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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 名張小学校の給食の時間の音楽について
 
 ウェブニュースとして掲載してもらったから、うざいかもしれんけど、みたびご案内申しあげておく次第である。あさってに迫った。
 
 
 ついでだから、天下御免の無断転載。
 
寺子屋講座:先人広く知らせ、来月4日に最終回--伊賀・大超寺 /三重
 
 伊賀市上野寺町の大超寺(坂下充信住職)で06年度から開かれてきた寺子屋講座が7月4日、最終回を迎える。講師に郷土史研究家の中相作さん(57)=名張市蔵持町原出=を迎え、旧上野町長で伊賀の近代化に尽くした実業家の田中善助(1858~1942)を取り上げる。
 
 大超寺は1608年、伊賀を治めた藤堂高虎に付き従った暁誉(ぎょうよ)上人が「大善寺」として開いた。高虎の従兄弟、藤堂良政を祖とする藤堂玄蕃家の菩提寺で、田中善助のほか、明治時代にロシア皇太子を暗殺しようとした津田三蔵など、伊賀地域ゆかりの著名人が多くまつられている。
 
 講座は、坂下住職(61)が寺に眠る先人を広く知ってもらおうと始め、今回で12回目。著名人を一通り紹介し終えたことから、今回で休止することにした。田中善助は岩倉水力発電や伊賀鉄道など多数の事業を手がけ、旧上野町長として下水道を整備するなど、伊賀の近代化に貢献した人物。
 
 坂下住職は「郷土に根差した人たちの力を多くの人に知ってもらいたいと開いてきた。最終的には講座を1冊の本にまとめたい」と話している。講座は午後1時半から(無料)で、事前申し込み不要。問い合わせは同寺(0595・21・2873)へ。【伝田賢史】
 
〔伊賀版〕
 
毎日新聞 2010年6月30日 地方版
 
 おれの肩書は、郷土史研究家、ということになっておる。ほんとは、先日も記したごとく、
 
 「講師に酔っぱらいの中相作さん(57)=名張市蔵持町原出=を迎え」
 
 みたいな感じが望ましいのであるが、世の中というものは思いどおりにはならぬものである。記者のかたから確認の電話を頂戴し、肩書は名張市立図書館嘱託でいいのか、とお尋ねいただいたので、いやいや、あそこはもうやめたの、だから、この手の記事の場合には、郷土史研究家、とかいう肩書になるのが近年の傾向なの、とお伝えしたところ、それで本決まりとなった。しかし、郷土史研究家、なんてことになると、人として落ちるところまで落ちてしまった、という感じがしてしまうべなあ。それにだいたい、研究なんてなんにもしてないんだし。詐欺かよ。
 
 それはそれとして、少しはおれの身にもなってくれよ、の件である。名張市役所のみなさんや、とにかくちゃんとしような、の件である。ちゃんと考えてちゃんと決めよう、の件である。つまり、滅私奉公の出血大サービスで、おれは三冊の目録をつくったわけな。それによって、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用を明確に方向づけた、という寸法ではあったんだけど、レベルの問題は最初から頭にあった。名張市役所のみなさんのレベルでは、なにも理解していただけぬであろうな、という危惧は最初からあった。げんに、ほんとになんにもわかんなくて、
 
 「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
 
 とか尋ねてくれたりしてしまうのが、名張市役所のみなさんのレベルなのである。しかし、いちいち尋ねられたってなあ。おれが通学しておったころの名張市立名張小学校では、みてわからんものはきいてもわからん、という常套句がよく使用されていた。実際に自分の眼でみていながら、それがなんであるのかを判断できないような人間は、いくら人から説明を受けたところで、なにも理解なんかできゃせんのじゃよ、という意味である。ほとんど哲学的な高みに達したフレーズで、さすが地域の名門名張小学校、よい子たちのレベルはかなり高かったということなのであろうな。みてわからんものはきいてもわからん、というのはほんとに至言っつーやつなわけであるけれど、名張小学校のよい子たちや、きみたちにこっそり教えといてあげるけど、みてもきいてもなんにもわからんあほな連中が、ここらあたりにゃずいぶんたくさん棲息しておるのじゃよ。
 
 名張小学校といえば、5月の連休のことであったか、伊賀市内の、というか旧阿山町にあるさる画廊に足を運んだところ、女性の先客がふたりあった。視線やことばを交わすことはしなかったのだが、そのうちむこうから声をかけてくれて、正面から顔を合わせてみると、どちらも名張小学校で同期だった女の子であった。ひとりは炭屋さんの、ひとりはミシン屋さんの娘さんで、おれは同窓会とかに出席しないことにしているからそのせいもあるのか、なんかえらいひさしぶりであった。久闊を叙する、どころの話ではなかったのだが、むこうは長谷製陶でやってるイベントにも足を伸ばしたいとかなんとかで、そのままさよならしたのであった。いや懐かしいなあ名張小学校。一年生のときの担任は谷戸三枝先生であったなあ。いや懐かしいなあ二宮金次郎。
 
