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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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2月25日に開かれた名張まちなか再生委員会理事会の報告である。名張川の鮎のことなどどうでもいいとして、ぶっ壊してやるぶっ壊してやるとぎゃあぎゃあわめきつづけてきたのが奏功し、理事会において委員会の解散がふつうに話し合われるようになった。慶賀である。たとえば、名張まちなか再生委員会を解散したら、いったいどんな支障が生じるのか、といった質問が提出された。支障なんてない。あるわけがない。早い話、昨年6月1日の定期総会以来、名張まちなか再生委員会はなんの活動もしていないのである。なにか支障が生じておるのか。ぜーんぜん。しかし、にもかかわらず、あるいは、当然のことながら、というべきか、委員会はそれを認めようとしない。事務局、つまり行政サイドも確答できない。だから、話がまえに進まないのである。1月25日の臨時総会でもいったことだが、現在ただいまの名張市は、名張まちなか再生委員会をどう位置づけているのか、委員会になにを求めているのか、それがわからなければ規約改正もくそもないのである。規約における最重要事項、委員会の目的というやつが明確にならぬのである。

   
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

こんな条文、だれひとりとして理解できんのではないか。なにがいいたいのか、なにがやりたいのか、さっぱりわからん。だから、この第二条がいかに意味不明なものであるかを具体的に示すために、名張まちなか再生プランなどというインチキプランが指針になると思ってんのか、なるわけねーじゃねーか、旧細川邸を歴史資料館にいたしますと明記したプランがやなせ宿整備の指針になったとでもいうのかこら、といってやってるのである。しかも、プランの中味がいいかげんであったことに加えて、もとより察しのついていたことではあったが、名張市が終始ぶれまくりであったという事実も、1月25日の理事会で明らかになった。旧細川邸のいわゆる公設民営にかんして、行政サイドの見解がまるで一定しておらず、会合のたびに変化し、ぶれまくっていたとのことである。名張市名物ぶれまくり、いまさら驚くにはあたらぬが、ぶれるといえば、こんなウェブニュースが眼にとまった。

中国新聞:「首相は人心を惑わせた」 給付金受け取り、識者ら批判(3月3日)

キツネ目の男疑惑の宮崎学さんが、定額給付金問題における麻生太郎首相のぶれまくりにかんして、「ぶれているというより、そもそも考えることができない人なのではないか。世間の風向きを見て決めているのだろう」とのコメントを寄せているが、名張市もそうなのではないか。ぶれるというより、なにかを考えることができない。名張まちなかの再生においても、確固たる信念もなければ、明確なビジョンもなく、あるのはてめーらの都合ばかり、うわっつらの思いつきだけでことを進めるから、ぶれまくるしかないのである。もう少し、ほんとにもう少しでいいから、ものを考えるということにチャレンジしてみてくれんか。ちっとはものを考えろ、みたいなことは、それはもう再三再四いってやったではないか。住民監査請求をかましたときにも、参考資料として提出した「僕の住民監査請求」にこう書いてやったではないか。

   
「ここでふり返っておくならば要するに内発的なものがどこにもないんです」
「内発的なものといいますと」
「内側から発した動きのことです」
「それがないということはつまり外側から動かされてるゆうわけですか」
「伊賀の蔵びらきでは三億円のばらまきという外在的要因に芭蕉生誕三百六十年という中途半端な思いつきを無理やりこじつけただけでしたし」
「名張まちなか再生プランの細川邸は内発的なものやないんですか」
「素材そのものは内側にありますね」
「細川邸を素材として活用したいという声は以前からあったようですけど」
「そうした声が内発的な動きとして出てくるまでにはいたらなかった」
「なんでですねん」
「内発的なことを自分の頭で考えられる人間がおらんかったからでしょうね」
「それがまちづくり交付金という外側からの働きかけによって動きが出たと」
「その動きが一歩目でずっこけまして」
「ずっこけたといいますと」
「わけのわからん策定委員会つくって丸投げした時点ですべてが終わりました」
「丸投げはあきませんかやっぱり」
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」
「たしかに手遅れですけどこのままにしておくのもまずいかなと思いまして」
「いったいどないしますねん」
「名張市がこうゆうインチキだらけの歴史を二度とくり返さないように住民監査請求をがつーんとかましたります」
「なんやて君」

しかしまあ、こんなことをこんなところに書きつけておってもどうにもならん。だから、もしも中先生、かりに名張市長ということになったなら、まずそのへんから手をつけることにしたい。以前にも書いたことだが、とりあえず、職員諸君にポテンシャルを10%ほど底上げしてもらいたい。難しいことではない。職員諸君に、とにかくものを考えてもらう、ということである。考えた結果、どんな結論にたどりついたってかまわない。考えるということに慣れてもらいたい。考えるという行為の面白さに気づいてもらいたい。みずからの主体的な問題として、名張市が直面しているさまざまな課題問題を、じっくり考えてもらいたい。お役所の人間として、公務員として、全体の奉仕者として、パブリックサーバントとして、死ぬほど考えてもらいたい。いやいや、いくら考えたって死ぬようなことはない。心配無用である。

