忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

そもそものスタートは、いってみれば三題噺であった。

・赤岩尾神社
・鬼
・犬

ノンバーバル映画「鬼 The Oni」のモチーフである。演者も加えれば、五題噺となる。

・たむらけんじ
・女優

昨年7月に企画書を提出したとき、もうひとつプラスしておいた。

・獅子頭

いうまでもなく、たむらけんじさんのトレードマークである。深い理由はない。犬と獅子との相同性をうまく利用できれば面白いかな、と考えただけの話である。これで六題噺になった。

昨年12月7日のロケハンで、またひとつ増えた。

・能舞台

そして12月26日、赤岩尾神社の地元、滝之原に伝わる三体の獅子舞が、映画出演はいくらでもOK、ということになった。たむらけんじさんの獅子頭を使用するプランはとりさげ、ほんものの獅子舞に登場してもらうことにした。しめて七題噺である。

・赤岩尾神社
・鬼
・犬
・たむらけんじ
・女優
・能舞台
・獅子舞

もうモチーフのてんこ盛りである。じつに欲の深い話である。わずか五分のノンバーバル映画に、ここまで素材を詰めこんでどうする。ノンバーバル映画をつくるにあたって、ノンバーバル映画が成立しにくくなるような要素ばかりかき集めてどうする。先日も記したとおり、映画の舞台として名張市の赤岩尾神社という場を特定する、ということは、赤岩尾神社がどこにあるのか、登場人物がなぜその神社に行ったのか、そのあたりの説明が必要になる、ということである。さらには、男と女を登場させる、ということは、男女間になんらかのドラマがくりひろげられる、ということである。しかし、そういった説明やドラマは、ふつうの映画であればともかく、ことばを使用できないノンバーバル映画には不向きな要素だというしかない。じつに悩ましい問題である。

ただし、男女間のドラマといったって、たった五分間の映画である。こみいったストーリーを描くのが無理だということは、はなから知れていた。だから企画書の段階で、ごく普遍的な男女のドラマにもちこむしかないだろうな、とは考えていた。要するに、基本となるのは、男は弱く、女は強い、という永遠の真理であり、男は愛嬌、女は度胸、という不変の哲学である。こうした真理や哲学はきわめて普遍的なものなのであって、そこらのジェンダーフリーばかや男女共同参画ばかがいくら気のふれたようなことを口走ろうとも、揺らぐことなどいっさいないはずである。

男女共同参画といえば、名張市役所の三階だか四階だかに人権・男女共同参画推進室というのがある。そこに勤務するスタッフがおととい、「鬼 The Oni」の撮影にずーっとつきあってくれたので、きのうの夕刻、人権・男女共同参画推進室に足を運んで礼を述べた。きのうの夜になって、そのスタッフが赤岩尾神社から俯瞰した比奈知ダム周辺の写真をメールで送ってきてくれたので、ここに掲載しておく。

20090114a.jpg

撮影当日の朝、赤岩尾神社の暗くて急な参道をとぼとぼと、ほんとうにとぼとぼと、なにしろ撮影前日の朝から右足親指の巻き爪がずきずきうずきだしていたので、とぼとぼとしか歩けない。もうたまんない、と思われたのできのう午後、名張市青少年センターの近くにある施術所でみてもらったほどである。施術所では、親指の肉に食いこんだ巻き爪を金属製の小さなへらのようなものでピッ、ピッ、ピッとほじくり返しえぐり出す、という思い出すだけでも失神しそうになる施術をたっぷり一時間、心ゆくまでほどこしてもらい、おかげでびっくりするくらい楽になったのだが、撮影当日の朝はまだずきずきと痛んでいたものだから、赤岩尾神社の暗くて急な参道はとぼとぼのぼることしかできなかったのであるが、参道はやがて、いきなり視界の開ける場所に出る。そこからながめおろした情景がうえの写真で、赤岩尾の鬼神の手荒い祝福を受け、神々しいような雪景色がひろがっていた。あまりに感動的な眺望だったので、カメラをもっていあわせていた人権・男女共同参画推進室スタッフに、ちょっとNさん、ここから写真とってあとで一枚メールで送って、と依頼しておいた次第である。

ちなみに、1月12日の撮影では、名張市の公用車が三台、朝から晩までフル稼働し、名張市ならびに名張市教育委員会の職員が合計四人、やはりフル回転で撮影を手伝ってくれた。実際のところを確認してはいないのだが、おそらく公務員の業務としてではなく、自由意志にもとづく無償奉仕として、ということだったのであろう。休日返上のただ働き、という寸法である。むろん、映画の制作費から内々でギャラが出る、というようなことはまったくない。純粋無垢のノーギャラである。ご苦労であった。ただまあ、名張と大阪でうちあげをぶちかます予定にはなっているので、そこではたらふく飲み食いしてもらえるはずである。いうまでもないことだが、うちあげは純粋無垢の割り勘である。ご苦労である。

それで12月26日、滝之原の獅子舞という新しい足かせが加わって、映画は七題噺の様相を呈した。なんかもう、がんじがらめである。永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんの手で、ぎっちぎちの亀甲しばりを決められてしまったようなものである。だが、どうやらこれでおしまいらしいな、とは思われた。わずか五分のノンバーバル映画に、素材モチーフがこれ以上てんこ盛りされることはないであろう。Jガールのあねさんから与えられたすべての足かせをいったん身に受けて、脱出不可能とみえる亀甲しばりから奇術師フーディーニのごとく脱出することができるかどうか。そのあたりが、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」の精神的支柱と仰がれる人間の器量のみせどころであり、伊賀地域の知のリーダーと称される人間の本領であろうな、と思いあがったことを考えながら、そろそろ脚本を書かなくちゃ、ということになった。

ほんものの獅子舞が登場するのだから、能舞台に鬼を出現させてやるか、と思いあたり、ならばやっぱり能で行くか、と結論した。企画書の段階から、能の様式を生かすことは意識していたのだが、能舞台に般若の面をつけた狂女を立たせ、BGMとして謡曲を流すことにした。謡曲は、まことにベタな話ではあるが、四番目物の「鉄輪」とした。曲名は、かなわ、と読む。ひとことでいってしまえば、女が鬼になる話である。女が鬼になって、自分を捨てた男に復讐しようとするものの、神にさまたげられて退散してしまう。そんな話である。そういえば、新藤兼人監督に「鉄輪」という映画があったな、とは思ったが、そんなことはこのさい関係がない。ただまあ、能という伝統を現代にふさわしいかたちで再生させるという一点では、新藤兼人監督とおなじことをやるわけである、と思いあがったことを考えながら、ほんとにそろそろ脚本を書かなくちゃな、とあせりながら思った。

能の要素をとりいれるとなると、狂女の所作指導と謡曲の録音には、どうしたって専門家の協力が欠かせない。名張能楽振興会のさる会員のかたに電話を入れ、やぶから棒に協力を依頼したのは12月31日のことである。おおみそかになんとも人騒がせなことではあったが、話はとんとんと進んだ。1月4日には名張能楽振興会の会長さんのお宅にお邪魔し、さらに1月11日、名張能楽振興会の所属会派が一堂に会する新春謡曲仕舞大会の会場である名張市青少年センターで、この日はJガールのあねさんにも駆けつけていただいたのだが、各会派代表のみなさんにお会いして直接お願いしたうえで、その翌日にはもう上小波田の観阿弥ふるさと公園、日も暮れて寒風が吹きすさび、火の気などどこにもない能舞台で所作指導をやっていただいたのだから、なんともあわただしいことではあった。

ここで振り返るならば、そもそも、Jガールのあねさんが赤岩尾神社で写真を撮ったら鬼みたいな顔に写っていた、というのが出発点だったのである。さらにそのもとをたどれば、このブログにちょこっと赤岩尾神社のことを記し、それがあねさんの眼にとまった、というのがすべての起点だったのである。以来六か月あまり、ただの思いつきがごろごろごろごろと雪玉のように転がり、まったく無関係だった人間をつぎつぎとまきこんで、ひとつの巨大な雪玉になってしまった。なんというのか、台風のようなものが名張市を通りすぎていった、といったような印象もある。ともあれ、ひょうたんから駒みたいな映画の話が具体化し、撮影も無事に終了して、いちばん驚いているのはJガールのあねさんではないのかとも思われる次第であるが、あねさんからはきのう、こんなコメントを頂戴した。

1月13日:鬼神の哄笑が聞こえる > 名張の皆様ありがとうございました

Jガールのあねさんとて、はじめて赤岩尾神社に立ったときには、まさか半年後の1月12日、日の暮れた神社の境内で、肌を刺すような寒さのなか、長くつらい待ち時間を耐えてくれていた獅子舞関係者にようやく出番が訪れ、三体の獅子舞がエグザイルふうに踊るという意想外な演出プランが展開されたあと、ついにクライマックス、般若の面をつけた狂女の周囲を獅子舞三体が輪を描いてぐるぐるまわる、などというシーンが撮影されることになろうとは、夢にも思っていらっしゃらなかったはずである。

