忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[867] [866] [865] [864] [863] [862] [861] [860] [859] [858] [857]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 こうして振り返ってみればみるほど、名張市における癒着結託構造の強固さには驚かされるばかりなり。確認しておくと、最初はこうであった。
 
名張市 ←→ 名張地区特定住民
 
 名張市が細川邸を改修整備すると決めたとき、たぶんすこぶるオートマティックに導き出された構図が、これであったはずである。細川邸を整備するということは、とりもなおさず、名張地区の特定住民に便益を供与することにほかならない、みたいなことを、名張市はぼーっとぼーっと考えたんじゃね? とおれは推測している。要するに、われわれが住むここ名張市では、癒着結託構造を保持し、より強固なものにすることこそが、市政における大前提なのである、などといってしまうのは乱暴すぎる話であるが、そういう傾向は絶対にあると思うんだよなおれは。そして、遅ればせながらそうした認識に立ってみると、なんかもうわけわかんね、というしかなかったあれこれの不審が、まるで魔法が解けたみたいに、よどみなく胸に落ちてくるわけなのよ。たとえば、名張まちなか再生プランがそうではないか。
 
   
 老朽化した部分を除却し、町屋の風情を大切にして母屋と蔵を改修します。また、来街する市民の便に配慮して、駐車場、公衆トイレと喫茶コーナーを設置します。歴史資料館の主用途は資料の展示ですが、多様な市民ニーズに応えるために物販や飲食などを含む複合的な利用も可能なものとします。なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。
 市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示するほか、市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭や市の美術展の出品作、個人や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。市民が関わることのできる場と機会を提供することによって、主催者としてあるいは参加者としてさまざまな市民の来館が期待できます。
 
 歴史資料館にかんする記述である。主用途は「資料の展示」「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示」とあるばかりで、内容はきわめて粗雑である。ところが、副次的な用途になると、なんだかんだとよけいな文言がいっぱい連ねられていて、不自然なまでに饒舌なのである。ほんと、わけわかんね。しかし、細川邸整備構想の本質が癒着結託構造にもとづく特定住民への便益の供与であったのだと仮定してみれば、いかにもすんなり納得できてしまうんだよなこれが。要するに、歴史資料館ってのはやっぱりただの看板、細川邸整備構想に公共性を付与するためのかりそめの看板でしかなかった、ということになる。いちおう歴史資料館ではあるけれど、ほんとのところは「物販や飲食など」も含め、施設を提供された特定の住民が好き勝手にしていいんだよ、というのが名張市の本意であったはずであり、プランはそれを担保するために、からくりコンテストが、市民文化祭が、市の美術展が、子供狂言が、と歴史資料館には関係のないことまでかくも饒舌に、まるでいいわけを並べたてるみたいにくどくどと、思いつくままに列記しているという寸法だろう。
 
名張市 ←→ 名張地区特定住民
 
 こういった癒着結託構造が、まぎれもなく、最初から、そこには存在していたのである。名張まちなか再生プランは、そうした癒着結託構造を正当化するためのプランであった、というわけだよな。だったら、プランの最初にこんなふうに書いとけよ。
 
 ──名張まちなか再生プランは、国土交通省のまちづくり交付金を利用して細川邸を改修し、いちおうは歴史資料館にするということにはなってるんですけど、そこはそれ、魚心あれば水心、そのあたりのことはもう自由にしていただいて結構でございますので、とにかく税金で整備した細川邸を名張地区の特定住民のみなさんに自由におつかいいただくと、まあそういったことを狙いとしたプランでございます。ちなみに申し添えますと、いうまでもないことではございますが、まちなか再生なんかとはなんの関係もないプランとなっております。なお、僭越ではございますが、異論は認めないことにしております。
 
 最初っからこんなふうに明記しとけよばーか、とかいまごろいってやっても手遅れだけど、そのプランには、黄金の癒着結託ラインとでも呼ぶべきものが、こんなぐあいに示されていた。
 
