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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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なにしろ、おさなごである。まともにものを考える、ということができない。ものを考えるうえで必要な知識や見識、これがない。皆無である。おさなごなのだから、いたしかたのないところであろう。が、おさなごとはいえ、体質は揺るぎなく完成されている。責任回避体質である。だから、まともにものを考えるべき場合においても、なにも考えず、というか、考えることができず、すべて先送りして知らん顔をしている。たまに考えたふりをすることはあるが、あくまでもふりである。うわっつらである。なまじ考えるふりをした結果、惨憺たる事態が招き寄せられてしまう。そんなことばかりくり返していると、人は愛想をつかしてしまう。見切ってしまう。見限ってしまう。好きにしろばーか、と離れていってしまう。しかし、なかには、自分のブログに人間豹刺止鉤爪、にんげんひょうとどめのかぎづめなどというカテゴリを設けて、本気でとどめを刺しにかかる人間だって、いないとはかぎらない。気をつけなさいね。

それでまあ、四十年にわたってつづけてきた乱歩資料の収集を、名張市はまだつづける気なのか、という話である。四十年前といまでは、状況は大きく変わっている。きのうも記したとおり、池袋にある土地や家屋、さらには蔵書類、そういった乱歩の遺産はすべて立教大学に継承された。いうまでもないことではあるが、所蔵している乱歩資料の質と量、立教大学と名張市とでは比較にならない。スタッフの面でも同様である。というか、名張市には乱歩の担当スタッフなんてひとりも存在しない。そんな自治体が、活用の方針も定めないまま、乱歩資料の収集に努めておりますなどとほざいてみたところで、人から笑われるだけであろう。そういったあたり、いったいどう考えておるのか。あーん。市長と前教育次長、あんたらいったいどない考えとるねん、と尋ねても、むろん明快な答えは返ってこないことであろう。なにしろ、おさなごなのである。

ここでおさなごに提案することがあるとすれば、ものを考える能力がないというのであれば、ちっとは人の意見に耳を傾けてみてはどうか、ということになるであろう。しかし、おさなごは、そんなことならとっくにやっております、というかもしれない。協働でございます、というかもしれない。だからその協働がインチキだ、というのである。うすらばかがうすらばか集めてなにができる。なんたら委員会かんたら協議会、腐るほどつくった結果はいったいどうよ。ほかのことはともかくとしても、名張地区既成市街地再生計画策定委員会ならびに名張まちなか再生委員会、このふたつのケースにおける協働は最悪のものであった。うすらばかがうすらばかを集めたその結果、「馬鹿は百人集まると百倍馬鹿になる」という山本夏彦の至言を地で行ってしまったではないか。泥沼にはまってしまったではないか。

しかし、ここで、堂々めぐりである。いくら人の意見に耳を傾けたところで、意見を理解できず、理解にもとづいて判断することができず、判断にもとづいて実行することができないという三重苦状態、これが問題なのである。人がことをわけて事情や状況や趨勢を説明し、名張市はもう乱歩資料の収集なんかしなくてもいいんじゃね? とごくまっとうな意見を述べても、三重苦なんだから話にならない。意見は受け付けられず、いつまでたっても結論が出ない。出せない。出すことができない。ならばいっそ、乱歩資料をメインテーマとして、その他もろもろのこともふくめ、さて名張市はこれから乱歩をどうするべきなのか、市長、前教育次長はいうにおよばず、関係職員を総動員したうえ、関係機関や関係団体、もちろん一般市民もまじえたシンポジウムでも開催して、その場で結論を出してみる、というのはいかがなものか。お役所得意の先送りはさせません、ということにする。逃げ場なんかどこにもないぞ、ということになる。

よし。いずれ設けられるはずの面談の場においては、なにも決められぬ低能自治体を生温かくフォローするためのシンポジウムを開催し、きっちり結論を出すよう迫ってやることにする。むろん、資料の収集から手を引いたとしても、名張市は乱歩にかんして、いくらでも好きなことができるのである。どいつもこいつも怪人二十面相に扮して市議会を開くとかなんとか、そういったばかな知恵なら出ないでもないみたいだから、資料収集などという目立たないことはすっぱりやめて、乱歩というビッグネームを利用して目立つことだけを考えればいいではないか。そういったことこそがお似合いではないか。その程度のことしかできんではないか。おさなごはおさなごらしく、首にマントがわりの風呂敷でもまいて、ぎゃあぎゃあわめきながらそこらのひやわいはっしゃりまわってこい。しまいに水ぶっかけられても知らねーけどな。
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