いやまあ、ついおとといのことなのに、あの狂女と獅子舞による夢幻的なシーンばかりは、文字どおり夢まぼろしのようなものとして思い返される。この世で現実に起きたことだとは、とても思えない。獅子舞の動きは演出レベルのアイデアによるもので、脚本では具体的なことにはいっさいふれていなかったのだが、面白い演出にしあげてもらえたことがありがたい。ついでに記しておくと、脚本が完成したのは、構想半年、執筆半日、1月5日のことであった、と思っていたのだが、いま確認したところ、第一稿の提出が12月30日、決定稿の完成が1月5日のことであった。おなじく1月5日、名張市からメディアに提出するニュースリリース用に、と依頼され、あわてて書きなぐった映画の内容紹介がこれ。

   
赤岩尾神社は三重県名張市滝之原の山中にある。社殿はなく、巨大な岩盤を神体として祀った不思議な神社である。何かに導かれるように神社を訪れた男と女は、境内の異様な雰囲気に立ちすくむ。些細なきっかけで諍いを始めた二人は、やがて容赦のない応酬の果てに……。現実と異界が交錯した世界に、女、男、神、鬼、犬が入り乱れて「笑いと平和」のドラマをくりひろげる。

そんなこんなで、年末から年始にかけて、この名張市をノンバーバル映画「鬼 The Oni」が台風のように通りすぎていった、といった印象である。Jガールのあねさんもコメントにお書きのとおり、この台風に快くまきこまれていただいたみなさんには、感謝のことば以外なにもない。うちあげの席であらためてお礼を申しあげることになるはずだが、きのう、名張市役所で確認したところでは、と書いて思い出したのだけれど、撮影を手伝ってくれた四人の市職員のうち三人には、きのう市役所内で礼を述べることができたのだが、ひとりだけ、市役所から離れた市史編さん室勤務のスタッフがいて、それにしても名張市史はいつ刊行がはじまるのか、名張市には市史を出版することの意味が理解できておらんのではないか、まったく困ったものである、みたいなことはともかくとして、きのうはなにしろ右足親指の肉に食いこんだ巻き爪を金属製の小さなへらのようなものでピッ、ピッ、ピッとほじくり返しえぐり出してもらうのに予想外に時間がかかり、市役所に到着したのが夕刻かなり遅い時間になってしまったので、市史編さん室には足を運べず、したがっていまだに謝意を表することのできていない職員がひとり存在しているわけなのであるが、そんな話はこのさいだから横においておくことにして、とにかくきのう市役所で確認したところでは、市役所のごくごく一部で天満の但馬屋が話題になっているらしい。1月9日夜、Jガールのあねさんならびに映像関係スタッフと、脚本にもとづいて打ち合わせをした店である。近く催されるはずの大阪でのうちあげは、この但馬屋を会場にしてもいいのだが、しかしやっぱり、炭火焼肉たむらでやるのが本来ではないのか、という気もする。じつに悩ましい問題である。
PR
きのう、名張市内でノンバーバル映画「鬼 The Oni」の撮影がおこなわれた。赤岩尾の鬼神のよみしたまうところであったのだろう、神に祝福されたような一日となった。とはいえ、神は神でも国津神、まつろうことのない荒ぶる神である。祝福の作法はいささか手荒かった。

撮影は午前7時30分、近鉄大阪線上本町駅のトイレでスタートした。改札に舞台を移し、8時50分発の鳥羽行き特急内でも撮影を継続。9時42分、名張駅で下車し、駅西口でもカメラがまわされた。ついで、三重交通の10時10分発敷津行きバスに乗車し、車中で撮影。10時30分、インフォーメーションセンター前で下車して、いよいよ滝之原の赤岩尾神社へ。

冬の赤岩尾神社は、死に絶えたような静寂に支配され、無彩色の冷たい大気に封じられる、とおとといのエントリに記したが、そんなものではなかった。赤岩尾神社は雪に包まれていた。朝、神社へ向かって伊賀広域農道に自動車を走らせたところ、雪が降りはじめた。路面に黒く残っていたわだちのあとが次第に白くなってゆく。長いのぼり坂でタイヤが空転し、視界も頭のなかもまっしろに鎖されてゆく感覚をおぼえた。これはだめかもしれんな、と思わざるをえなかった。白一色の景色を圧して、赤岩尾の鬼神の哄笑がたしかに聞こえるような気がした。

予想もしなかった雪は、鬼神の手荒い祝福であった。一時は撮影ができるのかどうかすら案じられたが、赤岩尾神社境内の小屋で大阪からのキャスト、スタッフと合流し、雪のことを尋ねると、おかげで明るくてクリアな絵が撮れる、とのことである。境内の雰囲気は、いやがうえにも神秘的である。ひと安心し、そういえば、と思い返した。さっき耳にした鬼神の哄笑には、悪意はみじんも感じられなかった。そう思い当たって、雪こそは鬼神からもたらされたなによりのプレゼントであり、鬼神が映画の撮影を祝福してくれているらしいと気がついた。

赤岩尾神社での撮影は午前11時30分に開始。午後1時からメディアの取材があった。

伊賀タウン情報YOU:たむらけんじさんらが映画撮影 地元住民も参加 名張市滝之原の赤岩尾神社で

午後1時30分、撮影を再開し、4時でいったん終了。上小波田の観阿弥顕彰碑公園、と昔は称していたのだが、いまは観阿弥ふるさと公園と呼ばれているスポットに移動して、4時30分に撮影スタート、とスケジュール表にはあるのだが、時間は予定よりやや押していたと記憶する。そしてこの能舞台で、思いがけないトラブルが発生した。致命的なトラブルである。しかし、絶望する必要などまるでない。滝之原から上小波田に場所が移ったとはいえ、赤岩尾の鬼神の通力は能舞台にもおよんでいるはずである。

ところで当方、映画の撮影に立ち会いはしたのだが、用事などなにもない。スタッフやキャスト、スペシャルサポーターがあわただしく動きまわる撮影現場の、あるいは「鬼 The Oni」という映画そのものの、いってみれば精神的支柱として存在していた次第である。だからトラブルが発生したときにこそ、精神的支柱としての器量が問われる。赤岩尾の鬼神の加護のもと、状況を的確に判断し、最善の道を決定し、素早く指示を出し、多少のロスタイムこそ出たものの、無事に撮影を続行することができた。

午後6時には能舞台での撮影を終えている予定だったが、時間はさらに押してしまった。赤岩尾神社でふたたび撮影が開始されたのは、午後8時ころではなかったか。かがり火のなかで撮影が進められ、予定を一時間半もオーバーして、終了したのは午後9時30分のことであった。かがり火が消され、照明が落とされて、赤岩尾神社が闇と静寂に包まれてゆく。鬼神に祝福された一日が終わった。

そんなこんなで、今回の映画撮影にあたっては、多くの名張市民にまきこまれていただいた。滝之原住民のみなさん、わけても上出、中出、下出の三地区で伝統を受け継いでいる獅子保存会のみなさん、名張能楽振興会のみなさん、それから名張市ならびに名張市教育委員会の職員のみなさん、ほかにもさまざまなご協力を頂戴したすべてのみなさんに、この場で深甚なる謝意を表しておく次第である。どなたにも赤岩尾の鬼神のとこしえの加護がもたらされることを祈りつつ。
去年の夏、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」の企画書を提出した時点では、そのあとつづけて脚本をしあげ、間をおかず撮影に入ることになっていた。まだ暑いうちに、撮影がおこなわれるはずであった。夏ならば、赤岩尾神社はまだ絵になる。青い空があり、山の緑が映え、陽の光のきらめきが降りそそぐ。しかし、事情や理由はいっさいわからないのだが、ノンバーバル映画の企画そのものが一時的にストップしてしまった。ふたたび動きだしたのは、去年の秋から冬にかけてのことである。撮影は年明けにならざるをえない、ということになった。冬の赤岩尾神社は、死に絶えたような静寂に支配され、無彩色の冷たい大気に封じられる。映画の撮影にはもっとも不向きな季節に、「鬼 The Oni」の撮影を進めなければならなくなった。

