三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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6月1日、名張市役所一階大会議室、名張まちなか再生委員会総会、議案第三号「平成20年度事業計画(案)について」のつづき。
総会の場で、新年度の事業計画案が粛々と、とはとてもいえない、なんだか騒然と審議される。しかし実際のところ、審議されているのはまともな事業計画ではまったくない。なんというのか、そこらの小学校ふうに表現するならば、今年の目当て、といったことにでもなるだろう。とりあえず、当方が所属しているプロジェクトと委員会、双方の今年の目当てを引き写してみる。
まず、歴史拠点整備プロジェクト。
歴史拠点整備事業
・観光・交流に資する歴史・文化拠点の整備と活用状況の調査と研究歴史街道散策事業
・歴史散策ポイント調査及びルートの作成
□ 町家調査事業
・町家の保存に向けた調査研究
□ 江戸川乱歩顕彰事業
・乱歩の生まれたまち「名張」からの情報発信
・乱歩生誕地碑広場整備事業
□ まちなか語り部調査事業
・まちなか各町の原景を知る長老からの情報収集
意味不明なところも散見されるが、そんなことはまあいいとして、ここにあらかじめ断言しておく。これらの目当ては結局のところ、何ひとつ達成されることがないであろう。
つぎ、乱歩関連事業検討委員会。
情報発信事業
・電磁的ミステリー情報ライブラリの創設の検討・討議
乱歩生誕地碑広場整備事業
・桝田医院第2病棟跡地整備
乱歩関連資料展示事業
・名張市立図書館所蔵品、リファレンスブック全3巻他の展示の検討・討議
乱歩情報館整備事業
・乱歩生誕地碑を訪れる人に提供するため、乱歩情報を集約した施設の整備の検討・討議
いくら検討や討議を重ねてみたところで、そんなものにはなんの意味もない。たとえば「電磁的ミステリー情報ライブラリの創設」などといってみたって、それを実現するには予算が必要である。それをどこから捻出するのか、その一点において、どんな検討や討議もあえなく座礁してしまう。そんなことよりまず必要なのは、例によって例のごとく、名張市の主体的な判断である。乱歩という素材を名張市はどう活用したいと考えているのか、それを確認することである。ばーか、丸投げばっかかましてんじゃねーぞこの脳死自治体、と名張市に迫ることである。
むろん、名張市は何も考えておらんはずである。考えてはおらんのであろうが、それならそれで、ちゃんと考えさせるべきなのである。庁舎の内部で、市民からそのために雇われた市職員が、むろん地域住民の声を集め、いわゆる有識者や専門家の意見にも耳を傾けながら、みたいなことはきのうも記したか。とにかく名張市には、もう少ししっかりしてもらわないと困るのである。脳髄はものを考えるところにあらず、なんて「ドグラ・マグラ」みたいなことほざいてんじゃねーぞこのちゃかぽこ自治体。
ちなみに、きょうオープンするやなせ宿の運営を担当するまちなか運営協議会は、乱歩関連事業検討委員会とおなじく専門部会として位置づけられているのだが、総会資料の「平成20年度事業計画(案)について」には名が見えない。どうしてこんなことになっているのか、どうにも理解できない。さらにちなみに記しておけば、この日の総会には、まちなか運営協議会の会長の姿もみえなかったと記憶する。つまりご欠席であった。そんなこんなだから、総会の議事にやなせ宿がとりあげられることはいっさいなかった。なんかもう、どこがどうと指摘できないほど、とにかく無茶苦茶なのである。
だからこんなことを記してみても意味はないのであるが、笑い話としてもう少しつづける。くわしい経緯は省くけれど、発言の許可を得て、名張まちなか再生プランにおける歴史資料館構想について述べる仕儀となった。経緯の説明である。この構想の経緯については総会出席者の誰よりもくわしいはずだから、説明を買って出た次第である。なにしろ日付も暗記していて、この委員会が発足したのは三年前、2005年6月26日のことでした、みたいなところからスタートし、一か月後の7月29日、歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合で、細川邸は歴史資料館ではなく仮称初瀬街道からくり館として整備すると変更された。しかし、議事録には変更の理由は記されておらず、むろん市民には変更のことなど何も知らされなかった。こうした変更は合理的なものではないと事務局を叱り飛ばしたところ、その指摘を受け、翌年の総会で時点更新というインチキが制度化された。つまり、これである。
名張市公式サイト:名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について(pdf)
引用、ではなくて、全文を転載する。
じつに意味の汲みにくい文章であるが、要するに、名張市と名張まちなか再生委員会との協議によって、名張まちなか再生プランに好きなように変更を加えることにした、ということである。それによって、歴史資料館構想を水に流してしまったことを正当化しようというじつに幼稚な悪だくみである。要するにばかなのである。市議会のチェックや市民のパブリックコメントというハードルをクリアして決められた構想を、てめーら勝手にひっくり返していいと思ってんのかこのすっとこどっこい、というのが当方の主張なのであったが、肝心のポイントをころっと無視しているのだからあきれ返る。ということは、どういうことか。名張市と名張まちなか再生委員会とによって、市民はばかにされているのである、議会はばかにされているのである、と指摘したそのときであった。
当方が陣取っていたのは、六人の参与のかたの席にちかいテーブルであった。つまり、参与のかたの動きや声を察知しやすい場であった。議会はばかにされているのである、と話した瞬間、参与席から、議会、とか、ばか、とか、そういったつぶやきが聞こえてきた。横目を走らせると、参与のおひとりである市議会議員の先生が、議会、とか、ばか、とかつぶやいていらっしゃった。前方に向き直りながら、ほらみろ名張まちなか再生委員会、市議会議員の先生もこうしてお怒りではないか、とわが意を得たような思いでさらに話をつづけたのだが、どうも様子がおかしい。雲行きが変である。しばらく参与席の気配をうかがっていて、ようやく事実が判明した。
