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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 永遠のJガールこと新矢由紀さんからメールを頂戴した。新矢さんのブログ「永遠のJガール」が、こういう仕儀になったという。
 
永遠のJガール:ブログをひとまず卒業しますね(10月12日)
 
 当ブログ10月11日付エントリ「横浜東京甲府旅日記(二)」でリンクした「永遠のJガール」の記事が読めなくなったため、そのことわりのメールをいただいたのだが、仔細はいかようにもあれ、ご卒業とおっしゃるのだから、とりあえず、おめでとうございます、と申しあげておきたい。
 
 その新矢さんが、今年の3月、山梨県甲府市湯村にある竹中英太郎記念館にいらっしゃった。記念館の館長、金子紫さんのブログに掲載されたその日の記事がこれ。
 
竹中英太郎記念館 館長日記:名張人外境の中様が・・・・・(3月29日)
 
 お名前の「紫」は「ゆかり」とお読みいただきたいのだが、当ブログにその金子紫さんのことを記したところ、紫さんからコメントを頂戴した。
 
 
 このコメントへのレスで、「今年の秋には、神奈川近代文学館で『大乱歩展』が開かれますし、ほかの団体による乱歩関連イベントも夏ごろから催されると聞きおよんでもおりますので、上京したおりにはぜとひも甲府まで足を伸ばし、お邪魔したいものだと考えております。お目にかかるのが気恥ずかしいような気もいたしますが、勇を鼓してお訪ねしたいと思います」と約束してあった甲府行きを、10月4日に果たしてきた。やっぱりちょっと、恥ずかしかったが。
 
湯村の杜竹中英太郎記念館:トップページ
 
 湯村というのは、名のとおりの温泉郷で、弘法大師によって開かれ、武田信玄の隠し湯でもあったとされている。
 
 10月4日(日)
 
 東京から甲府まで、どうやって行ったらいいのか。まずそれがわからない。とりあえず新宿まで出るのがいいらしいと聞いて、新宿駅で降り、駅員さんにあれこれ教えてもらって、午前9時30分発の特急かいじに乗車した。かいじは、漢字で書けば甲斐路であろう。かーいーのーやまやーまー、ひにーはーえーてー、わーれしゅーつーじーんにー、うれーいーなーしー、といったところである。甲府に着いたのは、午前11時20分ころのことであった。
 
 まずいかな、とは思った。時間がまずい。竹中英太郎記念館は、紫さんが主宰していらっしゃる個人美術館なのである。入館するということは、よその家を訪問するのとおなじことなのである。だから、お昼どきにお邪魔するのはいかにもまずかろうな、とは思った。思ったが、なにしろ個人美術館である。拝見するのにさほど時間はかからないであろう、と考え、そそくさとおいとますることにして、タクシーに乗った。すぐに到着。こんなところである。
 
 
 やや急な坂を歩いてのぼり、近所の犬に吠えられたりしながら、記念館へ。ドアを開けて入館すると、先客らしい男性と黒ずくめのいでたちの女性がおはなしをしていらっしゃった。その女性が紫さんだとすぐに察しはついたのだが、ご挨拶はあとまわしにして、さっそく展示品を拝見。上のリンク先に記されているとおり、竹中英太郎のアトリエを化粧直しした施設だから、ひとことでいえば狭い。狭いスペースに作品や雑誌などがみっしりと展示されていて、空気はいかにも濃密である。気力体力の衰えているときに訪問したら、英太郎作品の妖気にやられてしまうのではないか、という気さえした。静かに流れているのは、アマリア・ロドリゲス歌うところのポルトガル歌謡ファドである。
 
 作品以外にも、みるべきものは少なからずあった。たとえば、大きく引き伸ばされた英太郎のポートレート。モノクロームの写真が壁に掲げられて、英太郎がまっすぐこちらをみつめているのだが、その眼がなんとも柔和な印象であった。なんといっても、あの竹中英太郎である。人を射すくめるような鋭いまなざしを投げかけていてもいいはずなのに、じつにやさしげな眼の色である。意外な感じがした。ほかに、英太郎の名刺というのもあって、これはかなり面白かった。名前を横書きにした普通の名刺なのだが、左下のすみに小さな爆弾の絵が配されている。黒くて球形で、豚のしっぽのような導火線のついた爆弾である。英太郎のユーモア感覚がうかがえるようで、やはり意外な感じがした。
 