昨年12月7日、日曜日、映画のロケハンをおこなった。おだやかな好天に恵まれた。永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんとディレクターが自動車で名張入りし、地元スタッフと合流。滝之原の赤岩尾神社に立ち寄り、現場の状況を確認した。そのあと、なぜそういうことになったのかよく思い出せぬのだが、上小波田にある観阿弥顕彰碑公園にも足を伸ばした。毎年11月に催される観阿弥祭の会場である。いい能舞台があるから、ここでも撮影しようということになった。またひとつ、足かせが追加されたわけである。映画に能舞台を登場させる、という足かせである。この時点では、まだ脚本はできあがっていなかった。というか、書きはじめてもいなかった。能舞台という名の足かせが、胃のあたりを重く圧してくるのが感じられた。

12月26日、お役所の仕事納めの日であったが、Jガールのあねさんがまた名張市へいらっしゃった。関係方面から撮影許可をとりつけるなど、いくつかの雑務を片づけるためである。そのひとつに、撮影当日の移動用車両の手配があった。事前にあねさんからメールで連絡を受けていたので、この日の午前、あねさんのパシリとして名張市役所に赴いた。しかるべきセクションを訪ねると、翌日から年末年始の九連休という日ではあり、きょうのお昼はうなぎなんです、と職員諸君もどこかうれしげである。じつはきょうかぎりで、定年を待たずに退職することにいたしまして、とわざわざ挨拶しにきてくれるベテラン職員もあった。

移動用車両の話を切りだすと、撮影当日は名張市の公用車が二台あいているという。その二台の公用車を利用することにした。公用車ゆうたら、車体に広告が入ってるやつか、と尋ねると、はい、そうです、との返事である。そしたら、味ふく、とかゆうて広告が入ってるのか、と重ねて尋ねると、いえ、味ふくの広告は入ってません、とのことである。まあいい。なにがいいのだかよくわからんのだが、とにかく公用車二台、撮影当日に使用することになった。名張市民各位に報告とお礼を申しあげる次第である。

Jガールのあねさんはこの日夕刻、名張市役所に到着し、教育委員会を訪れて、観阿弥顕彰碑公園にある能舞台の使用許可にかんする手続きを済ませた。赤岩尾神社での撮影にかんしては、神社の土地は滝之原区の所有らしいから、滝之原区長に話を通しておくように、と事前に連絡しておいたので、あねさんはこの日、まず滝之原区長に面会し、協力を要請して快諾を得てきたという。そして、もしも必要だったら、地元の獅子舞三体がいくらでも出演してくれるそうです、区長さんがそうおっしゃってくれました、ともいう。たいまつも無料でつかわせてもらえるそうです、とのことでもあった。そうかそうか、地元獅子舞かよ、たいまつかよ、またしても足かせかよ、と思った。その足かせは胃のあたりを重く重く圧してきて、この先いくら待っても、明るいお正月などは永遠に訪れぬであろうと観念された。

本日の小春ちゃん写真館。

20090111a.jpg

昨年8月20日、散歩の途中で、夕焼けの光を浴びながら大きいほうをしているところである。じつに思慮深げなふぜいである。
1月3日、大阪は梅田で開かれたさる新年会に顔を出した。いま大阪で酒を飲むのなら、天満か福島が面白い。安くてうまい店がたくさんある。そんな話が出た。きのう、また大阪で飲む機会があったので、3日の新年会で耳にした天満の但馬屋という店に行ってみた。居酒屋である。焼き鳥なんかをさかなに熱燗をあおったのであるが、ちょうどそのころ、吉本興業所属の中田カウス師匠が、なんばグランド花月にほど近い交差点で金属バットをもった暴漢に襲われていたとは知らなんだ。

スポーツニッポン:カウス暴漢に襲われる、同乗の女性芸人は無事(1月10日)
ニュース速報+@2ch掲示板(魔物):【社会】中田カウスさんが車で信号待ちをしていたところ、覆面の男に襲われ顔に軽傷を負う - 大阪(1月10日)

さて、天下の吉本興業が所属タレント百人を動員して撮影を進めているノンバーバル映画の話題である。たむらけんじさんが監督を務める映画のモチーフは、永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんの手で着々とかためられていった。赤岩尾神社、鬼、犬、それから、演者としてのたむけん。ここに、女優をひとり加えたい、という。いったのはもちろん、Jガールのあねさんである。去年の夏のことであった。これだけのモチーフで、脚本を書いてくれ、とあねさんはいう。

無理難題である。ノンバーバル映画における吉本興業のねらいは、いうまでもなく海外進出である。とりわけアジアである。ことばを使用しない映画で言語の壁をクリアし、吉本の笑いを世界に手広く輸出したいというのが、強欲無比な吉本商法のめざすところなのである。たぶん、そうだと思う。こうした場合、赤岩尾神社などと場を特定してしまうのは、あきらかに得策ではない。むしろ足かせである。モチーフを詰めこめば詰めこむほど、脚本が消化不良を起こしてしまうことは眼にみえている。

これが、たとえば京都の平安神宮だというのであれば、話は容易に成立するはずである。日本を代表する神道の聖地にして観光スポットである、との前提に立てるからである。しかし、映画の舞台として、名張市などという名も知れぬ土地の赤岩尾神社などというえたいの知れない神社をわざわざ特定するのであれば、まずそのことの説明が必要になる。わけのわかんない前衛映画をつくるわけではないのだから、観客の納得を得たうえで話を進める必要がある。その納得を、わずか五分間のノンバーバル映画でどうやって獲得すればいいのか。

これが、バーバルな映画であれば、いくらだってやりようはある。日本人を対象に、日本語でナレーションを流したり、日本語のテロップを入れたりすれば、ごく簡単に説明できてしまう。観客の納得なんてものは、あっというまに得ることができる。しかし、ノンバーバルである。聴覚的にも、視覚的にも、日本語はいっさい使用できないのである。しかも、時間はわずか五分しかない。

まさしく無理難題である。犬にしたってそうである。かりに、うちの犬がたむらけんじさんの尻に噛みつく、などというシーンを脚本に書いてみたところで、そんなことは実際にはできっこない。これが、専門的な訓練を受けた犬であれば、話は別である。警察犬のごとく人の腕に思いきり噛みついて、命令があるまで死んでも放さない、みたいなことは可能である。しかし、うちの犬ときた日には、訓練と呼べるようなものはいっさい受けていない。ふと思い立って赤岩尾神社へ初詣にでかけてみれば、聖域でいきなり放尿し、あまつさえ脱糞までしそうになる犬なのである。きのうも写真を掲載したけれど、昨年8月21日の散歩のときなんて、もうこんなんだったのである。ばかなのかこいつは。ほんっとに大丈夫か。

20090110a.jpg

しかし、脚本を書いてくれ、とJガールのあねさんはいったのである。たしか、名張市榊町の番じゃ屋敷でいったのである。脚本はまだいいから、これこれの日までに企画書を出すように、とJガールのあねさんが番じゃ屋敷でいったのである。Jガールのあねさんは、赤岩尾神社で写真を撮ったら鬼女みたいな顔で写っていたというあねさんなのである。断れるわけがない。

それに、考えてみれば、名張市をここまでお引き立ていただけるというのは、じつにありがたいことである。ありえないことである、といってもいいであろう。こんな話、いったいどこのだれがもってきてくれるというのか。名張市がいくら切望懇願哀訴したところで、映画の舞台につかってやろうなどという話が、むこうから転がりこんでくることなんてまずありえない。たとえわずか五分間の作品であっても、映画の舞台になるというのは、名張市にとって願ってもないチャンス、夢のような話なのである。

逡巡している場合ではあるまい。Jガールのあねさんからいわれたとおり、ノンバーバル映画の企画書一枚、大急ぎででっちあげ、締切当日に吉本興業へメールで送信した。企画書のデータをみてみると、作成したのは昨年7月24日となっている。

20090110b.jpg

タイトルは「鬼 The Oni」とした。この時点では女優が決まっていなかったので、出演者四人の写真のうち一点がブランクになっている。いちばんうえの写真は、たむらけんじさんが小道具に使用している獅子舞の獅子頭である。
本日の小春ちゃん写真館。撮影データを調べてみると、撮ったのは昨年8月21日。大地と草の感触が心地よかったから、背中をこすりつけて無邪気に喜んでいたのであろうか。あるいは、炎暑の日中にあちこち引きずりまわされるのがほとほといやになったので、なりふりかまわずそこらに寝っ転がって、もうどうにでもしろ、さあ殺しやがれッ、とわめいていたのであったか。去年の夏は死ぬほど暑かったから、記憶もいまやさだかではない。

20090109a.jpg

さて、おとといのつづきである。『たむらけんじの東京で売れてる芸人犬に噛まれろ!!』という本のことは、まるで知らなかった。いまでも知らないのだが、とにかく、この書名が頭のなかでひらめいた、ということではなかったのか。だれの頭のなかか。いうまでもなく、永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんの頭のなかである。

