三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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まず、お知らせ一件。
二、三日前、名張市役所の企画財政部地域経営室から郵送されてきた文書、スキャンしてごらんいただく。
このブログでお知らせしたほうがいいだろうな、と思われる情報が届いたので、とりあえずそれをこうして記すことによって、エントリを書きはじめることができた。
なにしろえらいことになっているから、ごく日常的な事務連絡みたいなこうした話題から入らないことには、ブログの更新すらままならないような日がつづいていた。
3月2日以来、ひさかたぶりの更新となる。
もっとも、こっちのほうはかろうじて更新をつづけている。
名張人外境ブログ:乱歩邸無事(2011年3月19日)
巨大地震が発生したあと最初のエントリがこれ。
名張人外境ブログ:朝を迎えましたが(2011年3月12日)
それにしても、3月11日以前の日常的なあれこれは、ひどく遠い昔のことのように感じられるし、大震災がもたらした惨状にくらべれば、きわめて些細でどうでもいいことのようにも思われる。
しかし、そんなはずはない。
被災したひとたちが不意に失ってしまった日常も、われわれの前にある日常も、ともにかけがえのないものであることには変わりがない。
そのかけがえのなさにあらためて思いをいたすことは、被災したひとたちにたいする最低限の礼儀のようなものではないか、とおれは思う。
ではでは、日常というやつのかけがえのなさに思いをいたしつつ、ひさしぶりでうすらばかども思いっきり叱り飛ばしてやることにするか。
いやー、おれも少しは元気が出てきたみたいだな実際。
ずーっと鬱っぽい気分でいたんだけど、なんでここへきて元気が出てきたのかというと、やっぱ福島第一原発のことが大きいのであろうな。
メディアの伝えるところを信じるかぎり、福島の原発事故も山場を越え、どうやら収束に向かいはじめた印象である。
むろん予断は許さぬのであろうが、少し以前までの胃袋に鉛をつめこまれたような感覚はもう消えている。
というのも、このエントリ──
2011年1月8日:どこからスタートすべきか
北関東のかたから、
──乱歩関連事業アドバイザーとしてのご活躍に、大いに期待しています。
と添え書きされた賀状を頂戴した、と記したのだが、これがじつは福島県にお住まいの乱歩ファンのかたであった。
つまりおれは、福島県が北関東だと勘違いしていたわけなのだが、それはまあそれとして、その乱歩ファンのかた、福島県といっても海沿いではなく、栃木県との県境に近い内陸部にお住まいなのだから、避難対象エリア在住というわけではない。
しかし、心配なことは心配であり、むろん原発事故となると福島県のみにはとどまらず、最悪の場合を考えると空恐ろしいほどの被害が出るはずでもあるから、そういうことを考えはじめるとなにも手につかないといった状態だったのだが、福島第一原発もひとまず安心できる状況にはなったようで、少しは元気も出てこようというものである。
さて、3月11日に巨大地震が発生する以前、名張まちなかがまた、ごたごたとごたついていたようであった。
例のディスカウントスーパーの件である。
YOUのウェブニュースを確認してみたところ、最新の関連記事はこれらしい。
伊賀タウン情報YOU:亀井市長、従来の答弁繰り返す スーパー誘致問題(2011年3月8日)
さーあ、ばんばん叱り飛ばすぞ。
とはいうものの、実際のところ、もはや怒る気もせん。
じつは3月11日以前にも、いくら怒っても、叱り飛ばしても、どうしようもないんだもんなあ、と思って、少なからずげんなりしておったのである。
なにをいってやったところで、なにも理解できんのじゃものなあ、と思って、心の底からうんざりしておったのである。
ほんと、名張市ってのはどうしてここまで、おんなじようなことばかりくり返すのであろうな。
自分の甲羅に似せて穴を掘る。
自分たちの勝手な都合を平気で地域社会に押しつける。
こんなことばっかやってるわけよ。
名張市が所有する公共施設用地をどう活用するか、というテーマに向き合った名張市役所のみなさんは、自分たちの無能と怠慢に合わせて穴を掘ってしまった。
なんつったって、目先のことしかわからず、その場しのぎしかできないみなさんである。
ちゃんと考える、ということができない。
目先の損得に振り回され、なりふりかまわぬその場しのぎに走ってしまう。
あげく、あちらこちらから、断固反対の十字砲火を浴びてしまう。
なかんずく、十字砲火のなかでも特筆大書しておくべきなのは、こよない癒着結託相手であったはずの名張地区まちづくり推進協議会からさえ、あっさりNOをつきつけられてしまった、という一事である。
ばーか。
大笑いじゃねーか。
しかしまあ、大変だよな。
名張市もほんと、大変だよな。
いったいなんだったんだろうな。
