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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 おかしい。ひとかたならぬ脱力からようよう立ち直って、いきなりこんなことをいうのもあれなわけであるが、なんともおかしい。じつにおかしい。9月もそろそろ終わろうとしておるのに、名張まちなか再生委員会の事務局からなんの連絡もないのである。10月4日の日曜に開会すれば、鬼のいぬ間にざぶざぶざぶざぶ洗濯ができるのだぞ、と懇切丁寧に日程を指示してやった臨時総会は、いったいどうなっておるのであろうか。委員会の規約には「総会を招集するときには、会議の日時、場所、目的及び審議事項を記載した書面(電子書面を含む)をもって、少なくとも開会日の7日前までに通知しなければならない」と定められているから、遅くともきょうあたりには通知が届かねばならぬはずである。なのに、届かぬ。おかしい。また脱力してしまいそうである。
 
 過日、9月8日のことであったが、名張市役所四階にある委員会の事務局で確認したおりには、10月4日で決まりです、みたいな感じで日程の調整が進められておった。4日がだめなら18日になる、とのことであったが、18日には防災訓練があるからかなり難しい、とのことでもあった。たしかに10月18日の日曜日、夏見の中央公園一帯で大がかりな総合防災訓練がおこなわれるらしい。
 
名張市公式サイト:名張市総合防災訓練
 
 訓練は午前9時から正午までだから、臨時総会を午後1時からということにすれば、さしたる支障は出ないであろう。だったら、10月18日でもいいかもしれんな。というか、いっそのこと、臨時総会は防災訓練の一環である、と位置づけてみるべきか。午前中の防災訓練はあくまでも仮想のものであって、こよなく晴れた青空に大型台風を、微動だにせぬ大地に大震災を妄想しなければならんのだが、名張まちなか再生委員会の臨時総会は現実である。ディザスターとは呼べぬまでも、明らかなトラブル、まぎれもないアクシデントの現場である。その現場に立って、困難をどう克服し、混乱をどう収拾するか。名張市にとって得がたい訓練の場となるはずである。名張市の行政運営能力を問う試金石、といっても過言ではあるまい。ちなみに申し添えれば、10月18日の午後、関係各位は防災服を着用したまま、ヘルメットをかぶって参集されるのがよろしかろう。あっちこっちから生卵やトマト、へたすると靴まで飛んでくるかもしれんからな。
 
 それにしても、ほんとに災害と呼んでもいいのではないか。自然災害や人為災害、はたまた労働災害といったことばはあっても、行政災害なんてことばはありゃせんのだが、名張市の無策無能と無責任とが修復不能な事態を招き寄せ、地域住民間に浅からぬ確執まで生じさせてしまったのだから、これは行政災害と呼ばれてもふしぎではない事例であろう。しかも、混乱はその度をいよいよ深めている。なにしろ行政みずから、収束への道を探るどころか、火に油を注いでおるのであるからな。火に油、などと記すとご閲覧の諸兄姉は、そんなおおげさな、とお思いかもしれんが、おおげさでもなんでもない。9月14日付エントリで第六回理事会の議事録をお読みいただければ、混乱の火に無思慮で身勝手な油が注がれたことは一目瞭然であろう。
 
 
 理事会の翌日、9月5日付エントリに記したとおり、「よくもまあ、ここまで露骨に、あからさまに、なりふりかまわず、みさかいもなく、前後のことはなにも考えず、ただひたすらのその場しのぎに徹することができるものである」てなものなのである。でもって、これである。
 
 
 名張市議会の特別委員会において、「よくもまあ、ここまで露骨に、あからさまに、なりふりかまわず、みさかいもなく、前後のことはなにも考えず、ただひたすらのその場しのぎに徹することができるものである」の第二弾がくりひろげられた。ここまでやられると、むしろたいしたものじゃね? という気になってくる。感服してしまう。はっきりいって神レベルじゃね? とすら思う。日程の定かならぬ名張まちなか再生委員会の臨時総会をまたずして、9月15日の特別委員会の場で、あっけなく勝負はついてしまったのである。まちなか再生事業をめぐる、というか、名張まちなか再生委員会から名張市が脱退するという前代未聞の異常事態をめぐる市長vs市議の攻防は、だれがみても市長の圧勝であった。あの戦術には、だれも勝てない。市長は絶対に負けない。負けることなど永遠にないのではないか。
 
 どんな戦術か。ごく単純なものである。質問の意味が理解できないふりをする。それでいいのである。だから、都合のわるい問いかけには応答しない。かわりに、自分の都合ばかりをいいたてる。なんど尋ねても同様である。質問者の梶田淑子議員も、最後には「市長と話をしても的を射た答弁はいただけない」と匙を投げるしかなかったようだが、「的を射た答弁」をしない、というのが市長の戦術なのだから、いくら矢を射ても無駄である。徒労である。質問はつねにはぐらかされる。その戦術は、もしかしたらばかのふりをしているのではないか、と思わせるほどに徹底している。梶田さんのため息が聞こえてきそうな気もするが、結果としては市長の圧勝である。そんな戦術を弄されたら、勝てる相手などどこにも存在しないはずである。
 
 もっとも、こうした戦術は公務員の常套でもある。公務員の第一義は責任を回避することだから、かれらはまず、言質を取られまいとする。不用意な発言でしっぽをつかまれまいとする。みずからの発言から責任というやつが生じることを、かれらは極度に恐れるのである。したがって、都合のわるい質問には答えない。どうしても答えなければならない場合には、はぐらかしてしまう。つまり、的を射させない。土俵際まではいとも簡単に追いつめられるのだが、そのあとが凄い。絶対に土俵を割らないのである。だから、相手力士が根負けしてしまう。梶田さんのようにあきれ返って、土俵を降りるしかなくなってしまう。この戦術に勝てる人間はいない。無敵と呼ぶべきであろう。みごとなものである。
 