永遠のJガールさんからは、きのう、当ブログにコメントをいただいた。

1月7日:犬は人口に含みません > 主演女優にご挨拶に行きました。

去年、赤岩尾神社を訪ねた。境内で写真を撮ってもらった。どの写真でも自分は鬼女のような顔に写っていた。なんとスピリチュアルな場所かと感動した。だからここで映画を撮ろうと考えた。そんなようなことを、Jガールのあねさんはお書きである。おそらくこの時点では、『たむらけんじの東京で売れてる芸人犬に噛まれろ!!』のことは、あねさんの頭のなかでいまだひらめいていなかったものと推察される。

映画というのは、この映画祭に出品するための作品である。

日経トレンディネット:吉本興業が沖縄映画祭を開催 映画界へ打って出る狙いとは(2008年12月3日)

3月19日から22日まで開かれる吉本興業の沖縄国際映画祭2009には、短編・ノンバーバル部門というジャンルがある。ノンバーバルはnon-verbal、要するに、ことばをもちいない、といった意味であるが、今回の吉本興業によるノンバーバル映画は、時間は五分以内、非言語映像によって「笑える」「面白い」を競う、と規定されている。監督を務めるのは、吉本興業にあまた所属するタレントのうち百人。つまり、百本の映画が制作されることになる。

吉本興業の内部事情はまったくわからぬのだが、Jガールのあねさん、吉本興業の社員としてノンバーバル映画に携わることになったらしい。なんというのか、ひとことでいえば裏方で、たむらけんじさんが監督する作品の担当である。

Wikipedia:たむらけんじ

そういう事情があったがゆえに、Jガールのあねさん、赤岩尾神社を訪れても、あ、ここで映画を撮ろうかな、といった方向にたちまち考えが走っていったのではあるまいか。あるいは、たむらけんじさんの著書のタイトルから、あ、たむけんが犬に噛まれたら面白いかも、という思いつきがすぐさま浮かんできたのではなかったか。なにしろ、ノンバーバルである。せりふがない。日本語がつかえない。しかし、たむらけんじさんが尻のあたりをいきなり犬に噛まれたら、非言語映像によって「笑える」や「面白い」を追求する表現ということになるから、ノンバーバル映画が成立するのではないかしら、みたいなことを、Jガールのあねさんはたぶんお考えになったのであろうなと推測される。

そこでJガールのあねさん、うちの小春あねさんに向けて、誘惑の白羽の矢を一直線に放ってくれたということではなかったのかしら、と飼い主は思う。
どうも気になるので朝っぱらから、朝っぱらというよりまだ暗いうちから、というか午前3時に起き出して、名張市における去年一年の人口動態をながめてみた。

名張市公式サイト:名張市の紹介

きのうとおなじく、このページにリンクが設定されている「町別人口表バックナンバー」を開いて、昨年一年間のデータを地区ごとにチェックした。地区というのは、名張地区とか、桔梗が丘地区とかいうときの、あの地区である。町別人口表は、昨年3月に希央台が加わって、全部で二十地区にわかれている。

きのう、名張市全体の人口と世帯数の推移を調べたとき、もう少し細かく地域別にチェックしたほうがいいかな、と思ったのが運のつき。午前3時に起き出してくる仕儀とはなったのだが、なんか疲れてしまったので、このデータからなにを読みとるか、その判断はご閲覧各位におまかせすることとする。もっとも、人口や世帯数などは指標のひとつにすぎないのだから、きのうも記したとおり、この数値だけにもとづいて断定的な結論を出すのは賢明なことではないと思う。

データには、今年1月1日の人口と世帯数も記載し、昨年1月1日の数値と比較した。また、今年1月の時点における一世帯あたりの人数、つまり地区ごとの「人口/世帯数」の平均値を、「世帯平均」として掲げた。

試みに、全二十地区の世帯平均人数を、多いほうから順に列記しておく。

梅が丘    3.154人
桔梗が丘西  3.030人
春日丘    2.992人
百合が丘   2.909人
錦生     2.868人
つつじが丘  2.743人
比奈知    2.741人
薦原     2.725人
富貴ヶ丘   2.718人
すずらん台  2.675人
赤目     2.669人
美旗     2.643人
蔵持     2.623人
箕曲     2.502人
桔梗が丘南  2.493人
国津     2.453人
桔梗が丘   2.449人
名張     2.267人
鴻之台    1.996人
希央台    1.894人

鴻之台と希央台という新しい、というか、一部にはマンション村と揶揄する向きもある街区をのぞけば、名張地区の世帯平均人数がもっとも少なく、桔梗が丘地区がそれに次ぐ。この数値には、いわゆる独居老人の多さが反映されているとみるべきであろう。

それでは、両眼が痛くなるほど苦労して作成したデータをごらんいただく。▼はマイナス、△はプラスを示している。

名張
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 7,013人(△003) 3,064世帯(△000
02月 7,003人(▼010) 3,061世帯(▼003)
03月 6,750人(▼253) 2,922世帯(▼139)
04月 6,707人(▼043) 2,917世帯(▼005)
05月 6,731人(△024) 2,933世帯(△016)
06月 6,748人(△017) 2,948世帯(△015)
07月 6,746人(▼002) 2,949世帯(△001)
08月 6,758人(△012) 2,951世帯(△002)
09月 6,739人(▼019) 2,950世帯(▼001)
10月 6,742人(△003) 2,947世帯(▼003)
11月 6,743人(△001) 2,958世帯(△011)
12月 6,739人(▼004) 2,966世帯(△008)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
6,724人(▼289) 2,966世帯(▼98) 世帯平均2.267人

希央台
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月
02月
03月 337人(△00 171世帯
04月 344人(△07) 176世帯(△05)
05月 344人(00) 176世帯(00
06月 350人(△06) 180世帯(△04)
07月 361人(△11) 184世帯(△04)
08月 370人(△09) 190世帯(△06)
09月 379人(△09) 196世帯(△06)
10月 397人(△18) 208世帯(△12)
11月 408人(△11) 215世帯(△07)
12月 419人(△11) 222世帯(△07)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
430人(△93) 227世帯(△56) 世帯平均1.894人

鴻之台
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 1,134人(▼14) 557世帯(▼06)
02月 1,133人(▼01) 556世帯(▼01)
03月 1,168人(△35) 582世帯(△26)
04月 1,194人(△26) 599世帯(△17)
05月 1,228人(△34) 625世帯(△26)
06月 1,248人(△20) 637世帯(△12)
07月 1,267人(△19) 647世帯(△10)
08月 1,268人(△01) 644世帯(▼03)
09月 1,270人(△02) 642世帯(▼02)
10月 1,263人(▼07) 637世帯(▼05)
11月 1,279人(△16) 642世帯(△05)
12月 1,289人(△10) 651世帯(△09)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
1,294人(△160) 648世帯(△91) 世帯平均1.996人

蔵持
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 4,104人(00) 1,558世帯(▼01)
02月 4,104人(△00) 1,563世帯(△05)
03月 4,105人(△01) 1,556世帯(▼07)
04月 4,100人(▼05) 1,553世帯(▼03)
05月 4,086人(▼14) 1,551世帯(▼02)
06月 4,068人(▼18) 1,544世帯(▼07)
07月 4,068人(△00) 1,547世帯(△03)
08月 4,077人(△09) 1,550世帯(△03)
09月 4,082人(△05) 1,550世帯(△00
10月 4,064人(▼18) 1,546世帯(▼04)
11月 4,054人(▼10) 1,547世帯(△01)
12月 4,054人(△00) 1,544世帯(▼03)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
4,054人(▼50) 1,545世帯(▼13) 世帯平均2.623人

梅が丘
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 7,364人(▼01) 2,270世帯(△00
02月 7,360人(▼04) 2,276世帯(△06)
03月 7,342人(▼18) 2,274世帯(▼02)
04月 7,254人(▼88) 2,269世帯(▼05)
05月 7,254人(△00) 2,272世帯(△03)
06月 7,256人(△02) 2,275世帯(△03)
07月 7,246人(▼10) 2,279世帯(△04)
08月 7,255人(△09) 2,286世帯(△07)
09月 7,257人(△02) 2,287世帯(△01)
10月 7,239人(▼18) 2,285世帯(▼02)
11月 7,238人(▼01) 2,290世帯(△05)
12月 7,236人(▼02) 2,295世帯(△05)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
7,226人(▼138) 2,291世帯(△21) 世帯平均3.154人

