三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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われらが名張まちなか再生委員会、いよいよご臨終ということになった。きのう、名張市役所で説明会とやらが開かれた。ま、いってみればお通夜である。
配付された資料がこれ。
三ページ目のメンバー表にはアミをかけられた行があって、スキャンすると完全につぶれてしまう。画像ソフトで補正してみたが、それでもほとんど読めない。すまんなどうも。
なぜか、こんなチラシも配られた。
ま、交通事故には気をつけたいものである。
委員会側の出席者は、委員長と副委員長を含め、事務局は除いて、たしか十二人。ごくこぢんまりしたお通夜であった。説明会といったって、おととい記しておいたとおり、9月15日の名張市議会決算特別委員会におけるやりとりを一歩も出るものではない。
09月20日:いうべきことなどないの巻
09月26日:また先送りでござるかの巻
要するに消化試合で、まさしく、いうべきことなどなにもない。なにをいっても、なにを質問しても、むなしいばかりである。言論は死んでいる。暴政はまかり通る。これもおととい記したとおり、名張市民には、泣き寝入りするか、テロリズムに走るか、そのふたつの道しか残されていないのである。おれはどっちなのかというと、
「さ、そろそろテロにすっか」
みたいな感じにやや傾いているのだが、むろんまだ確定ではない。なんつか、乙女のごとく心が揺れている状態なのであるが、いずれにしても、説明会なんてのはもうどうだってかまわない。お通夜に連なっているだけの話である。とはいえ、黙って聞いていると、例によって例のごとく、不毛な質疑があり、不用意な誤解がある。だから、説明会の流れが妙なほうに行きかけたとき、それを修正するために軽く発言した。
不毛な質疑というのは、名張まちなか再生委員会から名張地区まちづくり推進協議会が抜けた理由はなにか、といったものである。そんなことは、まちづくり推進協議会に尋ねなければわからない。尋ねたところで、会員個々の判断である、という返答しか返ってこないはずである。個々の判断というのは、退会届に書かれてあった退会理由にほかならない。以前、再生委員会の事務局で確認したところでは、退会理由はふたつにわかれていたという。ひとつは、一身上の都合。もうひとつは、携わっていたプロジェクトの終了。再生委員会としては、そこまでのことしかわからない。それ以上のことは、推測ということにしかならない。そんな質疑に時間を費やすべきではない。
不用意な誤解というのは、名張地区まちづくり推進協議会が抜けてしまった現在も、名張まちなか再生委員会は名張市の協働のパートナーなのか、という点にかんするものである。これには、9月15日の特別委員会で、行政サイドから明確な答えが出されている。パートナーではない、という答えである。この日の説明会では、市長答弁がややあいまいだったせいか、ひきつづきパートナーである、と誤解した委員があった。だから、それを訂しておいた。名張まちなか再生委員会はもはや協働のパートナーではないが、いまの再生委員会に関係している各種団体それぞれとは、今後も必要に応じて協働のパートナーとなる用意がある、というのが名張市の真意である。
それから最後に、ひとつだけ確認しておいた。まちなか再生事業は大失敗であったが、それでもなお、この事業を当初の予定どおり十年がかりで進めるのか、という点である。市長の回答は、継続したい、というものであった。こんなことを質問する必要はなかったのだが、事業が大失敗であった、ということを声を大にしていっておきたかったので、あえて発言の機会を求めた次第である。
さて、名張まちなか再生委員会に入会して、一年半ほどが経過した。入会の目的は、一にも二にも委員会をぶっ壊してやることであった。粒々辛苦の甲斐あって、そろそろ壊れかけてきたかな、と思っていたところ、驚くべきことに、というか、これはもう常識では考えられないことなのだが、名張市がみずから手をくだして、再生委員会をきれいにぶっ壊してくれた。ありがたい話である。むろん名張市は、ぶっ壊してはいない、委員会から引いただけだ、というであろうが、そんないいわけが通用するはずがあるまい。みずから発足させた委員会をみずから解散させることすらしない、それほど名張市が無責任だというだけの話である。いつものようにうわっつらをとりつくろってはいるものの、名張まちなか再生委員会は名張市がぶっ壊したのである。これは衆目の一致するところであろう。