みごとなまでの失敗に終わったまちなか再生事業において、あれだけ名張地区まちづくり推進協議会の顔色をうかがい、旧細川邸やなせ宿の私物化を全力で支援し、担当職員が、てめーら市の職員か協議会の職員かいったいどっちなんだおらあッ、と罵倒されるようなシーンまであって、それはもう恥も外聞もないほど尽くしに尽くしたというのになあ。
そういえば、少し前にもこんなコメントが寄せられておったではないか。
2010年11月01日:なぞがたりの謎が謎を呼ぶ > 業務委託の件(2010年11月1日)
な。
あやしげな民間団体が「市の職員を留守番や手伝いに勝手に利用していると聞いたことがあります」といまだに語り草となっておるのである。
さらに「ちなみにこの団体。当初は市職員もメンバーに名を連ねていたのですが、市の業務委託を受けるにあたって、まずかろうと言うことで全員引き上げたと言うことです」とも語り伝えられておるわけである。
これすなわち、名張市と名張地区まちづくり推進協議会との癒着結託の一端である。
そればかりではない。
旧細川邸やなせ宿の私物化がルールもくそもないただのインチキによって決められたものであったことが露見し、そのせいで名張地区まちづくり推進協議会のメンバーが大挙して泡を食いつつ名張まちなか再生委員会からとんずらこいたあと、いったいなにを考えたのか、いやいや、なんにも考えられずに脊髄反射を示しただけだったわけなのだが、名張まちなか再生委員会から引きます、とあほな宣言まで名張市はしてしまったのだからなあ。
まちなか再生事業を矮小化するような愚かしいことまでして、身も心も名張地区まちづくり推進協議会に捧げつくしたというのになあ。
捧げつくして、このざまかよ。
ここで説明を加えておくと、まちなか再生事業を矮小化した、というのはどういうことかというと、あの事業は本来、全市的なスケールのものだったわけ。
これは難しい話でもなんでもなく、いちいち確認したわけではないけれど、まちなか再生事業の関係者にとって共通認識だったといっていいのではないかと思われる。
つまり、事業の直接の対象エリアは名張地区既成市街地、いわゆる旧町地区、つまり名張まちなかであったわけだけど、事業そのものはあくまでも全市的なスケールのものとして計画されたものだったわけであり、いわゆる地域づくり委員会が担うべき事業ではなく、また、担えるような事業でもなかったわけなのね。
それがどうよ。
名張市ったらいったいどうよ。
名張まちなか再生委員会とは手を切って、名張地区まちづくり推進協議会をまちなか再生事業のパートナーといたします、とかあほなことを宣言してしまったのだからなあ。
無理が通って道理が引っ込む、みたいなことを行政みずからがぶちかましてしまったのだものなあ。
ものの道理というやつを、思いっきりねじ曲げてしまったのだものなあ。
しかし、ここで再度説明を加えておくと、もしかしたらなんにもわかってないんじゃね? という説もあった。
つまり、まちなか再生事業の新たなパートナーとして名張地区まちづくり推進協議会と手を結ぶ、なんてことはまちなか再生事業の矮小化にほかならない、というごくあたりまえの理屈が、名張市という低能自治体にはまったくなんにもわかってないんじゃね? という説であった。
いわれてみれば、なるほどそうかもしれない。
なにしろ名張市である。
底抜けのあほである。
わからんのかもしれんな。
理解できんのかもしれんな。
ほんと、市民としては泣けてくるよな。
でもって名張市、とにかく名張地区まちづくり推進協議会に身も心も捧げつくしたそのあげく、まちこわしはやめてよね、とかいわれてしまったんだものなあ。
伊賀タウン情報YOU:「町壊しはやめて」と名張地区まち協 スーパー誘致問題で市長などに意見書(2011年3月7日)
なんかもうすっごい迷惑、とかいわれてしまったんだからなあ。
なんかもう、大笑いではないか。
ほんと、あそこまであからさまな癒着結託をかましたあげくが、このざまなんだもんな。
しかし、そんなものかもしれんぞ。
便益の供与を基軸にした癒着結託関係なんて、しょせんこの程度のものなのかもしれんぞ。
きれいごと並べて偉そうに説教を垂れるようだけど、行政が市民とのあいだにまず構築すべきなのは、やっぱ信頼関係であるべきなの。
それをまあごくごく一部の市民とのあいだに癒着結託関係を築きまくり、それによってがんじがらめになってしまって、もともとわけがわかんなかったというのにいよいよわけがわかんなくなってしまったそのあげく、まちこわしはやめてよね、なんかもうすっごい迷惑、とかいわれてんじゃねーよこのすっとこどっこい。
ちっとは身にしみてわかったか、といいたいところだけど、なんにもわかってはおらんであろうな。
ほんと、とにかくわからんのである。
なにも理解できんのである。
だから、いくら叱り飛ばしたって意味ねーじゃん、とか思って怒る気もせんかったわけなのやが、そんなことゆうて打ち沈んでばかりもおれんであろうからなあ。
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
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