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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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2月25日に開かれた名張まちなか再生委員会理事会の報告である。名張川の鮎のことなどどうでもいいとして、ぶっ壊してやるぶっ壊してやるとぎゃあぎゃあわめきつづけてきたのが奏功し、理事会において委員会の解散がふつうに話し合われるようになった。慶賀である。たとえば、名張まちなか再生委員会を解散したら、いったいどんな支障が生じるのか、といった質問が提出された。支障なんてない。あるわけがない。早い話、昨年6月1日の定期総会以来、名張まちなか再生委員会はなんの活動もしていないのである。なにか支障が生じておるのか。ぜーんぜん。しかし、にもかかわらず、あるいは、当然のことながら、というべきか、委員会はそれを認めようとしない。事務局、つまり行政サイドも確答できない。だから、話がまえに進まないのである。1月25日の臨時総会でもいったことだが、現在ただいまの名張市は、名張まちなか再生委員会をどう位置づけているのか、委員会になにを求めているのか、それがわからなければ規約改正もくそもないのである。規約における最重要事項、委員会の目的というやつが明確にならぬのである。

   
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

こんな条文、だれひとりとして理解できんのではないか。なにがいいたいのか、なにがやりたいのか、さっぱりわからん。だから、この第二条がいかに意味不明なものであるかを具体的に示すために、名張まちなか再生プランなどというインチキプランが指針になると思ってんのか、なるわけねーじゃねーか、旧細川邸を歴史資料館にいたしますと明記したプランがやなせ宿整備の指針になったとでもいうのかこら、といってやってるのである。しかも、プランの中味がいいかげんであったことに加えて、もとより察しのついていたことではあったが、名張市が終始ぶれまくりであったという事実も、1月25日の理事会で明らかになった。旧細川邸のいわゆる公設民営にかんして、行政サイドの見解がまるで一定しておらず、会合のたびに変化し、ぶれまくっていたとのことである。名張市名物ぶれまくり、いまさら驚くにはあたらぬが、ぶれるといえば、こんなウェブニュースが眼にとまった。

中国新聞:「首相は人心を惑わせた」 給付金受け取り、識者ら批判(3月3日)

キツネ目の男疑惑の宮崎学さんが、定額給付金問題における麻生太郎首相のぶれまくりにかんして、「ぶれているというより、そもそも考えることができない人なのではないか。世間の風向きを見て決めているのだろう」とのコメントを寄せているが、名張市もそうなのではないか。ぶれるというより、なにかを考えることができない。名張まちなかの再生においても、確固たる信念もなければ、明確なビジョンもなく、あるのはてめーらの都合ばかり、うわっつらの思いつきだけでことを進めるから、ぶれまくるしかないのである。もう少し、ほんとにもう少しでいいから、ものを考えるということにチャレンジしてみてくれんか。ちっとはものを考えろ、みたいなことは、それはもう再三再四いってやったではないか。住民監査請求をかましたときにも、参考資料として提出した「僕の住民監査請求」にこう書いてやったではないか。

   
「ここでふり返っておくならば要するに内発的なものがどこにもないんです」
「内発的なものといいますと」
「内側から発した動きのことです」
「それがないということはつまり外側から動かされてるゆうわけですか」
「伊賀の蔵びらきでは三億円のばらまきという外在的要因に芭蕉生誕三百六十年という中途半端な思いつきを無理やりこじつけただけでしたし」
「名張まちなか再生プランの細川邸は内発的なものやないんですか」
「素材そのものは内側にありますね」
「細川邸を素材として活用したいという声は以前からあったようですけど」
「そうした声が内発的な動きとして出てくるまでにはいたらなかった」
「なんでですねん」
「内発的なことを自分の頭で考えられる人間がおらんかったからでしょうね」
「それがまちづくり交付金という外側からの働きかけによって動きが出たと」
「その動きが一歩目でずっこけまして」
「ずっこけたといいますと」
「わけのわからん策定委員会つくって丸投げした時点ですべてが終わりました」
「丸投げはあきませんかやっぱり」
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」
「たしかに手遅れですけどこのままにしておくのもまずいかなと思いまして」
「いったいどないしますねん」
「名張市がこうゆうインチキだらけの歴史を二度とくり返さないように住民監査請求をがつーんとかましたります」
「なんやて君」

しかしまあ、こんなことをこんなところに書きつけておってもどうにもならん。だから、もしも中先生、かりに名張市長ということになったなら、まずそのへんから手をつけることにしたい。以前にも書いたことだが、とりあえず、職員諸君にポテンシャルを10%ほど底上げしてもらいたい。難しいことではない。職員諸君に、とにかくものを考えてもらう、ということである。考えた結果、どんな結論にたどりついたってかまわない。考えるということに慣れてもらいたい。考えるという行為の面白さに気づいてもらいたい。みずからの主体的な問題として、名張市が直面しているさまざまな課題問題を、じっくり考えてもらいたい。お役所の人間として、公務員として、全体の奉仕者として、パブリックサーバントとして、死ぬほど考えてもらいたい。いやいや、いくら考えたって死ぬようなことはない。心配無用である。

よその事例ということでいえば、JANJANのコラムにこんなのがある。

竹内謙の『Samurai Mayors』:福島県矢祭町(4)「合併をしない宣言」から芽生えた自律意識(2005年3月29日)

引用。

   
「職員が考える」のを待っていた町長
それにしても、なぜ、これほどの短期間に、これほど盛りだくさんの行財政改革ができたのだろうか。結論から言えば、「合併しない宣言」が職員の意識を一変させる効果を生んだということだろう。

「ほんとうは町長に行革なんてやるつもりはなかったんですよ」
自立に向けて役場改革の牽引車になってきた自立推進グループ長の高信由美子さんが意外なことを打ち明けてくれた。

どういうことか。高信さんの話によると、「市町村合併をしない矢祭町宣言」(01年10月)からというもの、矢祭町は全国の自治体からの視察ラッシュに襲われた。当時、議会事務局勤務だった高信さんがもっぱら応対係になった。視察団から、自立のための財政、行革、街づくりをどう考えているのか、矢のような質問が飛んできた。