どうやら、その先生の怒りの矛先は、市議会を無視した名張まちなか再生委員会ではなく、その事実を指摘した当方に向けられているらしいのである。先生のとなりにおすわりだったやはり市議会議員の先生が、先生の事実誤認を訂すべく、小声で何やら説明してくださっているのだが、先生の怒りはなかなか収束しないようである。発言を終えて着席したあともなお、議会、ばか、という先生のつぶやきは終わらない。するうち、先生とちらっと眼が合ってしまったので、おはなしは総会のあとでいくらでも承ります、とアイコンタクトで伝えた。だから総会が終わるやいなや、大会議室をあとにして市役所の玄関で待ち伏せし、いやいや、待ち伏せではないけれど、煙草を吸いながら念のために先生のことをお待ちしていたのであるが、先生の姿はお見かけできなかったと記憶する。
いや、ちょっとちがうか。総会が終わったあと、すぐに大会議室から出たわけではなかった。なんだよ議案「その他」はなかったのかよ、爆弾が投下できなかったじゃねーかよ、とほぞを噛みながら椅子から立ちあがると、旧知の委員のかたが近づいてきて、ある伝言を伝えてくれたのである。きのう、永遠のJガールさんとちょっとおはなしをしまして、とのことである。あ、金谷で? いえ、そのまえに。ああ、町家で。はい、それで、わざわざ赤岩尾神社へ祈願に行ってくださったそうで。はあ? といったやりとりがつづいた。なんとも不得要領な話ではあったのだが、つまりはこういうことであった。
永遠のJガール:名張の奥へ奥へとふみこむ(チョットだけ)
残念ながら、赤岩尾神社から神風は吹かなかった。せっかく武運長久を祈願していただいたというのに、武運つたなく委員長にはなれず、用意していった爆弾三発も投下できないていたらくであった。われながらばかである。どのようなご批判も謹んでお受けする所存である。
しかしそれはそれとして、名張まちなか再生委員会の総会は、偽装と瞞着にみちたものであった。なにしろ無茶苦茶なのである。まともな総会とはとても呼べない。名張まちなか再生委員会そのものが、まともな組織ではまったくないのである。規約が不備だらけだということは委員会がみずから認めているところであり、ちかく規約の見直しが進められることにもなっているらしいのだが、問題は規約のレベルにはとどまらない。こんな組織がなぜ必要なのか、その根拠、その目的がじつにあいまいである。こんないいかげんな委員会が三年ものあいだ、よくぞ存続できたものである。なんというのか……
といったあたりにとどめておいて、さ、やなせ宿のオープンセレモニーをのぞいてこようっと。
総会の場で、新年度の事業計画案が粛々と、とはとてもいえない、なんだか騒然と審議される。しかし実際のところ、審議されているのはまともな事業計画ではまったくない。なんというのか、そこらの小学校ふうに表現するならば、今年の目当て、といったことにでもなるだろう。とりあえず、当方が所属しているプロジェクトと委員会、双方の今年の目当てを引き写してみる。
まず、歴史拠点整備プロジェクト。
歴史拠点整備事業
・観光・交流に資する歴史・文化拠点の整備と活用状況の調査と研究歴史街道散策事業
・歴史散策ポイント調査及びルートの作成
□ 町家調査事業
・町家の保存に向けた調査研究
□ 江戸川乱歩顕彰事業
・乱歩の生まれたまち「名張」からの情報発信
・乱歩生誕地碑広場整備事業
□ まちなか語り部調査事業
・まちなか各町の原景を知る長老からの情報収集
意味不明なところも散見されるが、そんなことはまあいいとして、ここにあらかじめ断言しておく。これらの目当ては結局のところ、何ひとつ達成されることがないであろう。
つぎ、乱歩関連事業検討委員会。
情報発信事業
・電磁的ミステリー情報ライブラリの創設の検討・討議
乱歩生誕地碑広場整備事業
・桝田医院第2病棟跡地整備
乱歩関連資料展示事業
・名張市立図書館所蔵品、リファレンスブック全3巻他の展示の検討・討議
乱歩情報館整備事業
・乱歩生誕地碑を訪れる人に提供するため、乱歩情報を集約した施設の整備の検討・討議
いくら検討や討議を重ねてみたところで、そんなものにはなんの意味もない。たとえば「電磁的ミステリー情報ライブラリの創設」などといってみたって、それを実現するには予算が必要である。それをどこから捻出するのか、その一点において、どんな検討や討議もあえなく座礁してしまう。そんなことよりまず必要なのは、例によって例のごとく、名張市の主体的な判断である。乱歩という素材を名張市はどう活用したいと考えているのか、それを確認することである。ばーか、丸投げばっかかましてんじゃねーぞこの脳死自治体、と名張市に迫ることである。
むろん、名張市は何も考えておらんはずである。考えてはおらんのであろうが、それならそれで、ちゃんと考えさせるべきなのである。庁舎の内部で、市民からそのために雇われた市職員が、むろん地域住民の声を集め、いわゆる有識者や専門家の意見にも耳を傾けながら、みたいなことはきのうも記したか。とにかく名張市には、もう少ししっかりしてもらわないと困るのである。脳髄はものを考えるところにあらず、なんて「ドグラ・マグラ」みたいなことほざいてんじゃねーぞこのちゃかぽこ自治体。
ちなみに、きょうオープンするやなせ宿の運営を担当するまちなか運営協議会は、乱歩関連事業検討委員会とおなじく専門部会として位置づけられているのだが、総会資料の「平成20年度事業計画(案)について」には名が見えない。どうしてこんなことになっているのか、どうにも理解できない。さらにちなみに記しておけば、この日の総会には、まちなか運営協議会の会長の姿もみえなかったと記憶する。つまりご欠席であった。そんなこんなだから、総会の議事にやなせ宿がとりあげられることはいっさいなかった。なんかもう、どこがどうと指摘できないほど、とにかく無茶苦茶なのである。
