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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 つづき。
 
 茶番のつづきじゃ。
 
 ま、ゆっくりしてってけろ。
 
 名張市立図書館にたいするアドバイスでは、乱歩文学館ないしは乱歩記念館のことにも、ちょっとだけふれておいた。
 
 ここ名張市においては、乱歩文学館とか、乱歩記念館とか、そういったものをつくろうという話が、ときに浮かびあがってはすぐに沈没してゆくわけなのね。
 
 近い例では、みごとなまでの大失敗に終わったまちなか再生事業において、なぜか、そんな話が出てきた。
 
 なぜか、というのは、ほかでもない。
 
 そんなものをつくるなんて話は、事業の指針だったまちなか再生プランにはいっさい記されていなかったからである。
 
 桝田医院第二病棟の名前すら、プランにはまったく出てきておらんかったのである。
 
 で、結局は、わけのわかんないことになった。
 
 だから、どうしてあんなわけのわかんないことになったのか、と尋ねられ、おまえがついてながらどういうことか、と叱られたりもして、そんなこんなで漫才一本、ぜひとも書きあげねばならぬ仕儀とはなった。
 
 原稿落として、迷惑かけまくりだったけど。
 
20100821a.jpg
 
 しかし、
 
 「名張市におまえがついていながらなんであんなことになってしもたんや」
 
 と尋ねられても、
 
 「だあほッ。このだあほッ」
 
 と叱られても、わかんないことはわかんないのよね。
 
 簡単に振り返ってみると、名張まちなか再生委員会が、ある年の総会で、桝田医院第二病棟跡に乱歩文学館を建設すると決めたわけなのね。
 
 しかし、そんな決定にはなんの意味もない。
 
 その決定がそのまま名張市に採用される、といったことはまったくない。
 
 だからおれは委員会にたいして、なにやってんだばーか、といってやったわけ。
 
 おめーらにゃそんなこと決める権限は与えられてねーんだよばーか、といってやったわけ。
 
 しかしまあ、なにしろ名張まちなか再生委員会である。
 
 ひとの忠言にはいっさい耳を傾けず、乱歩文学館がどうのこうのと、ひきつづき白熱の議論をお進めになったようである。
 
 しかしな、白熱の議論ったってあーた、委員会のメンバーは乱歩のことも文学館のこともなにも知りゃせんかったわけなの。
 
 そんなみなさんがいくら白熱の議論を展開してみたところで、話がまとまるわけなんかありゃせんのよ。
 
 げんに、なにもまとまらなかった。
 
 そうこうするうちに一年が経過して、ふたたび名張まちなか再生委員会の総会が開かれたのじゃ。
 
 その総会で、乱歩文学館は建設しない、と名張市が表明した。
 
 当時、おれはまだ委員会に加わってはいなかったから、総会に立ち会ってもおらず、直接的に知るところはなにもないのだが、ちょっとブログ内を検索してみたら、こんなエントリがあった。
 
2008年03月16日:市議会の乱歩 2007
 
 平成19・2007年6月定例会、つまり名張まちなか再生委員会の総会で名張市がくだんの表明をおこなった直後の定例会なわけじゃが、その一般質問の議事録が引用してあった。
 
 簡単に振り返るために、再度引用しておく。
 
P.20 ◆ 議員(柳生大輔)
 
 それから、去る6月2日に名張まちなか再生委員会総会が開催されました。市長も来賓で出席なされておりましたが、退席してからのことでございますが、市の方にご寄贈いただきました枡田医院第2病棟の今後の整備計画について活発な議論がなされました。明くる日の新聞にも掲載されておりますように、現在のところ当局としては、(仮称)江戸川乱歩文学館の建設を断念するような説明がありましたが、説明自体の歯切れが悪く、大変わかりにくかったのであります。反面、担当部局としては精いっぱいの説明であったのかなと、そう感じていたわけでありますが、市長も後日、総会の報告も聞いておられることと思いますが、新聞に掲載されていたようなことでございます。
 いずれにいたしましても、乱歩関連施設整備事業検討委員長の発言にもありましたように、乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます。せっかくご寄贈いただいたのでございますので、これを生かさない手はないと考えます。総会の中でも、市長の考え方を聞くべきだというような強い声もあったところでございます。
 