役場のだれも、なにも考えていなかったので、なにも答えられない。町長は適当なところで席を立ってしまう。高信さんは「町長は現状維持で大丈夫ぐらいにしか考えていなかった」とみる。あとに残される高信さんは、来る日も来る日も視察団が繰り出す同じ質問に、だんだん不安が募ってきた。意を決して「本格的な行革をしなければ町は自滅する」と町長に直訴した。町長の指示は「お前さんたちが考えてやれ」だった。町長はなかなか人使いに長けた人だ。何ごとにつけて職員が自ら立ち上がるのを待つ手法をとる。

家貧しくして「孝子」あらわた町役場
町民の間には、地方交付税が削られる恐れがある「合併しない」選択によって「住民サービスが低下するのではないか」という不安と疑心を生んでいた。自立と住民サービスを検討する行財政改革の作業は、4人のプロジェクトチームからスタートした。これまでの役場の古い慣習と変えることへの抵抗と衝突し、会議の度に大声が飛び交い合いながらも、次第に全庁に広がった。そして03年8月の機構改革で「自立推進課」が生まれ、ようやく軌道に乗った。

03年12月には全職員が自分の事務事業を見直す事務改善検討委員会が立ち上がった。3人を除いて自分の考え、提案を提出した。「何をしても変わらない」から「できることから変えよう」へ、職員の意識が変わってきた。なかでも中堅でみんなをまとめる人がいるグループは改革に拍車がかかった。「経費節減が住民サービスの低下を招いては何もならない。経費節減と同時に住民サービスの向上を図る」ことが行財政改革の共通認識になった。

高信さんは「ここまで行財政改革を進めてこられたのは、町民の不安の声と全国からの視察団の叱咤がわれわれを変えてくれたお陰なのです。人は出会いによって成長するものだとつくづく思います」という。

根本町長は「総務省の合併はありがたかった。あれがなければ、みんな、きっと、のんびりしていたよ。ほんとうの町づくりができるようになったのは、宣言からですよ。家貧しくして孝子あらわる。おカネなんかない方が、よほど自立の気持ちが起きるのです」という。

お役所の改革なんてものは、それこそ内発的なものでなければ成就するはずがない。からっからっからっからっと寒風のなかの風車みたいに、かけ声ばかり空回りさせてたってどうしようもないではないか。必要なのは、職員諸君に変わってもらうことである。だから、お役所の改革を、いやいや、中先生は改革などということばは使用しないつもりなのであるが、お役所がどうあるべきか、地域社会がどうなるべきか、自分たちの問題として考えるところからスタートしてもらう。保身と昇進だけを考えて長い公務員人生を無駄にまっとうする、なんてことでは困るのである。

そんな話はまあいいとして、名張まちなか再生委員会の理事会にかんしていえば、やはり無茶苦茶であった。事実上はもうぶっ壊れているのだが、名張まちなか再生委員会、きっちり解散に追い込んでやらねばなるまい。その日が来るまでぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめきつづけてやる。覚悟しておけ。それと、各プロジェクトチームにもち帰った理事会の宿題、すなわち、「乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について」と「名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について」の二点をチーム単位で検討するという話は、とくに期限も設けられなかったので、というか、こんなものは期限を決めたうえで宿題にするべきものなのだが、期限がないというのだから、とりあえず田植えが終わってから検討する、ということにしておいた。
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 そもそも、名張まちなか再生委員会がどうして理事会を開いたのかというと、1月25日の臨時総会で収まりがつかなかったからである。理事会の検討テーマは「乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について」と「名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について」となっていたが、問題は同根である。どういうことか。臨時総会で規約改正について協議したとき、あの無茶苦茶な第二条をちょいとつついてやった。

   
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

ツッコミどころは数々あれど、とりあえず、名張まちなか再生プランが指針になるわけねーじゃーねーか、といってやった。そこから派生して、名張まちなか再生プランには乱歩のことが記されていないのだから、あのプランを指針にするというのであれば、乱歩関連事業プロジェクトチームは存在の根拠を失ってしまう、という話にもなった。だが、臨時総会では結論が出なかった。とりあえず規約改正を済ませてしまって、そのあとで再協議すればいい、ということになった。だから、おとといの理事会において、規約第二条と乱歩関連事業プロジェクトチームとがテーマになったのである。

しかし、いくら話し合ってみたところで、どうなるものでもない。げんに、おとといの理事会でもなんの進展もみられず、プロジェクトチーム単位で協議してみる、などという意味不明な落としどころにもちこむしか手がなかったことは、きのうも記したとおりである。名張まちなか再生プランには、旧細川邸は歴史資料館として整備する、と明記されていた。しかし、そうはならなかった。やなせ宿は歴史資料館なんかではまったくない。そんなもん、いったいどこの世界に日替わりランチののぼり立てた歴史資料館があるっちゅうねん、という話なのであり、この一事だけをもってしても、名張まちなか再生プランが指針になどならぬことは明白である、という話なのである。いくら協議検討を重ねてみたところで、この事実を合理的にオーソライズできる道理などどこにもない。

やなせ宿の名前が出てきたから、話題をスライドさせる。旧細川邸の整備は、名張まちなか再生プランの核となる事業であった。しかし、完成したやなせ宿は、名張まちなか再生委員会とは無縁の施設ということになってしまっている。これは明白にそうである。1月25日の臨時総会でそれが確認された。理事会では、これはおかしいではないか、という意見が出た。まちなか再生のために組織された名張まちなか再生委員会が、やはりまちなか再生のために整備されたやなせ宿と無関係であり、やなせ宿の運営に直接タッチできないなんてのは、おかしすぎる話ではないか、という指摘がなされたのである。それはたしかにそうなのであるが、もうどうしようもないのではないか。ここ名張市という低能自治体においては、びっくりするくらいなんでもありなのである、うすらばかが好きなことできるのである、まともな感覚をもった人間は茫然としているしかないのである、というしかないように思う。

やなせ宿にかんしては、あんなものができたからといって、まちなか再生にはまったく寄与していないではないか、という批判も出された。名張のまちは衰退一直線、いまや待ったなしの状態であるから、まちなか再生に期待をかけ、やなせ宿が再生の拠点として機能しはじめる日を待望していたのだが、いっこうにそうならない。やなせ宿ができて、名張のまちがよくなったのか。なにかいいことがあったのか。なにもないではないか。いいことがあったのは、やなせ宿の運営を手がけているまちなか運営協議会の役員だけではないか、といった意味の指摘まで飛び出して、それはもうえらい面白かったのであるけれど、やなせ宿にはもはや、なんの期待もできぬのではないかいな。とはいえ、せっかく整備されたやなせ宿、有効に活用したいという市民が存在しているのもまた事実であって、理事会のあと、市役所を出てコメダ珈琲店名張店で開かれた二次会に臨んだところ、やなせ宿をどうするか、という話題が出た。

