であるとを問わず、低能だけは売るほど転がってるんだもんなあ。とはいえ、いくら売るほどあるからって、買ってくれる人なんてどこにもいないんだもんなあ。やれやれだよなあ。
──大工町寺町米町仏町低能買ふ町あらずやつばめよ
寺山修司で締めてみた。いやいや、こんなこといってたら修司ファンから叱り飛ばされるか。
──兎追ふこともなかりき故里の低能地獄の壁の絵の山
すまんな。寺山修司ファンの諸兄姉、ほんとにすまんな。
──間引かれしゆゑに一生欠席する低能地獄のおとうとの椅子
すまんなとは思うけど、とまんなくなってきたぞ。
──町の遠さを帯の長さではかるなり低能地獄より嫁ぎきて
すまんすまん。ほんとにすまん。
──夏蝶の屍ひそかにかくし来し低能地獄の中の一冊
いやいや、ほんとにもうやめておこう。ご無礼つかまつった。
それにしたってひでー話じゃねーか、と思う。中先生とはことごとく意見が噛みあわない名張まちなか再生委員会のみなさんも、この一点にだけは同意していただけるのではないか。委員会のみなさんは、いまどういう状態なのか。中先生からぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあいわれておるのである。名張まちなか再生プランが指針になるとでも思うておるのかこの便所下駄、と大声でわめかれておるのである。叱り飛ばされておるのである。実際、あんなプランはつかいものにならぬ。なんの役にも立たぬ。にもかかわらず、委員会のみなさんはなぜか、あのプランを指針としつづけることに執着していらっしゃるのである。だというのに、名張市はいったいなんとほざいたのか。新年度の施政方針で、こんなことをぬかしたのである。
「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」
まったくもってひでー話じゃねーか、と名張まちなか再生委員会のみなさんもお思いのことであろう。プランも指針も関係なくなった。そんなものにこだわってる場合ではなくなった。名張市がやぶから棒に、新しい計画をつくりまーす、なんてことをしれっと宣言してしまったのである。委員全員、思いっきりずっこけてしまったのではないか。なにしろひどい。「名張まちなか再生委員会と共に」とかなんとか体裁をとりつくろってはおるけれど、なんの相談もなしにいきなり「今後の計画づくりを進めてまいります」などとかましておいて、いったいどこが「名張まちなか再生委員会と共に」だというのだ。どうもこの名張市という名の低能自治体、他者を思いやるということが決定的にできぬようである。思いやるのはつねに自分のことばかり。人を人とも思わず、市民は行政の手駒にしかすぎぬと考えているようである。市民のひとりとしては、とことん気にいらねーなー、と思うしかない。名張まちなか再生委員会の一員としては、これはもう、
──ケータイで市長を呼び出せ。
などというルーティンギャグのレベルで収まる話ではなくなった、と痛感する。ならば、どうするか。
──臨時総会に市長を呼び出せ。
という話になる。ならざるをえない。それはそうであろうがすっとこどっこい。人にひとことの相談もなく、いやいや、人を人とも思うておらぬのであるから、この名張市という名の低能自治体には人に相談するという習慣など存在しないのであるが、ごく一般的な市民感覚にもとづいて判断した場合、十年がかりのはずだった事業を五年で終了させ、あとはまたみなさんといっしょに計画づくりを進めます、なんてことを考えておるのであればだな、まずそのみなさんのもとに相談をもってゆくのが筋であろう。それともあれか。みなさんというのはいつもいつも、名張市という名の低能自治体のいうことに唯々諾々としたがう存在である、とでも思うておるのか。なーに思いあがってやがるこのうすらとんかち。市民がてめーらの手駒か手駒でないか、とっくり思い知らせてやるからそう思え、といった次第であるから、名張まちなか再生委員会は早急に臨時総会を開き、市長にお出ましをいただいて、とりあえずこれまでの経緯やらこれからの見通しやら、いろいろ説明していただかねばならぬであろうなあ。だから、
──臨時総会に市長を呼び出せ。