 館内を一巡すると、先客の男性が紫さんに、英太郎は作品を制作するとき老眼鏡をかけていたのかどうか、みたいなことを質問していらっしゃった。割り込んで、ご挨拶を申しあげた。男性は、アトリエを記念館に化粧直ししたときの、大工さんというのか、建築屋さんというのか、そういうかたであったのだが、「いまは手術で水晶体を調節して老眼をよくすることもできるんだけど、そんなことしたら脳味噌がパニック起こしちゃうからよくないんだって」、ははあ、そしたらやっぱり、からだ全体がじわじわ衰えていくのにまかせるのが自然でいいわけですか、「そうそう。そういうことらしいよ」などと、紫さんが淹れてくださったコーヒーを味わいながら、老眼談義に花を咲かせる。
 
 あとで紫さんからお聞きしたところによると、少し以前、全国のミステリーファンで組織するSRの会の全国大会が山梨県で開かれ、会員が大挙して記念館を訪問した。SRの会のブログでは、そのときのことがこんなふうに報告されている。
 
SRの会:SR全国大会報告2009(9月8日)
 
 このとき、館内に置いてある木製の椅子が足りなくなったらしい。そこでその、大工さんというのか、建築屋さんというのか、とにかくその熟年男性に椅子を数脚、新しくつくってもらって、その日がちょうど納品の日であったとのことである。その男性客がお帰りになって、時計をみると、すでに正午は過ぎている。こちらもそろそろ、とおいとましようとしたところ、紫さんから昼食にお誘いいただいた。まずいな、と思った。お昼どきにお邪魔したのは、やっぱ相当まずかったな、と思った。しかも前日、弥生美術館の堀江あき子さんから、事前に電話してから訪ねるように、とアドバイスをいただいていたというのに、なんとなく電話しそびれたままお邪魔したのである。これはほんとにまずかったぞ、と思いはしたのだが、ありがたくご厚意に甘えることにした。
 
 竹中英太郎記念館は、急遽、休館ということになった。じつに申しわけのないことであった。紫さんが運転する自動車に乗せていただいて、どこかそのへんの食堂へ、と思っていたら、到着したのはホテルであった。その五階あたりにある、いかにも高級そうな和食の店であった。いやー、ほんとにまずかったぞこれは、と思ったのだが、遠慮なくご馳走になることにした。この日のことは、紫さんのブログにこう記されている。
 
竹中英太郎記念館 館長日記:名張市の中様が・・・・・・(10月4日)
 
 紫さんは「昼食をご一緒しながら楽しい時間を過ごさせて頂き嬉しく思います」と書いてくださっているが、こちらにとっても無上の幸福を感じる時間であった。窓の外には、よく晴れた空のもと、甲府のまちが遠くまでひろがり、そのむこうには山が迫っている。紫さんによれば、晩年の英太郎がその眺望をこよなく愛惜したという、甲斐の山々である。ビールを何杯もおかわりしながら、実のお嬢さんから英太郎のことをあれこれお聞きできたのは、まさに「無上の幸福を感じる時間」であった。そういえば、立教大学に移管される以前の旧乱歩邸で、平井隆太郎先生から乱歩のことをあれこれうかがったときにも同質の時間を経験した、といまは思い当たる。
 
 記念館に展示されていた英太郎のポートレートについて、やさしそうな眼の色だったのが意外でした、と打ち明けると、「あの写真、わたしが撮ったんです」との由。ああ、なるほどな、と思った。あれは最愛の娘にむけたまなざしであったのか、ならば腑に落ちる、と得心した。「画集の表紙にもつかったんです」とのことだったので、帰宅してさっそくながめてみた。画集というのは、三年前、英太郎の生誕百年を記念して発行された『竹中英太郎』のことである。表紙はこんな感じ。
 