P.25 ◎ 市長(亀井利克)
 
 次に、乱歩生誕地碑でございますが、枡田医院第2病棟の跡地整備につきましては、平成18年度名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家の復元をイメージした乱歩関連施設の整備に向け、施設計画及び維持管理運営方針などを検討していくことといたしました。その後、住環境面への配慮や維持管理運営のあり方など、市として施設整備計画を見直し、広場として乱歩生誕地碑と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩顕彰の場として整備する方向で、本年度まちなか再生委員会の役員会や検討委員会と引き続き協議を進めていきたいと考えております。
 なお、寄附を受けております推理小説等数千冊、あるいは乱歩の関連資料などの活用につきましても、あわせて検討を進めてまいりたいと思っております。
 
P.42 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 大変な難産ではありましたが、市長初め関係各位の格別のご理解、ご尽力によってようやく細川邸が新たにやなせ宿として生まれ変わることが、先日まちなか再生委員会総会において発表をされました。旧市街地出身議員としてうれしい限りであると考えております。しかし、その総会の中で、乱歩館の整備に関して紛糾いたしましたことは周知の事実でありますし、大きく報道もされたわけであります。当然市長のマニフェストにも、乱歩館の整備はしていくと書かれておりますし、桝田医院跡もそのために寄贈を受けたのでしょうし、まして昨年の総会で整備を推進していくことが申し合わされたわけで、それというのも市長みずから生家の復元やミステリー文庫などをつくりたいという構想から発展した話であったとも記憶をしております。委員や役員からも、市長が最終的にどのように考えているのかお尋ねすべきだという意見に決着をいたしましたが、市長は乱歩館の整備に関しましてはどのようにお考えなのかをお伺いいたします。このことについては、先ほどの柳生議員のご質問に対しましてもご答弁いただきましたが、不十分なところがあろうかと思います。どうぞご答弁を下さい。
 そして、以前の私の一般質問の中で市長は、9億円から3億円にまちなか再生予算が減額されたと私が指摘した際に、意味がわかりませんとの発言をされました。そして、住民自治の熟度を見ながら、1期と2期に分けて分配していく。そして、私なりの考えがあり、榊町であったり、東町であったりといった整備計画も視野に入れてとのご答弁でありました。すなわち市長のおっしゃる住民自治の高まりとは、地域住民のコンセンサスが十分に調い、計画が練り上がった時点のことを指されるのであろうと思います。であるならば、乱歩館は総会でも承認されて、乱歩関係施設の整備は要望もあるわけです。しかし、予算は大幅に減額されて、整備予算もままならないとの先日の説明でありました。これでは計画は進行しませんし、当然無視されたも同様でございます。やはり私の指摘どおり、まちなか再生予算は減額した形になりつつあるのではないですか。それとも、2期目に当初の約束どおり6億円用意して、おくれても乱歩館は整備していけるのでしょうか。
 
P.46 ◎ 市長(亀井利克)
 
 それから、2点目のまちなか再生でございますけれども、これは先刻柳生議員にお答え申し上げたとおりでございまして、乱歩につきましては、ミステリー文庫も含めまして、この整備をしていかなければならないということにいたしております。それを5年で切ってるわけでございますけれども、さてそれをどの時点でということにつきましてはまだ定かではございませんけれども、いただいてあるミステリー本をやっぱり世に出していかないと、こちらも申しわけないという思いであるわけでございますので、これは世に出していきたい。また、乱歩のゆかりのものにつきましても、同時にそういう展示する場所が必要であるというふうにも思わせていただいてるところでございます。
 
