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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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赤岩尾神社にかんしては、昨年、下記のエントリのコメントとしていささかを記した。

6月7日:再生委員会総会偽装瞞着伝

転載しておく。

   
何を隠そう赤岩尾神社こそはという話なのですが
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
するってえと、あれでしょうか。名張まちなか再生委員会の総会で委員長になれなかったのも、用意していった爆弾三発を投下できなかったのも、すべてこれ赤岩尾神社から吹いてきた神風のおかげであるということなのでしょうか。あるいは、そうかもしれません。なにしろあれはただならぬ神社で、われわれの知っている神社の概念から大きくはみ出したところがあります。露出した岩盤そのものが神体である、という一点だけをみてもおよそ規格外で、そこらにふつうに鎮座していらっしゃるお行儀のいい神様とは明らかに一線を画しています。ひとことでいえば、とても異様な神社です。
あのなんとも得体の知れない異様で奇怪な聖地にアプローチするには、おそらく二本の道があるはずです。そのひとつは、産鉄や金工、あるいは金属精錬といった側面から接近することでしょう。山中に社寺あれば付近にかならず鉱脈あり、というのはその筋の人たちに昔からいい伝えられていることだそうで、私の場合は若尾五雄という在野の研究者の著作でそのいい伝えを知ったのですが、あの神社は滝之原という集落から四キロほど入った山のなかに位置していて、まさしく人里離れた山中の社寺にほかなりません。
そもそもこの伊賀地域には、いわゆる金属神の痕跡というやつがあっちこっちに残されていて、たとえばいつかもお酒を飲みながらちょっとおはなししましたけど、伊賀市馬場の陽夫多(やぶた)神社に「だだ押し」という神事が伝わっています。寒中の一夜、裸の男衆がアヴィニョン橋でもないのに輪になって踊るという民俗行事なのですが、これが今年の2月、ひとたびウェブニュースで報じられるや、そこらの無知で不届きな2ちゃんねらーから、ハッテンバかよ、とかおちょくられたりしてしまいました。

産経新聞:裸の男が輪になり踊る 伊賀・陽夫多神社で奇祭「だだ押し」(2008年2月20日)
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/mie/080220/mie0802200231002-n1.htm

この記事には、「だだ押し」は「裸々(らら)押し」がなまったものとする神社側の見解が記されていますが、私見によればそうではなく、「だだ押し」の「だだ」は、地団駄を踏む、とかいうぐあいに使用される「じだんだ」と同根、つまり「蹈鞴(たたら)」の転だと思われます。たたらというのは金属精錬にもちいられる大型のふいごで、足で踏んで操作しますから、それが地団駄になり、だだ押しにもなったということではないかと考えられます。
われらが名張市の南部にも、金属神の足跡はむろん色濃く残っていて、たとえば赤岩尾神社の南西に位置する赤目四十八滝、この渓谷は修験道の道場として開かれたと伝えられているのですが、修験と金属の密接な関係性はよく知られたところであり、赤目というのは金属精錬の世界では砂鉄を意味することばだそうですから、赤目滝と金属との深い関連は疑いえないところでしょう。
赤岩尾神社の赤岩尾という、これもあんまりふつうではない社名にふくまれている赤ということばも、いうまでもなく金属とのかかわりを連想させるものです。また、赤といえば青、というわけでもないのですが、赤岩尾神社と赤目滝のあいだにはご存じの青蓮寺があって、ここにも金属神の足跡をたどることができそうに思われるのですが、ここでは省略しておくことにいたします。とにかく、あの赤岩尾神社には、いわゆる金属史観によるアプローチが可能であろうと考えられる次第です。
もうひとつのアプローチは、国津神というモチーフが手がかりです。一般には、日本神話に登場するあまたの神々を天孫系と土着系とに分類し、前者を天津神、後者を国津神と呼び慣わしているわけなのですが、これはむろん生身の人間の話でもあって、朝鮮半島からやってきた人間が天津神、それ以前からの先住民が国津神ということになります。新来の天津神に服従した国津神もあれば、いわゆるまつろわぬ民として叛逆した国津神もあって、赤岩尾神社は叛逆の道を選んだ国津神の拠点であったのではないかと推測されます。
赤岩尾神社のすぐ南には国津という地域があるのですが、この国津なる地名にはまたずいぶん端的に、土地と国津神との濃密な関係性が示されているといえます。国津という地名の由来については、大和の吉野川上流に住んでいた国栖(くず)族がなんらかの理由でこの地域に集団で移住し、「くず」がいつかしら「くにつ」に転じたとする説もあります。国栖族も先住民ですから、天津神に追われた国津神だとみることができるわけですが、その説の当否はどうあれ、国津地区には国津神社と呼ばれる神社が四社あり、国津以外にも、たとえば赤岩尾神社がある滝之原にも、あるいはご存じの青蓮寺にも国津神社が鎮座していますから、このあたり一帯は、ある系統の国津神が本拠としていた土地であったとみることが可能でしょう。
そうした観点から判断するならば、赤岩尾神社とはいったい何か。古代、この地において天津神と国津神との抗争のようなものがくりひろげられたと仮定した場合、国津神にとっての最後の拠点が赤岩尾神社だったのではなかったかということになります。赤岩尾神社は天然の要害と呼ぶべき場所に立地していて、木立のせいでわかりにくくなってはいるのですが、平地部を広く見渡せる地点にも位置しています。つまり、国津神を手がかりにアプローチしてみると、赤岩尾神社が位置しているあの場所は、国津神の砦とでも呼ぶべき場所ではなかったかとの推測がなりたつわけです。
で、金属精錬と国津神、このふたつから何を導けばいいのかというと、それはおそらく鬼でしょう。日本における鬼というのは非常に複雑な存在なのですが、その原型のひとつは、金属精錬にかかわりをもっていた一群の人間であり、さらにべつのひとつは、まつろわぬ民として権力から差別され迫害された一群の人間である、ということはいえるはずです。しかしこれでは、論述がなんともおおざっぱに過ぎるかもしれません。まあとにかく、本日はとりあえずこのあたりまで、以下はあしたということにいたしましょう。
2008/06/08(Sun)10:50:58

