三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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まったく困ったものである。なにかをいってやる気も失せてしまうところではあれど、きょうは11月2日である。名張地区ぬすっと推進協議会が主催する隠街道市の初日である。祝意を表する意味をこめ、特段の厚情をもって、ひとこといっといてやることにする。というか、ようやく二日酔いがおさまったので、名張をはじめ津、亀山、鳥羽の四市長が10月31日、設立趣意書に署名をおこなったという乱歩都市交流会議とやらをおちょくってやることにする。
産経新聞:県内の文化力向上に 名張など4市、乱歩都市交流会議を設立
毎日新聞:江戸川乱歩:偉業後世に ゆかりの名張、亀山など4市、連携して情報発信へ /三重
読売新聞:乱歩都市交流会議 4市長、設立趣意書署名
読売新聞:乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ(中部発)
伊勢新聞:名張生まれ、乱歩にゆかり 4市が交流会議設立
経緯を確認する。読売新聞「乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ」から引用。
ただこれだけのことである。ただの思いつきである。内発的なものがどこにもない。まちづくり交付金という制度ができたから、細川邸を整備することにした、みたいな話である。
国立劇場関係者が名張市役所を訪れたことは、7月22日付エントリに記した。
7月22日:江戸宵闇妖鉤爪
それで、こんなものをつくっていったいなにをするのか。産経新聞「県内の文化力向上に 名張など4市、乱歩都市交流会議を設立」から引用。
ただこれだけのことである。たんなる物産販売である。あとのことは、なにも決まっていないと思う。なにかを考えることなど、とてもできないと思う。細川邸を整備したら、なにも考えられなくて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫ができてしまった、みたいな話である。
毎日新聞「江戸川乱歩:偉業後世に ゆかりの名張、亀山など4市、連携して情報発信へ /三重」には、「今後は各市が行っている乱歩関連イベントで相互に情報提供し、観光や文化振興に役立てる」とあるけれど、こんなものは根拠も成算もないたわごとにすぎまい。結局はイベントのレベルでしかものを考えられないというおそまつさを、関係者がみずから証明している弁でもある。そもそも「文化力」などというインチキなことばを無批判に使用している点で、まったく信用できない話であるという気がする。
信用できないといえば、いまや名張市が乱歩にかんしてどんなお題目を唱えてみたところで、少なくとも名張市民は、そんなものをいっさい信用してくれないのではないか。ミステリー文庫とやらの件、乱歩文学館とやらの件、はたまた、乱歩生誕地碑広場の件、それからやっぱり、やなせ宿の件、そういったあたりのおそまつきわまりないてんやわんやを知っている市民は、なにが乱歩都市交流会議だ、と腹のなかで失笑しているのではないか。市民どころか、市職員だって、じつは心のなかで深いため息をついているのではないか。
実際のところは、乱歩都市交流会議などとごたいそうなものをぶちあげてみたところで、ろくなことはなにもできないはずである。だからいちいち激怒する必要もないのであるが、最後にひとつ、微妙な問題を指摘しておく。この交流会議に、どうして伊賀市が加わっていないのか、という問題である。川崎克と乱歩との金蘭のまじわりに鑑みるならば、克の故郷である伊賀市をはずすわけにはまいらぬのではないか。
読売新聞「乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ」には、「名古屋市などで少年時代を過ごした後、早稲田大学に入学。卒業後、大阪の貿易商社に就職したものの失業し」とあるが、貿易商社への就職を斡旋したのは克であるし、乱歩が晩年、名張というふるさとを発見したのも、克の次男である秀二の選挙応援がきっかけだったのである。乱歩都市交流会議に伊賀市が入っていないという事実は、克の孫でいらっしゃる川崎二郎代議士の眼にはどんなふうに映っているのか。
さらにいえば、乱歩の祖父にあたる平井杢右衛門陳就は、千石取りの高級藩士として、伊賀上野城下に住まいしていたこともあったのではないか。たしかなことはわからないけれど、川崎克が私財を投じて建設した伊賀上野城に行き、城代家老職をお務めの福井健二さんにお訊きすれば、そのあたりのことは判明するはずである。と思っていま、伊賀上野城に電話をしてみたのだが、あいにく福井さんはどこかにご出張とのことであった。日をあらためて、確認してみることにする。
ともあれ、伊賀市をどうあつかえばいいのか、問題はかなり微妙である。とはいえ、いまから乱歩都市交流会議への加入を呼びかけるなんてのは、とてもできない相談であろう。だが、さいわいなことに、伊賀市民というのはだいたいにおいてものを知らぬから、地域社会の偉大な先達である川崎克と乱歩の関係もまた、まったくといっていいほど認識されていない。乱歩都市交流会議としては、伊賀市のことなんて知らねーよ、という顔をしているのが最善の選択ではないのか。
産経新聞:県内の文化力向上に 名張など4市、乱歩都市交流会議を設立
毎日新聞:江戸川乱歩:偉業後世に ゆかりの名張、亀山など4市、連携して情報発信へ /三重