中先生は、やなせ宿のことなんかもう知らん、と思っているのであるが、二次会の雑談では、中先生をやなせ宿の名誉館長にして人集めの広告塔とし、やなせ宿は地元物産の販売やPRを主体にして運営してゆくのが望ましい、みたいな意見も示された。いやそんな人集めの広告塔などと、中先生をまるでマルハンとかいうパチンコ屋におけるアントニオ猪木さんみたいなものにしてどうする、とか思っているうち話題はさらに移り、中先生が名張市長選挙に出馬したら当選するかどうか、みたいな話になったので、いやいや、現市長をばかにしてはいかんぞ、なんらかの方法で市民アンケートを実施したならば、現市長の支持率はそこそこ高いはずである、といっておいた。それに当選もなにもだな、選挙に当選するために自分の顔と名前をでかでかと印刷したポスターをそこらじゅうに貼りまくるなどという破廉恥な真似は中先生、とてもとてもいやなのである。なんで市長になどならねばならぬのか、と強く思いはするけれど、ならなくちゃならんのかもしれないなという気がしないでもない。微妙である。

かりに中先生が名張市長ということになったなら、これは以前にもこのブログに書いたことだが、やなせ宿には市長室を設ける。まちの市長室、という寸法である。不退転の決意でまちなか再生に取り組むため、最前線に市長室を置くのである。名張まちなかは、高齢者特区、とでもいったものにして、おじいちゃんおばあちゃんが不安なく生きられるまちを目指す。毎週土曜の夜にはやなせ宿を寄席にして、おじいちゃんおばあちゃんがにこにこできる場を提供する。アイデアならばほかにもあって、これぞ福祉の理想郷ではないか、とは思うのであるが、とにかく市長になるのなんていやである。いやなのではあるが、微妙である。

閑話休題。いくら話し合ったところでどうしようもない、という話に戻る。もうばかなんだからどうしようもない、といってやった。よく思い出してみろ。名張まちなか再生プランは、じつにとんでもないプランであった。一読すれば、そんなことはすぐわかるではないか。展示すべき歴史資料などどこにもないのに、旧細川邸を歴史資料館にすると書いてある。だからこら低能自治体、そんなばかな話はあるまいと、ちゃんとパブリックコメントまで出して教えてやったではないか。乱歩のことも同様である。せっかく桝田医院第二病棟の寄贈を受けたというのに、あのプランではその活用策について片言隻句もふれられていなかった。じゃによって、パブリックコメントでちゃーんと説いてやったではないか。こら低能、低能自治体、それをいっさい無視したあげくがこのざまではないか。低能自治体が発足させた低能委員会は、低能プランを指針といたしますなどと低能そのもののことをいまだに口走りつづけて、にっちもさっちも行かなくなっているではないか。ばかかこら低能。

みたいなことをぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめいていたら、聞いておるほうはもうたまんなくなってくるのであろうな。もっと前向きな話をするべきだ、みたいなことで逃げようとするやつが出てくる。前向きな話、というのはどういうことか。過ぎたことは水に流そう、ということである。くさいものにはふたをしてしまいたい、ということである。過去のプロセスを検証し、こんなとんでもない事態に立ちいたった原因を確認し、それを反省して将来に生かす、というのが本来の前向きな話であるはずなのだが、ここ名張市という名の低能自治体においては、そんな常識などとても通用せんのである。過去をないがしろにする人間に、未来を語ることなどできんのである、というあったりまえの道理が理解されんのである。ずぶずぶなあなあのムラ社会で生きている田舎者には、ものの道理もことの本質も関係ないのである。

それにしても、聞いておるほうはほんとにたまんなくなってくるのであろうな。批判するのはよくないことだ、みたいな意見まで出てくる。さすがムラ社会、さすが田舎者、みごとなまでのずぶずぶなあなあである。正当な批判の応酬によってものごとを前に進める、というあったりまえのことが理解できんのである。そんな連中が偉っそうにしておるのである。偉っそうにしておるといえば、じつに偉っそうにまったくわけのわからんことを話しはじめるやつもいて、あれには心から驚いた。予想もつかぬことであった。脈絡もなくなぜか突然、名張川の鮎がどうのこうの、という話が出てきたのである。なんか、いわゆる地域おこしイベントの話みたいであった。ようやく話が終わったので、議論の流れに関係のない発言は控えていただきたい、と要望した。しばらくすると、また名張川の鮎である。ようやく話が終わったので、名張川の鮎の話はなかなかいいと思いますので、このさいですから鱒の養殖も考えてみてはいかがでしょうか、と提案した。しかし、このおちょくりが通用せんのである。ほんと、腰が抜けたぞ。あんなのはもう、鮎の稚魚といっしょに名張川に放流してやったらいいのではないかいな。
憂鬱だ憂鬱だとぼやいていてもしかたがないのであるが、本日はきのうの夜、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会第一回理事会の報告となる。わが名張まちなか再生委員会は1月25日の臨時総会で規約改正を断行した次第であるが、新しく定められた規約にもとづいて初の理事会が催されたという寸法である。配付された事項書がこれ。

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会事項書

        日時:平成21年2月25日(水)19時〜
        場所:名張市役所2階 庁議室

1.あいさつ

2.次回の総会に向けた整理事項について
0.〇乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について
0.〇名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について
  第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

3.まちなか再生における今後の取組みについて

4.その他
0.〇(報告事項)乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について
0.  平成21年2月28日(土)午前11:00〜(於:乱歩生誕地碑広場地内)

えらいものであった。なにがえらいものであったか。午後7時から9時まで休みなしに協議がつづいて、結局なんの進展もなかったのだからえらいものである。「2.次回の総会に向けた整理事項について」にあげられた〇ふたつのテーマは、委員会の内部組織であるむっつのプロジェクトチームにもち帰り、チーム単位で検討を進めたあと、さらに理事会を開いて協議されることになった。チーム単位でなにを検討すればいいのか、もうひとつようわからん次第であるが、そういったあたりを落としどころとしなければ、理事会の収拾がつかなかったということである。