般若顔になれるスピリチュアルスポットということで
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
説明不足であるにもかかわらずすんなり呑みこんでいただけたみたいで、お礼を申しあげます。それをいいことに、論述のおおざっぱさは大目にみていただくことにして、とにかく鬼であると、赤岩尾神社には鬼が眠っているのだと、そういうことで先に進みます。鬼なるものについてお知りになりたい場合、まず最初にひもとかれるべきは馬場あき子さんの名著『鬼の研究』で、三一書房から出た単行本はとうに絶版になっておりますが、ちくま文庫版なら新刊で入手可能だと思います。鬼と金属とのかかわりは若尾五雄の『鬼伝説の研究──金工史の視点から』で知ることができますが、いま読むとしたら、三一書房の日本民俗文化資料集成第八巻『妖怪』に全篇が収録されていますから、これがいちばん手っ取り早いでしょうか。
それでまあ、赤岩尾神社という場所は、金属神であれ国津神であれ、何かしら畏怖すべき対象にかかわりの深い異様で奇怪な聖地として、ひそかに語り伝えられてきたスポットであったと推測されます。柳田國男の『遠野物語』の序文に、「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」というよく知られたフレーズがありますが、赤岩尾神社はまさに「物深き所」にあって、そこにまつわる伝承によって「平地人を戦慄せしめ」つづけた場であったと考えられます。山に拠って金属精錬に従事した異能の技術者集団であれ、朝鮮半島から渡来した民族に追われた先住民の集団であれ、のちに鬼と呼ばれることになる人間の痕跡が、赤岩尾神社には深く色濃く刻みつけられているはずです。
伊賀地域の鬼伝説といえば、朝廷にあだをなした逆賊、藤原千方につかえた四匹の鬼が著名で、上記の『鬼の研究』にも『鬼伝説の研究──金工史の視点から』にも言及がみられますが、千方と四鬼が本拠としていたのは、赤岩尾神社から東に進んだ伊賀市高尾のあたりとされており、千方は赤岩尾神社を崇信していたという伝承もあるほどですから、その点からも赤岩尾神社と鬼との関連は否定できません。というか、赤岩尾神社の境内には風穴と呼ばれるところがあって、いまでは内部に入れなくなっていますけれど、これは赤岩尾神社がかつて砦みたいな場所であった当時、そこから千方の本拠地あたりに通じていた抜け穴のなごりなのではないかとも推測される次第です。
なんか話が大きくなりすぎてしまいましたが、とにかく赤岩尾神社というのは、神社という様式についに収まることのなかった異様奇怪な聖地で、国津神の霊、あるいは鬼の魂、そういったものを封じ、鎮めた場であったと考えられます。あるいは、御霊信仰の原初の形態をみることすら可能かもしれません。その聖地に眠る霊だか魂だか、赤岩尾の鬼神とでも呼ぶべき存在が、私を守護し先導すべく名張まちなか再生委員会総会の会場に神風を吹き送ってくれたという筋立ては、鬼という存在に深いシンパシーを抱いている私にはよく首肯できるストーリーではあるのですが、そのあたりのことを記しているとまたえらく長くなってしまいますから、べつの機会にゆずりたいと思います。
にしても、赤岩尾神社で写真を撮ると鬼顔になる、というのはもう瞬時に、直観的に、これは行ける、と判断されるエピソードです。鬼顔といってしまうと直接的にすぎますけれど、最近では般若顔ということばもあるほどで、いやこれもなんだか艶のないネーミングではありますけど、クールビューティな般若顔というのはいまや美人の一典型だといえるでしょう。ですから、たとえばスケーターの荒川静香さんですとか、タレントの小雪さんですとか、あるいはセレブ妻バラバラ殺人事件で一躍名をはせたノコギリ妻こと三橋歌織さんですとか、ああいった感じの美人の代名詞である般若顔になってみたい、というお姉さんは大阪あたりには結構いらっしゃるのではないでしょうか。
そして、すみからすみまで計算され管理され、どこまでも健全で快適なアミューズメントに飽きてきたという向きには、名張の山中に赤岩尾神社という社殿なき神社があって、夏なお肌寒いような霊気めく冷気が漂う境内、木立は頭上で幾重にも枝を差し交わし、そこを透過してくる自然光のもとで写真を撮影してみたならば、あーら不思議、みんな鬼顔般若顔になっているではありませんか、なんて話はそこそこ訴求力をもっているのではないでしょうか。とくに当節、スピリチュアルな世界に関心を示すお姉さんは結構たくさんいらっしゃるようですから、赤岩尾神社を知られざるスピリチュアルスポットとして売り出すことも可能なのではないかと思われます。その旗振り役を芸人のみなさんにおつとめいただけるとなれば、これはまさしく鬼に金棒、ちょっと本気になって考えてみなければならないテーマかもしれませんけど、本日はこのへんまでとしておきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
2008/06/09(Mon)09:39:23

