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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 10月2日から5日まで、横浜、東京、甲府あたりをさまよってきた。その報告を記す。名張市民各位には、3日に催されたトーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」で入場者にお配りした山本松寿堂謹製「二銭銅貨煎餅」の代金と送料を負担していただいたのだから、血税が有効につかわれたことをご報告申しあげなければならない。だったら3日のことだけを記せばいいのだが、そこはそれ、ものはついでである。というか、横浜にも甲府にも東京にも、乱歩の生誕地である名張市に興味をもってくださったり、名張のことを気にかけてくださったり、そういうかたは確実にいらっしゃる。そういうかたがたをご紹介することで、市民各位に乱歩という存在の大きさをお伝えしたいとも考える次第である。とはいえ、お会いした人に名前入りで、しかもご本人には無断でご登場いただくのは、いささか心苦しいことではある。そのあたり、あらかじめ関係各位のご海容をお願いしておきたいと思う。
 
 10月2日(金)
 
 神奈川近代文学館は横浜市中区山手町、港の見える丘公園にある。10月2日、翌日開幕する「大乱歩展」の内覧会が開かれた。
 
神奈川近代文学館:トップページ
 
 午後1時過ぎ、みなとみらい線の元町・中華街駅に到着した。小雨が降っていたので、改札を出たところにあった売店で傘を購入。エレベーター経由で出口から出て、ぶらぶら歩くと、あなたとふたりではなく、春の午後でもなかったけれど、港の見える丘公園にたどりつく。内覧会は午後2時から。しばし公園内を散策する。展望台に立ち、眼下にひろがる港ヨコハマに愁いをふくんだまなざしを投げたあと、フランス山と呼ばれるエリアに踏み込む。長い階段があって、のぼりおりするだけで息が切れた。
 
 神奈川近代文学館の入口で、乱歩令孫、平井憲太郎さんにお会いした。今年の2月、乱歩生誕地碑広場の完成式でお目にかかって以来である。いっしょに館内へ。受付で、文学館展示課長代理の鎌田邦義さんにご挨拶。持参した二銭銅貨煎餅をお渡しした。ちなみにこれは、名張市民の税金ではなく、自腹で購入したものである。ついで、文学館スタッフの渡辺恵理さんにもご挨拶。名刺をお渡ししたのだが、女性相手にすっかり動転し、手許もおぼつかなかったのであろう、「あ、二枚ありますよ」と名刺一枚、返品をくらう。おふたりとは、メールでは何度もやりとりしていたが、お会いするのははじめてである。
 
 展示会場には、息をするのも忘れてしまいそうになる展示品の数々。乱歩展はこれまでにも、平成15・2003年から翌年にかけて、池袋西武で豊島区の「江戸川乱歩展 蔵の中の幻影城」、池袋東武で立教大学の「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が開かれ、それぞれにバラエティが楽しめたのだが、それにくらべると今回の「大乱歩展」、文学館による企画展の王道を行く観があった。圧倒的な充実ぶりである。初見の資料もたくさんあって、たとえば、乱歩が鳥羽造船所時代に編集した「日和」なんてのが、なにげに展示されている。乱歩がつくった『貼雑年譜』というスクラップ帳には、「日和」の切り抜きも貼り込まれているのだが、それとはべつに、完全なかたちのものが保存されていたらしい。お訊きしてみたところ、そんなものが残されていたことは憲太郎さんもご存じなかったという。
 
 しばらくして、セレモニーが開幕。ロビーに集まったところで、人形作家の石塚公昭さんにお目にかかった。この「大乱歩展」ポスターの人形を手がけられたかたである。
 
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 石塚さんにはじめてお会いしたのは、平成9・1997年のことである。上京して、乱歩令息、平井隆太郎先生のお宅、つまりは旧乱歩邸にお邪魔したところ、石塚さんが浅草で作品展を開催中だということを教えてくださった。先生はすでに足を運ばれていて、石塚さんのことを「なかなか面白いあんちゃんですよ」とおっしゃっていた。それでその翌日、作品展の会場を訪れてみた。以来、おつきあいをいただいて、平成14・2002年に名張市が「江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業」として開催した「乱歩再臨」のポスターには、無理をお願いして石塚さんの人形にご登場いただいた。これである。
 
