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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張市議会の会議録からうかがえたのは、乱歩の名前がハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想の文脈でしか語られていなかったという一事である。無理からぬことである。知れていたことである。名張市における乱歩なるものの劣化衰微頽落は、もはや覆いようもないほどに明らかな事実であるのだが、市議会でくりひろげられた不毛で愚劣な応酬もまた、それを残りなく証明してくれたというわけである。

だからもういいか、という気がする。きのうの時点では、あした以降ももう少しいたぶってやることにするか、と考えていたのだが、何をいってもしかたあるまい。市議会の会議録を手がかりとして名張市に批判を加えることはいくらだって可能だが、名張市がその批判を今後のしるべとすることは絶対にないのである。やる気もなければ能力もなく、ろくに乱歩作品を読んだこともなければ乱歩のことを知ろうともしないような連中に、何をいったところで意味はないのである。

それで結局のところ、名張市における乱歩なるものはどうなるのか。どうにもならぬであろう。 乱歩といえば文学館だの記念館だのと口走るしか能のない自治体である。その可能性が消えてしまったのだから、名張市は口走る寝言さえ失ってしまったというしかない。ハコモノ崇拝主義が地に塗れてしまった以上、あとにはイベント尊重思想しか残されていない道理なのではあろうけれども、これとてろくなものではない。そんなものに税金つかってる場合かよ、という話である。

ただし、名張市にだってやるべきことはある。いうまでもなく、市立図書館が市民の税金で収集してきた乱歩関連資料の活用である。名張市における乱歩関連事業のいちばんの基本である。ところが、できない。できていなかった。だから市立図書館嘱託として活用の道を示した次第であったのだが、それでもできない。やろうとしない。それならいいやばーか。もう知らねーぞ。この3月いっぱいできれいさっぱり、市立図書館とはいっさい無縁な身になることにしたのだが、それでも心残りなのはやはりそのことである。いったんは陽の目をみた資料がまた死蔵されることになる。それでいいのかということである。

先日、3月13日のことであるが、アメリカからメールが届いた。もちろんアメリカの人からのメールである。ただし日本語で書かれていたので、すらすら読めた。あたりまえである。以前、京都市にある国際日本文化研究センターで乱歩の研究をしていらっしゃったかたからのもので、そのかたの英訳による乱歩の「二銭銅貨」を収録したアンソロジーが、かの地アメリカで刊行されたとのお知らせであった。日文研時代、京都から名張市立図書館まで乱歩関連資料を閲覧に来てくださって、あまり時間もなかったのだが、清風亭で昼食を取り、ちょっとだけ名張のまちも歩いていただいて、中町の山本松寿堂に立ち寄ったところ、さすが「二銭銅貨」の翻訳を手がけるほどのかただけに、二銭銅貨煎餅がいたくお気に入りのようすであった。

私信の公開はよろしくない行為だが、一部こっそり引用することにして、メールには「中さんに二度会いまして、すっかりお世話になりました。『江戸川乱歩著書目録』と『江戸川乱歩執筆年譜』を中さんから頂いてから、何度も、何度も参考に致しました。本当に不可欠の参考文献で、心から感謝しております」とある。この「感謝」は、そのまま名張市に捧げられたものである。名張市民に捧げられたものである。市民の血税で収集した資料にもとづき、市民の血税で刊行した目録が、万里の波濤を越えてアメリカ大陸で活用されているのである。お役に立っているのである。そのアメリカから、名張市に対してリスペクトが捧げられているのである。

こういうことでいいと思う。これまで手がけてきたこと、つまり資料収集という行為の延長上に、身のたけや身のほどに応じて、やるべきことをまじめにこつこつやってゆけば、名張市はそれでいいと思う。地味でまったく目立たないことではあるけれど、収集した資料を活用したサービスを展開することで、山に降った雨が地面にしみこんでやがて平地をうるおすように、乱歩を愛するすべての人の心に、名張市へのリスペクトが芽生えてくるのではないかと思う。リスペクトとはいわないまでも、乱歩の生まれ故郷である名張という土地に、親しみのようなものをおぼえてもらえるのではないかと思う。それが結局のところ、情報発信や全国発信ということでもあると思う。むろん名張市が乱歩にかんして何をやってもいいのだけれど、いちばんの基本はまずそういうことであるべきだと思う。

だが、もうおしまいである。名張市にはできない。やろうとしない。しかし、それでいいのか。そんなことでいいのかよ、ということなのである。やるべきことはそこにあるのに、それに手をつけようとしないというのは、なんとも惜しいことである。もったいないことである。だからNPOをつくり、つまりお役所のヒエラルキーのなかで何を提案しても握りつぶされるだけなのだから、NPOをつくってお役所と対等の立場になり、そのうえで市立図書館と連携するしかないのではないかと考えてみたのだが、どうもうまくゆかない。というか、どうしてそんなことまでしなければならんのか、という疑問が先に立つ。どうにも腰が重くなる。むろん気も重い。あれこれ堂々めぐりしたあげく、名張市さえしっかりしていれば、と舌打ちしたいような気持ちにたどりつくのがつねである。

きのう、先進諸国におけるNPMの見直しについて記した。三年前に記したことをくり返しただけなのであるが、三年が経過して、日本でもNPMの見直しがひとつの主張として定着しつつあるらしい。2月に出た新藤宗幸さんの『新版 行政ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)を読んでいたら、こんなことが書かれていた。

   
サッチャー政権やレーガン政権は去ったものの新自由主義による「反福祉国家」=「小さい政府」への流れは、弱まるどころか一般化したといってもよいでしょう。一九九〇年代以降、行政の世界ではNPM(New Public Management=新しい行政管理)という考え方が、急速に広まっていきました。かんたんにいってしまえば、政府事業の民営化や市場化、政府規制の緩和を徹底して進めることで、政府の規模縮小と財の効率化をはかり、経済に活力をもたらすべきだというものです。一九九〇年代にはNPMにもとづいて徹底した行政改革をはたしたとして、ニュージーランドがいちやく脚光をあびました。
日本でも、とくに二一世紀に入ると小泉純一郎政権のもとでNPMにもとづく「改革」が中央・自治体ともに急速に進んでいます。日本道路公団をはじめとした道路関係の四公団や郵政事業の民営化がおこなわれました。高齢者介護、障害者福祉にも市場原理の導入が顕著となっています。
医療保険制度の分野では、医療財政の悪化を防ぐとして医療費の抑制が、患者負担の増加、診療報酬の引き下げ、保険料の引き上げといったかたちで進みました。二〇〇八年度からは七五歳以上のすべての後期高齢者を対象とした後期高齢者医療保険制度がスタートします。これまで保険料負担のなかった後期高齢者からも、所得に応じて保険料が徴収されます。
労働市場の規制緩和も急です。派遣労働の対象範囲がつぎつぎと広げられ、非正規就業者の割合がとくに若年層で増加しています。企業にとっては、従業員を経営状況にあわせて弾力的に雇用できますから、非正規就業者は都合のよい存在です。けれども、非正規就業者は不安定かつ「劣悪」な労働条件で働くことを強いられます。雇用における格差が社会的問題となっているのも、こうした「改革」の結果だといえます。
いまや、市場原理主義ともいうべき考え方に立った「小さい政府」への転換が当然視され、それに異を唱えることが「反進歩」であるかのような状況さえ、生みだされています。この意味では、人間の生存権や社会権思想の発展と結びついた「福祉国家」の時代に、ピリオドが打たれようとしています。政府の規模拡大が、後に述べるような問題を抱えていることも事実です。それにしても「先祖返り」のような「小さい政府」でよいのでしょうか。これはエピローグでもう一度考えてみることにします。

要するに、これでよいのでしょうか、ということなのである。話が横にそれてしまったようだが、つまりはそういうことなのであって、これでよいのでしょうかという疑問を重くひきずりつつ、あすは「市議会の細川邸」を総括する。
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いよいよ最後の年である。名張市議会の昨年の会議録から、「乱歩」という語のみえる段落を引用する。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

平成19・2007年第324回(3月)定例会。

   
P.4 ◎ 市長(亀井利克)

名張まちなか再生事業につきましては、市民、行政、大学の3者が連携を行い、細川邸を改修し、まちなかの交流拠点として活用を図るとともに、江戸川乱歩生誕地碑のある桝田医院元第2病棟跡地利用に向けた取り組みや名張地区の名所を紹介する案内板設置の取り組みを進めます。

   
P.127 ◎ 市長(亀井利克)

その中で、ランポーレFCのことにお触れになったわけでございますが、江戸川乱歩の生誕の地にちなんでランポーレと、こう命名されておりまして、名張の文化、歴史、そして元気をゲームを通じて発信をしていただいておるわけでございます。多くのサポーターで支えていくという、そういう仕組みがなっていったらなというふうにも思っているところでございますが、教育委員会の方からご答弁を申し上げたいと存じます。

第325回(6月)定例会。

   
P.20 ◆ 議員(柳生大輔)

それから、去る6月2日に名張まちなか再生委員会総会が開催されました。市長も来賓で出席なされておりましたが、退席してからのことでございますが、市の方にご寄贈いただきました枡田医院第2病棟の今後の整備計画について活発な議論がなされました。明くる日の新聞にも掲載されておりますように、現在のところ当局としては、(仮称)江戸川乱歩文学館の建設を断念するような説明がありましたが、説明自体の歯切れが悪く、大変わかりにくかったのであります。反面、担当部局としては精いっぱいの説明であったのかなと、そう感じていたわけでありますが、市長も後日、総会の報告も聞いておられることと思いますが、新聞に掲載されていたようなことでございます。
いずれにいたしましても、乱歩関連施設整備事業検討委員長の発言にもありましたように、乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます。せっかくご寄贈いただいたのでございますので、これを生かさない手はないと考えます。総会の中でも、市長の考え方を聞くべきだというような強い声もあったところでございます。

   
P.25 ◎ 市長(亀井利克)

次に、乱歩生誕地碑でございますが、枡田医院第2病棟の跡地整備につきましては、平成18年度名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家の復元をイメージした乱歩関連施設の整備に向け、施設計画及び維持管理運営方針などを検討していくことといたしました。その後、住環境面への配慮や維持管理運営のあり方など、市として施設整備計画を見直し、広場として乱歩生誕地碑と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩顕彰の場として整備する方向で、本年度まちなか再生委員会の役員会や検討委員会と引き続き協議を進めていきたいと考えております。
なお、寄附を受けております推理小説等数千冊、あるいは乱歩の関連資料などの活用につきましても、あわせて検討を進めてまいりたいと思っております。

   
P.42 ◆ 議員(森脇和徳)

大変な難産ではありましたが、市長初め関係各位の格別のご理解、ご尽力によってようやく細川邸が新たにやなせ宿として生まれ変わることが、先日まちなか再生委員会総会において発表をされました。旧市街地出身議員としてうれしい限りであると考えております。しかし、その総会の中で、乱歩館の整備に関して紛糾いたしましたことは周知の事実でありますし、大きく報道もされたわけであります。当然市長のマニフェストにも、乱歩館の整備はしていくと書かれておりますし、桝田医院跡もそのために寄贈を受けたのでしょうし、まして昨年の総会で整備を推進していくことが申し合わされたわけで、それというのも市長みずから生家の復元やミステリー文庫などをつくりたいという構想から発展した話であったとも記憶をしております。委員や役員からも、市長が最終的にどのように考えているのかお尋ねすべきだという意見に決着をいたしましたが、市長は乱歩館の整備に関しましてはどのようにお考えなのかをお伺いいたします。このことについては、先ほどの柳生議員のご質問に対しましてもご答弁いただきましたが、不十分なところがあろうかと思います。どうぞご答弁を下さい。
そして、以前の私の一般質問の中で市長は、9億円から3億円にまちなか再生予算が減額されたと私が指摘した際に、意味がわかりませんとの発言をされました。そして、住民自治の熟度を見ながら、1期と2期に分けて分配していく。そして、私なりの考えがあり、榊町であったり、東町であったりといった整備計画も視野に入れてとのご答弁でありました。すなわち市長のおっしゃる住民自治の高まりとは、地域住民のコンセンサスが十分に調い、計画が練り上がった時点のことを指されるのであろうと思います。であるならば、乱歩館は総会でも承認されて、乱歩関係施設の整備は要望もあるわけです。しかし、予算は大幅に減額されて、整備予算もままならないとの先日の説明でありました。これでは計画は進行しませんし、当然無視されたも同様でございます。やはり私の指摘どおり、まちなか再生予算は減額した形になりつつあるのではないですか。それとも、2期目に当初の約束どおり6億円用意して、おくれても乱歩館は整備していけるのでしょうか。

   
P.46 ◎ 市長(亀井利克)

それから、2点目のまちなか再生でございますけれども、これは先刻柳生議員にお答え申し上げたとおりでございまして、乱歩につきましては、ミステリー文庫も含めまして、この整備をしていかなければならないということにいたしております。それを5年で切ってるわけでございますけれども、さてそれをどの時点でということにつきましてはまだ定かではございませんけれども、いただいてあるミステリー本をやっぱり世に出していかないと、こちらも申しわけないという思いであるわけでございますので、これは世に出していきたい。また、乱歩のゆかりのものにつきましても、同時にそういう展示する場所が必要であるというふうにも思わせていただいてるところでございます。

   
P.50 ◆ 議員(森脇和徳)

市長の答弁どおり、先ほどのご答弁の中で乱歩館の整備は難しいんだというふうなお話もあったわけなんですけども、これはやっぱり関連の関係の方々も説明を聞いてなかったわけでありますし、これは訂正をしていただかなければならないんじゃないかなというふうに思っております。私は、まちなかの整備に関しましては、市長は市長なりの考えがあってと申されて、そしてまた東町であったり、榊町であったりといったことを整備していくというふうなことも申されたわけですけども、私は現実にはほど遠いなというふうに思っております。まちなかの整備の皆さん方、まちなか再生委員会の方々というのは、本当にご苦労して、難産をしてやったわけなんですから、そしてまたそのこと自体をまとめ上げていくというのは大変な困難であるというふうに思っております。私は今まちなか再生委員会の参与という立場ではありますけども、みずから率先して、我々は同志もたくさんいるわけですから、本当に真の名張の顔づくりというものを私は努めてまいりたいなというふうに旧町出身議員として、あるいはまた旧市街地に住む住人の一人として思っているわけであります。これからもまた、情のある十分な予算措置を市長にはお願いしておきたいなというふうに思っております。
そしてまた、広場に乱歩のモニュメントもつくってというふうなことでございますけども、これはそのように乱歩館というものはもう建てないんだと、建設は難しいんだと。コスト等も考えたときに大変難しいんだというふうなことでありましたけども、やはり去年の総会で通った段階であるのに、その関連の関係者の方々は理解をしていない、説明を受けていない。まさに、きょうの午前中の市長の答弁は寝耳に水というふうな形になっていたんじゃないんですか。市長みずからがご説明なさった、あるいは無理なんだというふうなことを都市環境部長はその方々に言ったんでしょうか。恐らく言ってないんじゃないかなというふうに思っております。また、市長がどのように指示をされておったのかというふうなこともお聞きしておきたいなというふうに思います。

   
P.54 ◎ 市長(亀井利克)

それから、乱歩館の問題につきましては、担当部長の方から詳しくお話を申し上げますけれども、あの場所に建物というか、そのものを建てていくのは余りふさわしいことではないかなというふうに判断をいたしているわけでございます。ただ、整備はしていかなければならないということも、柳生議員のご質問の中でも申し上げたところでございまして、この乱歩のゆかりの品であったり、あるいはまた、たくさんいただいてる本であったり、そんなものをきちっと展示をさせていただかなければならないと、こんなふうに思っております。

   
P.58 ◎ 都市環境部長(堀永猛)

◎都市環境部長(堀永猛) それでは、乱歩整備に関する先ほどの質問についてお答えを申し上げます。
議員お話しいただきましたように、平成18年度の名張まちなか再生委員会総会におきまして、生家復元をイメージしました乱歩関連施設の整備に向け、施設計画なり維持管理、運営方針などを検討する旨が承認されたわけでございます。そして、この中で乱歩関連施設整備事業検討委員会を設置するということで決めていただいたわけでございまして、その後、まず庁内でこの委員会に提出すべき整備方針、内容等について関係する部署が寄りまして、数回この内容について検討させていただきました。この内容につきまして、乱歩関連施設整備検討委員会にこういった市の考え方について説明をさせていただき、ご議論いただいたわけでございますが、結果として結論までは至ってないということでございます。
そういった中で、現在のところ市の考え方としましては、先ほどからも市長の方からも申し上げておりますように、住環境への配慮とか維持管理、運営のあり方、そういったことを含めて施設整備計画を見直しまして、広場として乱歩生誕地域と生誕のあかしがわかるモニュメント的な整備にとどめ、乱歩の顕彰の場として整備する方向でこれからまちなか再生委員会の役員会なり検討委員会と引き続いて協議をさせていただくように考えております。
また、あわせまして寄附を受けておりますミステリー図書や乱歩関連資料などの活用についても、こういったところでも協議をしていただくようにお願いをさせていただきながら進めてまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