なぜ収拾がつかんのか。中先生がぎゃあぎゃあいってやったからである。中先生がひとたびぎゃあぎゃあいったならば、だれもまともには反論できんからである。中先生がすごいのではない。名張まちなか再生委員会があまりにもひどいのである。無茶苦茶なことをしてきたのである。ちょっとつっつかれるだけでぐうの音も出なくなるようなことを、平成17・2005年6月26日の発足以来、名張まちなか再生委員会はえんえんとつづけてきたのである。げんにつづけているのである。収拾なんかつくわけねーじゃねーか。

したがって、「3.まちなか再生における今後の取組みについて」なんてものも検討できない。よく考えてもみろ。昨年6月1日の定期総会で、プロジェクトチーム単位の事業計画が決定された。あの計画どおりに事業を進めておるチームがひとつでもあるのか。あるまい。断じてあるまい。少なくともわが歴史拠点整備プロジェクトはなーんにもしてない。というか、事業計画の内容なんか忘れてしまっておる。とにかくなーんにもしてないのである。しいていうならば、年末の12月27日に忘年会をやったくらいだが、あれはなかなかの盛況でじつによかった。とにかく、今年度なんにもやってない名張まちなか再生委員会に今後の取り組みもくそもあるものか、ということで、今後の取り組みもくそもなかったのである。

だからまあ、理事会の報告といったって、報告すべきことはなにもない。名張市役所二階の庁議室で、無駄に電気代つかってしまった、といった程度のことなのである。以上、報告終わり、ということで全然OKなのであるが、それでは愛想というものがなさすぎるか。それにだいたい中先生、名張まちなか再生委員会をぶっ壊してやるために委員会入りを果たしたのであるから、ぶっ壊すためにはもう少し具体的に、いかに意味のない理事会であったか、すっとこどっこいなものであったか、うすらとんかちなものでしかなかったか、それを報告しなければならんのかもしれん。ということで、報告はあすにつづく。

ところで、きのうの理事会には、かんなくずの親分もご出席であった。親分とは、2月8日、八日えびすの人出でにぎわう蛭子神社の社前ででっくわして以来である。で、親分、ブログ「永遠のJガール」に堂々のご登場ということになった。

永遠のJガール:名張に春を呼ぶ 八日戎(2月8日)

以来、行く先々で、そのことが話題になったらしい。名張市役所の内部にも、親分と永遠のJガールさんが遭遇した話があっというまにひろまっていたという。おまえら仲ええんかッ、と尋ねてくる知人もあれば、三重県内某所でJガールさんにお会いしました、という報告を寄せてきた知人もあったとのことで、かんなくずの親分、とてもうれしげであった。
中先生のおさなご講座も第八回を迎えたが、しかし、という気はする。しかし、いかにも現実性というやつがないではないか。中先生、いってることにおかしな点はないのであるが、おかしな点がないからこそ、お役所というおかしな世界では現実性がほとんどゼロになってしまう。名張市という自治体には、江戸川乱歩をどのように扱えばいいのか、とくに、四十年間にわたって収集してきた乱歩関連資料をどのように活用すればいいのか、それを考えることができない。ちゃんとやれ、といってやっても、いつまでたっても先送りである。中先生、じつはもう、あきらめている。あきらめてはいるが、市立図書館の嘱託として乱歩資料活用の道を身をもって示し、その道をあっさり否定されてしまった人間として、せめて落とし前だけはつけてもらわなくっちゃな、という気ではいた。しかし、落とし前のつけかたも知らないだろうしな、と考え、もう少し前向きな話にはならんものか、と考え直して、名張市がみずからの主体性のもと、乱歩をテーマに関係者や市民と話し合う場を設け、乱歩にかんして自治体としての理解や判断や実行をうながしてはどうか、との結論にいたった。とにかく、先送りはやめて、ちゃんと考えてもらいたい。ちゃんと考えるべきである。これは、ごくまっとうで、どこにもおかしな点のない話なのであるが、名張市の現実というやつのなかに置いてみると、たちまち現実性のない話になってしまう。自分が幼児のごとく無力である、という気になってしまう。どっちがおさなごなんだか、ようわからんようになってくる。いやはや、困ったものである。とはいうものの、やるだけのことは、やっとかなくちゃならんであろうしなあ。いつまでたっても堂々めぐりか。なんとも憂鬱な話である。
やなせ宿ってなに? とお若い衆から質問されたときには、リンカーンのゲティスバーグ演説を踏まえて、うすらばかのうすらばかによるうすらばかのためのイミフ施設、とでも答えればよいのであろうか。さらにアレンジして、あほのあほによるあほのためのイミフ施設、というのもありであろう。同様に、すっとこどっこいのすっとこどっこいによるすっとこどっこいのためのイミフ施設、でもOK。便所下駄の便所下駄による便所下駄のためのイミフ施設、とかなんとか、もう好きなようにいってやってくれ。文句はないであろうな、おさなごよ。
おとといきのうと、思わず中先生のおさなご講座を休講してしまったが、なにしろひどかった。あれはいったいなんであったのか。みんなで寄ってたかって酔っ払いをいじめて、そんなことのどこが面白いというのか。現地時間2月14日午後、ローマ市内のホテルで催された先進七か国財務相・中央銀行総裁会議閉幕後の記者会見で、中川昭一前財務相兼金融担当相がへべれけであったというニュースのことである。当節とんと信用のないマスメディアから読み書きすらあやしいそこらのブロガーまで、まるで親のかたきをみつけたみたいな集中砲火をかましたのはなんとしたことか。おまえらそこまで酔っ払いが憎いかこの人非人。人間らしい心はどこへやった。

とはいえ、中川先生もたしかにいけない。中途半端である。まっとうな酔っ払いなら、あの場合、記者会見のテーブルのうえに、旭金時でも高砂でも参宮でもなんでもいいから、日本名物一升瓶をどーんと置いておくべきであった。置いておくだけではなく、ときどきラッパ飲みしながら、酔眼で周囲をにらみつけ、大任を無事に務め終えてことのほか酒がうめーやちきしょー、ぐび、とやればよかったのである。まわりからは好意的な視線が注がれたはずである。もしもごちゃごちゃいうやつがいたら、日本人なめてんじゃねーぞこの腐れ毛唐が、と吠えてやればいいのである。しまいにゃそこらじゅう吐きまくるぞ、と啖呵を切ってやればよかったのである。そこのパツキン一発やらせろ、と日本男児の気概を示しておくのも一興であっただろう。ジャパニーズサムライ、ミキヒラテ、ユーノー? と日本文化の紹介に努めてもよかった。ネクタイを鉢巻がわりにするという日本の伝統的な酔っ払いスタイルを披露してもよかったし、七生報国と墨で書いた白鉢巻を準備しておけばさらによかった。とにかく、そこまでやれば洋の東西を問わず絶讃の嵐になっていたものを、あの先生、せっかくいいキャラクターをもっていながら、酔っ払いとしての自覚にいささか足りぬ点があった。惜しまれることである。

