三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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長かったんだか、短かったんだか。江戸川乱歩生誕地碑広場の整備が終われば、名張まちなか再生事業にまつわる数年来のすったもんだが、ひとまず終結をみることになる。
名張市が旧桝田医院第二病棟の寄贈を受けたのは、平成16・2004年11月のことであった。ちょうど四年前である。それでまあ、四年もの時間をかけて、結局はこのざまなのである。あやしげな神社のような、淫祠邪教の聖地のような、なんとも異様な空間が現出することになった。
それにしても、四年である。まったく無駄な四年であった。ほんとうは無駄ではなかったはずなのだが、無駄な結果に終わってしまった四年間であった。つまり、当方の有益なアドバイスを名張市がいっさい聞き入れようとしなかったから、結果としてすべてが無駄であった、ということになった。まったくまあ、なーにいってやったって、これっぽっちも聞きゃしねーんだからなあ。
とはいえ、問題はまだ残っている。江戸川乱歩生誕地碑広場は、完成したらそれっきりである。活用だの運営だのを考える必要はない。しかし、お察しのとおり、やなせ宿はそうではない。整備は終えたものの、運営面でけりをつけるべきこと、白黒をはっきりさせておくべきことが少なからずある。いまだ不確定な要素がある。しかし、そんなことを本気で考えている人間は、おそらくひとりもおらんであろう。だから、考えてみることにする。
やなせ宿の運営は、来年3月末までは、まちなか運営協議会に委託されている。初年度の委託費は二百五十万円である。しかし、そのあとはどうなるのか。あとがあるのか。それがどうも、よくわからない。そもそも、なんのための施設なのかがはっきりしておらんのだから、どうやって運営すればいいのか、明快なことはだれにもいえないのである。
ならば、どうする。名張市はやなせ宿の運営にかんして、来年度から指定管理者制度を導入するとしている。だが、実現可能な話であるとは、あまり思えない。なんのために存在してるんだか、いまだにあいまいな施設である。つまりは、どうやって管理すればいいんだか、いまにいたってもだれにもわかっていない施設なのである。指定管理者もくそもないではないか。
かりに指定管理者を募集するというのであれば、そのまえにひとつ、募集しなければならぬことがあるのではないか。やなせ宿をどのように利用すればいいのか、そのアイデアを募る必要がある。名張市の広報紙や公式サイトで、やなせ宿の施設と設備の概要、それから立地やなんかを紹介しつつ、これをいったいどんなふうに利用すればいいでしょう? と市民に、いやいや、市民でなくてもいいのだが、とにかくプランやアイデアを募ることが必要なのではないか。
ばかみたいな話であるが、それはしかたがない。なにしろ、活用の方向や目的がまるで決まっていなかったにもかかわらず、とっとことっとこ施設だけが完成してしまったのである。赤っ恥をさらすことになるようだが、とにかく正直になって、人の知恵を借り、活用の方向や目的をきっちり決めることが先決である。それが明確になってはじめて、指定管理者を募集することが可能になるはずである。だが、それでもやっぱり、ばかみたいな話であることには変わりがない。
それはそうであろう。なんの必要もない施設、だれひとりとして望んでいなかった施設を、一億円もかけて建設したのである。そのあとから、文字どおりあとづけで、施設の意義や目的を明確にすることができ、指定管理者制度を導入することができたとしても、やなせ宿を維持管理運営するための委託費として、毎年毎年、税金がそそぎこまれることになるのである。なんでそんなばかなことやってんの? わざわざ税金を無駄づかいするために施設つくったの? とそこらの小学生からツッコミが入ることにもなりかねない。