ということになる。副市長じゃだーめ。とはいえ、名張まちなか再生委員会も、ほんとにあてにならんからなあ。あれはいったいなんなんだろうなあ。みずから望んで行政の手駒になりさがることで、金銭欲だの名誉欲だの権勢欲だの支配欲だの、そういった私利私欲を満足させようとする連中ってのは、ほんとにいったいなんなんだろうなあ。それはもう、ほんとにひどいものだぞ。眼の前でなにが話し合われているのかも理解できず、だったらおとなしくしておればいいものを、自分は偉い人間なのであるということの周知徹底を図りたいのか、いきなり名張川の鮎の話を出してくるんだものなあ。鮎のことだけ主張して、鱒の立場を思いやることができんのだものなあ。だから臨時総会のことなんか、名張まちなか再生委員会は考えてもおらぬのであろうなあ。自分たちの自立性や独立性のことなんて、考えてみたこともないのだものなあ。中先生が名張まちなか再生委員会の委員長なら、速攻で臨時総会を開いて市長を喚問しているところなのだがなあ。名張まちなか再生委員会には、そんなことはとても望めんのであろうなあ。
「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」
まったくもってひでー話じゃねーか、と名張まちなか再生委員会のみなさんもお思いのことであろう。プランも指針も関係なくなった。そんなものにこだわってる場合ではなくなった。名張市がやぶから棒に、新しい計画をつくりまーす、なんてことをしれっと宣言してしまったのである。委員全員、思いっきりずっこけてしまったのではないか。なにしろひどい。「名張まちなか再生委員会と共に」とかなんとか体裁をとりつくろってはおるけれど、なんの相談もなしにいきなり「今後の計画づくりを進めてまいります」などとかましておいて、いったいどこが「名張まちなか再生委員会と共に」だというのだ。どうもこの名張市という名の低能自治体、他者を思いやるということが決定的にできぬようである。思いやるのはつねに自分のことばかり。人を人とも思わず、市民は行政の手駒にしかすぎぬと考えているようである。市民のひとりとしては、とことん気にいらねーなー、と思うしかない。名張まちなか再生委員会の一員としては、これはもう、
──ケータイで市長を呼び出せ。
などというルーティンギャグのレベルで収まる話ではなくなった、と痛感する。ならば、どうするか。
──臨時総会に市長を呼び出せ。
という話になる。ならざるをえない。それはそうであろうがすっとこどっこい。人にひとことの相談もなく、いやいや、人を人とも思うておらぬのであるから、この名張市という名の低能自治体には人に相談するという習慣など存在しないのであるが、ごく一般的な市民感覚にもとづいて判断した場合、十年がかりのはずだった事業を五年で終了させ、あとはまたみなさんといっしょに計画づくりを進めます、なんてことを考えておるのであればだな、まずそのみなさんのもとに相談をもってゆくのが筋であろう。それともあれか。みなさんというのはいつもいつも、名張市という名の低能自治体のいうことに唯々諾々としたがう存在である、とでも思うておるのか。なーに思いあがってやがるこのうすらとんかち。市民がてめーらの手駒か手駒でないか、とっくり思い知らせてやるからそう思え、といった次第であるから、名張まちなか再生委員会は早急に臨時総会を開き、市長にお出ましをいただいて、とりあえずこれまでの経緯やらこれからの見通しやら、いろいろ説明していただかねばならぬであろうなあ。だから、
──臨時総会に市長を呼び出せ。
ということになる。副市長じゃだーめ。とはいえ、名張まちなか再生委員会も、ほんとにあてにならんからなあ。あれはいったいなんなんだろうなあ。みずから望んで行政の手駒になりさがることで、金銭欲だの名誉欲だの権勢欲だの支配欲だの、そういった私利私欲を満足させようとする連中ってのは、ほんとにいったいなんなんだろうなあ。それはもう、ほんとにひどいものだぞ。眼の前でなにが話し合われているのかも理解できず、だったらおとなしくしておればいいものを、自分は偉い人間なのであるということの周知徹底を図りたいのか、いきなり名張川の鮎の話を出してくるんだものなあ。鮎のことだけ主張して、鱒の立場を思いやることができんのだものなあ。だから臨時総会のことなんか、名張まちなか再生委員会は考えてもおらぬのであろうなあ。自分たちの自立性や独立性のことなんて、考えてみたこともないのだものなあ。中先生が名張まちなか再生委員会の委員長なら、速攻で臨時総会を開いて市長を喚問しているところなのだがなあ。名張まちなか再生委員会には、そんなことはとても望めんのであろうなあ。