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 館長の紀田順一郎さんや憲太郎さんらの挨拶のあと、ビールで乾杯。その直前、ミステリー評論家の新保博久さんが滑り込みでご到着。新保さんには平成17・2005年、名張を訪れていただいた。そのときのことは、翌年刊行された本格ミステリ作家クラブ編のアンソロジー『死神と雷鳴の暗号』(講談社文庫)収録の新保さんによる解説に、ちょっとだけ記されている。一段落だけ引用しておく。
 
   
 かねがね三重県名張市を一度は訪れなければならないと思ってきたが、やっと二〇〇五年十一月になって宿願を果せた。江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して、東京の推理劇専門劇団フーダニットが初の地方公演、辻真先書き下ろし脚本による「真理試験─江戸川乱歩に捧げる」を上演したせいもあって、どうにか重い腰を上げられたものだ。
 
 ミステリー研究家で東京創元社の前社長、戸川安宣さんにもお会いした。戸川さんが名張においでくださったのは、たしか平成16・2004年、じつに無残な失敗に終わった三重県の官民協働事業「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のおりであったと思う。戸川さんはその翌年、何万冊というミステリー関連の蔵書を成蹊大学に寄贈され、その整理に通っていらっしゃったのだが、整理作業からもそろそろ手が離れるとのことであった。翌日、池袋で開かれる大宴会にお誘いしたところ、「東京にいないんですよ」との由。ブログで拝見したところ、3日と4日は金沢にいらっしゃったようである。
 
パン屋のいないベイカーストリートにて:大乱歩展(10月3日)
 
 立教大学教授の藤井淑禎さんにも、ひさしぶりでお目にかかった。おととし、立命館大学で開かれた「国際乱歩コンファレンス」以来のことである。名張においでいただいたこともあって、平成16・2004年のまだ寒い時期であったと記憶する。「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」準備のご挨拶ということであったか、鳥羽市と名張市に足を運んでくださった。車谷長吉さんの「赤目四十八瀧心中未遂」の舞台になった赤目滝をご覧になりたいとのご所望を受け、当時の市立図書館長が運転する市の公用車で赤目滝を訪れたのだが、やたら寒い日であった。駐車場に駐めてあった公用車のバッテリーがあがってしまい、べつの公用車でブースターケーブルをもってきてもらう、という一幕もあった。
 
 立教大学大学院の院生にして同大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターにお勤めの落合教幸さんも、藤井さんに同行していらっしゃった。平成17・2005年、立教大学で催された「読売江戸川乱歩フォーラム2005」のあと、新宿ゴールデン街の「幻影城」という店にごいっしょして、それ以来のご無沙汰である。そういえば、新宿始発の山手線車内でごくわずかな時間、不覚にも居眠りをしてバッグを置き引きされたのは、「幻影城」を出て、新宿駅で落合さんにお別れしたあとのことであった。落合さんからは、「『大衆文化』で『D坂の殺人事件』の草稿を紹介しました」と教えていただいた。「大衆文化」は同センターの刊行物で、「大乱歩展」に間に合わせるべく第二号の編集が進められたらしい。東京から戻ったら、拙宅にも一冊、お送りいただいてあった。これである。
 
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 小酒井美智子さんもいらっしゃっていたので、ご挨拶申しあげた。美智子さんは、乱歩と親交のあった探偵作家、小酒井不木の令息、望さんの夫人、ということになる。稲木紫織さんの『日本の貴婦人』(光文社知恵の森文庫)で昭和生まれの貴婦人十六人のおひとりとして紹介されているくらいだから、日本を代表するセレブリティ、セレブ中のセレブ、といっても過言ではない。平成16・2004年の春、愛知県の蟹江町で不木の生誕地碑が除幕されたおり、はじめてお目にかかったのだが、秋になって突然お電話をいただき、「名張でなにかあるの? 行くわよ」とのことだったので驚いてしまった。この年、じつに無残な失敗に終わった三重県の官民協働事業「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が催され、事業のひとつとして不木と乱歩の書簡集『子不語の夢』を刊行した。秋にはその関連イベントが名張市で催されたのだが、そのことを美智子さん、どこかから聞きつけられて、わざわざ電話をかけてきてくださったのである。むろん、名張においでいただいて、清風亭での大宴会にご出席をたまわり、翌日、青少年センターの前でお別れしたはずである。五年ぶりの再会であったが、名張のこともよくおぼえてくださっていて、うれしい思いがした。
 