薦原
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 2,178人(▼04) 782世帯(▼01)
02月 2,175人(▼03) 782世帯(△00
03月 2,170人(▼05) 782世帯(△00
04月 2,161人(▼09) 779世帯(▼03)
05月 2,167人(△06) 782世帯(△03)
06月 2,168人(△01) 781世帯(▼01)
07月 2,179人(△11) 791世帯(△10)
08月 2,178人(▼01) 794世帯(△03)
09月 2,179人(△01) 794世帯(△00
10月 2,183人(△04) 796世帯(△02)
11月 2,188人(△05) 801世帯(△05)
12月 2,187人(▼01) 801世帯(△00
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
2,191人(△13) 804世帯(△22) 世帯平均2.725人

美旗
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 8,994人(△10) 3,354世帯(△11)
02月 8,987人(▼07) 3,356世帯(△02)
03月 8,995人(△08) 3,367世帯(△11)
04月 8,992人(▼03) 3,374世帯(△07)
05月 8,972人(▼20) 3,372世帯(▼02)
06月 8,961人(▼11) 3,366世帯(▼06)
07月 8,950人(▼11) 3,367世帯(△01)
08月 8,953人(△03) 3,368世帯(△01)
09月 8,951人(▼02) 3,365世帯(▼03)
10月 8,959人(△08) 3,376世帯(△11)
11月 8,925人(▼34) 3,368世帯(▼08)
12月 8,940人(△15) 3,380世帯(△12)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
8,933人(▼61) 3,379(△25) 世帯平均2.643人

比奈知
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 1,685人(▼02) 604世帯(△00
02月 1,687人(△02) 608世帯(△04)
03月 1,682人(▼05) 606世帯(▼02)
04月 1,667人(▼15) 601世帯(▼05)
05月 1,674人(△07) 606世帯(△05)
06月 1,671人(▼03) 605世帯(▼01)
07月 1,667人(▼04) 603世帯(▼02)
08月 1,666人(▼01) 604世帯(△01)
09月 1,665人(▼01) 604世帯(△00
10月 1,658人(▼07) 602世帯(▼02)
11月 1,655人(▼03) 601世帯(▼01)
12月 1,651人(▼04) 601世帯(△00
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
1,656人(▼29) 604世帯(△00) 世帯平均2.741人

富貴ヶ丘
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 3,585人(△28) 1,300世帯(△12)
02月 3,579人(▼06) 1,299世帯(▼01)
03月 3,580人(△01) 1,304世帯(△05)
04月 3,586人(△06) 1,308世帯(△04)
05月 3,599人(△13) 1,317世帯(△09)
06月 3,583人(▼16) 1,313世帯(▼04)
07月 3,588人(△05) 1,314世帯(△01)
08月 3,596人(△08) 1,319世帯(△05)
09月 3,589人(▼07) 1,318世帯(▼01)
10月 3,593人(△04) 1,317世帯(▼01)
11月 3,600人(△07) 1,323世帯(△06)
12月 3,595人(▼05) 1,324世帯(△01)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
3,586人(△1) 1,319世帯(△19) 世帯平均2.718人

すずらん台
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 4,006人(▼06) 1,459世帯(▼02)
02月 3,997人(▼09) 1,464世帯(△05)
03月 4,001人(△04) 1,466世帯(△02)
04月 3,985人(▼16) 1,466世帯(△00
05月 3,983人(▼02) 1,470世帯(△04)
06月 3,974人(▼09) 1,470世帯(△00
07月 3,989人(△15) 1,476世帯(△06)
08月 3,992人(△03) 1,478世帯(△02)
09月 3,990人(▼02) 1,481世帯(△03)
10月 3,985人(▼05) 1,484世帯(△03)
11月 3,980人(▼05) 1,485世帯(△01)
12月 3,978人(▼02) 1,486世帯(△01)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
3,973人(▼33) 1,485世帯(△26) 世帯平均2.675人

つつじが丘
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 10,687人(△09) 3,822世帯(△07)
02月 10,701人(△14) 3,831世帯(△09)
03月 10,700人(▼01) 3,840世帯(△09)
04月 10,610人(▼90) 3,831世帯(▼09)
05月 10,600人(▼10) 3,839世帯(△08)
06月 10,597人(▼03) 3,837世帯(▼02)
07月 10,602人(△05) 3,841世帯(△04)
08月 10,587人(▼15) 3,841世帯(△00
09月 10,591人(△04) 3,843世帯(△02)
10月 10,590人(▼01) 3,852世帯(△09)
11月 10,582人(▼08) 3,848世帯(▼04)
12月 10,576人(▼06) 3,853世帯(△05)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
10,581人(▼106) 3,857世帯(△35) 世帯平均2.743人

春日丘
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 665人(△04) 220世帯(△01)
02月 673人(△08) 223世帯(△03)
03月 686人(△13) 226世帯(△03)
04月 693人(△07) 229世帯(△03)
05月 699人(△06) 231世帯(△02)
06月 705人(△06) 234世帯(△03)
07月 710人(△05) 235世帯(△01)
08月 717人(△07) 237世帯(△02)
09月 723人(△06) 240世帯(△03)
10月 730人(△07) 242世帯(△02)
11月 736人(△06) 246世帯(△04)
12月 753人(△17) 253世帯(△07)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
757人(△92) 253世帯(△33) 世帯平均2.992人

錦生
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 2,075人(▼07) 709世帯(▼01)
02月 2,069人(▼06) 708世帯(▼01)
03月 2,059人(▼10) 705世帯(▼03)
04月 2,054人(▼05) 707世帯(△02)
05月 2,057人(△03) 708世帯(△01)
06月 2,053人(▼04) 709世帯(△01)
07月 2,058人(△05) 710世帯(△01)
08月 2,057人(▼01) 713世帯(△03)
09月 2,056人(▼01) 717世帯(△04)
10月 2,052人(▼04) 717世帯(△00
11月 2,046人(▼06) 715世帯(▼02)
12月 2,043人(▼03) 715世帯(△00
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
2,051人(▼24) 715世帯(△6) 世帯平均2.868人

赤目
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 4,263人(▼09) 1,584世帯(△00
02月 4,261人(▼02) 1,581世帯(▼03)
03月 4,255人(▼06) 1,580世帯(▼01)
04月 4,243人(▼12) 1,580世帯(△00
05月 4,230人(▼13) 1,578世帯(▼02)
06月 4,232人(△02) 1,578世帯(△00
07月 4,227人(▼05) 1,580世帯(△02)
08月 4,226人(▼01) 1,581世帯(△01)
09月 4,224人(▼02) 1,585世帯(△04)
10月 4,214人(▼10) 1,585世帯(△00
11月 4,221人(△07) 1,584世帯(▼01)
12月 4,214人(▼07) 1,582世帯(▼02)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
4,220人(▼43) 1,581世帯(▼3) 世帯平均2.669人

箕曲
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 3,963人(▼025) 1,557世帯(▼13)
02月 3,965人(△002) 1,563世帯(△06)
03月 3,817人(▼148) 1,497世帯(▼66)
04月 3,836人(△019) 1,510世帯(△13)
05月 3,866人(△030) 1,529世帯(△19)
06月 3,867人(△001) 1,531世帯(△02)
07月 3,871人(△004) 1,533世帯(△02)
08月 3,870人(▼001) 1,537世帯(△04)
09月 3,871人(△001) 1,542世帯(△05)
10月 3,870人(▼001) 1,544世帯(△02)
11月 3,878人(△008) 1,553世帯(△09)
12月 3,874人(▼004) 1,546世帯(▼07)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
3,892人(▼71) 1,555世帯(▼2) 世帯平均2.502人

百合が丘
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 6,975人(▼14) 2,356世帯(▼01)
02月 6,969人(▼06) 2,354世帯(▼02)
03月 6,966人(▼03) 2,358世帯(△04)
04月 6,935人(▼31) 2,352世帯(▼06)
05月 6,933人(▼02) 2,356世帯(△04)
06月 6,922人(▼11) 2,356世帯(△00
07月 6,929人(△07) 2,359世帯(△03)
08月 6,924人(▼05) 2,363世帯(△04)
09月 6,913人(▼11) 2,362世帯(▼01)
10月 6,922人(△09) 2,372世帯(△10)
11月 6,936人(△14) 2,379世帯(△07)
12月 6,937人(△01) 2,381世帯(△02)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
6,946人(▼29) 2,387世帯(△31) 世帯平均2.909人

国津
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 892人(▼01) 358世帯(△1)
02月 887人(▼05) 356世帯(▼2)
03月 885人(▼02) 353世帯(▼3)
04月 886人(△01) 352世帯(▼1)
05月 875人(▼11) 348世帯(▼4)
06月 872人(▼03) 348世帯(△0
07月 869人(▼03) 347世帯(▼1)
08月 866人(▼03) 348世帯(△1)
09月 869人(△03) 351世帯(△3)
10月 864人(▼05) 350世帯(▼1)
11月 862人(▼02) 350世帯(△0
12月 857人(▼05) 349世帯(▼1)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
849人(▼43) 346世帯(▼12) 世帯平均2.453人