だからこんなことを記してみても意味はないのであるが、笑い話としてもう少しつづける。くわしい経緯は省くけれど、発言の許可を得て、名張まちなか再生プランにおける歴史資料館構想について述べる仕儀となった。経緯の説明である。この構想の経緯については総会出席者の誰よりもくわしいはずだから、説明を買って出た次第である。なにしろ日付も暗記していて、この委員会が発足したのは三年前、2005年6月26日のことでした、みたいなところからスタートし、一か月後の7月29日、歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合で、細川邸は歴史資料館ではなく仮称初瀬街道からくり館として整備すると変更された。しかし、議事録には変更の理由は記されておらず、むろん市民には変更のことなど何も知らされなかった。こうした変更は合理的なものではないと事務局を叱り飛ばしたところ、その指摘を受け、翌年の総会で時点更新というインチキが制度化された。つまり、これである。
名張市公式サイト:名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について(pdf)
引用、ではなくて、全文を転載する。
□名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について
「名張まちなか再生プラン(以下「プラン」という。)」は、名張地区既成市街地(以降「名張地区」という。)のまちづくりを進めるうえで、市民、事業者、各種団体、市など、多様な主体の共通するまちづくり指針として重要な役割を担っており、さまざまな主体の参加と協働によってはじめて成果が得られます。 このような中、名張地区の再生を多様な主体の協働により推進していくことを目的として名張まちなか再生委員会(以下「委員会」という。)を設置し、早期実現可能なものから検討、具体化に努め、実現化に向けた課題が大きいものに関しては、ある程度長期的な視点にたって、必要な調査、調整を行い着実に実現に向けた取り組みを進めています。 委員会は、プランの実現を目指し、役員会を設置し、プラン全体の執行管理に関すること、再生整備プロジェクト全体の事業調整及び推進を図るともに、再生整備プロジェクトを設置し、プランに掲げたプロジェクト事業の企画、計画の立案、実施、運営管理、合意形成を行っています。 これにより、プラン実現のためのより実効性のある事業を現在も展開しているところですが、プランは、市民と行政が共に尊重し、共に育む計画として位置づけているため、名張市としては、委員会が担う機能により育まれるプランの内容を対象として、1つの単位を1年と定め(委員会総会の単位)、育まれたプランや組織の内容を“再生プロジェクト更新調書”として補完し、より市民にわかりやすい状態で管理する必要があると考えているところです。 ※再生プロジェクト更新調書=あくまでもプラン策定にご参画いただいた市民の皆さまの思いや、まちづくりに取り組む姿勢等を大切にするため、プラン策定委員会から提案いただいた表現を尊重し策定したプランの内容には変更を加えず、委員会運営の中で、より実効性のある事業内容として展開がなされ、表現や内容が育まれた部分のみを抽出し、とりまとめたもの。 |
じつに意味の汲みにくい文章であるが、要するに、名張市と名張まちなか再生委員会との協議によって、名張まちなか再生プランに好きなように変更を加えることにした、ということである。それによって、歴史資料館構想を水に流してしまったことを正当化しようというじつに幼稚な悪だくみである。要するにばかなのである。市議会のチェックや市民のパブリックコメントというハードルをクリアして決められた構想を、てめーら勝手にひっくり返していいと思ってんのかこのすっとこどっこい、というのが当方の主張なのであったが、肝心のポイントをころっと無視しているのだからあきれ返る。ということは、どういうことか。名張市と名張まちなか再生委員会とによって、市民はばかにされているのである、議会はばかにされているのである、と指摘したそのときであった。
当方が陣取っていたのは、六人の参与のかたの席にちかいテーブルであった。つまり、参与のかたの動きや声を察知しやすい場であった。議会はばかにされているのである、と話した瞬間、参与席から、議会、とか、ばか、とか、そういったつぶやきが聞こえてきた。横目を走らせると、参与のおひとりである市議会議員の先生が、議会、とか、ばか、とかつぶやいていらっしゃった。前方に向き直りながら、ほらみろ名張まちなか再生委員会、市議会議員の先生もこうしてお怒りではないか、とわが意を得たような思いでさらに話をつづけたのだが、どうも様子がおかしい。雲行きが変である。しばらく参与席の気配をうかがっていて、ようやく事実が判明した。
どうやら、その先生の怒りの矛先は、市議会を無視した名張まちなか再生委員会ではなく、その事実を指摘した当方に向けられているらしいのである。先生のとなりにおすわりだったやはり市議会議員の先生が、先生の事実誤認を訂すべく、小声で何やら説明してくださっているのだが、先生の怒りはなかなか収束しないようである。発言を終えて着席したあともなお、議会、ばか、という先生のつぶやきは終わらない。するうち、先生とちらっと眼が合ってしまったので、おはなしは総会のあとでいくらでも承ります、とアイコンタクトで伝えた。だから総会が終わるやいなや、大会議室をあとにして市役所の玄関で待ち伏せし、いやいや、待ち伏せではないけれど、煙草を吸いながら念のために先生のことをお待ちしていたのであるが、先生の姿はお見かけできなかったと記憶する。
いや、ちょっとちがうか。総会が終わったあと、すぐに大会議室から出たわけではなかった。なんだよ議案「その他」はなかったのかよ、爆弾が投下できなかったじゃねーかよ、とほぞを噛みながら椅子から立ちあがると、旧知の委員のかたが近づいてきて、ある伝言を伝えてくれたのである。きのう、永遠のJガールさんとちょっとおはなしをしまして、とのことである。あ、金谷で? いえ、そのまえに。ああ、町家で。はい、それで、わざわざ赤岩尾神社へ祈願に行ってくださったそうで。はあ? といったやりとりがつづいた。なんとも不得要領な話ではあったのだが、つまりはこういうことであった。