 やはり『子不語の夢』でお世話になった古本屋さん、不木宛乱歩書簡の所有者でもいらっしゃる岡田富朗さんにも、思いがけずお目にかかることができた。ちょっとおみそれしていたところ、むこうから声をかけてくださった。平成16・2004年の夏、不木宛乱歩書簡のことで軽井沢にあるお店までご挨拶にあがり、というか、ちょっとしたトラブルが発生したためお詫びにあがったのだが、奥さんともどもご歓待いただいた。秋には、ご夫婦で名張にも足を運んでくださった。この日も奥さんとごいっしょで、「また軽井沢にも来てくださいよ」などと短い立ち話でお別れしたのだが、「大乱歩展」になにかを出品なさったのかどうか、お訊きしておけばよかったと思う。
 
 高木晶子さんには、はじめてお会いした。推理作家、高木彬光のお嬢さんである。色鮮やかなワンピース姿の女性がいらっしゃって、それとなく洩れ聞こえてくるおはなしから、もしかしたら高木晶子さんかな、と見当がつき、新保さんにお訊きしたところ、まさにそのとおりだったので、紹介していただいた。晶子さんは昨年、『想い出大事箱 父・高木彬光と高木家の物語』(出版芸術社)を出版された。「乱歩に筆を折らせた男」というタイトルの文章も収録されているエッセイ集で、あの本を拝読してとても面白い女性なのだろうなと思っていたのですが、お会いしてみたら思っていたとおりのかたでした、と正直に告白しておいた。乱歩の晩年、昭和37・1962年のことであるが、探偵文壇関係者のもとに「ランポキトク」という電報が届く怪事件があった。きわめて悪質ないたずらで、犯人は不明、いわば迷宮入りになったのだが、高木彬光家で電報局からの電話をお受けになったのが、ほかならぬ晶子さんだったという。当時の興味深いエピソードをいろいろと教えていただいたので、そのことをぜひ活字にしてください、とお願いしておいた。「名張は以前、近鉄特急でなんども通ったことがありますよ」とのことだったので、いちどお立ち寄りください、ともお願いしておいた。
 
 そろそろビールにも飽きてきたな、と思っていると、石塚さんが「中さん、あそこに怪人二十面相と黒蜥蜴がありますよ」と教えてくれる。ビール瓶と料理が山盛りになったテーブルをみると、伊賀市上野東町、ヴァインケラー・ハシモト謹製の日本酒「怪人二十面相」と「黒蜥蜴」が一本ずつ、やや所在なげに立っている。戸川さんからの差し入れだという。こんなことなら名張市からも、木屋正酒造謹製「幻影城」とすみた酒店謹製「乱歩誕生」を発送しておくのであった、と思ったのだが、あとの祭りである。未開封だった「黒蜥蜴」を勢いよく開け、石塚さんとふたりでせっせとあおる。
 
 そろそろ酔っ払ってきたな、というところで、内覧会はお開き。出席者の姿もずいぶん減っている。石塚さん、新保さんと三人でおいとますることにして、玄関で見送ってくださった渡辺さんに、近くでビール飲めるとこありますか、と質問し、手ごろな喫茶店を教えていただいたので、渡辺さんも強引にお誘いしようかと思ったのだが、よく考えてみたらお仕事中である。残念ながら遠慮して、他日を期すことにした。雨はあがっている。店に入って三人でビールを飲み、いよいよ酔っ払って店を出る。駅の方向がよくわからなかったので、通りすがりの近所の奥さんに道をお訊きした。これがえらく親切かつ気さくな奥さんで、ずっと同道して、歩きながらのらちもない話にもよく乗ってくださった。お別れするときには、なぜか名刺まで交換した。通りすがりの近所の奥さんがどうして名刺を携行していらっしゃったのか、そのへんはよくわからない。
 
 無事に駅に着き、電車で渋谷へ出て、蕎麦屋を探した。みあたらない。適当にみつけたラーメン屋に入ったところ、ラーメンも缶ビールも券売機で食券を買う、というシステムの店であった。三人で乾杯。この日のことは、石塚さんのブログにも記されている。
 
明日できること今日はせず:『大乱歩展』 内覧会(10月2日)
 
 石塚さんは隅田川を越えて木場へお帰りになり、新保さんとは新宿駅でお別れした。横浜で買った傘は、新保さんといっしょに入った渋谷駅の便所に忘れてきた。
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