   
 管理運営を担う民間組織には、リピーターが確保できるような企画運営能力をもつことが期待されます。歴史資料館の立ち上がり期には、地元組織やまちづくり協議会が企画展示や施設管理に協力して、円滑な歴史資料館の管理運営に取り組みます。
 
 図式化すると、こんなあんばい。
 
名張市 ←→ 地元組織やまちづくり協議会
 
 これが平成17・2005年版の癒着結託ラインである。このラインに沿って、名張まちなか再生委員会が発足した。つまり、こうなる。
 
名張市 ←→ 名張まちなか再生委員会
 
 黄金の癒着結託ラインである。しかし、おれはそんなこと知らなかったし、そもそもピュアな心根のもちぬしでもあるんだから、名張まちなか再生プランを一読して、あー、こりゃひどいな、歴史資料館なんかできるわけねーじゃん、そのうえ、桝田医院第二病棟のことがなんにも書かれてねーじゃん、と思い、わざわざパブリックコメントを提出したというのにこれがあっさり黙殺されて、しかし、おれはめげない、くじけない、なにしろ心根がピュアなものだから、細川邸を歴史資料館にすると決まったのならしかたがない、それならそれで、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示」するというんだから、おれは名張の歴史についてもまったくの素人というわけではないんだし、しかしとりあえず乱歩のことを教えてやらなければならない立場ではあるんだから、いちどレクチャーの場を用意するように、と名張まちなか再生委員会に要請してやったところがさ、しつこくいうけどこれだもんよ。
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 ひでーもんだよなまったく。おれのこのピュアな心根をどうしてくれんだばーか。まったく、ここまでのばかがこの世に存在するのか、と思われる次第ではあるのだが、癒着結託ラインの存在を考慮に入れれば、やっぱいきなり腑に落ちるわけな。連中は要するに、歴史資料館のことや乱歩のこと、そんなものはどうでもよかったのである。癒着結託ラインに無関係な人間が口をはさんでくることがいやだったのである。恐かったのである。要するにこの、
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 という耳を疑う発言の背後には、人の私物に他人が口出してんじゃねーよ、という悲鳴が隠されていたとみるべきであろう。さよう。私物である。名張まちなか再生委員会の発足以来、名張市と再生委員会とのあいだでは、細川邸はいずれ結成される民間団体の私物である、という認識が共有されていたと判断される。そう判断すると、またしてもあれこれいろんなことが、ほんとにすーっと胸に落ちたり腑に落ちたりしてくるんだよな。
 
 ところで、もう神発言、というしかないこの、
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 という発言にかんして、徳島県の小西昌幸さんからメールを頂戴した。小西さんのOKを頂戴して、全文をご閲覧に供する次第である。
 
   
「現段階では乱歩にかんして
外部の人間の話を聞く考えはない」
 
これは恐るべき、
恥ずべき、
笑うべき、
呆れるべき回答でした。
私は当時、徳島でこの文章を見て本当にビックリしました。
今でもあらためてビックリしています。
イッタイ誰のご発言なのか、
そのお名前を(フルネームを具体的に)知りたいとさえ思います。
 
【恥】という字をその人は知らないのでしょうか。
 
名張市が全国に誇れる乱歩資料集(4冊)を出版されましたが、
全て中相作さんが深く関係した物だったことは、
どんなアホでもご存じのことです(そのはずです)。
 
先のような無残なトンデモ発言をする発想というのは、
たぶん、
「自分だって充分賢いはずなのに、
あんなサングラスの品の悪い酒飲み(すみません、中さんのことです)
ばかりが注目されて、
なんとなく面白くない」
と言うようなしょーもない次元の、
うんと程度の低〜イ、
ジェラシーやらコンプレックスを持った人の
醜い本音というシロモノではないでしょうか。
 
今でも時々ありますが、
徳島で「海野十三について知りたいが、
どうしたらよいか」というような疑問を持った人が、
地元地方紙の文化部に問い合わせの電話をかけたりすることがあるようです。
そんな時、新聞社の人は
「北島町立図書館の小西さんが
海野十三の会の
幹部だからきいてみてはどうですか」と紹介してくださったりします。
地道に地域で活動をしていると、
そういう関係が自然に出来てきます。
 