   
P.58 ◆ 議員(森脇和徳)

それと、私は聞いてるんですよ、市長に。だから、広場に乱歩館の建設が困難でどうしてもできないんだ、今の名張市の状況考えてください。そうやって関係者の方々に、最初にお話しなさった方々に市長からご説明をなさったんですか。多分なさってないと思うんです。何も知らないうちにまた総会で承認されて、恐らく予算をつけてくれるであろうな、そのように思っていたのにつかなかった。恐らくそのことがやっぱり関係者にとってはショックじゃなかろうかな、というふうに私は思うわけであります。ですから、その辺のところ、やっぱり結果そういうふうになってしまったと言うならば、やはりその辺のところはしっかりと説明をしてあげて納得のいく形にしてあげていただかなきゃならんな、また納得がいかないというんであれば納得いくまで十分にお話し合いをさせていただかなきゃならんなって、このままの行政のあり方ではその方たちにとっては今本当に不誠実になってしまうし、行政不信にもつながってしまうんじゃないかなというふうに私は思ってしまうわけでございます。
………………
まちなか再生については、先ほど担当部長、都市環境部長、また本当に乱歩館のことに関しては十分な説明責任というのをしっかりと行政で果たしていかないと、やっぱりその関係者の方々というのは納得いかないというふうに思いますんで、どうぞ懇切丁寧な説明をしてあげてください。

   
P.91 ◆ 議員(吉住美智子)

しかし、まちづくりといえば財源と人材の不足が上がってきます。名張市においても、江戸川乱歩の生誕地である本町の旧桝田医院第2病棟の活用について、財政難を理由に、当初検討していました乱歩文学館構想を断念して記念公園に変更するということを先日新聞で拝見しました。

   
P.126 ◆ 議員(梶田淑子)

それから、乱歩事業につきまして、これは桝田病院第2病棟跡、あそこは乱歩の生誕地ということで、市に寄贈していただきました。もちろん市長もそれをいただいた当初から、そこで乱歩の生誕地であるから乱歩の生家をつくるとか、またそれにかかわるミステリー文庫、いただいた文庫を世に出さなければならない、だからそういったものを展示する場所が欲しい。歴史館というか記念館というか、そういうのをつくりたいというような意向をいろんなところで市長、言ってこられたわけです。それを受けてまちなか再生のプロジェクトの長をしておられる方は、一生懸命にいろんなことを考えてきたのですが、しかしこれすら、先日からの質問に対しても、またその以前から、あのとこは公園にしてしまうんやと、モニュメント建てて、そういう公園というものにしていくというふうな言い方をされたがために、一体それは何を考えてるんかなあと、任された人が怒って当たり前ですよね。その方は、実はこの乱歩の事業を進めるについては、やはり図書館に今、乱歩のいろんなことを展示してございます、大事な資料を。その教育委員会として、この乱歩のことを継承していく大事な事業とも含めて、このプロジェクトの中に教育委員会が入っていないのがおかしいということで、まずその方を教育長と次長にお会いしていただき、るるお話し合いもしていただきました。その後、またまちなか再生の担当である部長と室長にも会っていただいて、これから前向きに教育委員会も取り組んでやっていきましょうという話になっていたのですが、何か聞いてますと、それこそ公園だけにしてしまうって、これはおかしいのと違いますか。例えば、予算的にそれがなかっても、その肝心、何をしようとしてたかという目的まで変えてしまうということはおかしいと思います。私はその方ともいろいろお話ししてた中で、今は予算がなかっても、将来こういったことをしようというひとつの市の本旨、まず市長みずからがそのミステリー文庫にしようというような文庫ももらってきたり、桝田病院第2病棟跡、それを受けたんでしょ、もらって。その人が、その市長が何をしようということを明快に出していただいてこそ、市長から言わせれば、市民の方が盛り上がってきたら、私の方はそれについてお金も出していくと、それが協働型やっておっしゃいますけれども、そうじゃないでしょ。それは事と次第によると思うんです。すべてそんなことでは、大きな物事は達成できないんじゃないかなというふうに考えます。

   
P.133 ◎ 市長(亀井利克)

それから、まちなかの中で乱歩の関係のお尋ねがあったわけでございます。当方のこれについての考え方は今議会で申し上げたとおりでございまして、桝田病院第2病棟の部分というのは、地域の方々にとりましては生活の場でもあるわけでございます。そんな中で、さまざまなご意見もいただいてまいりました。よって、この場所は生誕の地であることを表現できる公園の整備をいたしていくのがいいのではないかというふうに思っております。
ただでございますけれども、ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。

   
P.145 ◆ 議員(梶田淑子)

それから、このまちなかの再生のことにつきましては、いろんな問題点を残しておりますので、都市環境部長、しっかりとそこに携わる人たちと乱歩事業についても、ぐっと煮詰めていただきたいと思います。

   
P.227 ◆ 議員(森脇和徳)

市長もですね、ある一定の方たちの住民の声を聞いて、乱歩館の建設を考え直されたのではなかったでしょうか。その部分においては、私の考え方と同じではなかったのかなというふうに思っております。まさに公約に触れる部分を修正されたわけであります。

以上である。たまんねーなーまったく。
しつこくつづけるが、ただ淡々と引用するのみ。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

平成18・2006年第320回(6月)定例会。

   
P.147 ◆ 議員(柳生大輔)

名張地区におきましては、名張藤堂家邸や江戸川乱歩生誕地などの歴史文化資源や名張川や簗瀬水路などの自然環境資源に加えて、かけがえのない人的資源とも言える地域の皆さんがたくさんおられます。名張まちなか再生プランの基本目標であります名張の原風景と人情が息づく魅力あるまちを実現するためには、先ほど紹介しましたまちなか再生委員会の皆さんはもとより、そうした地域づくりに積極的に取り組んでおられる皆さん方の活動を支援し、また新たなまちづくりの担い手を育成するなどのソフト事業の充実が不可欠であると考えておりますが、まちなか再生に係る今回の補正予算の概要と中心市街地活性化事業の委託料、工事請負費の事業内容についてもあわせてお聞かせをいただきたいと思います。

   
P.148 ◎ 建設部長(西出勉)

まず、委託料でございますが、乱歩関係の施設整備といたしまして、平成16年11月にご寄附を受けました桝田医院第2病棟跡地を生かしました江戸川乱歩関連施設の整備に係ります基本計画、またサイン計画の実施設計並びにまちづくり活動推進に当たります支援などの執行管理費を合わせまして1,200万円でございます。

   
P.148 ◆ 議員(柳生大輔)

◆議員(柳生大輔) この6月6日の当委員会で議論されましたように、江戸川乱歩関連施設整備に係る基本計画などを行うということでありますが、庁内の乱歩関係の担当窓口もはっきりしていないような状況にございまして、市は江戸川乱歩関連施設整備の方針をどのように考えておられるのか。また、当名張まちなか再生委員会歴史拠点プロジェクトでも検討されておりますが、どのように連携し、計画をまとめ上げていくのか、そのあたりについてお尋ねをしておきたいと思います。

   
P.148 ◎ 建設部長(西出勉)

◎建設部長(西出勉) それでは、江戸川乱歩の施設整備等を踏まえましてお答えをさせていただきたいと存じます。
乱歩の関連施設につきましては、江戸川乱歩の生誕地としてまちづくりに活用していただきたいということで寄贈者の意向を踏まえまして、乱歩の生家を復元、もしくは長屋のイメージを踏まえましたデザインとして、乱歩の業績をたたえまして、郷土の偉人としての顕彰をするとともに、乱歩文化のみならず、広くミステリー文化、文学に親しみ、学ぶことのできる拠点を整備していきたいと、こういうことで検討が進められておるところでございます。

   
P.149 ◆ 議員(柳生大輔)

◆議員(柳生大輔) 先ほども申しましたように、名張まちなか再生プランの基本目標は、名張の原風景と人情が息づく魅力あるまちをテーマとしておりますが、江戸川乱歩の生まれたまちとして、この貴重な歴史資源をまちなか再生に生かすべくは当然のことと考えております。

   
P.149 ◎ 建設部長(西出勉)

◎建設部長(西出勉) それでは、細川邸と乱歩関連施設との両方の施設につきましては、相互に機能を補完しながら整備をしていきたいなと思っております。利用していただくにつきましても、一体的に歴史文化的な空間をつくっていきたいということで、名張の藤堂家邸でありますとか簗瀬水路、それから趣のありますひやわい等の空間を、こういったところを回遊していただくということを、歩いて楽しんでいただけるような整備、活用方法を検討していきたいなと思っておりますので、双方の施設につきましては、お互いに近くでもございますので、先ほど言わせていただいたように、相互の機能を補完するようなものにしていきたいなと、このように考えておるところでございます。

第322回(9月)定例会。

   
P.125 ◎ 市長(亀井利克)

前期事業につきましては、緊急度、事業の熟度、公共下水道や地域福祉など関連事業との整合、財政計画等の観点から検討した結果、おおむね3億円といたしました。前期の取り組み状況といたしましては、本年4月に名張駅西口公衆トイレを公共下水道の供用開始にあわせ、本市の玄関口にふさわしい公衆トイレとして整備をいたしました。本年6月にはまちなか再生事業を早期に実施することを目的としたNPO名張実行委員会が設立され、8月には地域、大学、市と連携した皇學館大学社会福祉学部の研究活動の拠点として、まちなか研究室事務室が開設する運びとなりました。さらに、細川邸や江戸川乱歩生誕地碑周辺など、歴史、文化の薫りを生かした交流拠点の整備や城下川周辺の整備、公共サインの整備などについて、地域の皆様との協働により進めております。そのほか、当該地区における集客交流の核店舗であるリバーナの開業10周年の節目に合わせ、現在改装をいただいております。また、リバーナへのアクセス道路である松崎町新町線及び本町朝日町線の整備を平成19年度の完成を目指し、事業を進めています。完成の暁にはナッキー号の運行も予定しており、まちなかへのアクセス強化を図ってまいりたいと考えております。

乱歩をめぐる絵空事、ただ淡々と引用してみた。
エントリを改めて、さらに平成17・2005年。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

平成17・2005年第315回(3月)定例会。

   
P.277 ◆ 議員(山村博亮)

これは、中心市街地活性化事業、歴史資料館の実施計画、設計等と、このような中でいわゆるワークショップの中でもいろんなところの整備ということで言われるわけですけれども、この事業を10年間かけてすばらしい効果のある顔づくりをつくっていくというのが、市長のねらい目でもなかろうかなとこのように感じているわけでございますけれども、さしずめできる事業とできない事業とこういうところもございますし、早急にできる事業といえば、当然設計等に書かれておりますように、歴史資料館の問題があるとこのように思います。といいますのは、新町の細川邸の問題も非常に協力的でございますし、まして桝田病院の江戸川乱歩の生誕の地の裏の病室の一角を名張市に寄贈をしていただいたとこういう経緯もあります。そんな中で、うまくそれを整合しながら歴史資料館をハード事業の一つとして推進をしていただけたら非常にありがたいとこのように感じております。その点について、市長の方からの見解もお願いいたします。

   
P.279 ◎ 市長(亀井利克)

そのような中で、細川邸の活用、あるいはまた桝田病院さんからご寄贈いただいた第2病棟とか、この活用については大きなインパクトを与える部門であるというふうに思っているわけでございます。細川邸につきましては、歴史資料館としての活用のほかにさまざまなイベント等も今も行っていただいているわけでございますので、そういうイベント、市民の交流の施設としての活用も考えていきたいというふうに思ってございますし、また第2病棟につきましては、ご寄贈いただいた桝田さんの方からは乱歩の関連のまちづくりに役立ててほしいと、こういうことのお申し出がございますので、それに沿った整備をしていかなければならないというふうに思ってます。
そんな中で、私も乱歩関連の施設につきまして鳥羽の資料館へも見に行ってきたわけでございますけれども、やはりできる限り現状の建物を生かした、そんな整備が風情があっていいのではないかというふうに思ってございまして、この整備手法等にも今までにない、専門家がその図面をかいてということではなくして、今までずっとこれに携わってきていただいてきた方々の意見も聞きながら、その整備手法等も検討をしていきたいなというふうに思ってもございますし、その整備もその方々に専門家の方もいっぱいいらっしゃるわけですので、その方々にやっていただいてもどうかなと、予算を出させていただいてですよ。そういうこともどうかなというふうにも思わせていただいているところでございます。

第318回(12月)定例会。

   
P.69 ◆ 議員(田合豪)

江戸川乱歩を通じながら怪人二十面相ということで名張は一つの売りにしているわけではございますけれども、私は第2の江戸川乱歩をこの名張から輩出するぐらいのつもりで人材の育成に関して力を入れていくべきときではないのかなと、そのように考えております。市長のお考えをお伺いしたいと思います。人材育成に関して力を入れていくべきではないのかという考えに関して質問をさせていただきたいと思います。

   
P.75 ◎ 市長(亀井利克)

そうした生涯学習によるまちづくり、人づくりの観点とあわせて、ただいま議員からは、江戸川乱歩生誕の地として知られる名張市の都市イメージをさらに高め、地域の活性化に役立つような、第2の乱歩を育成してはどうかというご所見もございました。
………………
今、旧町の活性化、まちなか再生の取り組みの中で、その議員ご所見の乱歩に関する、そういうミステリーの本ばかりを集めたそういう文庫というか、図書館の分館というか、そういうものの発想も描いていただいてるところでございまして、私ども大いにそれについては、整備については支援をしていきたいと、こんなふうにも思わせていただいてるところでございます。

   
P.79 ◆ 議員(田合豪)

さっき言ってたように、例えば小説家とか漫画家、そういうものを私も旧町のウナギの寝床と言われてる長屋のところに、例えば共同で住まいさせたらええという案を持ってます。それはどうしてかというと、やっぱり旧町というのが、江戸川乱歩もあって、文化のにおいのする町に私はひとつ魅力のある地域に変わっていってほしいのと、そのときに、そういう創作活動をしている若者が、旧町のウサギの寝床のような建物の中で、木造の建物の中で……。ウナギですね、済いません。ウナギの寝床の中で、そういう創作活動をしている者を、例えば名張市内の小学生とか中学生が見たり、またいろいろ市外から来られた観光客がやはりそういうのを見ていく。それプラスさっき言いましたように、創作でつくられたものを世に出す作業を名張市が手伝うたる。

うーん。寝言か?

