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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうも記したごとく、やなせ宿を運営するのはひとまず来年3月31日までとし、4月1日以降はクローズドとするというのも、いわゆる選択肢としてはありだと思う。とにかく、なにも明確にしないまま来年度もずるずるやります、というのがいちばんいけない。いったん白紙に戻して、仕切り直しを図ることがぜひとも必要であろう。

しかし、仕切り直しが必要であるということすら、だれひとり考えておらんのではないか。やなせ宿関係者のなかで、来年4月1日以降のやなせ宿のことを真剣に考えている人間など、ひとりも存在しないのではないか。考えてみれば、ふびんな話である。かわいそうな話である。

かわいそうなはこの子でござい、という話である。だれからも望まれることなく生まれてきた赤子のようなやなせ宿は、いまだになんのための施設なのかが判然としない。子供にたとえていえば、自分がだれなのかがわからない。アイデンティティを確立できていない。そんな子供である。にもかかわらず、だれも救いの手を差し伸べようとはしない。

当方とて、これ以上はどうしようもない。やなせ宿のために可能なかぎりのことはしてきたつもりであるが、なさけないことに無力であった。だからもう、あきらめてくれ。当方のことは忘れてくれ。なんかそこらのおねえさんに別れ話を切り出してるような気分になってきたが、ほんとにもう、やなせ宿にしてやれることはなにもなくなったというのが実感である。

もっとも、いつかも記したごとく、こんなものは名張市長の鶴のひと声でどうにでもなる問題である。市長がリーダーシップを発揮しさえすれば、事態はいくらだって打開できるはずである。かりにやなせ宿を閉鎖するということになっても、それを判断し、実行するのは、やはり市長であるべきなのである。しかし、しかしなあ。

名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月

引用。

   
まちなか再生につきましては、本年6月にオープン予定の旧細川邸「やなせ宿」は、市民をはじめ、多くの来訪者の交流拠点施設として、地域の皆様方が主体となって、多様な事業が展開されるよう大いに期待をいたしているところでございます。

これだもんよ。ここに色濃く表れているのは、「地域の皆様方が主体となって」という文言にも明らかなとおり、徹底的な主体性の放棄である。行政がばかみたいに主体性放棄を決めこみ、そこらの程度の悪い「地域の皆様方」に丸投げをかましつづけた結果がこれなのである。だからこそ、いま、強力なリーダーシップのもとに行政の主体性を発揮することが、名張市長に望まれているのである。望まれているはずなのであるが、しかし実際には、ま、あきまへんやろな、といったところか。んなもん、あきまっかいな、みたいなことであろうか。

それにしても、この四年間、まちなか再生事業を回顧してみると、むろんさまざまに問題はあったけれど、総体としていちばん大きく迫ってくるのは、やはり名張市長の無定見と無責任という問題ではあるまいか。どうもそんな気がする。
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