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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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4月1日である。新年度に入りはしたが、3月26日付エントリのつづきである。

3月26日:中先生のおさなご講座 拾

つづきといっても、なにがつづいておるのか。会議だのなんだの、あるいはまちの保健室だのなんだの、そんなのが重なったせいでやや混乱気味であるゆえ、ここで確認しておくと、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、市長ならびに前教育次長との面談を要請した。そんな場をなぜ要請したのか。「市長への手紙」を利用したやりとりで、先方から「今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします」と乞われたがゆえ、それにお応えするべく、「つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします」とお願いしたのである。二回お願いしたのだが、一回目も、それからこんどの二回目も、かんじんの市長と前教育次長にはお目通りがかなわなかった。二回目の面談は3月25日のことで、教育委員会ならびに総合企画政策室との面談、ということになってしまった。で、26日のエントリにはその報告として総合企画政策室篇を記し、きょうはそのつづき、教育委員会篇となるわけである。教育委員会篇というか、より具体的にいえば、市立図書館篇である。

市立図書館といえば、中先生、市立図書館とおさらばして、きょうでちょうど一周年ということになる。おさらばしたおかげで、心おきなく市政批判を展開できるようになった。おらおらおらおらこの低能がよー、などと平気でぎゃあぎゃあわめけるようになった。しかし、おさらばする以前からわめいていたような気もするから、市政批判をくりひろげるために図書館とおさらばした、というわけではない。要するに、図書館のなかにいたってどうしようもないからであった。まったくどうしようもない。図書館が乱歩にかんしてやるべきこと、というのがたしかに存在しているのだが、図書館はいっこうにそれをしようとしないし、図書館のなかでそれをいってみたところで、みごとなまでに埒があかない。だから、図書館とはおさらばして、ひとりの市民として、おらおらうりゃうりゃどりゃどりゃぐりゃぐりゃ、と名張市にたいして真摯で有益な進言を呈することにした次第なのである。

少なくとも一年前には、中先生はそう考えていた。しかし、いまはもう、そんなことは考えてもおらぬ。それはそうであろう。いくら進言しようにも、市長と前教育次長とはなぜかすたこらお逃げになるのだし、かりに進言できたとしても、その進言を理解できるのか。その理解にもとづいて判断し、判断にもとづいて実行する。そんなことができるのか。たぶん、できないであろう。たぶん、ではなくて、絶対に、といってもいいであろう。じつになさけない話ではあるが、それが名張市の実態なのである。といったあたりが、おさらば一年後の結論である。ま、市長をチェンジしないとどうにもならんだろうな、というのが、現時点における実感である。しかし、かりにチェンジできたところで、そこらの県議会議員だの市議会議員だのが次期市長、なんてことでは眼もあてられんのだがなあ。

以上、いきなり結論めいたものを記してしまったが、3月26日の総合企画政策室篇につづいて、本日は教育委員会篇、というか、市立図書館篇である。ところで、意外なところで名張市立図書館の名前を発見した。山梨県甲府市にある竹中英太郎記念館の公式サイトに、館長でいらっしゃる金子紫さんの、この「紫」というお名前は「ゆかり」とお読みいただきたいのだが、その紫さんのブログがあって、3月29日付のエントリに、ゆくりなくも市立図書館のことを記していただいてあるのである。

竹中英太郎記念館 館長日記:名張人外境の中様が・・・・・(3月29日)

永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんが、仕事で山梨へおいでになり、仕事のあいまに、「名張人外境の中様」のおすすめにしたがって竹中英太郎記念館に足をお運びになった、という寸法である。Jガールさんのブログにも、当日のことが記されている。

永遠のJガール:湯村の杜 竹中英太郎記念館(3月29日)

で、金子紫さんのブログ記事に、まさにゆくりなくも、市立図書館の名前が出てきたのである。びっくりした。

   
中様とは、1996年に名張市立図書館が「乱歩文献データーブック」を編集されました際、少しだけ資料のご協力をさせて頂きました。
まだ一度もお目にかかった事が御座いませんが、こうして記念館をご紹介して下さり、有難く思います。

懐かしい。じつに懐かしい。というか、とてもうれしい。紫さんが中先生のことを、というよりは、市立図書館のことや『乱歩文献データブック』のことをおぼえていてくださったのが、素直にうれしい。思い出すなあ。紫さんがお書きのとおり、平成8・1996年のことである。中先生、前年10月から市立図書館の嘱託を務めていて、図書館が収集した資料を活用すべく、『乱歩文献データブック』の編纂にあたっていた。で、竹中英太郎の「『陰獣』因縁話」というエッセイを入手閲読する必要に迫られた。昭和10・1935年9月に出版された『名作挿画全集』第四巻の月報「さしえ」に掲載された文章である。とはいえ、そんなものは国立国会図書館にも所蔵されていないし、版元の平凡社に問い合わせても保存されていなかった。竹中英太郎は昭和63・1988年4月8日、八十一歳で死去していたし、子息の労さんも平成3・1991年5月19日、いまだ六十歳の若さで世を去っていた。といったような生没の年月日はいま確認したのだが、しかし、労さん、六十歳で亡くなっていたのか。つい先日めでたくお誕生日を迎えた中先生、労さんが亡くなった齢まであと四年である。