さてこの年、きのうも写真を掲げたが、こんなことがあった。名張市における乱歩なるものの劣化を象徴するようなシーンである。

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名張市観光協会の要請を受けた名張市議会議員二十人のみなさんが、最高気温34.5度とあの夏もっとも暑かった7月15日の大阪は道頓堀にくり出し、怪人二十面相に扮して名張市の観光PRに文字どおり汗を流してくださったのであった。

メディアの報道でそれを知り、あちゃー、と思って、名張市役所の議会事務局にメールを出した。

   
どうもお世話さまです。市立図書館乱歩資料担当嘱託の中と申します。

さて、名張市議会議員のみなさんが先般、大阪の道頓堀で怪人二十面相に扮して名張市の観光PRにご尽力いただきました由、メディアを通じて知りました。議員としての献身的なご活動に、頭の下がる思いがいたします。まずひとこと、議員各位にお礼を申しあげる次第です。

さて、議員のみなさんそれぞれにご多用のところ、まことに恐縮ではございますが、折り入ってお聞き届けいただきたい儀がありますので、その旨をまとめた添付ファイルをお送りいたします。簡単に申しあげれば、「名張市議会議員のための乱歩講座」を開催していただけないかというお願いです。

このお願いは、議会事務局の一存で諾否を決定できるものではなく、また議長の専権事項でもないと判断される次第ですので、できれば議員全員のみなさんに添付ファイルをお読みいただき、よろしくご英断をたまわりますよう願いあげます。

指図めいたことを申しあげますが、「名張市議会議員のための乱歩講座」を開いていただけるのかどうか、名張市議会としてのご判断をメールでお知らせいただきますよう、勝手ながらお願いいたします。

なお、このメールの内容は当方のホームページで公開いたします。ご回答も同様に公開させていただきたく、あらかじめご了解をお願いする次第ですが、もしも公開に差し支えがある場合は、その旨お知らせいただければ非公開といたします。

2005/07/20

添付ファイルの内容がこれ。

   
乱歩講座開催について
            
わたしは、名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託の、中という者です。ちょっとお願いしたいことがありますので、この書面でお伝えすることにしました。
            
先日、インターネットの新聞などで、名張市観光協会の観光キャンペーンに、名張市議会議員の先生がたが協力され、怪人二十面相のかっこうで、大阪の道頓堀で、七月十五日に、名張のことをPRされたことを、わたしは知りました。そのときには、
            
(市議会議員のヒトもたいへんだ。こんなことは、むかしは、チンドン屋がやったものだが……)
            
と思いましたが、そのうち(あ、市議会議員の先生がたによけいなことをさせてしまって……)と反省する気持ちになってきました。(暑いし……)七月十五日はとても暑い日でしたので、そんな日に怪人二十面相の黒づくめのかっこうで、ヒートアイランドである都会の繁華街を行進するのは、並大抵の覚悟ではできないことです。
            
そう思ってインターネットの新聞の写真を見ると、先生がたの黒いマントの下は黒の半そでシャツだったので、(こ、これはクールビズだ)さすがだなという思いと、(よし、これならいいぞ、クールビズなら少しは涼しかっただろう)ホッとする思いが心に生まれました。
            
そう思うと同時に、わたしは、自分を責める気持ちが強まってきました。これはボクが役立たずだからではないか。誰かに「おまえは役立たずだから、もう図書館の嘱託なんかやめてしまえ」と云われているような気がして、(よし、それじゃいいや、それじゃァ)と自分に対して腹が立ってきました。
            
わたしは、名張市民の税金から、月々、乱歩のことで手当をもらっているので、もしも怪人二十面相のかっこうで大阪へPRに行くのなら、それはボクの役目だろうというのは子供でもわかることだろうに、乱歩には関係ない市議会議員の先生に、こんなことをさせてしまって、わたしは申しわけない気分でいっぱいです。
            
そこでわたしは考えたのですが、(なんとかして、先生がたの、お役に立ちたい。それには、それには……)やはり図書館嘱託としてまっとうな道を歩むのがいいだろう。(そうだ)もしかしたら先生がたは、乱歩と名張の関係をよく知らないかもしれないではないか。
            
もしも大阪まで行って、大阪市民に乱歩のことを質問されたら、先生がたはどう答えるのだろう。
            
大阪市民「乱歩て誰やねん」
名張市議「探偵小説書いた人ですわな」
大阪市民「名張に何の関係があるねん」
名張市議「名張は乱歩の生誕地ですわな」
大阪市民「いつ生まれてん」
名張市議「そこそこ昔ですやろな」
大阪市民「いつごろまで名張に住んどってん」
名張市議「たいしたことはおまへんわな」
大阪市民「せやからいつまでやねん」
名張市議「やっぱりそこそこやったんちゃいまんのか」
大阪市民「ちゃいまんのかて俺に聞かれたかて知らんがな」
名張市議「まあそこそこゆうことで間違いはないやろなと」
大阪市民「おまえはそこそこゆう言葉しか知らんのか」
名張市議「……」
大阪市民「どやねん」
名張市議「ばんざーい」
大阪市民「なんやねん」
名張市議「阪神タイガースばんざーい」
大阪市民「なんでこんなとこでばんざいやねん」
名張市議「ほんまによろしおましたな井川がオールスターの監督推薦に選ばれんで」
大阪市民「そらまあその点に関しては岡田もラッキーやった思てよるやろ」
名張市議「下柳は死ぬほどタフですしな」
大阪市民「はっきりゆうてあいつ見殺しにしたら阪神ファンは黙ってないからね実際の話」
名張市議「阪神タイガースぱんざーい。岡田監督ばんざーい」
大阪市民「こいつだけはほんまもんやな」
            
こんなことでゴマカシができるとは、わたしにはとても考えられません。ですから、名張市議会議員の先生がたには、怪人二十面相のかっこうでチンドン屋の役目を果たしていただくのならば、よその人から質問されたときのためにも、それから、自分たちがどうして二十面相のかっこうをしているのか、そのもともとの理由を確認しておくためにも、やはり乱歩と名張の関係を、最低限のところだけでも知っておいてもらいたいと思います。
            
もちろん、先生がたに乱歩作品を読まれてしまっては、わたしはちょっと困るかもしれません。先生がたは公序良俗の世界で生きている人びとであり、市民の負託を受けたえらい人たちなのだから、乱歩の小説を読んだらもしかしたら怒り出すかもしれない。そのうえ、わたしのことを責めるかもしれない。
            
「あいつは、こんな小説を書く作家のことで、よくもぬけぬけと手当をもらっていやがるのか」
            
そんなことを云われても、わたしは自分から進んで図書館の嘱託になったわけではなく、向こうから頼まれたから、犠牲にできるすべてのことを犠牲にして、嘱託として努めてきたというのに、そんなことを云われるのはとても心外だ。こんなことなら、(最初から嘱託なんか……)嘱託なんかにならなければよかったのに、と思います。ですから乱歩の小説は、先生がたに読んでもらう必要はないのですが、乱歩のことくらいは知っておいてもらいたいと考えるものです。
            
ここで、名張市民の考えを、想定の範囲内で集約してみると、どんな考え方があるでしょうか。
            
考え方その一「名張市議会議員だからといって、乱歩と名張の関係を知っている必要はない。何も知らないまま、怪人二十面相のかっこうをして名張をPRすればいいのだ」
            
考え方その二「怪人二十面相のかっこうをしてよその土地へ名張をPRしにゆくのだから、乱歩と名張に関する最低限の知識は必要だ。そんなこともわからんのか」
            
考え方その三「そんなことどうでもよくね? ていうかうちも名張市民だけど名張とか乱歩とか議会とかあんまり興味ないしー」
            
考え方その四「はしもとー、生き返ってくれよー」
            
こんな感じになるでしょうか。わたしは、二番目の考えをもつ市民がいちばん多いだろうと予想しています。三番目と四番目の市民の考え方は、ちょっと(バカなのかな……)いただけません。
            
そこでわたしは、市議会の先生がたのご賛同をいただいて、「名張市議会議員のための乱歩講座」を開いていただき、そこでわたしが講師を務め、市立図書館嘱託として乱歩と名張のことを先生がたにお知らせして、今後の議員活動に役立てていただければ、わたしは(あ、市議会議員の先生がたによけいなことをさせてしまって……)という自分の罪の意識から逃れられるのではないでしょうか。
            
ところが、議員の先生がたのなかには、「乱歩のことは議員個々が、それぞれに勉強すればいいではないか。何も図書館の嘱託風情が出しゃばる必要はない。この嘱託は思いあがっているな」と云う先生も出てくるかもしれないから、わたしはかなり心配なのですが、一時間か二時間、先生がたに乱歩と名張について話をする機会を設けてもらえれば、わたしは一世一代の名講義をするのだがなあ。
            
さて、長々と記してまいりましたが、「名張市議会議員のための乱歩講座」の開催を重ねてお願い申しあげます。具体的な日程はともかくとして、開催の方向で前向きにご検討いただけるのかどうか、ご協議の結果を事務局を通じてわたしあてにお知らせいただければありがたく思います。
            
暑さのおりから、御身くれぐれも御大切になさいまして、市民のための議員活動に頑張ってくださいますよう、末筆ながらお祈りいたします。
            
平成十七年七月二十日

文中、「はしもとー、生き返ってくれよー」というのは、この年7月11日にプロレスラー橋本真也が急逝したことを受けたものなのであるが、いまとなってはなんのことやらさっぱりわからない。ともあれこの添付ファイル、文体的には深沢七郎風味を意図していたので、メールをうけとった議会事務局スタッフは、あ、きちがいからメールが届いた、と思ったかもしれない。しかし、このきちがいはほっといたら何をするかわからんからな、とも思っていただけたのであろうか。関係各位のご尽力とご高配のおかげをもって、市議会議員の先生がたを対象にした乱歩講座が8月8日に実現した。じつにありがたいことであった。

そういえば、僭越ながら出欠表なんてのもウェブサイト名張人外境で公開したものであった。きゃはは。転載しておく。

名張市議会議員の先生方のための乱歩講座ご出欠一覧
  氏名 期数 会派 党派 出欠
議長 柳生大輔 4期 ききょう会 民主党
副議長 中川敬三 2期 清風クラブ 無所属  
  田合豪 1期 無所属 無所属
吉住美智子 1期 公明党 公明党  
石井政 1期 公明党 公明党
小田俊朗 1期 日本共産党 日本共産党
宮下健 1期 清風クラブ 無所属
永岡禎 2期 ききょう会 無所属
福田博行 2期 清風クラブ 無所属
上村博美 2期 ききょう会 無所属  
藤島幸子 2期 公明党 公明党
松崎勉 2期 ききょう会 無所属  
梶田淑子 2期 ききょう会 無所属  
田郷誠之助 2期 無所属 無所属
樫本勝久 3期 清風クラブ 無所属
橋本隆雄 3期 清風クラブ 無所属
橋本マサ子 4期 日本共産党 日本共産党
和田真由美 4期 日本共産党 日本共産党
山下松一 5期 清風クラブ 無所属
山村博亮 6期 ききょう会 無所属  
敬称は略させていただきましたッ。

きゃはは。
平成17・2005年。

この年のたしか1月、名張まちなか再生プランの素案が発表された。そんなプランの策定が進められていたことはまったく知らなかった。2月18日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開かれたのだが、議案のひとつに「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」というのがあった。桝田医院第二病棟のことはプランにどう盛りこまれているのか、桝田先生のご遺族と名張市との橋渡しを務めた人間として、気にならないわけがない。傍聴に足を運んだ。

特別委員会の会議録は名張市公式サイトでは閲覧できないらしいので、ウェブサイト名張人外境に記したところを引く。いうならば傍聴記である。

    
●2月19日(土)

昨18日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開会されました。名のとおり市の重要施策をテーマとした委員会で、市議会議員全員すなわち二十人で構成されています。午前十時から名張市役所二階の特別委員会室で開かれました。開会前に議員控え室の前を通りかかったところ、田郷誠之助議員(無所属)とばったり。田郷先生は議案書を取り出して眼を通しながら、

「ははあ、これですか。名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」

この日の議案は十件ありましたが、委員報酬について、名張市地域福祉計画(案)について、「くにつふるさと館」の開設について、はたまた、(仮称)名張ふれあいスポーツプラザ事業計画の概要について、新消防庁舎・防災センターの建設位置について、といったものには私はまったく関心がなく、田郷先生お見通しのとおり五番目に掲げられた「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」という議案の審議を傍聴するべく、朝とても早く起きてお仕事を片づけてから名張市役所に駆けつけた次第でした。

午前十時の開会が近づくと、議員が特別委員会室に向かいます。顔見知りの梶田淑子議員(ききょう会)や上村博美議員(ききょう会)に挨拶しながら(この上村議員というのは私の従兄弟で、近く慶事を控えているのですが、私は愛知県に赴く用事があるからとそのセレモニーへの出席を断ってしまい、むろんまさか昭和食堂へ行く用事があるからとはいえぬわけですが、とにかくなんだかなあ)、私も議場に入りました。傍聴席には記者クラブの面々も着席し、やがて委員会が始まります。私は持参した文庫本を読み始めました。

正午前、私は文庫本を読み終えました。いやまいったな。持参したのは堀田善衞『ミシェル 城館の人』全三冊(集英社文庫)の第一部なのですが、つづきの第二分冊までは持参しておりません。議題はまだ三番目、つまりお目当ての「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」が審議されるのは午後ということになり、まだしばらくは本を読んで時間を潰すことが必要になります。やがて柳生大輔議長(ききょう会)が休憩を宣言し、お昼休みとなりました。

私は名張市役所前の笑いめしという店で昼食を食べ(お会計のほうは五百十円でした)、そのあと市役所裏の別所書店新名張店に入って本を物色してみたのですが、こんなときに限ってこれはというものが見つからず、江戸川乱歩全集第25巻『鬼の言葉』(光文社文庫)と有栖川有栖さんの『作家の犯行現場』(新潮文庫)を購入して市役所に戻りました。午後一時、委員会が再開され、私は傍聴席で『鬼の言葉』と『作家の犯行現場』をぱらぱら眺めましたが、審議はいやでも耳に入ってきます。

いやはやなんともそれにしても、名張市議会を傍聴するのはじつに久方ぶりのことであり、しかも特別委員会の傍聴はきのうが初めてであったわけなのですが、顔ぶれは変われど名張市議会の皆さんは相も変わらず程度がおよろしくないようです。こんな連中が議員だ何だと偉そうにしてやがるのか、おまえら一度ものの道理というものを教えてやるから名張市立図書館まで来いこら、と怒鳴りつけてやったらどんなにせいせいするだろうと思いながら、私は「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」の審議に耳を傾けました。

このプランについては2月10日の産業建設委員会で検討が行われたとのことで、まずその結果が同委員会の永岡禎委員長(ききょう会)から報告されました。報告は三点にわたったのですが、たいしたことではありませんから省くこととして、しかしひとつだけお知らせいたしておきますと、名張旧町地区を十年で再生するというこのプランの財政規模は八億円程度、国のまちづくり交付金でその四〇%が措置される見込みだといいます。

さて問題の「名張まちなか再生プラン」(案)ですが、私はこのプランに関して1月21日付伝言で次のように記しました。

  
 この「まちなか再生プラン」(仮称)、まだ正式には公表されておりませんから内容についてあれこれ申しあげることはできないのですが、不本意ながら不備を指摘せざるを得ないプランではないかと思われます。大きな不備はおそらくふたつあり、ひとつ は既成市街地をどのような「まちなか」にしたいのかという総合的な視点が欠落していること、もうひとつは既成市街地の「再生」に生活という発想が存在していないことであろうと思われます。計画の中身も確認しないでこんなことを指摘するのは差し控えるべきではありますけれど、計画を策定したのが「公募した市民や名張商工会議所の関係者ら四十九人」だというのですから、たいしたことはまったく期待できないにちがいありません。

で昨日、委員会における名張市側の説明を聞き、あとでA4サイズ三十三ページにおよぶプリントを入手してぼーっと眺めてみたのですが、自分の懸念が現実のものになってしまったことを私は実感いたしました。細かいツッコミを入れるべきところは無数にあるのですが(もとよりプランというものはそういうものであって、ツッコミの入れどころのないプランなんて存在しないわけですが)、ここではおもに細川邸の活用法に限定して話を進めたいと思います。細川邸は名張市新町、乱歩の生家跡からもほど近い場所に残る旧家で、歴史資料館として活用することが検討されています。

しかし私は歴史資料館という発想にはまったく賛同できず、2月14日付伝言でも「何が歴史資料館だ。だいたいが歴史のことなどまったく知らず、そもそも歴史に関心すらない人間に限ってこんなことをおっしゃいますから片腹痛い」と記した次第なのですが、この日の重要施策調査特別委員会ではそうした片腹痛さを文字どおり痛感させられる仕儀となってしまいました。

ある議員が歴史資料館に関して発言し、名張市内に残る美旗古墳群という遺跡に言及したときのことです。美旗古墳群を観光資源として活用してはどうかとの指摘がなされたのですが、そんなことは昭和53年、美旗古墳群が国史跡に指定されたのを機にひととおり検討されたはずで、しかしこの先生はそうした経緯もご存じなく、美旗古墳群についても一知半解の知識しか持ち合わせていらっしゃらないのだろうなと思いながらさらに耳を傾けておりますとさあ大変、この先生は江戸時代が中世であるとおっしゃるではありませんか。私は耳を疑いましたが、先生が同じことをもう一度きっぱりと断言してくれましたので耳に対する疑いは晴れました。

いやまいった、と私は頭を抱えました。むろん市議会議員が無教養であっても別にかまいはしないのですが、というか無教養な人間が議員になれないのであればこの国には議員と名のつく人間などほとんど存在しないことになってしまうはずなのですが、それにしたって江戸時代は中世であるなどという認識に基づいて歴史資料館を論じていただいては困ってしまいます。いかんいかん。こんなことではいかんではないか。名張市議会いかがなものか。

じゃから最初っからゆうとろーが。そこらのうすらばか何十人と寄せ集めてプランを策定してみたところで、そんなものはろくなもんじゃありせんぞと最初っからゆうとろーが。そうじゃろーが。

    
●2月20日(日)

いやはやほんとにいかがなものかと眩暈に似た感動すら覚えてしまうわれらが名張市議会なのですが、18日に開かれた重要施策調査特別委員会における「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」の審議の模様をひきつづきお伝えいたしましょう。

まず驚いたのは、「名張まちなか再生プラン」(案)に盛り込まれた歴史資料館たらいう愚劣な構想がまったく無批判に受け容れられていたことです。そんなことでいいのか名張市議会。歴史資料館なんてものつくったからといって名張のまちに人が押し寄せてくるはずがなく、そもそもいったい何を展示するのかといったことを私はこのところ連日主張している次第なのですが、名張市議会には歴史資料館というハコモノに対する無根拠な盲信、いっそ歴史資料館信仰とでも呼ぶべきものが存在しているようで、そうした信仰に明確な疑問を投げかけたのはわずかにただ一人、福田博行議員(清風クラブ)が、