永遠のJガール:名張の奥へ奥へとふみこむ(チョットだけ)
残念ながら、赤岩尾神社から神風は吹かなかった。せっかく武運長久を祈願していただいたというのに、武運つたなく委員長にはなれず、用意していった爆弾三発も投下できないていたらくであった。われながらばかである。どのようなご批判も謹んでお受けする所存である。
しかしそれはそれとして、名張まちなか再生委員会の総会は、偽装と瞞着にみちたものであった。なにしろ無茶苦茶なのである。まともな総会とはとても呼べない。名張まちなか再生委員会そのものが、まともな組織ではまったくないのである。規約が不備だらけだということは委員会がみずから認めているところであり、ちかく規約の見直しが進められることにもなっているらしいのだが、問題は規約のレベルにはとどまらない。こんな組織がなぜ必要なのか、その根拠、その目的がじつにあいまいである。こんないいかげんな委員会が三年ものあいだ、よくぞ存続できたものである。なんというのか……
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三重県伊賀地域を代表する知性派芸人としてひとこと
●永遠の鬼ガール様
ご投稿ありがとうございます。
私はなにしろ若いころからいつか立派な漫才師として立つべく精進を重ね、血のにじむような芸道修業に明け暮れてきた人間ですから、やらせ上手といいましょうか乗せ上手といいましょうか、とにかくお客さんを転がすことなど朝飯前です。転がすといってしまっては身も蓋もありませんが、芸人の本分は要するにお客さんの精神的こわばりをときほぐすことにあるのですから、硬直した価値観を瞬時にひっくり返してみせることこそが芸人の醍醐味であり、それが狙いをあやまたずお客さんの喜びとなってくれたりしたらもう思い残すことはありません。
それにまあ、調子に乗って手前味噌をつけ加えますと、クールビューティの例として荒川静香さんと小雪さん、ここいらまではふつうに出てくる名前なのですが、そこにもうひとり懲役十五年のノコギリ妻こと三橋歌織さんをさらっと連ねるあたりが芸人の技倆というもので、こういった瞬時の判断がまだできているのだから、もう少し芸人をつづけることができるのではないかと内心ほっとしております。といいますのは、人に悟られることはないけれど、自分にはありありとわかってしまう芸の衰え、それが芸人には何より恐ろしいことだからで、まだ衰えてはいないらしいなとみずからにいい聞かせつつ、きょうもきょうとて芸道修業に精進したいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
私はなにしろ若いころからいつか立派な漫才師として立つべく精進を重ね、血のにじむような芸道修業に明け暮れてきた人間ですから、やらせ上手といいましょうか乗せ上手といいましょうか、とにかくお客さんを転がすことなど朝飯前です。転がすといってしまっては身も蓋もありませんが、芸人の本分は要するにお客さんの精神的こわばりをときほぐすことにあるのですから、硬直した価値観を瞬時にひっくり返してみせることこそが芸人の醍醐味であり、それが狙いをあやまたずお客さんの喜びとなってくれたりしたらもう思い残すことはありません。
それにまあ、調子に乗って手前味噌をつけ加えますと、クールビューティの例として荒川静香さんと小雪さん、ここいらまではふつうに出てくる名前なのですが、そこにもうひとり懲役十五年のノコギリ妻こと三橋歌織さんをさらっと連ねるあたりが芸人の技倆というもので、こういった瞬時の判断がまだできているのだから、もう少し芸人をつづけることができるのではないかと内心ほっとしております。といいますのは、人に悟られることはないけれど、自分にはありありとわかってしまう芸の衰え、それが芸人には何より恐ろしいことだからで、まだ衰えてはいないらしいなとみずからにいい聞かせつつ、きょうもきょうとて芸道修業に精進したいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
無題
赤岩尾神社と鬼にたいする先生の造詣の深さに感服致しますと共に、鬼顔般若顔をクールビューティに昇華させる頭脳と筆力にぐうの音も出ないほどです。いやぁ~参りました。
ひょっとして、いくよくるよ師を凌ぐやらせ上手乗せ上手(酔っ払い→ダンディ、犯罪者→ミステリアス、おおぼけ→エンタティナー)でいらっしゃいますか? なんだか鬼顔の写真をブログに載せたくなってきたではないですか(笑)。
ひょっとして、いくよくるよ師を凌ぐやらせ上手乗せ上手(酔っ払い→ダンディ、犯罪者→ミステリアス、おおぼけ→エンタティナー)でいらっしゃいますか? なんだか鬼顔の写真をブログに載せたくなってきたではないですか(笑)。
般若顔になれるスピリチュアルスポットということで
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
説明不足であるにもかかわらずすんなり呑みこんでいただけたみたいで、お礼を申しあげます。それをいいことに、論述のおおざっぱさは大目にみていただくことにして、とにかく鬼であると、赤岩尾神社には鬼が眠っているのだと、そういうことで先に進みます。鬼なるものについてお知りになりたい場合、まず最初にひもとかれるべきは馬場あき子さんの名著『鬼の研究』で、三一書房から出た単行本はとうに絶版になっておりますが、ちくま文庫版なら新刊で入手可能だと思います。鬼と金属とのかかわりは若尾五雄の『鬼伝説の研究──金工史の視点から』で知ることができますが、いま読むとしたら、三一書房の日本民俗文化資料集成第八巻『妖怪』に全篇が収録されていますから、これがいちばん手っ取り早いでしょうか。
