三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
旅日記、完結篇。上京も四日目となると、もうへろへろである。
10月5日(月)
重い。バッグが重い。行く先々で頂戴した雑誌のたぐいや、通りすがりの新刊書店で購入したあれこれの本、そんなものを詰め込んであるせいで、バッグがものすごく重い。のみならず、甲府でいただいたおみやげの紙袋もある。これを抱えて移動するのはたいへんだ、と思われたので、まず東京駅へ出た。八重洲口に近い構内のコインロッカーに、バッグと紙袋を押し込む。八重洲口から三越前まで歩けば、国立劇場がある半蔵門までは地下鉄ですぐである。身軽になって八重洲ブックセンターに立ち寄り、バッグがさらに重くなっては困るから、文庫本を二冊だけ買った。一冊は、今野敏さんの『隠蔽捜査』(新潮文庫)。「大乱歩展」の内覧会で、名張市が主催するミステリー講演会「なぞがたりなばり」、今年の講師は今野さんに決まった、と聞きおよんだからである。講演会の日程はよくわからない。まだ秘密なのであろう。
今野さんの小説を読むのははじめてなのだが、帰りの新幹線と近鉄特急でひもといてみたところ、なんというのか、びっくりするくらいシンプルな小説である。それはまあ、巻末解説が北上次郎さんだから、シンプルな作品であろうな、と察しはついていたのだが、予想した以上に、真っ向唐竹割りみたいなシンプルさであった。むろんミステリー作品ではあるのだが、謎解きの面白さを主眼にしたものではまったくない。警察庁の中年キャリアが、周囲から変人と呼ばれながら、正論を押し通し、原理原則を貫いてゆく話である。なんか、ゆくりなくも、腹を抱えるくらいの皮肉になっている。なにしろわれらが名張市では、まちなか再生事業ひとつとってみても如実に知られるごとく、正論だの原理原則だのが顧みられることはまったくないのである。名張市役所のみなさんには、今野さんの『隠蔽捜査』をぜひご一読あれ、と皮肉とともにお薦めしておく次第である。気になるお値段は本体五百九十円。
八重洲ブックセンターを出て右に歩き、まっすぐ進んで日本橋川にかかる常盤橋を渡れば、地下鉄の三越前駅である。半蔵門線で、大手町、神保町、九段下、そのつぎが半蔵門の駅。駅から出て、人の流れについてゆくと、じき国立劇場に到着する。乱歩歌舞伎第二弾「京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎづめ)」は、この日が二日目。3日の大宴会でごいっしょだった巻き込まれ型参加者の高校の先生は、初日の舞台を先生仲間とご観劇の予定、とのことであったが、この日の客席では、トーク&ディスカッションと大宴会の双方にご参加いただいたかたおふたりに再会した。
日本芸術文化振興会:10月歌舞伎公演「京乱噂鉤爪」
月曜だったせいか、入りはさほどでもない。開演は正午。昨年上演された第一作「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)」は、舞台こそ幕末に変更されていたが、ストーリーはおおむね乱歩の「人間豹」に沿っていて、美女を残虐にもてあそぶ人間豹と明智小五郎の対決が描かれていた。第二作は、まったくのオリジナル脚本。鏑木幻斎という陰陽師が出てくるのだが、これが幕末の動乱に乗じて国家転覆をたくらみ、天下をわがものにせんとするわるいやつで、幕末版安倍晴明というか、陰陽師版由井正雪というか、そういった役どころである。人間豹と明智の対立の構図は、この新しいキャラクターが加わったことで、第一作よりは後景に退いてしまうことになる。
主人公の人間豹そのものも、第一作よりさらにいっそう、人性と獣性に引き裂かれた悲劇的な存在として肉づけされ、明智との擬似的な父子関係を暗示する脚本にもなっていて、そういった点からいっても、第一作のシンプルさは影をひそめている。「人でなしの恋」めいた人形愛を盛り込むなど、脚本にはいろいろ苦労もしのばれたが、「乱歩が歌舞伎になった」というキャッチコピーどおり、乱歩作品が歌舞伎化されたということだけで話題になった第一作のインパクトには、やはりおよばないといったところか。