「歴史資料館をつくったら人が来てくれるというのはまさに行政的発想。点をつけるとしたら三十点」

と発言したのみというていたらくでした。いいぞいいぞ味ふく、と私は心のなかで喝采を送りました。味ふく、といっても何のことやらおわかりにならない方もいらっしゃるでしょうが、あれはいつでしたか神津恭介ファンクラブご一行が名張においでくださったとき、清風亭大宴会のあとの二次会でなだれ込んだところが味ふくでした。といってもまだおわかりにならないでしょうが、先をつづけます。

ではここで、「まちなか再生プラン」(案)の「3.将来地域像とプロジェクトの考え方」のうち「3−1.歴史拠点の整備」の「(3)プロジェクト概要」から「【2】歴史資料館の整備事業」全文を引いてみましょう。

  
名張のまちにひろがりとまとまりが感じられるように、北の名張藤堂家邸に対して南にもうひとつの歴史拠点を整備します。

だからその名張藤堂家邸跡に閑古鳥が鳴いているではないかというのだ。その点に関する反省もなしに「もうひとつの歴史拠点を」などと気易く口走るな。閑古鳥の鳴く歴史拠点をふたつつくってどんなシナジーを期待するというのだ。ほんとに上っ面だけだなおまえらは。ただ施設をつくればそれでいいとするのはまさしく行政的発想にほかならず、そうした発想から脱却するために外部の人間がプラン策定に携わったはずなのだが、それでも結局のところお役所的発想から抜け出せていないのはどうしたことか。おまえらもしかしたら二〇〇四伊賀びと委員会か。

いやいや、こんな具合にいちいちツッコミを入れていたら話がちっとも進みません。おとなしく先をつづけましょう。

 
初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。

だからそんなことはするなというのだ。いやいかんいかん。またしてもツッコミを入れてしまいました。どうも相済みません。最初からおとなしく先をつづけましょう。

  
【2】歴史資料館の整備事業(重要度:◎)

名張のまちにひろがりとまとまりが感じられるように、北の名張藤堂家邸に対して南にもうひとつの歴史拠点を整備します。

初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。細川邸は円滑な賃貸契約が見込めるほか、平成16年11月の芭蕉 生誕360年祭において旧家の風情を活かした魅力的な歴史資料館になりうること、適切な企画によって集客力が期待できることなどが確認できたので、歴史資 料館にふさわしい建築物と考えます。

老朽化した部分を除却し、町屋の風情を大切にして母屋と蔵を改修します。また、来街する市民の便に配慮して、駐車場、公衆トイレと喫茶コーナーを設置しま す。歴史資料館の主用途は資料の展示ですが、多様な市民ニーズに応えるために物販や飲食などを含む複合的な利用も可能なものとします。なお、歴史資料館の 管理運営は民間が担う公設民営方式とします。

市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示するほか、市民が関 われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭の市の美術展の出品作、個人 や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考 えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。市民が関わることのできる場と機会を提供することに よって、主催者としてあるいは参加者としてさまざまな市民の来館が期待できます。

管理運営を担う民間組織には、リピーターが確保できるような企画運営能力をもつことが期待されます。歴史資料館の立ち上がり期には、地元組織やまちづくり協議会が企画展示や施設管理に協力して、円滑な歴史資料館の管理運営に取り組みます。

ある意味見事だと感心してしまいます。歴史資料館なんてものには何の根拠も必要性もないのだということを、驚くなかれこのプラン自体が実証してくれているからです。歴史資料館の第一の前提となるべき歴史資料に関して、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と述べられているに過ぎないのがその証拠。要するにろくな資料がないってことじゃねえか。

2月14日付伝言にも記しましたとおり、もしも歴史資料館をつくるというのであれば「市内にはこれこれこのように貴重な歴史的資料が存在しており、広く一般に公開する必要が認められるにもかかわらずその場がない、つきましては歴史資料館を」と話が進められるのが本来であると思われるのですが、このプランはまったくそうではありません。このプランにはただ、細川邸を何らかの形で活用しなければならないので歴史資料館をつくります、という短絡的でありきたりで無責任な発想しか存在していないように見受けられます。いかんいかん。こんなことではまったくいかん。

じゃから最初っからゆうとろーが。ろくな歴史資料もありゃせんのに歴史資料館つくるなんちゅう話は、とても呑めたもんじゃありゃせんけえと最初っからゆうとろーが。そうじゃろーが。

    
●2月21日(月)

「名張まちなか再生プラン」(案)に盛り込まれた「歴史資料館の整備事業」のお話をつづけますが、噴飯すべきはやはり乱歩の扱いでしょう。「江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」というだけなのはいかにも情けない。私はつねづね乱歩を名張市の自己宣伝に利用するのはおおきに結構ですけれど、それならそれでもう少し乱歩のことを知ろうとされてはいかがなものかと関係各位に申しあげてきたわけですが、このプランを策定された方々も乱歩のことは何もご存じないようで、だからいわないこっちゃない。乱歩に関して何の知識も持ち合わせない人間は、怪人二十面相の恰好でそこいら走り回るくらいのことなら考えつけても、名張のまちの再生に乱歩というせっかくの素材、いやさ最強のカードを有効に利用する手だてを考えるなんて段になるとまったくのお手上げになってしまうという寸法です。

それにしても、いったいどこのどなたがこんなプランを策定してくださったのか。「名張まちなか再生プラン」(案)のプリントを眺めてみますと、平成16年6月に名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張市長から「まちなか再生プラン」策定の依頼を受けたことが記されており、委員名簿も掲げられています。その顔ぶれはと見てみると──

委員長 浦山益郎 三重大学工学部教授
副委員長 勝林定義 名張地区まちづくり推進
協議会会長
委員 井内孝太郎 名張青年会議所理事長
岡田かる子 名張市老人クラブ連合会
副会長
岡村信也 名張文化協会理事
川上聰 川の会・名張顧問
辰巳雄哉 名張商工会議所会頭
西博美 名張市社会福祉協議会会長
西川孝雄 国土交通省近畿地方整備局
木津川上流河川事務所所長
早川正美 三重県伊賀県民局局長
福田みゆき 名張市PTA連合会会長
柳生大輔 名張市議会議員
山崎雅章 名張市区長会会長
山村博亮 名張市議会議員


うーむ。いかがなものかいかがなものか。いかがなものか名張地区既成市街地再生計画策定委員会。といっても、私は委員のみなさんそれぞれにおける資質能力知識見識を問題にしているわけではありません。こうした委員会を組織するにあたって関係機関のトップや関係団体のボスをあちらこちらから寄せ集め、それによって市民各層の意見を集約できる態勢が整ったものとする。そんな旧態依然とした手法を名張市が踏襲していることに疑問を感じている次第なのですが、まあここいらの機関団体の顔を立てておかなければ話が始まらないということもあるのでしょう。

それに名張市は、より広く市民の意見を集めて政策に反映させるためのパブリックコメント制度を採用しており、つまりこうした旧弊を補完するシステムも一応整えられているわけです。ちなみに「名張まちなか再生プラン(案)」に関しても、2月21日(きょうのことですが)から3月22日までの期間でパブリックコメントが募集されるそうです。むろん私もコメントを寄せるつもりです。寄せなくてどうする。ばんばん寄せてやるともさ。しかし、かりそめにも市立図書館に籍を置く人間がどうしてこんな制度を利用しなければならないのでしょうか。お役所ってのはほんとに奇々怪々なところなんだなと、あらためて実感される次第です。

それからここでお知らせですが、私は先週中に名張市役所の乱歩記念館担当部署を叱り飛ばしてやるつもりでいたのですが、時間がなかったせいでそれを果たせず、ところが金曜日に名張市議会の重要施策調査特別委員会を傍聴した結果、とりあえずその部署というのが判明いたしました。建設部都市計画室というところらしいです。もっとも、「名張まちなか再生プラン(案)」のパブリックコメントが募集されるということもこの委員会で聞き及びましたので、それならば名張市に対してはとりあえず手厳しくも手厳しいコメントを寄せてやり、そのうえで必要が出てくれば建設部都市計画室を叱り飛ばしてやることにいたします。以上、いささかの方針転換をお知らせしておきます。

さて、「名張まちなか再生プラン」(案)における「歴史資料館の整備事業」、資料館の主目的である資料展示はごくわずかに言及されているのみで(つまりろくな展示品がないわけですが)、そのあとには資料展示以外の利用法があれこれと列記されています。引いてみましょう。

  
市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭の市の美術展の出品作、個人や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。

なんかほんとにいかがなものか。ここに挙げられた展示や上演などの催事はすべて、歴史資料には直接関係ないものばかりです。たとえばそこらの公民館でだって充分できるものばかりではありませんか。そんなものをわざわざ歴史資料館でやらなければならぬ道理がどこにある。まったく困ったものです。

細川邸を歴史資料館として活用しなければならない。かといって歴史資料なんてろくなものがないではないか。こんなことでは資料館つくっても誰も来ないぞ。えーいもう市民に好きなようにつかい回させろ。みたいな感じで、歴史資料館という不動の前提のうえに無思慮な短絡を重ねていった経緯が明瞭に読み取れる気がいたします。要するにこのプランは、主目的の資料展示のみならずそれ以外の利用法という面においても、歴史資料館なんて本当は必要ないのだという事実をしっかり実証してしまっているわけです。歴史資料館は不動の前提なんかでは絶対にあり得ません。そんなものに固着していてどうするの。

じゃから最初っからゆうとろーが。歴史資料館つくりますけえゆうてみたところで、とどのつまり公民館みたいなもんしかようつくらんのじゃろと最初っからゆうとろーが。そうじゃろーが。

   
●2月22日(火)

ある方から、昨日付日本経済新聞のコラム「春秋」に乱歩が登場していた、とメールでお知らせをいただきました。少年探偵団のチンピラ別働隊をマクラとして、地域社会における防犯ネットワークの形成について考察する内容です。

  
春秋(2/21)
    
江戸川乱歩は戦後の作品で、少年探偵団の補完組織として「チンピラ別働隊」を登場させた。モク拾いなどで暮らす戦災孤児たちで、身寄りがない分、深夜出没する怪人20面相を心置きなく追える。過酷な時代が生んだ特異なライフスタイルゆえの起用だ。

▼乱歩没後40年、子供の連れ去りや行きずりの殺傷などが頻発する今、地域の安全・安心確保に素人として一役買うのは地域住民からなる防犯ボランティア団体。その数、全国に3000団体というが、ここでも一種の別働隊が注目される。郵便や新聞配達、ピザや乳酸飲料の宅配など、地域の巡回や家庭訪問を日常的に行う業者グループだ。

日本経済新聞 NIKKEI NET 2005/02/21

記事は「地域貢献などと大上段に構える必要はないが、今や職業人も仕事とコミュニティーの両方を向く『二面相』が求められているのだろう」と結ばれていますが、このところ乱歩はほったらかしでコミュニティにばかり向き合っている私としては、コラムの主張とは関わりのないことなれどなんだかどこかしら耳が痛い感じ。もう少し乱歩のほうを向け、と乱歩ファン各位からお叱りを頂戴したような気分です。

むろん私とて、こうなることはわかっておりました。コミュニティの問題にまともに向き合うのは泥濘に進んで足を踏み入れるようなものであって、まず眼の前に現れるのはお役所という封建時代さながらの旧弊なシステムであり、そこではお役人と呼ばれる人たちが思考停止と責任回避の日々を送っている。眼を転じれば四方八方、コミュニティに無関心でそれゆえ無責任なくせに目先の利得に踊らされて権利ばかりを主張する地域住民がわんさと存在している。いやまさかお役人や地域住民のすべてがそうだということはないでしょうけれど、とにかくそうしたコミュニティに身を投じ、そこにある矛盾や不公正といったものを指摘し是正しようとするなどというのは、はっきりいって孤立無援、ほとんど絶望的なまでに孤立無援な行為であるのかもしれません。

ですから私はコミュニティとはできるだけ無縁であろうと努めていたのですが、どうやらそうも行かないみたいだぞと思われてきたのが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」、あの官と民とがぐるになって血税三億三千万円をいいようにどぶに捨て去る事業が完全に市民不在住民無視の密室のなかで準備され、しかも伊賀地域住民というのはいつだってそうなんですが陰ではいくらでも悪口をいうくせに公然とした事業批判はいっさいしようとしませんから、こーりゃ三重県も伊賀地域七市町村(現在は市町村合併によって二市になっていますが)も十八万伊賀地域住民もみーんなまとめて面倒見てやろうか莫迦、と孤立無援な戦いに乗り出したのがよかったのやらよくなかったのやら。いずれにせよあす23日午後7時から名張市役所で開かれるという「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の地域報告会に顔を出し、報告を謹聴してまいりたいと思います。

それはそれとして今度は名張市というコミュニティの問題、とっとと先に進みましょう。18日開会された名張市議会重要施策調査特別委員会の報告です。この日午後1時、休憩が終わって委員会が再開される直前のことですが、私は田郷誠之助委員(無所属)から、

「このプランにはあの病院のことが出てきてませんけど、どうしてなんでしょうなあ」

とのお尋ねをいただきました。あの病院、というのは申すまでもなく乱歩生誕地碑の建つ桝田医院第二病棟のことです。私は、

「寄贈されたのが11月下旬でしたからプランに反映させるのは時間的に無理やったんとちがいますか。もちろんあそこの活用もプランに連動させなあかんわけですけど。先生ちょっとゆうたってください」

とお願いしておきました。やがて議題は「名張まちなか再生プラン」(案)に移り、名張市建設部によるプランの説明が終了、質疑応答が始まりました。最初に発言を求めたのは田郷議員で、質問は二点。一点目は、

「桝田医院から生誕地碑がある病棟の寄贈を受けたが、その活用策がプランから抜けている。今後おおいに活用しなければならない施設であり、プランを緊急に修正するつもりで取り組むことが必要だ」

といったものでした。西出勉建設部長の答弁はおおよそ次のとおり。

「寄贈を受けたのが昨年11月であったことから、活用法を具体的にプランに表すことはできなかったが、土地建物の活用方法は今後、細川邸の利用法の詳細なプランとともに検討し、相互補完的な機能をもたせて、歴史的文化的施設として活用したい」

新町の細川邸と本町の桝田医院第二病棟、このふたつをめぐっては乱歩を軸として新町と本町の暗闘がくりひろげられているのかどうか、そんなこと私は全然知りませんけど、建設部の見解どおり相互補完的な施設とすることが必要でしょうし、ふたつの施設をカバーできる素材となれば乱歩以外には見当たりません。で、ふたつの施設というのは復元した乱歩の生家と名張市立図書館ミステリ分室、これで決まりではないかと私は思います。

じゃから最初っからゆうとろーが。せっかく寄贈してもろうた桝田医院第二病棟の活用策、名張まちなか再生プランに盛りこまいでどないするんじゃとゆうとろーが。そうじゃろーが。

    
●2月23日(水)

「名張まちなか再生プラン」(案)についてさらにつづけますと、細川邸を歴史資料館として活用する構想にはこんなことも記されています。

  
老朽化した部分を除却し、町屋の風情を大切にして母屋と蔵を改修します。また、来街する市民の便に配慮して、駐車場、公衆トイレと喫茶コーナーを設置します。歴史資料館の主用途は資料の展示ですが、多様な市民ニーズに応えるために物販や飲食などを含む複合的な利用も可能なものとします。なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。

細川邸には蔵があるのですが、蔵といえばやはり乱歩でしょう。細川邸の蔵は旧乱歩邸土蔵に対峙するもうひとつの土蔵として活用するのが望ましかろうと考えます。物販や飲食もむろんOKです。というか私の構想では、名張市立図書館ミステリ分室の近くに空き店舗を利用してミステリ専門古書店「三人書房」を開設するというアイディアまで含まれているくらいです。それから公設民営方式という点に関して申しあげますと、私は2月18日付伝言にこのように記しております。

  
さらにいえば地域住民が運営に直接携わることが要求されてくるかもしれず、たとえば図書室の受付で近所のお婆ちゃんが貸し出し係をやってる図、なんてなかなかのものではないでしょうか。要するに名張というこの古いまちにおいては、古いものがただ古いというだけの理由で排除されてしまうことは決してないのだ、と思いたいのだ私は。