P.50 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 市長の答弁どおり、先ほどのご答弁の中で乱歩館の整備は難しいんだというふうなお話もあったわけなんですけども、これはやっぱり関連の関係の方々も説明を聞いてなかったわけでありますし、これは訂正をしていただかなければならないんじゃないかなというふうに思っております。私は、まちなかの整備に関しましては、市長は市長なりの考えがあってと申されて、そしてまた東町であったり、榊町であったりといったことを整備していくというふうなことも申されたわけですけども、私は現実にはほど遠いなというふうに思っております。まちなかの整備の皆さん方、まちなか再生委員会の方々というのは、本当にご苦労して、難産をしてやったわけなんですから、そしてまたそのこと自体をまとめ上げていくというのは大変な困難であるというふうに思っております。私は今まちなか再生委員会の参与という立場ではありますけども、みずから率先して、我々は同志もたくさんいるわけですから、本当に真の名張の顔づくりというものを私は努めてまいりたいなというふうに旧町出身議員として、あるいはまた旧市街地に住む住人の一人として思っているわけであります。これからもまた、情のある十分な予算措置を市長にはお願いしておきたいなというふうに思っております。
 そしてまた、広場に乱歩のモニュメントもつくってというふうなことでございますけども、これはそのように乱歩館というものはもう建てないんだと、建設は難しいんだと。コスト等も考えたときに大変難しいんだというふうなことでありましたけども、やはり去年の総会で通った段階であるのに、その関連の関係者の方々は理解をしていない、説明を受けていない。まさに、きょうの午前中の市長の答弁は寝耳に水というふうな形になっていたんじゃないんですか。市長みずからがご説明なさった、あるいは無理なんだというふうなことを都市環境部長はその方々に言ったんでしょうか。恐らく言ってないんじゃないかなというふうに思っております。また、市長がどのように指示をされておったのかというふうなこともお聞きしておきたいなというふうに思います。
P.54 ◎ 市長(亀井利克)
 
 それから、乱歩館の問題につきましては、担当部長の方から詳しくお話を申し上げますけれども、あの場所に建物というか、そのものを建てていくのは余りふさわしいことではないかなというふうに判断をいたしているわけでございます。ただ、整備はしていかなければならないということも、柳生議員のご質問の中でも申し上げたところでございまして、この乱歩のゆかりの品であったり、あるいはまた、たくさんいただいてる本であったり、そんなものをきちっと展示をさせていただかなければならないと、こんなふうに思っております。
 
P.58 ◎ 都市環境部長(堀永猛)
 
◎都市環境部長(堀永猛) それでは、乱歩整備に関する先ほどの質問についてお答えを申し上げます。
 議員お話しいただきましたように、平成18年度の名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家復元をイメージしました乱歩関連施設の整備に向け、施設計画なり維持管理、運営方針などを検討する旨が承認されたわけでございます。そして、この中で乱歩関連施設整備事業検討委員会を設置するということで決めていただいたわけでございまして、その後、まず庁内でこの委員会に提出すべき整備方針、内容等について関係する部署が寄りまして、数回この内容について検討させていただきました。この内容につきまして、乱歩関連施設整備検討委員会にこういった市の考え方について説明をさせていただき、ご議論いただいたわけでございますが、結果として結論までは至ってないということでございます。
 そういった中で、現在のところ市の考え方としましては、先ほどからも市長の方からも申し上げておりますように、住環境への配慮とか維持管理、運営のあり方、そういったことを含めて施設整備計画を見直しまして、広場として乱歩生誕地域と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩の顕彰の場として整備する方向でこれからまちなか再生委員会の役員会なり検討委員会と引き続いて協議をさせていただくように考えております。
 また、あわせまして寄附を受けておりますミステリー図書や乱歩関連資料などの活用についても、こういったところでも協議をしていただくようにお願いをさせていただきながら進めてまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
 
P.58 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 それと、私は聞いてるんですよ、市長に。だから、広場に乱歩館の建設が困難でどうしてもできないんだ、今の名張市の状況考えてください。そうやって関係者の方々に、最初にお話しなさった方々に市長からご説明をなさったんですか。多分なさってないと思うんです。何も知らないうちにまた総会で承認されて、恐らく予算をつけてくれるであろうな、そのように思っていたのにつかなかった。恐らくそのことがやっぱり関係者にとってはショックじゃなかろうかな、というふうに私は思うわけであります。ですから、その辺のところ、やっぱり結果そういうふうになってしまったと言うならば、やはりその辺のところはしっかりと説明をしてあげて納得のいく形にしてあげていただかなきゃならんな、また納得がいかないというんであれば納得いくまで十分にお話し合いをさせていただかなきゃならんなって、このままの行政のあり方ではその方たちにとっては今本当に不誠実になってしまうし、行政不信にもつながってしまうんじゃないかなというふうに私は思ってしまうわけでございます。
 ………………
 まちなか再生については、先ほど担当部長、都市環境部長、また本当に乱歩館のことに関しては十分な説明責任というのをしっかりと行政で果たしていかないと、やっぱりその関係者の方々というのは納得いかないというふうに思いますんで、どうぞ懇切丁寧な説明をしてあげてください。
 