名張市の自治体当局や、
有識者やコンサルタントは
どうして謙虚な気持ちを
持てなかったのでしょうか。
 
しかも、建物の寄付という
大ヒット企画(地権者の申し出)の仲介者は、
中さんだったのです。
いくらサングラス姿で酒飲みであっても、
乱歩研究では日本トップレベルの
中さんだったからこそ、
そして中さんの地に足をつけた活動を世間が認めたからこそ、
施設の寄付のお申し出をいただいたのであろうと容易に想像できます。
 
だから
【乱歩にかんして】
【外部の人間の】
【話を聞く考えはない】
という文節の一つ一つが
私には、全てマッタク、
到底、徹頭徹尾信じられません。
もう一度書きますが、
発言者の名前(フルネーム)を具体的に知りたいくらいです。
 
これは、やはり名張市の上層部などの
奇怪なプライド
(無知なのに、ふんぞり返っていたい。
能力がないのに、威張り倒す態度だけは身につけている
無残な田舎官僚体質)が
災いとなったのだと思います。
 
ソレニシテモ、と私は思います。
 
全国には千数百の自治体がありますが、
ここまでひどい対応は、そうそうないのではありますまいか。
 
徳島ラーメンのブームは
地元タウン誌の編集部や
地元ラジオのあるキャスターが
火の玉のようになって努力して仕掛けた結果でした
(私は仕掛け人関係者と全て面識あり)。
その過程の出来事では、県庁の観光課に県外から
徳島ラーメンの問い合わせがあっても
「それはうちは関係ない。タウン誌がやっているだけです」
などという思い切りゴールをはずす対応がやはりあったようです。
そう言う場合は、地元ラジオでタウン誌編集長が思いっきり嘆いてみせたりして、
どんどん良い流れに変えてゆきました。
今では観光課も徳島ラーメンを観光資源のひとつにしています。
人間だから誤った対応をすることもある。
そのときは、事態を隠したり、ごまかしたりしてはいけない。
謙虚に非を認め、謝罪して軌道修正したらよい。
それだけのことなのだ。
 
なのに、ごまかし続けて名張市の委員会や
コンサルタント業者や市当局は行き詰ってしまった。
 
上に書いたように
誤った対応をしたときは誠意を持って謝罪するべきなのです。
この場合は中さんに謝罪して知恵を貸してくださいと
三顧の礼で迎えるべきであった。
 
だがもう手遅れである。
 
中さんはサッカーの試合に例えておられましたね。
サッカーボールを置いて、
後は蹴るだけで
誰でもゴールできるように、
中さんがそこまで条件を整えてさしあげたのに、
あろうことか名張市当局は、
中さんをマッタク無視して
「サッカーボールの蹴り方は」とか
「サッカーボールの構造は」とか
「コンサルに聞いてみますか」などといって
まったくトンチキな議論を始めてしまった。
助言しようとすると「外部の意見を聞く気はない」とはねつけた。
そして、「ホウ蹴ってみたら転がるものですな」などといって、
コンサルタントや大学の先生と時間つぶししている間に、
なんと自分のゴールにシュートを決めてしまったのではないでしょうか。
 
驚くべきことです。
全てはちっぽけなプライドや、
みにくいコンプレックスが原因で
このような災いをなしたのではないかと私は思います。
人間も自治体の体質も、
結局は謙虚に耳を傾ける素直な気持ちが本当に大切なのだと痛感します。
 
坂田明さんのイベントを
サエキけんぞう氏と職場で仕掛けたときに
坂田さんは、
「(音楽は)若い頃は一に勝ち負けだったが、
歳を取ると一に年輪、二に人格、三、四がなくて五に勝ち負け」
とおっしゃっていました。
 
中さん、私は最近とみに思うのです。
人間、謙虚でないといけませんねえ。
そして最後は人柄ですねえ。
アア。
手遅れって寂しいですね。
 
なんだか、しみじみしてしまいました。
くれぐれもビール飲み過ぎないようにしてください。
 
小西昌幸
(53歳、北島町立図書館・創世ホール館長)
 