つまり名張市立図書館ミステリ分室の運営には地域住民が大きく関与する必要があるのですが、施設自体はあくまでも市立図書館直属の機関でなければなりません。いまの日本ではNPM、すなわちニュー・パブリック・マネジメントたらいうものが一大潮流となっていて、行政サービスの向上を合言葉に、しかし実際は深刻な財政難のなんだか破れかぶれなみたいな打開策として、民間でも提供可能なサービスはあいついでアウトソーシングしてゆくことが国のレベルでも市町村のレベルでも大流行しているわけなのですが、1990年代にこのNPMが大流行した先進諸国におきましては、その結果政府が断片化してさまざまな社会問題に対処できなくなる事態に立ち至り、行政システムのさらなる改革が現在進行中であるとも伝えられますから、いずれわが国でもNPMの見直しが求められる可能性は少なからずあるでしょう。したがいまして、よその真似をするのが大好きな日本のお役所がこの先どんなにぶれまくろうと、この施設があくまでも名張市立図書館の管轄であるという軸だけはぶれないようにしておくことが賢明であると判断いたします。

そんなこんなで名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」(案)に関する協議が進められた18日の名張市議会重要施策調査特別委員会、結局のところ乱歩の名前が登場したのはきのうご紹介した田郷誠之助議員(無所属)の発言だけで、いや正確に報告すればほかにもうおひとり、ある先生が乱歩の名前をお出しになったのですが、それはもうごくごく軽い扱いで、

「名張市は何もかも中途半端、○○のことも中途半端、乱歩のことも中途半端、中途半端なことしかやっていない」

といった感じの言及でした。私は上記の○○の部分を聞き逃していたのですが、乱歩の名前が出てきたので思わず顔をあげ、そんないい加減なこといってんのはいったいどこの先生かと室内を見回してみたところ、なんだまたあなたでしたか江戸時代中世説の人、さっきは江戸時代が中世であるという妄説を意気揚々と披露なさったと思ったら、今度は名張市が乱歩に関して中途半端だとおっしゃいますか。たまにゃしっかりしましょうね。傍聴者には発言権が認められておりませんから黙っておりましたが、発言が許されれば私は名張市立図書館の人間として、購入したばかりの二冊の文庫本を示しながら、

「ちょっとあなた。江戸時代中世説のあなた。ずいぶんいい加減なことおっしゃってますけど、この『鬼の言葉』という本を見てください。新保博久さんの巻末解説では主要参考文献として名張市立図書館の『江戸川乱歩執筆年譜』をあげていただいております。名張市が中途半端なことやってたらこんなところに名張市の名前は出てこんぞ。それからこの『作家の犯行現場』では有栖川有栖さんが『名張市立図書館が乱歩研究に力を注いでいる』と書いてくださっております。名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』も写真入りで紹介していただいております。名張市が中途半端なことやってたらこんなところに名張市の名前は出てこんぞ。ろくに調べもせずに何が中途半端だ。いやたしかに名張市には乱歩に関しておおいに中途半端なところがあってじつに困ったものなのだが、だらといっておのれごとき無教養きわまりないぼんくら議員に中途半端呼ばわりされなければならぬ筋合いはどこにもないのだ。ものの道理というやつをたっぷりおしえてやるから名張市立図書館の移動図書館やまなみ号ガレージまで来るかこら」

とでも申しあげていたところです。

じゃから最初っからゆうとろーが。公設民営みたいな虫のええ話がすんなり通るわけはありゃせんのじゃけ、ごじゃごじゃいわんと市の施設にしたらんかとゆうとろーが。そうじゃろーが。ちゅうよりも、このままじゃともっとひどいことになるゆうこともわからんのかいのう。みてみい。名張市では行政の断片化がますます進行しちょるけど、いずれその見直しをせにゃならんときが必ずくるんじゃけ。いまからゆうといてやるけえのお。何ゆうてやっても、誰も理解できんかもしれんがのう。

しかしそれにしても実際もう、じゃから最初っからゆうとろーが、とでもいうしかないのである。名張まちなか再生プランがどれほどいいかげんなものであったか、そんなことは一読すればすぐに知れることだったのである。あんなでたらめでインチキで内容空疎なプラン、まともにとりあうほうがどうかしている。しかし誰もそれに気がつかない。決定的な欠陥のあるプランが先へ先へと送られてゆく。

だからこちらはパブリックコメントを提出し、プランの不備を指摘して代替案まで示してやったというのにえーいこのあんぽんたん。何から何までいっさい無視しやがったあげくがこのざまではないか。欠陥品のプランが先へ先へと送られたあげくがこのざまではないか。細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館となり、桝田医院第二病棟はただの広場になってしまう。なーにやってんだ低能ども。
平成16・2004年のつづき。きょうも茶番に眼を通す。

この年、桝田医院第二病棟の土地と建物が名張市に寄贈された。中庭に江戸川乱歩生誕地碑が建つ病棟である。結局、病棟は取り壊してしまい、一帯を広場として整備することが決まった。そんなことを誰が決めたのか。名張市役所のあほのみなさんである。整備は平成20・2008年度におこなわれるのだが、広場のなかに設置される案内板の工事はこの3月末までにとっとと終了してしまう。あほのみなさんのやることはようわからん。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

平成16・2004年第313回(12月)定例会。

   
P.70 ◆ 議員(福田博行)

ちょっと話今ずれるんですけども、本町の話出たとこで、昨日の議会の昼休みに市長は桝田病院さんの第2病棟の敷地を400平米市に寄附していただくと。これ桝田病院さん、入り口は新町なんですけど、裏は本町ですよね。寄附していただけるという報告を市長から議会に休憩の間にしていただいたわけですが、桝田病院さんには一議員としても心からお礼を申したいと思うんですけども、きょうの新聞には乱歩関係のPRに使うてくださいというふうに寄附していただいた方のご要望があるというふうに聞かせてもろてます。
………………
それからもう一つ、忘れてました。今もまち歩き観光でバスが来てるという話がありました。降りられた方はふれあいのトイレを利用してくれてると聞かせてもらいました。考えたらトイレ何もないんです。先ほど酒酌み交わしながら話ししてた旅行会社の友人も、観光で一番問題となるのは何やと言うたら、トイレと言いました。トイレ。今後まち歩き観光が発展して、いろんな乱歩のとか細川邸とかいろいろあるんですけども、そういうのがふえていってお客さんがふえてくると、当然トイレは足らんようになってくると思います。

この質問は平成16・2004年の12月8日におこなわれた。「昨日の議会の昼休みに市長は第2病棟の敷地を400平米市に寄附していただくと」とあるから、寄贈にかんする発表は12月7日、定例会の昼休みに明らかにされたということである。このあたりがすでにおかしい。桝田敏明先生のご遺族から寄贈の話をいただいたのはこの年9月のことであった。寄贈の手続きを終えたのは11月のことである。それがどうしてこそこそと、12月に入って市議会の昼休みなんかに報告がなされるのか。じつに不可解なことである。

むろん当時も、不可解なことだとは思った。なにしろこちらは、桝田先生のご遺族から寄贈にかんする電話を頂戴した当事者である。その旨をそのまま市長に伝え、あとは庁舎の内部で話が進んで、11月には正式な手続きが終了したのだが、こちらはその手続きの場に立ち会った当事者でもある。ふつうなら、手続きが完了する時点あたりでなんらかの場を設け、記者クラブに取材を要請して、新聞の紙面を通じて寄贈のことを広く市民に報告するのが筋であろう。それがどうしてこそこそと、市民ではなく市議会議員相手に最初の報告がおこなわれたのか。じつに不可解なことであった。

しかし本当に不可解なのは、このあとの展開だったのである。のちに知ったところでは、この時期には名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手で名張まちなか再生プランの策定が進められていた。ならば、桝田医院第二病棟の活用策もその委員会で検討されるべきだったはずである。いまから考えればどうしたってそういうことになるのだが、そこらの駅弁大学の御用学者だの区長会やまちづくり推進協議会あたりのうすらばかだのが集まってそんなプランをでっちあげている最中であったなどと、こちらとしてはつゆ知らなんだことなのである。

この年12月8日付毎日新聞伊賀版の記事、ウェブニュースから引用。

   
「江戸川乱歩のために使って」 名張の桝田寿子さん、病棟と土地を市に寄贈 /伊賀

◇記念館として、整備検討
名張市生誕の推理作家、江戸川乱歩の生誕碑がある名張市本町の桝田医院第2病棟所有者、桝田寿子さん(81)が「乱歩に関することで活用してほしい」と病棟と土地を名張市に寄贈していたことが7日、分かった。病棟は空き部屋となっており、名張市は「江戸川乱歩記念館」として整備しようと検討を始めている。【熊谷豪】
………………
中さんは「乱歩の生資料の収集は難しいが、生家を復元したら面白い。生誕碑が出来て50周年となる来年11月3日のオープンを目指してほしい」と話している。

名張まちなか再生プランのことはつゆ知らなんだのであるけれど、桝田医院第二病棟の活用策は真剣に検討しなければならない。だから名張市に対しては、寄贈があったことを早く発表して、広く意見を募るべきであると提言した。もとより対象を名張市民に限定する必要はない。乱歩を愛する人は全国に存在しているのである。桝田医院第二病棟の跡地をどのように活用すればいいのか、全国から意見を募ればいいのである。そのためには見学会も必要であろう、とも提言した。桝田医院第二病棟がいったいどんなところなのか、それを確認してもらったうえで活用策に頭をひねってもらえばいいのである。この見学会もまた、対象を名張市民に限定する必要はまったくない。全国から見学に来てもらえばいいのである。名張に一泊してもらい、乱歩が生まれた名張という土地がどんなところであるのかを知ってもらったそのうえで、桝田医院第二病棟の活用策を考えてもらえばいいのである。

ただし、主体性を放棄して丸投げを決めこむのはよろしくない。名張市サイドもちゃんとした腹案をもっているべきである。全国からアイデアを募集するといったって、実際には応募があるかどうか知れたものではないのである。むろん、応募数の多寡は別にして、名張市が乱歩の生誕地としていわゆる情報発信をつづけてゆくことは必要なのだから、活用策の募集はぜひともおこなうべきなのではあるけれど、ふたを開けてみたらろくなプランが寄せられなかった、みたいなことになる可能性だってないではない。だからそのときのために、名張市サイドにはたとえば乱歩の生家を復元するという腹案が必要なのである。うえの記事にある当方の話はそういうことである。

しかし、実際にはどうであったか。うえの記事にあるとおり、いきなり「江戸川乱歩記念館」の話に短絡してしまっているのである。乱歩記念館だの乱歩文学館だの、とどのつまりはそういったことしか口走れないのである。ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもない連中にかぎって、何かというと乱歩記念館だの乱歩文学館だのと口走ってしまう愚についてはたびたび記した。その愚がここでもくり返されたのである。

しかもやはり不可解なことに、名張まちなか再生プランのことは看過されているのである。プランはまさしく策定中であり、桝田医院第二病棟はまちなか再生の切り札となりうる素材であったはずなのである。にもかかわらず、そのプランとはまったく無縁に、「名張市は『江戸川乱歩記念館』として整備しようと検討を始めている」なんてことになっていたのである。こらこら名張市役所のあほのみなさんや、てめーら自分たちのやってることすらよく理解できておらなんだのであろう。ばーか。なんのために名張まちなか再生プランを策定してたんだよ。名張まちなか再生プランってのはいったいなんだったっていうんだよ。ばーか。

   
P.76 ◆ 議員(田郷誠之助)

もちろん亀井市長はそんな繰り言は一切言わないで、また芭蕉さんというシンボルは、句碑は長慶寺にあったりもしますが、芭蕉さんはどちらかといえば上野伊賀のシンボルであって、名張はやっぱり江戸川乱歩でありますと、乱歩を前に出しての最後の締めくくりの演出は本当に最高の演出であったと評価するものであります。
………………
話を再び江戸川乱歩へ戻します。フィナーレの式典に亀井市長が怪人二十面相の扮装であらわれたのがよかった。市長が江戸川乱歩の世界のシンボルになりきっているのを見て、参加した市民も改めて江戸川乱歩を再認識できたと思います。あのフィナーレは大成功でした。
問題はこの後であります。乱歩にかかわるこれからの顕彰事業。先ほども触れられております。なかんずく関連資料の陳列、展示、公開のできる施設を早く選定することです。ふれあいで展示された乱歩が生きた時代展は、東京早稲田からの協力も得て、大変充実した展示でありましたが、あの中での乱歩の書斎や書棚の実物大の模型などは、傷まない間にしかるべき落ち着き場所をつくって、この機会に速やかに乱歩記念館をつくるべきであるということを改めて提言をいたします。
けさの新聞で報道され、さきの質問でも触れられました乱歩記念碑のある旧住居跡の碑のある桝田医院から土地が名張市に寄贈されたと。このご厚意にこたえて、今この盛り上がった乱歩熱の熱いうちに速やかにその活用策を検討し、ぜひ乱歩記念館実現へと向かうことを願って切なるものがあります。
また、ひやわいその他乱歩の世界を演出できるまちづくりにもこの機会を逃さず関係者が協力して面整備をするなど、乱歩のまち名張づくりのプロジェクトチームをつくることも提言しておきたいのであります。
市長、夏にははるばる今治からの客を迎えて、市長はみずからのお茶のお手前で接待役を務められ、今治のお客さんを魅了されました。今度は怪人二十面相として乱歩のまちづくりの主役を演じていただきたいのであります。

   
P.81 ◎ 市長(亀井利克)

3月には日本の推理小説の創始者で、名張で生まれ豊島区で生涯を終えた江戸川乱歩を通し、深いえにしに結ばれている東京都豊島区と友好親善を深めることを目的に、名張市にとって最初となる文化交流都市協定の締結、1998年からスポーツを通じ交流を継続してきた中華人民共和国蘇州市と文化教育体育分野での広範な交流と相互協力により両国民の友好関係をさらなる発展させるため、友好交流都市協定の締結をいたしました。
………………
この間、江戸川乱歩生誕110周年を記念して乱歩が生きた時代展の開催、乱歩作品演劇の講演、乱歩と観阿弥の世界を融合した乱歩狂言の上演を通し、全国へ乱歩に関する新しい発見や話題を提供するとともに、旧名張町の初瀬街道沿いを中心に企画された名張からくりのまちコンテストでは、応募作品の展示だけではなく、名張の町並みや路地のたたずまいをアピールする機会となりました。
………………
また、江戸川乱歩、観阿弥は名張の大きな地域資源の一つでありますことから、これらを今後の観光振興に大いに生かしてまいりたいと考えているところでございます。具体的な取り組みにつきましては、今後関係者と協議を進めてまいりますので、ご理解を賜りたいと存じます。
………………
また、乱歩展での陳列物につきましての今後の生かし方ということにつきまして、この活用方法を含めましてこれからも検討いたしてまいりたいと、こんなふうに思っているところでございます。

   
P.83 ◆ 議員(田郷誠之助)

乱歩館につきましては、これは先ほどもご答弁あったとおりでございまして、これは非常にすばらしい拠点ができたということでございますから、本格的に前向きに動き出す拠点として。

はっきりいって読むに堪えない。神聖なはずの議場で何がおこなわれていたのか。よりにもよってコスプレの相談である。てめーらいったいどこのオタクだ。

この年12月9日付毎日新聞伊賀版の記事、ウェブニュースから引用。

   
「怪人二十面相議会にしては」−−亀井・名張市長が“発案” /伊賀

名張市内で先月、開かれた「蔵びらき事業」のフィナーレで、黒マントにマスク、タキシードの怪人二十面相に扮(ふん)した亀井利克市長は8日、12月定例市議会で「怪人二十面相(に扮装(ふんそう)した)議会をしてはどうか?」と議員らに“発案”した。田郷誠之助議員(無所属)の一般質問に答えた。推理作家、江戸川乱歩の生誕地の市議会で近いうちに「怪人二十面相議会」が招集される!?
一般質問で、田郷議員は「(怪人二十面相姿で)京都や名古屋などにも出没して、名張をPRしてほしい」と要望。亀井市長は「これからも機会があれば」と答弁。さらに、旧上野市議会では議員が忍者の格好をして出席して開かれたことに触れ、「(名張市のPRのため)怪人二十面相の議会をしてはどうか?」とアイデアを出した。亀井市長と議員がお互いに名張市のPRに怪人二十面相の活用を要望し合った。【熊谷豪】

うっかり全文を転載してしまった。引用の範囲を逸脱してしまった。しかしかまわん。そんなことはもうどうだってかまわん。問題は「怪人二十面相議会」とかいう狂気の沙汰のことなのである。神聖なはずの議場でなーにばかな相談をしておるのか。しかしまあ、結局はこんな愚劣なことが実現にいたることもなく、市民のひとりとしてひとたびは胸をなでおろした次第であったのだが、この平成16・2004年という悪夢の年が終わってその翌年の夏、悪夢はこんなかたちで訪れたのであった。