 しかも、質問をはぐらかすのみならず、みずからのおもわくはちゃーんと主張するという高等戦術が駆使されている。「他の地域と同様に、まちづくり協議会と協働して事業を運びたい」という主張には、根拠も正当性もなにもない。ひとかけらの合理性もない。ただのおもわく、みずからに都合のいいおもわく、としか呼べないものである。「市長はまちづくり協議会と協働でやっていくというが、これはおかしなことだ」との質問には答えようとせず、ただおもわくを述べ立てるだけなのだが、これはじつに高等な戦術である。なにしろこの主張によって、名張市が名張まちなか再生委員会から脱退すること、今後は名張地区まちづくり推進協議会との協働でまちなか再生事業を進めること、この二点が高らかに宣言されてしまったからである。お役所の文脈でいえば、この二点につきましては市議会でもじゅうぶんにご審議をいただきました、ということになってしまう。あとは粛々と、名張地区まちづくり推進協議会と手を携え、癒着結託関係をより強固なものにして、まちなか再生事業を進めればいいのである。レールは完全に敷かれてしまった。
 
 したがって、いつになるのかわからない名張まちなか再生委員会の臨時総会において、というか、郵便物が届く時間まで待ってみたのだが、きょうも案内は届かなかった。郵便受けに入っていたのは、郵送の伊和新聞と、さすが芸術の秋というところか、作品展の案内が三件。これだけである。
 
 話の流れとはまったく関係ないことだが、ついでだから作品展の案内を記しておく。
 
小牧昭夫・郁子二人展
 陶と油絵
 10月6日(火)〜10月11日(日)
 ギャラリーアスト1
  津市羽所町、アスト津1階ショッピングモール内
 
5クラブ合同写真展
 写真
 10月9日(金)〜12日(月)
 リバーナホール
  名張市元町、ジャスコ新名張店3階
 
森公美個展
 油絵
 10月9日(金)〜13日(火)
 ギャラリー〇
  名張市さつき台二番町
 
 で、きょうも案内が届かなかったから、10月4日に臨時総会が開かれるという話は流れたっぽいのだが、ま、しかたあるまい。それに、10月4日にはこの件もある。
 
 
 わがまち名張の惨状から眼をそむけてなにが「池袋わが町」だばーか、といわれなくても済むからな。いやまあ、10月18日を選択すれば選択したで、名張まちなかの行政災害に背をむけてなにが総合防災訓練だばーか、といわれてしまうわけなのであるが、無敵の名張市にとってそんなのは屁でもあるまい。
 
 そんなことはどうでもいいのだが、市議会で市長による宣言がおこなわれた以上、それがどれだけ不合理で理不尽なものであっても、宣言はそれなりの、というよりは圧倒的な重みをもってしまう。名張まちなか再生委員会の臨時総会においても、同様の宣言がくり返されるだけ、ということになるはずである。根拠も正当性もなにもなく、ひとかけらの合理性もないただのおもわくが、名張市によるたくあん石よりもはるかに重い決定として、市民の声にはいっさい耳を傾けない頑迷さで通達されるだけであろう。むろん市議会においても、市議会は裁判所ではないから一事不再理といったルールは存在しないにしても、梶田さんが引き出した以上の答弁を市長に求めても無駄である、ということは明白なのだから、この話題はこれにて打ち止め、ということになるはずである。
 
 要するに、論理や合理、ものの道理にもとづいた行政運営など、名張市には望めぬのである。ならば、名張市の行政運営はなににもとづいているのか。判断基準はどのへんにあるのか。答えはごく単純である。快か不快か。それが基準なのである。不快を避け、快を求めつづける幼児性。つねに易きにつき、不快なことからは徹底的に逃げを打ちつづける幼児性。それに尽きる。名張市が名張まちなか再生委員会から手を引くのは、委員会が拠って立とうとしている論理や合理、ものの道理が恐ろしいからである。委員会が協働のパートナーである名張市に対し、正当な批判を投げかけることに耐えられないからである。だからこそ、快を無批判に保証してくれる癒着結託関係に逃げ込んでしまうのである。逃げ込んでしまったあげく、逃れることができなくなるのである。がんじがらめになってしまうのである。
 
 こうなるともう、失政のレベルは超えてしまった、というべきであろう。まちなか再生事業は最初から失敗の連続で、全国に胸を張って誇れるほどの失政の見本であったのだが、今回の一件、つまり、名張まちなか再生委員会を冷酷無残にもあっさり捨て子にし、人目もはばからず名張地区まちづくり推進協議会と野合してしまうという選択によって、失政などというかわいいものではなくなってしまった。いまや悪政、いやいや、むしろ暴政と呼ぶべきレベルに達している。暴政だぞ暴政。暴政となるとえらいもので、なにしろ古来、テロリズムに根拠を与えつづけてきたところのものなのである。ほんと、名張市も気をつけたほうがいいと思うぞ。なにが起きるかわかんないんだから、ハリウッドのパニック映画かよ、といくら市民に笑われたって、やっぱ総合防災訓練は実施しておいたほうがいいであろうな。むろん、市民だって安穏ではない。防災訓練もだいじではあろうが、暴政に耐える訓練もぜひとも必要になってくるのではないか。どんな訓練かっつーと、総合暴政訓練、なんちゃって。
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