とはいえ、じゅうぶん愉しめる舞台である。とくに市川染五郎さんの宙乗りは、第一作では舞台と二階観客席のあいだを最短距離で移動するだけだったが、今回は両者を対角線で結び、しかも、腰のあたりを水平軸にして全身でぐるんぐるんと回転する、つまり頭が上になったり下になったりするわけだが、ぐるんぐるんと回転しながら客席の上を斜めに通過してゆく荒業にパワーアップされていた。これだけでもみる価値があるというもので、ふんだんにお金をかけた舞台の醍醐味がだれにも満喫できるはずである。
ところで、昨年の乱歩歌舞伎を機に結成された乱歩都市交流会議は、いったいどうなったのか。去年は国立劇場のロビーで観光PRや物産販売などをおこなったのだが、今年はどうなのか。上京前日、神奈川近代文学館へのおみやげにする二銭銅貨煎餅を購入するべく立ち寄った山本松寿堂では、「今年はとくになんにもゆうてきてくれてませんねけど」とのことであった。で、今年のロビー。パンフレットと台本を買い求め、ふと横をみると、こんなコーナーがあった。
これだけであった。乱歩と三重のかかわりを紹介するパネルと、乱歩都市交流会議加盟都市のポスター、それから観光パンフレット、そういったものが掲示されたり置かれたりしているのだが、人だかりはまるでない。近くには、「大乱歩展」を紹介するパネルや、乱歩の遺品などを展示したガラスケースもあって、そっちはそこそこ人を集めていたのだが、乱歩都市交流会議のコーナーはいいだけ不人気とみえた。やる気というものが少しもうかがえないコーナーであった。しかしまあ、名張市のやることである。だいたいがそんなところであろう。乱歩都市交流会議が発足したときから、こんなことになるのは眼にみえていたのである。
2008年11月02日:すっとこどっこい見本市
2008年11月02日:乱歩都市交流会議の真実
な。いってやったとおりではないか。まったくもってあほらしい。好きにしろばーか、といってやるしかないのであるが、それにしてもわざわざ東京まで足を運び、ふらふらと出向いた先で、名張市という自治体が腰もくだけそうになるほどばかなのだという事実に直面させられるのは、市民のひとりとしては面白くない。例によって例のごとく、またしても思いつきと知らん顔ではないか、と暗澹たる気分にさせられるのはたまったものではない。恥ずかしさや腹立ち、いきどおりとともに、肩身が狭いような感覚にもとらわれてしまう。ほんと、困ったものである。
舞台がはねた。劇場から出て、半蔵門駅まで歩こうとしたところ、眼の前に東京駅行きのバスが停車している。地下鉄を利用するのは中止して、トーク&ディスカッション、大宴会、乱歩歌舞伎、とずっとごいっしょする結果になった福島県の乱歩ファン、長谷川泰久さんとふたりで乗り込んだ。長谷川さんは、名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくっていたとき、その話をどこからか聞きつけられて、市立図書館に協力を申し出てくださったかたである。名張にはそれ以前から、乱歩の生誕地だからという理由で、たびたび来てくださっていたらしい。トータルの名張訪問回数は、もう十回に近いのではないか。
もっとも、昨今の名張市には、乱歩ファンの興味を惹くようなことはまったくない。長谷川さんも五年前においでいただいてから、ということは、じつに無残な失敗に終わった三重県の官民協働事業「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のとき以来ということか、とにかく名張にはご無沙汰とのことであった。バスに揺られながら、「乱歩生誕地の広場は、みる価値ありますか」とのお尋ねをいただいたので、いいえ、全然、とお答えしておいた。