しかし、それはそれとして、ちょっと失敗した人間を発見するやいなや、得たりやおうとばかり寄ってたかって叩いてしまう昨今の風潮はいかがなものか。おかげで中先生、マスメディアやインターネットで中川先生が叩かれているシーンに遭遇するたび、まるで自分が叱られているような気がしてきてしかたなかった。意気消沈してしまったではないか。ほんと、おまえらそこまで酔っ払いが憎いのか。人間らしい心はないのか。東洋的な他者への愛はどうした。慈悲の心はどうしたというのだ。最低だな。そこらじゅう反吐の海にしてやろうかこら。うっぷ。

そんなこんなで、乱歩生誕地碑広場完成記念セレモニーの日程が決定したようである。名張市から案内状が届いた。

   
乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について(ご案内)

時下、ますますご健勝のことと、お慶び申し上げます。
さて、みだしの広場工事につきましては、昨年10月より着工し、お陰をもちまして、この度、無事、工事を完成することができました。
つきましては、広場の完成を記念して下記のとおり完成記念式を開催させていただきたいと存じます。
何かとお忙しい中、御足労をおかけすることとなりますが、ご出席頂きますようご案内申し上げます。
 

日時:平成21年2月28日(土)午前11時〜
場所:名張市本町210番地(乱歩生誕地碑広場内)

つづいて、名張まちなか再生委員会から文書が二通。これはきのう届いた。

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会の開催について

下記のとおり開催させていただきますので、ご出席賜りますようお願い申し上げます。
 

開催日時:平成21年2月25日(水) 19時00分より
開催場所:名張市役所2階 庁議室

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会事項書

〇        日時:平成21年2月25日(水)19時〜
〇        場所:名張市役所2階 庁議室

1.あいさつ
2.次回の総会に向けた整理事項について
0.〇乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について
0.〇名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について
3.まちなか再生における今後の取組みについて
4.その他
0.〇(報告事項)乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について
0.  平成21年2月28日(土)午前11:00〜(於:乱歩生誕地碑広場地内)

よーし。では、おさなごよ、またあしただ。
ご苦労であった。やればできるではないか。なんのことか。名張市公式サイト「市長のまちかどトーク」のページにおいて、平成19・2007年度の1月25日、産業振興センターアスピア開催分と、平成20・2008年度の7月7日、すずらん台市民センター開催分、ふたつのトークの報告がまったくの同文になっていたので、おとといのエントリでそれを指摘しておいたところ、きのうのうちに修正されたようである。ごらんあれ。

名張市公式サイト:1月25日 名張まちづくりの会
名張市公式サイト:7月7日 すずらん台町づくり協議会

新たに掲載されたすずらん台町づくり協議会におけるトークの内容も、わからんといえばようわからん。たとえば、冒頭の意見とコメント。

   
【ご意見】
○地域づくり交付金の原資となっているのはなんですか。これが、底を突きかけていると聞きましたが、どうなんでしょうか。
 
【市長のコメント】
○ふるさと創生基金が地域づくり交付金の原資となっています。
確かに、この基金もなくなってきていますが、地域のさまざまな課題の解決に向け地域の皆さんに取り組んでいただくためにも、使い道の決まった補助金という形ではなく、地域づくり交付金という形で続けていくように努力したいと考えています。

「努力したいと考えています」などという紋切り型の回答で、なにかを説明したことになるのかな。交付金の原資となる基金がなくなってしまったら、それっきりあとはどうしようもない。そんな明々白々な事実を前にして、いったいなにをどう努力するというのか。まったくようわからん話ではないか。だいたいそれ以前に、地域づくり交付金が「地域のさまざまな課題の解決」とやらに役立っているのかどうか、それを検証することが必要だと思われる次第であるが、結局は原資が尽きたらそれっきり、なにもかもうやむやになってしまってあとは白波、みたいなことでまるく収まるのかな。なかなかよくできておるではないか。

それはそれとして、昨年7月7日のトークの内容として1月25日に催されたトークの報告が公表されていたのだから、いったいどうなっておるのかと首をかしげざるをえない点があったのも無理はない。去年の1月25日といえば、やなせ宿もミステリー文庫も、なにがどうなるのやらだれにも見当がつかなかったころのことである。なーにやってんだすっとこどっこい、というツッコミが名張まちなかにこだましていたころのことである。以来一年以上が経過した現在、やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館としてまちなか運営協議会の手で運営が進められており、食堂化路線まっしぐら。いっぽうのミステリー文庫は影もなければ形もなく、きれいに雲散霧消してしまっている。なーにやってんだうすらとんかち、というツッコミももう聞こえなくなったほど、名張のまちはひっそりしておる。どーすんだよまったく。

しかし、それはまたそれとして、名張市役所のみなさんもやればできるのである。なにができるのか。理解、判断、実行、それができるのである。すなわち、当ブログのおとといのエントリを閲読し、書かれてあることを理解した。たんに理解しただけではだめであるが、その理解にもとづいて、サイトに修正を加えなければならないと判断した。で、その判断にもとづいて、休みが明けたきのうの月曜日、「市長のまちかどトーク」のページを本来あるべき姿に修正した。つまり、理解と判断と実行がすみやかに進められた、というわけである。やればちゃんとできるではないか。関係セクションの担当スタッフにたいし、ご苦労であった、迅速で適切な処置であった、と市長になりかわってここに述べておく。

そんなのはあたりまえの話ではないか、と人はいうかもしれぬ。だが、こんなあたりまえのことが、名張市という自治体にはできておらんのである。公式サイトにミスがあるとの指摘を受け、それをすみやかに訂する程度のことならいくらでもできるのであるが、ちょっとこみいった話になるとたちまちお手あげなのである。それはもう信じられぬくらいそうなのだぞ。名張市のやってることはなんか変である、と市民から指摘されても、聞く耳をもたんのである。馬の耳に念仏なのである。蛙のつらに小便なのである。理解できず、判断できず、実行できない。ただかたくなに、みずからの無策無能を隠し通そうとする。その結果、抜き差しならぬ事態にまで立ちいたってしまう。そんな事例がそこここに転がっておるではないか。