だから、いちばんに考えるべきなのは、できるだけ税金をつかわないで済む施設にする、ということかもしれない。となると、もっとも手っ取り早いのは、やなせ宿を叩き売ってしまうことである。もっとも、買い手がつくかどうかは疑問である。手をあげる人間など、たぶんひとりもいないのではないか。それに、かりにやなせ宿にビジネスの芽を見いだし、購入希望の名乗りをあげる人間がいたとしても、売却するのは不可能であろうと思われる。国の交付金を受けている関係で、制度上、右から左へ売り飛ばすことはできないことになっているはずである。
売り払うのが無理なのであれば、経済的に自立した施設とすることを考えなければならない。まちなか再生の拠点であるとか、観光交流の拠点であるとか、そんなうそっぱちを並べるのはもうおしまいにして、とりあえず日銭を稼ぐことを考えなければならない。となれば、有力候補はやはり飲み屋か。さいわい、現在の食堂化路線と方向性はおなじだから、昼は食堂、夜は飲み屋、そういうことにしてしまう。
そういうことにしてしまえば、名張市はその手の業者にやなせ宿を貸すだけでいいのである。いまだって、やなせ宿の蔵のひとつは、どうしてそういうことになったのか、そういうことが制度のうえで可能だったのか、もうひとつよくわからないのだが、とにかくFMなばりのスタジオということになっているのだから、厨房をはじめとしたほかのエリアも、蔵と同様に貸し付けることは可能であろう。
つまり、日銭を稼げる業者に貸し付けて、ショバ代のあがりを名張市の収入とすればいいのである。しかし、この不景気である。新町あたりに食堂兼飲み屋を開店してみても、たちどころに商売繁盛とはまいらぬかもしれん。なにか特色を打ち出し、他店との差別化を図って、独自の魅力をアピールすることが必要であろう。となると、たとえば韓国クラブなんてのはいかがなものであろうか。いいママ、紹介してやろうか。
かりに食堂兼飲み屋化路線が無理だとなると、なんかもう万事休すである。やなせ宿は4月1日から閉鎖ということにもなりかねない。いや、むしろそうすべきかもしれない。開設一年ほどで閉鎖に追いこまれてしまった公共施設、なんて感じで放置しておけば、名張市における輝かしい失政のシンボルとなるし、さすがにこれではまずかろうと、地域住民が主体的に知恵をしぼりはじめる契機になるかもしれない。
四年の月日を経過して、現時点における結論は、やなせ宿は来年4月1日から閉鎖すべし、ということになった。なかなか名案だと思う。
名張市が旧桝田医院第二病棟の寄贈を受けたのは、平成16・2004年11月のことであった。ちょうど四年前である。それでまあ、四年もの時間をかけて、結局はこのざまなのである。あやしげな神社のような、淫祠邪教の聖地のような、なんとも異様な空間が現出することになった。
それにしても、四年である。まったく無駄な四年であった。ほんとうは無駄ではなかったはずなのだが、無駄な結果に終わってしまった四年間であった。つまり、当方の有益なアドバイスを名張市がいっさい聞き入れようとしなかったから、結果としてすべてが無駄であった、ということになった。まったくまあ、なーにいってやったって、これっぽっちも聞きゃしねーんだからなあ。
とはいえ、問題はまだ残っている。江戸川乱歩生誕地碑広場は、完成したらそれっきりである。活用だの運営だのを考える必要はない。しかし、お察しのとおり、やなせ宿はそうではない。整備は終えたものの、運営面でけりをつけるべきこと、白黒をはっきりさせておくべきことが少なからずある。いまだ不確定な要素がある。しかし、そんなことを本気で考えている人間は、おそらくひとりもおらんであろう。だから、考えてみることにする。
やなせ宿の運営は、来年3月末までは、まちなか運営協議会に委託されている。初年度の委託費は二百五十万円である。しかし、そのあとはどうなるのか。あとがあるのか。それがどうも、よくわからない。そもそも、なんのための施設なのかがはっきりしておらんのだから、どうやって運営すればいいのか、明快なことはだれにもいえないのである。
ならば、どうする。名張市はやなせ宿の運営にかんして、来年度から指定管理者制度を導入するとしている。だが、実現可能な話であるとは、あまり思えない。なんのために存在してるんだか、いまだにあいまいな施設である。つまりは、どうやって管理すればいいんだか、いまにいたってもだれにもわかっていない施設なのである。指定管理者もくそもないではないか。