それでまあ、赤岩尾神社という場所は、金属神であれ国津神であれ、何かしら畏怖すべき対象にかかわりの深い異様で奇怪な聖地として、ひそかに語り伝えられてきたスポットであったと推測されます。柳田國男の『遠野物語』の序文に、「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」というよく知られたフレーズがありますが、赤岩尾神社はまさに「物深き所」にあって、そこにまつわる伝承によって「平地人を戦慄せしめ」つづけた場であったと考えられます。山に拠って金属精錬に従事した異能の技術者集団であれ、朝鮮半島から渡来した民族に追われた先住民の集団であれ、のちに鬼と呼ばれることになる人間の痕跡が、赤岩尾神社には深く色濃く刻みつけられているはずです。
伊賀地域の鬼伝説といえば、朝廷にあだをなした逆賊、藤原千方につかえた四匹の鬼が著名で、上記の『鬼の研究』にも『鬼伝説の研究──金工史の視点から』にも言及がみられますが、千方と四鬼が本拠としていたのは、赤岩尾神社から東に進んだ伊賀市高尾のあたりとされており、千方は赤岩尾神社を崇信していたという伝承もあるほどですから、その点からも赤岩尾神社と鬼との関連は否定できません。というか、赤岩尾神社の境内には風穴と呼ばれるところがあって、いまでは内部に入れなくなっていますけれど、これは赤岩尾神社がかつて砦みたいな場所であった当時、そこから千方の本拠地あたりに通じていた抜け穴のなごりなのではないかとも推測される次第です。
なんか話が大きくなりすぎてしまいましたが、とにかく赤岩尾神社というのは、神社という様式についに収まることのなかった異様奇怪な聖地で、国津神の霊、あるいは鬼の魂、そういったものを封じ、鎮めた場であったと考えられます。あるいは、御霊信仰の原初の形態をみることすら可能かもしれません。その聖地に眠る霊だか魂だか、赤岩尾の鬼神とでも呼ぶべき存在が、私を守護し先導すべく名張まちなか再生委員会総会の会場に神風を吹き送ってくれたという筋立ては、鬼という存在に深いシンパシーを抱いている私にはよく首肯できるストーリーではあるのですが、そのあたりのことを記しているとまたえらく長くなってしまいますから、べつの機会にゆずりたいと思います。
にしても、赤岩尾神社で写真を撮ると鬼顔になる、というのはもう瞬時に、直観的に、これは行ける、と判断されるエピソードです。鬼顔といってしまうと直接的にすぎますけれど、最近では般若顔ということばもあるほどで、いやこれもなんだか艶のないネーミングではありますけど、クールビューティな般若顔というのはいまや美人の一典型だといえるでしょう。ですから、たとえばスケーターの荒川静香さんですとか、タレントの小雪さんですとか、あるいはセレブ妻バラバラ殺人事件で一躍名をはせたノコギリ妻こと三橋歌織さんですとか、ああいった感じの美人の代名詞である般若顔になってみたい、というお姉さんは大阪あたりには結構いらっしゃるのではないでしょうか。
そして、すみからすみまで計算され管理され、どこまでも健全で快適なアミューズメントに飽きてきたという向きには、名張の山中に赤岩尾神社という社殿なき神社があって、夏なお肌寒いような霊気めく冷気が漂う境内、木立は頭上で幾重にも枝を差し交わし、そこを透過してくる自然光のもとで写真を撮影してみたならば、あーら不思議、みんな鬼顔般若顔になっているではありませんか、なんて話はそこそこ訴求力をもっているのではないでしょうか。とくに当節、スピリチュアルな世界に関心を示すお姉さんは結構たくさんいらっしゃるようですから、赤岩尾神社を知られざるスピリチュアルスポットとして売り出すことも可能なのではないかと思われます。その旗振り役を芸人のみなさんにおつとめいただけるとなれば、これはまさしく鬼に金棒、ちょっと本気になって考えてみなければならないテーマかもしれませんけど、本日はこのへんまでとしておきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
説明不足であるにもかかわらずすんなり呑みこんでいただけたみたいで、お礼を申しあげます。それをいいことに、論述のおおざっぱさは大目にみていただくことにして、とにかく鬼であると、赤岩尾神社には鬼が眠っているのだと、そういうことで先に進みます。鬼なるものについてお知りになりたい場合、まず最初にひもとかれるべきは馬場あき子さんの名著『鬼の研究』で、三一書房から出た単行本はとうに絶版になっておりますが、ちくま文庫版なら新刊で入手可能だと思います。鬼と金属とのかかわりは若尾五雄の『鬼伝説の研究──金工史の視点から』で知ることができますが、いま読むとしたら、三一書房の日本民俗文化資料集成第八巻『妖怪』に全篇が収録されていますから、これがいちばん手っ取り早いでしょうか。
それでまあ、赤岩尾神社という場所は、金属神であれ国津神であれ、何かしら畏怖すべき対象にかかわりの深い異様で奇怪な聖地として、ひそかに語り伝えられてきたスポットであったと推測されます。柳田國男の『遠野物語』の序文に、「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」というよく知られたフレーズがありますが、赤岩尾神社はまさに「物深き所」にあって、そこにまつわる伝承によって「平地人を戦慄せしめ」つづけた場であったと考えられます。山に拠って金属精錬に従事した異能の技術者集団であれ、朝鮮半島から渡来した民族に追われた先住民の集団であれ、のちに鬼と呼ばれることになる人間の痕跡が、赤岩尾神社には深く色濃く刻みつけられているはずです。
伊賀地域の鬼伝説といえば、朝廷にあだをなした逆賊、藤原千方につかえた四匹の鬼が著名で、上記の『鬼の研究』にも『鬼伝説の研究──金工史の視点から』にも言及がみられますが、千方と四鬼が本拠としていたのは、赤岩尾神社から東に進んだ伊賀市高尾のあたりとされており、千方は赤岩尾神社を崇信していたという伝承もあるほどですから、その点からも赤岩尾神社と鬼との関連は否定できません。というか、赤岩尾神社の境内には風穴と呼ばれるところがあって、いまでは内部に入れなくなっていますけれど、これは赤岩尾神社がかつて砦みたいな場所であった当時、そこから千方の本拠地あたりに通じていた抜け穴のなごりなのではないかとも推測される次第です。
