三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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赤岩尾神社について。昭和49・1974年刊行の『名張市史』から引く。
夷石、ということばが気になる。夷は、えびす。赤岩尾神社には夷石、大黒石と呼ばれる石があったらしい。いまでもあるのかもしれないが、 よくわからない。えびす、だいこく、とワンセットで呼ばれることになったのは、もとより七福神信仰が定着して以降のことだろうが、夷石の起源はもっと古いのではないか。えびすということばが、福の神ではなく、異民族を意味していた時代の痕跡が、この呼称にとどめられているのではないのか。
手近な辞書で確認しておく。
大辞泉:えびす【戎・夷】
用例を省いて引用。
大辞泉:えみし【蝦夷】
大辞泉:えぞ【蝦夷】
まつろわぬ民、というやつである。まつろわぬ、というのは、服従しない、という意味であるが、大和朝廷に服従しようとせず、朝廷側から異民族視されたネイティブジャパニーズは、なにも東日本にばかり存在していたわけではない。古代における赤岩尾神社の地も、そうしたまつろわぬ民の拠点だったのではないかと考えられる。
まつろわぬ民が鬼になった、というのはよく説かれるところで、ざっと検索してみると、天下のNHKが二十年前、こんな番組をつくっていたらしい。きょうの話題にあまり関係はないのだが、まつろわぬ民と鬼伝説との関連を示す一例として、リンクを掲げておく。
NHKアーカイブス:保存番組検索 鬼伝説 ~まつろわぬ民の系譜~
内容紹介を引用。
もっとも、赤岩尾神社に鬼伝説が語り伝えられている、といったことはない。冒頭に引いた『名張市史』の記述からも知られるとおりである。だが、それは、この内容紹介にならっていうならば、現代の人間に鬼の姿がみえなくなっているからにほかならない。犬の眼にはみえるかもしれないのだが、きのう犬とともに赤岩尾神社へ初詣にでかけ、諸事情あって参道の途中で引き返してきた経験から判断するならば、犬の眼にも鬼はみえなかったみたいである。鬼はかくれんぼが得意である、ということか。
ところで、きのうの夜、寄せられたコメントに応えるべく、昨年12月19日に撮影した犬の写真を掲載した。といっても、コメント欄に画像のURLを記しただけだったので、このエントリに再掲しておきたい。
神体である磐座を拝むこともせず、ただおしっこをして帰ってきただけの結果に終わったとはいえ、いちおう赤岩尾神社とのゆかりが生まれたことにはなるはずなので、今後、うちの犬の通り名は、赤岩尾の小春、ということにしたい。緋牡丹のお竜、みたいなものである。そこらの下っ端からは、赤岩尾のあねさん、と呼ばれることになると思う。
□赤岩尾神社 旧無格社 滝之原
□由緒は詳らかでないが、古くから「赤岩さん」の名で遠近から参詣する信者が多い。滝之原の集落から四キロ南方の山おく、大谷奥山とよぶ山腹にある。参道には岩洞あり、絶壁あり、境内には桜樹・楓多く、脚下に比奈知川の渓流を見おろす眺望絶佳の勝地である。祭神は火之迦具土神で愛宕神社と同神である。岩そのものが神体となっている。1月7日、8月7日の祭には参詣者が列をなし、花相撲なども催される盛祭であったが、いまは戦前の賑かさは見られない。 □『三国地誌』に「赤岩尾山、小岩尾、仏山。山頂に岩窟あり。夷石・大黒石の名あり。また岩窟および屏風石、ともに奇岩なり」とあり、『伊賀国誌草稿』に「赤岩尾大神をまつる。祭日八月七日。社伝にいう、藤原千方の崇信するところなり。境内岩石草樹奇観を極む」とある。藤原千方は青山町高尾に籠って藤原政権に反抗した平安時代の貴族と伝えられるが、正史にその名がみえない。 □明治41年10月21日、滝之原国津神社に合祀したが、区では今でも祭礼を行なっている。 |
夷石、ということばが気になる。夷は、えびす。赤岩尾神社には夷石、大黒石と呼ばれる石があったらしい。いまでもあるのかもしれないが、 よくわからない。えびす、だいこく、とワンセットで呼ばれることになったのは、もとより七福神信仰が定着して以降のことだろうが、夷石の起源はもっと古いのではないか。えびすということばが、福の神ではなく、異民族を意味していた時代の痕跡が、この呼称にとどめられているのではないのか。
手近な辞書で確認しておく。
大辞泉:えびす【戎・夷】
用例を省いて引用。
えびす【夷/戎】
《「えみし(蝦夷)」の音変化》 1 「蝦夷(えぞ)」に同じ。 2 都から遠く離れた未開の土地の人。田舎者。 3 情趣を解しない荒々しい人。特に、東国の荒くれ武士。あずまえびす。 4 異民族を侮蔑(ぶべつ)していう語。蛮夷(ばんい)。 |
大辞泉:えみし【蝦夷】