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いやもうほんっと、大丈夫か。いまさらいっても手遅れなのだが、ほんとに大丈夫なのかあほのみなさん。
きょうも愚劣な話題である。あほなみなさんのおはなしである。もううんざりだという感じである。

平成16・2004年は、三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の年であった。三重県が二億円、当時の伊賀地域七市町村が一億円を醵出し、合計三億円の血税をきれいにどぶに捨ててしまった年であった。協働だの新しい時代の公だのというお題目のもと、自分たちの趣味や道楽の延長上に一円でも多くの税金を囲いこもうと乞食連中が眼の色を変えた年であった。

いいだけおちょくってやった。前年、平成15・2003年6月の漫才。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第二十五回 芭蕉さんは行くのか

同年11月の漫才。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第二十六回 芭蕉さんは行けるのか

そして悪夢の年、平成16・2004年がはじまった。名張市議会という場において、どれほど不毛で愚劣なやりとりがあったのかを見てゆく。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

まず、第310回(3月)定例会。

   
P.4 ◎ 市長(亀井利克)

文化の創造につきましては、文化財の保護、活用と能楽などの名張らしい文化づくりをはぐくんでまいりますとともに、東京都豊島区と江戸川乱歩を通じて、また愛媛県今治市とは、それぞれのまちづくりの先人である藤堂高吉の顕彰事業を通じて交流を図ってまいります。

   
P.9 ◎ 教育委員長(森本孝子)

また、市の内外から多くの観衆を集め開催しています名張薪能は、本年は秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業として実施するとともに、市制施行50周年記念事業の一環として、江戸川乱歩作品の創作狂言を乱歩狂言として開催し、能楽等の伝統文化を生かしたまちづくりを一層推進し、スロータウン名張の実現に向けて努めてまいります。

   
P.51 ◆ 議員(松崎勉)

アメリカのエドガー・アラン・ポー作家と当市の江戸川乱歩との縁ができないかとも思います。名張市においては、名張西校は米国オレゴン州フェニックス校との国際交流も実施されておます。短期であったり長期であったりですが、ホームステイしたりして国際交流をされております。この市制50周年という大きな節目に当たり、こういった交流事業を実施されることに対して敬意を表するものであります。

   
P.55 ◎ 市長(亀井利克)

もう一つ、50周年のこの記念といたしまして、江戸川乱歩のご縁によりまして豊島区との交流の提携をさせていただくわけでございますけれども、これは単に江戸川乱歩を通じて、お互いの都市が提携し、協力して江戸川乱歩を発信していくということにとどまることなく、都市と農村との交流とか、そんな方面にも発展していくことに大きな期待を寄せているところでもあるわけでございまして、今後そういう仕掛けもしていけたらというふうに思っているところでございます。

   
P.116 ◆ 議員(石井政)

昨年3月議会の一般質問でも申し上げましたが、当市には魅力あふれる歴史と文化、そして観光資源が息づいております。都会から近い自然豊かな環境に恵まれ、訪れた人を魅了してやみません。観阿弥、江戸川乱歩、忍者、歴史街道、夏見廃寺跡、美旗古墳群など歴史、文化資源、伊賀米、伊賀牛、伊賀酒、伊賀焼、伊賀組み紐、和菓子、漬物、温泉、ブドウなど、伊賀らしさと名張の魅力があふれています。

   
P.153 ◆ 議員(梶田淑子)

もう一点、基本計画に、名張地区既成市街地のまちづくりに、豊かな地域資源を持つ都市空間、初瀬街道、名張藤堂家邸、江戸川乱歩生誕地など、ネットワーク化を進め、文化の薫りを生かした集客・交流を目指しますと書かれていますが、疎水がめぐり、日やわいのあるまち、今も昔が残る江戸川乱歩生誕の地、新町の住民の皆さんが今よみがえらせ、後世に残したいと強く望まれていることと関連して、旧商家細川家が名張市に提供されると聞きましたが、このことについては、市長のお考えをお聞かせください。

   
P.157 ◎ 市長(亀井利克)

一方、こうした状況を踏まえて、昨年11月には名張地区まちづくり推進協議会と名張商工会議所から共同してオールドタウン構想として、名張地区のまちづくりについてご提案をいただいたところでございます。この構想の中で、乱歩生誕の地である新町の細川邸を活用して、歴史記念館等を整備することが提案されてございます。総合計画に掲げるリーディングプランを推進するため、平成16 年度には幅広い住民の皆さんの参加をいただきながら、名張地区のまちづくりを進めるための計画策定を進めることにしております。これから計画づくりに着手する段階であり、確定的なことは申し上げられませんが、オールドタウン構想を踏まえ、細川邸の活用策も含めまして、できる限りこの計画に反映したいと考えております。

   
P.163 ◆ 議員(梶田淑子)

もう時間もないので。それでまず、旧市街地の活性の中で、市長は細川邸のことっていうか、そういうことも総合計画と絡めてやっていくということを非常に前向きにお答えをいただきました。私は、この商工会議所等から出されたオールドタウン構想、これは非常に大きな夢を語った構想なんですね。でも、これ全部網羅した形でお願いしても、なかなか先の遠い話になるので、まず一つ一つ取り組んでいただくということで、そういう江戸川乱歩、この事業を新町の人は一つの拠点にして町の活性につなげたいと。
その中で、豊島区の提携、友好交流都市提携をなさるんですから、そこのハード事業だけじゃなく、ソフト事業で乱歩に絡んだ行事を豊島区と名張市とが一緒になってやるとか、そういうふうなソフト事業なんかもかみ合わしながら何とか活性につなげる努力をしていただいて、それは将来的には名張歴史記念館っていいますか、これはもとの桜ヶ丘にある市民会館、あの辺で資料をちゃんと、郷土資料をたくさん整理していただいてるんですから、そういうふうなものも展示する場所も必要ですので、それと絡めて、ぜひ、とにかく名張の町の中の活性を図っていくように努力していただきたいと思います。

つづいて、第311回(6月)定例会。

   
P.47 ◎ 教育長(手島新蔵)

人名辞典によりますと、山本義安は名張城主であった松倉氏に従い大阪の陣に参戦し、多大な武功を上げた後、伊予松山の藩主松平定行に高禄で召し抱えられた武将のようでございます。領民に慕われ、すばらしい人物であったようで、京都で静養の後、65歳で亡くなり、松山の天徳寺に葬られました。その孫により、京都黒谷に墓碑が建てられたと記されております。しかしながら、昭和49年刊行の名張市史にはこの人物についての記述がなく、文化担当の職員も含め、市民にとっても初めて耳にする人物ではないかと思います。まずは、山本義安という人物の事績について調査検証を行う必要があるとともに、ふるさと名張にとっての功績が認められるようでありますならば、観阿弥や江戸川乱歩、稲森宗太郎など既に全国に情報発信を行っている先人と同様、市民に知らしめる努力を行ってまいりたいと考えております。

第312回(9月)定例会。

   
P.68 ◆ 議員(田合豪)

私は名張にはたくさんの観光資源があると思っております。赤目四十八滝、江戸川乱歩、旧町のひやわいや鰻の寝床のまち並み、美旗の古墳群、観阿弥、世阿弥、奧香落谷などすばらしい観光資源がいっぱいあります。しかし、それを人に見ていただくだけの整備がまだまだできていないように思います。

   
P.110 ◆ 議員(松崎勉)

名張には、赤目の一ノ井に東大寺の松明の寄進があり、小波田の観阿弥があり、京都八坂神社へ奉納されるオケラ火の縄があり、江戸川乱歩の生誕地でもある旧町内の昔からの資源が多く点在しております。先ほども申し上げましたが、何も新しい観光資源をつくり出せと申し上げているわけではございません。その上、美旗の古墳群があり、相楽の二ツ塚古墳群等があります。大切な資源を有効に使っていくべきだと思います。いかがでしょうか。

乱歩にかんするこうした応酬をみるかぎりでは、名張市定例会における市議会議員側の質問というのは、ただの思いつきにもとづいてあれをやれこれをやれと偉そうに注文してみせることでしかなく、その気も能力もないくせにへえへえようがすかしこまりましたと忠義面で応じてみせるのが、名張市側の答弁であるということなのであろう。へたな茶番というしかあるまい。
きのうのつづき。もう完全に惰性でやってるわけである。

きのう概観した平成12・2000年は、豊島区が乱歩記念館の建設構想を明らかにした年であった。そのせいで名張市議会でも乱歩にかんする質問が多く発されたのだが、質問に答えるのは教育委員会だったのだからろくなものではない。何も知らず、知ろうともしないあんな委員会、ただ無駄飯をくらってるだけなのである。

当時もっとも迅速正確な情報を伝えていたのは、地域雑誌「四季どんぶらこ」に連載していた「乱歩文献打明け話」であった。きのうリンクを設定した「中島河太郎先生追悼」には、豊島区の構想にかんする平成11・1999年7月の時点での最新情報を記してあり、もちろんそれはお役所のヒエラルキーのなかで名張市の上層部にも逐一連絡していたのだが、名張市にはなんの動きもなかった。

平成12・2000年の名張市3月定例会に言及した漫才もあった。同年6月発表のものである。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第十三回 十七歳はバスに乗って

同年9月発表のものにも続報を記した。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第十四回 名張市は戦う

明けて平成13・2001年1月、豊島区が乱歩記念館の建設断念を発表した。

同年3月発表のもの。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第十六回 月光仮面は誰でしょう

で、その年の名張市議会。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

まず平成13・2001年の第294回(3月)定例会。

   
P.112 ◆ 議員(柳生大輔君)

さらに、さきの質問に関連します具体的事項についてご所見をお聞かせいただきたいと存じます。商業の活性化におけるまちづくりが到底期待できないものであるならば、新たな方向性を軸としたものに転換していかなければならないと考えます。ご案内のとおり、平成10年に政府の緊急経済対策事業として、旧運輸省、現国土交通省の委託事業で、日本観光協会が作成した観光地づくり推進プログラムの全国5カ所のうちのその一つにこの名張のまち歩き観光が提案されております。まず、その中の城下町観光の推進として、城下町や初瀬街道沿いに残る町並みや、町中に流れる城下川等の資源を生かして、城下町観光を名張の新たな観光の魅力に育てていく必要がある、このように書かれております。その一つは、まち歩きの道の整備であり、どんなものがあるかということでありますが、城下川水辺の道を初め、水路を生かした道の整備、それからひやわいの道の整備、また歴史的町並みの保存と修景、そして散策ルートの整備が上げられております。そこでは、核となる地区の整備、それから次に商業施設の魅力づけ、そして江戸川乱歩記念館の整備、また名張伝統産業館の整備とまちかど博物館の整備がこれまた上げられております。
………………
次に、歴史文化が創造したものとしては、商家の軒先の名残であったり、寺町としてのたたずまいであったり、それから今も息づく産業として酒蔵、指物屋、お菓子屋、料理屋、豆腐屋などがあります。それからもう一つ、観光のポイントとなり得るものとしては、江戸川乱歩、亀山房代、藤堂家邸と太鼓門、城下川の花いかだ、酒蔵見学、川沿いの憩い、さらに新町川原の名張花火大会と愛宕の火祭りなどもあります。

   
P.216 ◆ 議員(田郷誠之助君)

もう一つ、江戸川乱歩記念館の件についてであります。
東京の豊島区が乱歩の遺族との間で記念館を計画しているということは、以前名張はそれに対してどのように対応するかということでお尋ねをしたことがあります。最近漏れ聞くところによりますと、東京の豊島区が、これは資金難、財政難によるものなのか、はたまたほかの事情かはわかりませんが、記念館構想がさたやみになったということを耳にしておりますが、実は教育委員会の方にこの点について情報を、並びに対応をお聞きしたいと。よろしくお願いをします。

   
P.217 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

◎教育次長(岡山佳男君) それでは、私の方から江戸川乱歩記念館のことにつきましてお尋ねがございましたので、お答えをさせていただきたいと思います。
ご承知いただいておりますように、この乱歩さんの記念館については、平成11年6月だったんですけども東京の豊島区が、乱歩さんが住みなれ生活された住宅ともどもに、そこで資料が残されているわけでございますが、それを活用いたしまして江戸川乱歩記念館を開設すべく準備をするということで発表なさいまして、以後予算措置もされまして調査をされておったわけでございますが、去る13年2月21日の夕刊に載っておったわけでございますが、この豊島区がその準備をされておったわけでございますが、財政難のために断念をしたということで報道されているわけでございます。

とくにこれといった関係もないのだが、昨年10月4日付エントリ「眼もくらまんばかりの」から引用。

   
平成10・1998年のことである。名張市立図書館にお客さんがあった。だいじなお客さんなので、名張市教育委員会の教育次長が挨拶した。ちょうど『江戸川乱歩執筆年譜』が出たばかりだったから、お客さん全員に一冊ずつ手渡し、ご覧いただいていた。

テーブルには、『乱歩文献データブック』も置いてあった。と、横から、『江戸川乱歩執筆年譜』と『乱歩文献データブック』を手にした教育次長が、こんなことを訊いてくる。

「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」

ばかなのである。もう野放図なまでの、眼もくらまんばかりのばかなのである。そもそも本というものは、たんに字を印刷してあるだけのものなのである。その字を読まなければ、中身の違いはわからぬのである。

名張市の職員がすべて、全員が全員、どうしようもないばかであるというつもりはない。だいたい、職員個々のことなどよく知らない。だが、総体としてみれば、アベレージを求めるならば、これはもうばかだとしかいいようがないだろう。そして、なかには相当なばかがいて、ただ市職員として甲羅を経ているというそれだけの理由で、その手ひどいばかが教育次長を務めていたのである。

年が明けて、平成14・2002年第298回(3月)定例会。

   
P.89 ◆ 議員(田郷誠之助君)

教育関係の質問で、最後に1つお尋ねします。江戸川乱歩の記念館に関しては、これまでにもお尋ねしてきております。名張の図書館には乱歩コーナーも設けられ、来館する市民にも乱歩に関する認識を深める上で大きな役割を果たしています。また、乱歩関連の文献のデータブックを刊行され、関係者からも高く評価されてきておりますが、聞くところによれば、乱歩邸に保存されている資料を含めて、乱歩邸を東京都豊島区が買い上げる話が立ち消えになって、新たに立教大学にすべて移管、管理されることになったと聞き及びますが、そのあたりのことを既にご承知のことと思います。お聞きしたいのは、東京の乱歩邸の身の振り方によって、名張の乱歩コーナーのこれまでの乱歩邸との関係はどうなるのか。借りている資料などがある場合、一元管理という理由で返還の必要が出てこないかなど、今後の乱歩コーナーへのあり方への影響などについて説明していただきたい。

   
P.98 ◎ 教育長(手島新蔵君)

5点目、江戸川乱歩につきまして今後どうしていくのかということでございます。乱歩生誕の地名張としまして、今日まで多くの市民の支援者のご協力とご遺族のご理解を得て、遺品展を名張市立図書館に設けていることはご案内のとおりでございます。平成14年度には乱歩ふるさと発見50年記念事業としてゆかりの地をめぐるウォーキングやとか探偵講談、トークショー、レファレンスブック第3の刊行などを考えています。このときには乱歩先生のご子息であります平井隆太郎先生、またそのご子息もともに名張へおいでいただいて、この50年の式典にはトークもしていただくということで、こちら側としましては、先般そのことをお伺いをして、快くお引き受けをいただきました。
東京の平井邸の蔵書につきましては、先ほどご所見でございましたように、当初豊島区が記念館を建設するということでございましたが、今回立教大学に譲渡されるということを聞いております。今後とも立教大学と連携を深めまして、また協力を得まして、生誕の地名張と立教大学とのそれぞれの立場から乱歩顕彰に努め、支援体制を図れるよう努力をしてまいりますし、これまでのご支援につきましては平井隆太郎先生も快く名張の乱歩生誕の地として、高くこれまでの取り組みにつきまして評価もいただいておりますし、快く資料の提供なり貸与をしていただくということも承っておりますので、今後ともそのことを取り組んでまいりたいと考えております。

   
P.100 ◆ 議員(田郷誠之助君)

あと能舞台、それから江戸川乱歩につきましては、ご答弁一応承っておきます。これ以上のことは今ここでは申し上げないでおきます。では、私の今の2度目の質問に対してご答弁をお願いいたします。

えーっとまあ、やはりなんといっても、名張市教育委員会というのはじつにいいかげんなところなのである。たとえばこのときの答弁、「今後とも立教大学と連携を深めまして、また協力を得まして、生誕の地名張と立教大学とのそれぞれの立場から乱歩顕彰に努め、支援体制を図れるよう努力をしてまいります」とあるのだけれど、そんな「努力」なんてこれっぽっちもしておらぬのである。無駄飯食いがこら。「乱歩顕彰に努め」などと口走ってみたところで、実際には何ひとつできておらぬではないか。適当なこと並べてその場しのぎに明け暮れるしか能がないのかてめーらは。えーっとまあ、要するにあほなのである。