なにしろもう、ひどいものなのである。ちょっと上京しただけで、お会いしたみなさんから、
「乱歩の生家を復元する話はどうなったんですか」
「乱歩の生誕地碑には屋根くらいつけなきゃ」
「ミステリー文庫はどうしたあッ」
あるいは、
「乱歩に関係のある都市が集まってなにかやる、という話はどうなったんですか」
「乱歩生誕地の広場は、みる価値ありますか」
といったぐあいにお叱りやお尋ねを頂戴できるのも、乱歩の生誕地である名張市に、乱歩にかんしてなにかしらの期待を寄せていただいているからなのであるが、それがもう、いまやさっぱりわやである。ひどいものである。なにしろまあ、ろくに乱歩作品を読もうともせず、乱歩のことを知ろうともせず、ただ乱歩というビッグネームを自己顕示の素材として利用し、ご町内でうわっつらだけ乱歩乱歩とかっこつけてりゃ機嫌がいい、みたいな連中ばっかりなのである。官民双方、そんな手合いばっかりが、名張市というごくごく狭い小さな世界で、みずからの快だけを求めて乱歩乱歩と幅を利かせておるのである。
まったくいやになるけれど、そういった傾向が顕著になってきたのは、じつに無残な失敗に終わった三重県の官民協働事業「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の翌年、ということは、名張まちなか再生委員会が発足した年にあたるのだが、平成17・2005年の夏、旧細川邸の裏に突如としてこんなものが出現したころから、すなわち、うすらばかがうすらばか集めて協働協働とわめきだしたころからであった。それにしても、このおまぬけな看板が登場したときの衝撃は相当なものであったようで、乱歩が歌舞伎になった、というのとおなじくらい、名張がエジプトになった、ということのインパクトは凄かったらしい。東京あたりの乱歩ファンの一部では、いまだに語り草になっていた。
東京駅で長谷川さんとビールでも、とも思ったのだが、なにしろへろへろである。むこうもお疲れみたいだったので、そのままお別れし、缶ビールを買って、午後4時発の新幹線のぞみに乗った。文庫本を読むのにやや疲れ、たばこを吸おうと思って眼をあげると、中川昭一元財務・金融担当大臣の死去を報じる電光ニュースが流れている。反射的に、自殺か、と思い、しばらくして、軽いショックのようなものを自覚した。なにしろ、おなじ昭和28・1953年の生まれである。ということは、中日ドラゴンズの落合博満監督や、元読売ジャイアンツのウォーレン・クロマティ選手、それからまた、と同年生まれの著名人をあげればきりがなくなるのだが、やはりおないどしだった栗本薫さんも、今年の5月に亡くなっている。なんかもう、ほぼ同世代の人間が、あっちこっちでばたばたと星になっているな、と思い返すと、耳もとで忌野清志郎さんの歌が聞こえるような気がした。「ガラクタ」である。
「僕に聞かせておくれ 君たちの悪いたくらみを
僕に見せておくれ 君たちの貪欲な黒い腹を
でも そんなに簡単にはいかないさ」
とキヨシローは歌ってた。
「僕に聞かせておくれ 君たちの罪のカラクリを
僕を傷つけておくれ 君たちの卑劣なやり方で
でも そんなに簡単にはいかないさ」
と歌ってた。
「僕に聞かせておくれ 君たちの悪いたくらみを
僕を傷つけておくれ 君たちのいつものやり方で
でも そんなに簡単にはいかないさ
君たちじゃあ多分無理だろう
君たちはガラクタの集まりなんだから」
ってな。
以上、報告であった。こちらの勝手でご登場いただいたみなさんには、あらためてご海容をお願い申しあげておきたい。また、名張市民各位にたいしては、二銭銅貨煎餅のお礼をしつこくも申しあげておく次第である。たいした報告ではなかったかもしれぬが、市民の血税で観光旅行に行っときながらろくに報告もしやがらぬそこらの腐れ市議会議員の先生がたよりは、ま、ちっとはましだな、とお思いいただければ幸甚である。
PR
この記事にコメントする