桔梗が丘
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 9,266人(△00) 3,739世帯(△08)
02月 9,258人(▼08) 3,745世帯(△06)
03月 9,254人(▼04) 3,746世帯(△01)
04月 9,209人(▼45) 3,740世帯(▼06)
05月 9,242人(△33) 3,754世帯(△14)
06月 9,238人(▼04) 3,754世帯(△00
07月 9,212人(▼26) 3,740世帯(▼14)
08月 9,200人(▼12) 3,740世帯(△00
09月 9,204人(△04) 3,740世帯(△00
10月 9,224人(△20) 3,754世帯(△14)
11月 9,222人(▼02) 3,755世帯(△01)
12月 9,226人(△04) 3,762世帯(△07)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
9,232人(▼34) 3,769世帯(△30) 世帯平均2.449人

桔梗が丘南
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 1,534人(▼06) 604世帯(△0
02月 1,535人(△01) 607世帯(△3)
03月 1,527人(▼08) 607世帯(△0
04月 1,525人(▼02) 607世帯(△0
05月 1,521人(▼04) 608世帯(△1)
06月 1,519人(▼02) 609世帯(△1)
07月 1,510人(▼09) 604世帯(▼5)
08月 1,513人(△03) 605世帯(△1)
09月 1,512人(▼01) 604世帯(▼1)
10月 1,522人(△10) 608世帯(△4)
11月 1,511人(▼11) 604世帯(▼4)
12月 1,518人(△07) 607世帯(△3)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
1,516人(▼18) 608世帯(△4) 世帯平均2.493人

桔梗が丘西
平成20・2008年(かっこ内は前月比)
01月 3,304人(△10) 1,080(△4)
02月 3,316人(△12) 1,084(△4)
03月 3,321人(△05) 1,089(△5)
04月 3,319人(▼02) 1,092(△3)
05月 3,342人(△23) 1,100(△8)
06月 3,339人(▼03) 1,101(△1)
07月 3,339人(△00) 1,101(△0
08月 3,346人(△07) 1,103(△2)
09月 3,354人(△08) 1,105(△2)
10月 3,365人(△11) 1,110(△5)
11月 3,372人(△07) 1,114(△4)
12月 3,390人(△18) 1,119(△5)
平成21・2009年1月(かっこ内は前年同月比)
3,400人(△96) 1,122世帯(△42) 世帯平均3.030人

以上である。実証主義というやつも、これで結構たいへんである。
どうしてうちの犬が、あろうことか映画の主役を張るようなことになったのか、という話題に入るまえに、ちょっと気になったので調べてみた。

伊賀タウン情報YOU:地域と産業の活性化願う新年祝賀会 名張商工会議所

1月5日、名張商工会議所の新年祝賀会が催され、名張市長が来賓挨拶のなかで、「昨年3月以降、人口が増加に転じており」と述べたと報じられている。この発言の真偽をめぐる熱いバトルが、毎度おなじみ2ちゃんねる名張市政スレでくりひろげられているゆえに、ちょい気になって朝っぱらから調べてみた次第である。

名張市公式サイト:名張市の紹介

このページにリンクが設定されている「町別人口表バックナンバー」を開いて、昨年一年間のデータをチェックした。ちなみに、この場合の人口は、「住民基本台帳+外国人登録」によって算出されている。で、名張市全体の人口と世帯数の推移を、毎月1日を基準にして、月ごとにみてみる。かっこ内は前月比で、△はプラス、▼はマイナスを示す。

01月 83,687人(▼025) 30,977世帯(△019)
02月 83,659人(▼028) 31,017世帯(△040)
03月 83,600人(▼059) 31,031世帯(△014)
04月 83,300人(▼300) 31,042世帯(△011)
05月 83,403人(△103) 31,155世帯(△113)
06月 83,371人(▼032) 31,176世帯(△021)
07月 83,388人(△017) 31,207世帯(△031)
08月 83,419人(△031) 31,252世帯(△045)
09月 83,418人(▼001) 31,276世帯(△024)
10月 83,436人(△018) 31,332世帯(△056)
11月 83,436人(△000) 31,378世帯(△046)
12月 83,476人(△040) 31,437世帯(△059)

なんなんだこれは。人口の増減がどうこういう以前に、この増えつづける世帯数はいったいなんであるのか。そっちのほうに眼が奪われてしまう。人口が減った月も世帯数は順調に伸びている。こんなことがあるのか。世帯数の増減を町別に調べてみればいいのだろうが、きょうのところはそんな余裕はない。どうもようわからん、ということにしておくが、まあいずれにせよ、昨年一年間というごくごく短い期間の人口動態にもとづくだけでは、あまり断定的なこともいえないのではないかと思う。

ここで、昨年と今年の1月1日の数値を比較しておく。

平成20・2008年 83,687人 30,977世帯
平成21・2009年 83,511人 31,461世帯

一年間で、名張市の人口は176の減、世帯数は484の増、ということである。

さて、どうしてうちの犬が、あろうことか映画の主役を張るようなことになったのか、という話題である。なかには、そのわけを知りたい、とおっしゃるかたもおいでであろう。あるいは、なろうことならわが家の犬をこそ主役に、とはかない望みを抱いていらっしゃる向きもあるかもしれぬ。しかし、だめだめ、無理無理。なーにいってんの。そこらの駄犬がよりにもよって映画で主役を張ったりできるものかどうか、少し考えたらわかりそうなものじゃないの。しッ、しッしッ。

うちだって、それはもうたいへんなんだから。うちの犬に主役が張れるかどうか、飼い主としてはとっても不安。ほんっとに不安。だいたい、なんつーのか、うちの犬って、もしかしたらばか? とか飼い主みずからがときどき思ってしまうくらいなんだから、ほんとにたいへんなんだけど、でも、ほかの犬はだめ、無理。うちの犬じゃなきゃ、絶対だーめ。ほかの犬は、しッ、しッしッ。

犬の話題になると人格が変わってしまうらしいな、という自覚がないでもないのだが、それはそれとして、結局まあ、映画出演のきっかけというのは、たぶん、たぶんというのもおかしな話だけれど、確たるところがわからないからこういうしかないのであるが、たぶん一冊の本、『たむらけんじの東京で売れてる芸人犬に噛まれろ!!』という一冊の本だったのではないかと思い返される。

ところで、犬を人口に含めて算出するならば、昨年一年間、うちの家は3月にプラスワン、11月にマイナスワン、トータルすればプラマイゼロであった。なーに罰あたりなこといってんだか。
新年も六日目。年末年始の九連休も終わって、お役所はきのうからお仕事である。さて、人間豹刺止鉤爪、にんげんひょうとどめのかぎづめの件であるが、とまいりたいところなれど、当ブログのコメント欄において元日以来、犬がどうの、映画がこうの、というやりとりがつづいていて、なんのことやらようわからん、とおっしゃるかたもおいでであろう。べつに秘密めかしているわけではない。簡単に説明しておく。

まず、この記事をお読みいただく。

日経トレンディネット:吉本興業が沖縄映画祭を開催 映画界へ打って出る狙いとは(2008年12月3日)

天下の吉本興業が3月19日から22日まで、沖縄のアメリカンビレッジとかいうところをメイン会場に、「沖縄国際映画祭2009」とやらを開催するというニュースである。コンセプトは「Laugh & Peace」、すなわち「笑いと平和」であると報じられている。むろん、「Love & Peace」のもじりであろう。

つぎは、このブログ記事。

永遠のJガール:女はだまって…やっちまったな!(2008年12月28日)

永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんがお書きのとおり、「沖縄国際映画祭に出品するショートムービーを年明けに三重県名張市で撮影することに」なっている。ショートもショート、あっという間か、ちょんの間か、上映時間わずか五分という超短篇なのだが、それでも映画にはちがいない。となると、主役はだれか、という問題が気にかかる。むろん観点によって異論も出てこようが、当方のみるところ、主役はまちがいなく、うちの犬である。赤岩尾の小春である。この犬なのであるが。

20090104a.jpg

コメント欄にも書いたことだが、うちの犬はコーギーなのにしっぽがある。コーギーには生後すぐ、断尾、つまりしっぽを切断する手術を施してやるのが一般的なのだが、うちの犬はそうした悪習をまぬがれていたため、太くて長いしっぽが感情をいきいきと表現する。それにまた、コーギーといえばキャラメル色の体毛を連想しがちだが、うちの犬は黒がメインである。しっぽも背中側が黒、腹側がキャラメル色、先端が白になっているから、みようによっては赤塚不二夫描いたところのウナギイヌに似ていないでもない。だが、両眼をみよ。眼のまわりは短く黒い体毛にくっきりふちどられていて、これはもうなんぴとにも、あの古代エジプトの少年王、ツタンカーメンの黄金のマスクを想起させずにはおかぬことであろう。なんと高貴な犬であることか。