さらに年が明けて、平成15・2003年第306回(6月)定例会。

   
P.244 ◆ 総務企画委員長(中川敬三)

それに関連して委員からは、名張市としてどのような事業展開が図られるのかとの質疑に対しては、今要望している分として、平井堅1万人コンサートや乱歩企画としてのミステリートーク、観阿弥企画として能楽講座などを要望しているとの答弁でありました。
………………
その他、委員からは、名張市にとってこの事業は価値があるのか、もっと乱歩をPRしていくべきだ、さらには文化の発信が上野に比べておくれているなどの意見がありましたが、特にこの議案に反対する意見はなく、採決を行いましたところ、本案については全員異議なく原案のとおり可決すべきものと決定いたしました。

これは質問ではなく、総務企画委員会に付託された伊賀地区広域市町村圏事務組合関連の協議にかんする報告である。なかに「今進めている生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業について質疑があり、執行部から、この事業は当初から県が中心になり伊賀地区市町村が協力して進めているもので、平成15年度で約9,000 万円、平成16年度は3億円程度の事業を計画しており、そのうち、県が3分の2、伊賀地区市町村で残りの3分の1を負担することになるとの答弁でありました」との発言もみられる。そうなのである。三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の悪夢は、この翌年に迫っていたのである。

名張人外境:伊賀の蔵びらき記念特別大漫才

そんなことはともかく、おなじく平成15・2003年の第309回(12月)定例会。

   
P.19 ◎ 収入役(松本豊明)

254ページの9款教育費は21億3,685万8,000円、予算執行率は85.1%でありますが、(仮称)名張ふれあいスポーツプラザ整備事業で3億1,719万2,000円を繰り越しております。主な内容は、小中学校費では、教育用コンピューターの整備と各学校の教材備品の購入費、耐震診断事業委託、遠距離通学費補助金などであり、幼稚園費では、私立幼稚園就園奨励補助金などであります。また、268 ページからの社会教育費は、美旗古墳群公有地化事業や名張市社会教育振興会への補助、公民館の改修や高齢者対策整備事業などのほか、市立図書館の図書購入費と乱歩記念事業や青少年団体育成事業費などでありまして、278ページの保健体育費では、市民テニスコートとプール改修のほか、(仮称)名張ふれあいスポーツプラザ整備に向けての費用も支出しております。

この平成15・2003年は江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』が出た年で、これははじめからゲスナー賞ねらいでつくった本だったのだが、強力なライバルがあって金賞も銀賞も射止めることができず、「目録・索引」部門の入選にとどまった。とはいえそれでも、名張市民には充分誇りに思っていただいていい成績なのであるが。

雄松堂書店:第4回ゲスナー賞受賞作品

そして、いよいよ、平成16・2004年がはじまる。『江戸川乱歩著書目録』の刊行を輝かしいピークとして、名張市における乱歩なるものがこの年から急速に劣化してゆくのである。
おとといのつづきである。1900年代が終わり、きょうから2000年代。

1900年代最後の年、つまり平成11・1999年に、ウェブサイト名張人外境を開設した。名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』と2『江戸川乱歩執筆年譜』が出そろい、いっぽうでインターネットが普及してきたことでもあるから、ここはひとつ両書のデータをネット上に、と教育委員会に提案してあっさり蹴られたので、ばかがしれっと蹴りやがったので、それなら自分でやるしかないなと思ったのが開設のきっかけである。

すでに前世紀の話題である。当時のことは仔細には思い出せぬ気もする。そのころ書いた漫才をお読みいただくのがいいかもしれない。

まず、平成11・1999年3月発表。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第八回 ノストラダムス解読

つづいて、同年6月。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第九回 君たち気は確かか

同年9月。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第十回 中島河太郎先生追悼

それで同年10月、名張人外境の開設となる。

それでは、なんとも不毛な作業ではあるが、先をつづけることにする。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

いちいちコメントを付すことはせず、不毛な質疑を引用するだけにとどめる。

平成12・2000年第289回(3月)定例会。

   
P.179 ◆ 議員(中川敬三君)

今、江戸川乱歩の生誕の旧跡がございますが、あれは今回の予算の、平成12年度の予算の中で、これは、教育費は款の9ですか、それの社会教育費の中の文化振興費に入ってると思いますが、その中に江戸川乱歩にかかわる遺産あるいは旧跡の管理とかその辺の費用がどういう見方をされてるのか、お聞かせ願いたいと思います。

   
P.181 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

それから、2点目の江戸川乱歩資料の関係でございますけども、予算に絡みましてでございますので、図書館費の中に備品購入費っていうのがあるわけでございますが、その中はもちろん大半が新刊書の購入ではございますけども、その中に郷土資料並びに乱歩資料の購入と、費用も含まれておりまして、それによりましてあの乱歩コーナーに一応整えてます資料を、今日まで歴代の館長さん初め職員の方々がいろんな情報をもとにそろえていただいたやつでございますので、12年度予算につきましても一応そういう形の中で見さしていただいておりまして、またいい資料がありましたらあの乱歩コーナーを充実さしていただきたいと、このように考えておりますので、その辺でご理解を賜りたいと思います。

   
P.181 ◆ 議員(中川敬三君)

それから、先ほど申し上げた江戸川乱歩の件なんですが、そういうことで、名張市としましてもそれにかかわる予算というものがこの中に、予算の中に含まれてるということでございますが、今般東京の豊島区の方で記念館ができるということで、名張市でも前からそういった記念館云々の話が私たしかあったような気がするんですが、その辺ひとつ、どういうふうな今、実際豊島区の方にできましたが、どういうふうに総括されているのか、ちょっと教育委員会の方の考え方をひとつお聞かせ願いたいと思います。

   
P.181 ◎ 教育委員長(辻敬治君)

◎教育委員長(辻敬治君) 資料を持っておりませんので詳しいことはまた後で申し上げるといたしまして、江戸川乱歩の顕彰ということで市民の皆様方からご指示をいただいておりまして、過去もう20年近く前から乱歩の記念館をつくりたいんだということが市民の中でも定着しておりまして、また現在移転されました現在の図書館に移りますときも、乱歩の資料、実はこれ、乱歩さんがご生存中に、名張はふるさとだから、私が死んだらすべてを上げますよということをちらっと漏らされたことがあったようです。私は聞いてませんのでその辺はわからないんですが、そういうふうなことから、入れ物をつくったらいただけるんだというふうな感じが推進の委員会あたりであったようでございます。それで、そういうことで多くの方が記念館の建設を促進する会を結成されまして、ご努力いただいたんです。
しかし、その後、亡くなりましてから、私もその件につきましては、ちょうど郷土資料室の嘱託等をやっていた時期でございましたので、館長ともども平井隆太郎さん、息子さんが隆太郎さんと申しますので、その話を持って、たしか川崎現代議士と同席いただいてお願いにも上がったことがございます。その当時はまだ平井隆太郎さんの奥さんがお見えでして、いろんな協議をさしていただいた。しかし、名張さんに全部渡すという約束はいただけなかったんです。これまた、あの方は方々でそれをおっしゃってきたようです、乱歩さんが。例えば、推理作家協会とか、またほかのところでも申してこられたようでございまして、そういうなことから名張さんにすべてということはできないだろうというような話もあったんです。それで、できることなら私とこに少しでも多くというふうな話から、これ申し上げていいかどうかと思いますけど、2そろえあるうち1つはくださいというふうな奥さんとの話が出まして、相当詰めてきたんですけれども、奥さんが亡くなられて、隆太郎さんの方は、現在見ていただいたらわかりますような乱歩記念コーナー程度のお貸しをいただいて現在に至ってると。
ただ、豊島区がいろんな構想されたのは最近でございまして、私どもはそういうなことで長い間の話であるということから、後でまた次長の方から説明あると思うんですが、豊島区に対してはいろんな話を、豊島区に名張の資料室をつくるっていうわけにも、ちょっと無理な話でもあると思いますし、その辺問題は整理はしなきゃならんのですが、いずれにいたしましても豊島区との話を進めて、できる限りの私どもの研究機関として利用さしていただけるような体制を、まずとるということも。まだ豊島区に渡されるということも決定はしてないようです、その辺のとこ、またお話あると思いますけれども、過去の経過はそういうことで、すべてを名張市にという乱歩さんのお話はあったんですが、しかしそれは実現はしなかったと。

   
P.182 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

◎教育次長(岡山佳男君) 豊島区における乱歩の記念館構想のことで、委員長、今お答えいただいたわけでございますが、私ども、ことしの2月10日前後に、そのような形で若干豊島区が乱歩さんの住んでおった建物と、それからその資料を乱歩記念館にするというような計画の中で、乱歩さんのいわゆる長男であります平井さんですね、平井先生が、その資料を豊島区への寄贈意思を明らかにしたということで、これ2月10日前後でございますが、そういうことのニュースを聞きましたもんですので、2月16日の時点で私どもの方から豊島区へ聞かしていただいたら、一応そういうようなお話だということでございます。ただし、先ほど委員長申しましたように、正式な調印等はまだしていないということでございます。そして、今後の希望といたしましては、12 年度から公開展示に向けての資料整備、あるいはその建物の整備等をどのようにしていくかというようなことを調査を進めたいというようなことのようでございます。そして、土地についてはまだはっきり今のところ、買収するのか、あるいは借地にするのか決まっていないようでございます。そして、若干、乱歩さんのお孫さんが現在一緒に住んでおられますので、その方が今後とも住むということの中で、その辺の住居部分と博物館の関係をどうするかというような今後のそういう課題もあるようでございます。
それで、今後のことは若干、これから調査することによってわかってくる部分がございまして、まだはっきりしてるわけではございません。しかし、一応基本的には乱歩さんの子息の長男の方、平井先生が一応その資料等を豊島区に寄附の意思をもう明らかにしたということでございますので、豊島区長さんの懸案事項ではございますので、そういう形では進むんではないかと、このように思うわけでございます。

   
P.183 ◆ 議員(中川敬三君)

それで、この江戸川乱歩の件につきましては広報か何かで一度詳しく、そら生誕の地が名張だからって、すべて名張の思うようにいかんだろうっていうのは、これはこの問題だけじゃなくて世の常でありますから、もちろん豊島区にしたって、そういうものが一つのねらい目であったのかもわかりませんし。だから、今ここへ来て名張市が積極的だったとか、積極的でなかったとか、そういう過去を議論してもしようがないわけであります。ですから、その辺云々ということじゃなくて、やっぱりこういう事実、名張の一つの旧跡と遺産というものを市民の皆さんにきちんと、なぜそうなったかということが理解できるように、そういうことをきちんとしていかないと、結果的には市民の皆さんが、これは市が積極的に取り組んでないからこういうことになるんだという単純な、そういう誤解か理解になっていくと思いますので、ぜひそういうのは広報できちんと事実関係を市民の皆さんに教えてあげていただきたいと思います。
それからもう一点は、これお願いでございますけれども、この豊島区に仮に行ったからというてオール・オア・ナッシングという考え方ではなくて、当然向こうは史籍者としてお住み、活躍した場所ですし、名張は生まれて、生誕したという、それぞれの特徴、何ていいますかね、それぞれの立場のある旧跡でございますので、ぜひ例えば江戸川乱歩生誕の館でもいいわけですね、向こうが記念館だったら、そういうものをやって、やっぱり名張の残した遺産っていうものもその中で展示したり、かかわってくる。そしてまた、あるときは豊島区の方からお借りして、名張でもっとそういう展示会をするとか、いろんなやっていき方があると思いますので、先ほど申し上げたオール・オア・ナッシングでなくて、それぞれの持ち味を生かした、そういうあれをぜひやってって、市内あるいは県内、県外の方たちも、豊島区のものも見に行くけどやっぱり生誕の地も見ておこうというようになるようにぜひやっていただきたいとお願い申し上げまして、質問を終わらせていただきます。

   
P.199 ◆ 議員(田郷誠之助君)

◆議員(田郷誠之助君) けさ、一番に質問で取り上げられました江戸川乱歩記念館並びにまた図書館の図書購入費、こういった点でご質問をさせていただきたい、このように思います。
最近の、これ東京の新聞、これも2月10日と11日にかけて東京新聞、それから産経、毎日、朝日、それぞれの東京版の各紙を拝見、私したんでございますが、そこで江戸川乱歩記念館を取り上げておりました。それを受けた形で先般も、これ3月に入ってから名張でも伊和新聞が3月4日に取り上げております。
もちろん、これ名張の問題でございますし、名張では早くから、これは昭和44年、1969年に、もう今から31年前でございますが、新名張という新聞でもこれは恐らく乱歩記念館の最初の取り組みの経過ということで、7月11日に報道されております。
これは江戸川乱歩の記念館の建設推進ということで、今の川崎代議士でなしに、川崎秀二代議士のときに記念館の建設推進ということで、国立国会図書館で何か懇談会が開かれたと。当時の富永乱歩記念会館建設の会の会長さんが上京されて、そうして乱歩の遺族、また推理作家協会、東京在中の名張人会、そういった人たちで構成される懇談会ですか、そこで次のようなことが申し合わされたということになっております。
記念館は、名張市立の図書館の附属施設にしようというようなこと、そういう意味で図書館の中に置くと。それから、着工は昭和46年、年末までに完成しようと。こういうことで、この当時は北田市長でございましたかね、市長も大いに賛成をされたと。市議会とも相談をして、市としての協力体制を固めようと、こういうように当時の市長も明言をされていたと。結果はご存じのように、この構想は実現はしなかったわけでございますけれども、時移り、人も変わり、28年後、今の富永市長のときになりまして、というのは3年前です。平成9年、新年の年頭会見というのがあったんですね。新聞報道によりますと、新春の夢のある話ということで、乱歩記念館建設を10年計画で実現したい、このようにこの富永英輔市長が語っておられて、新聞でも報道をされております。今のコーナーとは違って、記念館ということですね。
ところで、その後一向に実現の兆しが市民の目には見えてこない。そこへ先ほども質問がございましたように、東京の豊島区でこの問題が出てまいっております。東京の豊島区では、区長が選挙公約ということで乱歩記念館を取り上げておられる。当選後に、これはもう最近ですね、公約を実現すると言明をされて先ほど来の話題になっておるわけでございます。加えて、東京では乱歩のご遺族から乱歩の遺産を豊島区に寄贈すると報道されています。
先ほどの教育委員長からも、また次長からも、るる経過説明もありましたし、大体わかったんですけれども、大切なのは名張側の姿勢です。あれだけ市長が公言をしてこられた問題であります。乱歩記念館建設構想、名張における、これについて市長の、富永名張市長のご意見を私はお伺いしたい。
これ、ちょっと後々時間がかかりますので、このまま、ひとまず乱歩記念館構想については第1回目はこのぐらいにしておきます。

   
P.201 ◎ 市長(富永英輔君)