P.91 ◆ 議員(吉住美智子)
 
 しかし、まちづくりといえば財源と人材の不足が上がってきます。名張市においても、江戸川乱歩の生誕地である本町の旧桝田医院第2病棟の活用について、財政難を理由に、当初検討していました乱歩文学館構想を断念して記念公園に変更するということを先日新聞で拝見しました。
 
P.126 ◆ 議員(梶田淑子)
 
 それから、乱歩事業につきまして、これは桝田病院第2病棟跡、あそこは乱歩の生誕地ということで、市に寄贈していただきました。もちろん市長もそれをいただいた当初から、そこで乱歩の生誕地であるから乱歩の生家をつくるとか、またそれにかかわるミステリー文庫、いただいた文庫を世に出さなければならない、だからそういったものを展示する場所が欲しい。歴史館というか記念館というか、そういうのをつくりたいというような意向をいろんなところで市長、言ってこられたわけです。それを受けてまちなか再生のプロジェクトの長をしておられる方は、一生懸命にいろんなことを考えてきたのですが、しかしこれすら、先日からの質問に対しても、またその以前から、あのとこは公園にしてしまうんやと、モニュメント建てて、そういう公園というものにしていくというふうな言い方をされたがために、一体それは何を考えてるんかなあと、任された人が怒って当たり前ですよね。その方は、実はこの乱歩の事業を進めるについては、やはり図書館に今、乱歩のいろんなことを展示してございます、大事な資料を。その教育委員会として、この乱歩のことを継承していく大事な事業とも含めて、このプロジェクトの中に教育委員会が入っていないのがおかしいということで、まずその方を教育長と次長にお会いしていただき、るるお話し合いもしていただきました。その後、またまちなか再生の担当である部長と室長にも会っていただいて、これから前向きに教育委員会も取り組んでやっていきましょうという話になっていたのですが、何か聞いてますと、それこそ公園だけにしてしまうって、これはおかしいのと違いますか。例えば、予算的にそれがなかっても、その肝心、何をしようとしてたかという目的まで変えてしまうということはおかしいと思います。私はその方ともいろいろお話ししてた中で、今は予算がなかっても、将来こういったことをしようというひとつの市の本旨、まず市長みずからがそのミステリー文庫にしようというような文庫ももらってきたり、桝田病院第2病棟跡、それを受けたんでしょ、もらって。その人が、その市長が何をしようということを明快に出していただいてこそ、市長から言わせれば、市民の方が盛り上がってきたら、私の方はそれについてお金も出していくと、それが協働型やっておっしゃいますけれども、そうじゃないでしょ。それは事と次第によると思うんです。すべてそんなことでは、大きな物事は達成できないんじゃないかなというふうに考えます。
 
P.133 ◎ 市長(亀井利克)
 
 それから、まちなかの中で乱歩の関係のお尋ねがあったわけでございます。当方のこれについての考え方は今議会で申し上げたとおりでございまして、桝田病院第2病棟の部分というのは、地域の方々にとりましては生活の場でもあるわけでございます。そんな中で、さまざまなご意見もいただいてまいりました。よって、この場所は生誕の地であることを表現できる公園の整備をいたしていくのがいいのではないかというふうに思っております。
 ただでございますけれども、ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。
 
P.145 ◆ 議員(梶田淑子)
 
 それから、このまちなかの再生のことにつきましては、いろんな問題点を残しておりますので、都市環境部長、しっかりとそこに携わる人たちと乱歩事業についても、ぐっと煮詰めていただきたいと思います。
 
P.227 ◆ 議員(森脇和徳)
 
 市長もですね、ある一定の方たちの住民の声を聞いて、乱歩館の建設を考え直されたのではなかったでしょうか。その部分においては、私の考え方と同じではなかったのかなというふうに思っております。まさに公約に触れる部分を修正されたわけであります。
 
 なんとも不毛で幼稚なやりとりがくりひろげられておったわけじゃが、長々と引用したのはほかでもない、名張市にとって乱歩文学館とか乱歩記念館とかといったものがいったいどんな意味をもっているのか、それを確認するためである。
 