 もうずいぶん昔、三十年ちかくも前の話になるが、名張市長の、というのはむろん当時の市長のことだが、女性スキャンダルが市議会で話題にされたことがあった。スキャンダルといっても可愛いもので、市議会がとりあげたのにはそれなりのわけというやつがあったのだが、とにかく一般質問で追及されたのだから、当然のことながら新聞で報道されることになる。一般質問が終わり、議会が休憩に入って、記者たちが市長を取り囲んだ。これはその記者のひとりから聞いた話なのだが、不面目な話題を新聞で報じられることになった市長は、伊勢新聞で報道されるのがいちばんつらい、と洩らしたという。
 
 伊勢新聞の発行部数がどれくらいあるのか、当時もいまもおれは知らないのだが、いずれ微々たるものであろう。微々たる、なんていってしまっては伊勢新聞に失礼だけれど、たいしたものではないはずである。その伊勢新聞をなぜ恐れるのか。理由は、記事が県内全域に流れるから、ということであった。つまり、全国紙で報道されるといっても、たいていの場合、伊賀版の紙面なのである。スキャンダルは伊賀地域内で喧伝されるに過ぎない。しかし、伊勢新聞はちがう。南北に長い三重県の北のはしから南のはしまで、配達されるのは同一の紙面なのである。伊賀地域住民以外にも、スキャンダルが知られてしまうわけである。それがつらい、と当時の市長さんはおっしゃったそうである。ま、牧歌的な時代であった、ということだよな。
 
 それがどうよ。いまやインターネットの普及により、伊賀版に載った新聞記事だってウェブニュースになったとなれば即時に全国、いや全世界の人間に読まれる可能性がふつうにある、という時代になってしまった。ちなみに、こんな検索を試みてみると、どうなるか。
 
2ちゃんねるニュース速報+ナビ:名張
 
 「【三重】名張桔梗丘の岡村さん、高総文祭書道の奨励賞を作品市長に披露」とか、「【三重】アダルト雑誌など約150㌔を不法投棄、名張市職員を停職3か月」とか、「【社会】エロ本など150キロを不法投棄した名張市職員(47)、3カ月の停職処分 - 三重」とか、「【社会】菅家さんにあやかりたい…「名張毒ぶどう酒事件」の奥西死刑囚、「早く再審の判断」と語る」とか、「【物流/地域経済】廃校になった小学校の校舎、ヤマト運輸が丸ごとコールセンターに 三重県名張市」とか、いろいろ出てくる。しかも、マスメディアによる報道以外に、個人がブログを利用して発信するパーソナルな情報もある。ブログ記事なんてほとんどは屑みたいなものであって、受信するにあたってはそれなりのリテラシーってやつが必要になってくるわけだが、とにかくだれにだって、たとえば読み書きさえあやしい市議会議員にだって、ブログによる情報発信とやらが可能になっているのである。つまりまあ、名張市が赤っ恥かいた場合、それが伊賀地域で笑われるだけで済む、なんて時代では全然なくなってるわけな。いやー、恐ろしい世の中になったもんだよな。くわばらくわばら。
 
 それで、小西さんがお書きになっている「発言者の名前(フルネーム)」についてであるが、おれはたぶん、それを知っているはずである。なにしろおれはいま、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトチームの一員である。そして、このプロジェクトこそが四年前の夏、
 
 「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
 
 などとふざけたことをほざきやがった張本なのである。そのプロジェクトに入ったんだから、おれの耳にはそれとなく、あんなこといったのはあいつですぜ、みたいなチクリは入ってくる。ただし、裏は取ってない。だから、そのチクリが事実かどうか、おれにはわからんのである。しかし、いまのおれにはもうさ、そんなことはどうだってよくなってるわけなんだ。いまやおれはね、そんな個人なんかじゃなくってさ、もっともっと大きなものに喧嘩を売ってんだからさ、とかうっかり書いてしまいそうになったが、そんなことはないそんなことはない。うそうそ。大うそ。おれはだれにも喧嘩なんか売ってないんだから、まあ安心してくれ。ほんと、なんの心配もいらんのだからな。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012