なんか話が大きくなりすぎてしまいましたが、とにかく赤岩尾神社というのは、神社という様式についに収まることのなかった異様奇怪な聖地で、国津神の霊、あるいは鬼の魂、そういったものを封じ、鎮めた場であったと考えられます。あるいは、御霊信仰の原初の形態をみることすら可能かもしれません。その聖地に眠る霊だか魂だか、赤岩尾の鬼神とでも呼ぶべき存在が、私を守護し先導すべく名張まちなか再生委員会総会の会場に神風を吹き送ってくれたという筋立ては、鬼という存在に深いシンパシーを抱いている私にはよく首肯できるストーリーではあるのですが、そのあたりのことを記しているとまたえらく長くなってしまいますから、べつの機会にゆずりたいと思います。
にしても、赤岩尾神社で写真を撮ると鬼顔になる、というのはもう瞬時に、直観的に、これは行ける、と判断されるエピソードです。鬼顔といってしまうと直接的にすぎますけれど、最近では般若顔ということばもあるほどで、いやこれもなんだか艶のないネーミングではありますけど、クールビューティな般若顔というのはいまや美人の一典型だといえるでしょう。ですから、たとえばスケーターの荒川静香さんですとか、タレントの小雪さんですとか、あるいはセレブ妻バラバラ殺人事件で一躍名をはせたノコギリ妻こと三橋歌織さんですとか、ああいった感じの美人の代名詞である般若顔になってみたい、というお姉さんは大阪あたりには結構いらっしゃるのではないでしょうか。
そして、すみからすみまで計算され管理され、どこまでも健全で快適なアミューズメントに飽きてきたという向きには、名張の山中に赤岩尾神社という社殿なき神社があって、夏なお肌寒いような霊気めく冷気が漂う境内、木立は頭上で幾重にも枝を差し交わし、そこを透過してくる自然光のもとで写真を撮影してみたならば、あーら不思議、みんな鬼顔般若顔になっているではありませんか、なんて話はそこそこ訴求力をもっているのではないでしょうか。とくに当節、スピリチュアルな世界に関心を示すお姉さんは結構たくさんいらっしゃるようですから、赤岩尾神社を知られざるスピリチュアルスポットとして売り出すことも可能なのではないかと思われます。その旗振り役を芸人のみなさんにおつとめいただけるとなれば、これはまさしく鬼に金棒、ちょっと本気になって考えてみなければならないテーマかもしれませんけど、本日はこのへんまでとしておきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご教示ありがとうございました
赤岩尾神社のことを詳しくご教示くださいまして御礼申し上げます。私の周囲には(特に芸人)神社好きが多いので、先生の文章をお借りして、近いうちに弊ブログで紹介させていただきたいと思います。
それにしても奇しくもあの日私は、青(青蓮寺)から赤(赤岩尾神社)へと渡り歩いていたのですね。先生のお返事を拝読して驚いたのは、実は赤岩尾神社で同行の運転手さんに頼んでたくさん写真を撮ってもらったのですが、どの写真も私の顔が鬼に見えるのです。もともとそんな顔なのかもしれませんけど。それにしても何回撮り直しても不思議と鬼顔に写ってしまい、これではブログにアップできないと閉口しておりました。今までにない出来事でございました。
爆弾投下なさらなかったことや委員長におなりにならなかったことは先生にとって不本意な結果に思われたかもしれませんが、武運長久の神が、いましばらく機を待つようにと風を吹かせてくたさったのだと思います。
それにしても奇しくもあの日私は、青(青蓮寺)から赤(赤岩尾神社)へと渡り歩いていたのですね。先生のお返事を拝読して驚いたのは、実は赤岩尾神社で同行の運転手さんに頼んでたくさん写真を撮ってもらったのですが、どの写真も私の顔が鬼に見えるのです。もともとそんな顔なのかもしれませんけど。それにしても何回撮り直しても不思議と鬼顔に写ってしまい、これではブログにアップできないと閉口しておりました。今までにない出来事でございました。
爆弾投下なさらなかったことや委員長におなりにならなかったことは先生にとって不本意な結果に思われたかもしれませんが、武運長久の神が、いましばらく機を待つようにと風を吹かせてくたさったのだと思います。
何を隠そう赤岩尾神社こそはという話なのですが
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
するってえと、あれでしょうか。名張まちなか再生委員会の総会で委員長になれなかったのも、用意していった爆弾三発を投下できなかったのも、すべてこれ赤岩尾神社から吹いてきた神風のおかげであるということなのでしょうか。あるいは、そうかもしれません。なにしろあれはただならぬ神社で、われわれの知っている神社の概念から大きくはみ出したところがあります。露出した岩盤そのものが神体である、という一点だけをみてもおよそ規格外で、そこらにふつうに鎮座していらっしゃるお行儀のいい神様とは明らかに一線を画しています。ひとことでいえば、とても異様な神社です。
あのなんとも得体の知れない異様で奇怪な聖地にアプローチするには、おそらく二本の道があるはずです。そのひとつは、産鉄や金工、あるいは金属精錬といった側面から接近することでしょう。山中に社寺あれば付近にかならず鉱脈あり、というのはその筋の人たちに昔からいい伝えられていることだそうで、私の場合は若尾五雄という在野の研究者の著作でそのいい伝えを知ったのですが、あの神社は滝之原という集落から四キロほど入った山のなかに位置していて、まさしく人里離れた山中の社寺にほかなりません。
そもそもこの伊賀地域には、いわゆる金属神の痕跡というやつがあっちこっちに残されていて、たとえばいつかもお酒を飲みながらちょっとおはなししましたけど、伊賀市馬場の陽夫多(やぶた)神社に「だだ押し」という神事が伝わっています。寒中の一夜、裸の男衆がアヴィニョン橋でもないのに輪になって踊るという民俗行事なのですが、これが今年の2月、ひとたびウェブニュースで報じられるや、そこらの無知で不届きな2ちゃんねらーから、ハッテンバかよ、とかおちょくられたりしてしまいました。