 ここに引用した議事録に名前の出てくるみなさんは、おそらく、と決めつけてしまうのは失礼な話であるけれど、あえて決めつけることにして話を進めると、ろくに乱歩作品を読んだこともないかたばかりであろうと推測される。
 
 むろん、そんなことはどうだってかまわない、乱歩を読もうが読むまいが、そんなのは個人の勝手である、ということにしておこう。
 
 ほんとは、どうだってかまわない、ということはないかもしれない。
 
 名張市議会という神聖な場で、名張市民の税金つかって乱歩関連施設をつくるかつくんないか、みたいなことを話し合ってるひとたちが、じつはろくに乱歩作品を読んだことがなく、乱歩のことなんかまるで知らない、なんてことでは、ほんとはよくないかもしれない。
 
 問題あり、というべきかもしれない。
 
 しかしまあ、いまは、どうだってかまわない、ということにしておく。
 
 で、乱歩を読まず、乱歩を知らず、みたいなみなさんが、かくも熱心に乱歩のことを話し合っていらっしゃったのである。
 
 なぜか。
 
 みなさんにはいったい、どんなお考えがあったのか。
 
 それはたぶん、乱歩の名前を名張市のために利用したい、というお考えであろう。
 
 乱歩というのはとにかく名を知られた作家だから、その知名度を利用して名張市をPRすることはできぬものか、名張市を有名にすることはできぬものか、名張市を知るひとや名張市に来てくれるひとを増やすことはできぬものか、といったようなことが、ここにお名前の出てきたお偉いみなさんのお考えであろうと思われる。
 
 ていうか、一般市民レベルにおいても、乱歩を読まず、乱歩を知らず、みたいなひとたちが乱歩の文学館や記念館のことを口にするのは珍しいことではなく、したがってそういったひとたちもまた、乱歩の知名度を名張市のために利用するべきだ、という考えをおもちなのではないかと思われる。
 
 で、そういった考えは、一概に否定されるべきものでもないのではないか、とおれは思うし、名張市立図書館が乱歩にかんしてなにかやるのであれば、お偉いひとや一般市民のあいだにそういう考えが潜在している、ということを念頭においておくべきであろうな、とも思う。
 
 だから、そういう考えをもっているひとたちの意を、図書館という立場で汲むことも必要なのではないかいな、みたいなことをアドバイスしたわけである。
 
 図書館には図書館の守備範囲というものがあるから、その範囲のなかで、身のたけや身のほどに応じて、本来やるべきことを地道にこつこつ継続して、それを名張市の知名度アップやPR、あるいは乱歩の生誕地である名張市に来てくれるひとを増やすことにつなげればいいのである。
 
 となると、たとえばこんなのはどうよ、ということになる。
 
 (ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
 
 かなり有効だと思う。
 
 いつかも記したとおり、実際の建築物としての乱歩文学館を建築するのではなくて、サイバースペースに乱歩文学館を構築する、という発想である。
 
 しかし、どうよ、といってみたってなあ。
 
 発想そのものを理解できない、とか、発想は理解できても具体的になにをやっていいかがわからない、とか、そのあたりが名張市立図書館のレベルである。
 
 世間一般に照らしてごくごくふつうのレベルであれば、インターネットを活用して乱歩にかんするデータベースを発信する、なんてのはとっくの昔に着手されているはずのことである。
 
 しかし、残念ながら名張市立図書館は、というか、残念ながら名張市は、といったほうがいいのかもしれないけど、世間一般に照らしてごくごくふつうのレベルには手が届いておらんのよ。
 
 ふつうのレベルってのがどんなものかというと、たとえばいつかも紹介した千葉県の市川市立図書館。
 
 あの図書館は地域ゆかりの文学作品にまつわるデータベースをインターネットで公開していたけど、あのあたりがふつうのレベルと呼べるものだと思う。
 
 市川市は人口四十七万人あまりの自治体だが、こんなのは自治体の規模には関係のない話であって、昨今の図書館業界でインターネットの活用によって注目を集めているのは、横芝光町立図書館という小さな自治体の図書館である。
 