◎市長(富永英輔君) 午前中の田郷議員のいわゆる乱歩記念館についてのご質問であります。
先ほどお話もございましたように、私どもといたしましては、江戸川乱歩の生誕の地であると、このことを一つのまちづくりの素材として生かしながら、市民との共有財産として、まさにそのことを生かしたまちづくりをしようと、こんなふうに提案をし、提言をしてきているところでありまして、その中にいろんな取り組みを今日までもさしていただいてまいりました。いわゆる、ミステリーフォーラムっていうのが中心でありますけれども、乱歩さんのその生誕の地にふさわしいようなミステリーというのをまちづくりの中に取り入れながら、市民の皆さん方にそういう形をとらしていただいたり、あるいはシンポジウム、勉強会等を開いていただいたり、いろんな形で生誕の地にふさわしいさまざまな事業や、また市民の皆さん方の活動を展開をしてきているというのが今日の状況であります。
それからもう一つは、伊賀地方の拠点都市地域の整備計画のコンセプトの中に、そうしたミステリー館の建設問題というのも一つのテーマに上げさしていただいておると。したがって、そういうことから含めて、私どもとしてはいわゆる乱歩生誕の地にふさわしい一つの施設をつくり上げていこうというのが、先ほどおっしゃっていただいた私の新年の記者会見のときでございましょうか、ちょっと語らしていただいた中身であります。
それも、もう一つの問題は、この日本の推理作家協会の皆さん方にこれまでずっと我々お世話になってきているわけですが、別にそういう作家ではないんですが、そうしたミステリーの愛好者の皆さん方のこう一定の日本にも集団がありまして、その方々ができれば乱歩記念館をというような、そういうミステリー記念館ていうんでしょうか、そういうのを東西に1館ずつ設けてはどうだろうかと、こういう構想を打ち出されまして、そのときに1つは東は新宿か池袋か何か、そんなあたりで1つつくろう、もう一つ西の拠点は名張にしようと、このことがたまたまそういうことを語られたというのもちょうどそのときでありましたので、そういうことで受けているわけであります。
そこで、今回のこの東京の豊島区の問題は、ちょうど西新宿という、立教大学のちょうど裏手ぐらいでしょうか、乱歩さんがずっとお住まいになってるところ、したがってそこでは戦時中は隣組の組長さんもされておって、回覧板なんかも保管されたりしてあるわけでありますけれども、そこでちょうど写真なんかで絶えず出てきますのが蔵ですね、書斎兼書庫になってる蔵があるんですけれども、そういうのも含めてかなり木造の古いお宅でありますけれども、それをこの立教大学の敷地とそれこそ一体的なところにございますので、できればそれをそのまま平井隆太郎先生にしても、乱歩さんの息子さんでありますけれども、隆太郎先生にしても、できればもうそれ一つ子で分散することなく保存していきたいなというご希望がどうもおありのようでございまして、そのこととちょうど場所も立教大学のちょうどそういう敷地に接してるところでもございますし、そしてずっと長い間そこにある施設でございますから、そのまま豊島区が引き継いだらどうだろうかというのが今日の状況のようであります。したがって、我々はその蔵そのものを本当はいただくと、一番そらありがたいわけでありますけれども、そういう状況でありますから、今も申し上げたように乱歩生誕の地にふさわしい、それをまちづくりの中の一つのポイントにしていこうという趣旨でございますから、したがってそういう点ではこのことと、豊島区の施設と我々の施設は必ずしも一致をして取り合いしなきゃならん、そういう品物じゃあないと私は思っているわけであります。したがって、それぞれ特徴ある施設がお互いに連携し合うということも一つであろうと思いますので、必ずしもそういうことじゃないだろうと、こんなふうに思っております。状況からして、乱歩先生のご遺族が今長いこと住みなれた場所をそのまま保存したいというお気持ち、それを当該の区が受けたという形、このことについては必然性があるんかなと、こう思っております。

   
P.202 ◆ 議員(田郷誠之助君)

◆議員(田郷誠之助君) 江戸川乱歩の記念館の問題につきまして、今市長の方からご説明をお聞きいたしました。
東京の豊島区のどうも考え方としては、今の市長のご答弁から、これ私が推測するような発言になるかもしれませんけれども、もう全部乱歩関係の資料は統合をすると。そして、名張でのそういったミステリーフォーラムとか、そういうようなこともなさいましたけれども、そういった形で江戸川乱歩にゆかりのある土地だということだけで、何らかの遺品とか、そういったものはこれはもう東京で統合的に管理をしてもらって、こちらは生誕の地だということを訴えるだけの施設をつくられるように私は受けとめたんですけれども、その辺がどういうことなんだろうかなと。
恐らく、今は乱歩の遺族から遺品を借りて展示されておるんだろうと思います。ということになりますと、やはりそういったものは一元的に管理するのが最もいいんだろうということも考えますし、ただ、まちづくりの素材としてと。市民との共有財産ではあっても生誕の地だということだけをと。そうすると建物も生誕の地といってももう建物は残ってるわけでもありませんし、名張の場合には碑が立っているだけである。だから、その建物は過去の遺産ということでなしに、ただ今後の催しをするための施設をつくるだけのような感じに私は理解をしたんですが、ということは表現からいたしますと、東京の方とは違った方式でとか、または取り合いはしないというようなご表現の中からはそういうお考えなんだろうかと。私の場合ははっきり言って、何も少しずつでも遺品を取り合いするようなことでなしに、東京でいっそのこと一元管理をされる方が、僕はすっと、すかっとしていいんではないかなという気持ちもあったもんですから、私はそういう受けとめ方もしましたし、私の意見としては、やはりその方がかえって江戸川乱歩遺族、ならびに関係者、またさらには推理作家協会とか、そういった方々にとっても管理しよいし、いいんではないかなと、これは私の意見でございます。
その辺、今私が言ったようなことをお考えなんかどうかを改めて確認をしておきたいと思います。
そして、もうこんなことを今さら申し上げるまでもないわけですけれども、やはり現物を抱え込んでおられる豊島区の方が力関係としては強いんですから、だからもう公約としては名張市の方が豊島区の区長よりも先に公約したんだということだけで、それがお墨つきになるわけでは絶対ないわけですから、この辺のところは遺族とも十分話し合いをされる方がいいんではないかなあと、このように考えるわけです。
それともう一つ、念のためにお聞きしておきますが、3年前でしたかの新年のご発言の裏づけというものが実際あったのかどうかと、その時点で何らかの裏づけが江戸川乱歩のご遺族との間でその時点ではあったのかどうかと、その辺のところ念のために確認しておきたいと。
乱歩については以上。

   
P.203 ◎ 市長(富永英輔君)

◎市長(富永英輔君) 先ほどもお答えさしていただいたように、要するに江戸川乱歩さんの生誕の地であると、このことをまちづくりの中で生かしていこうと、こういう考えでございます。ですから、立教大学があって、ほぼその敷地と思われるような、そういう位置に乱歩さんがお住まいになってたのがそのままあるわけです。そして、そこに平井先生ご一家もお住まいをいただいていると。そういう状況でございますから、やはり老朽化しているし、平井先生としてはそれをそのまま残していきたいと、しかもそういう一等地でもございますし、それだけの施設でありますから、やっぱり相続税問題もありますし、そのままそのものをその地で公共のものとして引き継いでもらうというのがご遺族としても一番望まれてることじゃないかと。したがって、今も申し上げたように、そういう点では田郷議員のおっしゃることと同じような格好になろうかと思いますけれども、そのものを取り合いするという話ではない。むしろ、特徴のある乱歩さんの生誕の地にふさわしい一つのコンセプトを持った特徴のあるそうした文化施設づくりということが大事じゃないかと、こう思っております。

平成12・2000年第291回(9月)定例会。

   
P.94 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

それから、蔵書の購入予算についてでございますが、貴重な市民の共有財産である図書でございます。現在備品購入費で賄う新刊書あるいは乱歩関係を含みます郷土資料、あるいは視聴覚資料等をこの備品購入費で購入しているわけでございます。そのほかに消耗品費で賄っております新聞とか雑誌、いわゆる逐次刊行物でございますが、そういうものがありまして、今後も多様化、高度化する利用者の皆さんにおこたえすべく選書に努めまして、財政の許す限りにおきましてより多くの資料を購入できるよう努力してまいりたいと、このように考えておりますので、よろしくご理解を賜りたいと思います。

   
P.144 ◆ 議員(加藤富栄君)

それから、最後の一つですが、33ページの移動美術館作品警備委託料というふうなことで8万4,000円出ているわけです。この移動美術館に関しまして、これは多分図書館の2階でやられるんだろうと思いますけれども、この点でですね、ちょっと総合計画の中に、実は私、第2回、第3回の文化振興審議会の委員も務めさせていただいたわけですが、先般第3回の折の答申も読み返してみました。随分とやはりこの答申の内容を生かしてきていただいているなという部分も感じております。能のにあう「まちの顔」づくりもそうでありますし、この中での美旗に設けられております能舞台に、橋懸りや舞台裏の楽屋も増設していこうというふうな方向も見えてきておるようでございますし、夏見廃寺跡や、美旗古墳群とか、その他乱歩、黒田庄等々のそういう歴史的な文化も未来につなげていこうというふうな、舞台づくりもしていこうというふうなことで、非常に結構なことだなというふうに思っているわけでございますけれども、市民ギャラリーですね、この市民ギャラリーについては全く、どうお考えになってくださってるのかについて見えてこない。これは教育委員会の方にもお尋ねしたいことですが、総合計画基本構想の中にも全くそういった面が見えてこない。あるいは私の読み方がまずいのかもしれないんですが、このおきつもビューパークや黒田庄農業公園や田園歴史ミュージアム構想の中にあるいはそういうものも入れていただいているのかというふうにも思うんですけれども、その古きよき歴史を生かしていくということは、本当に結構なことだと。それは名張にしかないものでございますので、それは結構なことかと思うわけですけれども、やはり10万都市を目指す名張市において、市民の現在あるいは未来にかけてのいろんな市民活動があるわけで、そういう固定的な発表の場、常設の場もない。それから、検証する場もないというふうなことをどうとらえてくださっているのかなというふうに思ってお尋ねする次第でございます。この点についてお考えをお聞かせ願いたいと。古い歴史と新しい文化が調和してこそ質の高い生活文化が創造されるんではなかろうかと思いますので、お尋ねしておきたい。

みごとなまでに不毛である。
きのうのつづき。そろそろ飽きてきた。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

これまでのところで判明したのは、むろん容易に予測できることではあったのだが、名張市議会における乱歩をめぐる質疑応答も、結局はハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想というお役所における思考停止症候群の域を出るものではなかったということである。さらにいえば、市議会の議場も含めこの名張市というところでは、乱歩のことなど何も知らぬ人間が乱歩なんたら館がどうの乱歩かんたらイベントがこうのと、偉っそうにまあこのあんぽんたんが、わけもわからんくせにぎゃあぎゃあさえずりつづけてきたということである。そんなあきれた話がまかり通ってきたということである。ふつうならありえない話である。正気の沙汰ではすでにあるまい。

平成10・1998年第281回(6月)定例会。

市議会議員の質問。

   
P.130 ◆ 議員(柳生大輔君)

それらについての本市における活用事例でありますが、その一つとして、平成3年度から平成6年度にかけて江戸川乱歩関連事業や名張薪能など、行政が主体となって行う事業に基金の運用益を活用してふるさとづくりを進めてまいりましたし、また一方、平成7年度にふるさと振興事業補助金を創設し、市民が主体的に企画、実施する事業を支援することにより、市民主体のふるさとづくりを推進していただいておるところであります。この補助対象事業としては、文化、芸術、スポーツ等の振興事業、あるいは都市環境づくり事業、あるいは交流コミュニティー推進事業であります。また、これらの補助対象事業費については、補助対象事業に関する諸経費のうち、直接その事業の実施に欠くことのできない経費、いわゆる企画及び実施にかかわる経費を補助対象とし、それ以外の団体等の組織運営、維持経費、通常の事業経費は補助対象外となっております。また、補助金額は事業内容を審査の上、補助対象事業費の2分の1以内で、補助事業1件につき50万円を上限として、予算の範囲内で補助金額が決定されております。
………………
本市においては、先ほども触れてまいりましたように、大変堅実なおかたい方法をとっておるわけであり、元金は触らず、元金保証、そしてその果実運用ということであり、1つは先ほども申しましたが、行政主体の江戸川乱歩関連事業と名張薪能など、それからもう一つは、市民主体のさまざまなふるさと振興事業の補助金の創設ということであります。

ふるさと振興基金にかんする質問であったらしい。乱歩の名前はついでに出ただけ。

おなじく平成10・1998年の、今度は第283回(9月)定例会。

名張市の答弁。

   
P.80 ◎ 市長(富永英輔君)

したがって、私は昨年でしたか一昨年でしたか、ふるさと意識の醸成と、こういうことを実はまちづくりの一つの大事な要素であるということを申し上げたことがございますし、就任当初から私は、まちづくりの中で一番大事にしていこうと、これは名張にしかないものをまず大事にしようよと、こういうことを実は呼びかけながらまいったところであります。といいますのは、とにかく私たちのかけがえのないふるさと名張でございますから、そういう名張にありまして、私たち自身がこれからどういう町をつくっていくかと、このときに、やはり一番大事にしたいのは、ふるさと名張にしかないものをお互いに大事にしようよと。例えば、今回の台風7号の災害を受けましたけれども、あの赤目四十八滝、日本の滝100選にも選ばれた赤目四十八滝というような自然環境がございます。あるいは、美旗の古墳群がございます。夏見廃寺がございます。藤堂屋敷がございます。あるいは、能楽発祥の地でもあります。あるいは、江戸川乱歩の生まれた町でもあります。といったような自然や歴史や文化や、そういったものは、今申し上げたものは名張にしかないものでありますから、これを市民共通の資産としながらまちづくりをしていこうじゃないかということで、さまざまなこういう観点に照らしたソフト・ハードの事業を就任以来展開をさせていただいてきたわけであります。したがって、これこそ名張の誇り得る一つのものだと思っております。

ここにも乱歩の名前がついでに出ている。おなじ定例会の、つぎの答弁もそうである。

   
P.104 ◎ 市長(富永英輔君)

そういう観点から考えますと、今日の市民の皆さん方の多様なニーズにおこたえしていくためには、本当に音楽専門のホールがどこかの町にある、それはみんなで利用しよう。また、美術に関心のある方々のための美術館のようなものがどこかの町にある、それをみんなで応用しよう。例えば、図書館を考えてまいりますと、伊賀地域では上野市と名張市にしか図書館はございませんから、それは他の町村の皆さん方も自由に利用できるようにしよう。あるいは上野の図書館は、芭蕉なら芭蕉で特徴を持たそうじゃないか。名張は江戸川乱歩であるとか、あるいは能楽とか、そういったことで特徴を持たそうじゃないか。それをまたみんなが活用し合う。そういう意味では、お互いにさまざまな機能、役割を分担し合いながら、地域住民の皆さん方の幅広い多様なニーズにこたえる仕事を進めることができるねと、そのためには広域連合という一つの公共団体をつくるということが大事なことだなと、こう思っているわけです。

つづいて、平成11・1999年第285回(3月)定例会。

市立図書館のサービスにかんする質問に、教育委員会が答弁。

   
P.40 ◎ 教育長(手島新蔵君)

現在の蔵書状況につきましては、開架図書の冊数は約15万冊でございます。内訳としましては、開架図書12万冊、うち常時貸し出し3万冊、移動図書館やまなみ5,000冊、乱歩関係資料1万冊、郷土資料1万5,000冊、計15万冊、閉架書庫、いわゆる地下書庫には10万冊で、合計全体としまして25万冊でございます。この蔵書冊数につきましては、三重県では第4位ということで、県内の各市の中では4番目に位置するわけでございます。

おなじく第285回定例会。教育委員会の答弁。

   
P.196 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

図書館資料の購入につきましては、これもご承知いただいていると思いますが、備品購入費で購入する新刊書等と、それから消耗品で購入する逐次刊行物とか、あるは雑誌等、そういうものがあるわけでございます。現在は、もうこれも一般質問でもお答えしておりますが、開架図書といたしまして15万冊を擁しておりまして、その中で、いわゆるあの図書館の開架の書架には12万冊、それからやまなみ号に5,000冊、それから乱歩資料1万冊と郷土資料が約1.5万冊ということで 15万冊という構成になっております。それで、この図書資料の購入につきましては、減ったといえどもことし予算もついておりますので、市民の皆さんの要求にこたえられますように一生懸命選択等もいたしまして、資料収集と整備に努めさしていただきますとともに、新鮮で魅力ある蔵書づくりに励ましていただきまして市民の皆さんのお役に立ちたいと、また一層のサービスの増強も図らしていただきたいと、このように考えておりますので、ひとつよろしくご理解を賜りたいと思います。

例によって例のごとく、どうということのない乱歩への言及である。

しかしこの当時、つまり平成11・1999年というのは、名張市立図書館が平成9・1997年に『乱歩文献データブック』を、その翌年に『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行して、さらにその翌年にあたるのだが、そうした目録の出版によって、名張市が乱歩の生誕地としてそこそこ注目を集めていた時期でもあったのである。

ここで試みにGoogle検索。そうした目録がどのように受容されたのか、インターネット上でざっと眺めてみる。

Google:乱歩文献データブック 名張市立図書館

ググってみて驚いたことに、三件目にヒットしたのはYahoo!オークションのページであった。『乱歩文献データブック』が8750円で落札されているではないか。

Yahoo!オークション:【1円〜】江戸川乱歩『乱歩文献データブック』名張市立図書館

それにしても、えらい高値がついたものである。

七件目にヒットしたのは、ウェブサイト「宮澤の探偵小説頁」のページ。このサイトでは、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックをすべてご紹介いただいているのだが、『乱歩文献データブック』のページがこれである。

宮澤の探偵小説頁:『乱歩文献データブック』

「名張市は江戸川乱歩生誕の地であり、その地の図書館の乱歩コーナーの展示はなかなか見事なものでした。だが、それを生誕百年の一過性のお祭りにすることなくこれだけのものに結実させたことには頭が下がります」「乱歩研究の第二弾第三弾も準備中ということなので今後もますます期待します」とまことにありがたいお言葉を頂戴しているのであるけれど、名張市民のあずかり知らぬところで、名張市立図書館は全国の乱歩関係者から、といってしまうのはあまりにもおおげさだが、その一部からはたしかに期待と信頼をお寄せいただいていたのである。あくまでも、その当時は、という話なのであるが。

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