よその事例ということでいえば、JANJANのコラムにこんなのがある。

竹内謙の『Samurai Mayors』:福島県矢祭町(4)「合併をしない宣言」から芽生えた自律意識(2005年3月29日)

引用。

   
「職員が考える」のを待っていた町長
それにしても、なぜ、これほどの短期間に、これほど盛りだくさんの行財政改革ができたのだろうか。結論から言えば、「合併しない宣言」が職員の意識を一変させる効果を生んだということだろう。

「ほんとうは町長に行革なんてやるつもりはなかったんですよ」
自立に向けて役場改革の牽引車になってきた自立推進グループ長の高信由美子さんが意外なことを打ち明けてくれた。

どういうことか。高信さんの話によると、「市町村合併をしない矢祭町宣言」(01年10月)からというもの、矢祭町は全国の自治体からの視察ラッシュに襲われた。当時、議会事務局勤務だった高信さんがもっぱら応対係になった。視察団から、自立のための財政、行革、街づくりをどう考えているのか、矢のような質問が飛んできた。

役場のだれも、なにも考えていなかったので、なにも答えられない。町長は適当なところで席を立ってしまう。高信さんは「町長は現状維持で大丈夫ぐらいにしか考えていなかった」とみる。あとに残される高信さんは、来る日も来る日も視察団が繰り出す同じ質問に、だんだん不安が募ってきた。意を決して「本格的な行革をしなければ町は自滅する」と町長に直訴した。町長の指示は「お前さんたちが考えてやれ」だった。町長はなかなか人使いに長けた人だ。何ごとにつけて職員が自ら立ち上がるのを待つ手法をとる。

家貧しくして「孝子」あらわた町役場
町民の間には、地方交付税が削られる恐れがある「合併しない」選択によって「住民サービスが低下するのではないか」という不安と疑心を生んでいた。自立と住民サービスを検討する行財政改革の作業は、4人のプロジェクトチームからスタートした。これまでの役場の古い慣習と変えることへの抵抗と衝突し、会議の度に大声が飛び交い合いながらも、次第に全庁に広がった。そして03年8月の機構改革で「自立推進課」が生まれ、ようやく軌道に乗った。

03年12月には全職員が自分の事務事業を見直す事務改善検討委員会が立ち上がった。3人を除いて自分の考え、提案を提出した。「何をしても変わらない」から「できることから変えよう」へ、職員の意識が変わってきた。なかでも中堅でみんなをまとめる人がいるグループは改革に拍車がかかった。「経費節減が住民サービスの低下を招いては何もならない。経費節減と同時に住民サービスの向上を図る」ことが行財政改革の共通認識になった。

高信さんは「ここまで行財政改革を進めてこられたのは、町民の不安の声と全国からの視察団の叱咤がわれわれを変えてくれたお陰なのです。人は出会いによって成長するものだとつくづく思います」という。

根本町長は「総務省の合併はありがたかった。あれがなければ、みんな、きっと、のんびりしていたよ。ほんとうの町づくりができるようになったのは、宣言からですよ。家貧しくして孝子あらわる。おカネなんかない方が、よほど自立の気持ちが起きるのです」という。

お役所の改革なんてものは、それこそ内発的なものでなければ成就するはずがない。からっからっからっからっと寒風のなかの風車みたいに、かけ声ばかり空回りさせてたってどうしようもないではないか。必要なのは、職員諸君に変わってもらうことである。だから、お役所の改革を、いやいや、中先生は改革などということばは使用しないつもりなのであるが、お役所がどうあるべきか、地域社会がどうなるべきか、自分たちの問題として考えるところからスタートしてもらう。保身と昇進だけを考えて長い公務員人生を無駄にまっとうする、なんてことでは困るのである。

そんな話はまあいいとして、名張まちなか再生委員会の理事会にかんしていえば、やはり無茶苦茶であった。事実上はもうぶっ壊れているのだが、名張まちなか再生委員会、きっちり解散に追い込んでやらねばなるまい。その日が来るまでぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめきつづけてやる。覚悟しておけ。それと、各プロジェクトチームにもち帰った理事会の宿題、すなわち、「乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について」と「名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について」の二点をチーム単位で検討するという話は、とくに期限も設けられなかったので、というか、こんなものは期限を決めたうえで宿題にするべきものなのだが、期限がないというのだから、とりあえず田植えが終わってから検討する、ということにしておいた。
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