 やはり千葉県にある図書館で、いま調べてみたところ横芝光町の人口は二万五千人あまりらしいのだが、その横芝光町立図書館の公式サイト、とくとごらんあれ。
 
横芝町立図書館ホームページ:トップページ
 
 ブログやツイッターまでつかって、ちょっとびっくりするほどの読書情報が発信されておる。
 
 しかし、ここ名張市においては、こういったことはまったく望めない。
 
 なにしろやる気がないし、そもそもなにも考えようとしない。
 
 したがって、アドバイスするだけ無駄、ということにしかならないわけなのじゃが、それではアドバイザーとしては困ってしまう。
 
 だから、困りながらもアドバイスするとしたら、もしもサイバースペースに乱歩文学館を建設するというのであれば、乱歩を名張市の商工観光あたりに結びつけたコンテンツをつくることもいくらだって可能であり、それはそれできわめて重要なことになるわけではあるが、もっとも基本になるのはやっぱこういったデータであろうな。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう。
 
 しかし、無理である。
 
 こうした作業を進めようと思ったら、最低でも、乱歩作品を読むことが要請される。
 
 だから、無理である。
 
 サイバースペースに乱歩文学館を構築するなんてのは夢のまた夢、結局のところ、こんな看板を掲げておくしかないのではないか。
 
 開館以来四十年にわたって乱歩関連資料を収集し、館内には乱歩コーナーを開設し、乱歩にかんする詳細な目録も三冊刊行しておりますが、名張市立図書館は乱歩のことをよく知りません。
 
 しかしなあ、これやんないと、もうどうしようもないぞ。
 
 なんつったって、乱歩ゆかりの桝田医院第二病棟跡が、あんなばかなことになってしまったのだものなあ。
 
 怪しげな神社みたいなスポットになってしまったのだものなあ。
 
 さーあ、名張市に新しい乱歩スポットができたみたいだから、いっちょ行ってみようか、とわざわざ足を運んでくれた乱歩ファンや探偵小説マニアなんて、たぶんひとりもいなかったと思うぞ。
 
 だいたいが、名張市民からさえ見向きもされておらぬではないか。
 
 ばかみたいな話だよね。
 
 桝田医院第二病棟跡のことはもうどうにもならないとしても、乱歩にかんするデータベースをインターネットで発信する、なんてのは、おれが名張市立図書館の嘱託をやっていた当時、一再ならず提案してそのたんびに却下された構想であって、あれはいったいどうしてなのであったかなあ、と振り返ってみることにする。
 
 最初に提案したのはいつだったかというと、二冊目の目録が出たあとだから、平成10・1998年のことであったか。
 
 とりあえず、目録二冊の内容をネット上で公開して、それをみたひとから不備や遺漏を指摘してもらいたい、ということがまずあったし、三冊目の目録はネット上で公開しながら編纂を進めたい、というねらいもあった。
 
 で、そのための予算を要求したのだが、これはあっさり却下された。
 
 だから、とりあえず自分でやろうと考えて、ウェブサイトを開設し、データベースをつくっていった。
 
 三冊目の目録は、当初の考えどおりネット上で公開しながら編纂を進めることができたので、紙の本として出版する以前の段階で、ネット上の目録は完成していた。
 
 三冊目の目録が本のかたちで完成したあと、データベースをネット上で構築するための予算を再度要求したのであったが、これまた却下されてしまった。
 
 その後、まあいろいろあって、なにをいったって、提案したって、要求したって、名張市はもうだめだな、無理だな、動かんな、なにも理解できんのであろうな、と判断せざるをえないことになった。
 
 どうすっかな、と思った。
 
 じつをいうと、自分のサイトで目録三冊のデータを公開していることが、いささか負担に思われてもきた。
 
 個人のサイトなんて、個人が死んでしまえば、その時点でぱーである。
 
 死ななくたって、プロバイダとの契約を解消してしまえば、その時点でぱーになってしまう。
 
 それに、新しいデータをつぎつぎに追いかけ、こまめに更新してゆくのも骨である。
 
 どうすっかな、と思った。
 
 で、いつかも記したとおり、かなり血迷っていたのであろう、NPOでもつくるか、と思いついた。
 
 NPO活動の柱のひとつは、ちゃんとサーバーを確保してインターネットでデータベースを発信する、みたいなことも含め、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料を活用する、ということにするつもりであった。
 
 だから、そのNPOが市立図書館の資料を自由に扱うことが可能かどうか、みたいなことを確認する必要もあったから、そのあたりのことやなんかを文書で名張市に質問したのであったが、回答は寄せられることがなかった。
 