 20091013a.jpg
 
 この表紙の写真はかなり焼き込んであるから、さほどでもない感じなのだが、記念館に展示されているポートレートは白を生かした仕上がりになっていて、英太郎の視線はもっと柔和でやさしげだったという印象がある。実際のところはどうなのか、気になるとおっしゃるかたは、ぜひ竹中英太郎記念館に足を運んで確認されたい。そのおりには、事前に電話を入れてからおいでになることを、強くお勧めしておく次第である。
 
 いろいろうかがって、竹中英太郎って、やっぱり、かっこいい人ですからね、と申しあげたところ、紫さんは、間髪を入れず、「はい、かっこいい人でした」とおっしゃった。それは、娘の身びいきなんかではまるでなく、きわめて客観的な評言であるように聞こえた。竹中英太郎は、たしかにかっこよかったのである。実際、いくつになってもおしゃれでダンディな人であったらしいのだが、それとはべつに、心映えのかっこよさ、というものもあったはずである。4月1日付エントリにも引いたが、「太陽」の昭和63・1988年1月号に掲載された生前最後のインタビューで、英太郎はこんなことを述べていた。
 
   
 何か新しいものを求めようとする意欲は今もあるんです。私がものごころついた時分の教えというのは体当たり。右も左もそうでしたね。体をぶつければ本望だと。何かぶっつけたい、そして死にたいという気持ちは今もあります。だから、こいつを殺せば世の中が良くなるとか何百人が助かるということがあればね、そういう悪い奴が目の前にいれば、ふっ飛ばされるかもしれんが、八一歳、体をぶっつけてもいいという気持ちは今も持っているんです。
 
 これはいったい、なんなんだろうな、と思う。八十歳を過ぎてなお、世のため人のためならば、いつでもひとりのテロリストとして死んでゆく用意がある、と恬淡として宣言している。それが英太郎なのである。気骨、反骨、侠骨、なんと呼んでもいいけれど、こうした心映えはもう、かっこいい、としかいいようがないものだと思う。
 
 ところで、谷崎潤一郎の「細雪」には、英太郎作とおぼしい挿絵の話が出てくる。蒔岡家四人姉妹の末っ子、妙子が行きつけにしている鮨屋のシーンである。新潮文庫なら中巻255ページ、中公文庫なら511ページで、その鮨屋の主人がこんなふうに描写されている。
 
   
彼女に云わせると、此処の親爺は「新青年」の探偵小説の挿絵などにある、矮小な体躯に巨大な木槌頭をした畸形児、──あれに感じが似ていると云うことで、貞之助達は前に彼女から屡々その描写を聞かされ、彼がお客を断る時のぶっきらぼうな物言い、庖丁を取る時の一種興奮したような表情、眼つきや手つき、等々を仕方話で委しく説明されていたが、行って見ると、又本物が可笑しいほど彼女の真似によく似ていた。
 
 三年ほど前に「細雪」を再読したとき、ここに出てくる「『新青年』の探偵小説の挿絵」という文言が、英太郎の挿絵を念頭に置いて書かれたらしいことに気がついた。妙子という娘の人物像を肉づけする材料として「新青年」や探偵小説が使用されている、ということなのだろうが、その挿絵が英太郎のものだとわかって読んでゆくと、鮨屋の主人というのが妙にありありと眼前に浮かんでくるような気になる。いずれにせよ、谷崎が英太郎の挿絵を印象深く記憶にとどめていたことは、ほぼ間違いのないところだろう。再読して、へーえ、と思ったので、そのことをおはなししてみたところ、紫さんは「細雪」にそんな描写があることはご存じなかったという。あとでコピーをお送りします、と申しあげておいたのだが、名張に帰ってから、コピーじゃまずかろう、と考え直し、ブックスアルデ名張本店をのぞいてみたところ、新潮文庫は三分冊がちゃんと揃っていなかったので、田辺聖子さんの解説が収録されている一冊本の中公文庫を購入し、紫さんにお送りした。
 
竹中英太郎記念館 館長日記:「細雪」の中に・・・・・(10月9日)
 