だからこそ、市民が動かんことには、もうどうしようもないのである。市民が行政のけつを叩いてやるしか道はないのである。思いっきり蹴りあげてやるから覚悟しとけよ、てなものなのであって、そのために、とっかかりとして、いっちょ乱歩のことを俎上に載せてやるか、というのが中先生のもくろみである。じつに前向きな話である。わかるか、おさなご。

おさなごよ
おさなごよ
何故躍る
市民の心がわかって
おそろしいのか

夢野久作で締めてみた。
気を取り直して先に進む。名張市は乱歩をどうする気? みたいなことをテーマにしたシンポジウムなりミーティングなりコンファレンスなり、そういった場として名張市が設けている「市長のまちかどトーク」は有効か、代替させることが可能か、という問題である。名張市公式サイトによれば、このトークは「市内に在住・在勤・在学の10人以上の参加者が見込めるグループ・団体などが対象」で、「原則として1つのテーマを選択」することになっている。テーマは、「名張市による乱歩資料の収集について」といったことでOKであろう。「グループ・団体など」はどうするのかというと、これはもう迷うことなく名張まちなか再生委員会でいいのである。

名張まちなか再生委員会が「市長のまちかどトーク」を開催する。なんの支障もあるまい。名張まちなかと乱歩資料にどんな関係があるのか、などとばかなことを尋ねる向きもあるかもしれぬが、たとえば、ミステリー文庫とやらはどうなったの? といった一点にも、乱歩資料と名張まちなかはまぎれもなく交差している。とはいえ、名張まちなか再生委員会が市長にトークを要請するなどというのは、ありえないことのはずである。できるわけがない。ならば、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはどうか。プロジェクトとして「市長のまちかどトーク」を要請することは可能なはずであるが、プロジェクトチーフであるかんなくずの親分のお考えはいかがなものか。

しかし、かんなくずの親分のお考えはいかようなものであれ、「市長のまちかどトーク」なんてものは役には立たない。なぜか。方向性が逆だからである。あくまでも名張市の主体性にかんする問題だからである。名張市にはなにも考えることができぬゆえ、現状を公開し、それにもとづいて市民の知恵をお借りしたい、と行政が市民にたいして素直に顔を向ける場が必要だ、という話なのである。名張市が主体的に、みずからの無策無能を公表し、そのうえで行政と市民との本来あるべき協働とやらに望みをつなぐ場をつくってはどうか、という話なのである。みたいなことをいっても、おさなごには理解が届かないのかな。

なにしろ、おさなごなのである。だからこそ、おさなごにはまったく困ったものだ、などとぼやいてばかりいないで、この名張市という名のおさなご自治体、市民が本気で教え諭し導き育ててやらなければならんのである。そうしないと、いつまでたってもいまのままだぞ。市民は永遠に怒りつづけておらねばならんのだぞ。もう勘弁してくれんか、という市民だって結構たくさんおるはずである。だからこそ、行政と市民がつどうシンポジウムなりミーティングなりコンファレンスなり、そういう場を設けるべきではないのか。理解も判断も実行もできないおさなごに、理解や判断や実行というのがいったいどういうものなのか、市民が手取り足取りして教え諭し、そうすることでおさなごを導き育ててやる場が必要だという話なのである。

そういった場を試験的に設ける場合、乱歩というテーマは非常に都合がよろしい。市民生活に、直接的にはなんのかかわりももたぬからである。名張市がこれ以上、乱歩資料の収集を進めるべきかどうか、というテーマは、いってみればどこにも差し障りがない。容易に結論にいたることができるはずである。おさなごがお役所の内部で、ということは要するに、おつむのおよろしくない人間が自分たちの都合だけにもとづいて理不尽不合理な、ひらたくいえばばかなことばかり決めている、あるいは、決めなければならないことをいつまでも先送りしている、そんなあほそのものの状況から一歩でも前進するために、親切な市民がおさなごのけつを叩いてやろう、蹴りあげてやろうという寸法なのである。なかなかいい話、じつに前向きな話である。

結構結構。まことに結構である。これでまあ、いずれ名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、市長、前教育次長、企画財政部総合企画政策室長あたりとの面談を要請することになるのだが、その面談の席になによりのみやげができたというものである。名張市がみずからの主体性のもと、乱歩をテーマに関係者や市民と話し合う場を設け、知識や見識のない自治体に市民が理解や判断や実行をうながすオープンな場を実現することができれば、百年に一度というほどの画期的な試みになることうけあいである。全国から注目が集まるにちがいない。名張市は一躍、先進的自治体の仲間入りである。いやー、よかったなあ。うれしいかおさなご。うれしいだろうなあ。泣くな泣くな。
やっとのことで、いわゆる前向きな話になってきたではないか。名張市という自治体、ただのおさなごなのである。しかし、当然のことながら、それでは困る。市民としては、とても困る。困るのではあるが、なにしろおさなごである。なにをいってやっても、理解できず、判断できず、実行できない。そこで一案。市民の立場からおさなごに理解や判断や実行をうながす場を設けてはいかがなものか。シンポジウムである。ミーティングといってもいいし、コンファレンスでもかまわない。名張市長をはじめとした行政サイドはもとより、関係機関や関連団体、それからもちろん一般市民の参加も呼びかけて、名張市は乱歩をどうするのか、どうすればいいのか、それを自由に話し合ってみてはどうか。なかなか前向きな話ではないか。

こういった場合、テーマは明確に限定されているべきである。そのほうが話を進めやすい。ただ漠然と、名張市は乱歩をどうするの? みたいなテーマを掲げるだけでは、たぶん収拾がつかなくなる。だから、まず一点、名張市立図書館は四十年にわたって乱歩資料を収集してきたけれど、資料をちゃんと活用する気はないみたいだし、立教大学が乱歩の遺産を引き継いでくれたことでもあるのだし、だったら名張市における乱歩資料の収集はもうおしまいにしてもいいんじゃね? という一事をテーマとする。むろん、問題は乱歩と名張市をめぐるさまざまな局面に波及してゆかざるをえないであろうが、とりあえずは資料収集という一点を端緒とするのがいいであろう。