 どうすっかな、と思った。
 
 血迷いつづけて、地元資本の大型書店に話をもっていったりもした。
 
 その書店のサイトに乱歩のデータを掲載できないか、と虫のいいことを考えて、社長さんにお願いしてみた。
 
 乱歩が生まれたまちにある大型書店が、乱歩のデータベースを全国発信するというのは、なかなか面白いのではないか、と考えた。
 
 むろん、名張市立図書館の目録の内容をそのまま掲載するわけではない。
 
 (よん)収集資料にもとづいて乱歩作品個々のデータをまとめていく、みたいなことを考えてみてはどうだろう
 
 こんな感じでデータをまとめ、それを発信することになる。
 
 (ご)インターネットを活用して、データベースを発信するのはどうだろう。
 
 つまり、アドバイスの(よん)と(ご)の内容を、地元資本による大型書店のサイトで実現できないか、とずいぶん虫のいいことを考えた次第である。
 
 が、こんな話がうまく進むはずもない。
 
 ブログ内を検索してみたら、ぽしゃった経緯をこのエントリに記してあった。
 
 
 引用しておく。
 
当方のウェブサイト名張人外境は、平成11・1999年10月21日、江戸川乱歩の誕生日を期して開設した。開設にいたる簡単な経緯は、10月24日付エントリに記した。
 
 
サイトのメインコンテンツは、名張市立図書館が発行した『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』という三冊のリファレンスブックである。本来であれば、これらのデータは、乱歩の作品と著書にかんする高度な検索機能をプログラミングしたうえで、名張市立図書館のサイトに掲載されていなければならないのだが、名張市は財政難だからそれができない、ということになっている。リファレンスブックの内容以外に、乱歩にかんする情報も掲載している。最近は更新もとどこおりがちなのだが、いちおうはこんな感じである。
 
名張人外境:トップページ
 
しかし、いつまでも名張市立図書館の著作権を侵害しているわけにもまいらぬであろう。当方、名張地区ぬすっと推進協議会ではないのである。だからサイトを閉鎖して、というか、少なくとも江戸川乱歩リファレンスブックのデータは、いずれ削除してしまわなければなるまい。データそのものはたいへん充実していて、全国に存在する乱歩ファンなどにはおおいに重宝していただいているはずである。その意味では乱歩ファンの共有財産になっているといっても過言ではないのだが、しょせんは個人サイトである。当方が死んだら消滅してしまうものである。しかも当方、澁澤龍彦が死んだ齢まであと四年である。そんな人間が、名張市が面倒をみるべきデータをいつまでも個人として抱えこんでいるのも、なんだかばかみたいな話であると思われる。
 
とはいえ、もう少しなんとかならんものか、とも思われたので、人のふんどしで相撲がとれぬものかどうか、ちょっと考えてみた。書店はどうか、と思いついた。地元大型書店のサイトに、乱歩の作品と著書のデータを掲載して、高度な検索が可能なようにプログラミングする。江戸川乱歩リファレンスブックのデータを流用するわけではまったくないから、名張市立図書館の著作権を侵害することにはならない。ほかに、乱歩にかんする新刊などの情報を掲載してゆけば、それだけで有用なコンテンツになるのだし、乱歩が生まれたまちの書店が乱歩の本にかんする情報を発信する、というのはなかなか面白い話でもある。
 
ただし、無理な話でもあるはずである。当節、書店経営などというのは綱渡りのようなものである。そもそも、出版業界が悲鳴をあげている。新刊点数と書店の床面積は増えつづけているのに、書籍や雑誌の売りあげは相当な勢いで減りつづけている、というのが、本と書店をめぐる現状である。大都市に乱立する大型書店の一店が、ある日突然、閉店になってもふしぎでもなんでもない状況である。名張市だって事情は同様であろう。虫のいい申し出など容れられるわけがない、とは百も承知でいたのだが、とりあえずあたってみるかと考えて、名張市内の某地元大型書店の社長さんから時間を頂戴した。
 