2月25日に開かれた名張まちなか再生委員会理事会の報告はきのうで終わったつもりだったのだが、みたいなことを連日いってるわけであるが、といったようなことはきのうも記したわけであるが、なんだかけったいな雲行きになってきたので、さらにエントリを追加する。
名張市公式サイトに、新年度の施政方針が掲載された。ま、あまり意味や内容のあるしろものではないし、年にいちど方針を表明したらそれでおしまい、なにしろお役所のことだから、方針がどの程度達成されたのか、などといった検証はまったくなされない。まともにとりあうのはあほらしい、という気もする。
ちなみに現在、名張市公式サイトで読むことのできる施政方針はつぎのとおり。
名張市公式ホームページ:施政方針 > 施政方針(平成21年3月)
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成20年3月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成19年2月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成18年3月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成17年3月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成16年3月
もうすぐ終わりを告げる平成20・2008年度の施政方針を読んでみると、冒頭に「『凛』とした市政の推進」とある。凛とした、などと一時そこらの女性雑誌が好んで使用したようなフレーズをもってきて、市民にいったいなにが伝わるというのか。いかようにも解釈できるあいまいなことばを掲げて、なにが説明できるというのか。試みにこの一年間をふり返ってみるならば、凛とした市政、というのがいったいどんなものなのか、具体的なことはさっぱりわからんわけであるが、わからんなりにも、名張市政は凛としてなど全然おらなんだではないか、という漠とした印象は浮かんでくる。いったいどこが凛としておったのか。凛として責任回避に努めました、というのであれば、それはそれでわかるような気もするけど。
いやいや、むろん中先生とて、施政方針を執筆した市職員の労を多とするにやぶさかではない。ご苦労であった。しかし、どうせ執筆するのであれば、つるっつるっつるっつるっとそこらのスケートリンクでもあるまいに、ひとりよがりなフレーズを恥ずかしげもなく上滑りさせるのは控えたほうがいいぞ。そんなことしたって、なにかをとりつくろったことにはならんのだからな。むしろ、内容の空疎さがよけいに際立っておるではないか。それともあれか、うわっつらだけとりつくろってればそれでOK、みたいな内規でもあるのか、名張市役所には。
ではここで、平成16・2004年度以来の施政方針を総まくりして、名張まちなか再生プランがらみの文章を列挙してみる。
まず、平成16・2004年。
平成17・2005年。
平成18・2006年。
平成19・2007年。
平成20・2008年。
以上五か年、ツッコミどころは数々あれど、すべてスルーして平成21・2009年。
な、けったいな雲行きだといっただろ。けったいなという以上に、どうもようわからん。なにがわからんといって、名張まちなか再生事業は平成21・2009年度で終了するというではないか。そんな話は聞いておらんぞ。「一旦」などという留保は添えられているものの、これは明らかに幕引き宣言であろう。こんな話、だれか聞いておるのか。いきなり幕を引いたうえで、名張まちなか再生事業の「今後の計画づくり」とやらが進められるらしいのだが、こんな話、だーれも聞いておらんのではないか。
少なくとも、名張まちなか再生委員会は聞かされておらぬ。こんな話、どこからも聞いておらぬ。1月25日の臨時総会でも、2月25日の理事会でも、行政サイドからはなんの説明もなかった。そのことにかんしては、3月4日付エントリで報告もしておいた。
3月4日:うすらとんかち理事会 続
引用。
お読みいただいたとおりである。十年がかりの事業である、というのは、名張まちなか再生委員会における共通認識なのである。名張まちなか再生プランにだって、ちゃんとこう記されているではないか。