 長く幸福な昼食が終わって、そのあとはまた、甲府名物のお菓子や、郷土料理の主役ほうとうのおみやげまでしっかりと頂戴し、こうなるともう、まずいかな、どころの騒ぎではまったくない。非常にまずいことになってしまったな、と思わざるをえない。とんだご散財をおかけしたうえに、ホテルから甲府駅まで自動車でお送りいただいたのだから、いくら恐縮してもしたりないほどのご歓待をたまわる結果となってしまった。いやもうなんか、ほんとに申しわけなかったな、と思いつつ、特急スーパーあずさで新宿に戻る。
 
 紫さんとは飼い犬のこともひとしきりおはなししたから、そのせいででもあったのか、あるいは、上京三日目にして早くも里心がついたということか、この日の夜の夢には拙宅で待っている犬が出てきた。おのおのうーまーはかいたーるやー、つまこーにつーつがあらざーるや、あーらーざーるーやー、といったところであったのか。それにしても、短い旅の空で飼い犬の夢をみているようでは、たいしたテロリストにはなれそうもない。
 
 帰宅してみると、むろん案ずることなどなにもなく、犬はいたってつつがなく暮らしていた。きのう撮ってやった写真がこれである。
 
 20091013b.jpg
 
 写真のタイトルは、「見返り美人」とでもしておく。
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記事が手許にありませんので副委員長の文書をどうぞ
 ●新市民様
 ご投稿ありがとうございます。
 仰せの記事は昨日付朝日新聞の伊賀版に掲載されたものだと思いますが、残念ながら、いま手許にありません。むろん眼は通したのですが、とくに目新しいことは報じられておらず、名張まちなか再生委員会のメンバー三人ほどが、名張市のやったこと、つまり、委員会から退会してしまったことにかんし、きわめて批判的なコメントを寄せている、といった内容でした。
 ただまあ、名張まちなか再生委員会というのは、はっきりいってもう終わった組織であり、名張市になにをいってみたところで、蛙のつらに小便、という以上のことにはならないはずです。あさって催される説明会とやらも、名張市がくさいものに蓋をして逃げ切るためのセレモニーでしかないでしょう。
 朝日新聞の記事では、再生委員会の副委員長が市長に提出した文書のことにもふれられていました。これなら、むろん手許にあります。記者クラブを通じたものかどうかはわかりませんが、とにかく記者さんの手にわたり、新聞記事にもなっているのですから、ここで公開しても差し支えあるまいと判断して、以下に全文を転載いたします。

……………………………………………………………………………

亀井市長に「名張まちなか再生委員会」関する質問と提案。そして少々の感想。
                        
091008    福廣 勝介

亀井市長、前略です。早速ですが、下記をお読み下さい。
先ず、前提となる現状認識にずれがあるなら、ご指摘下さい。
そして、質問には是非お答え下さい。
提案にも、適宜お答え頂きたいと思います。
ご回答は、文書にて、簡潔表現(当方と同程度の文量)にてお願いします。
時期的には、出来るだけ早急(5日間程度)に、お願いします。
回答は、再生委員全員、あるいはマスコミにも公開させて頂くつもりです。為念。

なお、この文章は、再生委員会の一委員として、あるいは、委員会運営に重要な役割を果たさねばならない副委員長の一人として書いたものですが、個人意見です。文章の頭の数字は、整理のためのもので、優先順位等に意味を持つものではありません。