しかし、しかし大丈夫か小春。主役、張れるか?
赤岩尾神社にかんしては、昨年、下記のエントリのコメントとしていささかを記した。

6月7日:再生委員会総会偽装瞞着伝

転載しておく。

   
何を隠そう赤岩尾神社こそはという話なのですが
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
するってえと、あれでしょうか。名張まちなか再生委員会の総会で委員長になれなかったのも、用意していった爆弾三発を投下できなかったのも、すべてこれ赤岩尾神社から吹いてきた神風のおかげであるということなのでしょうか。あるいは、そうかもしれません。なにしろあれはただならぬ神社で、われわれの知っている神社の概念から大きくはみ出したところがあります。露出した岩盤そのものが神体である、という一点だけをみてもおよそ規格外で、そこらにふつうに鎮座していらっしゃるお行儀のいい神様とは明らかに一線を画しています。ひとことでいえば、とても異様な神社です。
あのなんとも得体の知れない異様で奇怪な聖地にアプローチするには、おそらく二本の道があるはずです。そのひとつは、産鉄や金工、あるいは金属精錬といった側面から接近することでしょう。山中に社寺あれば付近にかならず鉱脈あり、というのはその筋の人たちに昔からいい伝えられていることだそうで、私の場合は若尾五雄という在野の研究者の著作でそのいい伝えを知ったのですが、あの神社は滝之原という集落から四キロほど入った山のなかに位置していて、まさしく人里離れた山中の社寺にほかなりません。
そもそもこの伊賀地域には、いわゆる金属神の痕跡というやつがあっちこっちに残されていて、たとえばいつかもお酒を飲みながらちょっとおはなししましたけど、伊賀市馬場の陽夫多(やぶた)神社に「だだ押し」という神事が伝わっています。寒中の一夜、裸の男衆がアヴィニョン橋でもないのに輪になって踊るという民俗行事なのですが、これが今年の2月、ひとたびウェブニュースで報じられるや、そこらの無知で不届きな2ちゃんねらーから、ハッテンバかよ、とかおちょくられたりしてしまいました。

産経新聞:裸の男が輪になり踊る 伊賀・陽夫多神社で奇祭「だだ押し」(2008年2月20日)
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/mie/080220/mie0802200231002-n1.htm

この記事には、「だだ押し」は「裸々(らら)押し」がなまったものとする神社側の見解が記されていますが、私見によればそうではなく、「だだ押し」の「だだ」は、地団駄を踏む、とかいうぐあいに使用される「じだんだ」と同根、つまり「蹈鞴(たたら)」の転だと思われます。たたらというのは金属精錬にもちいられる大型のふいごで、足で踏んで操作しますから、それが地団駄になり、だだ押しにもなったということではないかと考えられます。
われらが名張市の南部にも、金属神の足跡はむろん色濃く残っていて、たとえば赤岩尾神社の南西に位置する赤目四十八滝、この渓谷は修験道の道場として開かれたと伝えられているのですが、修験と金属の密接な関係性はよく知られたところであり、赤目というのは金属精錬の世界では砂鉄を意味することばだそうですから、赤目滝と金属との深い関連は疑いえないところでしょう。
赤岩尾神社の赤岩尾という、これもあんまりふつうではない社名にふくまれている赤ということばも、いうまでもなく金属とのかかわりを連想させるものです。また、赤といえば青、というわけでもないのですが、赤岩尾神社と赤目滝のあいだにはご存じの青蓮寺があって、ここにも金属神の足跡をたどることができそうに思われるのですが、ここでは省略しておくことにいたします。とにかく、あの赤岩尾神社には、いわゆる金属史観によるアプローチが可能であろうと考えられる次第です。
もうひとつのアプローチは、国津神というモチーフが手がかりです。一般には、日本神話に登場するあまたの神々を天孫系と土着系とに分類し、前者を天津神、後者を国津神と呼び慣わしているわけなのですが、これはむろん生身の人間の話でもあって、朝鮮半島からやってきた人間が天津神、それ以前からの先住民が国津神ということになります。新来の天津神に服従した国津神もあれば、いわゆるまつろわぬ民として叛逆した国津神もあって、赤岩尾神社は叛逆の道を選んだ国津神の拠点であったのではないかと推測されます。
赤岩尾神社のすぐ南には国津という地域があるのですが、この国津なる地名にはまたずいぶん端的に、土地と国津神との濃密な関係性が示されているといえます。国津という地名の由来については、大和の吉野川上流に住んでいた国栖(くず)族がなんらかの理由でこの地域に集団で移住し、「くず」がいつかしら「くにつ」に転じたとする説もあります。国栖族も先住民ですから、天津神に追われた国津神だとみることができるわけですが、その説の当否はどうあれ、国津地区には国津神社と呼ばれる神社が四社あり、国津以外にも、たとえば赤岩尾神社がある滝之原にも、あるいはご存じの青蓮寺にも国津神社が鎮座していますから、このあたり一帯は、ある系統の国津神が本拠としていた土地であったとみることが可能でしょう。
そうした観点から判断するならば、赤岩尾神社とはいったい何か。古代、この地において天津神と国津神との抗争のようなものがくりひろげられたと仮定した場合、国津神にとっての最後の拠点が赤岩尾神社だったのではなかったかということになります。赤岩尾神社は天然の要害と呼ぶべき場所に立地していて、木立のせいでわかりにくくなってはいるのですが、平地部を広く見渡せる地点にも位置しています。つまり、国津神を手がかりにアプローチしてみると、赤岩尾神社が位置しているあの場所は、国津神の砦とでも呼ぶべき場所ではなかったかとの推測がなりたつわけです。
で、金属精錬と国津神、このふたつから何を導けばいいのかというと、それはおそらく鬼でしょう。日本における鬼というのは非常に複雑な存在なのですが、その原型のひとつは、金属精錬にかかわりをもっていた一群の人間であり、さらにべつのひとつは、まつろわぬ民として権力から差別され迫害された一群の人間である、ということはいえるはずです。しかしこれでは、論述がなんともおおざっぱに過ぎるかもしれません。まあとにかく、本日はとりあえずこのあたりまで、以下はあしたということにいたしましょう。
2008/06/08(Sun)10:50:58