名張まちなか再生プランは、十年というスパンを明記して策定されたプランである。だからこそ、理事会の席で、名張まちなか再生プランなどという役立たずなプランは無効化してしまい、新しいプランをつくって後半戦に臨んだらどうよ、といってやったのである。むろん中先生、委員会をぶっ壊してやるつもりではいるのだが、もしも委員会がこのまま存続する、あるいは、解散したうえで新たな組織を発足させる、ということになったとしても、どっちの場合にも新しいプランをつくらんことには話になんねーぜ、と教えてやったのである。教えてやるもなにも、そんなのはあたりまえのことではないか。
しかるに、施政方針はどうよ。「本年度をもって、一旦事業を終える」と書いてある。むろん、実質的には、もう終わっておる。なにしろ今年度、というのは平成20・2008年度のことであるが、名張まちなか再生委員会はなんの活動もしてこなかったのだし、そもそもやなせ宿が無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として整備されてしまったその時点で、名張市のまちなか再生事業は実質的には終了していたのである。だから、事業は終わっておる。しかし、こんな無責任な幕引きはあるまい。
とにかくおかしい。2月25日の理事会で、新たなプランを策定してはどうか、といってやった。中先生、たしかにいってやったのである。しかし、行政サイドからは、なんの返答もなかった。もしも施政方針にあるとおり、「名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」というのであれば、理事会の席でなぜそれが説明されなかったのか。名張市にゃ新しいプランをつくる気なんかさらさらねーんだろーけどよ、といわれたとき、行政サイド、つまり委員会事務局の職員はなぜ、事業は五か年で終了いたしますが、これまでの事業内容を見据えつつ今後の計画づくりを進めることにしております、と答えなかったのか。
もしかしたら、名張まちなか再生委員会の事務局にも、施政方針に述べられていることが伝えられていないのではないか。事業が終了するとも、新しい計画を策定するとも、そんなことはまったく知らされていないのではないか。大丈夫かまったく。いかに内容空疎なものであるとはいえ、施政方針は施政方針である。行政運営のうえで重要な位置を占めるはずのものである。その重要な施政方針に、名張まちなか再生事業の事実上の幕引きと、それを受ける新たな計画の策定とが、きっちり明記されているのである。だというのに、名張市の庁舎内において、名張まちなか再生事業の現場には、そんな話がいっさいおりてきていないようなのである。なーにやってんだこの低能自治体。あいかわらず身勝手なことばっかかましやがって、いったいなんのつもりだ。
これはもう、
──ケータイで市長を呼び出せ。
などというルーティンギャグのレベルで収まる話ではなくなったみたいだな。
名張市公式サイトに、新年度の施政方針が掲載された。ま、あまり意味や内容のあるしろものではないし、年にいちど方針を表明したらそれでおしまい、なにしろお役所のことだから、方針がどの程度達成されたのか、などといった検証はまったくなされない。まともにとりあうのはあほらしい、という気もする。
ちなみに現在、名張市公式サイトで読むことのできる施政方針はつぎのとおり。
名張市公式ホームページ:施政方針 > 施政方針(平成21年3月)
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成20年3月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成19年2月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成18年3月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成17年3月
名張市公式ホームページ:施政方針 > 平成16年3月
もうすぐ終わりを告げる平成20・2008年度の施政方針を読んでみると、冒頭に「『凛』とした市政の推進」とある。凛とした、などと一時そこらの女性雑誌が好んで使用したようなフレーズをもってきて、市民にいったいなにが伝わるというのか。いかようにも解釈できるあいまいなことばを掲げて、なにが説明できるというのか。試みにこの一年間をふり返ってみるならば、凛とした市政、というのがいったいどんなものなのか、具体的なことはさっぱりわからんわけであるが、わからんなりにも、名張市政は凛としてなど全然おらなんだではないか、という漠とした印象は浮かんでくる。いったいどこが凛としておったのか。凛として責任回避に努めました、というのであれば、それはそれでわかるような気もするけど。