通り名を赤岩尾の小春と発するうちの犬は、名張市比奈知地区で生まれた。二男二女だったきょうだいは、遠いところでは信州あたりにもらわれてゆき、実家には両親だけが残って、飼い主一家と暮らしている。昨年末、その飼い主が写真をもってきてくれた。生後まもなく、まだ四匹のきょうだいが両親とともに暮らしていた当時、正確にいえば去年の1月12日に撮影されたものである。

20090103a.jpg

いちばん右で寝ているのが、乳幼児時代の赤岩尾の小春あねさん。昨年1月12日の時点では、ブルーベリーとかなんとか横文字の名前で呼ばれていたのだが、その一年後、赤岩尾の小春という通り名で赤岩尾神社に立つことになろうとは、お釈迦さまでも気がつかなかったはずである。有為転変は世のならい、じつに面白いものである。
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幼いころは神に近いような存在だったのですが
 ●永遠のJガール様
 ご投稿ありがとうございます。
 幼いうちはたしかに神に近いような存在であったのに、成長してしまうとごくふつうの存在になってしまう、というのは人間でもよくある話で、神童もおとなになればただの人、とかいわれるわけですが、うちの犬もどうもそれかもしれません。なんか、ただのあほではないのか、と思えてくることがよくあります。そもそも、しつけというものをあまりしておりませんので、人のいうことを聞く、ということを知らないようです。かくてはならじと思い立ち、もとの飼い主にときどき、臨時のトレーナー役を務めてもらっているのですが、いっこうに成果がみえないような気もします。もとの飼い主には撮影の現場にも立ち会ってもらうことにしているのですが、犬がこちらの考えているとおりに動いてくれるかどうか、正直かなり不安です。まあ、赤岩尾の鬼神がついてくれているわけですから、ノープロブレムだろうなとも思いますが。
 それでは本日も、やはり昨年12月19日に撮影した写真でご機嫌をうかがいたいと思います。

http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/d42aed574c37d7dd77816b96aeed4842/1231042514

 コーギーなのに断尾をしておらず、おかげで太くて長いしっぽが表情ゆたかに揺れ動くのがかわいいところです。そういえば、本番までに名張市瀬古口のビバホーム名張店にあるペットショップで犬をシャンプーしてもらったほうがいい、とも臨時トレーナーからアドバイスされております。なんやかんや、準備もたいへんみたいです。
 今後ともよろしくお願いいたします。
人間豹 URL 2009/01/04(Sun)13:20:51 編集
写真ありがとうございます
赤岩尾の小春ちゃんの幼少のみぎりのお宝写真、楽しませていただきました。
ほかの子たちと明らかに違いますね。なんかいわくつきというか神々しいというか特別感が漂っているような気が致します。
赤岩尾での映画出演、寒いなかの撮影ですが、どうぞよろしくお願いします。
永遠のJガール 2009/01/03(Sat)18:58:13 編集
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