            記

先ず、前提条件の確認
1、 名張町中は、名張市全体、あるいは名張市民全体の顔である。
顔とは象徴であり、核である。
2、 名張市の現状は、市の財政難はじめ、各種の課題を抱えている。殊に、町中に関しては、かつての個性的でしっとりしたまちなみ景観を失いつつあり、そこでの人々の暮らしぶりまで、かつての輝きを失いつつある。
3、 この名張の顔である町中の再生こそが、市全体活性化への最大課題であり、最大事業の一つである。市内官民、場合によっては市外の力も借りて取り組む、総力戦事業である。と言うか、そう言う取り組みでないと克服できない大課題である。
4、 「名張まちなか再生委員会」は、平成17年に、市の呼びかけで、市内各種団体等の賛同を得て、名張市全体の活性化を目的として設立された官民協働の組織である。
5、 この組織設立の趣旨はすばらしいものである。今、全国的課題でもある中心市街地活性化は、官だけではなされない仕事である。また、近代以降の、各種仕事の市民から行政への委託・外注化で、市民自主だけでも達成できない事業事情になってきている。しかも、国行政は、地方分権・主権、都市内分権の流れを作っていて、正に時期を得た設立であった。
6、 再生事業着手後、いくつかの工事発注等は実施されて、整備された箇所も随所には見られるが、それは、目指すべき町中再生には程遠い。まだまだ、町中再生の道、端緒に着いたばかりと言える。これからこそ、本題に入らねばならない時である。
7、 さて、「名張まちなか再生委員会」の役員会(理事会)の現状は、混乱をきたしていて、前向きのまちなか再生議論が出来ない状態である。時には、会議に参加することが不快な場合すらある。こういう状況にしてしまったのは、理事全体でもあるが、その運営の中心にいる我々、正副委員長の責任大である事を、充分に認識し、痛切に反省している。
8、 各プロジェクト会議においての反応は様々である。「こんな新しい人達と町の今後を語れる素晴らしい会はない」、「もうプロジェクトの使命は終わった」などなどである。
9、 こうなった原因のいくつかとして、ワークショップ時代から、再生委員会設立に移行の段階で、市民、委員全体に、まちなか再生とは何か?再生事業の事業とは何か(※1)?協働とはどういう役割分担の形を言うのか(※2)?の議論とその結果の共有。いわば委員会での価値の共有がなされなかった事が原因であると思える。同床異夢である。

(※1)事業とは経済活動だけなのか、経済活動がメインの民間並みの、行政の経営感覚は素晴らしいが、市は民間会社ではない。社会支えの大きな仕事・事業は、赤字を出してでも、実施しなくてはいけない。それは赤字ではなく必要経費。その充当のために市民は税金を払っている。
(※2)協働(官民だけでなく)と言うのは、現実には、人間社会で非常に難しい取り組み。現に、近畿地整局で「新しい公」に取り組んでいる幹部公務員も「官民協働を実現している自治体、そうそうないですよ」と発言しているし、某県庁の中堅職員の発言(参考2)でも、難しいのは承知している。だからこそ、名張市の協働取り組み宣言には喝采を送りたいし、市民の多くも協力したいと思ったのだろう。そして、そんなに順調にも進まない、行きつ戻りつ、揉め事もありながら、それでもまちなか再生に向けて進めるものだろうと、期待を大きくして、委員会に参加させてもらった。だから、少々のしくじりは、皆、同様であるし、他を非難するつもりはない。今、正しく、難渋しながらも、その試行錯誤の過程・途上であると認識している。ところがである、市が「退く」と言う発言。これは、全くの想定の外。期待との落差はあまりにも大きく、このままでは、市行政への不信反駁へとつながろうというものである。

質問
10、 市が道半ばともいえない時期に、しかも10年事業の5年目にして、「退く」と言うことの真意は何処にあるのでしょう?
11、 先日の議会議事録に、市、自ら退いておいて「今の委員会、そもそも協働としての組織ではない」とあるが、その再建努力をしないなら、市も協働破綻の一因と思えるが、いかがなものでしょう?
12、 まちなか運営協議会の多数が退かれて、協働の組織でないと言われるが、町中市議4人全員同時に退いた時には、市はどう言う理解をされたのでしょうか?
13、 又、唐突に突然「退く」!どうして「市が退く」と言う事を、事前に、委員会役員会の中で相談できなかったのでしょうか?
これは、信頼関係を根底からひっくり返す事に他ならないと思います。協働の最低限の前提は、双方の情報公開であると考えています。今回の唐突は、その真反対の行為であると思いますが、いかがでしょう?
市はある種の権力・市民に委託された権力の座にいるのですから、退くも、市の勝手では通らないと思うのですが・・。
14、 市が退かれた場合であるが、今後のまちなか再生は、誰が担っていくのでしょうか?
15、 官だけで行おうとしているのでしょうか?
16、 「まちづくり推進協議会」との協働との噂もあるが、まちなか再生が、名張市全体の事業との認識から言えば、組織、対象エリアの矮小化ではないでしょうか?
そして、この推進協議会への参加は市民どなたにも保障されるのでしょうか?
17、 再生委員会の委員大部分は、各種団体を母体に、推薦で出てきている人達によって構成されていますが、出身母体としての参加ではなく、個人としての参加です。なのに、市のみが、市職員全体での引き上げとはどういう判断なのでしょうか?
18、 市が解散宣言ではなく、「退く」と言うのは、委員会の存在そのものは認めるという事でしょうか?その場合、委員会継続のための各種支援は継続するものと考えていいのでしょうか?例えば、会議室の提供。市職員以外の事務局運営、例えば事務局をコンサル委託した場合などの費用は保証してくれるのでしょうか?
19、 やはり、議会議事録に、「今後に大きな事業を控え」と言うのが、ありますが、まちなか再生より大きな事業とは、具体にはどんなものなのでしょう?
20、 「協働」とは具体には、をどのような姿をイメージされているのでしょうか?
市民と行政の間で、一度協動とはそもそも何か、議論と共通認識が必要かと感じます。
このままでは、行政の都合で協動がもてあそばれ、市民は失望ばかりとなりかねない感がします。(某氏)