そんなことはともかく、当時の中先生はいまだ嘱託になりたてで、乱歩にかんする人脈なんてものはまったくなかったし、インターネットもまだまだ普及していなかった。なにかを調べようとしても、すぐ手詰まりになってしまう。竹中英太郎の「『陰獣』因縁話」、さあ、どうすっかなあ、と思案に暮れていたところ、どこかの美術館で竹中英太郎展が開かれたらしいと聞きおよんだので、さっそくその美術館に電話を入れ、英太郎の著作権継承者がどなたなのかを教えてもらった。それが金子紫さんである。英太郎にそんなお嬢さんがいらっしゃったことなど、まるで知らなかった。さっそく、教えてもらった電話番号を、おそるおそるプッシュした。それはもう、おそるおそる、である。なにしろ、あの竹中英太郎のお嬢さんに電話をさしあげるのである。おそるおそる、という感じになってしまうのも無理からぬ話であろう。

ところで、竹中英太郎ってだれよ、とお思いのかたもあるかもしれない。中先生の名張人外境で英太郎の名前を検索してみると、それこそ「『陰獣』因縁話」の筆者としてであったり、画集『百怪、我ガ腸ニ入ル 竹中英太郎作品譜』の著者としてであったり、四十七件がヒットしてきたのだが、なかに平成18・2006年1月25日の「人外境主人伝言」というのがあった。英太郎のこと以外に、市立図書館がどうのこうのという話題も記されていて、

──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

といった名張市の真実の姿をネット上で全国発信したりしている。面白いから当日の伝言、全文をここに転載しておく。
 

● 1月25日(水)

 おとといきのうは頭がぼーっとしていたのですが、けさは比較的すっきりしております。さっそくまいりましょう。メールでお問い合わせいただいた件にこの伝言板でお答えする件です。

 1月2日の伝言で、私はある方から頂戴した年賀状を話題にして、

 ──名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくったとき、編纂開始を報じてもらった朝日新聞三重版の記事をご覧になって、そういうことならと昭和21年創刊の月刊誌「宝石」全冊を名張市立図書館に寄贈してくださったのがこの方で、むろん年季の入った探偵小説ファン。

 と記しました。

 ところが、名張市立図書館のオフィシャルサイトで蔵書検索を試みても、「宝石」のほの字もひっかかってこないではないか。昨年末に掲示板「人外境だより」で話題になっていた横溝正史の謹呈署名入り『真珠郎』も、やはり検索することができないではないか。これはいったいどういうことか、というメールを頂戴した次第です。

 お答えいたします。とはいえ、私は名張市立図書館にその人ありとうたわれたカリスマではあるのですが、実際にはただの嘱託にすぎませんから、図書館の運営そのものにはまったくタッチしておりませんし、運営に関する意見を求められることもありません。蔵書検索についてもそもそもシステムさえとんとわからず、とてもお答えできる立場にないといえばないのですが、思量できるところをお答えするならば、名張市立図書館の蔵書は乱歩に関係があるものとそれ以外のものに分類されていて、前者は検索の対象になっていないということではないでしょうか。

 それがなぜなのか、やはり私にはよくわかりません。まるでばかみたいになんにもわかりません。しかしむろん望ましいことではなく、というより乱歩に関していうならば、名張市立図書館のオフィシャルサイトでは一般的な蔵書検索よりもさらに高度な検索ができるようにしたいものだと私はつねづね考えているのですが、いまだ実現できてはおりません。これはあきらかに私の力不足のせいでありますゆえ、とりあえずお詫びを申しあげておく次第です。

 ここでちょっと振り返っておきますと、あれは名張市立図書館が江戸川乱歩リファレンスブック2『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行したあとのことですから1998年。インターネットがかなり普及してきましたので、名張市立図書館もこれまでに出した『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータをネット上で公開するサービスに着手すべきだろうと考え、私は名張市教育委員会にそのための予算を要求したのですが、提案は採用されるにいたりませんでした。理由はたぶん、予算に余裕がないということであったと判断されます。