社長さんには親身に話をお聞きいただいたのだが、そもそも成立するはずのない申し出である。むろん当方とて、虫がいいことを口走るだけでは申しわけがないゆえ、乱歩にかんするデータ以外に、オフィシャルサイトにたとえばこんなコンテンツを掲載すれば、乱歩ファンはもとより地域の人たちにも親しまれるのではないか、みたいな提案もそこそこしてはみたのだが、もとより直接的な利益に結びつく話ではない。世間話もまじえていろいろ話しているうちに、ひとつ某地元CATV局に話をもっていってみるか、ということになった。その場の話の流れで、そういうことにしていただいた。
 
 そうだそうだ。
 
 地元資本による大型書店の社長さんからお口添えをいただいて、某地元CATV局にもお邪魔した。
 
 どうなったか。
 
 さらに引用。
 
ちょっとまずいかな、とは思った。当方、地元CATVには加入していないし、これから加入することもないと思う。そんな人間が、えー、こんちこれまた御社のサイトに乱歩のコンテンツをですね、などと申し出るのはいかにも見当ちがいな話である。とはいえ、CATV局が公共性の高い企業であることはまちがいないのだし、名張市が財政難でできないことをCATVが肩代わりするのは無茶苦茶不自然なことでもないであろう。乱歩の出身地にあるCATVのオフィシャルサイトに乱歩にかんするコンテンツがあるというのは、よく考えてみたら面白い話かもしれないなとも思われたので、某地元CATV局の会長さんと社長さんに、別々の日にお会いいただいた。
 
しかしこれは、もちろんそうなるしかないことではあったのだが、話がまったくかみ合わなかった。当方の申し出は、ほとんど常軌を逸したものなのであるから、かみ合わなくてあたりまえである。某地元大型書店にも某地元CATV局にも、こちらから無理をいって時間を頂戴したにもかかわらず、たんに迷惑をおかけしただけの結果に終わってしまった。もちろん、それぞれのトップのかたにお会いでき、話を聞いていただけただけでも、当方にとってはじつにありがたいことであった。おかげですっきりした、もうすっぱりあきらめよう、と考えたのがたしか6月下旬、名張市役所で名張ロータリークラブが教育委員会に「少年少女乱歩手帳」を寄贈した日のことであった。その場に顔を出すようロータリークラブから要請されていたのだが、あいにくと某地元CATV局にお邪魔する先約があったのではたせなかった、その日のことであったと記憶する。
 
 そうだそうだ。
 
 いや懐かしいなあほんとに。
 
 「少年少女乱歩手帳」をつくったころのことであったなあ。
 
 それから、これはブログには記さなかったことで、だから過去のエントリにもとづいて確認することができないのだが、伊賀市に話をもっていったこともある。
 
 伊賀市といったって伊賀市役所ではなく、伊賀市内の某企業なのであるが、伊賀地域のポータルサイトをつくるのはどうよ、みたいな話が出ていて、だったらぜひ乱歩のデータベースを掲載してけろ、と話を進めた。
 
 考えてみれば、乱歩が恩人として慕った川崎克は伊賀上野の人間だし、乱歩のご先祖さまが住んだ家も上野の城下町にあったのだから、伊賀地域全体で乱歩を発信するべきかもしれない、みたいなことにも気がついたのだが、このポータルサイトの話、いまだ完全に死んではいないのだが、ほぼぽしゃってしまったみたいである。
 
 ほかにもいろいろ、わるあがきみたいなことをしてみたのだが、どうにもうまく進まない。
 
 どうしてここまでわるあがきしたのか、理由を考えてみると、個人のサイトでデータベースを背負っているのがしんどい、楽をしたい、ということではなかったか、と思いあたる。
 
 しかもその後、パソコンがぶっ壊れ、サイトを更新するには新しいソフトを購入しなければならぬことになり、しかもインターネットの世界はすっかり進化していて、購入したソフトをつかいこなすにはまたいろいろ勉強しなければならぬことが多くあって、なんかもうやだ、という気になり、しかし、いくら個人がやってるサイトだからって、それなりの使命や責務を背負ってはいるわけで、みたいなことはお役所のみなさんにはとても理解していただけぬであろうが、とにかく最低限の使命や責務をはたすべく、とりあえず新たにブログを開設してかすかに命脈を保っているのではあるが、なんかこんなこと書いてるとほんとにいやになってきた。
 
 あーやだやだ。
 
 ほんとにやだ。
 
 つづく。
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