ここでつらつら振り返るに、自慢ではないけれど、名張まちなか再生委員会のインチキを、わけてもまちなか運営協議会の設立にかんするインチキを、理事会の席で指摘してやったのはおれである。名張地区まちづくり推進協議会の会員が再生委員会から大挙して退会し、さらには、名張市そのものが再生委員会から撤退するにいたったのも、直接のきっかけはそこにある。むろんこれは、ただの推測に過ぎない。しかし、きわめて蓋然性の高い推測である。その推測をさらに重ねると、名張まちなか再生委員会は、というか、名張まちなか再生委員会を牛耳ってきた名張地区まちづくり推進協議会の面々は、まちなか運営協議会の設立にかんするインチキをあばかれた時点で、音をあげてしまったのである。もう、ごまかしようがない。いいつくろうことはできない。それを悟ってしまったのである。
きのうの説明会で、質問に立った委員のひとりが、ある文書の引用を読みあげた。非公開の文書だが、再生委員会の正副委員長が打ち合わせをおこなったときのメモである。そのメモによれば、その打ち合わせの場に、名張地区まちづくり推進協議会の会長の意向が伝えられた。どんな意向か。推進協議会は再生委員会から引かせてもらい、協議会のやるべきことを淡々とやってゆく、まちなか再生という大きな事業は市に任せる。そんな意向であったという。むろん実際には、そんなことにはなっておらず、名張市は名張地区まちづくり推進協議会をパートナーとしてまちなか再生事業を進めてゆくと明言しているのであるが、それはともかく、自分たちのインチキをいいつくろうことができなくなったと悟った推進協議会は、インチキそのものをなかったことにしてしまうために、つまりは、くさいものに蓋をしてしまうために、一般の委員にはみえないところで、委員会から引くのなんのと見苦しい画策を進めていたらしい。そうした事実が、きのう読みあげられたメモからうかがえた次第である。
でもって、名張市はどうしたのか。きのうの説明会では、推進協議会が引くと申し出たとき、市はそれを慰留したのか、引くなと説得したのか、との質問も出されたのだが、事務局の返答は、しなかった、というものであった。要するに、推進協議会のいいなりなのである。再生委員会より推進協議会がだいじ、ということなのである。しかし、推進協議会による画策は不発に終わった。退会をちらつかせて解散を迫ったものの、再生委員会は解散しないことを確認した。脅しは裏目に出てしまった。ここからはまた推測でしかないのだが、ならば、名張市の出番である、ということになったはずである。くさいものに蓋をするために、名張市はもう、なりふりかまわず、みさかいもなく、前後のことはなにも考えず、こんなことをしてしまったら、おまえら正味あほやったん? と市民をあきれ返らせる結果になるということすら理解できないなさけなさで、再生委員会を葬り去ってしまうことにしたのである。
慶賀である。まことに慶賀である。まったく予想もしていなかったことながら、委員会をぶっ壊すという一点において、おれと名張市、双方の目的がみごとに一致したのである。いってみれば、おれが爆弾を仕掛け、名張市が導火線に火をつけた結果、名張まちなか再生委員会は木っ端微塵に吹っ飛んでしまったのである。これはもう、だれがなんといったって、みごとなまでの協働である。おれと名張市が協働して、ひとつの目的を達成したのである。うすらばかがうすらばか集めてうわっつらだけとりつくろって喜んでる、というのが名張市における協働の実態なのであるが、その唯一無二の例外として、おれと名張市の協働による名張まちなか再生委員会解散大作戦は歴史に名を刻むことになったのである。
きのうの説明会では、名張まちなか再生委員会を再建するために、つまり、委員会のセカンドバージョンを発足させるということなのだが、名張市にそのための場をセットするよう求める声が、委員側から出された。市長回答は、市と委員会の役員で話し合う、ということであったが、おれにはもう、そんなことはまったく関係がない。委員会のセカンドバージョンが誕生したところで、そんなものに入会する気はさらさらない。まちなかよさようなら、という寸法である。
名張まちなか再生委員会は、いったいどうなるのか。たぶん、ちかく臨時総会を開いて、解散を決議する、ということになるはずである。それが委員会の、いってみれば本葬である。本葬のあとは、また酒蔵空間にでも集まって、名張まちなか再生委員会解散記念大宴会でぱーっと盛りあがることにしような。
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