 名張市教育委員会をあてにしてぼーっと待ってても仕方ないなと判断し、みずからサイトを開設して『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータを掲載しはじめたのが1999年のこと。編纂中だった『江戸川乱歩著書目録』の内容も公開して、その『江戸川乱歩著書目録』が完成したのが2003年。その時点で私は再度、江戸川乱歩リファレンスブック全三巻のデータを図書館のサイトに掲載することを名張市教育委員会に提案したのですが、またしてもあっさり蹴られてしまいました。このときにははっきりと、予算がないからという説明がありました。

 私の構想は、単に目録三巻の内容をアップロードすることにとどまるものではありませんでした(すでにして過去形で語っているわけですが)。乱歩に関するさまざまなデータも掲載して、なかんずく圧巻というべきは乱歩の著作権が消滅する日に照準を合わせ、全作品の初出テキストを一挙に公開することまで視野に入れていたのではありましたが(過去形です)、その端緒となるべきリファレンスブック三巻の掲載すら実現できないのですから情けない。無力感にうちひしがれるばかりです。

 ですから結論といたしましては、

 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

 ということになります。なんか嘘みたいな話ですけど、つまりいくら財政難でもそれくらいの予算はいくらでも捻出できるのではないかと私には思われるのですが、これまでの経緯をたどってみるとそういうことになってしまいます。なんか変だな。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート
RAMPO Up-To-Date●2005

 ▼2005年1月

 妖美と反逆 竹中英太郎の謎を追う 鈴木義昭

 東海大学にかかわりが深いらしい月刊誌「望星」の昨年1月号に掲載。三回連載の「中」にあたります。掲示板「人外境だより」で古畑拓三郎さんが話題にしていらっしゃいましたので、その連載には乱歩の名前が出てくるのかとお訊きしてみたところ、古畑さんは連載全ページのコピーをどーんと送ってきてくださいました。

 じつにじつにありがたいことであり、古畑さんに深甚なる謝意を表しつつ、「乱歩・久作・横溝とともに」という小見出しのあるあたりから引用。

 
 数多くの作家の作品に挿絵を描いた英太郎だが、やはり乱歩、久作、横溝は英太郎にとって特別な作家と言っていいだろう。

 特に江戸川乱歩とは昭和三年の『陰獣』以来「名コンビ」と持て囃され、乱歩のそれ以後の主要な作品の挿絵は英太郎が描くことになる。『悪夢』『押絵と旅する男』など『新青年』に発表された乱歩作品のほとんどは、英太郎の手によるものだった。『新青年』と同じ博文館の『朝日』に連載した『盲獣』も話題を呼んだ。そんな乱歩と英太郎の間に、いつ頃からか不和が生じる。英太郎は乱歩の作品を書きながら、乱歩に対する不満を募らせたのだ。それは、流行作家の処世とそれに加担する自己嫌悪のようなものだろう。そして、とうとうすべての不満を吐き出すかのようにして、「かくあるべき挿絵」とも言うべき作品となる『大江春泥作品画譜』(昭和十年)を描いて、乱歩と訣別する。同時にこれは、画壇への「遺書」ともなる。

 古畑さんからは、「太陽」の1988年1月号に掲載された竹中英太郎のインタビュー記事のコピーもあわせて頂戴いたしました。「モボ・モガの時代」という連載の一篇です。英太郎の逝去はこの年4月8日のことで、古畑さんによればこのインタビューが「最後の肉声」。

 「『新青年』に颯爽とデビュー」という小見出しのあるあたりから引きましょう。「新青年」の編集長だった横溝正史から挿絵の依頼を受け、英太郎が手渡されたのは乱歩の「陰獣」の原稿であった。

 
 ところが私はね、大衆文学を軽蔑してましてね。身すぎ世すぎのために書いてはいるけれども、こんなものは一時の腰かけであって、本業にする気は全然ないんだと。で、何が江戸川乱歩だと。二一、二の生意気盛りですものね。ましてや三年筆を絶っていた乱歩の再起作だなんていうことはわからんですからね、横溝さんも冒険ですよね。

 ついでですから、インタビューの最後の段落も引いておきます。

 
 何か新しいものを求めようとする意欲は今もあるんです。私がものごころついた時分の教えというのは体当たり。右も左もそうでしたね。体をぶつければ本望だと。何かぶっつけたい、そして死にたいという気持ちは今もあります。だから、こいつを殺せば世の中が良くなるとか何百人が助かるということがあればね、そういう悪い奴が目の前にいれば、ふっ飛ばされるかもしれんが、八一歳、体をぶっつけてもいいという気持ちは今も持っているんです。