読売新聞:乱歩都市交流会議 4市長、設立趣意書署名
読売新聞:乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ(中部発)
伊勢新聞:名張生まれ、乱歩にゆかり 4市が交流会議設立
経緯を確認する。読売新聞「乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ」から引用。
俳優の松本幸四郎さんらが11月、東京・国立劇場で乱歩の小説を歌舞伎で演じる舞台を上演することになり、劇場担当者が7月、名張市の亀井利克市長のもとにあいさつに訪れた。この時、「乱歩の生誕地・名張を紹介するコーナーを設置してはどうか」と劇場側から要請があったが、亀井市長は乱歩ゆかりの4市で一緒にPRすることを提案して鳥羽、亀山、津市に交流会議の設立を呼びかけた。
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ただこれだけのことである。ただの思いつきである。内発的なものがどこにもない。まちづくり交付金という制度ができたから、細川邸を整備することにした、みたいな話である。
国立劇場関係者が名張市役所を訪れたことは、7月22日付エントリに記した。
7月22日:江戸宵闇妖鉤爪
それで、こんなものをつくっていったいなにをするのか。産経新聞「県内の文化力向上に 名張など4市、乱歩都市交流会議を設立」から引用。
すでに乱歩の作品「人間豹」が歌舞伎にアレンジされ、3~26日まで東京の国立劇場で上演されるのに合わせて、ロビーで乱歩に関連する商品、各市の物産販売が決まっている。名張からは、作品から命名した「二銭銅貨煎餅」や「乱歩パイ」などが販売される予定。
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ただこれだけのことである。たんなる物産販売である。あとのことは、なにも決まっていないと思う。なにかを考えることなど、とてもできないと思う。細川邸を整備したら、なにも考えられなくて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫ができてしまった、みたいな話である。
毎日新聞「江戸川乱歩:偉業後世に ゆかりの名張、亀山など4市、連携して情報発信へ /三重」には、「今後は各市が行っている乱歩関連イベントで相互に情報提供し、観光や文化振興に役立てる」とあるけれど、こんなものは根拠も成算もないたわごとにすぎまい。結局はイベントのレベルでしかものを考えられないというおそまつさを、関係者がみずから証明している弁でもある。そもそも「文化力」などというインチキなことばを無批判に使用している点で、まったく信用できない話であるという気がする。
信用できないといえば、いまや名張市が乱歩にかんしてどんなお題目を唱えてみたところで、少なくとも名張市民は、そんなものをいっさい信用してくれないのではないか。ミステリー文庫とやらの件、乱歩文学館とやらの件、はたまた、乱歩生誕地碑広場の件、それからやっぱり、やなせ宿の件、そういったあたりのおそまつきわまりないてんやわんやを知っている市民は、なにが乱歩都市交流会議だ、と腹のなかで失笑しているのではないか。市民どころか、市職員だって、じつは心のなかで深いため息をついているのではないか。
実際のところは、乱歩都市交流会議などとごたいそうなものをぶちあげてみたところで、ろくなことはなにもできないはずである。だからいちいち激怒する必要もないのであるが、最後にひとつ、微妙な問題を指摘しておく。この交流会議に、どうして伊賀市が加わっていないのか、という問題である。川崎克と乱歩との金蘭のまじわりに鑑みるならば、克の故郷である伊賀市をはずすわけにはまいらぬのではないか。
読売新聞「乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ」には、「名古屋市などで少年時代を過ごした後、早稲田大学に入学。卒業後、大阪の貿易商社に就職したものの失業し」とあるが、貿易商社への就職を斡旋したのは克であるし、乱歩が晩年、名張というふるさとを発見したのも、克の次男である秀二の選挙応援がきっかけだったのである。乱歩都市交流会議に伊賀市が入っていないという事実は、克の孫でいらっしゃる川崎二郎代議士の眼にはどんなふうに映っているのか。
さらにいえば、乱歩の祖父にあたる平井杢右衛門陳就は、千石取りの高級藩士として、伊賀上野城下に住まいしていたこともあったのではないか。たしかなことはわからないけれど、川崎克が私財を投じて建設した伊賀上野城に行き、城代家老職をお務めの福井健二さんにお訊きすれば、そのあたりのことは判明するはずである。と思っていま、伊賀上野城に電話をしてみたのだが、あいにく福井さんはどこかにご出張とのことであった。日をあらためて、確認してみることにする。
ともあれ、伊賀市をどうあつかえばいいのか、問題はかなり微妙である。とはいえ、いまから乱歩都市交流会議への加入を呼びかけるなんてのは、とてもできない相談であろう。だが、さいわいなことに、伊賀市民というのはだいたいにおいてものを知らぬから、地域社会の偉大な先達である川崎克と乱歩の関係もまた、まったくといっていいほど認識されていない。乱歩都市交流会議としては、伊賀市のことなんて知らねーよ、という顔をしているのが最善の選択ではないのか。
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