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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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憂鬱だ憂鬱だとぼやいていてもしかたがないのであるが、本日はきのうの夜、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会第一回理事会の報告となる。わが名張まちなか再生委員会は1月25日の臨時総会で規約改正を断行した次第であるが、新しく定められた規約にもとづいて初の理事会が催されたという寸法である。配付された事項書がこれ。

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会事項書

        日時:平成21年2月25日(水)19時〜
        場所:名張市役所2階 庁議室

1.あいさつ

2.次回の総会に向けた整理事項について
0.〇乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について
0.〇名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について
  第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

3.まちなか再生における今後の取組みについて

4.その他
0.〇(報告事項)乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について
0.  平成21年2月28日(土)午前11:00〜(於:乱歩生誕地碑広場地内)

えらいものであった。なにがえらいものであったか。午後7時から9時まで休みなしに協議がつづいて、結局なんの進展もなかったのだからえらいものである。「2.次回の総会に向けた整理事項について」にあげられた〇ふたつのテーマは、委員会の内部組織であるむっつのプロジェクトチームにもち帰り、チーム単位で検討を進めたあと、さらに理事会を開いて協議されることになった。チーム単位でなにを検討すればいいのか、もうひとつようわからん次第であるが、そういったあたりを落としどころとしなければ、理事会の収拾がつかなかったということである。

なぜ収拾がつかんのか。中先生がぎゃあぎゃあいってやったからである。中先生がひとたびぎゃあぎゃあいったならば、だれもまともには反論できんからである。中先生がすごいのではない。名張まちなか再生委員会があまりにもひどいのである。無茶苦茶なことをしてきたのである。ちょっとつっつかれるだけでぐうの音も出なくなるようなことを、平成17・2005年6月26日の発足以来、名張まちなか再生委員会はえんえんとつづけてきたのである。げんにつづけているのである。収拾なんかつくわけねーじゃねーか。

したがって、「3.まちなか再生における今後の取組みについて」なんてものも検討できない。よく考えてもみろ。昨年6月1日の定期総会で、プロジェクトチーム単位の事業計画が決定された。あの計画どおりに事業を進めておるチームがひとつでもあるのか。あるまい。断じてあるまい。少なくともわが歴史拠点整備プロジェクトはなーんにもしてない。というか、事業計画の内容なんか忘れてしまっておる。とにかくなーんにもしてないのである。しいていうならば、年末の12月27日に忘年会をやったくらいだが、あれはなかなかの盛況でじつによかった。とにかく、今年度なんにもやってない名張まちなか再生委員会に今後の取り組みもくそもあるものか、ということで、今後の取り組みもくそもなかったのである。

だからまあ、理事会の報告といったって、報告すべきことはなにもない。名張市役所二階の庁議室で、無駄に電気代つかってしまった、といった程度のことなのである。以上、報告終わり、ということで全然OKなのであるが、それでは愛想というものがなさすぎるか。それにだいたい中先生、名張まちなか再生委員会をぶっ壊してやるために委員会入りを果たしたのであるから、ぶっ壊すためにはもう少し具体的に、いかに意味のない理事会であったか、すっとこどっこいなものであったか、うすらとんかちなものでしかなかったか、それを報告しなければならんのかもしれん。ということで、報告はあすにつづく。

ところで、きのうの理事会には、かんなくずの親分もご出席であった。親分とは、2月8日、八日えびすの人出でにぎわう蛭子神社の社前ででっくわして以来である。で、親分、ブログ「永遠のJガール」に堂々のご登場ということになった。

永遠のJガール:名張に春を呼ぶ 八日戎(2月8日)

以来、行く先々で、そのことが話題になったらしい。名張市役所の内部にも、親分と永遠のJガールさんが遭遇した話があっというまにひろまっていたという。おまえら仲ええんかッ、と尋ねてくる知人もあれば、三重県内某所でJガールさんにお会いしました、という報告を寄せてきた知人もあったとのことで、かんなくずの親分、とてもうれしげであった。
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