 なんの話か。みてわからんものはきいてもわからん、という話である。世間に通用するレベルと、名張市役所のみなさんのレベルとでは、絶望的なほどの開きがあって、さあ困ったな、という話である。とはいえ、まさにみてわからんものはきいてもわからんわけであるから、細かな説明はいっさいせず、先日から記しておるとおり、こんなことになったわけな。
 
 おれ「さーあ、どうよ」
 名張市「またあらためてみんなで話し合いましょう」
 
 この時点で考えるべきことは、まず、乱歩関連資料の収集を継続すべきかどうか、ということであった。おれは継続すべきだと考えていたし、いまも考えているわけだけど、この時点できれいに手を引く、という選択も可能であった。先日も記したとおり、ちょうど立教大学が乱歩の遺産を継承したことでもあるから、そのどさくさにまぎれて手を引いてしまえば、ただの思いつきではじめた資料収集に、所期の目的は達成できましたので、とかなんとかそれなりにかっこつけながらピリオドを打つことができたはずである。
 
 手を引かないというのであれば、まず資料収集の原則というやつを、ちゃんと考えてちゃんと決めなければならない。むろんほんとは、そんな必要はなかった。名張市立図書館から全権委任を受け、おれが考えておれが決めた。その明確な原則にもとづいて、目録三冊をつくったわけである。しかも、世間にきっちり通用するレベル、すなわち最上級の松コースでつくった。おれとしては、そういうレベルで進んでもらいたいとは思うておったわけじゃが、そのあたりはおれの一存で決めることはできない。これからのことをどうするのか。松にするのか、竹にするのか、梅にするのか、それよりさらに下になるのか、とにかく今後のことをちゃんと考えてちゃんと決める必要があった。もとより、収集と表裏一体をなすところの活用という問題もある。これもおれ個人としては、データベースのネット展開みたいなことを進めてもらいたいと思うてはおったのだが、そんなことよりまず、資料収集のガイドラインみたいなのを明確にしなければならない。
 
 だから、なので、そんなこんなで、
 
 「さーあ、どうよ」
 
 という展開に持ち込んだのであったが、
 
 「またあらためてみんなで話し合いましょう」
 
 と先送りが待っておったのである。ま、お役人の常套手段ではあるけれど、やってらんねーよなーまったく、と思っていたところ、さらにだめ押しというわけか、こんなことになってしまった。
 
 名張市「おめーの考えてるとおりにゃしねーよ」
 おれ「へー、だったらどうすんのか、教えてくんない?」
 名張市「……」
 
 これも、それっきりであった。ひどい話ではないか。有能な市民にさんざっぱら滅私奉公をさせておきながら、妙な場所でわけのわからんいちゃもんをつけやがったあげく、いくら尋ねられても自分の考えを述べようとはせず、ただひたすら知らん顔を決め込む。なんかもう、おつむのおよろしくなさの問題は当然あるのだけれど、それ以前の問題として、そういう態度って人としてどうよ。ほんと、いくら催促しても返答してくれんのだからなあ。返答してくれんといえば、おらおらおらおら、でおなじみの名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信した質問に、まだお答えが頂戴できておらんではないか。名張市と乱歩蔵びらきの会との癒着結託を鋭く衝いた質問であったのだが、どうして返答がないのであろうな。思いきり逆上してしまうではないか。だから本日、ふたたび「市長への手紙」を利用して、ちょいと催促をばかましてみた。こんなんである。
 
 名張市のなぞがたりなばり事業について、先月7日、下記のとおりお尋ねいたしました。
 
 今年度のなぞがたりなばり事業は、昨年度同様、提案公募型事業として民間団体に委託されるのでしょうか。名張市公式サイトで確認したところ、まだ公募はおこなわれていないようです。つきましては、以下の二点にかんして、お答えを頂戴したいと思います。
 
 (1)今年度なぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。
 
 (2)昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
 
 上記の質問に、ご回答は頂戴できないのでしょうか。もしも頂戴できないのでしたら、勝手ながらその旨をお知らせいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 
2010/07/02
 
