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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 ミステリ講演会はどうなった
 
 名張産業振興センターで3月21日から23日まで開かれていた叔父さんの水墨画展、ミステリ講演会の翌日、再度訪れたところ、叔父さんはおれにウイスキーを一本くれた。手ぶらで行って、えらい得をした。会場はこんな感じであった。
 
20100325a.jpg
 
 それではきのうにひきつづき、ここらでやめてもいいコロナ、という話である。きょうびのお若い衆のなかには、名曲「自動車ショー歌」をご存じない向きもおありであろう。YouTubeでごらんあれ。
 
 
 さて、ミステリ講演会は今年度が十九回目、スタートは平成3・1991年度のことであった。講師一覧を敬称略で掲載しておく。
 
1991年 生島治郎
1992年 北方謙三
1993年 井沢元彦、阿刀田高
1994年 山村正夫
1995年 栗本薫
1996年 戸川昌子
1997年 高橋克彦
1998年 大沢在昌
1999年 豊田有恒
2000年 宮部みゆき、北村薫
2001年 馳星周
2002年 真保裕一
2003年 高村薫
2004年 福井晴敏
2005年 有栖川有栖
2006年 綾辻行人
2007年 北森鴻
2008年 芦辺拓
2009年 今野敏
 
 錚々たる顔ぶれである。故人が四人。あらためてご冥福をお祈りする。
 
 生島さんの講演は、ちょっとだけのぞいてみた。会場は青少年センターであったか。大入り満員というわけではなかった。北方さん、井沢さん、阿刀田さんの年はスルーした。山村さんが講師をお務めになったのは乱歩生誕百年の年で、おれはいまだ市立図書館の嘱託ではなく、図書館から頼まれて乱歩の読書会の講師を担当していたのだが、その関係からであったか、おなじ日の午前中におれが乱歩講座みたいなのをやり、午後に山村さんがご講演、という日程であった。会場は名張市役所の大会議室。たしか「江戸川乱歩は三度死ぬ」と題してしゃべり、いったん帰宅して昼食をすませたあと、また市役所に戻ろうと考えていたのだが、なにしろ巨人vs西武の日本シリーズが開幕した日だったので、ついずるずるとテレビ観戦、山村さんの講演はスルーしてしまう結果となった。あれはまずかったなあ。
 
 思い出を書きつらねていてはきりがないが、宮部さんと北村さんの年あたりから、おもに関西の乱歩ファンやミステリファンが講演会にちらほら来てくれるようになり、夜は酒食をともにすることが恒例となった。市立図書館の嘱託として勤めるうち、そうした人たちとのつながりができてきた、ということである。昨年度の講演会では、東京からひとりで足を運んでくださった女性があった。まったくの見ず知らず、初対面のお嬢さんであったのだが、講演会のあと、よーねーちゃんこれからおれといっしょに酒のみにいかない? と声をおかけしたところ即座にご快諾いただき、榊町の番じゃ屋敷で焼酎の一升瓶すっからかんにしたのはよかったのだが、その日のうちに東京へお帰りになるご予定であったところ、やむなく名張に宿泊されるという無茶苦茶な展開となってしまった。しかし、そのお嬢さんはめげることなく今年の講演会にも来てくださって、またしても名張でご一泊、ただし今年は最初から名張泊まりと決めていらっしゃったそうで、ついでだから叔父さんの水墨画展もご観覧いただいた。
 
 さてそれで、名張市はどうして、こんなミステリ講演会をはじめたのか。つらつらおもんぱかるに、たぶん、乱歩の名前を利用してかっこつけたいな、と考えたのである。おそらくは前市長が、そんなことを考えたはずなのである。かっこつける、というのは、いいようにいえば、地方都市としてのグレードを高める、ということである。どうすればグレードアップが図れるか。そのための手がかりはなにか。観阿弥と乱歩である、となった。さーあ、観阿弥と乱歩でめいっぱいかっこつけようぜ、となったはずである。ところが、素材はあっても、それをどう活用していいのか、名張市役所の人たちには考えることができない。前例墨守、責任回避、思考放棄、言語道断、そんなことばが渦を巻く市役所のなかでは、気の利いたことなどなにも考えられない。観阿弥では薪能、乱歩ではミステリ講演会。そんな月並みきわまりない結論が出た。なにしろお役所である。ハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想がはびこっていて、とりあえずイベントやっといたらお茶にごせますわてな、みたいなイージーゴーイングがゴーイングマイウェイしているのである。
 
 もっとも、名張市が二十年前にくだした判断を、いまから批判するのはフェアではない。後出しじゃんけんのそしりをまぬかれない。名張市でミステリ作家の講演会を開催すれば、それだけで市内外から聴衆がわんさと詰めかける、と二十年前には考えられたのかもしれない。ミステリ講演会を毎年開催してゆけば、名張市は乱歩の生誕地として全国的に名前を売ることができる、と二十年前には夢みることができたのかもしれない。たしかに名張市は、夢をみたのである。乱歩関連事業をくりひろげてグレードアップするぞ、と思いつき、日本推理作家協会に話を通して、第一線で活躍しているミステリ作家の講演会を実現した。つまり、トップブランドを身につけてみた。しかし、二十年たって、いったいどうなったか。べつにどうにもならなかった。それはそうであろう。いくらトップブランドを身につけてみたところで、中味がすかすかならブランドだけが浮いてしまう。ばかがちゃらちゃらかっこつけやがって、と思われるのが関の山である。トップブランドに大枚はたいてちゃらちゃらできるご時世でもあるまい。名張市もそろそろ、身のたけ身のほどというものをわきまえたほうがいいであろう。二十年前の判断をいまから批判することはしないが、二十年前の判断にいつまでも服していなければならぬ道理もない。だから、検証が必要だというのである。
 
 検証の結論としては、きのうも記したとおり、ここらでやめてもいいコロナ、ということになる。入場者数の少なさだけを根拠に、こんなことをいってるわけではない。名張市のミステリ講演会にもっとも数多く入場している市民は、たぶんおれである。その市民が、ミステリ講演会はどうも名張市民から必要とされていないようだな、という実感を抱くにいたっているからである。もちろん、市民から必要とされていなくたって、全国のミステリファンから需要があるというのであれば、話はまたべつである。しかし、残念ながら、そんなこともないみたいである。だから結局、ここらでやめてもいいコロナではあるのだが、とりあえず事業を見直すことは必要であろう。だいたい、日本推理作家協会に丸投げしてしまったのはいかがなものか。むろん、上掲のような綺羅星のごとき講師陣をお迎えできるのは、日本推理作家協会のおかげである。しかし、丸投げはどうよ。講演会を主催する側が、つまり名張市が、ミステリ作家に限定することなく、こんどはだれに講師をお願いするべきか、あれこれ悩んだり考えたりしてアプローチを重ね、そうすることで乱歩に関係のある人たちとのあいだに関係性を築いてゆく、みたいなことも大切なはずである。しかし、お役所の人にそんなことはできない。
 
 とはいえ、いまのままでは、毎年毎年、消化試合を重ねてるだけという印象が否めない。いやまったく困ったものだよな、と思っていたところ、まーた丸投げである。ミステリ講演会は今年度、こんなことになったのである。
 
名張市公式サイト:なぞがたりなばり委託事業募集要項(pdf)
 
 さあ関係各位、そろそろ涙目のご用意をの巻でござる。
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