かりに指定管理者を募集するというのであれば、そのまえにひとつ、募集しなければならぬことがあるのではないか。やなせ宿をどのように利用すればいいのか、そのアイデアを募る必要がある。名張市の広報紙や公式サイトで、やなせ宿の施設と設備の概要、それから立地やなんかを紹介しつつ、これをいったいどんなふうに利用すればいいでしょう? と市民に、いやいや、市民でなくてもいいのだが、とにかくプランやアイデアを募ることが必要なのではないか。
ばかみたいな話であるが、それはしかたがない。なにしろ、活用の方向や目的がまるで決まっていなかったにもかかわらず、とっとことっとこ施設だけが完成してしまったのである。赤っ恥をさらすことになるようだが、とにかく正直になって、人の知恵を借り、活用の方向や目的をきっちり決めることが先決である。それが明確になってはじめて、指定管理者を募集することが可能になるはずである。だが、それでもやっぱり、ばかみたいな話であることには変わりがない。
それはそうであろう。なんの必要もない施設、だれひとりとして望んでいなかった施設を、一億円もかけて建設したのである。そのあとから、文字どおりあとづけで、施設の意義や目的を明確にすることができ、指定管理者制度を導入することができたとしても、やなせ宿を維持管理運営するための委託費として、毎年毎年、税金がそそぎこまれることになるのである。なんでそんなばかなことやってんの? わざわざ税金を無駄づかいするために施設つくったの? とそこらの小学生からツッコミが入ることにもなりかねない。
だから、いちばんに考えるべきなのは、できるだけ税金をつかわないで済む施設にする、ということかもしれない。となると、もっとも手っ取り早いのは、やなせ宿を叩き売ってしまうことである。もっとも、買い手がつくかどうかは疑問である。手をあげる人間など、たぶんひとりもいないのではないか。それに、かりにやなせ宿にビジネスの芽を見いだし、購入希望の名乗りをあげる人間がいたとしても、売却するのは不可能であろうと思われる。国の交付金を受けている関係で、制度上、右から左へ売り飛ばすことはできないことになっているはずである。
売り払うのが無理なのであれば、経済的に自立した施設とすることを考えなければならない。まちなか再生の拠点であるとか、観光交流の拠点であるとか、そんなうそっぱちを並べるのはもうおしまいにして、とりあえず日銭を稼ぐことを考えなければならない。となれば、有力候補はやはり飲み屋か。さいわい、現在の食堂化路線と方向性はおなじだから、昼は食堂、夜は飲み屋、そういうことにしてしまう。
そういうことにしてしまえば、名張市はその手の業者にやなせ宿を貸すだけでいいのである。いまだって、やなせ宿の蔵のひとつは、どうしてそういうことになったのか、そういうことが制度のうえで可能だったのか、もうひとつよくわからないのだが、とにかくFMなばりのスタジオということになっているのだから、厨房をはじめとしたほかのエリアも、蔵と同様に貸し付けることは可能であろう。
つまり、日銭を稼げる業者に貸し付けて、ショバ代のあがりを名張市の収入とすればいいのである。しかし、この不景気である。新町あたりに食堂兼飲み屋を開店してみても、たちどころに商売繁盛とはまいらぬかもしれん。なにか特色を打ち出し、他店との差別化を図って、独自の魅力をアピールすることが必要であろう。となると、たとえば韓国クラブなんてのはいかがなものであろうか。いいママ、紹介してやろうか。
かりに食堂兼飲み屋化路線が無理だとなると、なんかもう万事休すである。やなせ宿は4月1日から閉鎖ということにもなりかねない。いや、むしろそうすべきかもしれない。開設一年ほどで閉鎖に追いこまれてしまった公共施設、なんて感じで放置しておけば、名張市における輝かしい失政のシンボルとなるし、さすがにこれではまずかろうと、地域住民が主体的に知恵をしぼりはじめる契機になるかもしれない。
四年の月日を経過して、現時点における結論は、やなせ宿は来年4月1日から閉鎖すべし、ということになった。なかなか名案だと思う。
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