かりにこうした集まりを、名張市が設定している在来の手段に準じて催すとなると、「市長のまちかどトーク」あたりといったことになるであろうか、と考えて、試みに名張市公式サイトで「市長のまちかどトーク」のページを閲覧してみた。平成20・2008年度の開催は、わずか三回。6月29日に錦生地区区長会、7月7日にすずらん台町づくり協議会、11月9日に新田地区内、以上の三回である。ざーっと眼を通してみたのだが、7月7日、すずらん台市民センターで開かれたトークの報告を読んでびっくりした。

名張市公式サイト: 7月7日 すずらん台町づくり協議会

引用。

   
【ご意見】○旧町の活性化に対する考え方について
【市長のコメント】〇市長就任当時、これから中央西などの新しいまちができたら旧町は取り残されてしまうことになるとの思いから、旧いまちを生かした活性化事業として総合計画に盛り込みました。まちなか再生ややなせ宿、乱歩事業なども進めていきます。旧町は、坂が少なく駅にも歩いていけるなど住みやすいコンパクトシティ。川地写真館は県内で一番古い写真館であり、中村医院などの古い建物もある。旧町を散策してみたいと思えるような再整備をしていきたい。
やなせ宿は、1年間は市が運営をし、その後は地域におまかせしようと考えています。訪れた人が食事やお茶を飲むことができる店舗などとして利用するなど地域の人といっしょにやっていきたい。蔵は、寄付を受けたものなど図書館の地下書庫で保管しているミステリー関係の本3,000冊を「ミステリー文庫」として活用し、一室をファンなどに読書室として利用してもらってもよいと考えています。

ありがたいことである。すずらん台町づくり協議会が要請したトークの場で、名張旧町地区のことがとりあげられている。この日は桔梗が丘八番町住民も参加したようだから、もしかしたら名張旧町地区住民も出席していたのかもしれないが、その可能性はきわめて低いのではないかと推測される。だからこそよけいに、よその地区の住民が名張まちなかのことを気にかけてくれるのは、じつにうれしくありがたいことである。とはいえ、これはべつに珍しいことではない。自分は関西圏から桔梗が丘地区に転入した人間であるが、三十年も住んでいると、名張旧町地区も自分にとって大切なまちだということになってくる、みたいなことを表明してくれる人は少なからずある。心強いことである。

そうした市民の真摯な問いかけにたいして、おさなごの答えはどうであったのかというと、えーっとまあ、はいはいそうですか、といっておくしかないようである。なにしろまあ、ようわからん。トークの実施は昨年7月7日、やなせ宿のオープンは6月7日のことであったが、そのやなせ宿、「1年間は市が運営をし」というのはどういうことであろうか。やなせ宿はオープン当初から、ということは昨年7月7日の時点においても、まちなか運営協議会の手で運営されていたのである。市が運営をし、ではなくて、市が運営を委託し、というのが正確なところなのであるが、いったいどうなっておるのであろうか。

どうなっておるのであろうかといえば、それこそ、「ミステリー文庫」とやらはどうなっておるのか。「蔵は」といってみたところで、あんなものはオープン当初から、経緯いかにも不透明、みたいな感じでアドバンスコープのFMスタジオになっておったではないか。「寄付を受けたものなど図書館の地下書庫で保管しているミステリー関係の本3,000冊を『ミステリー文庫』として活用し、一室をファンなどに読書室として利用してもらってもよいと考えています」ということなのであるけれど、えーっとまあ、はいはいそうですか、といっておくしかないではないか。考えています、と明言したのであれば、早く実行に移せばよさそうなものだと思われるのであるけれど、いつまでたっても実行には移されない。本気でとりあうのがばからしくなってくる。さすが、おさなごである。

さらに引用。

   
 ○子ども狂言など文化を創造、育成することへの援助、文化づくりをしてほしい。
【市長のコメント】
○まちづくりの会でもいろんな活動を市民公益活動実践事業で取り組んでほしい。近々行なわれる茂山一門の狂言も、小波田の子ども狂言を茂山七五三さんに教わっているのも、お豆腐狂言といって、文化を庶民のものにというお考えがあるから。
乱歩蔵開きの会でも乱歩生家の復元の構想もありますし、春を呼ぶ会の一ノ井松明調進の取り組みもあります。文化力というのは、政治力や行政力と同じように重要なもの。地域力とともに何かを興して継続・定着させていくためにも公益活動を活用してほしい。

大丈夫か。ほんっと、大丈夫か。乱歩蔵びらきの会に乱歩生家復元の構想があるからといって、それがいったいなんだというのか。名張市はどう考えているのか、どうするつもりなのか。それが問題なのである。それにだいたいがあれではないか。桝田医院第二病棟の跡地に乱歩の生家を復元するというアイデアは、名張まちなか再生プランにたいして提出したパブリックコメントのなかで中先生が懇切丁寧に示してやったものではないか。それを完全に無視したのが名張市ではないか。桝田医院第二病棟跡地はただの広場にいたします、とまったく勝手に決めてしまったのが名張市ではないか。それがいまごろなんのつもりか。いまごろといったって去年7月のことではあるが、一円の金もない乱歩蔵びらきの会の名前をもちだして、あそこには乱歩生家復元の構想があるんです、などと口走ることになんの意味があるというのか。だから名張市はどうするの? という話ではないか。名張市はどう判断し、なにを実行するのか、あるいはしないのか。そういったことにはいっさい顧慮せず、なにからなにまで他人に丸投げしていればきっとしあわせになれますからね、などと大日如来のお告げでもあったというのか。どーしよーもねーなーまったくよー、と怒ってみてもしかたはあるまい。おさなごだもの。