 いかん。おらおらおらおら、と書き入れるのを忘れておった。やはり人間、本気で逆上してしまうと、ギャグをかます余裕など失ってしまうものらしいな。気ィつけよーっと。
 
 さて、だから、なので、したがって、なあ名張市役所のみなさんや、少しはおれの身にもなってくれんかね、ということになるわけよ。なにを示しても、なにを訊いても、どなたも返答さえしてくださらぬ。返答することすらできんのよ。ものを考えるということが、まるでできないわけな。名張市役所のお偉いかたがたが、もうがたがた、かたがたががたがた、なんてことになると、なんかもうほんとにな、ほんとにいやになってくるわけよ。むろん最初から、いやだなとは思うておった。お役所などというレベルの低いところとかかり合いになるのは、心底いやだいやだと思うておったのじゃが、結局はお役所の仕事をすることになって、そうなればなったで、おれは微力ながらも心血を注いだわけなのな。そういうタイプなわけ。それがどうよ。主体性放棄と責任回避、先送りと丸投げ、そんなことばかりをくり返しているお役所のみなさんが、有能な市民に滅私奉公させといてあとはまったくの知らん顔なんだもんな。やってらんねーんだよばーか。ふつうなら号泣してるところだぜ。
 
 しかし、泣いてたってはじまんないわけな。それに、明けない夜はない、ということか、ありがたいことに、昨年の秋以来、名張市役所のみなさんに、乱歩のことをまじめに考えていただいておるわけである。つまり、
 
 おれ「さーあ、どうよ」
 名張市「またあらためてみんなで話し合いましょう」
 
 というやりとりから、ようやく先に進んでいただけた、ということになるのである。まあ、耳から黒い煙が出たりなんやかんや、いろいろ大変ではあろうけれども、ちゃんと考えてちゃんと決めなければならないことは、ちゃんと考えてちゃんと決めなければならない。つまり、名張小学校のよい子たちから、
 
 「なばりしはどーしてえどがわらんぽのしりょーをあつめてるんですか? しりょーってどんなものなんですか?」
 
 と尋ねられたりしたとき、きっちり答えられるようになっとかないとな、という話なのである。なあ名張小学校のよい子たち、尋ねたことにはちゃんと答えてもらわんとな。しかし懐かしいなあ名張小学校。給食の時間には必ずいつも、校内放送でハチャトゥリアンの「剣の舞」が流れていたのではなかったっけ?
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感動の嵐を呼びまくる名張市役所のゆかいな仲間たち
 ●小西昌幸様
 ご投稿ありがとうございます。
 おかげさまでわれらが名張市役所、びっくりするような人材がふつうにごろごろしておりますので、たぶんまともに本を読んだことなんかいちどもないのであろうな、と思われる人がついふらふらと図書館勤務になってしまう、みたいなことも朝飯前です。というか、現在の事情はよく知りませんので、朝飯前でした、と記しておきます。しかも、名張市役所のゆかいな仲間たちにはまだまだ上級者が存在していて、たとえば、
 「ちゃんと手ェ置いてくれるようになってくれましたわてなあ」
 と周囲を感動の嵐で包み込む人もあります。というか、ありました。つまり、二階や三階や四階ならまだいいわけです。むろん名張市役所の話ですが、訪れた市民の眼にふれやすい市役所一階に勤務しているというのに、ただただぼーっとしているだけの職員がいる。いちおう机にむかってはいるわけですが、どこからどうみてもぼーっとしているだけだということは一目瞭然。それがある日、お、きょうはなにかちがうぞ、それほどぼーっとしているようにはみえないぞ、ということになりました。なにがちがうのか。
 「あッ、手ェですねて手ェ、きょうは手ェ置いてくれてますねて」
 みよ。前日までは机のまえで椅子にすわり、両腕をだらーっと下にさげているだけだったその人が、驚くべし、両手をお行儀よく机の上に置いているではありませんか。そうすると、なんとなく、仕事をしているようにみえてくるからふしぎでなものです。すごいすごい。これはある種のブレイクスルーではないか。感動のあまり、全職員が泣いた、みたいな。
 今後ともよろしくお願いいたします。
中 相作 URL 2010/07/03(Sat)10:08:26 編集
誠に恐ろしい話ですねー
■古書店でいまや高値を呼んでいる名張市立図書館発行の乱歩資料集を、外側の箱が違うだけで中身はおんなじですわなあといってはばからない副館長さんがいたのですか。ギョエー。
■ということはあれですな、今刊行されている『定本久生十蘭全集』を見たって、コレ巻数の数字が違いますけど中身は活字が印刷されていておんなじですわなあ、とか言うのでしょうねえ。
■ということは、もしかしたらですよ、ありとあらゆる世の中の全集や選集や著作集はすべて中身が同じですわなあと思い込んでいる可能性が高いように思われますわなあ。そんな人が図書館で仕事をしていたのですか。物凄いことでございますなあ。誠に恐ろしい話ですわなあ。
■今度私の職場のミーティングでこのエピソードを謹んで紹介させていただこうと思います。「みんな、こんな風に頭が不自由になったら、もはや図書館司書は務まりませんからね。そのときは異動願いを提出しましょう」
■きっとうちの職場のオネイさんたちは、くすくす笑って脱力することでしょう。
小西昌幸(先鋭疾風社) URL 2010/07/03(Sat)00:30:22 編集
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