えみし【蝦夷】
「えぞ(蝦夷)」の古称。 |
大辞泉:えぞ【蝦夷】
えぞ【蝦夷】
1 古代、北陸・関東北部から北海道にかけて居住した人々。大和朝廷から異民族視され、大化の改新後は朝廷の征討によってしだいに北方に追われ、しばしば抵抗した。えみし。 2 →蝦夷地(えぞち) |
まつろわぬ民、というやつである。まつろわぬ、というのは、服従しない、という意味であるが、大和朝廷に服従しようとせず、朝廷側から異民族視されたネイティブジャパニーズは、なにも東日本にばかり存在していたわけではない。古代における赤岩尾神社の地も、そうしたまつろわぬ民の拠点だったのではないかと考えられる。
まつろわぬ民が鬼になった、というのはよく説かれるところで、ざっと検索してみると、天下のNHKが二十年前、こんな番組をつくっていたらしい。きょうの話題にあまり関係はないのだが、まつろわぬ民と鬼伝説との関連を示す一例として、リンクを掲げておく。
NHKアーカイブス:保存番組検索 鬼伝説 ~まつろわぬ民の系譜~
内容紹介を引用。
節分には鬼が登場する。日本文化の「影」の部分を特徴づけるものがこの鬼。かつて日本人の生活にとって欠かせない存在であった。人間に危害を加える一方で人間に役立ち、邪悪なものを追い払う神のような存在であった。仏教伝来とともに邪悪な性格のみが強調され、そのイメージが現代まで受け継がれてきた。また、鬼は単なる創造の産物でなく、外界からの渡来者、権力に逆らい破れた者、社会から排除された者などを鬼と呼んで恐れた。都市化された社会から「闇」が消え、それとともに鬼の姿も見えにくくなっている。ここでは、闇に封じ込められてきた鬼たちの伝説に光をあて、日本人にとって鬼とは何だったのかを描く。
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もっとも、赤岩尾神社に鬼伝説が語り伝えられている、といったことはない。冒頭に引いた『名張市史』の記述からも知られるとおりである。だが、それは、この内容紹介にならっていうならば、現代の人間に鬼の姿がみえなくなっているからにほかならない。犬の眼にはみえるかもしれないのだが、きのう犬とともに赤岩尾神社へ初詣にでかけ、諸事情あって参道の途中で引き返してきた経験から判断するならば、犬の眼にも鬼はみえなかったみたいである。鬼はかくれんぼが得意である、ということか。
ところで、きのうの夜、寄せられたコメントに応えるべく、昨年12月19日に撮影した犬の写真を掲載した。といっても、コメント欄に画像のURLを記しただけだったので、このエントリに再掲しておきたい。
神体である磐座を拝むこともせず、ただおしっこをして帰ってきただけの結果に終わったとはいえ、いちおう赤岩尾神社とのゆかりが生まれたことにはなるはずなので、今後、うちの犬の通り名は、赤岩尾の小春、ということにしたい。緋牡丹のお竜、みたいなものである。そこらの下っ端からは、赤岩尾のあねさん、と呼ばれることになると思う。
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むしろシルクハットの大親分ではないかとひとこと
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
本日は、小春あねさんのご幼少のみぎりってやつの写真を掲載いたしました。栴檀は双葉よりかんばし、と申しますが、生後十日あまりでも抜きん出た稟質は隠れもない、みたいな一枚だと思います。
私の場合、小春あねのパパという認識はあまりなくて、たとえて申しますと、緋牡丹のお竜さんに無償の愛を捧げつづけたシルクハットの大親分、四国道後の熊坂虎吉親分みたいな役どころではないかと考えております。むろん圧倒的に貫禄不足ではありますが、たしかに飲んべえではありますので、お酒なら若山富三郎先生にはけっして負けなかったと思います。羊羹合戦ではぼろぼろの大敗だったはずですけど。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
本日は、小春あねさんのご幼少のみぎりってやつの写真を掲載いたしました。栴檀は双葉よりかんばし、と申しますが、生後十日あまりでも抜きん出た稟質は隠れもない、みたいな一枚だと思います。
私の場合、小春あねのパパという認識はあまりなくて、たとえて申しますと、緋牡丹のお竜さんに無償の愛を捧げつづけたシルクハットの大親分、四国道後の熊坂虎吉親分みたいな役どころではないかと考えております。むろん圧倒的に貫禄不足ではありますが、たしかに飲んべえではありますので、お酒なら若山富三郎先生にはけっして負けなかったと思います。羊羹合戦ではぼろぼろの大敗だったはずですけど。
今後ともよろしくお願いいたします。