さらに引用。

   
【ご意見】○歴史的文化的遺産保全活用アドバイザーをしています。先日亀山市で開かれた文化財フォーラムにおいて、文化庁の登録文化財主任調査官で四日市市出身の熊本さんから、三重県は登録文化財が多い県であったが、その数が増えていないので増やしてほしいという話がありました。登録文化財は登録によるしばりがあまりなく、まちおこしに生かして、いろんな文化財を点と線でつないでいけば活性化につながると思います。細川邸、川地写真館、大和屋、喜多藤旅館などの登録を積極的に進めてほしい。、市教育委員会は亀山のフォーラムにも出席しておらず、対応も消極的で縦割り行政。文化財に興味を持って取り組んでほしい。まちづくりの会に対して、登録文化財の登録申請の補助をしてほしい。
【市長のコメント】○教育委員会の縦割り的な対応は申し訳ありません。企画 の政策室に言ってほしい。企画が教育委員会との調整をして答えを出します。旧町は、大和屋のようかん、まちかど博物館「はなびし庵」の安本亀八人形、一の鳥居、参宮街道、藤堂家邸、寿栄神社、亀八の能面がある宇流冨志禰神社、梁瀬水路など、もっときっちり発信したら散策できるところとしておもしろい。

ここまで引用して、さすがにおかしいな、と気がついた。すずらん台町づくり協議会が要請したトークの場に、どうしてこれほど名張旧町地区の話題が顔を出すのか。そこで、名張市公式サイトを確認してみた。びっくりした。茫然とした。眼がくらみ、腰が抜け、膝がくだけた。怒るというよりも笑っちゃうぐらい、ただただあきれてしょうがない。なんと、平成19・2007年度の1月25日、産業振興センターアスピア開催分と、平成20・2008年度の7月7日、すずらん台市民センター開催分、ふたつのトークの報告がまったくの同文なのである。

論より証拠。ごらんあれ。

名張市公式サイト:1月25日 名張まちづくりの会
名張市公式サイト:7月7日 すずらん台町づくり協議会

意地の悪い話ではあるが、証拠画像を記録しておく。

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名張市の公式サイトは、ついひと月ほどまえ、たしか二千三百万円もかけてリニューアルされたとのことであったが、このざまはいったいなんなんだ。ほんとにもう、眼がくらみ、腰が抜け、膝がくだけてしまった。怒るというよりも笑っちゃうぐらい、ただただあきれてしょうがないから、悪態をつく気も失せてしまった。本日はここまでとする。
なにしろ、おさなごである。まともにものを考える、ということができない。ものを考えるうえで必要な知識や見識、これがない。皆無である。おさなごなのだから、いたしかたのないところであろう。が、おさなごとはいえ、体質は揺るぎなく完成されている。責任回避体質である。だから、まともにものを考えるべき場合においても、なにも考えず、というか、考えることができず、すべて先送りして知らん顔をしている。たまに考えたふりをすることはあるが、あくまでもふりである。うわっつらである。なまじ考えるふりをした結果、惨憺たる事態が招き寄せられてしまう。そんなことばかりくり返していると、人は愛想をつかしてしまう。見切ってしまう。見限ってしまう。好きにしろばーか、と離れていってしまう。しかし、なかには、自分のブログに人間豹刺止鉤爪、にんげんひょうとどめのかぎづめなどというカテゴリを設けて、本気でとどめを刺しにかかる人間だって、いないとはかぎらない。気をつけなさいね。

それでまあ、四十年にわたってつづけてきた乱歩資料の収集を、名張市はまだつづける気なのか、という話である。四十年前といまでは、状況は大きく変わっている。きのうも記したとおり、池袋にある土地や家屋、さらには蔵書類、そういった乱歩の遺産はすべて立教大学に継承された。いうまでもないことではあるが、所蔵している乱歩資料の質と量、立教大学と名張市とでは比較にならない。スタッフの面でも同様である。というか、名張市には乱歩の担当スタッフなんてひとりも存在しない。そんな自治体が、活用の方針も定めないまま、乱歩資料の収集に努めておりますなどとほざいてみたところで、人から笑われるだけであろう。そういったあたり、いったいどう考えておるのか。あーん。市長と前教育次長、あんたらいったいどない考えとるねん、と尋ねても、むろん明快な答えは返ってこないことであろう。なにしろ、おさなごなのである。

ここでおさなごに提案することがあるとすれば、ものを考える能力がないというのであれば、ちっとは人の意見に耳を傾けてみてはどうか、ということになるであろう。しかし、おさなごは、そんなことならとっくにやっております、というかもしれない。協働でございます、というかもしれない。だからその協働がインチキだ、というのである。うすらばかがうすらばか集めてなにができる。なんたら委員会かんたら協議会、腐るほどつくった結果はいったいどうよ。ほかのことはともかくとしても、名張地区既成市街地再生計画策定委員会ならびに名張まちなか再生委員会、このふたつのケースにおける協働は最悪のものであった。うすらばかがうすらばかを集めたその結果、「馬鹿は百人集まると百倍馬鹿になる」という山本夏彦の至言を地で行ってしまったではないか。泥沼にはまってしまったではないか。

しかし、ここで、堂々めぐりである。いくら人の意見に耳を傾けたところで、意見を理解できず、理解にもとづいて判断することができず、判断にもとづいて実行することができないという三重苦状態、これが問題なのである。人がことをわけて事情や状況や趨勢を説明し、名張市はもう乱歩資料の収集なんかしなくてもいいんじゃね? とごくまっとうな意見を述べても、三重苦なんだから話にならない。意見は受け付けられず、いつまでたっても結論が出ない。出せない。出すことができない。ならばいっそ、乱歩資料をメインテーマとして、その他もろもろのこともふくめ、さて名張市はこれから乱歩をどうするべきなのか、市長、前教育次長はいうにおよばず、関係職員を総動員したうえ、関係機関や関係団体、もちろん一般市民もまじえたシンポジウムでも開催して、その場で結論を出してみる、というのはいかがなものか。お役所得意の先送りはさせません、ということにする。逃げ場なんかどこにもないぞ、ということになる。

よし。いずれ設けられるはずの面談の場においては、なにも決められぬ低能自治体を生温かくフォローするためのシンポジウムを開催し、きっちり結論を出すよう迫ってやることにする。むろん、資料の収集から手を引いたとしても、名張市は乱歩にかんして、いくらでも好きなことができるのである。どいつもこいつも怪人二十面相に扮して市議会を開くとかなんとか、そういったばかな知恵なら出ないでもないみたいだから、資料収集などという目立たないことはすっぱりやめて、乱歩というビッグネームを利用して目立つことだけを考えればいいではないか。そういったことこそがお似合いではないか。その程度のことしかできんではないか。おさなごはおさなごらしく、首にマントがわりの風呂敷でもまいて、ぎゃあぎゃあわめきながらそこらのひやわいはっしゃりまわってこい。しまいに水ぶっかけられても知らねーけどな。

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