産経新聞:裸の男が輪になり踊る 伊賀・陽夫多神社で奇祭「だだ押し」(2008年2月20日)
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/mie/080220/mie0802200231002-n1.htm
この記事には、「だだ押し」は「裸々(らら)押し」がなまったものとする神社側の見解が記されていますが、私見によればそうではなく、「だだ押し」の「だだ」は、地団駄を踏む、とかいうぐあいに使用される「じだんだ」と同根、つまり「蹈鞴(たたら)」の転だと思われます。たたらというのは金属精錬にもちいられる大型のふいごで、足で踏んで操作しますから、それが地団駄になり、だだ押しにもなったということではないかと考えられます。
われらが名張市の南部にも、金属神の足跡はむろん色濃く残っていて、たとえば赤岩尾神社の南西に位置する赤目四十八滝、この渓谷は修験道の道場として開かれたと伝えられているのですが、修験と金属の密接な関係性はよく知られたところであり、赤目というのは金属精錬の世界では砂鉄を意味することばだそうですから、赤目滝と金属との深い関連は疑いえないところでしょう。
赤岩尾神社の赤岩尾という、これもあんまりふつうではない社名にふくまれている赤ということばも、いうまでもなく金属とのかかわりを連想させるものです。また、赤といえば青、というわけでもないのですが、赤岩尾神社と赤目滝のあいだにはご存じの青蓮寺があって、ここにも金属神の足跡をたどることができそうに思われるのですが、ここでは省略しておくことにいたします。とにかく、あの赤岩尾神社には、いわゆる金属史観によるアプローチが可能であろうと考えられる次第です。
もうひとつのアプローチは、国津神というモチーフが手がかりです。一般には、日本神話に登場するあまたの神々を天孫系と土着系とに分類し、前者を天津神、後者を国津神と呼び慣わしているわけなのですが、これはむろん生身の人間の話でもあって、朝鮮半島からやってきた人間が天津神、それ以前からの先住民が国津神ということになります。新来の天津神に服従した国津神もあれば、いわゆるまつろわぬ民として叛逆した国津神もあって、赤岩尾神社は叛逆の道を選んだ国津神の拠点であったのではないかと推測されます。
赤岩尾神社のすぐ南には国津という地域があるのですが、この国津なる地名にはまたずいぶん端的に、土地と国津神との濃密な関係性が示されているといえます。国津という地名の由来については、大和の吉野川上流に住んでいた国栖(くず)族がなんらかの理由でこの地域に集団で移住し、「くず」がいつかしら「くにつ」に転じたとする説もあります。国栖族も先住民ですから、天津神に追われた国津神だとみることができるわけですが、その説の当否はどうあれ、国津地区には国津神社と呼ばれる神社が四社あり、国津以外にも、たとえば赤岩尾神社がある滝之原にも、あるいはご存じの青蓮寺にも国津神社が鎮座していますから、このあたり一帯は、ある系統の国津神が本拠としていた土地であったとみることが可能でしょう。
そうした観点から判断するならば、赤岩尾神社とはいったい何か。古代、この地において天津神と国津神との抗争のようなものがくりひろげられたと仮定した場合、国津神にとっての最後の拠点が赤岩尾神社だったのではなかったかということになります。赤岩尾神社は天然の要害と呼ぶべき場所に立地していて、木立のせいでわかりにくくなってはいるのですが、平地部を広く見渡せる地点にも位置しています。つまり、国津神を手がかりにアプローチしてみると、赤岩尾神社が位置しているあの場所は、国津神の砦とでも呼ぶべき場所ではなかったかとの推測がなりたつわけです。
で、金属精錬と国津神、このふたつから何を導けばいいのかというと、それはおそらく鬼でしょう。日本における鬼というのは非常に複雑な存在なのですが、その原型のひとつは、金属精錬にかかわりをもっていた一群の人間であり、さらにべつのひとつは、まつろわぬ民として権力から差別され迫害された一群の人間である、ということはいえるはずです。しかしこれでは、論述がなんともおおざっぱに過ぎるかもしれません。まあとにかく、本日はとりあえずこのあたりまで、以下はあしたということにいたしましょう。
ご投稿ありがとうございます。
するってえと、あれでしょうか。名張まちなか再生委員会の総会で委員長になれなかったのも、用意していった爆弾三発を投下できなかったのも、すべてこれ赤岩尾神社から吹いてきた神風のおかげであるということなのでしょうか。あるいは、そうかもしれません。なにしろあれはただならぬ神社で、われわれの知っている神社の概念から大きくはみ出したところがあります。露出した岩盤そのものが神体である、という一点だけをみてもおよそ規格外で、そこらにふつうに鎮座していらっしゃるお行儀のいい神様とは明らかに一線を画しています。ひとことでいえば、とても異様な神社です。
あのなんとも得体の知れない異様で奇怪な聖地にアプローチするには、おそらく二本の道があるはずです。そのひとつは、産鉄や金工、あるいは金属精錬といった側面から接近することでしょう。山中に社寺あれば付近にかならず鉱脈あり、というのはその筋の人たちに昔からいい伝えられていることだそうで、私の場合は若尾五雄という在野の研究者の著作でそのいい伝えを知ったのですが、あの神社は滝之原という集落から四キロほど入った山のなかに位置していて、まさしく人里離れた山中の社寺にほかなりません。
そもそもこの伊賀地域には、いわゆる金属神の痕跡というやつがあっちこっちに残されていて、たとえばいつかもお酒を飲みながらちょっとおはなししましたけど、伊賀市馬場の陽夫多(やぶた)神社に「だだ押し」という神事が伝わっています。寒中の一夜、裸の男衆がアヴィニョン橋でもないのに輪になって踊るという民俗行事なのですが、これが今年の2月、ひとたびウェブニュースで報じられるや、そこらの無知で不届きな2ちゃんねらーから、ハッテンバかよ、とかおちょくられたりしてしまいました。