般若顔になれるスピリチュアルスポットということで
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
説明不足であるにもかかわらずすんなり呑みこんでいただけたみたいで、お礼を申しあげます。それをいいことに、論述のおおざっぱさは大目にみていただくことにして、とにかく鬼であると、赤岩尾神社には鬼が眠っているのだと、そういうことで先に進みます。鬼なるものについてお知りになりたい場合、まず最初にひもとかれるべきは馬場あき子さんの名著『鬼の研究』で、三一書房から出た単行本はとうに絶版になっておりますが、ちくま文庫版なら新刊で入手可能だと思います。鬼と金属とのかかわりは若尾五雄の『鬼伝説の研究──金工史の視点から』で知ることができますが、いま読むとしたら、三一書房の日本民俗文化資料集成第八巻『妖怪』に全篇が収録されていますから、これがいちばん手っ取り早いでしょうか。
それでまあ、赤岩尾神社という場所は、金属神であれ国津神であれ、何かしら畏怖すべき対象にかかわりの深い異様で奇怪な聖地として、ひそかに語り伝えられてきたスポットであったと推測されます。柳田國男の『遠野物語』の序文に、「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」というよく知られたフレーズがありますが、赤岩尾神社はまさに「物深き所」にあって、そこにまつわる伝承によって「平地人を戦慄せしめ」つづけた場であったと考えられます。山に拠って金属精錬に従事した異能の技術者集団であれ、朝鮮半島から渡来した民族に追われた先住民の集団であれ、のちに鬼と呼ばれることになる人間の痕跡が、赤岩尾神社には深く色濃く刻みつけられているはずです。
伊賀地域の鬼伝説といえば、朝廷にあだをなした逆賊、藤原千方につかえた四匹の鬼が著名で、上記の『鬼の研究』にも『鬼伝説の研究──金工史の視点から』にも言及がみられますが、千方と四鬼が本拠としていたのは、赤岩尾神社から東に進んだ伊賀市高尾のあたりとされており、千方は赤岩尾神社を崇信していたという伝承もあるほどですから、その点からも赤岩尾神社と鬼との関連は否定できません。というか、赤岩尾神社の境内には風穴と呼ばれるところがあって、いまでは内部に入れなくなっていますけれど、これは赤岩尾神社がかつて砦みたいな場所であった当時、そこから千方の本拠地あたりに通じていた抜け穴のなごりなのではないかとも推測される次第です。
なんか話が大きくなりすぎてしまいましたが、とにかく赤岩尾神社というのは、神社という様式についに収まることのなかった異様奇怪な聖地で、国津神の霊、あるいは鬼の魂、そういったものを封じ、鎮めた場であったと考えられます。あるいは、御霊信仰の原初の形態をみることすら可能かもしれません。その聖地に眠る霊だか魂だか、赤岩尾の鬼神とでも呼ぶべき存在が、私を守護し先導すべく名張まちなか再生委員会総会の会場に神風を吹き送ってくれたという筋立ては、鬼という存在に深いシンパシーを抱いている私にはよく首肯できるストーリーではあるのですが、そのあたりのことを記しているとまたえらく長くなってしまいますから、べつの機会にゆずりたいと思います。
にしても、赤岩尾神社で写真を撮ると鬼顔になる、というのはもう瞬時に、直観的に、これは行ける、と判断されるエピソードです。鬼顔といってしまうと直接的にすぎますけれど、最近では般若顔ということばもあるほどで、いやこれもなんだか艶のないネーミングではありますけど、クールビューティな般若顔というのはいまや美人の一典型だといえるでしょう。ですから、たとえばスケーターの荒川静香さんですとか、タレントの小雪さんですとか、あるいはセレブ妻バラバラ殺人事件で一躍名をはせたノコギリ妻こと三橋歌織さんですとか、ああいった感じの美人の代名詞である般若顔になってみたい、というお姉さんは大阪あたりには結構いらっしゃるのではないでしょうか。
そして、すみからすみまで計算され管理され、どこまでも健全で快適なアミューズメントに飽きてきたという向きには、名張の山中に赤岩尾神社という社殿なき神社があって、夏なお肌寒いような霊気めく冷気が漂う境内、木立は頭上で幾重にも枝を差し交わし、そこを透過してくる自然光のもとで写真を撮影してみたならば、あーら不思議、みんな鬼顔般若顔になっているではありませんか、なんて話はそこそこ訴求力をもっているのではないでしょうか。とくに当節、スピリチュアルな世界に関心を示すお姉さんは結構たくさんいらっしゃるようですから、赤岩尾神社を知られざるスピリチュアルスポットとして売り出すことも可能なのではないかと思われます。その旗振り役を芸人のみなさんにおつとめいただけるとなれば、これはまさしく鬼に金棒、ちょっと本気になって考えてみなければならないテーマかもしれませんけど、本日はこのへんまでとしておきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
2008/06/09(Mon)09:39:23

通り名を赤岩尾の小春と発するうちの犬は、名張市比奈知地区で生まれた。二男二女だったきょうだいは、遠いところでは信州あたりにもらわれてゆき、実家には両親だけが残って、飼い主一家と暮らしている。昨年末、その飼い主が写真をもってきてくれた。生後まもなく、まだ四匹のきょうだいが両親とともに暮らしていた当時、正確にいえば去年の1月12日に撮影されたものである。

20090103a.jpg

いちばん右で寝ているのが、乳幼児時代の赤岩尾の小春あねさん。昨年1月12日の時点では、ブルーベリーとかなんとか横文字の名前で呼ばれていたのだが、その一年後、赤岩尾の小春という通り名で赤岩尾神社に立つことになろうとは、お釈迦さまでも気がつかなかったはずである。有為転変は世のならい、じつに面白いものである。
赤岩尾神社について。昭和49・1974年刊行の『名張市史』から引く。

   
赤岩尾神社 旧無格社 滝之原
由緒は詳らかでないが、古くから「赤岩さん」の名で遠近から参詣する信者が多い。滝之原の集落から四キロ南方の山おく、大谷奥山とよぶ山腹にある。参道には岩洞あり、絶壁あり、境内には桜樹・楓多く、脚下に比奈知川の渓流を見おろす眺望絶佳の勝地である。祭神は火之迦具土神で愛宕神社と同神である。岩そのものが神体となっている。1月7日、8月7日の祭には参詣者が列をなし、花相撲なども催される盛祭であったが、いまは戦前の賑かさは見られない。
『三国地誌』に「赤岩尾山、小岩尾、仏山。山頂に岩窟あり。夷石・大黒石の名あり。また岩窟および屏風石、ともに奇岩なり」とあり、『伊賀国誌草稿』に「赤岩尾大神をまつる。祭日八月七日。社伝にいう、藤原千方の崇信するところなり。境内岩石草樹奇観を極む」とある。藤原千方は青山町高尾に籠って藤原政権に反抗した平安時代の貴族と伝えられるが、正史にその名がみえない。
明治41年10月21日、滝之原国津神社に合祀したが、区では今でも祭礼を行なっている。

夷石、ということばが気になる。夷は、えびす。赤岩尾神社には夷石、大黒石と呼ばれる石があったらしい。いまでもあるのかもしれないが、 よくわからない。えびす、だいこく、とワンセットで呼ばれることになったのは、もとより七福神信仰が定着して以降のことだろうが、夷石の起源はもっと古いのではないか。えびすということばが、福の神ではなく、異民族を意味していた時代の痕跡が、この呼称にとどめられているのではないのか。

手近な辞書で確認しておく。

大辞泉:えびす【戎・夷】

用例を省いて引用。

   
えびす【夷/戎】

《「えみし(蝦夷)」の音変化》
1 「蝦夷(えぞ)」に同じ。
2 都から遠く離れた未開の土地の人。田舎者。
3 情趣を解しない荒々しい人。特に、東国の荒くれ武士。あずまえびす。
4 異民族を侮蔑(ぶべつ)していう語。蛮夷(ばんい)。

大辞泉:えみし【蝦夷】

   
えみし【蝦夷】

「えぞ(蝦夷)」の古称。

大辞泉:えぞ【蝦夷】

   
えぞ【蝦夷】

1 古代、北陸・関東北部から北海道にかけて居住した人々。大和朝廷から異民族視され、大化の改新後は朝廷の征討によってしだいに北方に追われ、しばしば抵抗した。えみし。
2 →蝦夷地(えぞち)

まつろわぬ民、というやつである。まつろわぬ、というのは、服従しない、という意味であるが、大和朝廷に服従しようとせず、朝廷側から異民族視されたネイティブジャパニーズは、なにも東日本にばかり存在していたわけではない。古代における赤岩尾神社の地も、そうしたまつろわぬ民の拠点だったのではないかと考えられる。

まつろわぬ民が鬼になった、というのはよく説かれるところで、ざっと検索してみると、天下のNHKが二十年前、こんな番組をつくっていたらしい。きょうの話題にあまり関係はないのだが、まつろわぬ民と鬼伝説との関連を示す一例として、リンクを掲げておく。

NHKアーカイブス:保存番組検索 鬼伝説 ~まつろわぬ民の系譜~

内容紹介を引用。

   
節分には鬼が登場する。日本文化の「影」の部分を特徴づけるものがこの鬼。かつて日本人の生活にとって欠かせない存在であった。人間に危害を加える一方で人間に役立ち、邪悪なものを追い払う神のような存在であった。仏教伝来とともに邪悪な性格のみが強調され、そのイメージが現代まで受け継がれてきた。また、鬼は単なる創造の産物でなく、外界からの渡来者、権力に逆らい破れた者、社会から排除された者などを鬼と呼んで恐れた。都市化された社会から「闇」が消え、それとともに鬼の姿も見えにくくなっている。ここでは、闇に封じ込められてきた鬼たちの伝説に光をあて、日本人にとって鬼とは何だったのかを描く。

もっとも、赤岩尾神社に鬼伝説が語り伝えられている、といったことはない。冒頭に引いた『名張市史』の記述からも知られるとおりである。だが、それは、この内容紹介にならっていうならば、現代の人間に鬼の姿がみえなくなっているからにほかならない。犬の眼にはみえるかもしれないのだが、きのう犬とともに赤岩尾神社へ初詣にでかけ、諸事情あって参道の途中で引き返してきた経験から判断するならば、犬の眼にも鬼はみえなかったみたいである。鬼はかくれんぼが得意である、ということか。

ところで、きのうの夜、寄せられたコメントに応えるべく、昨年12月19日に撮影した犬の写真を掲載した。といっても、コメント欄に画像のURLを記しただけだったので、このエントリに再掲しておきたい。

20090101a.jpg

神体である磐座を拝むこともせず、ただおしっこをして帰ってきただけの結果に終わったとはいえ、いちおう赤岩尾神社とのゆかりが生まれたことにはなるはずなので、今後、うちの犬の通り名は、赤岩尾の小春、ということにしたい。緋牡丹のお竜、みたいなものである。そこらの下っ端からは、赤岩尾のあねさん、と呼ばれることになると思う。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012