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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。きょうでおしまい。

12月4日:《乱歩と名張》設立趣意

「展望」の三段落目。

   
このほか《NPO乱歩と名張》は、書籍の出版、催事の開催などを通じ、乱歩が生まれた名張のまちの魅力を広く発信する活動も視野に入れている。《NPO 乱歩と名張》が名張市や市立図書館などと連携し、「名張市乱歩文学館」と「なばり乱歩ライブラリー」とを基本にしたさまざまな事業を進めることは、名張市 が掲げる“市民主体のまちづくり”の実践にほかならない。NPO結成を目指す組織として、乱歩生誕地碑の建立記念日にあたる11月3日、ここに《乱歩と名張》を設立する。

というわけで、NPOの発足を準備するための組織を昨年11月3日につくった。そのうえで、NPOが細川邸を拠点として利用することが可能かどうか、名張まちなか再生委員会に打診した。なんの返答もないまま、年があらたまった。年があらたまるというのはふしぎなもので、たとえ二か月前のことでも、去年のことはもう過ぎたことだという気になってくる。

むろん、NPOをつくる話はまだ生きていて、名張まちなか再生委員会からの返答待ちの状態であるが、返答の結果、NPOが細川邸を利用できる可能性がみえてきたとしても、クリアしなければならない問題は山積している。それらの問題は、名張市と話し合うことでしか前に進まない。しかし、名張市にまともな話し合いができるのであろうか。まともにものごとを考えることが可能であろうか。

たぶん、無理ではないか。まともにものごとを考える、などという芸当は、名張市にはとても無理なのではないか。尻ぬぐいのためのNPOをつくってみたところで、そもそも名張市には、尻ぬぐいが必要であるという事実さえ理解できておらんのではないか。困ったもんだよなあ。

じつに困ったものではあるが、まあ、こちらとしてはできるだけのことはやってきたつもりである。やるべきことはやってきたつもりである。江戸川乱歩にかんしても、名張まちなか再生プランにかんしても、めいっぱいのことはしてきたつもりである。だから、年があらたまったいまの時点では、すべては過ぎてしまったことであり、思い残すことは何もないという心境である。

名張まちなか再生委員会から返答があるのかどうか、あるとしてもどんな返答になるのか、さっぱりわからない状態であるが、とはいえ、さっぱりわからないなりに、1月3日にも記したとおり、これはもうどうにもならんだろうな、という気はするのだが、そんなことはなんかもうどうだってよくなってきた。いくら歯ぎしりをしてみたところで、結局なるようにしかならぬであろう。人事を尽くして天命を待つ、というのはこういうことであろうと思う。

というわけで、ずいぶんすっきりした年明けとなった。なにしろ天命待ちである。NPOをつくるという方向性にあやまりはないはずで、江戸川乱歩のことも名張まちなかのことも、お役所にまかせておいてもろくなことにはならない。それはすでにして自明である。それならば、意のある市民がNPOをつくったうえで、官民の協働とかいうやつで市民主体のまちづくりたらいうものを進めるしか道はないはずである。で、そのためになすべきことは、思いつくかぎり去年のうちにやってしまった。すなわち天命待ちなのである。

以上、「《乱歩と名張》設立趣意」の補足説明を五回にわたって記してきたが、以前から主張してきたことをくり返すしかない堂々めぐりには、われながらかなりうんざりした。名張まちなか再生委員会から返答があるまで、名張まちなか再生プランがらみの話題は控えることにしたい。
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