産経新聞:裸の男が輪になり踊る 伊賀・陽夫多神社で奇祭「だだ押し」(2008年2月20日)
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/mie/080220/mie0802200231002-n1.htm
この記事には、「だだ押し」は「裸々(らら)押し」がなまったものとする神社側の見解が記されていますが、私見によればそうではなく、「だだ押し」の「だだ」は、地団駄を踏む、とかいうぐあいに使用される「じだんだ」と同根、つまり「蹈鞴(たたら)」の転だと思われます。たたらというのは金属精錬にもちいられる大型のふいごで、足で踏んで操作しますから、それが地団駄になり、だだ押しにもなったということではないかと考えられます。
われらが名張市の南部にも、金属神の足跡はむろん色濃く残っていて、たとえば赤岩尾神社の南西に位置する赤目四十八滝、この渓谷は修験道の道場として開かれたと伝えられているのですが、修験と金属の密接な関係性はよく知られたところであり、赤目というのは金属精錬の世界では砂鉄を意味することばだそうですから、赤目滝と金属との深い関連は疑いえないところでしょう。
赤岩尾神社の赤岩尾という、これもあんまりふつうではない社名にふくまれている赤ということばも、いうまでもなく金属とのかかわりを連想させるものです。また、赤といえば青、というわけでもないのですが、赤岩尾神社と赤目滝のあいだにはご存じの青蓮寺があって、ここにも金属神の足跡をたどることができそうに思われるのですが、ここでは省略しておくことにいたします。とにかく、あの赤岩尾神社には、いわゆる金属史観によるアプローチが可能であろうと考えられる次第です。
もうひとつのアプローチは、国津神というモチーフが手がかりです。一般には、日本神話に登場するあまたの神々を天孫系と土着系とに分類し、前者を天津神、後者を国津神と呼び慣わしているわけなのですが、これはむろん生身の人間の話でもあって、朝鮮半島からやってきた人間が天津神、それ以前からの先住民が国津神ということになります。新来の天津神に服従した国津神もあれば、いわゆるまつろわぬ民として叛逆した国津神もあって、赤岩尾神社は叛逆の道を選んだ国津神の拠点であったのではないかと推測されます。
赤岩尾神社のすぐ南には国津という地域があるのですが、この国津なる地名にはまたずいぶん端的に、土地と国津神との濃密な関係性が示されているといえます。国津という地名の由来については、大和の吉野川上流に住んでいた国栖(くず)族がなんらかの理由でこの地域に集団で移住し、「くず」がいつかしら「くにつ」に転じたとする説もあります。国栖族も先住民ですから、天津神に追われた国津神だとみることができるわけですが、その説の当否はどうあれ、国津地区には国津神社と呼ばれる神社が四社あり、国津以外にも、たとえば赤岩尾神社がある滝之原にも、あるいはご存じの青蓮寺にも国津神社が鎮座していますから、このあたり一帯は、ある系統の国津神が本拠としていた土地であったとみることが可能でしょう。
そうした観点から判断するならば、赤岩尾神社とはいったい何か。古代、この地において天津神と国津神との抗争のようなものがくりひろげられたと仮定した場合、国津神にとっての最後の拠点が赤岩尾神社だったのではなかったかということになります。赤岩尾神社は天然の要害と呼ぶべき場所に立地していて、木立のせいでわかりにくくなってはいるのですが、平地部を広く見渡せる地点にも位置しています。つまり、国津神を手がかりにアプローチしてみると、赤岩尾神社が位置しているあの場所は、国津神の砦とでも呼ぶべき場所ではなかったかとの推測がなりたつわけです。
で、金属精錬と国津神、このふたつから何を導けばいいのかというと、それはおそらく鬼でしょう。日本における鬼というのは非常に複雑な存在なのですが、その原型のひとつは、金属精錬にかかわりをもっていた一群の人間であり、さらにべつのひとつは、まつろわぬ民として権力から差別され迫害された一群の人間である、ということはいえるはずです。しかしこれでは、論述がなんともおおざっぱに過ぎるかもしれません。まあとにかく、本日はとりあえずこのあたりまで、以下はあしたということにいたしましょう。
赤岩尾神社に祈りが通じました
またも弊ブログをピックアップくださいましてありがとうございます。
赤岩尾神社は、取材で名張に向かう近鉄特急のなかで先生のブログを拝読して知り、幸い時間ができたので急遽伺ったのですが、なぜいちげんのあなたが?と運転手さんが驚かれるぐらい、霊験あらたかなディープなお社でございました。
ちなみに私が祈念したのは「どうか先生が爆弾を落とされませんように」「風神雷神の如く暴走なさりませんように」の二点でしたので、風穴があき、赤岩尾の神に祈りが通じたのだとこっそりほくそ笑んでいる次第です。無論「武運長久」もお願い致しましたが、これは文字通り武運が長く久しく…という意ですので、未来永劫のご健勝&ご発展と、ついでに当方のダイエット成功祈願なんぞも盛り込んでしまいました。
しかしあんなに山奥とは露知らず。ひさびさに富田勲さんの「新日本紀行」のテーマ曲が脳内をぐるぐると駆け巡り、ちょっと楽しかったです。
赤岩尾神社は、取材で名張に向かう近鉄特急のなかで先生のブログを拝読して知り、幸い時間ができたので急遽伺ったのですが、なぜいちげんのあなたが?と運転手さんが驚かれるぐらい、霊験あらたかなディープなお社でございました。
ちなみに私が祈念したのは「どうか先生が爆弾を落とされませんように」「風神雷神の如く暴走なさりませんように」の二点でしたので、風穴があき、赤岩尾の神に祈りが通じたのだとこっそりほくそ笑んでいる次第です。無論「武運長久」もお願い致しましたが、これは文字通り武運が長く久しく…という意ですので、未来永劫のご健勝&ご発展と、ついでに当方のダイエット成功祈願なんぞも盛り込んでしまいました。
しかしあんなに山奥とは露知らず。ひさびさに富田勲さんの「新日本紀行」のテーマ曲が脳内をぐるぐると駆け巡り、ちょっと楽しかったです。