 ひたすら恐れ入るしかありません。こういう心意気のことを、人は気骨と呼ぶのでしょう。いくらかでもあやかりたいものですがとてもとても。

 あすにつづきます。

 
気骨というか、反骨というか、侠骨というか、「こいつを殺せば世の中が良くなるとか何百人が助かるということがあればね、そういう悪い奴が目の前にいれば、ふっ飛ばされるかもしれんが、八一歳、体をぶっつけてもいいという気持ちは今も持っているんです」と最晩年において高らかに宣言していた人のお嬢さんなんだから、それはもう、ほんと、おそるおそるであったのだが、実際に電話でお話しした金子紫さんは、じつにさっばりして気さくなかたであったという記憶がある。

厚かましいお願いをおそるおそる申し出てみたところ、わかりました、あるはずだから探してコピーを送ってあげます、みたいな感じでご快諾をいただき、それからまもなく、月報「さしえ」第四号の、「『陰獣』因縁話」が掲載されたページだけでなく全ページのコピーを、市立図書館まで送ってきてくださった。はっきりいって、感激した。竹中英太郎のお嬢さんと電話でお話ししたというだけでも感激したのに、わざわざコピーまで送っていただいたのだから、ほんとに感激した。

その後、平成16・2004年の4月、竹中英太郎記念館が開設され、一度はお邪魔しなければと思いつつ、ついずるずると先延ばししてこんにちにいたったわけなのであるが、そんな不義理を重ねていたにもかかわらず、紫さんが『乱歩文献データブック』のことをおぼえていてくださったのがうれしく、それをわざわざブログでご紹介いただいたのもまた、とてもうれしいことであった。紫さんのブログにコメントを投稿しようかとも思うのだが、なんか、恥ずかしくてできない。だから、当ブログにこそこそと、紫さんへの謝意を記しておく次第である。それにしても、ほんとにいちど、竹中英太郎記念館にお邪魔して、金子紫さんにご挨拶を申しあげなければならんなあ、とぞ思う。

ついでに、いやいや、ついでにといっては失礼だが、中先生の進言を素直に容れて、竹中英太郎記念館まで足を運んでくださった永遠のJガールさんにも、お礼を申しあげておきたい。ちなみに記しておけば、中先生の進言を素直に受け容れる人には、きっといいことがあるはずなのである。逆に、かたくなに進言を容れようとしないとどうなるのかというと、いまの名張市みたいなことになるのである。まったくまあ、大笑いである。ばーか。

話が横道にそれてしまった。つづきはまたあしたである。
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ぜひとも竹中英太郎記念館にお邪魔したい件について
 ●湯村の杜 竹中英太郎記念館様
 ご投稿ありがとうございます。
 それにいたしましても、その節は、というのはもう十年以上も前のことなのですが、突然ぶしつけなお電話をさしあげましたにもかかわらず、懇切なお骨折りをたまわり、ありがとうございました。「さしえ」のコピーをお送りいただきましたこと、いまだに鮮明に記憶しているのですから、よほどうれしかったのだと思います。にもかかわらず、ずいぶん無沙汰にうちすぎてしまい、貴記念館にもいまだにお邪魔できておりませんので、なんとも面映ゆく思っております。
 永遠のJガールさんが仕事で山梨においでになるとお聞きして、じつは山梨のどちらにいらっしゃるのかはわからなかったのですが、それなら甲府にある竹中英太郎記念館へぜひどうぞ、とお伝えしましたところ、またたくまに仰せのような「出会い」があいついで、まるで化学反応の実験をみているような印象をおぼえました。とくに、貴ブログ3月29日付エントリにコメントを寄せていらっしゃるMakさんは、昨年11月、当地で催された江戸川乱歩がらみの散策ツアーと講演会に遠路はるばるおいでくださったかたで、こうなるともう奇縁と呼ぶしかありません。貴記念館を中心とした「ゆかり」のネットワーク、たいへん興味深いものだと思いました。わざわざご丁寧なコメントまで頂戴し、恐縮至極の状態なのですが、これで私もそのネットワークに加えていただけたというような気にもなり、これまたうれしいことだと喜んでおります。
 今年の秋には、神奈川近代文学館で「大乱歩展」が開かれますし、ほかの団体による乱歩関連イベントも夏ごろから催されると聞きおよんでもおりますので、上京したおりにはぜとひも甲府まで足を伸ばし、お邪魔したいものだと考えております。お目にかかるのが気恥ずかしいような気もいたしますが、勇を鼓してお訪ねしたいと思います。
 今後ともよろしくお願いいたします。
人間豹 URL 2009/04/03(Fri)09:13:43 編集
感謝して・・・・・
過日は、永遠のJガール様をご紹介頂き、またブログにも取り上げて頂き本当にありがとう御座いました。

素敵な出会いをこれからも大切にしていきたいと思っております。

中様のような素晴らしいブログにコメントをさせて頂きます事は、とても恥ずかしく思いましたが、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたく、思い切ってコメントを書かせて頂きました。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
いつか、お目にかかれますことを楽しみにしております。
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