いやいや、むろん中先生とて、施政方針を執筆した市職員の労を多とするにやぶさかではない。ご苦労であった。しかし、どうせ執筆するのであれば、つるっつるっつるっつるっとそこらのスケートリンクでもあるまいに、ひとりよがりなフレーズを恥ずかしげもなく上滑りさせるのは控えたほうがいいぞ。そんなことしたって、なにかをとりつくろったことにはならんのだからな。むしろ、内容の空疎さがよけいに際立っておるではないか。それともあれか、うわっつらだけとりつくろってればそれでOK、みたいな内規でもあるのか、名張市役所には。
ではここで、平成16・2004年度以来の施政方針を総まくりして、名張まちなか再生プランがらみの文章を列挙してみる。
まず、平成16・2004年。
まちの顔となる魅力ある中心市街地の整備を進めるため、地区住民と協力して本市の歴史・文化資源が集積する名張地区既成市街地の整備計画の策定を進めてまいります。
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平成17・2005年。
また、市民との協働により策定しました名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」を基本に、自然や歴史、文化などの地域資源を積極的に活用した魅力あるまちづくりを目指し、市民や事業者などの参加と連携のもと、計画的に事業を推進してまいります。
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平成18・2006年。
活気にあふれる「元気先進都市」を目指す主な取組として、中央西土地区画整理事業や公共下水道事業、また、名張地区においては、歴史・文化の活用、まちなか研究室や学生サロンなど地域住民との活発な交流や活動を推進し、名張市の顔となる中心市街地の活性化に取り組みます。
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平成19・2007年。
「名張まちなか再生事業」については、市民・行政・大学の三者が連携を行い、細川邸を改修し、まちなかの交流拠点として活用を図るとともに、江戸川乱歩生誕地碑のある桝田医院元第2病棟跡地利用に向けた取組みや、名張地区の名所を紹介する案内板設置の取組みを進めます。
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平成20・2008年。
まちなか再生につきましては、本年6月にオープン予定の旧細川邸「やなせ宿」は、市民をはじめ、多くの来訪者の交流拠点施設として、地域の皆様方が主体となって、多様な事業が展開されるよう大いに期待をいたしているところでございます。また、本事業につきましては平成20年度も引き続き、城下川沿いの道路修景、太鼓門散策道整備、桝田医院第2病棟の跡地整備などに取り組んでまいります。
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以上五か年、ツッコミどころは数々あれど、すべてスルーして平成21・2009年。
まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります。
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な、けったいな雲行きだといっただろ。けったいなという以上に、どうもようわからん。なにがわからんといって、名張まちなか再生事業は平成21・2009年度で終了するというではないか。そんな話は聞いておらんぞ。「一旦」などという留保は添えられているものの、これは明らかに幕引き宣言であろう。こんな話、だれか聞いておるのか。いきなり幕を引いたうえで、名張まちなか再生事業の「今後の計画づくり」とやらが進められるらしいのだが、こんな話、だーれも聞いておらんのではないか。
少なくとも、名張まちなか再生委員会は聞かされておらぬ。こんな話、どこからも聞いておらぬ。1月25日の臨時総会でも、2月25日の理事会でも、行政サイドからはなんの説明もなかった。そのことにかんしては、3月4日付エントリで報告もしておいた。