提案
21、 市職員の委員は引き上げる。市の各種事情・意向説明は、事務局が行ない、重要課題に関しては、必要時に市の当該職員が出席して説明を行う。
22、 但し、市職員を入れての事務局は継続する。まちなか再生課題については、折角の素晴らしい趣旨の委員会を立ち上げたのであるから、仮に市民委員が全員退いたとしても、市事務局としては委員会死守、再建に最大の努力を払うべきではないだろうか。その熱意が感じられれば、対応する市民は必ずいる。また、市民委員間に意見違いの仲違いが起これば、その仲裁こそが、行政の仕事であるのではないでしょうか。今の状態では、まるで、子どものようである。兄弟げんかしたら、親である事をやめるのでしょうか。親なら、喧嘩をやめさせて仲直りさせるのが最大の仕事でないのでしょうか。市はある意味、市民の親でもあると思うのですが。自分の非を認めず、他を批難するばかり。市役所まで、お前もか!と言う感じです。もっと大人で行きましょう!
23、 意思のある現委員の続投と、市と共に市民も協力して、意欲ある市民の新委員加入勧誘をはかり、委員会倍増、三倍増、増強狙う。町には意欲ある人材が必ずいる。町に意欲のある市民がいなくなると言う事は、限界都市と言われても仕方ない。
※限界集落とは、戸数人数で決めるのではなく、集落存続の意思をなくした集落のことを言う。(同志社大学:新川達郎教授)
24、 これまでの委員会の運営不調の原因を良く認識反省して、委員間、市民間に改めて、価値の共有を図る討議の機会・期間を設ける。そして、同じ轍を踏まないよう再生委員会の再建に取り組む。
人は間違いを起こすものである。しかし、間違いに気付いた日「いつも明日は遅くない」のである。ましてや、権力の場にあるものは、間違いに気付いた日、即刻に進路変更である。「いつも明日は遅くない」
25、 短期・中長期の目的、合意形成・議決方法の他、入・退会、事務局機能などを、様々な状態を想定して、規約の再改正で会の有り様を明瞭にする。
26、 会議運営のルール集を作る。
(参考1) 「3つの原則。7つのルール。」での議論

今回事態の意見感想
・ 市民相互間、市民・役所間に不信感を残した事、その負の遺産は、「町中」課題に限らず、今後の行政全般に大きな障害となることでしょう。現市政の失政と評されるのではないでしょうか。しかも、現市政だけでなく、今後も長く、市民の行政不信に尾を引く事を懸念します。いや、もっとも、不幸な事に「今、行政信頼してる市民なんかいない」と言う人もいるかもしれませんが!
・ 5年前の再生委員会の立ち上げは、市民への協働宣言だったはず。ある意味では、今、流行の「マニフェスト」。市長になられてからのマニフェストですが。となれば市民への契約違反です。
・ 市が立ち上げた委員会を、「そうでない、共同で立ち上げた」と取り繕ってしまったものだから、ずっと、最後まで矛盾のままで来て、今、それの極みに立っている。規約は暗黙知ではないが、設立したのは市であるというのは皆の暗黙知。例えば上のような提案を受け入れて貰っての再建を図らずに、もし、再生委員会は存続でも、市は退くと言う方針変更しないなら、それは、蛇の生殺しのような異常な事態の閉塞感!これはどなたとっても不快!勿論、市にとってもそうだろう。解く鍵のない閉塞感に陥った時の魔法はたった一つ、本音に恥ずかしいものがなければ、その本音を表明し、それで思いっきり立ち向かうしかない。具体には、現規約無視して、市が「解散宣言」をすればいい!勿論、今回以上の大大反響がある事だろうが・・・。