3月4日:うすらとんかち理事会 続
引用。
理事会では、どうせなら、十年がかりで進められているらしい名張まちなか再生事業が折り返し点を過ぎたいまの時点で、新たなプランを策定してはどうか、それが筋であろう、と述べておいた。こんなこといっても、名張市にはそんな気はさらさらねーんだろーけどよ、ともいっておいた。行政サイドからの返答はなかった。
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お読みいただいたとおりである。十年がかりの事業である、というのは、名張まちなか再生委員会における共通認識なのである。名張まちなか再生プランにだって、ちゃんとこう記されているではないか。
1.名張まちなか再生プランの範囲と期間
〇名張市総合計画は、名張地区既成市街地と鴻之台地区、中央西(仮称)地区を「まちの顔」として、利便性や魅力を高め、交流拠点として活気とにぎわいを再生するとしています。そのためのリーディングプランが「まちの顔づくりプラン」です。 〇名張地区既成市街地再生計画(以下「名張まちなか再生プラン」という。)は、「まちの顔づくりプラン」を具体化するために、名張地区既成市街地(以下、「名張地区」という。)を対象として、今後10年間に取り組むべきまちづくりの方向性と戦略的なプロジェクトおよび取り組みの工程を示すものです。 |
名張まちなか再生プランは、十年というスパンを明記して策定されたプランである。だからこそ、理事会の席で、名張まちなか再生プランなどという役立たずなプランは無効化してしまい、新しいプランをつくって後半戦に臨んだらどうよ、といってやったのである。むろん中先生、委員会をぶっ壊してやるつもりではいるのだが、もしも委員会がこのまま存続する、あるいは、解散したうえで新たな組織を発足させる、ということになったとしても、どっちの場合にも新しいプランをつくらんことには話になんねーぜ、と教えてやったのである。教えてやるもなにも、そんなのはあたりまえのことではないか。
しかるに、施政方針はどうよ。「本年度をもって、一旦事業を終える」と書いてある。むろん、実質的には、もう終わっておる。なにしろ今年度、というのは平成20・2008年度のことであるが、名張まちなか再生委員会はなんの活動もしてこなかったのだし、そもそもやなせ宿が無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として整備されてしまったその時点で、名張市のまちなか再生事業は実質的には終了していたのである。だから、事業は終わっておる。しかし、こんな無責任な幕引きはあるまい。
とにかくおかしい。2月25日の理事会で、新たなプランを策定してはどうか、といってやった。中先生、たしかにいってやったのである。しかし、行政サイドからは、なんの返答もなかった。もしも施政方針にあるとおり、「名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」というのであれば、理事会の席でなぜそれが説明されなかったのか。名張市にゃ新しいプランをつくる気なんかさらさらねーんだろーけどよ、といわれたとき、行政サイド、つまり委員会事務局の職員はなぜ、事業は五か年で終了いたしますが、これまでの事業内容を見据えつつ今後の計画づくりを進めることにしております、と答えなかったのか。
もしかしたら、名張まちなか再生委員会の事務局にも、施政方針に述べられていることが伝えられていないのではないか。事業が終了するとも、新しい計画を策定するとも、そんなことはまったく知らされていないのではないか。大丈夫かまったく。いかに内容空疎なものであるとはいえ、施政方針は施政方針である。行政運営のうえで重要な位置を占めるはずのものである。その重要な施政方針に、名張まちなか再生事業の事実上の幕引きと、それを受ける新たな計画の策定とが、きっちり明記されているのである。だというのに、名張市の庁舎内において、名張まちなか再生事業の現場には、そんな話がいっさいおりてきていないようなのである。なーにやってんだこの低能自治体。あいかわらず身勝手なことばっかかましやがって、いったいなんのつもりだ。
これはもう、
──ケータイで市長を呼び出せ。
などというルーティンギャグのレベルで収まる話ではなくなったみたいだな。