                                   以上
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(参考1) 「3つの原則。7つのルール。」での議論
○3つの原則
・ 自由な発言
・ 徹底した論議
・ 合意形成
○7つのルール
・ 参加者は自由な一市民として発言する
・ 参加者個人の見解は所属団体の公式見解としない
・ 特定個人の・団体のつるし上げをおこなわない
・ 議論はフェアープレイの精神で行う
・ 議論を進めるに当たっては、実証的なデータを尊重する
・ 問題の、所在を明確にした上で、合意をめざす
・ 現在係争中の問題は、客観的な立場で事例として扱う
            (原典:みずとみどり研究会)

(参考2)協働、どんな姿かというとよくわかりません.
僕の場合は,学識者の方々もNPOの方々も自治会のおっちゃんも,学校の先生たちも,
区別なくみんなでごちゃまぜで一緒に楽しいこと(みんなでやりたいと思ってたこと)
を見つけて,実行するということだと思います.

みんなで集まれば,それまでできなことだってできるんや!という共通認識のもと,
それぞれの役割を果たすことが協働だと思います.それぞれできることできないこと
があるのは当たり前で,そこを互いに補い合うのが協働ではないでしょうか.できな
ことを押しつけるのは協働とは言えないように思います.

ただ,市の担当者さんの様子も容易に想像できます.結果ありきなのか,そもそも思
いを共有していないのか。きっと、そうだ!と思っても、既存のシステムの中ではで
きないだろうと,諦めてしまうのだと思います.

○○県庁でも「できない理由」ばかりみんな考えています.まったく,夢がない.

協働が先歩きすると,そもそも協働できないのに協働の名のもとで担当させられてい
る職員も,協働しようと集ってくれる皆さんにとっても非常に不幸なことと思います.
この負のスパイラルは不幸にします。

まず,問題意識の共有と互いの信頼関係が協働のベースだと思います.顔を見ると笑
顔がでるような信頼関係が必要だと思います.「次,一緒に何やったろ??」と企む
のが協働だと思います.

制度やシステムに縛られた小役人では協働するのは難しいと思います.彼らはココロ
を殺しているからです.ココロのないものと、思いを共有し信頼関係を作るのは無理
です.ですので,杓子定規を捨てても匙は投げない担当者を見つけることしか,実際
の協働は起こりにくいと思います.人と人との繋がりが一番大切と思います.

温めた割には,大したお返事ができずに申し訳ありませんでした.

以上

……………………………………………………………………………

 以上です。
 お役に立てなくて申しわけありませんでした。とはいうものの、紙面のスキャン画像にせよ、テキストそのものにしろ、新聞記事を無断でブログやサイトに掲載してしまうのは、著作権その他の権利関係において明らかに法律を犯す行為です。私はこのブログで、確信犯としてそうした違法行為に手を染めているわけですが、ご投稿にありましたご依頼は、違法行為を使嗾するものと判断されてしまうかもしれません。以後、ご注意いただいたほうがいいと思います。
 今後ともよろしくお願いいたします。
中 相作 URL 2009/10/16(Fri)14:04:27 編集
無題
おはようございます。
いつも愛読?させていただいています。
ところで、昨日、友人から、このブログでいつも話題のまちなか再生の事が
新聞に載っていたとの話を聞きました。
おそらく朝日新聞と思います。
が、当方は別の新聞を購読し、図書館へ行く事もままなりません。
できましたら、このブログにて記事を掲載して頂けないでしょか。
少々興味がありますので、お願いします。
新市民 2009/10/16(Fri)07:41:48 編集
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